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『水俣映画遍歴――記録なければ事実なし 水俣語りつぎ2』

土本 典昭 19880515 新曜社,365p.


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土本 典昭 19880515 『水俣映画遍歴――記録なければ事実なし 水俣語りつぎ2』 新曜社,365p. 2520 ISBNなし

■目次
camera eye1
記録なければ事実なし=水俣は、いま  序論

camera eye2
『水俣の子は生きている』  一九六五年

camera eye3
空白の五年間  一九六六――一九六九年
  キューバと万博と三里塚と……――自主製作運動の中から(「学芸」立教大学新聞、一九六九年一月十九日)

camera eye4
『水俣――患者さんとその世界』  一九七〇年
  「知らせただけで済むか」  水俣の場合
    患者さんのスポークスマン
    一群のジャーナリズムの存在
    H女の告白(「放送批評」一九七三年十二月号)

camera eye5
上映・ストックホルム  一九七一――七二年

camera eye6
『医学としての水俣病』『不知火海』  一九七三――七五年
  水俣・ある断面(「未来」一九七三年十二月号)
  不可視の水俣病について(「ことばの現場」一九七五年五月号)
  水俣の看護婦、堀田静穂さんのこと(「看護」一九七五年四月号)
  対談・記録するこころざし――映画『医学としての水俣病』をめぐって  平山朝子(国立公衆衛生院)・土本典昭(「ナース・ステーション」一九七五年五月号)
    記録映画の方法
    なぜ撮ったか――水俣の今日的状況のなかで
    討論のベースにしてほしい
    人びとと魚との結びつき
    「医学としての」にこめられた意味
    認定制度としての権威主義が押しつぶしたもの
    日常生活にねざす連帯の芽ばえ
    患者がいちばんすぐれた看護者

camera eye7
『HANDS JOIN ACROSS POLLUTED WATERS』  一九七五年――七六年
  カナダインディアンの水俣体験(「エコノミスト」一九七五年九月二日)
    アイリーンの手紙
    羽田、七月十七日
    ジェノサイド
    何かが変わった
    シー・ユー・アゲイン
  六価クロム禍=生かされぬ水俣の教訓(「公明新聞」一九七五年八月三十日)
  カナダ水俣病の問うもの――カナダ横断フィルム・キャラバン(「展望」一九七六年七月号)
    水俣とケノラを結ぶもの
    住民レベルの交流
    自然とわかちがたく食生活を営む人びとへの加害
    ドライデン=水俣病年表
    「医学の壁」への挑戦
    第二回国連環境会議へ

camera eye8
巡海映画  一九七七年
  『不知火海』=水俣病を見つめる旅――ある移動映写会の試みにあたって(「未来」一九七七年七月号)
  不知火海にみえる現代日本の縮図――不知火海フィルム行脚にあたり(「公明新聞」一九七七年七月三十日)
  不知火への巡海映画行を前にして――御礼言上(「展望」一九七七年七月号)
  不知火海巡海映画百十日間の旅、その心(「公明新聞」一九七七年十二月二七日)
  報告=不知火海、巡海の旅から帰って(「日本読書新聞」一九七八年一月一日号)

camera eye9
記録映画作家の原罪――なぜ「水俣」を撮りつづけるのか  一九七八年(「世界」一九七八年十月号)

camera eye10
『わが街・わが青春』『水俣の図・物語』  一九七八――八一年
  <水俣>を描く――『水俣の図』の制作にふれて(「新日本文学」一九八〇年四月号)
  『水俣の図』を描くための旅――丸木位里・俊さんの一年を巡って(「公明新聞」一九八一年二月十日)
  『原爆の図』を描いた人たちの生(「クライシス」一九八四年、冬号)
    物がめぐりめぐる
    革命家の晩年のすがたとは
    絵描きとしての原点
    「焼いてしまいたい」
    変わらないものへの固執

camera eye11
ふたたび水俣へ  一九八四――八九年
  水俣の輝きを――相思社の十年(「水俣」一九八四年七月五日)
    里の"お寺さん"
    闘争が日常に
    うねりにのまれて
    水俣の灯台
  歴史探訪=不知火の海(「日本歴史展望」旺文社、第十二巻)
    死の海から
    海辺に生きる
    海の生命力
    魚眼から見る
    死海の再生

あとがき



■引用・まとめ
 現実の人間を記録映画に撮る場合、私の見た視点とフレームの選択から言えば私映画であると極論も不可能ではないが、やはり違う。
 たとえば水俣を十三年も撮っていると、奇妙なことに気づく。十三年前の映画のシーンに、当時意識しなかった物象が余白に見える。いまは貯木場でしかない袋湾にカツオ漁用の大きな竹かご(生けす)が干されていたり、港にうたせ船の帆柱が見えたりする。意識せずともレンズは物理的に記録する。最も生活的に苦しかった裁判中の漁家と部落のたたずまいももはや映画のなかにしかのこされていない。その眼でみれば偶然撮ったフィルムの中の犯人探しのように過去の水俣の事象の映像が記録されている。映画は作家の意図をこえて、ひとつの時代の資料となるといった歴史軸を自分の十三年分の映画に感じる。記録映画とは何か、最後まで風化せずにのこる記録された映像の評価は、当時の製作の思いや意図を洗い流してのこる歴史の質、物象の存在自体ではないかとされ思える。十数年、一つところのひとつのものを撮りつづけることは、映像による歴史的定点観測の実験となるやも知れないと思う。だが、以上のような映像の無機的な資料能力とは別に、人間を記録することとの闘いが実は主題であり、私の飢餓感の胚種なのである。(pp.287-288)


*作成者 篠木 涼
UP: 20080627
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