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『病いの語り――慢性の病いをめぐる臨床人類学』

Kleinman, Arthur 1988 The Illness Narratives : Suffering, Healing, and the Human Condition,Basic Books
=19960425 江口 重幸・五木田 紳・上野 豪志 訳,誠信書房,379p.


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Kleinman, Arthur 1988 The Illness Narratives : Suffering, Healing, and the Human Condition,Basic Books =19960425 江口 重幸・五木田 紳・上野 豪 訳 『病いの語り――慢性の病いをめぐる臨床人類学』,誠信書房,379p. ISBN-10: 4414429102 ISBN-13: 978-4414429107 4410 〔amazon〕 ※ b ma

■内容(「BOOK」データベースより)
本書は、慢性の病いをかかえた患者やその家族が肉声で語る物語を中心に構成されている。今日の生物医学によって軽視されがちなこうした病いの経験、語りこそが、実は医療やケアの中心に据えられるものではないか。著者は、病いとその語りを、微小民族誌などの臨床人類学的方法を駆使しながら、社会的プロセスとして描き出そうとする。そして、病み患うことが今日どのような変容をとげつつあり、来るべき時代の医療やケアはいかにあるべきかを明らかにしようとする。本書は、この分野に関心を寄せる広範な読者に向けて書かれている。慢性の病いのケアに携わった著者の臨床知や臨床姿勢が横溢し、すでに高い評価を得ている著作の邦訳である。

■内容(「MARC」データベースより)
慢性の病いをかかえた患者やその家族が肉声で語る物語を、微小民族誌などの臨床人類学的方法を駆使しながら、社会的プロセスとして描き、病み患うことが今日どのような変容をとげつつあり、医療やケアはどうあるべきか説く。


■目次
症状と障害の意味
病いの個人的意味と社会的意味
痛みの脆弱性と脆弱性の痛み
生きることの痛み
慢性の痛み―欲望の挫折
神経衰弱症―アメリカと中国における衰弱と疲弊
慢性の病いをもつ患者のケアにおける相反する説明モデル
大いなる願望と勝利―慢性の病いへの対処
死にいたる病い
病いのスティグマと羞恥心〔ほか〕


■言及
◆Frank, Arthur W., 1995, The Wounded Storyteller: Body, Illness, and Ethics, Chicago: University of Chicago Press(=2002, 鈴木智之訳『傷ついた物語の語り手――身体・病い・倫理』ゆみる出版).
(pp31-32)
 その最も一般化された形態において、脱植民地主義とは、語られるのではなく語ること、表象され最悪の場合には完全に消去されてしまうかわりに自らを表象することへの要求である。しかし、医師の時間に対するコストやよりいっそう拡大して行く高度技術の利用など、臨床実践に対して課せられる脱近代社会の圧力の中で、患者が語るための時間はますます小さなものとなっていく(*21)。したがって人々は他の場所で語るようになる。脱植民地化の衝動は、臨床の場においてではなく、むしろ寛解者の社会のメンバーが自分の病いについて互いに語り合う、そうした物語の中に具現化されていく(*22)。  これらの物語の脱植民地的な姿勢は、彼らが医療について語る内容にあるのではない。むしろ、これらの物語の持つ新しい感覚は、医療や医師がどれだけ物語の中に入ってこないか、というところに現われている。脱近代の病いの物語は、人々が自分を「統一的で一般的な視点」の外部に位置づけうるように語られる。人々にとって、自らの物語を専門家の権限の届かないところに移行させるということは、自らの個人的な責任をより深いところで引き受けるということを意味している。パーソンズの病人役割においては、病む人間は、患者として、ただ回復するということに対して責任を負うものでしかなかった。寛解者の社会では、脱植民地的な存在としての病む人々は、病いが自己の人生の中で持つ意味に対して責任を負わなければならない。
(p311)
 (*21)医師たちもまた、確かに彼ら自身の物語を持ち、患者をケアする経験が彼らから奪われてしまうことに異論を唱える時には、彼らなりの脱植民地主義的な物語を表明する。HMOに勤務する一人の医師は次のように言う。「私はクライアントの処理をしたいのではありません。患者のケアをしたいのです。私は官僚制的な規則と医師助手の後ろに隠れていたいとは思いません。私はケアリングをしたいと思うのです」。Kleinman, The Illness Narratives, 219(前言、原注2を参照)に引用。
(p137)
 医療専門職は、パーソンズやザスマン、およびその実践に関するその他の研究者たちによる社会学的説明によれば、あるいはまたニュランドのような医師としての実践家の説明によれば、生存のための言語を越えて言うべきことは何ひとつない、という事態を制度化しているのである。その生存のための言語への医療の周到な自己限定は、ありふれた英雄性の核をなすものである。脱近代の時代において、その核にはますます大きな亀裂が広がり始めている。多くの医師たちは、バウマンの言う近代的な意味での英雄であることに関心を失い、道徳的人間であろうとしているように見える。ニュランドによる自己反省や、それが多くの人に受け入れられたという事実は、こうした移行を示す一つの指標であるし、デヴィッド・ヒルファイカーの生き方やその著作はまた別の指標である(*23)。
(p299)
 (*23)医学の道徳的方向性に変化を求めるその他の有力な医師としては、Howard Brody, The Healer's Power (New Haven: Yale University Press, 1992); Eric Cassell, The Nature of Suffering and the Goals of Medicine (New York: Oxford University Press, 1991); Ron Charach, ed., The Naked Physician: Poems About the Lives of Patients and Doctors (Kingston, Ontario and Clayton, New York: Quarry Press, 1990); Coles, The Call of Stories (第二章、原注17参照),Kleinman, The Illness Narratives (前言、原注2参照); Spiro, Empathy and the Practice of Medicine; and Waitzkin, The Politics of Medical Encounters (第三章、原注12)があげられる。
(pp200-201)
 病いの物語を証言として理解することのうちには、やはりそれを脱構築的な形で使用する一面がある。病む人々の生命(ライフ)を媒介するさまざまな行政文書―カルテや財務一覧や病院の管理手続き―に内在している、ドロシー・スミスが言うところの「支配関係(relation of ruling)」を、証言としての病いの物語は解体していくからである(*9)。スピヴァックが描きだした植民地主義の文書(テクスト)がそうであるように(第一章を参照)、行政文書は身体化された存在に依存しながらもそれを否認しているのだが、病いの物語の証言はその身体化された存在が確かにそこにあることを訴えている。病む人の身体こそが医療行政の存在理由であるにもかかわらず、科学的・職業的活動としての医療は、その身体を単なる疾患の容れ物と見なしてすませてしまう。身体化された経験は、多くの現場の医師がどれほど患者の経験に寄り添おうとしたところで、公式の医療言説からは抜け落ちてしまうのである(*10)。
(pp292-293)
 (*10)前述のHalpernは医師である。証人としての医師については、特に、Rita Charon, "To Listen, To Recognize," The Pharos of Alpha Omega Alpha 49, no. 4 (Fall 1986): 10-13を見よ。Charonはここで、John BergerのA Fortunate Manに描かれた医師についてあらためて言及している。それは、自らを患者の記録を司る「書記」として、すなわち単なるカルテではなく、その人生の記録を司るものとして描きだすものである。Arthur Kleinmanは、証人としての医師についてさまざまな事例を書いてきた。証人となることを必要とする医師の心にふれる物語、証人となることを職業的な労働において要請する物語については、The Illness Narratives, 168-69(前言、原注2参照)を見よ。
(p202)
 苦しむことは教えることであると見なすことによって、病む人々は行為主体としての力(agency)を取り戻す。証言は、専門的知識と並ぶ同等の地位を与えられる。苦しみの教えは、近代医療やこれを支える病人役割などの理論にとってかわるものではない。むしろそこに開かれているのは、病者に対して応答する際に要求される複数の枠組みの間を移動する可能性である。病人役割論は、近代医療批判のための避雷針として役立つばかりでなく、なお多くの説明能力を残している。回復の物語はいまだに最も高い頻度で語られる病いの語りである。近代医療はますます繁栄しており、多くの不満はより以上の医療を求めるがゆえに寄せられているのである。
 しかし時代は変わりつつある。近代医療は、苦しみというものを、根絶はされないまでも「統制」されるべき難題と見なしてきた。これに対して、脱近代の病いの文化は、一般的にもまた医療の内部でも、苦しみを人間の条件の手なづけがたい一部分として受け入れる必要を認めている(*11)。私は、脱近代を、複数の枠組みが前景から後景へと交互に入れかわっていく時代として理解している。ドナルド・リヴァインは社会理論が「多声的(multivocal)」なものとなることを要求してきた(12)。臨床倫理とケアの概念も多声的なものとならなければならない。
(p293)
 (*11)苦しみを新たにとらえなおそうとする医師の側からの呼びかけとしては、例えば、Kleinman, The Illness Narratives, Eric J. Cassell, The Nature of Suffering and the Goals of Medicine (第四章、原注23参照)、また別の視点からは、Timothy E. Quill, Death and Dignity: Making Choices and Taking Charge (New York: W. W. Norton, 1993) などがあげられる。ただし、こうした声は、いまだ論争的なものであることを注記しておこう。私は、Cassellが話をしたある会議に出席したことがある。本会議の最後に、別の一人の医師が、「自分は喜びのほうが好きだ」と言いながら、苦しみを強調するCassellを冷やかしていた。その会議は、医師と患者のコミュニケーションに関するものであったにもかかわらず、病む人々は一人も発言者として招かれていなかった。
(p216)
 アーサー・クラインマンは、いくつもの障害に苦しみ、重い病いを負った一人の患者に、「私が必要としている力を与えてくれませんか」と問われた時のことを書いている(*27)。この問いかけは、医学的情報や治療を求めてなされたものではない。クラインマンは、レヴィナスの言う他者のために存在する(being for-another)という道徳的関係へと自らが呼びかけられたのを聴いているのである。彼がこの問いに対してどのように答えるとしても、それは彼の医学的専門性にはごくわずかな関連性しか持たない。この女性は、クラインマンに、一人の人間としての彼が、一人の人間としての彼女のために存在しうるのかと訊ねている。彼の応答の倫理は、ヘルスケアにおける葛藤―臨床倫理の典型的な状況―にかかわるのではなく、より深い道徳的な関与を引き受けるか否かにかかわっている(*28)。語りの倫理は、病気であれ健康であれ、一般人であれ専門職者であれ、病いがそこへ向けて呼びかけている道徳的関与へと人々を導くのである。
(p291)
 (*27)Kleinman, The Illness Narratives, 39.相手との個人的な関係へと呼びかけられる医師に関するもうひとつの事例については、146-49を見よ。その相手は、その関係の中で、彼の患者であることをやめる。


◆田垣正晋, 2000, 「中途障害者が語る障害の意味――「元健常者」としてのライフストーリーより」《京都大学大学院教育学研究科紀要》46:412-424.
 方法論的には、当事者独自の解釈を重視するために、障害者自身の語り(narrative)から構成された少数のライフストーリーを分析する。このような研究方法は障害者援助の実践にとっても重要である。例えば医療においてはKleinman(1988)は医学モデルにより構成された疾患(disease)とは区別して、当事者によって構成された説明モデル(病い:illness)を援助者が丁寧に聞き取ることが重要としている。また教育や福祉における援助者は、国際障害分類から「客観的」に説明された障害を、援助者が予め設定する「自立」や「ノーマライゼーション」等の主要なモデルに基づいて軽減しようとしてきたが、本人や家族等当事者の解釈による障害観は、そのような説明モデルには合致しないにせよ、自分たち独自の障害観を基にして人生の意味を問うと考えられる。こうした当事者独自の障害観を検討することが障害者を取り巻く人々に求められる。


◆空閑厚樹・前川健一, 200109, 「バイオエシックスにおける「ナラティヴ」の課題と可能性――方法論・実践・臨床に於ける意義」《生命倫理》11(1):42-49.
(p46)
 以上のように私たちはバイオエシックスにおけるナラティヴ・アプローチの有効性を限定的に把握したいと思う。しかし、このことは医療現場におけるナラティヴの尊重ということを否定するものではない。むしろ、ナラティヴへの注目はバイオエシックスの方法論という理論のレベルにおいてよりも、臨床的なレベルにおいてこそ大きな意味を持つものと考える。これは、図1を利用するなら、個別性の象限でナラティヴの意義を考えることであり、バイオエシックスの対象としての医療そのものに於けるナラティヴに注目することである。
 たとえば、インフォームド・コンセントの結果、患者がある選択をしたとする。通常の理解からすれば、話はこれで終わりである。医療者は患者の意向を実行すればよい。しかし、本当にそうであろうか。問題はこうした「意向」が必ずしも確定的で決定的なものではないことにある。十分な情報を与えられ熟慮の末に結論が出るというのではなく、医療者・家族・マスコミなど様々な言説で織り成された場の中で患者の「意向」はいわば偶発的に形を成すのである。それゆえナラティヴ・アプローチの観点からすれば、患者の「意向」とは自己完結した終点なのではなく、それ自体解釈を要求する「語り」のひとつなのである。しかし、重要なことは、この「解釈」にあたって医療者側が優先権を持つわけではない(*7)ということである。
(p48)
 (*7)Kleinman:1988においても、多くの事例が提示されながら、繰り返しこの問題が指摘されている。


◆野口裕二, 20020601, 『物語としてのケア――ナラティヴ・アプローチの世界へ』医学書院.
(pp.x-x)
(3章 「1 病いの意味」、「●四つの意味」)
 「病い」の意味はこのように、さまざまな要因に影響されながら、個人によって独特の意味付けをされて経験される。「病い」のこのような個人的かつ社会的な意味について、精神科医であり医療人類学者でもあるクラインマン[Kleinman,1988]は、四つの意味を区別している。
 第一の意味は、「症状自体の表面的な意味」である。たとえば、「おなかが痛い」という症状は「緊張している」ということを連想させ、「食欲がない」という症状は「心配事がある」ことを連想させる。こうした連想は、多くの文化に共通してみられ、特定の時代や文化を超えたものといわれている。病いにはまず、普遍的で常識的なレベルの意味が付着している。
 第二の意味は、「文化的に際だった特徴をもつ意味」である。たとえば、中世の黒死病や数十年前までのハンセン病や結核、そして、現代のがんやエイズなどのように、その時代を特徴づけるような象徴的な意味が付与されている場合である。「がん」は集団や組織レベルの問題に関しても比喩としてよく使われる。そして、これらの病名を聞いたとき、わたしたちは、他の病気とは異なる独特の社会的反応を呼び起こされる。
 第三の意味は、「個人的経験に基づく意味」である。幼少期の体験や、挫折や失敗などの過去の経験が、現在の病気や症状と結びつけられてかたちづくられる意味である。クラインマンは次のように述べる。「ちょうどスポンジのように、病いは、病者の世界から個人的社会的意味を吸収する」。病いは、単なる生物学的な出来事ではなく、自分の人生のさまざまな出来事と結びあわされて、自分にとって独特の意味を帯びるものとして存在するようになる。
第四の意味は、「病いを説明しようとして生ずる意味」である。病者本人をはじめ家族や治療者が、「原因は何か」「なぜ、そのとき発症したのか」「これから先、どうなるのか」といった疑問に対して納得のいく説明を与えようとするなかで構成されていく意味である。医師や看護職、あるいは、家族や友人の何気ない一言が、病いの意味の構成において重要な役割を果たす場合もある。
 以上の分類は、病いの意味の複雑な成り立ちを考えるうえでたいへん重要である。第一の意味と第二の意味はともに社会・文化のなかに埋め込まれているが、第三の意味は個人のなかで生み出され、第四の意味は、個人をとりまく社会関係のなかで共同で構成されていくという違いがある。つまり、病いの意味が生じる源泉として、文化、個人、社会関係というすくなくとも三つのレベルを区別できることがわかる。また、第一と第二の意味が「与えられる意味」であるのに対し、第三と第四の意味は「つくり出される意味」である。病いの意味は与えられると同時に創り出されるものでもあるといえる。
  2 病いのナラティヴ
●意味の組織化
 それでは、このように重層的で複雑な構造をもつ病いの意味は、どのようにして織りあわされ、ひとつの意味としてのまとまりを得るのだろうか。クラインマンは次のように述べる。
 「患者は彼らの病いの経験を、つまり自分自身や重要な他者にとってそれがもつ意味を、個人的なナラティヴとして整理するのである。病いのナラティヴは、その患者が語り、重要な他者が語り直すストーリーであり、患うことに特徴的な出来事やその長期にわたる経過を首尾一貫したものにする」。
 つまり、語ることによって、病いをめぐるさまざまな出来事や経験や意味が整理され配列されて、ひとつのまとまりをもつようになる。文化的象徴体系、個人的経験、社会関係といったさまざまな源泉を背景にもつ意味が取捨選択されて、ひとつの物語が構成される。そして、このような物語こそが、個々の経験に具体的な輪郭を与える枠組となる。わたしたちが経験する「病い」もまた物語のかたちで存在している。
(pp.x-x)
(「3 説明モデル」、「●説明モデルとは」)
 このような困難のなかで、クラインマンは、物語の生成や変更に重要な手がかりを与えてくれる概念を提示している。そのひとつが、「説明モデルexplanatory model」という概念である。
 説明モデルとは、「患者や家族や治療者が、ある特定の病いのエピソードについていだく考え」のことであり、「@病因論、A症状のはじまりとその様態、B病態生理、C病気の経過(病気の重大さと、急性、慢性、不治など)、D治療法」などのテーマに関するものである。
 説明モデルは以下のような疑問に答えてくれる。「この障害の本質は何か」「なぜ、自分がその病いに冒されてしまったのか」「なぜ、それが今なのか」「どんな経過をたどるのか」「自分のからだにどんな影響を及ぼすのか」「どんな治療をしてほしいと思っているのか」「自分がこの病いと治療についてもっとも恐れているものは何か」などである。
 つまり、説明モデルは、病いの四つの意味のすべてに関係しているが、とりわけ第四の意味、「病いを説明しようとして生ずる意味」に深く関係している。医療者も患者も家族もそれぞれが自分なりの説明モデルをもっている。そして、それはしばしば、医療者と患者との間で食い違う。
 この食い違いについて、クラインマンは次のような事例を紹介している。

★事例:フラワーズ夫人
 患者は、高血圧の三九歳の黒人女性で五人の子の母親、四人の子供と母親、そして二人の孫と一緒にスラム街に住んでいる。医師との間で次のようなやりとりがなされた。

(前略)
医師:ほかに困ることはありませんか。
夫人:よく眠れなくてね、先生。私が思うに、そのわけは・・・
医師:寝つけないんですか。
夫人:そうなんです、それに朝、ほんとうに早く目が醒めてしまってね。エディー・.ジョンソン(夫人の長年の男友達で一年前にけんかで殺された)の夢を見てね。たくさんのことを思い出して泣いてね。本当にひとりぼっちなんでね。私はわからないけれど・・・。
医師:何かほかに問題がありますか。からだの問題のことを聞いているんですけれど。
夫人:いや、疲れた感じはあるけどね。でもそれは何年も続いています。先生、誰かのことで思い悩んだり、その人がいなくなって寂しかったりすると、頭痛が出ると思いませんか?
医師:わかりませんね。筋緊張性頭痛だったらありうることです。でもほかに、めまいとか倦怠感とか疲労とかいったことはなかったんですか。
夫人:言ってるじゃないの! 疲れた感じがときどきあるんですよ。そして、プレッシャーがあると悪くなります。でも、心配なことを先生に尋ねておきたかったんです。心配事がたくさんあってね。全体に元気がなくて、まるでどうにもしようがないようです。今はお金がさしせまった問題ですね。
医師:なるほど、ソーシャルワーカーのマーさんに頼んで、経済的な話をしてもらいましょう。マーさんは助けになってくれますよ。これから、からだの検査をして具合はどうかみてみませんか。
夫人:具合は良くないんですよ。自分でもわかるんです。プレッシャーが多すぎてね。それが私の高血圧を悪くしています。自分がほんとうに情けなくなるんです。
医師:まあ、しばらくすれば、具合がどうなのかわかるでしょう。

 そして、医師はカルテに次のように記した。

印象
(1)高血圧、コントロール不十分
(2)ノンコンプライアンス、これは(1)の一因である。
(3)うっ血性心不全 − 軽度

計画
(1)アルドメットをアプレゾリンに変更。
(2)低塩食を励行させるために栄養士に紹介。
(3)経済的問題のためソーシャルワークの相談
(4)三日ごとに経過観察、血圧が下がって安定するまで定期的に。

●説明モデルとノン・コンプライアンス
 この事例を読んでどのような印象をもつであろうか。医者としてごく普通の対応である、あるいは、正確な対応であるという印象をもったひともいるだろうし、患者の重要な訴えがとりあげられていないと思ったひともいるだろう。クラインマンはこれについて次のように述べている。
 「記載された記録に姿をあらわす症例と、聞き取りのなかでしゃべっていた病気の女性とはまったく別人のように思われる」。彼女は、「高血圧と、医学的管理へのノン・コンプライアンスと、心不全の初期徴候と、薬物療法とに還元されている」。
 この事例から、医療者と患者の説明モデルの違いについて、次のような重要な点を読み取ることができる。
 第一に、クラインマンの上の言葉が示すとおり、医療者が生物医学という「説明モデル」をかたくなに守ろうとする姿勢である。患者の心理的な悩みや生活上の悩みにはほとんど反応せずに、ひたすら、「からだの問題」についてのみ聞き取り、その線でのみ対処しようとしている。
 第二に、患者が「プレッシャーが多すぎて高血圧を悪くしている」という独特の説明モデルをもっている点である。ここで、「プレッシャー」というのは、日本語の「プレッシャー」と同じく社会的心理的な重圧を指しているが、クラインマンによれば、下層のアメリカ黒人の間では、それが血圧(ブラッド・プレッシャーblood pressure)と密接に関係づけられており、高血圧の「直接の」原因として理解されている。そして、そのことが、食事の塩分を控えることを無視するような「ノン・コンプライアンス」を生み出しているのである。
 第三に、医師が、経済的な問題にも配慮しているが、それはソーシャルワーカーの仕事と割り切っている点である。患者からすれば、社会的心理的プレッシャーとからだの症状とは前述のように切り離せない関係にあるのだが、医師はあくまでそれは生物医学とは別個の問題とみなしている。「バイオ」と「サイコ・ソーシャル」は異なる問題であって、関係するものではないという「説明モデル」をこの医師は当然の前提としている。それは専門家によって分業されて当然である考えていることになる。
(pp.x-x)
(「4 モラル・ウィットネス」、「●三つのステップ」)
 それでは、このような強固な「病いの物語」を前にして、医療者あるいは援助者は一体何ができるのだろうか。医療者の説明モデルと患者の説明モデルが食い違うとき、一体どうすればよいのだろうか。
(略)
ここで、クラインマンはこのいずれとも異なる独自の方法を提示する。それは、次のようなステップからなっている。
 第一のステップは、医療者が患者(および家族)の説明モデルを引き出すことである。
 それは次のような質問によっておこなわれる。「どこが悪いと思われますか? その原因は何でしょうか? 私にどんなことをしてほしいとお望みですか?」。さらに、「この病いは(あるいは治療は)あなたの生活におもにどんな仕方で影響を与えてきましたか? この病いで(あるいは治療で)一番恐いと思うのはどんなことですか?」と付け加えることができる。こうして、患者の説明モデルが引き出され、患者の生きる世界がすこしずつ見えてくる。 
 第二のステップは、治療者の説明モデルを提示することである。このとき、当然、相手にわかるように「翻訳」して伝えるという技術が要求される。相手の理解力不足のせいにしてしまったら、このステップは成り立たない。もちろん、「ノン・コンプライアンス」という言葉も意味をなさない。
 第三のステップが、「取り決めnegotiation(=交渉)」と呼ばれるものである。ここで医療者は、患者の説明モデルと自分の説明モデルの比較を念入りにおこなう。自分のモデルを伝えるだけでなく、それに対する批判も積極的に聞き出そうとする。そして、「自分の不確かさや理解の限界」も相手に見せながら、妥協案を探っていく。
(pp.x-x)
(「●倫理的に立ち会う」)
 このような視点にたつとき、ケアの新しい方向性の手がかりが見えてくる。それは、相手の生きる物語、生きる世界についての敬意から出発し、その世界に立ち会い、その世界をたしかに見届けるという姿勢である。それは、単に、生物学や心理学、社会学に還元することのできない、倫理的な(moral)立場を意味している。
 クラインマンは慢性疾患のケアの方法について次のように述べる。
 「精神療法は、深い道徳的な関係を中心にしている。治療者は、患うという領域において患者とともに存在しようとする。一方、患者は、自分の生活世界を、彼らの共同の探求に向けて積極的に開くのである。治療者は、倫理的に立ち会う「倫理的証人moral witness」になるが、裁いたり、操作したりするわけではない。患者は能動的に作業をするのであってただ受け取るだけではない。双方がその経験から学び、それによって変化するのである」。
 「ケア」という行為は、決して一方的なものでなく、双方向的なものであるということがよく言われる。それは多くの場合、結果論として語られる。結果として、学ぶことが多かったとか、ケアする側が実はケアされていたという意味である。しかし、ここで主張されているのはそうした結果論ではない。はじめの出会いから、それぞれの説明モデルに敬意を払って、お互いの生きる世界をたしかに見届ける「証人あるいは目撃者witness」となることであり、共同作業としての、共同作業でしかありえない「ケア」のかたちである。それは、自分の説明モデルのなかでのみ考え、かかわるような姿勢と対極をなすものといえる。


◆楠永敏惠・山崎喜比古, 2002, 「慢性の病いが個人誌に与える影響――病いの経験に関する文献的検討から」『保健医療社会学論集』13(1):1-11.
(p2)
病い(illness)とは、症状や障害を、それを患う本人、その家族やより広い範囲の人々の視点から捉える際に用いられる用語である。病いは疾患(disease)や病気(sickness)とは異なる概念であり、疾患や病気という観点からでは病いの経験は把握されにくい。
 さて、この病いの経験は、病む人やその家族などの「主観的な世界」を表すものとされる。すなわちKleinmanが表現したように、病いの経験とは、病む人やその家族などがどのように症状や障害を認識し、それとともに生活し、それらに反応するのかということを示すものである。具体的には、身体的苦痛を感じることや症状を認知すること、ケアを求めること、日々の苦闘や持続性のトラブル、隠喩の使用や意味の発見、道徳的な判断を下すことや倫理的なジレンマを感じること、アイデンティティへの問いかけや自己を再構成することが、病いの経験には含まれる。これらは個人的な体験ではあるが、社会・文化的なコンテクストと強く結びついており、社会・文化的な特徴を有することもある。
 こうしてみると、病いの経験とは、病む人やその家族などが、症状や障害をどのように認識し評価しているか、医療を受けることや日常の養生方法をいかに判断し行っているか、症状や障害のもたらす生活上困難をどう受けとめ対処しているか、症状や障害とともに生きる自己の意味をどのように見出しているかということを表すものであり、これらは社会・文化的な影響のもとで体験され、創り出されるものであるといえる。
(p8)
 (2)Kleinmanは、疾患とは、治療者からみた症状や障害、つまり生物物理学的なコンディションを表すものとし、病気とは、社会の視点から捉えた症状や障害、つまり社会との関係において、ある集団全体に該当するという意味で症状や障害を理解するときに使われるものとしている。


◆田垣正晋, 2002, 「障害受容概念における生涯発達とライフストーリーの観点の意義――わが国の中途肢体障害者の研究を中心に」《京都大学大学院教育学研究科紀要》48:342-352.
 障害者本人は、障害を単なる生物医学的事実としてではなく、様々な意味を持った経験として理解している。このような経験を明らかにするために、障害者のライフストーリーの重要性が、多くの研究者によって指摘されている(Kleinman,1988; Good,1994; Nochi,1997; 田垣、2001ab)。
 医療人類学者のKleinmanは、障害者および慢性疾患患者の「病いの語り」は、医学的な説明モデルとは合わないにせよ、彼らなりの説明モデルとして当人が生きていくうえで大きな意義をもつことを指摘している。彼は、「疾患 (disease)」と「病い(illness)」という2つのモデルを提唱している。前者は論理実証思考モードに対応し、医療専門職の生物医学的なモデルにより病気および障害が説明される。一方後者は物語思考モードに対応し、障害者本人またはその家族による説明モデルである。彼が病いを重視したのは、医学が描く疾患像と、患者が具体的に苦しんでいる病いの経験の間には、互いに相通じ合うことのできない乖離があると認識されてきたからである。


◆田垣正晋, 2003, 「身体障害者の障害の意味に関するライフストーリー研究の現状と今後の方向性」《人間性心理学研究》21(2):198-208.
(pp.x-x)
 障害者のライフストーリー研究も、客観性と操作性を指向した脱文脈的な研究を批判している。批判の対象となった障害者の心理社会的な研究は、身体機能や受障経過年数に応じて、生活満足度や抑鬱状態がどう変化するのかを考えてきた。このような研究は、専門職による介入には貢献するものの、障害者にとってもっとも切実な「障害を持ちながら生きることの意味」およびその時間経過を把握できないのである(Nochi,1998)。
 ライフストーリー研究は、障害者自身の語る障害の意味を質的に分析する。これは、「病い (illness)」と呼ばれ、医療専門職の生物医学的なモデルである「疾患(disease)」とは区別される(Kleinman,1988)が、障害者が生きていくうえでは非常に重要である。なお病いは、先述した物語思考様式に、疾患は論理実証思考様式にそれぞれ対応する。
(pp.x-x)
 主な社会文化的文脈重視・援助貢献型の研究は、医療人類学によるものである。その代表例であるアーサー・クラインマン(Arthur Kleinman,1980;1988)の研究は、慢性病の医療に関心を持ち、Uの冒頭で述べたように、疾患と病いとを区分して後者の重要性を説いた。だがその特徴は、病いだけではなく、生物医学上普遍的と見なされている疾患も、文化的産物であることを指摘した点にある。彼は中国の伝統的な医療のフィールドワークをもとにして、疾患が先進工業国の西欧的な文化によって構成されていると考察した。


◆蘭由岐子, 20040409, 《「病いの経験」を聞き取る――ハンセン病者のライフヒストリー》皓星社.
(pp45-52)
 このような「病いの経験」という新しい研究動向の根本にあるのは、医師からわずらう者(病者)へのパースペクティブの転換であった。それは、「疾患」(disease)と「病い」(illness)とを区別する見方を導き出した。医師すなわち医学の視点は「疾患」を扱い、病気をわずらう者の視点は「病い」を扱っているのである[Kleinman 1988, pp.3-6=1996, pp.4-7]。たとえば、ハンセン病という病気について、医学的観点(医師のパースペクティブ)からの「疾患」として説明すれば、「らい菌によってひきおこされ、おもに皮膚と末梢神経を侵す、慢性の感染症である」となろう。病原とその結果、すなわち、身体組織とそのシステムの機能と構造の変化について明らかにすることが「疾患」のとらえ方なのである。では、皮膚と末梢神経が侵されるとはどういうことか。それは、皮膚に斑紋や結節が現れたり、末梢神経が肥厚したり、その神経がつかさどる部分に知覚麻痺(熱・冷・触・痛・痒などがわからない)や運動障害が現れるということである。たとえば、これらの症状が顔面に現れるとしよう。それは顔面に赤い斑紋ができたりぶつぶつができたり、顔面神経(三叉神経)が侵されることによってまぶたが閉じなくなったり(兎眼と呼ぶ)、口角があがらなくなったりすること(口角下垂)である。さらには、これらの症状は、患者の相貌を著しく変容させる事態でもある。また、食事もこぼさないでとることが難しくなり、たとえ口元になにかついていても感覚がないのでわからない。このような状態も、「疾患」の定義では前述したような当該部位における知覚麻痺としてしかとらえられないし、その疾患をかかえている個人は、医師の前では、その身体上の機能回復を治療によって促進する対象としての「患者」(patient)でしかない。
 他方、「病い」(illness)は、「病者やその家族メンバーや、あるいはより広い社会的ネットワークの人びとが、どのように症状や能力低下(disability)を認識し、それとともに生活し、それらに反応するのかということを示すものである」[Kleinman 1988, p.3=1996, p.4]。このような症状を呈することになった「患者」は、できもののできた顔を重苦しく感じるかもしれないし、眼の乾き、神経痛を感じるかもしれない。また、顔という自分らしさをもっとも表す部位の様相の変化、喜怒哀楽の表情を作ることのできない状況に気づき、それまでの自己イメージとのギャップにおののき、他者との面会を避けたいと思うかもしれない。家族も同様に感じるかもしれない。食事中に口の周りを汚すことは、同席するひとびとに不快感を与えると考えられるので、会食を避けるかもしれない。もはや「患者」にとってその病気やその症状は治療の対象だけでなく、自分自身のイメージや社会関係に影響をおよぼすものとなる。さらにハンセン病の場合、政策的に療養所への入所を強制されたため、社会関係の変動はいやおうなく病者たちに表れたし、ハンセン病に付与された社会文化的な意味付与―スティグマ―によって、彼らの「病い」の範囲はきわめて包括的なものとなった。そうなると、もはやその個人は医師との関係だけで位置づけられる「患者」ではなく、医学的な疾患のみによっては説明できない世界をもつ「病者」(sick person)、もしくは「わずらう者」(sufferer)となる。本書で、わたしがハンセン病をわずらった経験をもつひとをさして、ハンセン病訴訟以降人口に膾炙した「ハンセン病患者・元患者」という語ではなく、「ハンセン病者」を用いるのは、この意からである(*4)。病いは、疾患のような生物医学的な論理的体系にもとづく説明とはちがって、それぞれの病者がみずからの五感を通じて感知(perceive)したわずらいの過程でありその解釈であって、多義的な意味世界を包摂するのである。それは、痛みのような医学的体系に近いものから信仰上の試練としての病気の説明など広範なものとなろう。
  (3)医師と患者のパースペクティブの乖離
 この疾患と病いの違いは、分析の焦点を医師のパースペクティブから患者のそれへ転回すると同時に、病者と医療者とのパースペクティブの乖離を明らかにすることになる。精神科医で医療人類学者のクラインマンは疾患と病いとの違いを説明した後に、「治療を、疾患過程における改善という表現によってのみ評価すれば、病いの問題という表現でケアを評価する患者や家族とは相容れないことになるかもしれない」と指摘し[Kleinman 1988, p.6=1996, p.7]、治癒することを見込めない慢性の病いをケアすることの核心に、ある「葛藤」が存在することを示唆している。
(略)
  (4)「病いの語り」とモラル・ウィットネス
 そもそも病気をすること、とりわけ治る見込みのない慢性疾患を病み、あるいは障害をもつことは、わたしたちがそれまであたりまえと思ってきた世界が解体されるような出来事である。シュッツにならえば、日常生活世界に対する自然的態度によって特徴づけられている共通感覚的な視点がもはや有効にはたらかない情況なのだ[シュッツ1983, 1985]。そのとき、わたしたちは、なんとかしてその情況を解釈する別の枠組みをさがさなければならない。クラインマンはいう。かつての伝統社会では「人生の危機における経験についての共有された倫理的、宗教的視点があり、それは脅威を根本的な意味の網の目に結びつけることによって、不安を、社会的にコントロールするための既成の制度に繋ぎとめ」ていたが、いまやそのような共有された意味はない。それにかわる意味を個人的に創り出す過程が必要だと[Kleinman 1988, pp.27-28=1996, p.34]。そのために現実に展開されているひとつの道は、ますます医療化をすすめ、健康科学や医学、科学的視点から解答を求めようとする方向である。しかし、医療化を担う「現代医療の官僚主義的機構とその内部で働く援助専門職」は、「病いの問題に対して意味のある倫理的(ないし精神的な)反応をするかわりに、疾患の問題に対して治療的な操作をするよう準備するのである」[Kleinman 1988, p.28=1996, p.34]。すなわち、その「科学」的な操作は、機能障害や能力低下を数量化したり、病者の意識をカテゴライズするが、「わずらうこと」について存在論的な意味を提供したりはしない。否、むしろ、提供しようにも提供しえないのである(*5)。「わずらうこと」は、「病いの語りから根拠の確かな情報を得ることによってのみ姿を現しうる」のであり、それによってようやく「病いを生きることの心の痛手、失望、精神的な痛み(そしてまた克服)という錯綜した内なる言語が存在することを理解することが可能になる」のである[Kleinman 1988, p.28=1996, p.35]。そして「患者は、彼らの病いの経験を―つまり自分自身や重要な他者にとってそれがもつ意味を―個人的な語りとして整理」し、「患うことに特徴的なできごとや、その長期にわたる経過を首尾一貫したものにする」[Kleinman 1988, p.49=1996, p.61]。これは、「世界の崩壊」を経験した病者にとって、情況を解釈するあらたな枠組み、すなわちあらたな意味の地平を紡ぎだすことに相当するのである。
 クラインマンによれば、「病いの経験」つまり「病いの意味」には、「症状自体の表面的な意味」、「文化的に際だった特徴をもつ意味」、「個人的経験に基づく意味」、そして、「病いを説明しようとして生ずる意味」の四つが含まれるという[Kleinman 1988=1991]。前二者は社会・文化に埋め込まれた病いの意味で、三つ目は個人、そして四つ目は個人とそのまわりのひとびととの社会関係において生成される意味ととらえることができる。したがって、病者が紡ぎだす意味の地平は、病者の生きる時代、社会、文化的状況、個人、そして個人をとりまくひとびとと個人との関係などのさまざまな要因に影響されながら、それぞれの病者個人に独特のものとなる。とりわけ個人とその人間関係において創出する意味は、それぞれの個人が作りだせるものでもある。したがって、病いの意味は、「与えられる意味」であると同時に「作りだされる意味」でもあるのだ[野口2002, p.55]。
 クラインマンは、このような病いの語りを傾聴することを治療という観点から推奨する。従来の治療者がやってきたように、生物医学的文脈における「疾患」という説明を一方的に病者に押しつけるのではなく、また「治療についてあまりにも技術的に狭く人間性を奪うような見方をする」のではなく、病者が物語として語る、「患うことの存在論的な経験に共感して立ち会うこと」[Kleinman 1988, p.10=1996, p.11]を治療者の仕事の第一におき、その効果を期待する。治療者側のこれまでの説明や論理では、とりこぼされる病者の経験そのものをいかにすくいあげ、それに価値づけするかを配慮することが肝要であるとクラインマンは説く(*6)。そうすることによって、治療者は「患うという領域において患者とともに存在しようと」し、患者(病者)は、「自分の生活世界を積極的に開く」[Kleinman 1988, p.246=1996, p.326]。そのとき、治療者は精神的にそれに立ち会うモラル・ウィットネス(moral witness)すなわち倫理的証人となるという。病者はそのような「語り」を聞き届けてくれる相手を得て、はじめてあらたな意味の枠組みを手にすることができるのである(この点は、後述のライフヒストリーのもつ「語りのちから」に通じる)。この過程は、治療者からみれば、病者の語りを通じた「治療」実践になる。すなわち、「語ること」を通した治療は病者と治療者との共同作業なのである。


◆田垣正晋, 2004, 「中途重度肢体障害者は障害をどのように意味づけるか――脊髄損傷者のライフストーリーより」《社会心理学研究》19(3):159-174.
(pp.x-x)
 ライフストーリーは次のような事情から注目されている。すなわち第1に、人は人生上の体験をストーリーとして語ることによって、人生を理解したり、自分自身を表現したりして(White & Epston,1990)、自分の体験への理解を他者に訴求する(Plummer,1995)。第2に、ストーリーは話し手が一方的に経験を語ることで作られるのではなく、聞き手との相互作用によって構成されるので、可塑性に富む(やまだ、2000)。第3に、社会的に有力なストーリーよりも、個々人がそれぞれの体験から語るストーリーに注目が集まっている。障害者、同性愛者、少数民族といった社会的マイノリティのストーリーは特に注目されている。障害者が語るライフストーリーには、障害者の独自の説明モデルが組み入れられており、それは、生物・医学的な説明モデルとは合わないにせよ、当人が生きていくうえで大きな意義をもつ(Kleinman,1988)*3。ただし、本研究は、望ましいストーリーの構成といった臨床的な治療を指向するナラティブ・セラピー(McNamee & Gergen, 1992;White & Epston,1990)ではなく、語りの内容自体に焦点を当てて、障害という経験世界を明らかにする立場に立つ。
(pp.x-x)
 *3 Kleinman(1988)のいう「説明モデル (explanatory model)」とは、障害者や患者、家族および治療者が、ある特定の障害や病いのエピソードについていだく考え、メタファー、独特な症状用語のことである。障害者や患者や家族の場合、この障害の本質は何か、なぜ自分なのか、なぜ今なのか、今後の経過はどうかといった「差し迫った生活状況に対する反応」である。論理的で厳密な陳述というよりは、当人が実際の行為を正当化する意味づけである。また、それは多様な相手とのやりとりを通じて変化する。
 一方、治療者の説明モデルは生物医学的な知識に基づいている。ただし、治療者はそれをそのまま伝えるのではなく、障害者や患者に対してわかりやすいように解説する。


◆三井さよ, 20040825, 《ケアの社会学――臨床現場との対話》勁草書房.
(pp46-47)
 そして、病人の主観からすれば、まず「生」を生きる上で何らかの問題群 troubles が存在すると感じられている。ここでいう問題群とは、当事者が感じる何らかのやりにくさといったものであり、未だ明確に定義されていないものを指す(Emerson & Messinger [1977])。周囲の人々、あるいは医療機関の医師によって、その問題群が「疾患 disease」と定義されたとき、その人は「病人」になる。逆に言えば、疾患は病人の「生」から切り離された独立のものではなく、「生」における問題群の一部が疾患と名付けられるだけなのである。
 そのため、疾患は「生」における問題群の他の要素と切り離せるものではない。1980年代より盛んになった、病人の主観的経験に関する研究は、このことを繰り返し指摘してきた。たとえばA・L・ストラウスとJ・コービンは、患者当人からすれば問題となるのは疾患ではなく、経験される身体的不調であることを明らかにした。そして、身体的不調は病人の日常生活や自己像を変容させるが、病人はそれらを総合して「病い illness」と経験していると指摘した(Corbin & Strauss [1987])。A・クラインマンも、患者にとって経験されるのは「病い」であり、それは「喘鳴とか、腹部の激痛とか、鼻閉とか、あるいは関節の痛みなどのような身体的な過程を監視し続けるという生きられた経駿である」〈Kleinman [1988=1996:4])と述べる。


◆野口祐二, 20050125, 《ナラティヴの臨床社会学》勁草書房.
(pp19-22)
 定義をめぐるひとびとの共同作業を考えるにあたり、まず次の二つの過程を区別しておく必要がある。ひとつは、ある一般的定義がどのように構成されるのかというマクロな過程であり、いままで述べてきた医療化論や社会問題論が主に取り組んできた問題である。もうひとつは、ある個人が、さまざまな定義とどのように出会い、どう取り入れ、どうまとめあげてゆくのかというミクロな過程である。医療化論が「病気」の側から出発して、その構成の過程や歴史を問おうとするのに対し、「病いの意味」論は、個人の側から出発して、「病気」が個人のなかでいかにして構成されていくかを問おうとする。したがって、「定義」というよりも、個人的な「意味づけ」という方がふさわしい。この問題については、医療人類学が有益な視点を提供している。精神科医であり医療人類学者でもあるクラインマン(Kleinman, 1988)は、病いの意味には次の四つがあると述べる。
 第一の意味は、「症状自体の表面的な意味」である。たとえば、「おなかが痛い」という症状は「緊張している」ことを連想させ、「食欲がない」という症状は「心配事がある」ことを連想させる。病いにはまず慣習的な意味が付着している。
 第二の意味は、「文化的に際だった特徴をもつ意味」である。たとえば、中世の黒死病やかつてのハンセン病や結核、そして、現代のガンやエイズなどのように、その時代を特徴づける象徴的な意味が付与され、独特の社会的反応を招くような意味がある。
 第三の意味は、「個人的経験に基づく意味」である。幼少期の体験や、挫折や失敗などの過去の経験が、現在の病気や症状と結びつけられて形づくられる意味である。「ちょうどスポンジのように、病いは、病者の世界から個人的社会的意味を吸収する」。病いは、単なる生物学的な出来事ではなく、人生のさまざまな出来事と重ね合わされて、自分にとって独特の意味を帯びるものとして存在するようになる。
 第四の意味は、「病いを説明しようとして生ずる意味」である。病者本人をはじめ家族や治療者が、「原因は何か」、「なぜ、そのとき発症したのか」、「これから先、どうなるのか」といった疑問に答えようとするなかで構成されていく意味である。とりわけ、回復の見込みのない慢性疾患においては、「なぜ、ほかならぬ私がこのようなことに」という問い (Why me question’)が重くのしかかる。治療者による説明が受け入れられることもあればそうでないこともある。また、治療者のなにげない一言や態度が、病いの意味の構成において重要な役割を担うこともある。
 以上の四つの意味のうち、第一と第二の意味は、社会的に与えられる意味、第三と第四の意味は、病むひとが自らあるいは身近なひとたちと共同で生み出す意味である。意味は、与えられると同時に創られもする。また、この四つの意味のなかで、医学的定義は第四の意味の一部分として現れるものであることに注意する必要がある。専門家による説明は、病いの意味を説明しようとする活動のなかで参照されるが、それはあくまでひとつの説明にすぎない。それが他の説明を斥けるほどの有力な説明になることもあるが、そうでないこともある。「アルコール依存」を病気とみなす言説がたとえどれほど一般的に有力だとしても、それを病む個人や家族にとって、その言説がどれほどの信憑性をもつかはまた別の問題である。ひとは、四つの意味をそれぞれの仕方で織り合わせながら、自分にとっての「病い」の意味を構成している。
 それでは、このように重層的な構造をもつ病いの意味は、どのようにして織り合わされて、ひとつの意味としてのまとまりを得るのか。クラインマンは次のように述べる。「患者は彼らの病いの経験を、つまり自分自身や重要な他者にとってそれがもつ意味を、個人的なナラティヴとして整理するのである。病いのナラティヴは、その患者が語り、重要な他者が語り直すストーリーであり、患うことに特徴的なできごとやその長期にわたる経過を首尾一貫したものにする」。
 つまり、語ることによって、さまざまな出来事や経験や意味が整理され配列しなおされて、ひとつのまとまりをもつようになる。文化的象徴体系、病人的経験、社会関係といったさまざまな源泉を背景にもつ意味が取捨選択されて、ひとつの物語が構成される。そして、このような物語こそが、個々の経験に具体的な輪郭を与える枠組となる。文化や社会が与えるマクロな意味は、ひとつの物語として個人のなかで織り合わされていく。つまり、病いとはひとつの物語であるといえる。
 さらに、こうして織り合わされた物語が、公共の場で発言されたり、手記のかたちで公表されたりすれば、それはマクロレベルの一般的定義を構成したり再構成したりする力となるかもしれない。まだ記憶に新しいわが国のHIV感染者のカミングアウトもまた、「カミングアウトの物語」(Plummer, 1995)として一般に流布することで、マクロな定義を変更する力をもったといえるだろう。マクロな物語がミクロな物語を再構成すると同時に、ミクロな物語がマクロな物語を再構成する。つまり、物語は、「外在化と内在化の弁証法」的過程(Berger & Luckmann, 1966)をたどる。ミクロな構成とマクロな構成は相互的で循環的な関係にある。


◆崎山治男, 200501, 《「心の時代」と自己――感情社会学の視座》勁草書房.
(pp.x-x)
(「4章7節 疎外論的立場への批判(p72-)」)
 ここに看護職の感情労働の特徴として、「医療的」な業務と感情管理とのバランスを取ることのみならず、仮に前者を優先させる時があったとしても後者の側面をおろそかにできないという複雑性が浮かびあがる。
 このように看護職の感情管理が複雑である理由は、医療組織内での業務の位置づけによるものばかりではない。クライエントである患者の性質もある。たとえばクラインマンは、「病」(illness)は、患者に生活史を振り返る中で、さまざまな苦悩や回復への希望との間での強い感情を抱かせるとする[Kleinman,1988=1996,pp.4-18]。また、ストラウスらは、特に慢性疾患に注目し、患者は「病」を単なる身体的不調だけではなく、それを緩和する療法と日常生活との調整として経験すると捉える。そして、その調整の難しさからから自己像が絶えず揺れ動くとする[Corbin&Strauss,1985,1987,1988]。またそのことが、看護職のささいなミスや患者への感情管理の不十分さに対して、医療職には理不尽と思われるような怒りなどの否定的なリアクションをもたらすことがあるとする[Strauss,A.L.et.al.1984=1987,pp.222-226]。
 このように、感情管理の複雑さという点からみると、看護職のそれは他の職種のそれとは位置づけを異にしている。その特徴として、第一には、いわゆる医療的措置とのバランスが取られなければならないことと、どこまでを感情管理として区分するかが難しいことがある。第二には、クライエントである患者の「病」の経験に起因する感情の揺れ動きに対処しなければならない。これらから、前述した感情労働における感情管理の自律性が主張された際の論拠であった、感情管理の単純さという前提をおくことはできないと言えよう。


◆田中みわ子, 20050825, 「障害と身体の「語り」」『障害学研究』1:111-135.
(p116)
 語りの研究を切り開いた医療人類学者でもあり、医者でもあるアーサー・クラインマンは、病む人の語りを記述するにあたって、咳き込み、胸から出るガラガラという音や、ぜいぜいと喘ぐ様子、かすかだがはっきりした声、途切れながら語る調子といった「絶えず聞こえていた死の肉体的象徴(physical emblems)を書き入れなかった」(Kleinman, 1988, p.147=1996, p.192)とみずからの限界を認めている。医療社会学者のアーサー・フランクがこのことに言及し、クラインマンの編集上の妥当性を認めつつも、省略された「肉体的象徴」の重要性を指摘している(Frank, 1991, p.89)。


◆武田鉄郎, 20060811, 《慢性疾患児の自己管理支援のための教育的対応に関する研究》大月書店.
(pp.x-x)
(3章1節)
 「疾患(Disease)」とは、生体の全身的または部分的な構造や心身の機能に障害を起こしている生物学的状態、客観的状態をいう。しかし、「病気(Illness)」は、Twaddle, A14)によれば、重大な痛みや衰弱が起こっている感覚上の変化、普段の役割が遂行できない、これからの活動に影響されると思われる主要な身体上の変化や症状、という3つの徴候によって人々は自分が病気であることを認知していると説明した。すなわち、「病気」であることは、どのように症状や能力低下(Disability)を認識し、それと共に生活し、それらに反応するかということを意味し(*5)、症状のみならず、普段の生活への影響の度合いがその判断基準として大きく影響しているといえる。人間の行動を説明するにあたり、Lewinは人間の行動は人と環境との関数B=f(P・E)で説明したが、慢性疾患者の場合は、それに加えて病気要因が大きくかかわってくる。片山(*4)はB=f(P・I・E)(I:Ilness病気)の公式で病気の行動への影響を述べている。
 (*5)Kleinman, A.(1998) The ilness narratives: Suffering, healing and the human condition. Basic Books, Inc., 1988.(江口重幸・五木田紳・上野豪志訳:病の語り−慢性の病をめぐる臨床人類学.誠信書房,1996)


◆細田満和子, 20061108, 『脳卒中を生きる意味――病いと障害の社会学』青海社.
(pp.x-x)
(1章 1-A 「主観的経験に定位する」)
 医療人類学という分野を切り開いたといわれるA. クラインマンは,身体の痛みや不具合の生物医学的な側面を疾患といい,痛みを持ち患っている本人の経験を病いといった[Kleinman 1988=1996:4-7]。クラインマンの定義する病いには,サルトルの分類で,反省前感覚経験,病苦,そして疾患の患者サイドが強い部分が含まれている。このように,身体の痛みや不具合を分類することによって,生物医学的な視座とは異なる,痛みや不具合を抱える個人の主観的経験をつかみ取る時の視座を用意された(*1)。
(pp.x-x)
 (*1)哲学的身体論では,身体の痛みや病いが,医療専門職の視座を取るか,病む人本人の視座を取るかによって異なる様相を呈することが示された。人類学や歴史学によっては,地域や時代によっても異なってくることが示された[立川1971,Murphy 1987=1992,Kleinman 1988=1996,Duden 1987=1994]。また,心理学では,一部に生物医学と近い距離を取る点において,その他の人文系諸学とは一線を画する立場もあるが,近年,物語療法(narrative therapy)というクライアントの自己物語を書き換える手法を用いるという,病いに対する治療的アプローチが展開されている[Gergen and Kaye 1992=1997]。
(pp.x-x)
(5章 3-A)
 聴き取りの中では,「笑えるようになるまで,○年かかった」という表現が特徴的に聞かれた(*12)。脳卒中になった人々は,今までとはまったく異なる身体や生活を強いられ,深い痛みと苦悩を感じる。そのような時,「笑う」ことができないでいた。
 日本の社会には,病者や障害者であることは不幸であり,そうした人々は自らの境遇を嘆くべきで,他者から憐れみを受け,庇護されるような惨めな存在であるはずという強固な社会規範が存在している。特に会社という社会集団においては強くある。そして脳卒中になった人々自身も,こうした規範を内面化していた。
(pp.x-x)
 (*12)A. クラインマンは「身体的過程と文化的カテゴリーとの間の,そして経験と意味との間の動的な相乗作用(ディアレクティク)から結晶化する」ものを,病いのイディオム(illness idiom)といった。「笑える」という表現は,一種の病いのイディオムとみなすことができる[Kleinman 1988=1996:16]。


◆後藤吉彦, 20070730, 『身体の社会学のブレークスルー――差異の政治から普遍性の政治へ』生活書院.
(pp.x-x)
(1章 「1-3 現代社会学における身体の“再発見”」)
 現象学の見地からデカルト的心身二元論の問題を深く掘り下げたM・メルロ=ポンティも重要である。メルロ=ポンティは、人間が何かを認識するのは、心的なはたらきからよりも、身体のはたらき(=「われ能う」)から受けとることによるのだといい、デカルトの「われ思う」を「われ能う」にいいかえた(Merleau-Ponty 1945=1982)。すなわち、メルロ=ポンティによれば、「われ能う、ゆえにわれ在り」なのである。そして、この「われ能う」にあたる身体とは、たんなる物質としての身体ではなく、わたしたちによって「生きられた・経験された身体(lived body)」なのである。このメルロ=ポンティの現象学は、フーコーとはまったくことなる方向性からであるが、社会学的な研究において、身体の役割を真剣に取り上げる必要性に目を向けさせるものであった。ターナーの『身体と社会』とならんで、初期の身体の社会学の代表的著作であるJ・ オニールの『五つの身体』(O’Neil 1985=1992、邦題は『語り合う身体』)は、メルロ=ポンティの哲学の特徴である「生きられた身体」あるいは「現象学的身体」概念を、社会的な世界の分析に導入したものである。オニールのほかにもメルロ=ポンティの哲学に影響されて、女性の身体や、病気やインペアメント(身体的損傷)をもった身体の経験や、そこから生まれる認識に焦点をあてた研究が、医療社会学や障害学、そして身体の社会学のなかで行われている(Leder 1990; Anderson and Bury 1988; Kleinman 1988=1996)。


*作成:植村 要 
UP: 20080511 REV:20080926
医療人類学  ◇ナラティヴ・物語  ◇身体×世界:関連書籍 1990'  ◇BOOK
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