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『カルチュラル・ターン』

フレドリック・ジェイムスン 20060915 作品社 ISBN 4861820928


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■Jameson, Fredric. The Cultural Turn: Selected Writings on the Postmodern, 1983-1998, Verso, London/New York 1998.
=20060915 合庭惇・河野真太郎・秦邦生訳, 『カルチュラル・ターン』, 作品社, ISBN 4861820928 ※

■作品社のHP
http://www.tssplaza.co.jp/sakuhinsha/book/jinbun/tanpin/20928.htm

■VersoのHP
http://www.versobooks.com/books/ghij/ij-titles/jameson_f_cultural_turn.shtml

■目次
序文――ペリー・アンダーソン

1  ポストモダニズムと消費社会
     パスティーシュはパロディを侵蝕する
     主体の死
     ノスタルジー・モード
     ポストモダニズムと都市
       ボナヴェンチャー・ホテル
       ニューマシーン
     消費社会の美学

2  ポストモダンの理論

3  マルクス主義とポストモダニズム
    資本主義の第三段階
    システムと差異化
    思想の社会的決定因
    歴史的パラダイム
    文化的生産の場所
    階級を再びマッピングする

4  ポストモダニティの二律背反
    I
    II

5  「芸術の終わり」か、「歴史の終わり」か

6  ポストモダニティにおけるイメージの変容
    I
    II
    III
    IV
    V

7  文化と金融資本
8  レンガと風船…建築・理想主義・土地投機

訳者あとがき――合庭 惇

人名索引



■引用
 現代の視覚と視覚世界の歴史は何通りもの方法で語られてきており、その最新のものはマーティン・ジェイの『うつむいた眼差し』と、ジョナサン・クレーリーの『観察者の系譜』であるが、その背景には現代の映画理論のゆたかな発展がある。(p.143)

というのもわたしには、マルローの<絶対者>の美学的概念はまた、<崇高>の概念、ロマン派の時代以降しだいにモダニズムを駆動する根本的な推進力になっていった概念に同化吸収できるように思えるためである。思い出されるだろうが、<崇高>の機能は、それに対立する<美>――その性質が伝統的美学と伝統的芸術製作の中心的関心であった――の朱書きのもとに分類された、たんに装飾的な諸形式をずらすことにあった。しかしそうだとすると、近代への、そして「純粋の」もしくは真正の美学への「回帰」は、その仮面をはがされてモダニズム的<崇高>の現代版などではなく<美>の数多くの諸形態として姿をあらわすだけではすむまい。それだけでなく、ポストモダニズム一般の美学もそのように性格づけられよう。すなわち知覚的な美がふたたび問題の核心となるような、より穏当で装飾的な実践による、モダニズムの<崇高>に対するさまざまな資格主張の置きかあえとしてである。(p.171)

ここで起きているのは、かつては全体としての物語の文脈なしには理解不可能だった物語の以前の断片がそれぞれ、いまや独立して完全な物語的メッセージを発することができるようになった、ということだ。それは自律化したが、わたしがモダニズムの過程に帰した形式的意味においてではなく、むしろ内容を吸収し、ある種の瞬間的反射作用によってそれを投射する新たな獲得能力においてなのである。そして、そこからポストモダンにおける情動の消滅が生じる。偶発性や無意味、疎外などの状況は、このイメージ世界の破片の文化的な再物語化によって取って代わられているのだ。(p.221)



*作成者:篠木 涼
UP: 2000802 REV:20080616
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