『国際的障害者運動の誕生――障害者インターナショナル・DPI』
Driedger, Diane 1988 The Last Civil Rights Movement
Hurst & Company, London ; St.Martin's Press, New York
=200010 長瀬 修 訳,エンパワメント研究所,発売:筒井書房,245p.
■Driedger, Diane 1988 The Last Civil Rights Movement, Hurst & Company, London ; St.Martin's Press, New York=200010 長瀬 修 訳,『国際的障害者運動の誕生――障害者インターナショナル・DPI』,エンパワメント研究所,発売:筒井書房,245p. ISBN: 488720292X [amazon]/[kinokuniya] ※
■広告(「MARC」データベースより)
障害者はどのようにして世界70カ国以上で組織をつくり、自分たちの権利のために声をあげたか。障害当事者の権利擁護団体・障害者インターナショナル(DPI)の設立の歴史を記す。
■紹介
◆『北海道新聞』(10月23日)
◆『点字毎日』活字版(10月26日)
◆立岩 真也 20001225 「紹介『国際的障害者運動の誕生:障害者インターナショナル・DPI』」
『季刊福祉労働』89
■200009 訳者:長瀬 修さんより
長瀬です。以下、自分が訳した本の案内・宣伝で失礼します。
前に本MLでも触れたと思いますが、障害者インターナショナル(DPI)
の歴史の本の翻訳が昨日、出ました。カナダのダイアン・ドリージャー著・長瀬訳
『国際的障害者運動の誕生:障害者インターナショナル・DPI』というタイトルで
原題は "The Last Civil Rights Movement" です。定価は2000円プラス消費税100円。
発行はエンパワメント研究所、発売は筒井書房(書店で注文する際は、筒井書房)。
直接注文する場合は、送料が350円かかりますが、エンパワメント研究所
tel. 03-3991-9600 fax.3991-9634 QWK01077@nifty.ne.jp
宛てに。
『障害学への招待』と同様、テキストデータ引換券がついています。
私もデータが入手できたら、目次を本MLと、<生命・人間・社会>に
アップします。
2002年10月15日から札幌で世界会議を開くDPIの結成の背景や、
当初10年の歴史を描いた面白い本です。
是非、図書館等にご推薦ください。
よろしくお願いします。
■「目次」
はじめにー障害者インターナショナルの設立とアジア障害者運動の萌芽
(中西由起子)
日本語版刊行に寄せて
序文・謝辞
第一章 序論
第二章 変化の軌跡―第二次世界大戦後の進展 一九四五年―一九八〇年
1 技術の変化と職業としてのリハビリテーションの成長
2 初期の国際組織
3 国別・地域ブロック別障害者組織 一九八〇年以前
・開発途上地域
・先進国
第三章「慈善」とパターナリズム(保護主義)のくびきからの解放 一九七二年―一
九八〇年
1 国際リハビリテーション協会(RI)と障害者の参加
2 カナダの協力の行方
3 ウィニペグで創立された世界組織
第四章 基礎づくり 一九八〇年―一九八一年
1 運営委員会
2 DPIの地域ブロック単位での動き
3 DPIの国際的な動き
第五章 共通の目的の結集―DPI設立世界総会 シンガポール、一九八一年
1 カナダ事務局の資金づくり 一九八一年五月―一二月
2 シンガポールでの出来事
第六章 連帯の形成―地域社会レベル・世界レベル
1 DPI開発計画
・地域ブロック開発オフィサー
・開発に関する国際シンポジウム(一九八四年、ジャマイカ)
・ヨーロッパ地域ブロック
2 社会経済プロジェクト
3 社会の障壁を超えて
第七章 成長の苦悩―組織内部の運営
1 組織内部の運営 一九八一年―一九八五年
・世界評議会
・シンガポールとバハマでの世界会議
・事務局問題
2 組織内の動き 一九八六年―一九八九年
3 少数派の参加の課題
・ろう者の参加
・女性の問題
4 組織問題
・加盟組織の問題
・規約改正
第八章 権利ある市民―国際的な活動
1 国連でのDPIの参加
・経済社会理事会、ユネスコ、WHOの協議資格
・障害者に関する世界行動計画
・国連障害者の十年 一九八三年―一九九二年
・国連での人権問題
2 平和問題
3 DPIとILO
第九章 結論―前進‥‥
第十章 エピローグ―DPIと社会運動理論
文献
資料 障害者インターナショナル規約(旧)
DPI声明(マニフェスト)
平和ステートメント
障害者インターナショナル規約(新)
第5回DPI世界会議 メキシコ大会決議
新世紀における障害者の権利に関する北京宣言
第一回世界総会(一九八一年)参加国リスト
DPI加盟国リスト(一九九九年五月現在)
DPI世界本部、日本DPI連絡先
編訳者あとがき
■編訳者あとがき (長瀬修)
今から振り返ると、障害者インターナショナル(DPI)が存在しなかった時代があったことは想像しにくい。それほど現在のDPIは多くの国、地域、そして国際レベルで存在感がある。存在しているのが当たり前になっている。
本書でも述べられているように、世界ろう連盟や世界盲人連合など先行する国際的障害者組織の存在は確かにあった。しかし、肢体不自由者中心の国際組織、そして、肢体不自由者にとどまらず、障害者全般の国際組織を目指した動きはDPIが嚆矢である。
八〇年代以降の国際的障害者運動をリードしてきたのはDPIである。他の国際的障害者組織、すなわち世界ろう連盟、世界盲人連合、そして知的障害者の家族、本人の組織である国際育成会連盟(インクルージョン・インターナショナル)はDPIから多くの刺激を受けてきた。
本書で描かれている、障害者が国際リハビリテーション協会(RI)から分離し、自らの運動を形成したという経緯から「障害者組織であるDPI」と「リハビリテーション専門家の組織であるRI」の緊張関係という構図は現在も基本的には続いている。
それは本年二月に国際障害者団体会長同盟から発展した「国際障害同盟」(International Disability Alliance)の構成組織にRIの名前がないことにも示されている。国際障害同盟は基本的に障害者自身の国際組織であり、DPI、世界盲人連合(WBU)、世界ろう連盟(WFD)、世界盲ろう連合(WFDB)、精神医療利用・生還者世界ネットワーク(WNUSP)それに国際育成会連盟の六組織が名を連ねている。
しかし、RIの姿勢は明らかに変わってきた。障害者自身であるリハビリテーション専門家を会長や副会長に選出してきたのである。現在のRIは自らを「障害がある人、サービス提供者、政府の世界的ネットワーク」("InternationalRehabilitation Review" '94, vol.45, issue 1, p.40)と規定するほど、障害者寄りに変わったのである。ちなみにRIの日本の加盟組織は、日本障害者リハビリテーション協会と日本障害者雇用促進協会である。
DPIは本来、全ての障害者の代表となることを指向した。しかし、実態的には世界評議員の構成など肢体不自由者が圧倒的に多く、肢体不自由者中心の組織であることは否めない。一部、視覚障害者をも代表する面もあるが、ろう者、聴覚障害者、知的障害者、精神障害者はほとんど参加してこなかった。
九〇年代の初頭、他の国際的障害者組織から、DPIだけが国際的な発言権を得ようとしているのではないかという疑念が生じ、摩擦が起こったことがあった。しかし、結局はDPIも国際的には世界盲人連合、世界ろう連盟などと横並びであることを認めるという形で実質的に決着した。
そのような背景にもかかわらず、DPIが果たしてきた政治的役割が非常に大きいのは、「問題は私たち自身、私たちの身体ではなく、社会、環境である」とする「社会モデル」、「自立生活モデル」の発想から障害者問題に取り組んできたためである。社会モデルは英国の障害学(ディスアビリティスタディーズ)から生まれた発想であり、英国の障害学の創始者の一人である南アフリカ出身のヴィク・フィンケルシュタインは本書にも登場するように、DPIの理念の形成に多大な貢献をしている。
DPIの「社会、環境の問題である」「全障害者を対象とする」、「人権としての障害者問題」という指向が明確に示されたのは、本書第八章で取り上げられている、宇都宮病院をはじめとする日本の精神障害、精神医療に関する国連での取り組みである。DPIは日本に調査団を派遣するなど積極的な姿勢を見せ、日本政府の政策に大きな影響を与えた。これは障害種別にとらわれないとするDPIの方針があってこそ初めて可能な行動だったのである。
DPIを含む国際障害者組織間の協力、連帯は、一九九〇年から始まった国連「障害者の機会均等化に関する基準規則」の策定過程、そして九三年に同基準が国連総会で採択された後に、国際育成会連盟、精神医療利用・生還者世界ネットワーク、世界盲人連合、世界ろう連盟、DPIという国際的障害者組織、そして専門家の国際的組織であるRIが参加して結成された基準規則実施のための「専門家パネル」を通じて、以前に比べて格段に向上してきた。そのような蓄積が国際障害同盟の結成となって実ったのである。
一九九八年八月にオランダで開かれた育成会連盟の第一二回世界会議に出席した世界ろう連盟のリサ・カウピネン会長は、会場の知的障害者の親、知的障害者本人を前にして、「私たちろう者は、聴こえる親との関係で苦労してきました。だから、知的障害者本人の皆さんとの連帯を大事にしたい」と語っていた。これはあくまで一つのエピソードだが、こうした協力の積み重ねがひいては組織間の信頼感の醸成をもたらしてきたことは疑えない。
本年三月に北京で「世界障害サミット」が開かれ、国際障害同盟に加わっているDPIをはじめとする主だった国際障害者NGOそしてRIは「新世紀のおける障害者の権利に関する北京宣言」(資料として掲載二三一頁)を採択し、障害者の権利条約実現に向けて連帯、協力することを誓った。
一九八七年の「国連障害者の十年中間年専門家会議」と、同年の国連総会で提案された「障害差別撤廃条約」、八九年の国連総会で提案された「障害者の権利条約」が共に国連加盟国の十分な支持を得られず実現しなかった時から、障害者の国際条約は将来の課題として常に国際的障害者運動によって意識されてきた。二〇〇〇年の今、DPIをはじめとする国際的障害者運動は、中国政府というパートナーを得て、条約制定という一つのクライマックスに向けて新たな一歩をまさに踏み出している。
二〇〇二年には、日本の札幌でDPIの第六回世界会議が開催される。また、同年にはDPIアジア太平洋ブロックが中国政府と共にその制定の中心的な役割を担った「アジア太平洋障害者の十年」が終わりを告げる。障害者の権利条約をはじめ、新たなうねりを創り出すべき時である。
そうした重要な節目の時に、本書が日本語で読めるようになることは訳者として大きな喜びである。
著者ドリージャー自身は執筆当時、障害者ではなく、本書は障害者運動の「同志」の眼から見た歴史である。DPIがまさに誕生しようとしていた現場に立ち会い、DPIが創設されていく過程に「参加」した経験をもとに、公式のDPI史が踏み込めない生々しさ、赤裸々さが随所に盛り込まれている。
しかし、そうした「自分が体験した」レベルにとどまらず、DPI誕生以前の障害者運動、社会運動としてのDPIなど、俯瞰からの視点も忘れられていない。だからこそ、本書の原著 "The Last Civil Rights Movement" は、国際的にDPIの動向にふれる場合に最も多く引用される文献であり続けているのだろう。
編訳者自身は八六年に東アフリカのケニアから帰国後、縁あって、八代英太DPIアジア太平洋ブロック議長のもと、DPIアジア太平洋ブロック事務局員を八七年から九二年まで丸五年間務めた。その間にDPIの重要な活動であるリーダーシップ養成セミナーのパキスタン、タイ、フィジーなどでの企画、実施を担当した。アジア太平洋の障害者運動のリーダー、将来のリーダーと出会う貴重な機会だった。その間には八九年に予定されていたコロンビアのボゴタでの第三回世界会議が政情不安により中止されたこともあった。第三回世界会議はその後、九二年にカナダのバンクーバーで盛大に開催され、成功を収めている。
DPIの仕事をするうえで非常に参考になった本書を、仕事の合間に自分の勉強を兼ねて翻訳してみようという気になったのは、本書が刊行された翌九〇年の秋だった。昼休みには議員会館地下の職員食堂や国会議事堂内の食堂でノートに、アパートに帰宅後はパソコンに向かって訳出に精を出したものだった。九二年初頭には翻訳を終えたが、結局、刊行してくれる出版社が見つけられず、折角翻訳した原稿はお蔵入りとなっていた。著者が八八年以降の歴史も含める形で改訂版を出す構想もあったため、その際には、改訂版の翻訳として出版をと願っていたが、結局、改訂版は実現しなかった。
今回、エンパワメント研究所の久保耕造氏の厚意で本書の出版がようやく実現したことに深く感謝する。また、編集を担当していただいた七七舎の勝藤郁子氏にも感謝する。
日本語版の発刊に寄せて、文章をいただいた中西由起子氏、写真を提供していただいた写真家の山田勉氏に感謝する。
組織名の定訳などでご教示いただいた、RI副会長で北星学園大学教授の松井亮輔氏、日本盲人会連合の仲野純子氏、資料や写真の解説で助けていただいた元八代英太事務所所属、現在は亀谷博昭参議院議員政策秘書の久保田哲氏、資料提供で協力をいただいたDPI日本会議の宮本泰輔氏、各位にお礼を申し上げる。
なお、本書は出典等の原注は主なものを例外として掲載せず、代わりに「資料」として原書にはない、新旧のDPI規約、DPI声明、平和ステートメント、メキシコ大会決議、「新世紀における障害者の権利に関する北京宣言」、シンガポール設立総会参加国リスト、現加盟国リスト、DPI本部・DPI日本会議アドレス、および関連写真を掲載している。
最後に訳語に関して付言する。"people with disabilities"は「障害のある人」とし、"disabled people"は「障害者」としている。また原文では"mental handicap"という「精神遅滞」に近い語感の言葉が用いられているが、著者と相談の上、「知的障害」を当てている。"the deaf"は言語・文化的集団という側面を考慮して「ろう者」、"hearing impairment"は「聴覚障害」とした。
■200009 長瀬
標記に関してたびたび申し訳ありません。
標記について数字の誤訳が1カ所判明し、
正誤表等で対応することになりました。
そこでお願い。
1、訳に関して何かお気づきの点があれば、
教えてください。
2,購入された方でには、メールで、正誤表等の
対応を行いたいと思います。
持っているというご一報をお願いします。
この件に関しての対応は編集を担当した
(有)七七舎が行います。
アドレスは nana-sha@ga2.so-net.ne.jp
よろしくお願いします。
■"The Last Civil Rights Movement"の紹介(長瀬199709:)
代表的な障害者組織である障害者インターナショナル(DPI)の81年の誕生のド
ラマ、そして87年までの歴史を描いた、
Diane Driedger (1988) "The Last Civil Rights Movement" Hurst & Company, London;St.Martin's Press, New York,
目次は以下の通りです。
目次
序文と謝辞
第一章序論
第二章変化の軌跡:第二次世界大戦後の進展、一九四五年ー一九八〇年
技術の変化と職業としてのリハビリテーションの成長
初期の国際組織
国別・地域ブロック別障害者組織
一九八〇年以前
開発途上地域
先進国
第三章「慈善」とパターナリズム(保護主義)のくびきからの解放
一九七二年ー一九八〇年
国際リハビリテーション協会(RI)と障害者の参加
カナダの協力撤回のおそれ
ウィニペグで創立された世界組織
第四章基礎造り 一九八〇年ー一九八一年
運営委員会
DPIの地域ブロック単位での促進
DPIの国際的な促進
第五章共通の目的の結集:シンガポールDPI設立世界総会
カナダ事務局の資金づくり 一九八一年五月ー一二月
シンガポールでの出来事
第六章地域社会と世界で連帯の形成
DPI開発計画
地域ブロック開発オフィサー
開発に関する国際シンポジウム
(一九八四年、ジャマイカ)
ヨーロッパ地域ブロック
社会開発プロジェクト
社会の障壁を超えて
第七章成長の苦悩:組織内部の運営
組織内部の運営 一九八一年ー一九八五年
世界評議会
シンガポール、バハマ両世界会議
事務局問題
組織内部の運営 一九八六年ー一九八九年
少数派の参加の課題
聴覚障害者の参加
女性の問題
組織問題
加盟組織問題規約改正
第八章権利ある市民:国際的な活動
国連での参加
経済社会理事会、ユネスコ、WHOの諮問資格
障害者に関する世界行動計画
国連障害者の十年、一九八三年ー一九九二年
国連での人権問題
平和問題
DPIとILO
第九章結論:前進・・・
第十章 エピローグ:DPIと社会運動理論
(情報提供:長瀬修)