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『いのちを考える――バイオエシックスのすすめ』

木村 利人 19870630 ,日本評論社,282p.

last update:20100929

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木村 利人 19870630 『いのちを考える――バイオエシックスのすすめ』,日本評論社,282p. 2000 ISBN-10:4535576718 [amazon][kinokuniya]

■内容

「…本書の書き下ろし執筆にあたり素材の一部となった三つの雑誌連載(「法学セミナー」1981年1月号〜4月号、「病院」1982年1月号〜12月号、『看護学雑誌』1984年1月号〜85年1月号)…」(p.282)

■目次

第I部 生と死と
 第1章 死の自由
 第2章 重症新生児の生と死
 第3章 自然な生の終わり
 第4章 体外受精と代理母
 第5章 死の定義をめぐって
第II部 いのちの主権者
 第6章 患者を原点に
 第7章 患者と医師の関係
 第8章 患者教育
 第9章 「医心方」のこころ
 第10章 ケアとキュア
 第11章 共に生きる
 第12章 想像力
第III部 バイオエシックス運動
 第13章 ヒポクラテスとの訣別
 第14章 バイオエシックスの誕生
 第15章 バイオエシックスの組織
 第16章 遺伝子組みかえと遺伝病
 第17章 家族計画と性教育
 第18章 エイズ教育の現場から
 第19章 市民による公共政策
 終 章 二十一世紀への出発

■引用

「…<医療の方向付けを公共政策としてつくりだすこと>や<医療の中心は患者>といった発想への転換をもたらすのに大きく貢献したバイオエシックスの歴史的背景と意味がまだまだ日本の多くの人びとには正しく理解されていないようです。
 1985年にひき続いての日米のバイオエシックスを巡る率直な対話でますます明確になったのは、伝統的なわが国の文化や価値観を口実にして医療や臨床研究の現場での人権侵害や人間疎(p.10)外を肯定することはできないということです。それは既に医学と医療がバイオエシックスの発想をその存在の基盤としてとりいれ、世界史の流れの中で、人間の尊厳と基本的人権の尊重を医療行為の本質として認識しはじめているからなのです。日本だけが例外というわけにはいきません。
 バイオエシックスの学問研究と実践活動における米国での約20年間にわたっての蓄積は膨大なものです。しかし、私が本書で意図したのは、それの単なる紹介や翻訳ではなく、あくまでも私自身の体験、実践や考えかたから形成されたバイオエシックスです。もちろん、世界各国の先達や特に私が現在所属している研究所での研究仲間との語り合いや共同研究からも多くを学びました。特に日米両国でのさまざまな問題を抱えた<自分のいのち>をめぐっての運動にも参加し学び続けてきました。
 私自身はバイオエシックスを、旧来の学問の持つ発想とはまったく異なる展望と視座で、より総合的に<超学際>研究として把握し、独自の構想での研究と運動を行ってきました。今、このような私の提示したモデルでのバイオエシックスが、多くの人びとの注目をひいています。
 私の基本的な理解によれば、バイオエシックスとは、医療・医学のみならずビオス(生命・生物・生活)のすべてにかかわりを持つ、人間の尊厳の主張に根ざした人権運動であり公共政策づくりなのです。このことは私たちが未来を切り開くのにふさわしい価値観や社会的合意を新しく(p.11)つくりだしていく責任があることを前提としています。……  つまり、バイオエシックスは、旧来の医療専門家中心の<医の倫理>とは、その発想も方法論も体系もまったく異なる新しい学問分野であり、運動なのです。その意味で、自分のいのちを大事にしたいと願っている人びとは、すべてバイオエシックス運動の中心なのです。」(pp.10-12)

■書評・紹介

■言及




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