『ぼけの先生のえらいこっちゃ』
早川 一光 19850320 毎日新聞社,245p.
■早川 一光 19850320 『ぼけの先生のえらいこっちゃ』,毎日新聞社,245p. ISBN-10: 4620304697 ISBN-13: 978-4620304694 [amazon] ※
■引用
「竹尺院長を送る
診察中の私に一通の分厚い封書が届けられた。
▽089 「うしろを向いて」と患者さんの背中を診察しながら、私は横目でその手紙を走り読む。涙がこぼれないよう上を向いたが、あふれてとまらなかった。
ことし(昭和五十八年)三月四日。それは、うちの病院の竹沢院長からの手紙だった。院長は二月初旬から、体の不調を訴えて入院中であった。
「実は発病の時、自覚的に今度は重い病気にかかったという感覚があり、それは主治医の谷口先生にも何度も言ったことですが、一ヵ月の経過で的中していたと考えております。
そこで私は家族の者たちに、時間的に不明であるが、今度は再起不能で一、二ヵ月のうちに私の死の準備をするよう指示を与えてきました。手術の場所はすい臓の奥で開腹しても何ごともその時にならねばわからぬことゆえ、私は静かに終末を迎える心準備を一力月やって来ました……」
と、その手紙にあった。
私たち医師団も、ただごとでないことは百も承知しながら、院長にはすい臓の膿腫で押し通した。院長はそれをうなずき聞きつつ、すべてを知っていた。
▽090 それから院長の壮烈な死との闘いが始まった。医人として死を当然として受ヒアオつつ、「死んでたまるか」と全力をあげて抗う毎日であった。
ぴったりと付き添うご家瓶には、痛みと苦しみを訴えられたが、客が訪ねると眼鏡をかけなおして身を起こし、目を大きく見開いて応答にあたられた。
私は見るに堪えられなった。足が病室に向かなかった
七月七日、何気なく見舞った私は、ふと院長の枕頭台にある便せんを見た。
「堀川病院全職員の皆様方へ
さようなら諸君、二十五年を一緒に楽しく苦しく誇らしく、また美しく生活した。思わぬ場所で、思わぬ日、時間に、私は感激と主の喜びの中で召されます。アーメソ」
マジックべンで一字一字、全身のカなふりしぼってつづる字画は、終わりの行に近づくにつれ乱れていた。そして、このあと五十時間で悠然と逝った。
「人間は、ぼけていいんだ」と主張する私に反論するかのごとく、院長は最後までぼけない姿をみせて去った。明治の気骨の人の死を見て、大正世代の私は、考えこんた。」(早川[1985:88-90])