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『忘れの構造』

戸井田 道三 19841030,筑摩書房,238p


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■戸井田 道三 19841030, 『忘れの構造』 筑摩書房,238p,  ASIN:B000J71PFS  [amazon] b, a06

■内容

記憶についてではなく、むしろその反対の「忘れ」について、自分勝手な考えをこころみようとしているにすぎない。とにかく、老来、私は忘れっぽくなった。その忘れっぽさに、ほとほと手を焼いている。だから、腹いせに「忘れ」を俎上にのせて、まじまじと見てやろうというのだ。あるアナキストが「すべての道がローマに通じるなら、ドン・キホーテよ、であたらめにゆけ」といったことがあるそうだ。このローマという言葉に「忘却」という語を代入してみよう。私は「忘れ」を語るために、でたらめに歩いて行ってもいいのではないだろうか。では出発しよう。」(序章:p12)

■目次

序章 記憶のヒキダシ型とマリモ型

 T
記憶とブラックホール
刷りこみ
風車と舌
忘却の空白と糸
空間感覚の成り立ちかた
夢も歴史のうち
喪失した自分
〈忘れ〉と自由な構想
アイマイの効用
共同の原型
〈だろう派〉の主張
置き忘れる眼鏡
内と外の漠然とした領域
 
 U
カラダがおぼえる
洒落な病人
ぎこちない演技
忘れた何かが読んでいる
からだの操作ミス
身中の虫
縄張り
仮面の内と外
〈眼鏡は顔の一部です〉
顔とそこにあらわれるもの
牡蠣とカキとOyster
おいしい仔犬
こぶとり爺さん
表現を妨害するいたずらもの
 
 V
熱湯好き
丈夫すぎるのもよくない
〈ひとの噂も75日〉
忘れぬことの災害
墓石は忘れるため
傘を忘れること
郵便配達ルーラン
〈ぼくちゃん〉
風情の底の忘れもの
祭りのしきたりを忘れて
発掘された安萬侶墓誌
無意識へ押込む
山の神まつりのひながた
医師の手
同期のクラス会
思い出は身に残り
あるかなきかの煙

あとがき
■引用

「たとえば、こんなふうに考えてはどうだろう。エジソンが発明した昔の蝋管レコードのように円筒形のものがたえずまわっている。その表面に記憶が記録されている。思い出そうとするとどこかにあるスイッチが押され、くるくるまわっている円筒の表面から極微のあなをとして光線がぴかりと光るように記憶が飛び出してくる。ところが円筒のまわるスピードとスイッチを押すポイントがうまくあわないと、円筒の方はいつまでもまわりつづけるだけで記録された対象はとび出してこない。そのばあい押されたスイッチはそのまま押されつづけているから、一方まわりつづける記憶円筒と偶然にポイントがあってしまうことがある。すると思いがけないときにヒョッコリ思い出されてくる。」(「記憶のヒキダシ型とマリモ型」p10)

「記憶することを正、忘れることを負とすると、忘れたことを忘れているのは負の負だから数学的には正になるといっていいのかもしれない。ところが、忘れたことを忘れていると思いはじめると、負の中へ負がめり込んでいくだけで、いっこうに正のほうへかえってこない。地球重力の圏外へととびだした人工衛星が戻れないで永久にどこかわからぬ空間へ飛び去っていくようなものだ。虚無の中をどこまでもどこまでもとびつつけなければいけない。そこでブラック・ホールという宇宙の穴が「忘れる」という現象によく似ていると考えてはどうだろう。そうはいっても、ブラック・ホールそのものをよく知らないのだからのんきな話である。いや滑稽なことである。」(記憶とブラック・ホール p18)

「まわるものがくるくるとまわり、めぐる、くるま、めくるめく、などという言葉があるのは、舌をまわすという肉体の対応によって形成されたのである。」(風車と舌 p28)
「大昔から賢者という覚者というか、人生の教師たちはつねにアナロジーと逆説をつかって説いている。それは、われわれの意表をつき、忘れているほんとうのことを思い出させるためであった。おそらく、ほんとうのことは、アナロジカルにしかとらえられないのではないだろうか…>p38>… 夢はみる必要があって人間におこる現象だとすれば、眠りからさめた瞬間に忘れてしまうもまた忘れる必要があるからにちがいない。コンピューターの記憶装置は忘れない。もちろん夢を見ることはできない。だからコンピューターで未来を計測するのはあぶなっかしいことにちがいない。そう思うのである。」(「空間感覚の成り立ち方」 p37)
「眠れなければ眠れるまで待とうと、のんびり横になっている。するととりとめもなくいろいろなことが思われ、イメージが流れる。そのままいつとはなしに夢の世界に入って眠っていく。だからほとんど毎夜夢をみている。…しかし、どんな夢をみていたかを思い出そうとしてみると、これがほとんど記憶に残っていない。…ところが不思議なことに、夢の中で「あれェまたここへ来た」、と夢の中にだけあらわれる特定の場所のあるの気がついた。その場所は夢がさめたのちもイメージが残っている。…」(夢も歴史のうち p40)

「科学技術庁が編集協力している『プロメテウス』という雑誌を見ていたら、編集後記に、松タケを賞味することができるまでに随分多くの犠牲が払われたことだろうと書いてあった。つまり先人は有毒かも知れないものには手を出すまいという選択をせずに、犠牲を払っても気をつけながら食べようという選択をしたのだといって…。だが、おそらく鹿や猿や猪の野生生物はキノコの毒を食べてから毒だと識別するのではないだろう。人間も文明になってから毒キノコにあたる人が多くなったので、その反対ではない。つまり犠牲を払って選択が上手になったのではなくて、選択の能力を手に入れたと同時にまちがう可能性も手に入れたのだ。しかもそのことを忘れている。」(喪失した自分 p48)

「何時ごろ、という漠然としたいいかたもつかいかたによっては妥当かつ的確なのである。自然を観察するばあい、数をかぞえるような見かたをすると風情が消えてしまう。蕪村の有名な句、
  牡丹散て打ちかさなりぬ二三片
この句の二三片を、もし正確に三片と数をかぞえていっていたら、おそらく句にはなりにくいだろう。数はあげているが、二つ三つとかぞえてたしかめたのではなく、牡丹の大きな花びらががはらりと散ってかさなった状景をよんでいるのだ。この句から目に浮かぶのは、音もなくはらりと散る牡丹の花びらを焦点として、その周辺をソフトフォーカスにつつみこんでいる気分である。数を計算する目で見たのでは、この雰囲気はつかめない。このばあいはどうしても二三片とアイマイないいかたをすることが必要不可欠な条件なのである。…>p55>…時刻を指定するのに二、三時にあいましょうといったのでは通用しないが、蕪村の句のばあいは「二三片」でなければおさまらない。数としてはアイマイだが、表現としては正確なのだ。この相違は、内容を空白化した時間のきざみめとして時刻を共通にするのと、客観的な風景をとらえて主観的な内実を共通化しようとするのとの相違である」(アイマイの効用 p54、p55)

「出雲大社の裏の山を車で一時間くらい走って日本海がわの小さい入り江に出たとき変な、なつかしさと寂しさを感じたときがあった。ちらりと海を見て、入り江にそった道を左へ迂回しながらすぐまた山へ入ってしまったが、一瞬のうちに小さい入り江全体が見てとれた。山の下の道と水面の差が五十センチくらいしかなく、砂浜は右側へのびて、そこに舟が四五隻ひきあげられていた。人影は全然なかった。人びとはみんな死に絶えてしまったのかと思われた。それほど風景がしんと静かに凍っていた。」(アイマイの効用、p55)
「こんもりとした村のち鎮守の森があり、そこへ細い道が向かっている。移動で道をたどってゆくとやがて神社の鳥居が見えてくる。そのまえに祭りののぼりが立ててあり、風がそれをはためかし、境内からは太鼓が響いてくる、といったような場面には幾度となく接している。われわれはこころのふるさととして、幾度接してもなつかしく、心のときめきを感じる。」(共同の原型 p60)

「楷書、行書、草書はそれぞれ時間が違う。それは説明できない。触覚の言葉が貧弱だからである。だが、漢字の草書からひらがながうまれ、それを続けて流れるように書く触覚の知がなければ『源氏物語』のような作品はできなかったにちがいない。口誦文芸にではなく、紙に筆で文を書く時代に、毛筆のおさえたり浮かしたり、のばしたり止めたりする流麗なひらがなの書き心地を実感できなかったらあの文章は書く可能性が生まれなかった。それは文体という身体であろう。書く人自身は忘れている」(内と外の漠然とした領域 p77)

「そのうち証人の顔が油と汗にまみれ、げっそりとやせたように見えてきた。「忘れました」「はっきり記憶していません」などと答えながら、彼らはいかにしてボロを出さず、うまく切り抜けることができるかに全神経を集中させているらしい。一つ質問がとんでくると、瞬間的に、そのあとか>p91>らどんな質問が来るかを考え、あらかじめ用心して、しかもなるべく早く返事をしなければならない。これはひどく神経のつかれる頭脳的仕事にちがいない。」(ぎこちない演技 p90-91)

「能の狂言に「寝音曲」というのがある。かげで太郎冠者が歌曲を歌っているのを聞いたある自我、彼を呼び出してうたわせようとする。太郎冠者はいやがり、酒を飲まないと声が出ぬといってうたうまいとする。主は酒をもって来てどうしても、うたえと強要する。酒をしたたか飲んだあげくこんどは女房の膝を枕に寝てでなければ声が出ぬという。主も少し意地になって女房のかわりに膝を貸すからうたえと無理やり膝枕でうたわせる。うたっているうちに、頭を両手で持ち上げるとわざと声が出ぬふりをする。これを何度繰り返すうち、あべこべになって頭をもちあげるとうたい、寝ると声が出ぬことになる。そこで主が「横着者め」と叱言をいい「おゆるされませ」と追いこみになって終わる。……>p96>肉体が起きたり寝たりのくりかえしに対応して謡曲をうたったりやめたりをくりかえし、そのテンポが速くなると錯覚を起こして逆になってしまうことを、見ているわれわれ自身の体が復習しつつ錯覚をそれと知るからであるらしい。」(忘れていた何かが呼んでいる p95−96)

「人間といわれる理由が人が他の動物と同じように生命圏を自己と一体化して生きてきたからだし、それが人間相互に拡大されて村となり世間となったのだ。村は群れからの転化でグループの生活圏である。世間はその外側にある空間で、群れと群れを含む間柄の成り立つ場所である。
 一方に国という概念がある。徳側の末までは国のためといえば藩のためのことであった。そのころ日本全体をさす言葉は、まだ天下であった。藩を拡大したかたちで国家が考えられるのは版籍奉還以後である。だが、その国家形成のしかたが藩の拡大化であって破壊でなかったところに社会という概念の身体化ができない歴史をもたらした。世間という実感と社会という概念とが、うまくなじまないことはみんながよく知っている。
 動物の個体のもっている環境との一体感を忘れたわれわれが、意識せずに群れとしての一体感を保持しようとして村とか共同体とかいうものに帰一してきた。おくれて近代に入った日本では、その古さを利用して国家形成を遂げたから、国のためということが、家族やグループのためという価値感覚と矛盾するにかかわらずそれの拡大化で代置され、社会のためという観念はなかなか成り立ちにくかった。
 選挙区が村的構成の地域と、雑然とした人口流による都市的構成の地域では、そこがちがってきている。おくればせながら、個人が生命圏としての核家族化した家と、それのたんなる集合としての生活圏をどう合理的に調和させるかという問題に直面してきた。このレベルでは公害と開発、食糧と人口といったような問題で地域はもちろん、国家をもこえた視野と感覚が要請されている。ところが、一方ではまだ家から村、村から国へと傘的構造の同心円に閉じ込める考え方が根をは>114>っている。」(「縄張り」p113-114)

「いったい仮面はそれをかけた人の外にあるのだろうか、内にあるのだろうか。地の顔を自分のものとすれば仮面は、その上をおおうもの、外からくわわったものである。しかし、むりにはがすと肉がうらがわについてはげるということからいえば仮面は顔面そのものである。顔面だから自分の心のあらわれるところであり、仮面によって自分の心が生きるということになる。外か内かときけば、外でも内でもない地帯、領域がそこにはある。
てっとり早くいってしまえば、さきに縄張りは動物の身体だといったように、仮面は、それをつけた人間の肉体ではないが身体だとはいえる。
運転する人にとって自動車が車であるような意味で、仮面はそれをつける人の身体である」(仮面の内と外 p118)
「仮面のおもてとうらは、仮面をものとして見たときはある。しかし、顔のおもてに面のうらをあてがうと、面のおもてが顔のおもてになり、うらはついに人のうら(心)となる。うらやましいとかうらぶれるなどといううらである。それは仮面を忘れることである。」 (仮面の内と外 p118)

「演技と関連していえば縄張りは舞台である。ひとが見るから舞台は成立する。つまり外から見る人がささえているから黒眼鏡が役をするのである。ここには遠心的方向と求心的方向とが同時に働いている。国も同様である……>p123>
『万葉集』などに、国見という言葉が出てくる。天皇が高いところへのぼって自分のおさめている国を見る一種の儀式だったらしい。いくら遠いところへあがっても、そんなに遠いところまでは見えるわけではない。見える範囲が統治の対象だということなら、やまと全体の君主であるはずはない。しかし、それでも日本の君主としての儀式でありえたのは、国見が舞台的演技と同様に、ひとつの模型で、現に見えている範囲が、外へと向かって国境までひろがると思っていたのだ。その儀式をささえていたのは天皇を仰ぎ見る視線であって天皇が遠心的に見ているときに求心的に働いたのだ。演技者と助演者とその両者を見る観客があって。国見もせいりつしたものだとすれば、天皇も仮面をかぶって高御蔵にのぼったのだということになる。つまり天皇という仮面だ。
私は、ちかごろ老眼鏡をよくおき忘れる。……」(「[メガネは顔の一部です]」p122-123)
「人の顔は誰かしら他人の顔に似ている。猫の顔が猫に似ているようなもので当然の話だが…」(「顔とそこにあらわれるもの」p125)

「うつる(伝染)のは移るのであって、昔もひとりの病人から別の人に病気の種が移動するから伝染すると考えていたにちがいない。しかしかんじんの病気の種がなんだかよくわからずつかまえどころがないから漠然と風といっていたのだ。ウィールスというものが見つかって、それが伝染の正体とわかっていても、まだ感冒の病理がわかったのではないようだ。つまりカゼというのは、われわれにとって〉p131〉、いつまでもつかまえどころのない病気である。むしろつかまえられないからカゼといって漠然とつかまえているのではないだろうか。」(「身のたけにあった言葉で」p130-131)

「われわれは言葉が顕微鏡をも望遠鏡もない時代からあり、充分それでまにあってきた。ちょうどわれわれの感官と肉体の大きさにつりあうかたちで言葉がつかわれ、ひじょうに長いあいだそれによって思考が訓練されてきた。たんにまにあったのではなく、それによって文明が進展したのはたしかである。ところが言葉があまりにも身につきすぎてしまっているため、言葉の成り立ちとつかわれかたについてつい忘れてしまうのだ。原子とか遺伝子とかウィールスとかいろいろの極微なものの存在が、高度な技術をともなって特別な人たちにはわかることになった。そうなっても、やはりわれわれは昔ながらの日本語をつかっている。そこにいささか滑稽な錯誤も介在する。たとえばウィールスによって流行すると知っている人が官房にかからぬためにマスクをする。ガーゼの布目はウィールスの大きさと比較すると、おそらく列車のトンネルを蟻が抜けるのよりももっとひどい差があるのではないだろうか。つまり、ウィールスの存在を知っても、人間にとって正確な知りかたをしていないのだ。」

「たとえば、私は昭和九年25歳以後、30歳前後までさかんに喀血した。止血剤の注射を約六種類つかったが、そのなかでどれがきくかは注射したとたんに咳のてごたえですぐわかった。きかない注射を幾本も打たれるより、聞くのを一本やって早く喀血をとめるほうが、患者にとってはありがたい。ところが、製薬会社の宣伝は参考にするが、かんじんの注射される患者の言葉はあまり注意しなかった。もっとも喀血しているのは私であって、お医者さんではなかったから、それもやむをえなかったのであろうか。」(丈夫すぎるのもよくない p161)

「存在からの哲学や歴史だけでなく、忘却からの哲学や歴史が必要なのかも知れないとつくづく思う。」(丈夫すぎるのもよくない p161)

「もし記憶の問題が、細胞を分子レベルで研究する生理物理学で、すべて解けてしまうなら、私は愚にもつかぬこんな文章を書く必要がない。細胞に残った痕跡がどう記憶として再任されるかということはたんなる生理現象ではなく、社会現象でさえある。かんたんにいってしまえば個々の人間は単なる細胞の集合ではないし、社会はまた単なる個人の集合ではないということだ。細胞のことが分かればすべてがわかるとはいえないのである。ほんとうのことにはオーダーがある。通俗ないいかたをすれば「大は小をかねるというが、杓子は耳かきのかわりにはならない。」のだ。そして問題はそれにとどまらない。オーダーの違う杓子と耳かきがどうして無媒介に連結されうるのか。つまり、ニューロンの樹状突起に永続的な変化を起こすことが記憶の実体であることが、生理物理的な真理だとしても、どうして「記憶」という言葉と実態とが結びつくのであろうか。その問題は生理物理的な真理だけでは解けないにちがいない。」(〈人の噂も75日〉p168)

「「災害は忘れたころにやってくる」の忘れる主体は何かと考えると、私とか訪問してきた彼女とかいう個々人の人間ではなく、社会といったような個人を超えた主体が忘れるということにちがいない。そして社会を主体として考えたばあい、その社会を構成する人口の年齢層のありかたは、複雑な問題をふくんでいるのではないだろうか。それこそ、そのことを考えないでおく、つまり、忘れていると別な災害がやってくるのかもしれないのである。…>p175 >…何が不足なのかは、今の私には答えられないが、個人にうまい忘れかたがあるように、社会にもうまい忘れかた、逆にいえばいい記憶のしかたがなければ、新しい状況に対応する方法が生み出せないだろうということである。」(「忘れぬことの災害」p174)

「人の名をしるす墓は歴史が新しい。征夷大将軍源頼朝の墓でも貧弱な五輪の石にすぎない。名はきざんでないのである。度リンの石の表すものは、地・水・火・風・空である。石の固さが風や空を指示するところに考えねばらなるものがあるようだ。人の名などは本来無いにひとしい。墓はできたが、私は父のいっていたように遺骨を風で吹きとばしてもらいたいようにも思う。」(「墓石はわすれぬために」p180)

「もし、自分が相手の立場に立ち、感情移入といったような心理操作があって、二人称でいうべき相手を一人称でいっているのだとすれば、三人称的背景で自分をも対象化し、感情移入をするのだ。ところが、「おのれ」が自分をを指すのではなく相手をさすのは直接に、自他が結合しているのである。坂部恵氏は「人称代名詞の基礎的な体系の圏外に属する全然系統を異にする人称代名詞を日本語>p195>はもっている」といい、我と汝を両様に使う「おのれ」という人称は、我と汝の相互性の根源に相互現前的な「おのれ」の領域があるからだと説いている(『仮面の解釈学』)。これは、感情移入が二人称的関係で成り立つものとすれば、原人称とでもいうよりしかたがない。メルロ・ポンティは、幼児が鏡に像を見、次にここに自分の身体を感じるのは、その両者をつなぐ共通分母があるのではなく、それら一種距離をもった同一性、つまり遍在性なのだ、といっている。」(「〈ぼくちゃん〉p195」)

*作成:近藤 宏 
UP:20090429
身体  ◇老い  ◇身体×世界:関連書籍  ◇BOOK
 
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