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『ポックリ往く人逝けぬ人』

早川 一光 19840420 現代出版,222p.


■早川 一光 19840420 『ポックリ往く人逝けぬ人』,現代出版,222p. ISBN-10: 4875972148 ISBN-13: 978-4875972143 [amazon][kinokuniya] ※

■引用

 「▽110 安楽死の通行手形は生き抜く努力
 人間って楽に死ねるってことはないんです。安楽に死ぬのはね、不可能とはいいませんけど、たいへんむずかしいことです。それは、人間の体というのは、生きるようにできでいますからね。死ぬようにできている部分というのはひとっもありません。たとえ髪の毛一本でも伸びるようにできています。死んでからでも髪の毛は伸びるというくらい、生きるようにできています。
 生きているということは、生かさないとするあらゆるカに対して、これに抵抗するカが働いているということなんです。そこには、葛藤と、争いと、努力と、忍耐とが伴います。だから、生きるカを阻止するものは、必ず抵抗、葛藤がおきるはすで、それは苦痛ですから、安楽死というのはないと思います。
 ただ、一つあるのはね、その生きていくという苦痛を伺巨も伺回も乗り越えながら、▽111 どんな坂こんな坂、どんな坂こんな坂と乗り込えながら生きつづけてきた人がやっぱり最後に本当に楽に死んでいけるんです。そういう人がが安楽死への通行手形を握れるんです。「生きて生きて生き抜いた人」というのは、寿命だけじゃなくて、生きるために努力をしてきた人達なんです。それともうひとつ寿命いっばい生きてきて、だんだんもの忘れがすすんで、最高に親しい人も忘れて、自分の死ぬものもわからない、そういう死にかたが、ぼくは安楽死だと思いますね。
 社会的な仕事をして、生きがいを感じて、丈夫で健康で、良い人間関係をいっぱいもって生きる、そういう中でないと、安楽死なんかできないと思いますね。

 それでも、日常生活の中に苦痛というものはありますものね。その苦痛に耐えなくてはならない。
 悲しいけど、死は救いの側面があると思います。もう辛抱しなくていいんですから。すぺての人が救われる。
 そうね、死は救いなんです。死んではじめて、この人は生きる苦しみにたえなくていいんだなというのが死てすから。」(早川[1984:110-111])

 「病院が老人サロンで何が悪い

 ――昨今の新聞には今後何年で老人の人口がどれたけ増えて云々と……社会負担が多くなるということばかり言われていますね。そこには完全に老人とは世話されるもの、そういう対象としか見ていませんね。
 早川 あれはぜったいにいけないね。今の新聞は老人問題が叫ばれてきて、老人というものが老害というか老人の害と書くんですが、公害じゃあるまいし、老人が世の中を乱すというか、老人が病院を占領して若い者が入れなくなって云々と……、そんな書き方はおかしいですね。
 お年寄りは当然身体の故障が多いから病院にいくのは当たり前でしよう。それを老人が腐院を占領して……ということは老人問題を歪めていますね。
 じゃ、お年寄りが病院にこないで生き生きと活動できるような分野を与えているか、▽214 といったら全然保障していないでしよう。
 ですから私は、お年寄りが病院にたくさんおいでになっていいと思います。病院がサロン化して良いと言って極論するんです。むしろお茶でも出して「ごくろうさん」と言おうカと思うくらいです。
 なぜかというと、今の西陣(京都)でもね、手織りから機械織りになってカチャコン、カチャコンとせみの鳴くような激しいところでお年寄りが手を出すこともできずに機屋(はたや)のばをうろうろすると、若い息子夫婦が「おじいちやんそんなところでうろうろせんといて、どっか行ってきよし」と言われそんなこと言われても行くところがありませんから、西陣でしたら北野天神さんに行って、石垣にもたれて朝は東を向き、昼は南を向き、夕方は西を向いておしっこで股(また)をぬらしながら、夕方になるのを待ちかねて家に帰る。
 もうおじいちゃんとおぱあちゃんの本当のいこいの場所というのは、今は残念ながら病院かも知れない。病院に行ったら、やさしい看護婦さんがおって、「よくいらっしやいました」と言ってくれるし、長いこと待ち合い室にいてもだれも出てゆけと言って▽215 追い出すこともないし、しかも病気を診てくれるお医者さんがおって薬を出してくれたらね、なんかの心の安らぎがある。
 薬でこの病気を治そうと思っている老人はだれもなくて、お薬をくれたといいう、くれるという人がそこにおる。それは息子夫婦にないものなのです。息子夫婦にしても天神さんなんかでぼやっとされておるよりも、病院に今行っているよと言った方が世間ていがいいもんですから「そんなところでうろうろせんと病院に行ってきよし」という追いやり方でしょう。これはお年寄りから見れば”一体おれの行くところはどこなんだ”ということがあるのです。

 老人科を設置せよ

 それともう一つには老人がキセル医療しているから医療費が高くついてかなわん、と言う人がいますが、ぽくは”何を言っているのや”と思います。なぜならお▽215 年寄りが好んでキセル医療で各科をまわっているのとちがいます。というのは日本の医療が専門にわかれていて人間総体を診てくれるところがない。
 お年寄りがどこへ行ったらよいかわからない。だからお医者さんのはしごをしなければいけないところに置かれているのです。
 ですから、私は少なくともお年寄りが病院にこられたときは、人間総体として受けとめてあげる場というか、そういう場をつくる必要があるし、そのためには、まず老人科をつくってそこで話を聞く。そして、そこで「あなたは心臓がわるいからそちらに行きなさい」とか言って紹介してあげられる場があっていいと思いますね。」(早川[1984:213-216])


UP:20140806 REV:20140905  QLOOKアクセス解析
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