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『慢性疾患を生きる――ケアとクオリティ・ライフの接点』

Strauss, A.L.; Corbin, J.; Fagerhaugh, S.; Glaser, B.; Maines, D.; Suczek, B.; Wiener, C. 1984 Chronic Illness and the Quality of Life, Second Edition,The C.V.Mosby Co.,St.Louis.
=19870515 南 裕子 訳,医学書院,301p.


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Strauss, A.L.; Corbin, J.; Fagerhaugh, S.; Glaser, B.; Maines, D.; Suczek, B.; Wiener, C. 1984 Chronic Illness and the Quality of Life, Second Edition, The C.V.Mosby Co.,St.Louis
=19870515 南 裕子 訳 『慢性疾患を生きる――ケアとクオリティ・ライフの接点』,医学書院,301p. ISBN-10: 4260348612 ISBN-13: 978-4260348614 \3780  〔amazon〕
 ←Strauss AL eds. 1975 Chronic Illness and the quality of life, Mosby.

■目次

序章と枠組 1

第1部 慢性疾患を生きるうえでの問題点
 第1章 危機状態の予防と管理 33
 第2章 療養のしかた 45
 第3章 症状制御 64
 第4章 生活時間の再編成 78
 第5章 病みの軌跡の管理と方向づけ 83
 第6章 社会的疎外 97
 第7章 基本的な方略:生活の常態化 103
 第8章 慢性関節リウマチによる負担 115
 第9章 対象としての家族 132
 第10章 糖尿病患者のセルフヘルプ・グループの社会生活の調整 147

第2部 病院での患者の体験
 第11章 入院中の患者の仕事 169
 第12章 病院での親族の仕事 191
 第13章 病院での安楽に関する仕事 203
 第14章 入院患者と臨床上の安全にかかわる仕事 227

第3部 ヘルスケアシステムと慢性疾患
 第15章 よりよいケアの提供 241
 第16章 行政と慢性疾患 259

エピローグ 284
監訳者あとがき 287
索引 293


■執筆者一覧

ANSELM L. STRAUSS, Ph.D.
Professor of Sociology,
Department of Social and Behavioral Science,
University of Caliaornia, San Francisco

JULIET CORBIN, D.N.S.
Research Associate,
Department of Social and Behavioral Science,
University of California, San Francisco

SHIZUKO FAGERHAUGH, D.N.S.
Associate Research Sociologist,
Department of Social and Behavioral Science、
University California, San Francisco

BARNEY G, GLASER, Ph.D.
Formerly Professor of Sociology and Currently Visiting Lecturer,
Department of Social and Behavioral Science,
University of California, San Francisco

DAVID MAINES, Ph.D.
Research Fellow, University of Illinois, Chicago

BARBARA SUCZEK, Ph.D.
Assistant Research Sociologist,
Department of Social and Behavioral Science,
University of California, San Francisco

CAROLYN L. WIENER, Ph.D.
Assistant Research Sociologist,
Department of Social and Behavioral Science,
University of California, San Francisco


■言及

◆Barnes, Colin ; Mercer, Geoffrey ; Shakespeare, Tom 1999 Exploring Disability : A Sociological Introduction, Polity Press(=20040331, 杉野昭博松波めぐみ山下幸子『ディスアビリティ・スタディーズ――イギリス障害学概論』明石書店).
(第3章3「「慢性病と障害」の経験」)
 医療社会学の研究において繰り返し論じられているテーマの一つが、“慢性病と障害”と結びつけられる経験の多様性である。その多様性のなかには、先天的あるいは人生の中途で得た身体的インペアメントも、“精神病と精神障害”(もっとも、その医学上の位置づけは疑問視されているが)も、症状が固定しているものも進行性のものも(さらに末期症状も)、一時的な傷も治らない傷も含んでおり、さらには、さまざまな“変形”――誕生時のアザや火傷の痕から、肥満や痩せすぎに至るまで、必ずしも機能的なインペアメントを伴わないものもある――をも含み込んでいる。障害者を文化的に表象する際の典型は、車いす使用者か、完全に視力か聴力を失った人であるが、イギリス国勢調査局(OPCS)の障害調査で用いられた主要な障害カテゴリーのなかには、「関節炎による難聴を伴う移動上のインペアメント」といった想像しにくいものも多い(Martin et al., 1998)。
 初期には、慢性病をもつ人の相互作用の難しさが強調された(Strauss & Glaser, 1975)。キャロリン・ウィナーは、リューマチ性関節炎の患者についての自らの研究のなかで、日々の社会活動や仕事をこなす上で特有のジレンマを生みだしている症状の不安定さや病気の深刻さをなんとかやり過ごすために、患者が行動と外見の両面でとっている戦略について述べている。かつてゴッフマンが指摘したのと同様に、ウィナーが調査した患者たちも、否定的でスティグマを招くような結果を最小限にとどめるために「正常な者としてパスする」ことや、症状をわざと軽く装うことに熱心になっている(Wiener, 1975: 80)。そこで描写されているのは、自らの生活を統制し、他者に対して自分をうまく呈示しようとする絶えまない闘いである。


的場智子, 19991030, 「病者と患者」進藤雄三・黒田浩一郎編『医療社会学を学ぶ人のために』世界思想社:22-41.
(pp31-34)
 パーソンズ、フリードソンはともに、病気を逸脱と捉え概念枠組みを構築した。その後さらに人口の[p32>高齢化、医学の進歩に伴い、老人退行性疾患や慢性疾患など病気や障害をもって残りの人生を生きる者に焦点が向けられるようになった。A・ストラウスらはこういった慢性疾患患者や老齢者、癌を含む難治性疾患患者などの社会的相互作用を、シンボリック相互作用論の立場から実証研究を行っている。
 ストラウスらは、慢性疾患の特徴を「長期的で、不確かで、不経済で、多くの場合重複していて、きわめて侵害的であり、治癒不可能なので姑息的である」ととらえ、患者や家族、保健医療職従事者に与える病気の影響を探求している(A・ストラウス他、南裕子監訳『慢性疾患を生きる』医学書院、一九八七年、二〇頁)。彼らは独自に開発した研究方法であるグラウンデッド・セオリー(grounded theory)を用い、質的に、慢性疾患と共に生きる人々の生活を描いている。グラウンデッド.セオリーとは、分析者が現象に関わることがらをデータとして読みとり変換し、そのデータとの相互作用から理論を生み出してくるというものである(B・G・グレイザー/A・L・ストラウス、後藤隆・大出春江・水野節夫訳『データ対話型理論の発見』新曜社、一九九六年、xi頁)。A. Strauss, et al., Chronic Illness and The Quality of Life, The C. V. Mosby Co., 1984 (A・ストラウス他、前掲書)はその理論を医療の現場に適用した成果といえる。慢性疾患と共に生きることで患者とその家族の「生活の質」がどのように影響されるのか、すなわち危機状態の管理や療養法の問題、症状の制御、時間の管理、病みの軌跡の管理、生活をできる限り普通に保つ工夫などについて、面接や観察、手記などから得た質的データをもとに分析している。
 ストラウスらがここで用いた「軌跡(trajectory)」という用語は、ストラウスとB・G・グレイザーが死にゆく患者のケアを研究していた際に見いだしたものである。死にゆく過程には一定の時間が必要で、死にゆく患者やその家族、保健医療専門職者は死の行路を管理し、方向づけるために多くの方法を用いるというのが彼らの洞察であった(J・M・コービン/A・ストラウス「軌跡理論に基づく慢性疾患管理[p33>の看護モデル」P・ウグ編、黒江ゆり子・市橋恵子・寳田穂訳『慢性疾患の病みの軌跡』医学書院、一九九五年、四頁)。その後、ストラウスは慢性疾患に関する研究を積み、軌跡の枠組みをさらに発展、強化し、慢性疾患とその管理に伴う問題を理解する際に有効なモデルとした。それが、コービンとストラウスによって提示された、「軌跡理論に基づく慢性疾患管理のための看護モデル」である。
 「軌跡(trajectory)」とは病気や慢性状況の行路(course)のことである。慢性状態の状況により、その行路はさまざまな「軌跡の局面移行(trajectory phasing)」をする。このモデルでは、慢性疾患を(1)前軌跡期(病みの行路が始まる前、予防的段階、徴候や症状がみられない状況)、(2)軌跡発症期(症候や症状がみられる。診断の期間が含まれる)、(3)クライシス期(生命が脅かされる状況)、(4)急性期(病気や合併症の活動期。その管理のために入院が必要となる状況)、(5)安定期(病みの行路と症状が養生法によってコントロールされている状況)、(6)不安定期(病みの行路や症状が養生法によってコントロールされていない状況)、(7)下降期(身体状態や心理的状態が進行性に悪化し、障害や症状の増大によって特徴づけられる状況)、(8)臨死期(数週間、数日、数時間で死に至る状況)の八つの局面で捉え、それぞれの局面には逆転現象や平坦現象、上昇現象、下降現象が含まれている(同書、一二-一四頁)。
 このモデルが循環器疾患やHIV/AIDS、精神疾患、癌、多発性硬化症、糖尿病など、さまざまな慢性疾患に対しても適用され、検討されている。P・ウグは、軌跡モデルの中心は一貫して患者におかれており、このプロセスを理解することで看護する側は患者にとっていっそう適切なケアを提供することができると述べる(同書、viii頁)。今後の課題としてコービンとストラウスは、このモデルがさらに実践的に用いられ、モデルに適する領域を明確にすること、新たに出現する軌跡局面の研究、追加すべき概念の発見をあげている。また軌跡モデルが指摘している方向に沿って慢性疾患を考えるよう、看護[p34>教育を行う必要があるとも述べる(J・M・コービン/A・ストラウス「六つの論文についての解説」同書、一四六頁)。


◆楠永敏惠・山崎喜比古, 2002, 「慢性の病いが個人誌に与える影響――病いの経験に関する文献的検討から」『保健医療社会学論集』13(1):1-11.
(pp2-3)
 病いの経験へのアプローチを用いた初めての研究は、米国の社会学者であるStraussとGlaserが1975年に著した『Chronic illness and the quality of life』とされている。その後も、様々な病いを患う人を対象にして研究が続けられてきた。たとえば、てんかん、糖尿病、慢性関節リウマチ、多発性硬化症、慢性疲労症候群、アルツハイマー病、心疾患、HIV感染症、癌、などである。これらの共通点は、病む人や家族などの生活や人生に影響を与える慢性の病いであることである。
 こうした研究が用いる枠組には、「病いの意味(meaning of illness)」、「病いに適応するための戦略(strategies used in adaptation)」、「病む人々の世界における社会的な組織[p3>(social organization of the sufferer's world)」があるとされる。


田垣正晋, 2003, 「身体障害者の障害の意味に関するライフストーリー研究の現状と今後の方向性」『人間性心理学研究』21(2):198-208.
 個人重視・援助貢献型の最大のテーマは、近代医療における人間性の回復である。医療の発展は障害の軽減を可能にしたものの、同時に、障害を持ちながら長い年月を生きる人々を生み出している。そのなかで、医療は人間を物質的な存在として客体化し、疾患を身体的なメカニズムの中で局部的にとらえようとしたために、障害を持って生きる人間の姿を見失いがちだった。このような反省から、患者である障害者を包括的に理解しようとする研究が始められたのである。その代表例であるアンセルム・ストラウス(Anselm Strauss)は、グラウンディッドセオリーを作り出し、慢性病患者の「病の軌跡」を研究することを通じて、質的研究の発展に大きく貢献した(Strauss, et al,1984)。特に看護学では、入院中の障害者を理解する上で、重視されている(Holloway & Wheeler,1996)。


天田城介, 20030228, 『<老い衰えゆくこと>の社会学』多賀出版.
(第1章3節3項「物語/バイオグラフィー」)
 そこで、本節ではいかにしてこの「絶えざる・寄る辺なき再帰性による物語」に接近すべきかを簡潔に叙述しておこう。
 筆者はこうした物語を分析する上で「バイオグラフィー」(Denzin 1989;Gubrium & Holstein 1995a;Strauss et al 1984;Berger & Luckmann 1966;Goffman 1963a;木下 1993;1997)の解読が有効なのではないかと考えている。また、ここで詳述する余裕はないが、パースペクティブの相違こそあれ「自己物語論」とも極めて共通する立場としており(Gergen 1985;浅野 2001)、両概念の分析の有効性と可能性を感じさせる。


◆橋本英樹, 2004, 「病世界の構造と医師との会話における表出」『保健医療社会学論集』14(2):19-25.
(pp19-20)
 患者の「物語り」を材料とした「患者世界の構造理解」は、Straussを中心とするGrounded Theoryの学派で70年代に急速に進展した。そこから慢性疾患を患った患者の世界の特徴的現象として不確実性や存在不安、自己喪失などが抽出された(*3)。これに続き、英国のBuryはStraussの流れとBergerらのSocial Constructionismを合流させた形で、慢[p20>性疾患患者の経験を「物語りの断絶」(Biographical Disruption)と抽象化した。それまで当たり前と思っていた日常がある日を境に問題化していくことを中核におき、そこから不確実性の問題や医学という文化システムと患者の物語りの再構成の関連を指摘した。80年代半ばに入り、HerzlichやRadleyなどの社会心理学系の研究者らにより、よりSocial Constructionismの影響を強く受けた形の研究が進められた。そこでは病い経験を構成する現象の抽出ではなく、患者の社会―自己―病い関係の表現形(Embodiment)として病い経験を位置付ける図式が用いられた(注5)。

 (*3)Strauss AL eds.(1975)Chronic Illness and the quality of life, Mosby, St. Louisや、Wiener CL(1975),‘The burned of rheumatoid arthritis: tolerating the uncertainty’,Social Science and Medicine and Medicine,19,1227-34など参照。


蘭由岐子, 20040409, 『「病いの経験」を聞き取る??ハンセン病者のライフヒストリー』皓星社.
(pp43-44)
 ここ三十数年、医療をめぐる情勢は大きく変化し、そのような考察が後退し、「病いの経験」に関する研究が出現するようになった。医療社会学者のコンラッドにならってその要因をまとめておこう[Conrad 1987, pp.2-4]。ひとつの要因は、疾病構造が急性疾患から慢性疾患へと変化し、治療者による治癒がすべての患者におとずれるわけではなくなり、多くのひとびとは病いとともに(長ければ一生)生活せざるをえなくなったことにある。急性疾患は、経過が急であり、医療スタッフによる治療の効果がはっきりと表れ比較的早い治癒が見込めるが、それに対して、慢性疾患はその経過が長く、治癒がくるのかどうかさえはっきりしないことも多い。また具体的な処置も病院という医療機関内部だけで行なわれるのではなく患者の日常生活の場に持ち込まれる。すなわち、慢性疾患は経過の軌跡(trajectory)という時間的次元を包摂し、生活の場に降り立ち、それゆえわずらう者(sufferers)の人生に密接に関係してくるのである[Strauss et. at. 1984=ストラウス他1987]。したがって、慢性疾患について考察することは、わずらう者の視点をぬきにしては考えられなくなった。
 第二の要因は、医療実践において、ひとを部分ではなく「まるごとの個人」(whole person)として把握することが求められるようになったことである。医療の専門化が進むにつれて治療に技術が優先したが、その過剰な専門化に対して、プライマリー・ケアが強調されるようになった。そこで「家庭医」という新しい専門が登場し、[p. 44>「疾患」ではなく「まるごとの個人」を診ることに関心が払われるようになったのである。L.アイゼンバーグの「患者は病気を苦しみ、医師は疾病を扱う」という指摘[医療人類学研究会編1992, p. 47]をまつまでもなく、近代医療がもつ疾患重視と病者軽視の傾向が、わずらう存在としての「まるごとの個人」、すなわち主体としての患者という視点を抜け落としてきたことへの反省であった。
 第三の要因は、医療社会学自体の、「医療における社会学(sociology in medicine)」から「医療の社会学(sociology of medicine)」への転回である。おもに、シンボリック相互作用論の伝統が、患者のパースペクティブから病気について吟味するようになった[Bell 2000, p.188]。たとえば、グレイザーとストラウスの死につつあるひとに関する研究[Glaser & Strauss 1965]やゴッフマンの精神病院やスティグマに関する研究[Goffman 1961=1984, 1963=1987]などがその嚆矢である。そこでは、死に直面しているひとびとの意識や施設入所者やスティグマを付与されたひとびとの視点が考察されている。
 第四の要因は、いわゆる障害者運動との関連である。セルフヘルプ・グループが出現し、市民権や女性運動を反映した活動家というスタンスが増え、権利獲得・自立生活運動をはじめ、障害とともに生きることの社会的認識をやしなった。障害者やフェミニズム運動の女性たち[ボストン女の健康の本集団1988]の活動に明らかなように、それまで被援助者として見なされていた当事者自身が主体的にみずからに適した医療を求めるようになってきた。それまで一方的に援助される立場に立たされてきた自分たちこそ、わずらうことに関してエキスパートであって、その経験を生かすことが提唱されるようになったのである。


出口泰靖, 20040930, 「「呆けゆく」体験を、<語り、明かすこと>と<語らず、隠すこと>のはざまで――本人が「呆けゆく」体験を語り明かすことは、私たちに何をもたらすのか?」」山田富秋編『老いと障害の質的社会学??フィールドワークから』世界思想社:229-253.
(第4章「結び」)
 病いや障害をもっている人の観点からそれらについて理解しようとする医療社会学のアプローチの一つに「病い体験」がある(詳しくは出口、二〇〇一a)。「病い体験」アプローチは、”病いをもっているにもかかわらず病者は生活に適応しようとする“(Strauss, et al., 1984)といったように、ある意味で病者の〈能動性〉を強調する。だが、それは一方で「自律性」というのを前面に押し出した近代西欧的な自己を想定しているともいえる。というのも、その能動的な前提には、病いそれ自体を人間あるいは社会にとって「悪」として忌避し、そうした病いと闘い、自分で管理・統御し制御できるものだという自律的な自己観がうかがわれるからである。「病気は社会にとって悪であるとの前提に立って、その原因、背景を探り、保健・医療その他の社会的総力を結集して、それをどう防ぎ、対抗するか、そのために集団と社会関係の科学は何をなしうるか、という関心が中心になっている」(仲村、一九八一)。そのため、「呆け」にならないための術を求めて狂奔するものの、「呆け」てから後、積極的にその病いあるいは障害とともに生きていくにはどうしたらよいのか、考えようとしない。「病むことの積極的意味」(仲村、一九八一)が軽視され、取りこぼされる。そこで考えなければならないのは、病いや障害と向き合う場合の、「受苦的人間(ホモ・パティエンス)」としての人間の側面である(中村、一九九二・鷲田、一九九九)。というのも、人間は、完璧には自律的に統御できない「身体」をもっている以上、単に能動的ではありえず、むしろ、他者(外的環境や自分の体内環境)からの働きかけを受ける受動的で受苦的な存在にもなる(中村、一九九二)からである。ならば、病むこと(受苦)と闘い統御するだけではなく、「病むこと、そして受苦の積極的意味」も考えなければならない。こうした医療社会学的方法・視点の再検討と、修正作業について考えるうえでも、「呆けゆく」人びとの受苦的体験に謙虚に耳を傾け、「呆けゆく」人のリアルな体験世界を汲み取り続けることは意味があるだろう。

◆福島智子, 200410, 「糖尿病の認識過程の検討??『生活習慣病』ではない一型糖尿病患者を事例として」『ソシオロジ』49(2)(通号 151):77-93.
(pp80-81)
 本調査では、病院における医師や看護師との相互作用、[p81>DM患者教育の経過に沿い、リアルタイムで患者の語りの変遷を記録している。このため、DMに関する患者の語りは、慢性疾患患者という立場に落ち着いた状態からの回顧的なものではなく、実際のDM診断から数週間という短い期間における語りの変遷であるという点で、従来の慢性疾患を対象とした主な研究(*21)とは性質を異にしている。
(p90)
 (*21)DMを含めた慢性疾患を対象とした代表的な社会学的研究として、患者の「病の軌跡」管理に焦点を当てたストラウスら(Strauss,A.L.et.al.[1984]、Corbin,J.& Strauss,A.L.,[1985])、その他、特にDM患者を対象としたものにPeyrot,M.et.al.[1987],Bleicher,S.J.et.al.[1982],Singer,M.et.al.[1987]など。Bury[1982]は慢性疾患(リウマチ)によって断絶される生活史を論じている。これらの研究において注目されているのは、「慢性病と共に生きる」という側面であり、日常生活における疾患管理や新しい役割獲得のプロセスなどを明らかにしている。

Strauss,A.L.et.al.1984 Chronic Illness:and the Quality Life,The C.V.Mosby Company(=一九八七、南裕子監訳『慢性疾患を生きる?ケアとクオリティ・ライフの接点?』医学書院)
Corbin,J.& Strauss,A.L.,1985“Managing Chronic Illness at Home:Three Lines of Work”.Qualitative Sociology,8-3:224-247.


*作成:植村 要
UP: 20090723 REV:20100602
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