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『日本の優生学――その思想と運動の軌跡』

鈴木 善次 1983.11.30 三共出版,v+196+9p.,2000



鈴木 善次 1983.11.30 『日本の優生学――その思想と運動の軌跡』,三共出版,v+196+9p.,2000円

 報告 於:BS研 1990.07.11 立岩 真也

     プロローグ――いま,優生思想の歴史を書く意味
     T欧化思想の中の人種改良論
     U優生学の導入をめぐる議論
     V社会運動としての優生学
     W断種法制定をめぐって――民族衛生学と人類遺伝学
     エピローグ――まとめとして

■ プロローグ――いま,優生思想の歴史を書く意味

「優生思想の歴史は進化論や遺伝学という生物学上の理論や学説が実際の人間社会の問題の”科学的根拠”として用いられた一つの事例史であり,そうした場合,十分に留意しなければならないことがらが含まれている」[009](以下、[]内は頁数)

■T 欧化思想の中の人種改良論

1 福沢諭吉の危惧
「人の能力には天賦遺伝の際限ありて、……」(「教育なる力」1875-76)[013]
エリート教育
士族階級(「精神を高尚にして肉体以上のことに心身を用いる種族」)の優越性の強調
2 ゴルトンと『遺伝的天才』
3 進化論の導入
E.S.Morse:1877 東京大学の開設時,理学部・生物学科の動物学教授として赴任[024]
進化論の講演 歓迎される 議論自体は粗雑
1881 『人祖論』翻訳…
遺伝に関する知見はまだ幼稚なもの(メンデルの法則の再発見は1900)
4 福沢諭吉にみる遺伝・進化の理論
肺病・癩病・梅毒・癲狂をいずれも”遺伝病”とする さらに体格・容貌語音・技芸好尚などの遺伝にも言及(「遺伝之能力」1882)[032]
5 黄白雑婚論の登場とその波紋
高橋義雄の『日本人種改良論』(1884):日本人種は身体的にも肉体的にも西洋人種に比べて劣っているので,西洋人と方を並べて競争することは難しい。それを望むなら日本人と西洋人の間で混血をつくり,西洋人の血を日本人にとり入れなければならない[034]
加藤弘之の反論:人種改良の必要性は認める。その手段として衣食住など環境面の改善をあげたあと黄白雑種論をとりあげ批判 1.人種とはなにか 2.雑種でどのような組合せがよいかの資料が不十分 3.年月を要する それより 人種改良ではなく人種の変更であること…何代も雑婚していけば日本人の血は絶滅してしまう(「人種改良ノ弁」1886[035-036])背景に欧化思想からの脱却[038]
6 福沢諭吉の人種改良論
高橋の書の序文は福沢識[040]加藤の計算が特別なものだと批判[041]
当時ようやく注目されてきた家畜改良法の応用を提唱…いわゆる選抜育種[042-043]
生活様式の改善,女性の地位向上なども主張・高橋も「習養」を「遺伝」と並ぶものとして人種改良の手段ととらえていた[043-044]

■U 優生学の導入をめぐる議論

1 ゴルトンのユーゼニックス
2 海野幸徳の人種改造論
『日本人種改造論』(1910) 自然淘汰説は不十分とする…しかし進化の主因については明らかにしていない[054-055] 逆選択(逆淘汰)(Galton:自然選択が作用しない→逆選択→人種改良の必要)[055] この点に関し自然選択と人為選択を区別し人類を支配する選択(淘汰)として@戦争による選択は有害(従事する者は強者)A疾病による選択は有益Bアルコールによる選択は必ずしも有害でない(アルコールに強い人種ほど栄えている)C色欲による選択,をあげ,「淘汰作用を撹乱し膚浅なる慈善と無法なる人命救助をなしたる為め全体の貧弱と,虚弱と,不具と,罪悪とを饒多ならしめ,吾人の幸福を減少し,身体と財産との危険を来し一般文化の進歩を阻害し,害毒を社会と国家に蔓延せしめたり」→人為選択[056-057] 積極的方法と消極的方法,前者の一つとして近親結婚を極めて必要なものとする[057-058] 環境も重要な役割をはたすことを指摘[058]
日本人種改造論:身体的競争・精神的競争・社会的競争 前2者で欧米に劣るので改造に力を入れるべき 社会的競争では優位:ロシアを破ったことでもわかるように…日本人の国家心の発達によるもの…皇室への崇敬と皇室と祖先を崇敬する精神が相合して[059]
『改造論』公刊の翌年から『人性』で自論を展開[060-061]
3 遺伝学者の発言
外山亀太郎:カイコを材料に遺伝学的研究 ゴルトニズムとメンデリズムの両者を結びつけた形での人種改良…前者は総計学的側面に重点,遺伝法則の基本は後者[066-067]
阿部文夫:農作物や花などの品種改良 人種改良へのメンデリズムの利用を主張[071]
4 進化論啓蒙への反応
石川千代松:ヴァイスマンの生殖質連続説を紹介[071-072]
丘浅次郎:自然選択説を前提に 戦争は集団単位での生存競争…戦闘力を減ずることは不利益 劣等人種や有害人類を保護することは人種の進歩改良に反する 民種改善学(外山が人種改良学・海野が人種改造論・石川が優生論 この時代はまだ優生学という訳語は定着していない) 『最新遺伝論』(1919)で優生学の語を使う…このころ一般的に 優生学に賛意は示すが導入には警戒心を持つ…獲得形質の遺伝に肯定的(外山・石川は否定的)人類が滅亡に進みつつあることを論ずる(1910『中央公論』)[073-081]
5 植物学者・動物学者の反応
池野成一郎:純系説(ヨハンゼン)…獲得形質の遺伝を否定[082-084]
山内繁雄:人種改良学:人種改良と優良種の永続は最高の倫理上の責任 種族の幸福のために 自由を制限することは必要[085-090] 五島清太郎 優生学の必要性を説く[090]6 心理学者・生理学者の見解
元良勇次郎:心理学者 優生学的思想を認める(明治初期の人間平等論からくる教育論からの変貌を示す)[091-092]
大沢謙二:生理学者 当時の医学の限界を優生学によっておぎなおうとする[092]
永井潜:東大医学部生理学教室の主任 人種改善学 「雑草の滋蔓の如何に驚くべく恐るべく,而して人が如何に夫れを根絶やすことに就いて等閑であるか…」(1915)[093]
海野:優生学の限界…文化の発展を扱えない(1919)この後も必要性は論じる[095-097]

■V 社会運動としての優生学

1 研究体制づくりへの動き
田中義麿:メンデリズムにもとづいた人種改良を主張 アメリカの排日運動を優生学の観点から捉え,日本に優生学研究所の設立を主張 [101-104]
後藤竜吉:『ユーゼニックス』創刊(1924 翌年『優生学』と改題) 研究所設立を訴える[104-108]アメリカの優生学運動・断種法[108-112]松村松年[112-113]
2 池田林義の優生運動
優境学(修繕医学・社会医学・心身訓練)を含めた優生学を主張…ポペノーに傾倒[114-120]1.自治制度の重視(ドイツ国民運動)2.「足の会」の提唱(原型はワンダーフォーゲル)[120-122]賛同者:医学博士,会社社長ら,学者,国会議員,大臣,高級官僚
3 産児制限運動と優生学
受胎調節によって人口抑制をはかろうとする新マルサス主義 日本では1903年に取り上げられる(小栗貞雄・賀来寛一郎『社会改良実論』)が,高い関心をもたれたものの,一つの運動として発展することなく終わる[025-126] 国の反対・社会主義者も反対(人口増加ではなく社会制度に問題)他方ヨーロッパでは第一次大戦後貧困と多産に悩まされ社会主義者も徐々に賛成の方向に(太田典礼『日本産児調節史』による)[126] M.Sangerが1922に来日 再び活発化 日本産児調節研究会 大阪・京都・神戸でも産児制限研究会山本宣治『産児調節評論』主幹・安田徳太郎[126-127] 池田林義及びその運動に賛同した生物学者:逆淘汰を懸念[127-131]
4 小泉丹における進化論と優生学
伝染病・寄生虫の研究 進化論の啓蒙家 進化学という言葉を使用,ラマルク説に近い定向進化説を支持した傾向の紹介 『ユウゼニックス』1930:客観的な紹介[131-141]

■W 断種法制定をめぐって――民族衛生学と人類遺伝学

1 日本民族衛生学会の誕生
1930 人口の量的側面を重視し質的側面を無視する産児制限に反対し,産児調節の指導と啓蒙活動をしようとする 学会というより啓蒙運動団体 理事長:永井潜 科学者だけでなく政治家(吉田茂・鳩山一郎…)も 女性が多い(第二回の会員名簿では70/192名)
1935の会員名簿では1000人近い会員 永井潜:民族改善学(ドイツ語から)
2 永井潜の活動
アメリカでの犯罪者の増加,イギリスでの精神異常者の増加 逆淘汰を憂え,人種改善学を説く(1915) 戦争は人種衛生上尤も恐るべき逆淘汰(1920)[155-156] 『民族衛生学』1931創刊(民族衛生学会)単に優生学だけでなく,人口問題,社会生物学,体質研究,社会問題,医学,心理学,結婚問題,産児問題,人類学など…ドイツ流の民族衛生学,あるいはそれより広い[157]
3 断種法への動き
日本民族衛生学会→1935日本民族衛生協会 1936の建議の中で断種法の制定をかかげる 1935以来何回か国会上程…審議未了 永井らの宣伝「合衆国が始ママめて断種法を制定してから,正に三十年になる。而かも断種を実行した数はまだ僅々二万に満たない。ナチス政府が此の法案を実施して以来,未だ三年に達しない。而かも断種を実行せし数は既に十数万に達し,一昨年だけでも,五万六千二百四十四人に実施されて居る。盛んなる哉。ハイル ヒットラーと叫ばざるを得ない。」(『民族衛生』5-1巻頭言)[161-162]安田徳太郎の反論:研究が不十分,精神病者,犯罪者の増加は社会機構に原因がある 石井友幸(生理学者,唯物論研究会)も同様の批判 牧野千代蔵の批判:「…大和民族固有の系譜を尊重す,此の特有性は人力を以て破壊すべきにあらず」(1938)[162-163]  阿部文夫『優生講話』(1936):断種の必要性を訴える「…社会に低能者,貧窮者の増殖を喜ぶ者はない。其発生,増殖を未然に防ぐに断種よりも更によき方案を示さない限りは断種を施行することが現在に於て最良の方策であると信ずる。」貧民窟で生活する者に遺伝的不適者が多いこと(英国の家計調査)を論拠に貧窮者発生の原因を遺伝に帰す[164-165]
1940「国民優生法」成立「本法ハ悪質ナル遺伝性疾患ノ素質ヲ有スル者ノ増加ヲ防遏スルト共ニ健全ナル素質ヲ有スル者ノ増加ヲ計リ以テ国民素質ノ向上ヲ期スルコトヲ目的トス」(第1条)優生手術を受ける者として,遺伝性精神病,遺伝性精神病,遺伝性精神薄弱,強度かつ悪質なる遺伝病的性格,強度かつ悪質なる遺伝性身体疾患,強度なる遺伝性奇形1941の「施行令」「施行規則」などで具体例が示される。例えば遺伝性精神病には,精神分裂病,躁うつ病,真性てんかんがあげられる。原則として任意申請。1941−1945にかけて男性192・女性243・計454 名がこの法律で優生手術を受ける。優生手術該当者者は男性8820・女性6399・計17085名:2.6%が手術を受けたことに。敗戦とともにこの動きは停滞1948「優生保護法」(この法律は,優生上の見地から不良な子孫の出生を防止するとともに,母性の生命健康を保護することを目的…(第1条))の成立とともに廃止。
敗戦後の永井(東大定年→北平大学名誉教授→台北帝大医学部長→敗戦とともに帰国):敗因は科学の精神の閑却 民族衛生学の役割は重要 資質優れたものを前線に送りだしのに「反して 劣弱なる素質者は,悠々結婚して,…子供を産み得る点に於て,由々敷逆淘汰であり…」民族衛生が正しい淘汰を行える。平和日本,文化日本の建設に民族衛生協会の任務は益々大きくなっている(『民族衛生』1946・巻頭言)その後も優生学の著作を多く残し,1958没[167-168]
4 優生学と人類遺伝学
駒井卓:遺伝学者 優生学研究機関設立を要望 啓蒙よりは基礎研究を主張 他の遺伝学者(小熊捍…)も同様 1949国立遺伝学研究所開設[169-175] 川上理一:人類遺伝学遺伝の研究の過程で優生学を認め主張 民族衛生学会のあり方は批判し脱会[177-179]
古畑種基:血液型の遺伝研究 日本での人類遺伝学分野の先駆者の一人 他の遺伝学者と同様優生学を刺激として人類遺伝学に入ったのではないがその後の動向には影響される 日本民族衛生学会の創立に伴い協力,理事となる 1956日本人類遺伝学会創立・初代会長[179-182] 総じて:人類遺伝の研究が困難だったため,優生学はその思想面のみが強調され,基礎的なデータが十分得られないまま,優生学運動として展開される[182]
5 人類遺伝研究の変遷
初期は農業上の材料(イネ・カイコ)に比重がかかる 結果が得やすい材料を選ぶ 統計的方法や家計調査に頼る人類遺伝の研究を敬遠 1930年代後半から40年代にかけ優生思想の普及・啓蒙が人類遺伝研究の必要性を痛感させ研究数増加 1956日本人類遺伝学会 特に優生思想を前面におし出すという形はみられない(ただし発会にあたり日本民族衛生学会代表が祝辞) 人類遺伝の研究が急速に進展 民族衛生学会からは人類遺伝の研究が減少し,人口問題,公衆衛生などの調査研究が主流となり今日に至っている[183-186]

■ エピローグ――まとめとして

全体の要約 議論の必要性 科学者の責任[187-191]


* 末尾p.005-008 の「優生学関係年表」に記載されたデータの全てと本文中に記されて  いるデータの一部は BT-BF.TBL BT-BJB.TBL CT0.TBL(作成中のBIO-SOCIOLOGY関連  文献・事項データベース)の一部(計616件 B4:17枚)として収録した。(1992)



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