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『ぼけ老人と家族をささえる――暖かくつつむ援助・介護・医療の受け方』

三宅 貴夫 19830405 『ぼけ老人と家族をささえる――暖かくつつむ援助・介護・医療の受け方』,保健同人社,264p


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■三宅 貴夫 19830405 『ぼけ老人と家族をささえる――暖かくつつむ援助・介護・医療の受け方』,保健同人社,264p. ISBN-10: 4832700472 ISBN-13: 978-4832700475 1300 [amazon] ※ a06.

■引用

 Z 呆け老人と家族への援助の現状 <0181<

 1 医療と保健の現状

 (iii)いわゆる「老人病院」

 最近「老人病院」という言葉をよく耳にしますが、どのような病院ないうのか、明らかでないようです。私は、いわゆる老人病院とは、もっばら老人を入院させる終末施設としての機能をもっている病院であり、多くは外来診療を行っていない、きわめて閉鎖的な病院であると考えています。老人の入院患者が多いというだけで老人病院というのであれば、大学病院も老人病院になります。しかし大学病院は終末施設ではありません。
 ここでいう「老人病院」は、したがって積極的に評価できる施設とはいえません。老人を入院させておきながら、適切に老人を看ている老人病院は、残念ながら少ないのです。正しい意昧での老 <0185< 人病院――老人の身体、精神、社会的側面を総合的にケアーしていく開放的な病院――は数えるほどしかありません。例えば呆け老人の治療・看護・リハビリテーションにも積極的に取り組んでいる山本病院(愛知県豊橋市東雲町一六二)は、全国的にみても貴重な病院です。
 いわゆる「老人病院」は、治療の目的というよりは、介護上あるいは経済的理由のために老人を入院させていることが多いといえるでしょう。入院した老人への個別的な治療・看護は、少ない医師・看護婦の条件では不可能となり、画一的・管理的な処遇に流されて「検査づけ」「薬づけ」が、はびこってしまいます。老人患者自身は人権を無視されても無言であり、家族は、面会に行くことが少なくなり、その「医療」について知らないままにされています。知ったとしても、「今さら家でも看れないし」と黙認せざるをえないのです。
 核家族化による老人の生活環境の急変、少ない老人ホームなどこに見られる老人福祉の遅れのために、家で看れなくなった老人は、家族の負担の少ない「老人病院」へ送らざるをえないのが現状です。呆け老人の多くも、このような状況のなかで「老人病人」に入院というより収容させられているのが実状です。生活の場ではありえない病院に、このような老人が長期間入院していることは、不自然であり、決して好ましいことではありません。基本的には病院は短期間検査・治療のため利用されるべき施設です。

 (iv)精神病院では <0186<

 呆け老人は、精神障害をもった老人です。しかしし多くは、治療の対象にならないと、精神病完への入院を拒まれます。家族が家で看れないという理由だけで入院されては困るといいます。精神分裂病などの患者が多く、常時満床の状態で、これらの患者を治療し社会復帰させていかなければなりないのに、手間がかかり、治りにくく、「おもしろくない」呆け老人を入院させることは、好みません。
 患者の社会復帰を目指している積極的で開放的な精神病院が、呆け老人を拒むのは理解できます。しかしながら、「老人病院」と同じように、呆け老人を収容させて画一的、管理的畑遇が行われている精神病院も少なくありません。
 精神病院も、老人が長期に入院し、生活すべき場所ではありません。老人呆けの要因についての検査・評価のためか、幻覚・妄想や精神的不穏・混乱がつづいたときなど、限られた目的で、しかも短期問の入院に限るぺきです。しかし、精神病院の医師・看漉婦でさえ、老人呆けの理解が乏しく、ケアーに積極的に取り組んでいるとはいえません。老人への治療的ニヒリズムが一般的なうえに、身体的疾患をもっていることが多い老人患者のため、内科的対応が必要にもかかわらず、精神科医がその臨床を苦手として、バートの内科医で穴埋めしているのが現状です。
 […]<187<」

\「呆け老人をかかえる家族の会」のあゆみ <0211<

1「家族の会」ができるまで

 一九七七年九月、京都新聞社会福祉事業団の主催で「高齢者なんでも相談」が始められました。健康、生きがい、暮らし、年金、法律、介護の各相談に加えて、全国的にみてもユニークな「呆け相談」のコーナーが設けられ、京都堀川病院副院長の早川一光先生と、私が相談に当っています。「同じことを何度も聞かれる」「自分でしまったものがないと一日中騒ぎ、嫁が盗んだと責める」「食事が終るや、食べていないといい張る」「外出するが、道に迷うことが多く、警察の世話になる」「家にいても帰るといい、家族を困らせる」「昼間寝て、夜中ウロウロして家族も眠れない日がつづいている」「下着を汚すことぶ多く、オムツをあててもはずしてしまう。どうしたらいいのだろう」「家族みんなふりまわされている。どこか預ってくれるところがありませんか」と、家族は疲れた表情で困難な介護の日々をつぎつぎと話してきます。
 介護したものでなければわからない、苦労、悩み、不安、哀しみ、疲れを、話す相手もなく、聞いてくれる場もなかった家族にとって「呆け相談」はささやかな支えになってきました。
 二人の相談医は、家族の話に耳を傾け、共感するなかで、必要な助言と励ましを与えてきたわけですが、こらした場を、個別的な一度限りの語らいの場に終らすことなく、家族同士が集まり、と <0212< もに日々の介護の苦労を語り合い、励まし合い、さらにはよりよい介護の方法を考えていく幾会をつくってはと考えたのです。そして、相談にみえた家族に呼ぴかけて、一九七九年六月に第一回の「呆け老人をかかえる家族の集い」を開きました。
 「集い」に参加した家族は、堰を切ったように介護のありさまな語り、互いにうなずき合い、さらに涙を流し、笑うなかで、日々うっ積していたものが、軽くなり、ある種の安堵感のようなものを感じたようです。
 家族に喜ばれたこの「集い」は、月一回もたれ同年十二月までに計四〇家族が参加しましたが、このなかで、より恒常的な集いをもち、老人呆けについての継続した学習をしたいとの声もあがりました。そこでへ家族「家族の会」の結成に向けての準備会が数回開かれ、会の運営方法、会則、名称について検討され、一九八〇年一月に「呆け老人をかかえる家族の会」が発足することに決まりました。この準備会で、最後まで議論されたのは、会の名称でした。「呆け老人」という表現が、軽蔑や差別に通じないかということでしたが、他に適当な表現がないこと、呆け老人と呼ばざるをえない老人をかかえている家族のありのままを社会に訴えるには、むしろこのほうが適切であるということなどで、この会の名称が取り上げられたわけです。<0213<

 2 「家挨の会」が京都にできる
 「呆け老人をかかえる家族の会」の結成への動きが朝日新聞で報道されるや、全国から準備会に問い合わせが相次ぎました。一月二十日の結成大会には、京都の家族に限らず、近畿各地、さらには東京からも集まり、参加者は九〇余名になりました。このなかで、家族から「夜中に大声をあげる。家族みんな疲れきっている」「入院させたものの、金銭の負担が重すぎる」「失禁している老人に寝袋な使っている」などと日頃の苦労が訴えられました。老人ホームの職員からは、呆け老人の処遇の困難さが報告されました。
 この結成大会で承認された会則(表\・1)によりますと、「家族の会」の目的は、「呆け老人をかかえる家族、嘩医療・福祉関係者、ボラソテイアなどの交流を通して、老人呆けの理解を深め、呆け老人とその家族への援助と福祉の向上な図ること」としています。この目的に沿って家族の集い、会報の発行、相談、研修などを行うことにしています。京都以外の各地にも、家族の身近なところに「家族の集い」や家族の会支部を広げていくことが訴えられました。
 「家族の会」の結成が再び新聞紙上で取り上げられると、さらに全国からの入会申し込みや手紙が事務局に殺到しました。二月の第二回の「家族の集い」には、一六〇名にも及ぶ参加者がありま <0214< 表\・1<0215< した。呆け老人をかかえ、何の助けもなく孤立して介護を強いられている家族は、「こんな老人の世話に追われ、辛い思いをしているのは自分だけだろう」と思っていたのが、同じ苦労、同じ悩みをもっている家族が他にも沢山いること、もっと介護が大変な家族もいることなどを知り、ある種の共感と安堵感を抱くなかで、明日からの介護への意欲が湧いてきたのではないでしょうか。
 月々の集いは、家族の経験交流に限らず、よりよい介護を目指して「老人呆け」の学習会もつづけました。「もの忘れ」「夜間不眠」「失禁」など、テーマ別に医師が、講義し、家族とともに考え、介護方法の知識も深めました。学習は医学、介護面に限らず、老人福祉にも広がり、呆け老人と家族に社会的援助が閉ざされている理由や福祉の現場を知るために、老人ホームや老人福祉セソターに見学に出かけました。日々の介護に追われている家族は、老人ホームなどの福祉制度のしくみを知らないことが多く、家族にとって活用できる制度があれば活用していくことを芋びました。また福祉関係者にも、家族の実状を訴えました。
 このような京都での集いを量ねるなかで、「家族の会」としてできる援助をしようと、ボランティアによる訪問介護や託老所が試みられました。

 3 各地に「家族の会」が広がる <0216<

 「家族の会」は、もともと京都での地域的な活動としてスタートしましたが、各地からの入会が相次ぎ、全国的な組織へと発展しました。京都以外の地域でも、「家族の集い」がもたれ、支部が生まれていきました。
 現在、支部のある都府県は、東京、千葉、神奈川、群馬、埼王、静岡、愛知、岐阜、三重、石川、富山、滋賀、京都、大阪、和歌山、広島、島根、香川、愛媛、福岡、佐賀の一
二カ所にのばっています。これ以外に「家族の集い」が開かれたことのある地域は、北海道、青森、宮城、茨城、新潟、福井、高知、熊本であります。
 会員の数が最も多い東京は、ニカ月に一度の「家族の集い」をもち、浜田クリニックの浜田晋医師、聖マリアンナ医大の長谷川教授、慈恵医大の清水助教授など老年精神医学、老年医学の専門家の講演を中心として、毎回一〇〇名から一五〇名の参加者があります。「家族の会」の活動が刺激にもなり、東京都は全国に先がけて呆け老人の短期入所を始めています。都の「痴呆性老人対策委員会」のメンバーにも世話人代麦が加わり、介護テキストの作成に参画しました。また、電話相談活動もオープンしました。これは東京都社会福祉協議会と家族の会共催で週一回取り組まれています。
 千葉は、千葉大学看護学部の中島助教授の支援のもとせ、着実に家族の活動の輸が広がっています。民間の精神病院や社会福祉協議会の協力も得られるようになりました。知事あてに、「家族の会」千葉支部として手紙による訴えもしました。また支部独自で、会報も発行しています。
 埼玉は、「家族の集い」とは別に、県政モニターが呆け老人対策の意見書を提出しており、これ <0217< をきっかけとして、呆け老人の短期入所を始めていまず。
 愛知は、老人呆けに病院やるみ取り組んでいる山本病院の山本孝之院長の全面的な協カがえられており、また県議会でも呆け老人が取り上げられていまず。
 岐阜は、「人間であるために――老人呆けをなおしたある家族の場合」の著者である敷島妙子さんが中心となり、日本赤十字岐阜支部、社会福祉協議会、岐阜保険医協会および保健所保健婦の幅広い協力のもとで、毎回和やかな家族の集いがもたれています。こ <0218< のような活動のなかで、岐阜市長への要望書が提出されましたが、これに応えて、岐阜市でも東京都に次いで、短期入所が制度化されました。
 最初にできた支部である大阪は、講演・学習と家族懇談を毎月交互に開いています。医師、保健婦、老人ホーム園長など、各方面からの講演は好評です。また、日常的な相談の窓口として、朝日新聞厚生文化事業団の主催で毎週水曜日に電話相談が開設されており、毎回多数の相談が持ち込まれています。これには、近畿大学医学部の大国助教授 <0219< と呆け老人を看取った家族、ボランティアが応対しています。この電話相談活動が、『ぼけ相談室』(ミネルヴア書房)という一冊の本にまとめられました。広島では、保健所や精神衛生センターの熱心な応援で、「家族の集い」が開かれ、「家族のたより」が発行されています。また全国でも初めてと思われますが、保健所で呆け相談に取り組んでいるのも広島です。
 これに対し、島根では、老人ホームの職員など福祉関係者の協力で、「家族の集い」を県内に移動して開いています。この支部でも島根県に要望書を提出し、独自に呆け老人の実態調査を行いながら、行政への働きかけを強めようとしています。
 このような各地の活動は、家族、ボランティアが中心となり、世話人となって進められていることが多く、世話人自身も活動に不慣れで試行錯誤しているのが現状です。そこで、年一回の仝国総会とは別に、夏期に研修会を開き、各地の活動の交流と世話人自身の学習の機会をもっています。
 また、会員家族の介護実態のアソケート調査も一九八〇年十二月に行い、限られた対象ではあるが、全国的にみた呆け老人とその家族の状況が浮き彫りにされました。この調査結果は、「家族の会」が一九ハニ年一月の第三回全国総会で活動方針として決めた「社会的援助な求めての行政への働きかけ」の足がかりとなっています。
 行政への働きかけの一っとして、四支部で要望書の提出を行いましたが、京都支部が一九八一年十月に、京都府と京都市に提出した要望書を示します(表K・2)。<0220<
 各地の支部活動を理解し協力している病院、保険医協会、精神衛生センターなどが、日常的な相談の窓口として電話相談に取り組んでいます。老人の介護に困った家族、集いに参加できない家族が、悩みや苦労を語り、助言と励ましを受ける機会として活用されています。現在開設されている全国一ニカ所の電話相談は表K・3のとおりです。
 「家族の会」の結成以来、毎月「会報」を発行し、会員宅へ郵送しています。この会報は、家族の介護体験の手紙、各地の活動報告、呆け老人に関係した医学・医療・福祉の情報、出版物の案内、それに集いの案内を掲載しており、家族にとって日々の介護の支えとなっております。事務局には「月々会報が届くのが待ち遠しい」という会員からの手紙や電話が寄せられています。

 4 これからの「家族の会」

 家族の語り合い、励まし合いの場から出発した「家族の会」は、発足三年目に入り、各自治体、国への社会的援助を求める運動へと発展してきました。「家族の会」の活動が、マスコミでも広く取り上げられているため、呆け老人と家族に対する社会的理解と関心はかなり深まってきていると思われますが、行政の対応は、未だ遅々としていますし、医療と福祉の縦割り行政のなかで無策に近いといっていいでしょう。
 「家族の会」には、全国五〇万といわれる呆け老人の家族のごく一部しか加入していないため、会のカそのものもまだまだ弱いといわざるをえません。したがって、このような状況を打破するた=めには、なお地道で着実な運動を進めなければなりません。同時に、活動の原点である家族相互の話り合い、励まし合いの場を持続させる必要があります。さらに「家族の会」としてできる相談、訪問介護などのボランティア活動も広げ、現行の医療・福祉面での利用できる制度は利用していくよう開拓しなければなりません。

 【付記】「家族の会」は一九入二年入月、厚生大臣あてに以下の要望書を提出しまし、)た。

 呆け老人とその家族への援助と福祉の向上を求める要望書
 人口の高齢化、生活環境の変化などがすすむなかで、いわゆる「呆け老人」問題が深刻化していまナ。
 私たちは、家族の中に「呆け老人」をかかえて、日夜介護に追われ、心身ともに疲労の極に達している家族の集まりであります。
 それは、父であり、母であり、夫であり、妻である老人たちでありますが、その多くは、明治から大八正にかけて生まれた人たちで、数度の戦争を体験し、貧困の中でも誠実に勤勉に働き、私たち家族をそだて、戦後の日本の復興に貢献した人たちです。残念ながら年老いて、心ならずも呆けてしまったこれら老人は、いま政治や行政の手はまったくといっていいほどさしのべられず、家族の献身的な介護・負担にのみ頼って人生を送っています。 <0222<
 しかし、「呆け」なるがゆえの、その言動は、家挨を二四時間休みなしの状態におき、心身ともの疲労、家庭生活の混乱を招いています。
 私たち「家族の会」の行った調査によると、介護はその九割までが女性(妻、娘、嫁)の肩にかかり、援助者がいない、夜休めないなど深刻な悩みをかかえています。また施設の一拡充、医療の向上、訪問再看護などのの要望が出されています。
 私たち家族は、今日まで、自らのカで、「呆け老人」の介護をつづけてきましたが、いよいよ本格的な高齢化を迎えるにあたり、「呆け老人」は単に私たち家族のみの問題でなく、これからの時代を生きるすべての人々の問題であり、重大な社会問題であると考え、政治や行政が「呆け老人」とその家族の問題に積極的にとりくむべき時期だと考えます。
 したがって当面、次の諸点について、貴殿が行政施策にただちに反映されるよう要望するものです。
             記
一、地方自治体における日常的な相談窓口開設のため、必要な行財政措置を講じること。国立病院において、医師、保健婦、看護婦等による診療、相談体制を設けること。
二、保健所、福祉事務所による在宅介護家族への定期的な訪問と援助の実施・充実のため、必要な行財政措置を講じること。
三、特別菱護老人ホーム、病院等における短期入所制度を確立すること。また通所サーピス事業の対象に含めること。
四、特別保護老人ホーム等で、長期入所が可能なように必要な措置を講ずること。
五、介護家族に対して、介護手当の支給等、経済的援助を行うこと。 <0223<
六、老人呆けに関する総合的な保健・医療・福祉の研究を行うこと。当面特定疾患治療研究事業とすること。
七、「呆け老人をかかえる家族の会」に対して、物心両面の援助を行うこと。
    昭和五七年八月二三日
                       呆け老人をかかえる家族の会
                       本部役員会・代表高見国生


UP: 20140423 REV:
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