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『民族とナショナリズム』

Gellner,Ernest 1983 Nations and Nationalism,Blackwell Publishers
=20001222 加藤 節(監訳)・亀嶋 庸一・室井 俊通・西崎 文子 訳,岩波書店,254p.


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■Gellner,Ernest 1983 Nations and Nationalism,Blackwell Publishers =20001222 加藤 節(監訳)・亀嶋 庸一・室井 俊通・西崎 文子 訳,『民族とナショナリズム』,岩波書店,254p. ISBN-10:4000021966 ISBN-13:978-4000021968  \2520 [amazon][kinokuniya] er

■内容(出版社/著者からの内容紹介)
近代世界の形成に大きな役割を果たしながら、これまで十分理解されてこなかった民族問題。「ナショナリズムとは何か」という難問に、英国哲学界の巨人ゲルナーが、政治社会学、社会人類学などの該博な知識を駆使して解明を試みる。「第1級のナショナリズム研究書」と高く評価されてきた名著、待望の全訳。

■内容(「BOOK」データベースより)
「近代世界の形成と再形成とに果たした力は明白でありながら、それに取りつかれていない人間には依然として他人事で理解不可能なままにとどまっているナショナリズム」、その本質は何か、この難問に、英国哲学界の巨人ゲルナーが、政治社会学、社会人類学などの該博な知識を駆使して解明を試みる。1983年の刊行以来、「第一級のナショナリズム研究書」と高く評価され、大きな影響を与えてきた現代の名著、待望の完訳なる。

■目次

第1章 定義
  国家と民族
  民族
第2章 農耕社会における文化
  農耕−識字政治体における権力と文化
  文化
  農耕社会における国家
  農耕社会の支配者の種類
第3章 産業社会
  永続的成長の社会
  社会遺伝学
  普遍的高文化の時代
第4章 ナショナリズムの時代への移行
  ナショナリズムの弱さについてのノート
  野生文化と園芸文化
第5章 民族とは何か
  真のナショナリズムの歩みは決して順調ではなかった
第6章 産業社会における社会的エントロピーと平等
  エントロピーへの障害
  亀裂と障壁
  様々な焦点
第7章 ナショナリズムの類型
  ナショナリズムの体験の多様性
  ディアスポラ・ナショナリズム
第8章 ナショナリズムの将来
  山陽文化―― 一か多か
第9章 ナショナリズムとイデオロギー
  誰がニュルンベルクの側に立つのか
  一つの民族、一つの国家
第10章 結論
  何が語られていないのか
  要約

■引用
※本文中の傍点は下線で示す。

「人は一つの鼻と二つの耳とを持つように、ナショナリティを持たねばならない。それらのうちの個々のものを欠くことは考えられないわけではなく、実際に時折起ることではあるが、それは何らかの災難の結果起るものであり、またそれ自体が一種の災難なのである。こういったことはすべて当たり前のように思えるが、残念ながら真実ではない。しかし、これが、あまりにも明らかな真実であると思われるようになったこと自体が、ナショナリズムの問題の一つの側面、あるいはその中心を占めるものなのである。民族を持つことは、人間性の固有の属性ではないにもかかわらず、今ではそう思われるようになっているのである。
 実際、民族は、国家と同じように偶然の産物であって、普遍的に必然的なものではない。民族や国家が、あらゆる時代にあらゆる状況の下で存在するわけではない。さらに、民族と国家とは、同じ偶然から生れるものでもない。」(p.11)

「近代的な意味での民族という規範>0011>的な概念が、それに先立つ国家の存在を前提としていなかったのではないかという問題は、さらに議論されなければならない。
 だとすれば、偶然的でありながら、われわれの時代においては普遍的で規範的に見えるこの民族という概念とは、いったい何なのであろうか。以下の二つの定義について議論することは、それらが当座しのぎで一時的なものであるとしても、このとらどころのない民族という概念に焦点を合わせるのに役立つであろう。
 @二人の男は、もし、彼らが同じ文化を共有する場合に、そしてその場合にのみ、同じ民族に属する。その場合の文化が意味するのは、考え方・記号・連想・行動とコミュニケーションとの様式から成る一つのシステムである。
 A二人の男は、もし、彼らが同じ民族に属していると認知する場合に、そしてその場合にのい、同じ民族に属する。換言するならば、民族は人間が作るのであって、民族とは人間の信念と忠誠心と連帯感とによって作り出された人工物なのである。(例えば、ある領域の住人であるとか、ある言語を話す人々であるとかといった)単なる範疇に分けられた人々は、もし彼らが、共有するメンバーシップの故に、互いにある相互的な権利と義務とを持っていると固く認識するならば、その時、民族となる。ある範疇の人々を民族へと変えていくのは、お互いがそのような仲間であるという認知であって、何であれ、彼らをメンバー以外の人々から区別するような他の共通する属性ではないのである。>0012>
 一方は文化に、他方は意志に力点を置いた以上二つの定義は、それぞれ長所を持っており、どちらもナショナリズムを理解するのに真に重要な要素を取り出している。しかし、そのいずれもが十分ではない。第一の定義の前提にある規範的というよりは人類学的な意味での文化の定義は、周知の難点を含み、満足のいかないものである。この問題に接近するには、形式的に定義することをあまり試みることなしにこの言葉を使い、文化が何をなすのかを探っていくのが最良の途であろう。」(p.12-13)

「 民族を生みだすのはナショナリズムであって、他の仕方を通じてではない。確かに、ナショナリズムは以前から存在し歴史的に継承されてきた文化あるいは文化財の果実を利用するが、しかしナショナリズムはそれらをきわめて選択的に利用し、しかも多くの場合それらを根本的に変造してしまう。[……]ナショナリズムが利用する文化的断片や破片は、たいていは恣意的な歴史的作り物である。[……]他方で、ナショナリズムの原理それ自体については、その時々の化身のためにたまたま取った姿とは反対に、少しも偶発的でも偶然的でもないというようには決してみなされないのである。」(p.95)

「 ナショナリズムによって行われる基本的な欺瞞と自己欺瞞とは次のようなことである。ナショナリズムは、その本質において、以前には複数の低文化が人口の大多数の、ある場合にはそのすべての人々の生活を支配していた社会に、一つの高文化をあまねく行き渡らせるのである。それは、かなりの程度精密で官僚的かつ科学技術的なコミュニケーションの必要に応じて成文化され、学校で伝達され、学士院の指導の下に置かれた慣用句が広く普及することを意味している。それは匿名的で非人格的な社会の確立であり、この社会は、極小集団がそれぞれ土地ごとに特有な形で再生産する民衆文化によって支えられた地域の諸集団からなるかつての複雑な構造に代わって、もっぱら上記の類の共有文化によって結合されている相互に互換可能で原子化された諸個人から成り立っている。これこそが本当に起きていることである。>0097>
 しかし、こうしたことは、ナショナリズムが断言していることの、そしてナショナリストたちが熱狂的に信じていることのまさに反対である。ナショナリズムは、通常、一般に民衆文化と思われているものの名において征服するからである。その象徴記号は、農民や〈ナロード〉や〈フォルク〉の健康的で素朴で生き生きとした生活から引き出されてくる。」(pp.97-98)

「産業化は流動的で文化的に同質的な社会を生じさせ、その社会は、以前の安定的で階層化され教条的で絶対論的な>0124>農耕社会には欠けていたような、平等主義への期待と渇望とを持つ。同時に、産業社会は、その初期の段階で、きわめて厳しい、苦痛に満ちた、きわだった不平等を生じさせる。しかも、この不平等は、大きな社会不安を伴うが故に、そして、産業化の初期の段階では、不利な立場に置かれた人々が相対的のみならず絶対的な苦難を蒙りがちであるが故に、一層苦痛に満ちたものとなる。そのような状況――平等主義的期待、不平等主義的現実、苦難、そして願望されてはいるが未だ実現されていない文化的同質性――では、潜在的な政治的緊張が深刻なものとなり、この緊張が支配者と被支配者、特権的な人々と非特権的な人々とを分ける適当な象徴や識別マークをつかむことができれば、それは現実化してしまうのである。」(pp.124-125)

■書評・紹介

■言及



*作成:石田 智恵
UP:20081027 REV:
民族・エスニシティ・人種(race)  ◇身体×世界:関連書籍 2000-2004  ◇BOOK
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