『明かしえぬ共同体』
Blanchot, Maurice 1983 La communaute inavouable, Minuit
=198410 西谷 修訳,『明かしえぬ共同体』,朝日出版社→199706,ちくま学芸文庫,252p.
■Blanchot, Maurice 1983 La communaute inavouable, Minuit=198410 西谷 修訳,『明かしえぬ共同体』,朝日出版社→199706,ちくま学芸文庫,252p. ISBN-10: 4480083510
ISBN-13: 978-4480083517 \987 [amazon]/[kinokuniya] p0601
■内容紹介
1930年代に右翼のジャーナリストであったブランショは、自分の過去を封印して文学に転じて以来、みずからの政治体験については沈黙を守ってきた。ところが83年になって、ジャン=リュック・ナンシーによる画期的なバタイユ論『無為の共同体』が発表されると、それに触発されたかのように、突然に「政治的」ともいえる本書を発表した。
ジョルジュ・バタイユはブランショの友人であり、30年代にシュールレアリストや極左のグループ、秘密結社のうちに共同体の幻影を求めては挫折をくり返した。結局、バタイユは孤独な内的体験に恍惚(こうこつ)を見いだしたが、ブランショによれば、それがすなわち共同体を断念したことにはならない。バタイユはファシズムや共産主義といった、国家や民族という単位に収束してしまう偽りの共同体をあきらめただけで、共同体の不在はバタイユに苦悩にみちた夜のコミュニケーションである「書くこと」を要請し、別次元での共同性の開示をせまった。それが、孤独を生きることを前提とする文学空間だったのだという。
併録されている「恋人たちの共同体」は、マルグリット・デュラスの愛の作品『死の病い』を論じたものだ。ここでブランショは、ふたりの男女が触れあうたびに埋めようのない差異をきわ立たせ、絶対的な他者でしかないと思い知らされるような地平に「共同体をもたない人びとの共同体」の可能性をみようとしている。(渡辺和久)
内容(「BOOK」データベースより)
共産主義を鼓舞しながら、その裏切りや挫折のうちに潰えていったものは何だったのか?今世紀を貫く政治的文学的体験における「共同体」をめぐる思考を根底から問い直し、「共に存在する」ことの裸形の相に肉薄する。それはいっさいの社会的関係の外でこそ生きられる出来事であり、そこで分かち合われるのは逆説的にも複数の生の「絶対的分離」である。ハイデガーの「共存在」を換骨奪胎し、バタイユの共同体の試みやデュラスの愛の作品、そして「六八年五月」の意味を問いながら、「共同体の企て」やその政治化の厄々しい倒錯を照らし出し、「共同体」を開放系へと転じる20世紀のオルフェウス、ブランショの思想的遺言ともいうべき書。
■著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
ブランショ,モーリス
1907年生まれ。文学という既成の制度を超えて、書くことを人間存在の根源的な体験“死”と結びつけ、これを小説化する一方、マラルメ、カフカ、ニーチェなどをめぐる批評を展開、文学的思考をひとつの極限まで高めた
西谷 修
1950年生まれ。明治学院大学文学部教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
■紹介・言及
◇立岩 真也 2006 『希望について』文献表
◇立岩 真也 20060710 『希望について』,青土社,320p.,2310 ISBN4-7917-6279-7 [kinokuniya]/[amazon] ※,
◇橋口 昌治 200908 「格差・貧困に関する本の紹介」, 立岩 真也編『税を直す――付:税率変更歳入試算+格差貧困文献解説』,青土社
*作成:橋口 昌治