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『一樹の蔭』

大谷 藤郎 19821201 日本医事新報社,290p.

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last update:20160116

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■大谷 藤郎 19821201 『一樹の蔭』,日本医事新報社,290p. ASIN:B000J7I48Y 欠品 [amazon][kinokuniya] ※ lep. ms

■内容

(出版社内容情報)
折にふれて書き留めたものを一冊にまとめて上梓した好エッセイ集。前半は厚生省の職務にまつわるハンセン氏病,精神病,伝染病,看護のことを,後半は身辺の出来事や折々の師,忘れがたき友人について,きめ細やかにエピソードがつづられている。題名の『一樹の蔭』は,「一樹の蔭 一河の流も 他生の縁」(説法明眼論)よりとっている。

■目次

春風花開日
A Mind That Found Itself
 全国精神障害者家族連合会(ぜんかれん)の生れるまで 59-73
 ※19820120の講演 cf.全国精神障害者家族会連合会(全家連)
 ※この本では「全国精神障害者家族連合会」となっている。
黄色い血
オピニオン・メッセージ&エトセトラ

 「理学療法・作業療法について――矢谷令子氏の質問に答えて」 125-130 初出:197509 『理学療法と作業療法』9-9
 「昭和四十年に精神衛生法の改正が一段落すると、私は北欧諸国に「クロニック・ディジーズ・コントロール」というテーマを与えられて勉強に出かけ、そこでリハビリテーション施設に働くPT・OTや、またそれを養成する学校をみせてもらいました。PT・OTの殆どが若い女性であっ△126 ったこと、ぴっちりしたトレパンを身につけ、金髪をふり乱して大の男をかかえて奮闘しくいる姿、ある病院の水治療訓練には、水着姿の女子学生が数十人も青々とした水のプールを出たりはいったり、みんな美人揃いでまるで水着ショーのようであったこと、この北欧旅行は私のそれまでの暗いPT・OT観をいっぺんに払拭したのです。
 その年の末にヨーロッパから帰国しましてすぐ、医事課の方へ配置換えになりました。医事課では理学療法士・作業療法土法が国会を通過したばかりの頃で、法律制定に伴う政省令作成の作業を行わなければならず、学校の指定基準や国家試験のたとなど細部についていろいろ定めなければならないときでした。
 さていろいろの準備がととのって試験問題の作成が終り、第一回の国家試験が行われ、きびしい筆答試験のあと実技試験が行われました。当時病院のあんま・マッサージの方々の既得権をめぐっていろいろいきさつがありましたが、目の悪い方で筆記試験は折角通過したが実技試験がとても難しくて通らないということがあり、私は大阪の試験場でその方々が目が不自由なためにせっかく筆記試験が通りながら実技で落ちられるのを眼のあたりにして、欧米先進国のように「資格は近代化した厳重なものでなければならない」という主張に賛成する気持の一方では、現実に筆記試験に合格していながら目のハンディキャップのために落ちていかれる姿をみては胸が痛くなる思いをしました。△127
 たしかに第一回の国家試験以来非常にきびしい国家試験を行ってきて、その効果は十年後の今日つよくあらわれています。PT・OTの社会的評価は大変高いものとなりました。しかし一方、進一歩一のためには止むを得なかったといいながら、また筋違いだといってしまえばそれまでりことですが、目の悪い何千人という病院でのあんま・マッサージの関係者の方々の必死の勉強の努力と失意を思うとき、今でも暗然たらざるを得ません。
 医務局から三年ばかり他の局にうつった後、昭和四十七年に国立療養所課へまいり、百六十の国立療養所、七十八の看護婦学校、二つのリハビリテーション学院の運営に携わることになったのです。国立療養所は特殊な慢性疾患の入院治療を担当しており、リハビリテーションのウエイトが非常に高いのです。しかるにこれに関係する専門職種は助手も含めて非常に少なく、リハビリテーションを十分行うのにはまことにプーアな状態です。[…]」(大谷[1975→1982:126-127])

朝露の如し
春蘭秋菊
戦中戦後
日曜画家

■引用

■書評・紹介・■言及

◆立岩 真也 2018 『病者障害者の戦後――生政治史点描』,青土社


*作成:安田 智博
UP:20160116 REV:20180720
大谷 藤郎  ◇ハンセン病  ◇病・障害  ◇身体×世界:関連書籍  ◇BOOK
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