『主婦論争を読むI 全記録』
勁草書房,viii+241p. ISBN: 432665032X
*このファイルの作成:村上潔(立命館大学大学院先端総合学術研究科・2004入学)
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/g/mk01.htm
■上野 千鶴子 編 19821130 『主婦論争を読むI 全記録』,勁草書房,viii+241p. ISBN: 432665032X 2266→3045 [kinokuniya] ※ *r
◆石垣 綾子 195502 「主婦という第二職業論」(↓)
『婦人公論』1955-02→上野編[198211:002-014]
◆坂西 志保 195504 「「主婦第二職業論」の盲点」(↓)
『婦人公論』1955-04→上野編[198211:015-022]
◆清水 慶子 195504 「主婦の時代は始まった」(↓)
『婦人公論』1955-04→上野編[198211:023-033]
◆島津 千利世 195506 「家事労働は主婦の天職ではない」(↓)
『婦人公論』1955-06→上野編[198211:034-047]
◆福田 恆存 195507 「誤れる女性解放論」(↓)
『婦人公論』1955-07→上野編[198211:048-060]
◆石垣 綾子 195508 「女性解放を阻むもの」(↓)
『婦人公論』1955-08→上野編[198211:061-072]
◆田中 寿美子 195510 「主婦論争とアメリカの女性――主婦第二職業論によせて」(↓)
『婦人公論』1955-10→上野編[198211:083-096]
◆平塚 らいてう 195510 「主婦解放論――石垣、福田両氏の婦人論をめぐって」
『婦人公論』1955-10→上野編[198211:073-082]
◆関島 久雄 195609 「経営者としての自覚をもて――主婦は第一職業である」
『婦人公論』1956-09→上野編[198211:097-109]
◆大熊 信行 195610 「家族の本質と経済」
『婦人公論』1956-10→上野編[198211:110-120]
◆梅棹 忠夫 195705 「女と文明――女房関白の時代が来つつあるのだろうか」
『婦人公論』1957-05→上野編[198211:121-134]
◆大熊 信行 195706 「主婦の思想」
『婦人公論』1957-06→上野編[198211:135-134]
◆邱 永漢 195710 「男女分業論」
『婦人公論』1957-10→上野編[198211:148-162]
◆丸岡 秀子 195710 「夫妻共存論」
『婦人公論』1957-10→上野編[198211:163-176]
◆都留 重人 195905 「現代主婦論」
『婦人公論』1959-05→上野編[198211:177-190]
◆梅棹 忠夫 195906 「妻無用論」
『婦人公論』1959-06→上野編[198211:191-206]
◆梅棹 忠夫 195909 「母という名の切り札」
『婦人公論』1959-09→上野編[198211:207-220]
◆上野 千鶴子 19821130 「解説 主婦の戦後史――主婦論争の時代的背景」
上野編[198211:221-241]
■石垣 綾子 195502 「主婦という第二職業論」
『婦人公論』1955-02→上野編[198211:002-014]
銀行就職:"美人であること"
「職場は結婚するまでの腰かけ場であるから、働く女性の多くは、自分の仕事に真剣ではない。これはと思う結婚のチャンスがあれば、あっさり職業をなげだして、家庭に入り、主婦になってしまう。また、結婚の当座は夫婦共かせぎをしても、夫の経済力がよくなれば職業をすてようと思っている。女は全生命を仕事にうちこんで、職場で自分の地位を築きあげようとするねばりは、あまり、みられない。だから雇う方でも、女は臨時やといぐらいにしか取り扱っていない。 /腰を浮かして働く女性が多いために、真面目に、職業人として生きようとする少数の女性は大きな損害をこうむっている。けれども現在のところ、働く女性の大多数は、結婚するまで数年の空白を埋めるために、働いて、嫁入りの費用をためるというだけで、すましこんでいるから、職業に生きようとする少数の女性は犠牲にされている」(pp.2-3)
結婚した女を職場から閉め出そうとする気配が強くなってきた
「それにしても、全体の数からみれば、職場はいい加減で切りあげて早く適当な結婚をし、妻という安定した地位を得ようとする女性の方がはるかに多い」(p.3)
「(…)女は職場で停年制をきめられなくとも、結婚できる女は、三十歳頃になるまでには、自分できめた停年制に従って、家庭の女となってゆく。(…)心の中は不平不満にみちているけれども、やがて家庭という女の安全地帯に隠退することを考えているから、職場で女の上にふりかかってくる困難を押し切って進んでゆこうとはしない」(p.4)
「男性と対等の地位と待遇を要求するならば、男と同じように、職場に生きぬく覚悟がなければならない。(…)男は生涯を通して職場にしばりつけられているが、女は主婦になるという第二の職業が、いつでも頭のなかにあるから、第一の職業である職場から逃げごしになっている。結婚して、安易な家庭生活を求め、夫に頼って生きるという態度を、女は断念しない以上、職業婦人としてたってゆく資格はない。(…)結婚しても働かなければならない社会状態になっているのであるが、女は長い間の習性から、男性にたよって生きるという考えを捨てきっていない」(p.4)
「泣き言のあげく、女は職場を去って結婚し、男によりかかるという気持を持っているならば、独立した人間とはいえないではないか。自らの怠慢によって、不平等な女の立場を招いている、という事実に、目をふさいではならない」(p.5)
「女が職場を去って、つぎには主婦という第二の職業を得るのであるが、近代の女性は決してそこで満足はしていない。(…)大多数の女は、安住の地として、主婦という第二の職業にとびこんでゆくが、それはたいして魅力に富んだものでは決してない。彼女が聡明であり、考える女、知的な女であればあるほど、主婦の怠屈な変化のない生活に、飽き飽きしている。なぜ、こんなことになったのであろうか」(p.5)
「多くの家庭婦人は、主婦のつとめだけに飽き足らず、もっと、やり甲斐のある任務を求めている。求めあぐんで、いらだっている」(p.6)
家庭の性格の変化:主婦が消費者に
近代的家庭設備の発達:家事労働は楽になった
「ところが家事の負担はかるくなっているのに、主婦は相かわらず、忙がしい、忙がしい、と愚痴をこぼしている。私たち主婦は、ほんとうに時間を合理的に使っているであろうか。家事の雑務は祖母の時代より減っているのに、そこに浮いてくる主婦の精力を、無駄にしてはいないであろうか。私たちは主婦という第二の職業に甘えていはしないであろうか」(p.8)
「主婦の心はふやけている。昔の主婦が背負っていた重荷からときはなたれても、相かわらず、無計画に家庭の雑事に追いまわされて、人生の貴重な時間を、毎日、いい加減にすごしている。これで満足できるはずはない。 / 社会に出て働く人間は、男でも女でも、たえず外界との接触によって、精神を刺激され知的な新陳代謝をうけている。ところが家庭の安全地帯で、朝から晩まで、同じ仕事を永遠にくりかえしている主婦は、精神的な成長を喰いとめられる。知的な鋭さを次第に失って、鈍い頭脳へと退化してゆく危険が多い」(p.9)
「主婦は子供が成長してしまうと、はり切って全身を打ちこむ仕事がなくなり、精神的な不安が、胸の中に頭をもたげてくる。毎日、家事に追われてはいるけれども、こんな生きかたで、よいのであろうか、と疑問をもちだしたのである。反省をもちだした主婦に向かって、『誇りをもて』と強要しても、誇るべきものがなければ、一体どうして誇りがもてるであろうか」(p.10)
「女の場所は家庭であるといわれても、主婦の仕事は減ってゆく一方である。主婦という第二の職業に、女が飽き足らなくなったのは、当然なことではなかろうか」(p.11)
「ところが、現実の日本の社会機構には、つとめたくとも職場がないという矛盾がある。また女の個人的な能力の不足から、職場生活の途がひらかれないという困難もある。家庭と職場の両立は、決してなまやさしい途ではないけれども、女の目ざす理想は、そこにあると私は思っている。女は主婦になるという『特権』に甘えてはならない」(p.11)
「家事労働の負担は、少くなっているのに、合理的に働こうとはせず、時間を浪費しながら、いたずらに不平と泣きごとをならべているのは、あまりにも、自分を甘やかしすぎてはいないであろうか。(…)主婦だけがみじめでしいたげられているという錯覚は返上しよう。主婦は台所を這い廻っているのに、『男は外で勝手なことをする』と、男をうらやんでいるのは、馬鹿げたことではないか。女性は、自分の手で、途を切り開く覚悟をもたねばならない」(pp.11-12)
「女は封建的な桎梏から解放されたのに、自分自身の心に、封建性の枷をはめている。それで女は、主婦という第二の職業から解放されるであろうか」(p.12)
(庶民の)女のたくましさ、母としての精神力の強さ
「私たち主婦は、もう一度、自分の家にある素晴らしい力を呼びだすことに努力するべきであろう。それは家庭労働の価値を、誇大にして、主婦として無理な誇りをもつことではない。また、家事労働がどんなに辛いかと愚痴をならべて、男の同情をひくことでもない。毎日くりかえす家事に、無駄はありはしまいか。知識を求めるかわりに、不平とおしゃべりで、気晴らしをしていやしまいか。無意味な、空虚な生活の中で、衣装やお化粧の外形に捉えられすぎてはいないであろうか」(pp.12-13)
「職場の女性は結婚に追いかけられて、仕事はおろそかになり、若さのもつ美しさだけにとりすがっている。それだけが生命であってほかには何ものも持っていないから、おしゃれだけに夢中になっている。健康を犠牲にし知的な生活を放棄して、化粧や流行に追われている。婦人雑誌の大半は、おしゃれに頁の大部分をさいている。(…)ほんとうのおしゃれは、知的な輝きの中から咲き出てくるものでなければならない。職場の女も、家庭の女も、精神がふやけていれば、どうして女の解放があり、男女平等を要求できるであろうか」(p.13)
「家庭の雑事が社会の職務となってゆく以上、女は職場という第一の職業と、主婦という第二の職業を兼ねてゆかねばならない。経済的にゆとりのある女だからといって、職場についてはいけないという理由はない。働くことは、男にとっても女にとっても人間としての権利であり義務である。 / けれども、資本主義社会は、家庭の役割をかえておきながら、主婦のために、職場を充分に提供することもできないし、社会保障制度は中途半端であるために、子供をもつ母親は、社会に出て働くことはむずかしい。この不合理と矛盾を解決するために、新しい社会の実現のために、自分の力と努力を注いでゆくことが、女のよろこびであり、誇りであると私は考えている」(pp.13-14)
■坂西 志保 195504 「「主婦第二職業論」の盲点」
『婦人公論』1955-04→上野編[198211:015-022]
「ところが日本では外に出て働き、経済的の権力を握っているものが上にあって、それよりも多分もっと重大な仕事をしているけれども、現金収入をもたない主婦は何か地位の低いものというふうに考えられてきたでしょう」(p.16)
「そういう考え方をまず根底から叩き直して、主婦という一つの重大な任務が、現金収入には評価されなくても、それ以上のものをもっているということを、男女ともに認めなければ困ると思うのです」(pp.16-17)
主婦は職業といいたければいってもいい。ただ、それなら夫も職業、親も職業。
「ですから、主婦としての役目というものは職業であるけれども、普通の現金収入をもたらすものにくらべれば非常に格が低くて見下げていいものだ、というふうな卑屈な考えはここで一掃していただきたい」(p.17)
(1) 女性が家庭を運営してゆくことが大きな責任であるという自覚
(2) 女性も家をきりもりし、子供を育て、社会的責任をはたすということにおいて、自分が育ってゆかねばならない ――「今まで既婚女性は、主婦の座に安定してしまってあぐらをかいていたからこそ、いまのように軽んじられるので、これから自覚して毎日々々の仕事がほんとうの自分を育ててゆく一つの道だと考えて行ったら、自分の張りが出るだろうと思うのです」(p.17)
「しかし問題は現在主婦となっている人よりも、それ以前にあると思うのです。それは学校を出てから結婚するまでの間に何年かあるでしょうけれども、その間に私はあらゆる人が働くべきだと思うのですよ。単に自分はこれからお嫁にゆくのだから家[うち]にいて家事でも見習ってというのではなく、社会人として生きてゆくために一応広い社会のことに目をつけていただきたいと思う」(pp.17-18)
社会奉仕の仕事をするとか
それ以前に(学校)教育を受けることで、自分が生活してゆく技能・素質を持つ
「ただし石垣さんのいわれたように、結婚した女性でも誰でも、必ず仕事を持ちつづけなければならないということはいえないと思うのです」(p.18)
女性たちが家庭から社会へ出ることによって、「経済的の自由を獲得したと同時に、今度はそれ以上のもっと尊いものを失ったのではなかったか。(…)もし自分がほんとうに主婦という、母という、また妻という重大な任務を意識して、ほんとうにそれに力を注ぎこんだならば、こういう不幸にならなかったろうと思うような経験をたくさんしたあとで、彼らが到着した考え方というものは、結局は、『手鍋下げても』ということだったのです」(p.19)
「私自身は、いまの日本の家庭における婦人の立場は非常に不安定であるし、それからいまのとおりじゃたしかにいけないと思うのですよ。またできるならば、現在のような非常に行きづまっているときには、あらゆる家庭の、できるだけの人が外に出て働くことはいいと思うのです」(p.20)――しかし環境が整っていない
人それぞれ、働くのは自由。が、「誰でも一様に外に出て働かねばならぬという意識は、今後捨てていただきたいということです」(p.21)
腰かけでもいい。でも打ちこんで働け。
「いったい自分は一生この仕事につぎこむなんていうのは、尼さんか何かでないとないわけです。ちょっとまともな顔している人だったら、自分の理想とするところは、ほんとうにいい相手を見つけて結婚することだ、と誇りをもっていいますよ。ですから、結婚するしないをちっとも構わずに、能力のある人だったらどんどん昇給さしてくれるし、それからまた自分の生活は伸ばしてくれる。ただし、こういうことは、はっきりいえると思います。たとえば、私がここで一つの事業を経営しているとしますね、男の人も女の人もいる。ところが、ここに非常にいい女の人があって、この人に仕事をさせたいと思っても、これが永続性のある仕事であって、それをずうっと伸ばしてもらいたいと思ったら、やっぱり私は男の人を選びますよ。これはアメリカでも事実そうなんです。というのは、結局は女の人は結婚するもの、男の人は職業を自分の一生の仕事としている、という区別があるからです。ですけれど、それでいいと思うのです。女の人は結婚によってもっと大切な仕事があるのですから。ですから女の人は、自分の仕事にもう少しほんとうの働き甲斐というものを見つけ出して、いたずらに男の人と競争することをやめたらどうですか。いつでも男の人と自分を比較して、自分は優遇されないとか、自分は能力を認められない、とかいうことをいっているけれど、そういう考え方は自分を不幸にするばかりでなく、またいろんな点でハンディキャップを自分でつけるのですよ」(p.21-22)
■清水 慶子 195504 「主婦の時代は始まった」
『婦人公論』1955-04→上野編[198211:023-033]
「主婦という言葉は何時頃から使われ出したか知らない。主婦が第二職業か否か、そんなことは私には興味がない。私は一人の主婦として、主婦という名を愛している。近頃では主婦たちの目覚しい活動を知るたびに、主婦の名に誇りあれ、とすら感じている」(p.23)
主婦:「日本中では千五百万の大群である。マッスである。 / この主婦の大群の大部分は、自分の職業を持っていない」(p.23)
「(…)こうした重要な位置にいる主婦の層が、何か事に当って怒り出して、ゼネストの代りに、全国的な抗議運動の形で主婦の意志を当局につきつけたならば、それは当局を動かす大きな力である。 / 戦前にも主婦の社会的な動きはあった。けれども、その人たちは、主婦には違いないが、いわゆる名流婦人という資格で物を言った。そしてその運動はそういう人たちの名前が重みをもっていた。愛国婦人会などはその適例である。こうした団体では、何かするとしても、庶民の主婦の一人ひとりの気持や、願いや、利害といったものが下から盛り上がって来たというのではなかったのである」(p.24)
「戦争は終った。主婦はモンペをぬいた[ママ]が、もはや主婦の本質は変化した。つまり、戦争、敗戦の苦しい試練は、日本の主婦を賢くし、もはや二度と元の地点へは立戻れぬものに変えていたのである。新憲法は、人間の幸福とは何か、ということに目覚めた主婦たちの新しい気持ちにそっくり叶うものであったし、その願いを生かすものであった。殊に婦人が一票を得たということは主婦という層が大きく変らざるを得ない決定的な条件であった。(…)男たちが戦後に全く元気を失ったのに反して、主婦たちは、戦争中に頑張ったあの頑張りを、いためつけられた家庭と社会とを立て直すことの中に見せて来た」(p.25)
「もはや、戦後の婦人の動きというものは、昔のように名流婦人だれそれの動きではなくなった。身軽で気軽な女子学生たちの動きでもなかった。家庭の外で働く職業婦人たちの動きでもなかった。主力は、家庭にいて家事に追い廻されている、ごく普通の、平凡な、ただの主婦たちに移った」(p.25)
「家庭のワクを超えて、主婦の目が社会を注視しはじめたというのであろうか、家庭のワクを超えて、主婦はその手足を社会のために使いはじめたというのであろうか、町や村の婦人組織の活動は、名もない主婦の一人ひとりの願い、あるいは怒りを軸にして始まった」(p.25)
1952年の前進:
・手をつないで起ち上がった主婦群
・主婦の一人ひとりが、自分の考えを書いて訴え出した
53年・54年と一層の発展
「主婦の層はもはや国内の眠れる層でなく、最も感じ易く、最も打てばひびく層になったのである」(p.28)
地方で、それぞれの地域で地道な活動
主婦の読書会、勉強会
「こういうグループが、他の婦人の組織と並んで、今まで家の中だけにこもっていた主婦を家庭の外へ連れ出す道になり、主婦の社会的な動きを支える強い根の役目を果たしている」(p.29)
公明選挙運動
子どもを守る運動
主婦連合会など、生活を守るための主婦の動き cf.炭婦協、日鋼室蘭の主婦たち
54年:全国的な主婦の活動――ビキニの死の灰への抗議、黄変米拒否、憲法改悪家族制度復活反対など
「平和、これは日本の主婦の至上命題である」(p.31)
「1955年の主婦は、もう社会の下づみではない。平和を守るため、婦人の権利を守るため、子どもを守るため、生活を守るために主婦が先頭にたってたたかうことを社会から求められるであろうし、主婦自身進んでそれを引きうけるであろう」(pp.31-32)
☆「職業人として一日外で働いている夫や同性は、正直にいって主婦たちのような自由で精力的な活動はできぬ。主婦は男たちや職業婦人の動けぬところを引きうけて、その願いもこめて、社会を住みよくするために活動するのだ。この姿は日本の新しい希望である。主婦という層は、ほんの少しの例外を除いたら、みんな時間にもお金にも余裕のないのが普通である。その時間の余裕もお金の余裕もない主婦たちが、家の中のことをやりくりして、町でも村でも動き出したということ、これが日本にとって大へんな変化なのである。主婦たちは日本の良心の役目をして日本の政治のやり方を刺激し、監督し、不正に対しては抵抗する。そして、そうすることによって、主婦たちはまた自分らの力を知り、成長してゆく」(p.32)
「主婦の時代は既にはじまった。1955年は一段と明らかに主婦の年になるであろう。私は主婦に期待する。一人でも多くの主婦が目覚めることを、そしてみんなで手をつないで、国内的、国際的に山積する日本の問題を、平和と幸福を守る方向へ正しく解決するための推進力になることを」(p.33)
■島津千利世「家事労働は主婦の天職ではない」(『婦人公論』1955年6月号)
「家事労働が女性だけの仕事であるかぎり、それは女性の進歩をさまたげている不断の障害ではないだろうか。そして現在の条件のもとでは、働く女性は、自分一人の生活をも保障されず、また、保障される約束さえないのではあるまいか。もしそうだとしたら、いま女性たちのおかれている不平等な地位を、実際にとり除くことが果してできるだろうか」(p.35)
石垣・坂西は「積極的に家事労働を神聖化している。つまり、家庭の雑事は、何か社会的生産労働と同じものか、それ以上の性質をもつものと考えられている」(p.36)
「しかし、このような議論は、少くとも現在の主婦の位置を前提にして、その上で生活態度だけを問題にしているといえるだろう。 / ところが問題の焦点は、実は資本主義の発展のもとで、男女平等の条件が次第に準備されてきているとき、現実に支配している不平等は、いったいどこから起ってくるのか、それはまたどのような目的のために、何によって強められているのか。これに対して主婦は、女性は、どう対処してゆくのか、というのことにあるのではあるまいか」(p.36)
「いったい「第二職業論」では、主婦はまた女は、非常に無気力な、怠慢な、おろかな存在のようである。かりにそうだとしても、では、何が女をおろかにし、誰が無気力にしているのか。女にだけ責任があるときめつけることが、果して正しいだろうか。 / また「主婦第二職業論の盲点」では、生活に余裕のあるほんの少数の女性だけが、対象に考えられているようにも思える。もしそうだとすると、誰でも一様に外に出て働けといわなくてもよい、という「主婦という第二職業論」への反駁が出てくるのは当然であろう」(pp.38-39)
近代的な設備は経済的に余裕のある家庭にだけしか備わっていない――「したがって、現在の大部分の主婦の家事労働は、それをいかに整備したところで、社会に役立つ仕事を、系統的に、永続的にしてゆくことはまず不可能ということになろう」(p.40)
「現在の主婦の多くは、合理化しようにもしようのない住宅その他の設備や、家の雑事を出来るだけ片づけて、社会的労働――社会が存立してゆく上に必要な労働――に従事しているのである」(p.40)
「資本主義は、こうして平等の社会的条件を一方でつくりながら、しかし、また他方では、不平等の条件をますます強めようとするのである。それは、一般の賃金水準を低くとどめておくために、男女間の不平等な競争は、もっとも自然な、もっとも簡単な武器だからである」(p.41)
・「〜盲点」:女性に無権利の神聖さを教えることになる
・「第二職業論」:家事労働プラスXという方向に解決しようとする限り、本質は同じ
「主婦は職業であるとか、家事労働を賃金に換算せよとか、尊いものであるとかいう議論をよそに、また、資本主義の産業上の諸成果であるところの、電気洗濯機などを買うといった個々の、また、かぎられた、家庭の合理化とは別に、私的な家事労働が社会的な産業に転化し、発展するという動きは、これまた必然のなりゆきとなっている。大部分の働く主婦にとっては、この方法以外に解決の道はないのである」(pp.44-45)
「働く者すべての幸福を目的とした社会制度が実現されれば、私的な家事労働は、女性の手から次第に意識的に、社会に移されてゆくにちがいない。そして、おそらく、最小限の家事だけが、純粋な、人間的な愛情で結ばれた平等の関係で処理されるという、新しい家族関係にとって変ってゆくであろう」(p.45)
※下線は原文の傍点部を示す
■福田恆存「誤まれる女性解放論」(『婦人公論』1955年7月号)
「家事もまた労働であり、それをとりしきる人は無くてかなはぬ存在であり、これを金に換算すれば何万円かになる。けっして男に負けはしない。さういふ考へかたは、やはり家庭の意義を経済と生産とに従属させた考へかたで、それほど生産が大事なら、なにも家庭などつくる必要はありますまい」(p.57)
■石垣 綾子 195508 「女性解放を阻むもの――福田恆存氏への反論」
『婦人公論』1955-08→上野編[198211:061-072]
「主婦という第二職業論」が、少なからぬ反響をまきおこした。
「それというのも、日本の婦人層の多数をしめる主婦の間に、何かいいしれぬもやもやしたものが、低迷していることを、立証するものではないでしょうか」(p.61)
多数の新聞雑誌で賛否両論
「このことは、主婦のありかたについて、女が人間として生きることについて、家庭の女も職場の女も、真面目に考え、新しい方向を探求し、幸福への目標を確認しようと、努力している姿ではないでしょうか」(p.61)
☆「『主婦という第二職業論』が第一に問題になったのは、『第二職業』という、おだやかならぬ題名であったように思います。厳格な意味で、主婦は職業ではありません。主婦は夫との間に、雇傭関係があるわけではなく、その労働力を売買する契約もありません。それを職業というのはおだやかならぬ表現ですが、私たち主婦は、細君業とか、主婦商売とかいう言葉を用いますから、あながち突飛でもありますまい」(p.62)
☆「私が第二職業と名づけた理由は、職業という場合、外へ出て働き、その労働に対して賃金をもらうことを指しますから、家庭における家事労働は、本格的な意味では、職業の部類に入らないと考えたからです」(p.62)
分類的に、
・第一=外で働く本来の職業
・第二=家庭労働
仕事の内容の軽重とか、どちらがより重要な仕事であるとか、ではない
「ところが、福田さんをはじめ、男性側は、主婦という神聖な座を、職業とは何ごとだと、きびしく咎めだてをしたのは、どういうわけなのでしょうか」(p.62)
福田の愛情論の否定
「愛情と信頼は大切でありますが、愛情も信頼も、たえず、人間の生活の中でゆすぶられ動いています。(…)社会的な処置を講じるのも、愛情が大切だからです。福田さんのように、一方を優先であるときめてかかるのは、機械的な考え方であって、人間の複雑な本質、愛情の本質を理解していない人の言葉であります」(p.64)
*「この世にはせっかくの医学も貧乏なるが故に、手がとどかず、わが子を失う母親がどんなにか大勢あることでしょう。私にはその悲しみはひとごととは思えません。経済的に社会的に、また法律的に手段を講じて母親の不幸を少しでもへらしたいと願わずにはいられません。また今日の科学をもってすれば、私の子供も助かったかもしれないと思う時、社会的な処置はやはり女の幸福――人間の幸福ときり離すわけにはゆきません」(pp.64-65)
福田の思考は「独立という文字を観念的に考えて夫婦生活の実際にあてはめないから女性の経済的独立は、男性への対立、反逆であるかのように曲解します」(p.65)
「主婦が家庭にいて経済力のある主人の保護のもとに生活し得る場合は、結構なことでありましょう。多少の不安はあっても、社会に出て職業人としての苦しみにくらべれば、主婦の座は安易です。けれども現在の経済機構は、主人だけの収入ではやってゆかれないようになってきました」(p.65)
やり繰りができず、外に出て働こうか迷う主婦
「それらの人々に対して、私は躊躇せずに、お働きなさいとすすめているのです。同じ理由で、職業戦線に出る人が増加する傾向にあります。すべての主婦は家庭をすてて、職業人になれというのではありません」(p.66)
「日本の妻たちは、主人の収入の減少を、男性の無能だとも、意気地がないとも考えてはおりません。それは資本主義経済機構の必然の結果、働く人々を低賃金に追いこんだまでであって、それを知らずに、主人をうらむ主婦は余りいないでありましょう。私たち女は、男が女を求めているように、男性を夫を求めています。そして夫婦となり、同じ家に住み、同じ床に寝て、子供を生み、楽しく生活することを望んでいます。家庭生活は、男も女も全人類の望んでいるところです。どんな社会組織が出現しても、家庭生活を破壊することはできません。経済能力の低い男は結婚の資格はないと、きめつけることができないように、女が外で働くから、家庭をもつ資格はなく、男と女が夫婦となってはならないという規則はありません。子供をうむ権利を女性から、剥奪する国はありません」(pp.66-67)
「ソ連や中国では、女はどしどし職場に進出していますが、これらの国の方がむしろ心配なく子供をうんで育て、教育し、家庭生活はつづけられています。アメリカのような資本主義の社会でも女が働くことによって、労働者階級の家庭の高い生活程度をたもっています / 『女の天職は家庭にある』『女よ家庭に帰れ』と力説してみたところで、経済的に、余裕がなくなったから、外に出て働いているのです。家庭に帰れというならば、それだけの条件がつくられなければなりません。それは男性に、家族を養うだけの賃金を支払わなければなりません。もしそれができなければ、女性は職業戦線から退却しないでしょう」(p.67)
「コンプレックスはむしろ、女性の経済力におびやかされる男性側にあるのではないでしょうか」(p.67)
「現実の問題として経済的独立をもたない女性は、人間的独立をもち得ないことは自明の理であります」(p.67)
「妻が働くことは日本の社会では、解決するのにむずかしい問題がたくさんあります。『女よ家庭に帰れ』の論者は、この解決困難な問題を一つ一つ部分的にとりあげて、『共稼ぎをすると、こんな矛盾がおこる。そして、家庭が駄目になる』とかぞえ立てます。現実の社会は女も働かなければやってゆかれなくなっています。これは日本のみではなく、世界的な現象です。共稼ぎにまつわるさまざまの悪条件を、いかに巧みに解決し、男と女が手をとりあって乗りこえてゆくか、社会的処置をはかるか、共稼ぎに伴う困難を克服してゆくことが、これからの課題であり、積極的な前向きの生きかたでありましょう」(pp.69-70)
「だが、一つの考えですべてを律するわけにはゆきません。主婦と一口にいっても、農民、中小企業、労働者、サラリーマンの家庭というように、いくつかの階級に属しています。そのいくつかの階級も、環境の変化によって生活状態も変ってきます」(p.70)
「男も女も、職業にしばられるのは辛いものです。ほとんどの職業は退屈と苦痛を伴います。しかし上役の気をかね、自由のない職場経験の中から社会機構の不合理や矛盾に気がつき搾取される苦しさの中から働く者の組織が生れ、社会の改革と進歩が、行われてゆくのであります / 『女よ家庭に帰れ』ということは、家に帰って炊事をしろということではなく、女は社会機構の不合理を指摘したり、政治に口ばしをいれたりするな、という意味であることを私たちは知っておきましょう」(p.70)
夫の庇護のもとにあることを、幸福と感じない女性も、幸福と感じる女性も、いる。
「ところで、問題は、夫の庇護をうけて、楽しく幸福に暮すことのできる階級の女性は、日ましに、少数になってゆくことです」(p.72)
「女性の経済的独立は、家庭を破壊し、男性に対立し、反逆するものだと福田さんは考えられるらしいのですが、職場に働く女のひとたちは、男性への反逆どころか、職場恋愛から結婚もすれば、必要とあれば、夫婦共稼ぎもやって、男と女は協力の時代に、一歩ふみ出しています。男性にいたわってもらっていた過去の女は、同等の地平線に立って、お互に愛し、愛される状態になってきました。女の幸福は、男の幸福とはなれて考えられないことです。女が人間として解放されることは、男にとっても、新しい協力者ができたことであります。男と女がおたがいに、存在価値をみとめ、自由な人間として、協調、和合してゆくために、福田さんから何の新しい提案もなかったことは、残念でありました」(p.72)
■田中 寿美子 195510 「主婦論争とアメリカの女性――主婦第二職業論によせて」
『婦人公論』1955-10→上野編[198211:083-096]
パール・バック『男女について』(=石垣綾子訳『男とは?女とは?』)
……主婦型、職業婦人型、不満型
いまのアメリカの若い世代の女性は、また家庭に帰ろうとしている。
「それは個人主義の原理の上に築かれた、資本主義社会の体制をどこまでも維持しようとするアメリカが、婦人の社会的進出を、許し得る極限のところでせきとめて、もとに戻そうとする、自己保存のための、反動的運動を反映しているものと見ることができる」(p.85)
「いまの娘たちの母親たち、つまり、いまから30年ほど前の、1920年代に娘だった女性が、家庭や親たちに反逆して、大量に社会にとび出したのは、18世紀末以来の、産業革命による婦人の労働力の動員と、女権拡張運動などによってうながされた婦人の人権の自覚に、第一次大戦後の解放的な風潮が作用した結果である」(p.85)
(…)「だから第二次大戦後の現在までには働く婦人の数は1800万をこえ、その半数以上が既婚婦人であり、平均年齢は35,6歳という高さになったのである」(p.86)
「こうして、1920年代の娘たちは、第一次大戦後のジャズ流行時代から、30年代の不況期、ニュー・ディール時代を経て、社会に出てきたのである。それは、時代の波にのって、全面的に、旧秩序に反抗した女たちだった。(…)婦人は、政治的には参政権をとり、経済的には職業によって自立し、道徳的には性道徳の変革によって、男女交際と結婚の自由を獲得した。それは女権の普及時代だったといえよう。(…)1920年代の娘たちは、アメリカ史上、もっとも反抗的な娘たちだったのである」(pp.86-87)
しかし1930年代以後のアメリカの女たちは満足しなかった。
「これらの、女性の不幸は、アメリカ資本主義社会が、ニュー・ディールの終焉とともに革新的な前進を止めて以来、急に感じられてきたものである。もはや女性の社会的進出は歓迎されなくなった」(pp.80-81)
「こうして、中年層の婦人の、幸福にはみえない、ディレンマだらけの姿をみ、男女関係、人間関係の不安をみるにつけて、若い世代はそれと反対のゆき方をえらぼうとするのである。(…)あまりにも自我に生きて、自らを不幸にした母たちに比べて、自己否定にもみえる、平穏無事な、家庭の妻の座におさまり、こどもをたくさん産んで、女性本来の再生産の本能に生き、家庭以外の仕事をしないで夫にたよる生活が、一番動揺少く素晴しい生き方に思えるのである。だから彼女たちは結婚だけを目標にする」(p.90)
「けれどもここに断っておかねばならないのは、これはあくまで、中流階級以上の女性のことだ、ということである。アメリカにも、こうした事情とは別に、文句なしに働かねばならない女性がたくさんいる。(…)しかし中流階級によって代表されるアメリカの社会は、こうした、下層の働く人々の悪条件にはあまり目をむけず、その生活程度の高さを宣伝し、誇っているのである」(pp.92-93)
日本の女性の経済的独立(女が働いて経済力をもつ)→人間としての自由を得る、ことの重要性は認める。
☆「ただ、それは、いまの日本の社会環境のわくの中では、中途半ぱな自由にしかならない、ということを忘れてはならない。第一、経済的独立、といっても、日本の婦人の稼ぎは、平均していつも男子の半分以下という低さで、一部の婦人をのぞいたら、経済的には半独立しかできていない。日本の婦人の、職業に対する腰かけ的態度は、この低賃金の影響であるともいえる。低賃金だから親兄弟によりかかろうとするし、結婚と同時に、やめることにもなるし、また反対にそういう風に腰かけ的で家庭によりかかっているから低賃金ですまされるということにもなる」(p.94)
「さらに、婦人は、職業につくことによって、経済力を得るかわりに、大きな苦痛のなかに投げこまれることになる場合がしばしばある。労働条件のわるさ、作業施設や福利施設の不完全さ、生活の不合理などは婦人を幾重にも責めたてる。だから職業につきさえすれば、女性の解放はなるのではなくて、それによって、さらに闘わねばならない戦線に出たことを覚悟してかからねば、家庭と職場の両立を試みる婦人は往々にして失敗し、その反動として、ひどく後退してしまう」(p.94)
坂西の、「女がどうかして職業につこうとする日本の傾向を『古い考え』だとする考えには同意できない」(p.95)
☆「日本は貧しい。働かねば生活をささえられない婦人は日増しにふえている。日本の中流階級の婦人の働きたい意欲は、アメリカの中流階級の婦人の自己発現の欲求とはちがって、多分に経済的必要がふくまれているし、また、個人の自由獲得のための熱意をふくんでいる前進の現象なのである」(p.95)
「もちろん、主婦という立場に劣等感を感じさせるのは健全なことではない。しかし、主婦の価値が本当にみとめられる社会は、資本主義社会ではなくて、物事の価値を金銭で評価しない社会でなければならない」(p.95)
■平塚らいてう 195510 「主婦解放論――石垣、福田両氏の婦人論をめぐって」
『婦人公論』1955-10→上野編[198211:073-082]
「しかし、もし家庭の仕事に、――主婦と母のはたらきに、経済的価値が与えられたら、例えば政府から給料をたくさん支払うというようなことにでもなったら、それだけで仕事そのものの内容や意義にかかわりなく、「主婦という第一職業」などと重んぜられそうな気がしてなりませんが、どんなものでしょうか。わたしは恋愛――結婚――家庭――育児というような人間の本能に発した愛にもとづく仕事は、金銭に換算することなどできない、それだけその仕事はそれみずからに価値があり、人間生活の基礎的・本質的なものだと思います。それだからこそ主婦や母は人間としての権利があり、その生活は守られなければならないと思うのです」(p.75)
「(…)近代の家庭生活が、生産面が少く消費面のみ多くなったことをもって、主婦の仕事を卑下したり、寄生虫化したと見るのはどういうものでしょうか。生産と消費は人間生活の両面で、それに上下、優劣はないと思いますが、生きるために必要だから物を作るので、物を作るのが人生の目的ではないのです。消費されない限り生産の意義はありません。主として消費生活の面を分担する主婦の仕事がどうしてくだらないのでしょうか」(p.76)
「(…)多数の主婦の生活は、昔も今も忙しさに変りはなく、暇をつくろうとすればそれだけどこかに無理がおこります」(p.76)
「今までは主婦と家庭外で働く女との間には対立があり、手をつなぐことはむずかしい状態にいましたけれど、今は双方の課題にも共通するものが多く、協同して解決にあたるような場合も少くないような時、何かしら職業をもっているものを社会的な仕事として、社会に何ものかを貢献しているものとし、一方、主婦を社会の一員でもなく、社会の進歩からとり残されているふやけた存在のような見方や、言い方をするのは、おかしいと思うのです」(p.78)
「特にすぐれた智能や技術をもっているもの、家庭と職業の二つの仕事を両立させることのできる場合、またこのいずれでなくとも夫の病気、失業、または夫の収入だけではやりくりのつかないような、やむを得ない場合――この場合は今、ずいぶん多いと思いますが――主婦の職業をもつことに異論のあろうはずはありますまい」(p.78)
「もちろん両立することは望ましいには相違ありませんけれど、そして社会主義国では、育児の集団化などで一応解決を見てはいるようですけれど、家庭婦人の価値が正しく評価され、家庭の外に仕事をもたない主婦も、同じように、人間としての生きる権利の認められることを願い、またそういう社会の実現を望むものです。この意味からもわたくしは最近の主婦の立ち上りに、期待をかけております」(p.79)
■関島久雄 195609 「経営者としての自信をもて――主婦は第一職業である」
『婦人公論』1956-09→上野編[198211:097-109]
「しかし多くの女性にとっては結婚して早かれおそかれ、家庭の人となり、何年間かはその事業に専従することがよいと思う。しかしそのまま家庭にうもれてしまうのではなく、やがては個性を生かし、それによって社会のために働くという決心がなくてはならないと思う。そのためには家庭のことに専念する時代こそ、また同時に自己の個性を培うべき時代でもある」(p.99)
家庭の主婦:経営者+労働者の二役
「石垣女史は主婦を家庭労働者としてだけ理解して、家庭の経営者としての主婦の役割を無視しているのである」(p.100)
■大熊信行 195610 「家族の本質と経済」
『婦人公論』1956-10→上野編[198211:110-120]
「企業の経済も、今日の家の経済も、それが経済であり、経営であるということにおいては、酷似したものであって、いずれも生産と消費の両面をともなう。ただ一方は物的生産を、他方は主として人的生産を、任とするのである」(p.117) * 下線部は原文の傍点部を示す
「家族というものの本質が、近代家族にいたって、単純に、あらわになった。それは生命の再生産の営みで、そして現実には、営利企業への労働力の給源だということ。ところで社会の総資本が、実際に必要とする人間の数量には、限度があるのがつねで、それはむしろ、資本主義という営利機構そのものに、最初から内在する特有の事情からくるものだとみられております。「人間がありあまっている」という感じこそ、資本主義経済に固有の感じだ、というべきか」(p.118)
■梅棹忠夫 195705 「女と文明――女房関白の時代が来つつあるのだろうか」
『婦人公論』1957-05→上野編[198211:121-134]
主婦権 シャモジ
「封建的な家族における主婦権の確立は、だから、男に都合のよい父権的社会において、女に都合のよい母権的社会をつくろうとする傾向が、妥協的な形態をとったものだとみることはできないだろうか」(p.132)
■大熊信行 195706 「主婦の思想」
『婦人公論』1957-06→上野編[198211:135-147]
「これを読むと、石垣さんは日本とアメリカを取りちがえていやしないか、といいたくなります。主婦生活の現状としては、日本の中流以上のごくわずかな人々にしか当てはまらないことをいっている。日本の主婦生活の実態をつかまえていない」(p.139)
「主婦の思想は、家族の思想とともに、ほんとうにこれからの思想であります。主婦という言葉が新味と重みを加えるにつれて、その思想の骨格が次第に育ってゆくものと思うのです。それは、家族が国家および資本に対して、結局、人間生命の給源でしかないという現実に対して、思想的な抵抗をつよめてゆくものでなければならないと思うのです」(p.147)
■邱永漢 195710 「男女分業論」
『婦人公論』1957-10→上野編[198211:148-162]
「ところが、夫婦共稼ぎになって誰が一番得をするかというと、それは亭主なのである。(…)何となれば、夫婦共稼ぎの場合に、炊事やおむつ洗いや育児の仕事を男が完全に半分分担してくれるならば女はまだいくらか救われる余地があるが、女は子供を生むという重大な使命がある上に、大抵の場合は家庭内の労働をやらされている。その上さらに外へ出て働くとなれば、労働分担の比重は男が二五%、女が七五%に変化して、女が過重労働を強制されることになるだろうからである。この形は農村などによく見られる最も普遍的な光景であろう。 / 女性の尖端を行く都会の女たちがこうした夫婦共稼ぎを経済的な理由から選んだとすればやむを得ないが、もし女性解放の一手段として選んだとすれば、はなはだ見当違いと云わなければならない。またそれを経済的な理由から選んだにせよ、女性にとって不利な取引であることには変りがないのである」(p.157)
■丸岡秀子 195710 「夫妻共存論」
『婦人公論』1957-10→上野編[198211:163-176]
「「入れ」の「出ろ」のいうのではなく、家庭の主婦はその立場で、また職場の主婦は、その立場において、人間として幸福になるにはどうしたらいいか。また客観的にそれを実現してゆく条件をどう創りあげてゆくか。それが今日の現実から出発した、過程の女性にこたえる道ではなかろうか」(p.167)
女を家庭に入れたいという波:戦後三回目
(1)昭和24,5年の不況の頃 (→朝鮮動乱による好景気)
(2)昭和29年の不況のとき (→翌年、神武景気)
(3)現在。神武景気のあとの不景気が案じられている状況
「このように経済事情と歩調を合せて波のうねりがあるが、第二の波が去って、神武景気がはじまる三十年の初め頃、主婦の職場進出の議論が紹介されたのは、たいへん興味がある。この神武景気は、家庭電化を主とする消費景気であった」(p.168)
☆
だが、単純に女の経済的独立のみが人権確立の条件だとする資本主義的女権論は、いまでも通用するものだろうか。今日、婦人解放は社会全体の解放問題の一部分である。婦人が社会全体の解放問題に、なにかの寄与をする過程こそ、人間的に解放される家庭につながるものだろうが、それは、家庭の主婦が職をもたなければならないということと必然的にむすびつくものではない。
もちろん、結びつく面はたしかにある。だが、それは、電気洗濯機や電気冷蔵庫やトースターで時間に余裕ができるところにむすびつくものではない。むしろ、多くの働く主婦のように、そうしなくては家計が維持できないか、または多少でも文化的な欲求をみたすことができないか、あるいは、経済的独立の意欲が結婚後の主婦生活に入っても消えないか、そういうところとむすびついているのが現実であり、それが主婦の意識化につらなっているのである。 (pp.168-169)
「いま、わたしたちの間に、女権主義的な主婦論が必要であると思わない。それは、現実を遠ざけるばかりでなく、その非現実性は、いたずらに古い意識の現実性を助けるような結果になるからである。主婦を含めたすべての婦人の問題は、社会全体の解放の問題の中に位置させるべきだと思う。その意味で男と女を背中あわせにしてみる必要もなければ、家事労働をことさら第二義的だと片づけることもできない。夫も、妻も、外での労働も、家での労働も、それぞれの特殊な立場を尊重し合って、対等に認め合うことで、どうしていけないのだろうか。共存論は、そういうところに根拠をもっている」(p.169)
「問題は、その主婦の座が、社会の解放、人権の独立とどのようにむすびつくかということである。 / 原水爆反対運動にせよ、母親大会の運動にせよ、基地運動での主婦の立場にせよ、米価引下げの問題にせよ、売春禁止法制定問題にせよ、教育を守る運動にせよ、職場をもたない主婦の座は、それらの運動とむすびつくことによって、新しい変化をよびおこしていることはまちがいない」(p.170)
「だがその主婦の座が夫の座によりかかり、すがりよるだけでは、家事育児を守り通すことさえできないという現実がふえている。 / だから、今日の矛盾や意識の変革にふれずに、単純に家事育児だけを肯定する「夫妻分業論」もまた、いまの夫婦生活の現実にそうものとはいえない。子供こそかけがえがないという呼び方で、分業論は出やすいが、その根拠はどこにあるのか」(p.170)
■都留重人 195905 「現代主婦論」
『婦人公論』1959-05→上野編[198211:177-190]
■梅棹 忠夫 195906 「妻無用論」
『婦人公論』1959-06→上野編[198211:191-206]
女が、妻であることをやめる
男と女の、社会的な同質化
■梅棹 忠夫 195909 「母という名の切り札」
『婦人公論』1959-09→上野編[198211:207-220]
母性愛至上主義
母中心の家庭 ←妻の発明
■上野 千鶴子 19821130 「解説 主婦の戦後史――主婦論争の時代的背景」
上野編[198211:221-241]
石垣論文――賛否両論
「(…)争点は、主婦の職場進出、是か否か、にしぼられる」(p.225)←?☆
「この論争の焦点が、主婦の職場進出の是非であって、女性一般の職場進出の是非を問うものではないことに、注意すべきであろう」*下線は原文傍点(p.225)←?☆
「職業婦人とは、未婚・非婚・破婚の、いずれにしても結婚の外がわにいる女性たちのことだったのである」(p.225)
「家庭責任と労働とは、職住分離の生活を送る雇用者にとっては、長い間、非両立的と考えられてきた。女性はつねに、『結婚か仕事か』の二者択一を迫られてきた。戦後復興の中で、主婦が労働することは、この二者択一の常識を、揺るがしはじめたのである」(p.226)
「いずれにせよ、戦後史の中では、性別役割分担のイデオロギーは、経済要因の関数であることを見てとることができる」(p.229)
「女性の職場進出のひっぱり要因も経済要因、おしだし要因も経済要因、というのは、経済決定論的に過ぎるだろうか」(p.232)
女性の高学歴化による職業志向
「また、女性の就労動機がどんなに強くても、それが家庭責任と両立しなければ、女性の職場進出は増加しない。職業と家庭の両立の課題を果たし、女性を労働市場に送りこむ条件となるのが、第一に核家族化、第二に家庭電化による家事の省力化である」(p.232)
「単婚夫婦家族のもとでは、結婚した女は、そのとたん、誰でも例外なく主婦になれる。『主婦の時代』は、主婦の粗製乱造の時代だと言ってもよい。核家族とは、主婦以外に、家族の中に成人した女性の存在を許さないような制度である。核家族の中では誰もが主婦になれる代わり、主婦は実体のない、矮小なものになり下がる。『主婦という第二職業論』には、主婦であることに値うちがなくなった家族的な背景が結びついている」(p.233)
家事の省力化
産業化による家事の社会化
「技術革新と産業化によって家事は省力化され、その結果、主婦は家から外へ出ていく条件を確保するようになった。しかし、逆に、家事省力化機器や、消費財を買うために、主婦は外へ出てお金を稼ぐ必要に迫られる。この関係は、ちょうど、機械化農業のおかげで兼業化が可能になり、逆に農業機械の代金を支払うためにいっそう兼業収入を求めざるをえない、農家の悪循環に似ている。この間で肥るのは、農機具メーカーだけだが、同じように、消費性向を強めた核家族は、企業を肥らせる。女たちは、家電製品や既製品があるから、家から外へ働きに出ていけるのだが、逆に、家電製品や既製品を買うために、収入を求めて外へ出ていかざるをえないのである」(p.234)
「戦後、いくつかの節目を経ながらも、おしだし要因は一貫して女を家庭から押し出す方向へ、ひっぱり要因は一貫して女を職場へ引っぱり出す方向へと働いた。そして、おしだし要因とひっぱり要因は、両者相まって、日本の経済復興と高度大衆消費社会化とを、促してきたのである」(pp.234-235)
第一次主婦論争における、女性の職場進出反対論:多くは近代的な装いのもとで、性別役割分担規範を再強化する働きを果たしている
石垣「主婦という〜」:主婦であることと労働者であることの二重の負担を押しつけられる
「『男は仕事、女は家庭』という性別役割分担規範は、資本主義と家父長制の妥協の産物であり、封建道徳どころか、きわめて近代主義的なイデオロギーだと言える」(p.236)
「性別役割分担イデオロギーは、その当初、『仕事か家庭か』に二者択一的に女を配当するものであったが、その画期的形態が変わってくる」(p.236)
――その転換点が、第一次主婦論争
新しい形態:女性に家庭責任を全面的に委ねたままで、「家庭も仕事も」の二重役割を押しつける
「しかも、その二重役割を果たすことを可能にしたのが、高度産業社会化による家事負担の減少であることを考えれば、資本主義と家族制度は互いに深い相互依存関係を持っていること、そして両者の間の調停案である性別役割分担のあり方にも、いくつかの変種がありうることが理解できるだろう」(p.236)
女性の家事負担を軽減するには:
・男性の家事参加
・家事の社会化
日本はいずれもとらず。
「現実に戦後の日本がとった選択肢は、家事労働を産業化することで軽減し、それによって主婦を同時に労働者化するという、女性の二重役割への道である」(p.237)
「主婦労働者」:主婦でありかつ労働者
パートタイマー:非熟練の主婦労働者が、大量に労働市場に登場してくる基盤
ツーサイクル論
「第一次主婦論争は、女性の主婦労働者化を予見し、先取りした論争だったと言える。その中では、反対論もまた、性別役割分担イデオロギーの新しい形態、すなわち性別役割分担を温存したままで、その上、女性を労働者化するという二重の課題を一挙に解決する戦略を暗中模索するのに、手を貸したのである」(p.238)
第二次主婦論争の争点:「家事労働有償論」
第三次:「居直り主婦論」 脱近代的な志向