『「障害者」解放とは何か――「障害者」として生きることと解放運動』
楠 敏雄 19820715 柘植書房,222p.
■楠 敏雄 19820715 『「障害者」解放とは何か――「障害者」として生きることと解放運動』,柘植書房,222p.,ISBN-10: 4806801895,ISBN-13:978-4806801894,1600,[amazon] ※/杉並369 d
■引用
「1970年7月7日の華僑青年闘争委員会による告発は、日本の左翼運動と階級闘争史上画期的な意義をもつものであり、あらゆる運動体に質的転換をせまるものでした。抑圧国人民の差別性を鋭く糾弾した告発は、それまで表面的な戦闘性のみに依拠し、差別の問題になど何の関心もしめさなかった左翼運動に、文字通り根底的な変革を要求したのでした。また、この告発と相前後して、無実の部落青年石川一雄さんを取りもどす闘いが、差別糾弾闘争、階級闘争として闘われ始めました。『障害者』解放運動、とりわけ関西『障害者』解放委員会は、こうした情況のもとで結成されたのです。」
「こうした中にあって先の華青闘の告発を受けて、早くから入管闘争として取り組みを開始し、狭山闘争にも積極的に取り組んでいた革共同中核派が、当時竜谷大学にいた私と仲間数名の『障害者』に関わりつつ、彼らの医療戦線の医師や看護学生をも加えて、71年春に『障害者』解放運動の組織作りに着手し、その年の10月3日、私たちとともに関西『障害者』解放委員会の結成をかちとったのです」
「組織の性格としては、中核派の指導を受けてはいましたが、あくまで大衆組織であり、他党派やノンセクトの人たちの参加をも積極的に呼びかけるという独自性が確認され、慎重な組織運営が行われました」
「ところが、71年12月に起きた革マル派による中核派の2名のメンバーへの非道な虐殺と、72年5月の沖縄闘争における『敗北』は、中核派の危機感とあせりを強めることとなり、大衆運動に対する方針を急激に転換することとなりました。すなわち、72年に入ると彼らは、S支援闘争と荒木裁判闘争については一応中心軸としながらも、沖縄・入管・狭山・三里塚などの政治闘争を闘うことを優先させ、『障害者』への日常的働きかけよりも、これらの政治課題を重要視するようになってきたのです。また、『障害者解放戦線も革マルセン滅をかかげるべきだ』とか『白ヘルメットをかぶって中核派の集会に結集すべきだ』といった主張にみられるように、教条的セクト的対応をも強めてきました。さらに、情報の手段や、学習の機会を奪われている『障害者』に対して、基本的な学習を保障せず(他の党派の内容との違い、およびさまざまな組織の内容も含めて)ひたすら彼らの機関紙『前進』の読み合わせをさせるのみだったのです」(26ページから28ページ)
「『障害者』の圧倒的多数は、新左翼運動はおろか、政治からも、教育からもあらゆる情報からさえ遮断されて、家の片隅や施設に隔離されていることはすでに何度も確認されてきたはずです。にもかかわらず、このことの持つ重さについて、中核派をはじめとするほとんどの新左翼党派も、そして私たちすらも正しく把握しきれてはいませんでした。そして、それがゆえに『「障害者」のペース』という言葉の意味を理解しきれず、『障害者』解放運動の独自の発展を無視したり、妨げたりしてきたのです。」
「私たちは、いついかなる闘いにおいても、まず何よりも『障害者』大衆と共に闘い、互いの発展をかちとり得るような闘いをするべきだと考えています。したがってそこでは、当然『障害者』固有の闘い方や、ペースが要求されるでしょうし、言葉一つにしても常に点検されねばならないのは当然といえるでしょう。」
「彼らがこうした『障害者』との日常的な関係作りを軽視して、政治課題を最優先させるといった方針は断じて認めるわけにはいかなかったし、現在もなお認めるわけにはいかないのです。彼らは私たちに対し『政治闘争と大衆闘争を対立させる』と批判していますが、むしろその批判は彼らにこそピッタリと当てはまるといえるでしょう」
「レーニンは、その著『共産主義における左翼小児病』や『何をなすべきか』において党が大衆運動を抱え込んだり、教条主義を持ち込んだりすることを厳しくいましめています。自らレーニン主義者たることを自称する中核派は、自分たちに都合のよいところしか目に入らないようです。72年5月以後の中核派の私たちに対する対応は、まさにセクト主義そのものに他なりません。先にも述べたように、関西『障害者』解放委員会の大衆組織としての確認を無視してひたすら中核派に従属することを迫り、それが通らぬと知るや自分たちの地位を利用して何人かを抱え込んで、さっさとわが組織から逃亡して、私たちと同じ名前を名乗る。これがかりにも『前衛党』と自称する者のなすべき対応でしょうか。さらに、自ら情報を得ることを奪われてきた『障害者』に対し基礎的学習すら保障せずに自分たちの路線のみを一方的に教え込んだり、『施設で園生をいじめる職員は革マルのようなものだ、だから革マルセン滅だ」などと提起するに至っては利用主義そのものであり、差別的対応といわざるをえません」(52ページから53ページ)
※以上、http://blog.goo.ne.jp/aoitoko/e/4848eb53980585fe8ee720ac51d75311に引用