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『管理社会と民衆理性――日常意識の政治社会学』



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栗原 彬 19820620『管理社会と民衆理性――日常意識の政治社会学』, 新曜社,14p+311p. 1300 ※ ISBN:4788501422 [amazon][kinokuniya]


◆目次

はじめに

第一部 管理社会の社会意識

高度産業社会におけるパトスの構造
チューブのメタファーによる日本政治の読解
再分配の幻想
日本型管理社会の社会意識
管理社会下の大衆文化

第二部 管理社会を超えるもの

分水嶺を越え直す
脱常識から原常識の回復へ
原コスモロジーの復初へ
奴隷と馬鹿の哄笑

第三部 野生の社会学を求めて

交信と解釈
自己回復の政治学
民衆理性の存在証明
野槌の声を聞く
フィラデルフィアのカッサンドラー

あとがき
初出一覧


◆メモ

「ジョージ・オーウェルの『一九八四年』は、”管理社会を読む”作業にとってこのうえない導き手となるテクストだ。…/このテクストのポイントは、第一に管理は全般化して、日常生活の次元で完成されるということ、第二に管理社会の進展に応じて反体制の組織も体制と似通った構造に歩み寄ってくること、あるいは両者の相互転換が現出すること、第三に、管理されている者が管理‐被管理の関係を内面化してみずから進んで権力に従順になる、つまり「自発的服従」という社会的スタイルが産まれるということである。」(i-v)

「…世界的な産業化の不均等発展の力学を解明する作業、および産業化→管理化の内発性と外発性とを統合的に捉える作業は未開拓のままである。
 しかもそれ以上に、日本社会の管理社会的性格を解明する試みはいっそう乏しいといわねばならない。このことは、管理社会という既に人口に膾炙したことばそのものが、実は危うい基盤に立っていることを物語っている。なぜならば、管理社会ということば自体が、社会変革の実践を目標として、現代日本の政治社会の特質を記述するために創出された日本産の用語だからである。実際、「管理社会」として定着している「管理」は、英語の類義語であるmanagement(操作)、control(支配)、administration(経営、行政)、rule(統治)、bureaucracy(官僚制)のいずれともぴたりと一つに重ならない。この政治社会のモデルを鍛え上げて国際比較の場に輸出するためには、Kanri-societyとして、その概念内容を注記するしかないだろう。
 社会運動と社会批判の場で自明のように用いられている管理社会の概念を、日本の現実の象徴の海に>>vii>>一旦沈め、そこに浮上してくるかたちを捉えて管理社会の再定義を行なうこと。次いで、この定義し直された日本型管理社会のモデルを再び日常生活の場に差し戻して、からだの動きのなかに、管理社会の歪んだ表層と解放を熱望する深い層との間で行なわれるゲームを媒介させ、身体と身体との間に管理社会を超える具体的な領域を予兆のように見出すこと。本書のプランはこのことにつきる。」(vii-viii)


UP:20100121(小林勇人
BOOK  ◇身体×世界:関連書籍 1980'
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