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『地域医療の旗手――住民と共に歩む「赤ひげ」たち』

中里 憲保(なかさと・けんぽ) 19820515 現代出版,285p.

last update:20140918

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■中里 憲保 19820515 『地域医療の旗手――住民と共に歩む「赤ひげ」たち』,現代出版,285p. ISBN-10:4875972059 ISBN-13:978-4875972051 1000+ [amazon][kinokuniya] ※ ms

■内容

■目次

はじめに

T 天皇侍医の直弟子から転身三十六年
U 自治医大助教授から北海道へ
V 『病気=死』の村を日本一の健康村に
W 医療の谷間を歩きつづけた"生命の出前持ち"
X 『病気より人を診る』坊ちゃん先生の挑戦
Y 公害の町の命を守る"住民立病院"のドン
Z 全学連の旗をメスに持ちかえた東大生夫婦
[ 開業医の圧力に抗し医療の実践者を育てる
\ 医師会と闘う風雲児の限りなき野望
] 『医療に?をもて』と患者参加を叫ぶ"元闘士"

おわりに
地域医療の旗手
病院一覧

■引用

W 早川一光 医療の谷間を歩きつづけた”生命の出前持ち” 95-124

 「京都府立医大を卒業した早川が、西陣の一角に白峰診療所をっくったのは、一九五〇年のことだ。
 西陣は、医大の医局にいたころから、よく診て回った。まだ健康保険制度もないころ、健康だけが”資本”の住民が貧しい生活の中から資金を出し合って、ここに診療所をつくったのだ。民家を借り受けた六畳の診療室と、二畳の待合室。早川と当時まだ二十歳だった妻・幸恵は、その日から、診療室にとどまらず、一軒、一軒住民の健康状態を聞いて回った。
 しかし、老人は医者に診せずに寝かせておき、一家を支える働き手であっても病状が重くなるまで放っておき、仕事ができない状態になるまで病院へは行かない――というのが西陣ではごく普通のことだった。
 だから、病気のご用聞きのような仕事には、「よけいな事をするな」と追い返されるのが関の山だった。塩をまかれた、「疫病神!」とどやされることすらあった。
 診療所に来る患者といえば、生活保護世帯の人ばかり。当時の早川は、月給三千円ということだったが、三年間は生活費らしきものが妻の手に渡ったことがなかった。
 ▽197 ぞのころ生まれた長男が、幽門狭窄で、府立医大病院に入院したころは、早川の生活はドン底になっていた。
 「給料がもらえなかったので、医療保護を受けに行ったら、「医者に保護を出したことは一度もない」と言われました。しかし、収入はないんだから、結局、保護は受受けましたよ。今になると笑い話ですが……」
 数少ない着物も質で流してしまった妻は、公園でパンを売り歩いた。一個九円で仕入れたクリームパンを十円で売る。これで得た一日二百円程度の儲けで、三日間生活するという暮らしだった。」(中里憲保[1982:106-107]

■書評・紹介

■言及



*作成:樋口 也寸志
UP:20120110 REV:20140731, 0914  QLOOKアクセス解析
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