◇こうした脱病院化の動きを取材するために、私たちは、ニューヨーク州精神衛生局に新しい型の精神病院の紹介を依頼していた。紹介されたのは、ニューヨーク州立サウス・ビーチ精神衛生センターであった。このセンターは、1969年、精神医療の地域化がすすむ中で設立された地域指向型の州立病院で、ニューヨーク市の中心部から車で1時間弱、スタッテン島にある。担当する区域はスタッテン島全体と対岸にあるブルックリンの西側で、およそ150万人の市民をサービスの対象にしている。ベッド数は400、子どもと成人の精神障害者と、アルコール中毒の入院治療をするためだ。
古い型の州立病院に比較すると、規模が小さい。さらに、このセンターを中心として、担当地区に10か所の診療所があり、ネットワークを作っているという特徴がある。ネットワークをつくることによって、地域の人たちは、精神衛生センターが地理的に手近なところにできてりようしやすくなった。 (pp. 156-7)
◇サウス・ビーチ精神衛生センターは、スタッテン島の海岸通りにある。付近には海水浴場もあり、敷地はかなり広い。センターは金網に囲まれているが、特に監視が厳重だということもなく、正面玄関にガードマンがいるわけでもない。
敷地の中は、入院棟、事務棟、職業訓練棟などがある。入院棟はすべて平屋である。扉には鍵がかけられているが、窓には鉄格子はなく、部屋の中は外の陽ざしがさしこんで明るい。 (p. 160)
ここに記された患者の権利や治療に関する手続きは長たらしく、ある意味で味気ないものである。しかし、こうした権利の行間を読んでいくと、かつての州立病院で、精神障害者がどのような扱いを受けていたかが浮かびあがってくる。[……]
私は、ニューヨーク州発行のパンフレットを読みながら、1960年初頭の巨大な収容所での生活についてペンハーストの所長が語ったことを想い出した。
「……トイレには石鹸やタオルもなく、トイレットペーパーさえありませんでした。シャワーは集団で使い、プライバシーはまったくありませんでした。床は汚物でまみれ……あたかも強制収容所のようでした。」
1960年以前の障害を持つ人たちの生活が、いかに苛酷なものであったかということは容易に想像できる。それが1960年代を境に大きく変わったことは確かだ。今まで紹介してきたことは、アメリカでも先導的な部分で、全般的にはここまできているとは言えないかもしれない。しかし、障害を持つ人たちを社会から隔離してしまい、社会には障害を持つ人は一人もいないかのように考えてきた健常者を中心とした社会は否定されようとしている。 それでは、具体的に何をすればいいのか。世界各国で今ようやく模索を始めたというのが現状ではなかろうか。 (pp. 168-70)
■言及
◆安積 純子・尾中 文哉・岡原 正幸・立岩 真也 19901025 『生の技法――家と施設を出て暮らす障害者の社会学』,藤原書店,320p.
◆―――― 199505 『生の技法――家と施設を出て暮らす障害者の社会学 増補改訂版』,藤原書店,366p.
◆―――― 20121225 『生の技法――家と施設を出て暮らす障害者の社会学 第3版』,生活書院・文庫版,666p.
*作成:三野 宏治・立岩 真也