物語とは経験に意味を付与するにあたって文化が利用しうる数多くのコードの一つなどではなく、コードについてのコードであり、それに基づいてはじめて、共有された現実の本性に関して文化間の通信が可能になる人類の普遍的特性なのである(p.17)
☆ロランバルト☆
物語は国を超え、時代を超え、文化を超えて存在する
物語は根本的なダメージを与えることなく翻訳可能
われわれは一方の物語る歴史的叙述(ヒストリカル・ディスコース)と、他方の物語化を行う叙述との区別が見てとれるのである。すなわち、世界を見渡す視野をとりそれを報告する叙述と、世界が自ら語る、それもはなしとして自らを語るがのごとく装う叙述とは区別できるのである。(p.18)
叙述・・・主観性は叙述を維持する人物としてのみ定義される。
歴史表現・・・架空 とされる出来事より 現実 とされる出来事が扱われる(表立っては)
しかし・・・現実が語るということはありえない
(現実の出来事は話として形式的一体性を備えていると示されているのでなければ正式に表現されたことにならない。という幻想がある)
我々は、物語化を行なう叙述一般がもつ文化的機能を見て、物語るだけでは足りず事件に対して普遍的とも思える要求の裏にある心理的衝動をかいまみる。
出来事は、もともとの起きた順という時間的な枠組みに従って記録されるばかりではなく、同様に物語られもしなければならない。つまり単に連続して起きた事件としてでは持ちえない構造を備え、意味的秩序をも備えていかなくてはならないのである。(p.21)
例、年表―年表記の差異
・年表は、物語形式をもっていない
・年代記は話を語ろうという願を持っているように思えることも多い(しかしそういう願望は果たされることはない。つまり自己完結しない。年代記は単に終わる)
現実の出来事と架空とを区別する際の前提が、「真実」は物語の性質を持っていると示される限りにおいてしか「現実」と重ならないのだという現実観にあるのだと分かってくるだろう。これは、歴史と架空物語のどちらを論じる場合でも今では基本的な問題となっている。(p.23)
中世の年表作者はなぜやる気がないように映るのか。年表作者が物語を書けずじまいになってしまったのはなぜか、という疑問ではなくどのような現実観ゆえに作者が現実の出来事だと考えるものを年表形式で書くことになったのか?
『著述家たち』シリーズの『ゲルマン史録』の709年から734年において極度の不足に悩む社会であった。社会的事件も自然界の事件と同じ水準で書かれている。つまり理解が及ばないということであり、事件の重要さの程度になんの変りもない。
事件をそれが起きた年代のもとに記入することによってそれらを一貫したものにし、かつ空隙を埋めている上欄の年代の一覧である。言いかえるなら、年代の、一覧こそが意味されるもの(シニフィエ)であると考えられ、一方、下欄に与えられた事件は意味するもの(シニフィアン)なのである。(p.28)
現代の学者は事件の配列の中に充実と連続とを求める。それに対して、年表作者は年々の連なりのうちに充実と連続とを二つながらに手に入れる。両者のうちではどちらの方がより現実に即した期待を抱いているのか
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我々はその後の西ヨーロッパ史を知っているから、世界史的重要度に照らし合わせて事件の等級づけを行なえる。その場合でも西洋中心主義的であり、普遍的な視点ではない。
物語はすべて、取り込まれていたかもしれないのに、現実には排除されてしまった一連の事件を基盤として成り立っている(p.29)
現実を物語的に記述していくにあたって、不連続よりも連続の方が叙述を強く支配するなら、そこにはどのような現実感があたらいているのか(p.29)
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無秩序の力が、暴力と破壊の力が第一に目をひく、その記述は、誰が、あるいは何事かを起こしたかをではなく、むしろことの性質を問題にし、人々がことをなす世界をではなく、むしろ人々にふりかかってくる世界を描き出している。(p.30)
年代作者の記述に空白の年が存在するために、対照的に物語の発揮する力が理解できるようになる。(p. 30)
幸福で安全だった時代は歴史の上では空白になるbyヘーゲル
ドイツ語の歴史は、主観的and客観的を統一する。出来事、事件、なされたもの
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歴史は出来事であるとともに、また出来事の物語である。
歴史物語は現実の歴史的な行為や出来事と同時にあらわれたものと見なければならない。
物語+出来事に大事な根底がある。
さらにヘーゲルの説はつづく
数々の革命や移住や奇妙キテレツな変化が満ちているにもかかわらずなんら客観的な歴史を持たない時代がある・・・理由:現実の出来事を物語化する場合には、自らの行為を記録する衝動を備えた主体が想定されなければならない(それがなかった。つまり国家がなかった)国家=法
歴史的物語(ヒストリカル・ナラティヴ)にも動作主、媒介、主語としての働きをもつ合法的な主体を考えなくては「歴史性」も「物語性」もありえない(p.33)
物語性は現実を教訓的(モラリスティック)に解釈する衝動、つまり、考えられうるモラルすべての源である社会制度に現実を重ね合わせようとする衝動の直接のあらわれではないとしても、それに密接に関係してはいるのである。(p.34)
サンガル年表1056年「皇帝ハインリヒが死に、そして、その息子のハインリヒが皇位をついだ」・・・これは物語である!暗黙の法制度(血統による継承)
1057年から1072年について年表作者は記録の末尾に羅列しただけで済ましてしまっているが、これらの年に闘争を予示する事件と紛争が数知れずおこっていた。
作者はバカなのか? いやバカじゃない。作者は縦並びに配列している枠組みの意識があった。
一連の出来事を同じ意味系列に属するものだとして描く能力を得るためには、差異の中に類似性を読み取るもとになる形而上学的原則が必要になる。換言すれば、そのためには事件が起こったことを記録するさまざまな文が指示するものすべてに共通する「主題」が必要になるのだ。(pp. 36-37)
年表と年代記とを区別する目安になるこの秩序づけと(細部にいたるまでの)空隙を埋める態度には、どんな問題が含まれているのだろうか。(p.38)
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年代記は、大司教職を争っていた人物のうちの一人が逃亡することで急に終わってしまい、記述の始めと終わりの間の結びつきについて考える責任を読者一人一人におしつけるのである。(p.38)
年表と年代記とを区別する目安になるこの秩序づけと空隙を埋める態度にはどんな問題があるのか
↓
988年ごろにかかれた、ランスのリシェのフランス史を取り上げる。
中心となる主題あり、地理的にも中心あり、社会的にもきちんとした主題がある。さらにはじまりもある。
だが、この物語は急に終わる。(大司教を争ったうちの一人が逃亡という結末で)
リシェが興味をもっていたのは、材料ではなくフォームだった。彼は材料を自分の好みに合わせてしまったbyロベールラトゥーシュ(このテクストの校正者)→ホワイト的には間違い。そうではなく・・↓下記
客観性がない…ランスの大司教管区を統括する権威がどこにあるのかということこそ、リシェが自らの物語作りを通じて決着の手助けをしたいと考えていた問題なのである。(p.40)
著者が第一に呼び掛ける庇護者・・・ジュルベール、彼の権威があってこその記述
権威はリシェにあってサン・ガルにはない。権威づけを求める必要がサンガルにはなかった。なぜか、「争い」がないから物語化もない。
正義は存在しない、力のみが存在する。
歴史的物語の権威とは現実そのものの権威なのだ。歴史記述はこの現実に形式を与え、そうすることによって現実を願望に一致するものに作り変えるが、その際、現実の展開には、話にしか備わっていない形式的な一貫性が付与されるのである。(p.43)
歴史は、「架空の叙述」あるいは「欲望の叙述」に対して「現実の叙述」と呼べる範疇に属している。・・・ラカン的???
歴史的物語の筋はいつでも困惑の種になり、物語の技法によって出来事の内部に輸入されたのではなく、そこに「見出された」のだという表現で言わなければならないのである。(p.43)
モラルの面での権威からも力を引き出すことなく描かれた歴史物語がこれまであっただろうか(p.44)→思い出すことすら難しい。(p.44)
歴史的物語に自己完結を求めることは、私の意見では、教訓的な意味を求めることであり、現実の出来事の連なりにも道徳的ドラマの要素として、それが持つ意義に応じた評価が与えられるべきだという気持ちにほかならない。
1310年と1312年の間に書かれたディーノ・コンパーニの『年代記』
モラルの意識が働いている。ディーノは、神からの賜物を認識できる者には混乱からの救済を、フィレンツェの堕落した市民たちへは天罰が下されると警告をした。
ディーノの記述は教訓的に終わっているせいで客観的とは見なされない。
どのような現実記述だろうと、物語性が存在している場合、モラルや道徳的な解釈を求める気持ちもまた存在するのだと決めてしまって構わない。結末の中に立ち現われ、同時に「終り」という境界の向こうで「語られるものを待ち受けている」別な物語の中に移されることによって姿を隠すような、そういう意味を現実に付与するためには、これ以外の考え方はないのである。(p.47)
現実の出来事を表現しようとするとき物語性に付与されるこの価値が、架空のものでありかつ架空でしかありえないような人物像のもつ一貫性、統一感、完成度と終末とが、現実の出来事においても示されてほしいという願望から生まれるのだということだった。(p.48)
ホワイト批判…すべての物語は道徳的解釈を許すが、少なくとも一部の物語は道徳的解釈を必要としたり前提としたりしない、ということである。(p.367)
記憶のタイプの場合には、こんな複雑な事情は含まれていない(p.371)
複雑な事情…社会システムの重要性についての自覚の高まりに基づく―社会システムは法や権威の観念によって支えられており、これらの観念は次に単なる記録ではなく、少なくとも暗黙の道徳的正当化を求めるようになる。(p.371)
ホワイトの説が確実に成り立つ「道徳」の意味が一つある。つまり道徳が単に「自然的」と対照した意味での「人間的」を意味する場合である。人間は意図を持ち、選択を行う(選ばないという選択を含む)。選択が可能になったり、事情によって不可能になったりするような状況すべて、このもっとも広い意味において道徳的状況である。(p.371)
ホワイトの主張…一つのモラルの秩序から別なモラルの秩序への推移(p.372)
ミンクの反論…物語化の活動が起こる時に、完結を一つのモラルの秩序から別のモラルの秩序に移ることとみなすのが、唯一の必然的な形ではないということである。(p.373)
物語化の行為は決して第一義的に認識論的なものではなく、決して人間の原初的、根源的な能力でもなく、それよりさらに根源的な何物かの産物だというのである。それが「道徳的衝動」であって、私には妙にニーチェの「意志」に似た響きがする。(p.373)
ホワイトは出来事の格づけを可能にするのは作者の「社会的中心点の意識」である、またこのような物語を書くための権威はもっと一般的な権威と結びついていると論じている。しかし私が別のところで論証したように、あらゆる物語性が歴史的物語によって担われているような文化にあっては、歴史はそれを養い支えるとされる権威を蝕み疑う役割を果たすこともある。(pp. 381-382)
本質的にヨーロッパ中心主義的な研究から生まれた歴史的物語と虚構的物語の区別、また種々の歴史テクストや「物語」の間の区別は、ヨーロッパ中心の物語学とそのフィクション至上主義が崩れ去るまでは、捨てなければならない。われわれを既成の区別を乗り越え、開かれた精神をもって新しいより広いデータを見ることを許すような、物語の最低限定義を必要としている。それは物語を他の叙述からうるさく区別しない定義であり、スミスの定義に近い。(p.385)
言語行為の理論は、現代遺伝子学出現以前の進化論のように、ジャンルがなぜ存続するかについては多くのことを教えてくれるが、ジャンルの形式の変異や変化については実際上何も語ってくれない。(p.387)
ジャンルの問題に対して言語行為論や読みの能力論を適用すれば、違った文脈の数と同じだけの長々しく無秩序な実例リストしか生まれないだろうと、自信を持って予言できるのだけはないかと思う。ロラン・バルトが「物語の構造分析序説」で指摘しているように、経験主義の道は混乱に導くだけなのである。(p.387)
ミンクは、事象を物語に変形することが、それに認識的意味を賦与すると信じている。実は、彼も論じているように、事象という概念そのものが曖昧を極めていて、事象一般について語ることは意味をなさず、ただ記述の対照となった事象について云々できるだけなのである。(p.388)
世界は確定的な物理的意味の他に、別に道徳的意味を持っていると主張したいのである。(p.391)