『科学的発見の現象学』
Brannigan, Augstine 1981 The social basis of scientific discoveries, Cambridge University Press
=19820129 オーガスティン・ブラニガン著 村上 陽一郎・大谷 隆昶『科学的発見の現象学』,紀伊国屋書店
■Brannigan, Augstine 1981 The social basis of scientific discoveries, Cambridge University Press
=19820129 オーガスティン・ブラニガン著 村上 陽一郎・大谷 隆昶訳『科学的発見の現象学』,紀伊国屋書店, 446p, \3800 ISBN-10: 4314004304 ISBN-13: 978-4314004305
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■紹介
内容(「BOOK」データベースより)
科学の歴史を発見物語の連鎖と考え、われわれはそこに科学の魅力的なドラマを見出してきた。しかしいったい発見とは何か。例えば学習、模倣等といかに区別されるのか。
従来の天才説、クーン、ハンソン等のゲシュタルト転換説は発見の存在を自明のこととしているのでこれに答えられないとして、著者は社会的文脈に焦点を当て、ある出来事がそもそもどのようにして発見に仕立て上げられるかを追求しようとする。
メンデルは再発見されたのか、アメリカを発見したのは誰か、人類史の謎を埋めるピルトダウン人の真偽は…。科学史上の著名な事例を題材に、さながら推理小説を読むように、「発見としての身分」がいかに変化したかを説き明かしていく。そして結局、発見とは、われわれが世界を理解する際に用いる方法であり、解釈行為なのだと主張する。現象学的社会学、エスノメソドロジーの手法により、発見をラディカルに問い直した著。
■目次
序 マイケル・マルケイ
第一章 発見問題と自然概念
ライヘンバッハの区別――発見と正当化
ライヘンバッハの区別と歴史記録
発見の論理と科学者の行為
自然主義的アプローチと帰属主義的アプローチ
第二章 発見の心理学的説明
ハンソンと推論の論理
ハンソンにおける発見と学習
ブラックウェルと認識論的アプローチ
一般モデルと特殊事例――アド・ホックな説明
科学的発見と変革についてのクーンのモデル
パラダイム〔範型〕と概念革命
変則性か新奇性
諸事例の主題的側面
ケストラーと創造行為――観念の双連合
ゲシュタルトと無意識
無意識的判断の問題
第三章 心理学的説明の総括的評価
還元主義モデルの原理的<不十分性>
心理学的モデルにおける学習と発見の混同
発見にも誤りにも無差別にあてはまる心理主義モデル
ゲシュタルト転換――原因としての妥当性の問題
事実的発見とその必要条件
心理主義的説明の事後性
事後的アプローチと認知心理学
心理学の戦略的価値
心理主義的説明の放棄
批判の効用
第四章 発見の社会的モデルの登場
多重発見、文化と天才
天才の問題――生物学か文化か
マートン――多重発見、天才、先取権抗争をめぐって
多重事象としての発見の証拠
マートンの天才解釈
科学における先取権抗争
制度的規範か、それとも発見についての常識か
発見は原理的に単独発見であること
独一性かオリジナリティの規範か
構成としての社会的認知および褒賞としての社会的認知
第五章 有意味な行為としての発見
発見の社会的基礎
学習の認知的基礎
科学的発見に関する常識的理解
常識的理解と言語の問題
発見の帰属モデルおよび発見の評価
<実質的可能性>としての発見、<動機づけ図式>としての発見
偶然的発見
発見のローカルな場面での妥当性
一番乗りと先取権
幾つかの問題点
相対主義
理由と原因
文脈と細目
第六章 エンドウにあてはまる法則およびメンデルの物象化
メンデル復活の文脈
メンデルへの言及
進化論における変異についての論争
メンデルは再発見されたのか
通常科学的メンデル――彼の先行者と同時代人
メンデルが言及している育種家の伝統
視界のなかのメンデル
メンデルの研究に読みとられた<可能性>
結論とその意義
ライヘンバッハの区別と<命令的発話>
多重再発見時代精神
第七章 視界、再帰性そして発見のみかけの客観性
発見は観点か
素朴レヴェルで用いられる社会的図式としての発見
行為過程としてのアメリカの発見
ラヴォアジェやプリーストーリーは酸素を発見したのか
ピルトダウン人の発見と顛末
第八章 科学的発見の理論にみられる素朴レヴェルの思考
科学理論および科学についての理論における素朴要素
多重発見と文化的成熟――第一の理論
多重発見とコミュニケーションの不首尾
多重発見のリストにつきまとう曖昧さの源
天才――発見の第二の理論
発見と<視界の相互性>
ゲシュタルト変化と<想いがけなさ>の経験
第九章 発見の社会学的特徴
<ということ>と<どのようにして>――ふたつの構成的な問い
外生的および内生的説明
プログラム
多重発見について
先取権論争の潜在的機能
研究報告におけるレトリックと方法
研究を媒介する集団
原注
訳注
解説に代えて
訳者あとがき
参考文献
事項索引
人名索引
■引用等
太字見出しは作成者による
「序 マイケル・マルケイ」、ブラニガンの「発見」
そこでブラニガンは次のように結論する。発見は因果的に説明可能な個々別々の出来事として生じるのではない。「発見」とはむしろ当事者が自分たちの実践的な目的の追求の過程で行う文脈依存的なカテゴリー振り当て行為なのであって、当事者の実践的な目的に照らし、彼ら自身の素朴な発見の理論によって「説明可能となる」事柄なのである。旧来の〔発見の〕理論家たちは、当事者が状況次第でその都度発見とみなしたものを鵜呑みにしたばかりでなく、科学者たちの素朴な発見の理論を踏襲したという点でも誤りを犯したのである。ブラニガンが示すように、これらの素朴レヴェルの理論(folk theory)は、なるほど科学者たちが日常非公式に行う会話や討論にはぴったりだし、その必要を満たすものではあるが、社会学上の体系的分析という目的には、残念ながらまるで役に立たない。(pp.17-18)
ライヘンバッハによる「発見の文脈」と「正当化の文脈」の区別
二十世紀における科学の哲学的研究は、「実証主義」運動の影響下で、科学的発見の通俗的イメージや、一見して明らかな発見の非合理的様相に極力目を向けまいとしてきたように思える。新たな法則や新たな数学的証明が見出されるに至る現実の思考過程や歴史的諸条件は、科学者とか数学者が新理論を他者に伝える際になす合理的再構成とは別物だ、とハンス・ライヘンバッハは述べた。彼のこの考えは、<発見の文脈>と<正当化の文脈>は区別されなければならない、という教義の地位にまつり上げられるに至った。だが哲学者の多くは、そのように原理化された区別を行ったあげく、正当化だけが論理分析の対象であり、発見の文脈は哲学的問題としての身分を持たない、と考えてしまった。(p.27)
→ポパー
ライヘンバッハの区別から生じたこれらの帰結に対して、ふたつの反応があった。第一のものは、実際に研究を行っている科学者たちの現場での推論に基礎をおいたさまざまな「発見の論理」を描き出そうという試みの形をとった。これらの論理は、発見の理論すなわち発見へと至る過程の説明を構成するものである。本書は主にそうした努力の評価に向けられている。しかしもうひとつの反応があった。多くの論者は、ライヘンバッハの区別の有意性および妥当性を否定した。やがてみるように、これらの人々の努力は、発見がどのように生じるかの理論ではなく、発見がどのように生じないかの理論を生んだ。(pp.32-33)
ファイヤアーベントにいわせれば、ライヘンバッハの区別は根拠のないものである。なぜなら、科学における概念的進歩によってほかならぬ正当化の規準そのもの、つまり観察と証明が変化してしまうからである。(p.36)
ファイヤアーベントらの説明について
科学的発見についてのこうした説明は、発見がいかにして起るかについての理論ではない。そうした説明が示唆するのは、むしろ発見はいかにして起らなかったか、ということである。つまりそれは、推論と反駁の方法に従い、仮説を示唆する要素と、仮説を正当化する要素とを注意深く選り分けることによって、というわけである。ファイヤアーベントらが推奨するのは、研究や発見についての新しい認識論上の立場である。ファイヤアーベントの結論は単純明快、文字どおり「何でもかまわない」である。ホールトンの研究は幾分これと関係する意図のもとになされている。つまり、「教育者に科学教育における伝統的な諸概念の再検討を促すために」、科学的説明の<主題的>側面に十分な注意を払うことなのである。この<主題的>側面こそ、重大な発見を導いてきたのだけれども、科学の教科書における不正確な再構成によって抹殺されてきた、というわけである。いいかえると、ホールトンやファイヤアーベントの結論は処方的である。つまり、彼らは、科学が現実にどのように営まれてきたということに基づいて、教科書はいかに書かれるべきか、また研究はいかに進められるべきか、あるいはもっと正確にいえば、すすめられるべきでないかを助言している。(pp.38-39)
この本が行うこと
特定の発見がどのように生じるのか、という問いを立てるとき、すくなくとも可能性としてふたつのタイプの解答を提出しうるように思える。<中略>これらの説明はすぐれて心理主義的である。つまりそれらは、発見を、先行する何らかの心的ないし心的事象――そういう点で特別の因果価値〔=原因としての身分〕をもつ――の所産として扱う。こういう理由で、つまりそうした説明が発見を、法則定立的ないし本来的に結びついた然るべき他の現象の存在によってその生起が支配される自然的現象の一種としてみなしているという理由で、私はそうした説明を「自然主義的」と呼ぶ。このような立場から、さまざまな心理的メカニズムが多くの著名な論者たちによって考察されてきた。
この自然主義的な説明に対する歴史的反動としてもち出された第二の自然主義的な説明がある。こちらは、発見を文化的発展の関数として扱い、心的条件には従属的な地位しか与えない。この説明は、発見を歴史的な因果関係のなかに埋め込まれた事象群との関連で扱うという点で、やはり「自然主義的な」ものに分類できる。
私は以下の章で、こうしたモデルを分析し、それらの形式的および経験的妥当性を吟味するとともに、それらに代わる帰属モデル(attributional model)と比較するつもりである。帰属モデルでは、発見問題が次のように幾分異なった規定を受ける。すなわち、われわれが説明しなければならないのは、科学上のある仕事がどのように発見として構成されるかであって、任意の個人が発見をどのようになし遂げるかではない。このモデルの中心課題は、人々がどのようにして社会的出来事に「発見」という身分を付与するのか、そして自分のなし遂げたことにであれ他人のそれにであれ、発見というカテゴリーを割り振ることが適切であるかどうかを、どのように決定し是認するのか、ということである。(pp.42-44)
ハンソン
ノーウッド・ラッセル・ハンソンは、ポパーとは反対に、発見の論理的基礎の研究を強調した最初の現代の哲学者であった。実際、発見の問題を行動科学に任せてしまうことに対して、彼ほど熱心に反対した者はいなかった。彼は一方で、「直観」とか「洞察」といった心理的過程がかかわってくることは認めたけれども、そうした過程に結びつく諸概念の大々的な再構成が「多大の認識論的重要性」をもち、経験的に研究しうるということを主張した。この発見の過程を解明しようとするハンソンの努力は、三つの著作となって現われた。すなわち『発見の諸型』、「科学的発見の論理は存在するか」および「遡及的推論」である。(p.47)
ハンソンによる発見のパターンのモデル
発見の論理がかかわるべきは、科学者が実際に行なう推論であり、その推論は、
a ある変則性から出発して帰納的に進み、
b ある種の説明的仮説の定式化へと至るが、この仮説は、
c 組織化された概念のパターンに適合する。
こうして発見の論理なるものは、研究者がそのひとつの論証のなかで次々と段階をおって論を進めていく「実際の推論」の過程――「たとえ結論が得られたテストされる以前でも」――である。ここでハンソンが前提にしているのは、発見の論理とは、知覚されたパズルなり変則性なりを解決しようとしている科学者が行なう帰納的推論の一形態である、ということである。この論理は、ひとたび発見が成し遂げられ報告されたときには、定義によってその最終的な難関突破ないし解決に時間的に先行していた推論パターンということになる。(p.50)
ハンソンの問題
ハンソンはのっけから、発見の論理を、研究者によって進められるさまざまな推論の論理として扱うことによって、発見の学習の区別の余地を考察から落としてしまっているのである。つまり、ハンソンのモデルは、変則性やパズルの最初の役割、有望な手掛り(ないし仮説)の弁別、および主観領域のゲシュタルト的再構成に考察を限定しているために、科学研究者にも、迷路のなかのネズミにも、パンがうまくふくらまないで困っている料理人にも、同じようにあてはまる。そう、ハンソンのモデルによるかぎり、発見の論理は何ら実験室にだけ固有のそれではないし、かといって学習一般に固有の論理ともいえない。(pp.50-51)
チャールズ・J・ブラックウェル
ブラックウェルはかなり忠実にハンソンを踏襲している。彼は発見の哲学的探究を正当視するが、その論拠はハンソンのポパー批判に直接根ざしている。すなわち、科学哲学は、科学的説明の最終生産物の研究には限定されえないし、観念がそもそも形成される際の推論過程については何も語らない仮説演繹モデルだけを扱うのでもない、というのである。ブラックウェルが着目するのは、発見の文脈そのもの、つまり「新理論の形成に際して科学者が実際に行なってきたことの研究」である。(p.53)
発見の源泉を、天才とか洞察といった「評価の定めようがないもの」に求めれば、変則性、遡行的推論そしてゲシュタルト転換にあれほど強調点を置いた発見のモデルは損なわれるばかりである。にもかかわらずハンソンの考えでは、独創的かつ偉大な発見の事例は天才によって条件づけられているのであった。何と皮肉なことではないか。個々の重要な事例のどれひとつをとっても、決定的な条件は、一般的な事例から除外されたものにほかならないのである。くわえて、天才の唯一の証拠たるや、他ならぬそれが説明に用いられるところの発見だというのであれば、ハンソンの説明は単に首尾一貫していないというだけでなく、循環的でもある。そのうえ彼の説明は経験的に正しくない。というのも、デカルトが失敗したからといって、彼は天才ではなかったなどと主張する者がいるであろうか。(pp.60-61)
クーン
科学理論やパラダイムの共約不可能性、観察語の理論負荷性といった彼の概念は、マンハイムの知識社会学につきまとっていた相対主義の問題を哲学者の間に呼び醒ました。ポパーも新ポパー主義者も、《真理》と《客観性》のための戦いに結集した。社会学者の間では、クーンの研究によって、科学理論の変革とそうした変革に際して社会的役割、科学教育、世代的要因、研究のネットワークなどが果たす役割、といった実質的な問題が注目されるようになった。クーンは、科学社会学においてマートンに匹敵する重要な位置を占めるに至り、社会学者たちの関心を、科学者たちの行動の科学的内容にかかわる諸要素に向けた。(p.62)
クーンによる変則性が気づかれる必要条件
そのうちのひとつとして、「発見ばなしがもちあがるために通常必要なのは……何かがうまくいっておらずこのままではとんでもないことになるだろう、ということを察知する個人の技量、機転ないし天才である」。そして第二に、「通常の科学研究の進行の過程から変則性が出現するには、装置と概念がともに十分発展して、いかにも変則性が出現しそうな事態がしつらえられているとともに、当の変則性を予測に反するものとして認識しうるようになっていなければならない」。そして、その変則性についての観察、実験、考察が重ねられ、それに準法則的な性質を付与しようという概して時間的に長びく試みの段階が次に来る。最後に、その新しい変則性を説明する根本的に新しい概念モデルが登場して新発見が成就する。むろんこの概念モデルは、それが本来「前パラダイム的」であったがゆえに、まえもって予測されるはずのなかったものである。(pp.63-64)
「変則性はパラダイムによって与えられた背景に対してのみ出現する」。この言葉は、パラダイムとここでの関心である変則性との相互依存性を強調するために繰り返しておいてもよいだろう。変則性が認められるのはパラダイムを透してであるから、変則性はパラダイムの存在を際立たせる。いいかえれば、クーンの考える変則性とは単なる新事実の観察ということではなく、その新事実が刻み込まれるべき概念的布置の妥当性が疑われたことを意味している。ハンソンの考え方もこれと同様である。常識的な用語法からすれば、変則性とは単に予期しなかった観察つまり不規則性のことである。しかしクーンやハンソンにとって、ある不規則性が変則性の地位を与えられるということには、ありきたり以上の意味がある。すでにしてそれは支配的なモデルの暗黙の否認である。このことは、変則性そのものが発見される、ということを意味している。
しかしながら、もしそうだとすると、発見の条件の問題は、発見さるべき対象から変則性の発見へと移し変えられることになるだろう!ところがその場合の発見の条件は同じはずである。というのもクーンの説明では、ある観察を変則性に仕立て上げる行為は、その発見を発見として最初に把握する行為だからである。いいかえれば、クーンがそうしたように、変則性は発見の必要条件である、と唱えたからといって、発見について何ひとつ説明したことにならないであろう。なぜなら変則性の意味をクーン流に捉えるかぎり右の主張は、ある発見がそもそも発見であるためには発見されなければならない、と言うのも同じであり、これは明らかに循環だからである。(pp.66-67)
すでにみたとおりクーンによれば、発見は、パラダイムにかかわる変則性の確定、それが孕む意味の明確化、そしてそれを包摂しうるような理論の再構成をもって始まる。こうして彼は、変則性と革命的変革との関係を、因果的・決定論的性格をもつものとして扱うよう説く。だがたとえそれが正しいとしても、変則性の検出は発見の必要条件でこそあれあれ十分条件とはいえまい。既存の諸観念がうまく働いているとみなされているかぎり、変則性が検出されなければ新しい理論の登場の余地はない。そのかぎりでたしかに必要条件ではある。しかし変則性は科学革命勃発の十分条件ではない。(p.68)
アーサー・ケストラーと双連合bisociation
ハンソンやクーンにみられるゲシュタルト的説明の循環性は、アーサー・ケストラーの理論では避けられている。ケストラーにとっては、発見やその他の創造行為がゲシュタルト変化として生じても一向にかまわないけれども、「ゲシュタルト」それ自体は何ら説明的重要性をもたない。ゲシュタルト変化は、ある思考過程の結果であって、その過程は必ずしも常に意識的であるとはかぎらず、下意識的ないし前意識的である場合もある。
ケストラーの主張によれば、科学的発見ばかりでなく芸術的創造やユーモアのひらめきの場合も、基礎にある思考過程は構造的に同じである。それらはふたつのみかけの上では矛盾し合う文脈をひとつの観念で結びつけることの結果として生じる。彼は「双連合」(bisociation)という造語によってこの統合過程を表わそうとした。この統合は最初、ちょっとした腹立たしさ、動揺、あるいは〔精神分析でいう〕置き換え(displacement)の感覚――これは状況がどう把握されているかに応じて質を異にする感情的「流出」によって「解放される」――を引き起こす。たとえば、冗談は笑いを誘発する並置(juxtaposition)の感覚を作り出す。そして文学的創造とは、日常性に感動を付与し審美的ないし浄化的体験を誘うような心像、表象、類比からなる。どの場合でも双連合は、ある緊張の要素を作り出し、それは情緒的にしっくりする形をとって解放もしくは表現される。ケストラーは、まず日常的なユーモアのもつ双連合的構造の広範な分析から始め、それとの類比で科学へと話をすすめている。(p.74)
視覚ゲシュタルト
視覚ゲシュタルトの教科書的事例、たとえば足つき杯が二人の人間の対称的な横顔に変わる、といった例でわれわれが信じこまされているのは、ゲシュタルトとは諸要素を図と地の関係へと秩序づけることにあるということ、である。精神はどちらか一方のイメージしか考えることができず、したがって意識は一枚岩的だ、という含みがここにはある。このような含みは、クーン、ハンソンおよびファイヤアーベントによる「パラダイム変化」の際のゲシュタルト転換に関する仮定とも軌を一にしている。あるパラダイムに帰依すれば――まるでわれわれは一度にひとつのパラダイムしか抱懐できないかのように――別のパラダイムからする知覚は斥けられてしまう、というわけである。(p.80)
ゲシュタルトおよび下意識が科学的発見の必要条件か十分条件のどちらかである、ということを原則として支持することは困難であるように思える。というのは、すべてのゲシュタルト転換が科学にかかわるわけではないし、すべての発見がゲシュタルト転換の結果であるわけではないからである。(p.83)
発見の心理主義的説明は還元主義
そのうえ、これらのモデルは、その厳密な定式化においては重要な差があるとはいえ、どれも同じ種類の説明、すなわち心理主義的説明であるといってよい。それぞれにおいて支配的な役割を演じる要因が何と呼ばれていようと――ゲシュタルト変化、変則性の知覚、遡行的推論、直示、技量、機転、天才、洞察、あるいは幸運――これらのモデルは皆、研究者が環境との相互作用の結果、どのように新たな着想を得るに至るかを示すことによって発見の出現を説明している。したがってこれらの説明はどれも還元主義的である。つまりそれらは、歴史的発見の問題を心理学的レヴェルへ還元している。(pp.85-86)
この欠点は、それぞれが指定する条件の、〔発見の〕原因としての資格(causal value)を考えてみれば一目瞭然である。すでに指摘したように、決定的条件が、遡行的推論、変則性の知覚、下意識的統合のいずれであれ、それは発見の必要条件でしかありえない。なぜなら、そこでいわれているのは、発見がゲシュタルト的・遡行推論的・双連合的性格をもつ推論の集合に属するということであって、この集合のすべての要素が必ずしも発見ではないゆえに、条件としては十分ではないからである。ハンソンにおいて露見したように、それでは古典的実験の再現の過程でひらめきを体験した生徒も真の発見者も一緒くたになってしまう。同様に、これも触れたことだが、ブラックウェルのふたつの発見モデルは、科学知識の「精緻化」や「転換」にばかりでなく、性心理的発達とか政治的覚醒といったことにも同じようにあてはまる。さらにまたケストラーのアプローチにおいても、その説明は非科学的分野、とくにユーモアとか美術や文学に妥当することが明言されている。(pp.87-88)
発見がかくもすんなりと心理学的問題として設定されえた、というのはどういうことなのだろう。発見の問題が提示される場合、それはふつう事後的なやり方においてであることにもう一度注目していただきたい。つまり出来事の発見としての身分は、それがどのようにして起こったのかという問いが発せられる以前に、すでに決着しているわけである。したがって、発見はどのようにして起こるのかという問題は、「どんな段階を経て発見へと至るのか」という問いと同じものとなる。こんなふうに理解されてしまうと、要は発見を何らかの決定的な力や作用の述語ないしは帰結とする問題と言うことになる。そして検討されたのはもっぱら心理学的諸力であった。(p.98)
心理主義的理論の検討から引き出した教訓
第一に、発見の理論は、とくに発見の生起の説明に適切であるべきであり、したがってまた、「発見」という社会的カテゴリーに対して適切な意味を与えるものでなければならない。第二に、発見の理論は、これらの出来事の社会的身分が変化することをうまく説明できなければならず、事後的な状況判断にあからさまに依拠してはならない。したがって、発見の理論は、発見の本質的性格つまりその社会的背景ないし基礎に噛み合うものでなければならず、何か固有の自然的な核のようなものがあって発見はそれへと還元できる、といった前提に立ってはならない。(pp.106-107)
レスリー・ホワイト、多重発見の問題
しかしながら、多重発見のリストがかつぎ出されて、天才からする循環論に取って代わったのは、文化からするこれまた循環論であった。何であれ変化が起こるのはその時期が到来したからだ、と述べることは、出来事の一属性である時間性(temporality)に、原因としての身分――そういう言い方〔「のは……だから」〕によって含意されている別の出来事に属す方がふさわしい身分――を付与することである。(p.117)
たとえば、ブースがリンカーンを殺害するであろうとことを予測できた者はいなかった。あの事件は歴史上の一回的出来事であった。しかしながら、そうではない出来事、つまり文化的進化に照らして予測可能かつ不可避的な出来事の証拠たるや、多重発見・発見のリストしかないのである。したがって文化論者たちは一分の隙もない言い分をお持ちである。天才やら個別性やら掘出し物を見つける才やらがお出ましのときは、歴史的一回性といことで話はつき、そうでない場合は、社会や科学の変化は文化的に決定されるというわけである。いいかえると、文化からする循環論をもってしては予測ないし説明できないことは、何ら憚ることなく歴史の特異性に押し付けられてしまうわけである。(pp.117-118)
マートン
ここでわれわれがとりあげるマートンの著作は、一九五七年およびそれ以降に現われたものであり、ノーマン・ストーラーが「マートン・パラダイムの核心」と呼んだ諸著作である。それらの内容を三つに分けて扱うことにする。すなわち、すべての発見は原理的に多重発見であるというマートンの仮説、天才に関するマートンの機能主義的解釈、および先取権論争の原因が〔科学者共同体の〕規範に根ざすものだとするマートンの有名な議論がそれである。(p.119)
要約しよう。マートンが同定する科学の制度的側面は、われわれの注意を科学者たちの行動に向ける。そして、ある出来事が一定の身分をもつに至る過程を媒介するのは、つまりある仕事が、発見、発現ないし模倣、大言壮語、真摯な信念、知的窃盗、、あるいはその他の何であれ、そのどれなのかを決定するのは科学者の役まわりであることが、そこから示される。ある科学者たちが同じ法則を独立に発見するといったことは、きわめてしばしば起こることではあろうが、こうした事実の認定には、そのような偶然の一致の可能性、なされた寄与のアイデンティティ、研究者たちの動機、等々に関する何らかの仮定がついてまわる。したがって、発見の社会学的説明は、ある出来事が発見であると社会的に決定される――つまり発見だと規定される――プロセスに狙いを定めることになる。したがってマートンの基本概念のいくつかを稔り豊かに再解釈するならば、発見は社会的に構成されるものだという考えを発展させるのに役立つ、といえるであろう。(pp.131-132)
科学的発見の理論にみられる素朴レヴェルの思考について
本章で検討するのは、特定の科学分野の起源に関する神話ではなく、発見がなされるプロセスについてのある種の信念である。とくに、最初の数章でしばしば出遭った科学的発見についてのふたつの顕著な科学的発明が、実は素朴レヴェルの信念(folk belief)であり、その価値は「自然的世界」についての顕著な現象学的仮定に由来するということが示唆される。またとくに、これらふたつの理論が、多くの理由から容易に却けられるという事実にもかかわらず、広く流布しているのは、一方の発見という現象と他方の<視覚の相互性>ということと並置したときに生じるある種のディレンマを、これらの理論が解決するからである、ということも示唆される。(p.292)
素朴レヴェルの理論folk theory
すべての科学理論は規約的性格〔つまり約束事的な性質〕をもつことが主張されている。しかし私は、理論や発見についての理論のあるものが、単に規約的であるのみならず、たとえそれが誤りであっても、そうした理論が説明しようと事物の客体化に対して特定の文化的帰結をもたらすということを示唆しておきたい。いいかえれば、発見を構成する理論なり観察なりは経験の領野を客体化するが、発見についての理論は、経験を、第二次的な抽象のレヴェルで沈殿させる(sediment)、ということである。理論も理論についての理論も規約的ではあるが、後者が興味深いのは、それが規約的だからではなく誤りだからである。とくに本書は、心理主義的および文化的モデルを検討した。以前の諸章で私は、これらのモデルを否定する理由を明らかにすべく努力してきたが、本章では、なぜそれらが日常生活において有益なのかの理由を幾つか指摘しようと思う。もっとも有益といってもわれわれ〔分析者〕にとっての理論としてではなく、社会の成員にとっての信念としてではあるが。しかしそれらは、事実上は理論としての働きをしているように見えるゆえ、私はそれらを、素朴レヴェルの理論(folk theory)あるいはエスノ・セオリー(ethno-theory)と呼ぶつもりである。
素朴レヴェルの理論ないしエスノ・セオリーの諸要素に関して、とりあえず以下のような諸点は明らかといえよう。第一に、それは合理的な説明としての身分をもち、概して、研究者ないし科学者の立場にある人々によって遂行される研究行為の過程の所産であること。第二に、その説明は広く直観に訴え、往々にしてアド・ホックな仕方ではあるが頻繁にかつぎ出されること。第三に、そうした理論は、すくなくとも回顧的に見た場合客観的に正しくないにもかかわらず、いかにもそれに相応しいある社会的機能を全うするがゆえに支持されたこと。(pp.294-295)
素朴レヴェルの理論とイデオロギー
しかしこうした類の例は、「イデオロギー」という言葉で表わすのが適切である。つまりこうした理論は、それを開発し消費する個人、階級ないし国家の社会的地位を正当化するのである。しかしながら素朴レヴェルの理論には、政治学者がイデオロギーと名づけているものに加えて別なタイプの信念も含まれる。素朴レヴェルの理論のあるものは、階級的、民族的、国家的な境界を超えて常識のレヴェルで機能する。そうした理論のうちに入るのが前述のふたつ、つまり「文化的成熟」論および「天才」論による発見の説明である。これらの理論は、科学的には誤りでありながら、しばしばしかも文句のつけようがない形で引き合いに出されてきた。それはこれらのいずれもがそれなりに、視界の相互性という動かし難い前提を、それが発見行為によって危うくされるように思えるときに救うからである。(p.296)
多重発見についての反論
それぞれの場合を裏付ける事例は多数提示できようが、にもかかわらずこれらは、コミュニケーションの不首尾とでも名づけられる共通の糸で結ばれている。それゆえ、科学の歴史は本質的には多重発見の歴史ではなく、お粗末なコミュニケーションの歴史だ、と主張してもよさそうに思える。この見解にうまく合う次のような観察がある。すなわち、多重発見と分かち難く結びついている先取権論争が、専門科学者の体制的機構、すなわち研究結果に関するコミュニケーションの組織化にとりわけ効果的な体制の勃興とともに、次第に減少してきた、というのがそれである。
もしコミュニケーションが最も効果的になされていたとしたら、重複は、実際よりもずっと僅かしか起こらなかったであろう、と結論しても適切を欠くようには思えない。議論の便宜上、科学の歴史は単独発見の記録となったろう、といってよいように思う。(p.300)
心理主義的概念に対して
見てのとおり発見を論じている主だった論者たちのすべての、「天才」ないしそれに匹敵する心理主義的概念への再三の依拠がみられる。これらのモデルは、発見問題を、諸観念はいかにして想いつかれるか、という問題と等しいものにしてしまう。そのうえ、この〔心的〕過程の説明は、概して循環的つまり同語反復であり、しかもしばしばアド・ホックなかたちで、ご贔屓の説明では特定の事例を扱いきれなくなったときにかつぎ出される。
普通の研究の標準からすれば、こうしたモデルに見切りをつけて他を探そう、ということになるのだろうが、本書ではこれらの「理論」そのものが関心の的となる。というのも、事実からすれば非論理的であるにもかかわらず、それらは至るところでかつぎ出され、しかもきわめて常識に訴えるものをもっている、といことからして、社会の成員が発見を理解するために用いる実際的な説明としてそれらを考えてみるべきだからである。いいかえると、それらは常識的な理論ないし素朴レヴェルでの説明として扱われるべきだ、ということである。つまりそれらは方法論者からすればどれほどいいかげんであっても、社会の成員にとっては自然で納得のいく説明なのである。(pp.312-313)
ポルナーの「日常性原理」とシュッツの視覚の相互性
素朴レヴェルでの説明として考えたとき、これらの理論は社会の成員に対してどんな説明力をもっているのであろうか。発見に関して、そこで特に問題で特別の説明を必要としとりわけ天才概念が妥当するようなものとは何なのか。それに答えてくれるのは、メルヴィン・ポルナーが展開した「日常性原理」(mundaneity principle)およびシュッツが論じた視界の相互性である。ポルナーの日常性原理の中心的な前提はこうである。概ねわれわれは普段の生活のなかで、この世界が客観的な構造をもち、その諸要素は、それらに関してわれわれ自身が行なう構成とは独立である、と仮定している。またわれわれは、他人と視界を取り換えても、その人たちの観点からやはりこの世界の同じ出来事を経験するだろう、と仮定している。したがって、普段ひとつの現象についての互いの矛盾し合う説明に出逢ったとしても、その矛盾は一方の観察者の視界の反映であって、実在世界の構造を反映しているのではない、ということになる。(pp.313-314)
天才
いいかえれば、発見者の視界を特別扱いすることによって、つまり特殊な例外を認めることによって、視界の相互性という日常的な前提が保護されているのである。(p.315)
天才および文化的成熟に基づいた発見の説明は、厳密に科学的な点では妥当性を欠くけれども、きわめて頻繁に繰り返されてきたし、直観に対してもきわめて強く訴えかけるものをもっている。ということはつまり、それらは手の込んだ常識的信念となっている、ということであろう。それらが与える客観主義的な発見の解釈は、ポルナーが視界の相互性に結びつけた日常性原理なる前提を保護するとともに、発見は外生的諸力(exogenous forces)によってもたらされる、という自然主義的仮定を強化する。こうした説明が社会の成員によってしばしば用いられるその用いられ方は再帰的(reflexive)である。つまりそれは、そうした説明を用いることとは一見独立でその説明の適切さと説得力の証明であるような一組の指示物(天才や文化的成熟)を与えるけれども、それらが得られるのは当の説明を用いることが当然のこととして認められる場合に限るのである。たとえば<天才>を用いることによって、発見がなされたということ、それがなされたときになされたこと、誰が発見を行なったのかは偶然ではなかったこと、そしてその発見としての身分は客観的で自然的に生じた事柄であったこと、が説明される。これらの常識的理論の再帰的性格は、第二章で、論理的循環つまり同語反復として扱われた。しかしこの循環性は、集団の成員が行なう説明の再帰的性格、つまりその説明が説明対象たる状況に本来的に含まれる局面だということの帰結なのである。その循環性は、自然主義的見地に立つ科学者にとっては論理的な誤りである。しかし社会学者にとっては、素朴レヴェルの現象を研究する場合の決定的に重大な観察なのである。(pp.318-319)
想いがけなさ
このいかにも非意図的な思考の構造のゆえに、社会の成員はこともなげに、発見は自分たち社会成員による具体的な場面での産出〔行為〕とは独立である、というふうに見てとることになる。いいかえると、社会の成員が発見に結びつける<想いがけなさ>――この場合の発見は、とくに彼ら自身の経験からくる日常的な発見やアルキメデスのそれのようにこの想いがけなさを裏づけるような科学上の発見――が、そうした発見を客観的もしくは自然的な出来事にみせかける、ということである。こうした次第で、この想いがけなさの印象は、天才や文化的成熟についての常識的な理論同様、発見が自然的基礎をもつという成員の認識をもっぱら強めるわけである。(p.323)
*作成者:篠木 涼