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『現代教育亡国論――精神科医の現場からの発言』

石川 清 19790525 実業之日本社,218p.


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■石川 清 19790525 『現代教育亡国論――精神科医の現場からの発言』,実業之日本社,218p. ASIN: B000J8HB2S 1200 [amazon] ※ m.

■著者

石川清(いしかわきよし)(奥付より)
 大正13年(1924)生。東京都出身。東京府立一中を経て東京大学医学専門部およぴ同大学文学部哲学科卒。医学博士。東大府院構神神経科医局長,同病棟医長,講師を経て,昭和37年(1962)同大医学部講座専任講師兼保健センター精神衛生部門主任となり現在に到 る。専攻=精神病理学および青春期精神衛生。各種専門論文の外に,共訳害としてヤスぺ
ルス『精神病理学総論』(岩波書店),アッカークネヒト『精神医学小史』(医学書院)等があり,また共著として精神医学教科書や各種事典等がある。」

■引用

◆はじめに

 「次に執筆の理由について、自己紹介を兼ねて若干述べよう。私は本来「主義」を奉じない、いわゆるノンポリの医学部教官であるが、昭和四十三年(一九六八)に始まった東大闘争で、同年十一月に精神神経科医局が解散すると同時に設立された、東大精神科医師連合(約百二十名の精神科医から成る任意加盟の医師集団)の実行委員長(代表者)に公選され、これを昭和五十二年(一九七七)七月に年齢の関係でやめるまで十七期つとめた。その間いろいろと紆余曲折はあったが、因襲的な医局制度の解体、人体実験問題、薬害問題、精神病院不祥事件等々に連合員やその他の同志とともに取りくみ、学内学外でいささか活動した。
 連合は日本精神神経学会でいくつかの宣大決議を採決することに成功し、人体実験や生体解剖を行った教授たちに反省を求めた。
 第五回国際脳神経外科学会(昭和四十九年、一九七四年)では、帝国ホテルの会場に入って、<0004<外国の学者にもアピールした。現在さらに連合はロボトミーやロベクトミーの廃絶に努力し、刑法改正・保安処分の立法化にきびしく反対して、東大精神科仮病棟の自主管理を続けている。
 既述のように私は委員長はやめたが、マッカーサーのようなソルジャーではないから、消え去ったりはしない。
 私は教育者であり、かつわが国最初の大学精神衛生教官であるから、浅学菲才ではあるが、同僚とともにキャンパスの明朗化と教育・研究の効率の向上につとめてきた。
 私はなによりも真っ当な討論を重要視するが、学生や市民との対話を完全に拒否したり、まして権力的対応だけをくり返す者に対しては、「暴力」は正当化されて「武力」となると信ずる。しかし「内ゲバ」はしばしばあまりに短絡的であり、共犯者意識を生じやすく、不毛で悲惨な行為であると思う。
 派閥と身分を超えた討論によって決定された事項を、勇敢に実行に移すことが、責任者にとって一番大切である。しかしこの十年間、学内学外を問わず、当面の重要課題について、無知で不勉強であり、しかも無知をあたかも超俗的な学者らしい態度であるかのように錯覚して、泰然自若としている教授たち、高級官僚たちが多々存することを思い知らされて、彼らの安住の基盤である、現教育体制の変革の必要性を痛感してきた。このことが、教育体制に関して見解を表明する気になった第一の理由である。」(石川[1979:4-5])
 第5章 学生・生徒に多い精神障害
 「9 性格反応
 数年前の日本精神神経学会総会(会員四千余名でほとんどは精神科医)で、精神病質論が討議され、精神病質という「病名」は、社会防衛的見地に立った犯罪学専攻の精神医学者の犯罪者研究の結果つくり上げた性格類型であって、内容的には「社会を悩ます人々」という判断が<0125<先行しており、反社会性や非社会性のよって来たるゆえんの考究は貧困である、という結論となった。そしてこの概念は抹殺された。
 たしかに精神病質概念には、討議されたような由々しい難点が多く、しかも素人じみた内容も多いので、社会秩序安定のための道具として利用され易く、現に内外で種々な型で保安処分立法に組み込まれつつある。現に『精神病質人格』の著者クルト・シュナイダーは、これは研究上の便宜的類型であって診断として用いてはならない旨を強調したにもかかわらず(この著は人間研究の上では不可欠の名著であると私は信じている)、法律家や保安担当官の目にふれるやたちまち、利用しつくされてしまったのである。
 わが国では精神病質概念はすでに否定されている。しかし、「社会を悩ませる」ょりも「自らの性格に悩む」人々は存在するのであって、この性格がコントロールできないために、自・他を殺傷するなどの悲しむべき結末をとげる人は少なくない。
 精神病質論では、(異常)性格を自分ではどうしようもない、生まれつきのものと見る考え方がつよい。しかし性格は、努力すれば三十五歳くらいまではかなりの可変性があるのがふつうである。
 不幸にしてそのような努力の機会がえられないと、いろいろな動機で反応状態(性格反応)に陥るのである。従って敏感、易怒、無力、意志薄弱、爆発性等々と名づけられる性格傾向<0126<も、それを病質として固定化されてしかるべき性質のものではなく、それどころかその早期の状態において、適切な手だてを加えれば治療上有効なメルクマールとなる。
 私には、学会のあとで友人から教えられた、ある外国の専門家の「精神病質者は治療者が彼らの人柄を好くようになれば、すべて単なる性格反応になってしまう」という言葉が、学会でのの激烈だった精神病質概念の可否論よりも、はるかに医療的であり、保安処分立法の方を阻止するカをもっていると考える。」([125-127])

■言及

◆立岩 真也 2013 『造反有理――身体の現代・1:精神医療改革/批判』(仮),青土社 ※


UP:20130822 REV:20131002
藤沢 敏雄  ◇精神障害・精神医療  ◇精神障害/精神医療…・文献  ◇身体×世界:関連書籍  ◇BOOK
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