『実践の倫理』
Singer, Peter 1979 Practical Ethics, Cambridge Univ. Press
■Singer, Peter 1979 Practical Ethics, Cambridge University Press, viii+237p. ISBN:0521229200 ; 0521297206 pbk. =19910930 山内友三郎・塚崎智監訳,『実践の倫理』,昭和堂,344p. ISBN-10: 4812291178 ISBN-13: 978-4812291177 2900 [amazon]/[kinokuniya] ※ b 0p/d01 d/be
1979 Praktische Ethik 1984 bersetzt von Jean-Claude Wolf, Reclam
■Singer, Peter 1993 Practical Ethics, 2nd Edition, Cambridge Univ. Press=19991025 山内友三郎・塚崎智監訳,『実践の倫理 新版』,昭和堂,456p. ISBN-10: 4812299292 ISBN-13: 978-4812299296 2993 [amazon] ※ b 0p/d01 d/be
商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
倫理や道徳を人種上の少数派の処遇、女性に対する平等、食糧や研究のための動物の使用、自然環境の保全などの実践問題に応用し、「公平主義」に基づいた理論を展開。原著第2版を翻訳した91年刊の新版。〈ソフトカバー〉
◆初版(1979)目次
第1章 倫理学について
第2章 平等とその意味するもの
平等の基礎
平等と遺伝的多様性
機会の平等から配慮の平等へ
逆差別
第3章 動物に平等を
第4章 殺すことのどこが不正なのか
第5章 生命を奪う――動物
第6章 生命を奪う――人工妊娠中絶
第7章 生命を奪う――安楽死
安楽死の種類
非自発的安楽死の正当化
自発的安楽死の正当化
反自発的安楽死は正当化されない
積極的安楽死と消極的安楽死
滑りやすい坂――安楽死からジェノサイドへ
第8章 富める者と貧しい者
第9章 目的と手段
第10章 なぜ道徳的に行為するのか
環境
◆新版(1993)・目次
第1章 倫理学について
第2章 平等とその意味するもの
第3章 動物に平等を
第4章 殺すことのどこが不正なのか
第5章 生命を奪う――動物
第6章 生命を奪う――胚と胎児
第7章 生命を奪う――人
第8章 富める者と貧しい者
第9章 内部の者と外部の者
第10章 環境
第11章 目的と手段
第12章 なぜ道徳的に行為するのか
◇飯田編[1994:69-75],飯田編[1994:127-134]に伊勢田哲治・江口聡の第1章・2章の紹介
■引用
◆積極的安楽死と消極的安楽死
「すでに指摘したとおり、妊娠後期の胎児に障害のある可能性が高い場合、妊婦が胎児を殺すことが多くの社会で認められている。また、成長した胎児と新生児とを分ける境界線は決定的な道徳的分岐を示すというものではないのだから、なぜ、障害があるとわかっている新生児を殺すほうが悪いことであるのか理解し難い。」(Singer[1993=1999:243])
初版:「すでに指摘したとおり、もしも妊娠後期の胎児に障害のある可能性が高いと確信できるなら、我々には胎児を殺すつもりがある。また、成長した胎児と新生児を分ける境界線は決定的な道徳的違いをもたらさないのだから、なぜ、障害があるとわかっている新生児を殺すことのほうが悪いことであるのか理解し難い。」(Singer[1979=1999:194])
◆新版(1993)からの引用
*以下の部分は初版にはない
◇17 “If disabled people who must use wheelchairs to get around were suddenly offered a miracle drug that would, with no side effects, give them full use of their legs, how many of them would refuse to take it on the grounds that life with a disability is in no way inferior to life without a disability? In seeking medical assistance to overcome and eliminate disability, when it is available, disabled people themselves show that the preference for a life without disability is no mere prejudice.”(Singer[1993:54])
“To be able to walk, to see, to hear, to be relatively free from pain and discomfort, communicate effectively--all these are, under virtually any social condition, genuine benefits. To say this is not to deny that people lacking these abilities may triumph over their disabilities and have lives of astonishing richness and diversity. Nevertheless, we show no prejudice against disabled people if we prefer, whether for ourselves or for our children, not to be faced with hurdles so great that to surmount them is in itself a triumph.”(Singer[1993:54])
(立岩『私的所有論』第9章注17における引用)
以下はその訳文
「仮に車椅子の障害者たちが,副作用なしに両足が完全になおる奇跡の薬をいきなり与えられたとするならば,障害を背負った生活が障害のない生活よりも結局のところ劣っているということをあえて認めない人は,彼らのうちにどのくらいいるだろうか。障害者たち自身が,障害を克服し除去するために手に入る医学的援助を求めることは,障害のない生活を望むことは単なる偏見ではないということを示している。」(Singer[1993:139],訳は土屋貴志[1994a:139])
「歩けること,見えること,聞こえること,痛みや不快感が比較的少ないこと,効率的にコミュニケーションできること――こうしたことはみな,事実上どんな社会状況においても,純粋に良いことgenuine benefitsである。こう言ったとしても,これらの能力を欠く人々がその障害を克服したり,驚くほど豊かで多彩な生活を送ることもあるということを否定することにはならない。いずれにせよ,克服すること自体が勝利といえるほど深刻な障害に,私たち自身や私たちの子供が直面しないように望んだとしても,障害者に対する偏見を示していることには全然ならない。」(Singer[1993:54],土屋[1994a:139])
「動き回るためには車椅子に頼らざるをえない障害者に、奇跡の薬が突然提供されるとする。その薬は、副作用を持たず、また自分の脚を全く自由に使えるようにしてくれるものである。このような場合、障害者の内のいったい何人が、障害のある人生に比べて何ら遜色のないものであるとの理由をあげて、その薬の服用を拒否するであろうか。障害のある人たちは、可能な場合には、障害を克服し治療するための医療を受けようとしているのが、その際に障害者自身が、障害のない人生を望むことは単なる偏見ではないのだということを示しているのである。……
歩いたり、見たり聞いたりできること、苦痛や不快をある程度感じないでいられること、効果的な形で意志疎通できること、これらはすべて、ほとんどどのような社会状況でも、真の利益である。これを認めるからといって、これらの能力をすべて欠いている人々がその障害を克服し驚くべき豊かさと多様さを持った生活を送ることがありうるということを否定することにはならない。」(Singer[1993:54=1999:65])
■紹介・言及
◆立岩 真也 2002/10/31 「ないにこしたことはない、か・1」,石川准・倉本智明編『障害学の主張』,明石書店,294p. 2730 ISBN:4-7503-1635-0 [kinokuniya]/[bk1] pp.47-87
◆立岩 真也 2007/06/25 「死の決定について・6:シンガー」(医療と社会ブックガイド・72),『看護教育』48-06(2007-06):-(医学書院)
◆立岩 真也 2007/07/25 「死の決定について・7:シンガー(続)」(医療と社会ブックガイド・73),『看護教育』48-07(2007-07):-(医学書院)
◆立岩 真也 2009/03/10 『唯の生』,筑摩書房,424p.