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『在宅看護への出発――権利としての看護』

木下 安子 19780725 勁草書房,304p.

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last update:20160126

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■木下 安子 19780725 『在宅看護への出発――権利としての看護』,勁草書房,304p. ISBN-10:4326798394 ISBN-13:978-4326798391 欠品 [amazon][kinokuniya] ※ n02. a02

■目次

第一編 在宅看護の展望
 第一章 在宅看護の歴史
 第二章 老人の在宅看護
 第三章 難病患者の在宅看護
 第四章 在宅看護の展望
第二編 保健婦活動の課題
 第一章 保健婦活動の課題
 第二章 保健婦教育
第三編 看護の論理
 第一章 看護実践の論理――看護の技術科の方法
 第二章 看護教育と看護制度
あとがき

■引用

第一編 在宅看護の展望
 第一章 在宅看護の歴史
 第二章 老人の在宅看護

 5 訪問看護の特徴と問題点 49

 1)入院できないから、訪問看護が必要なのか

 2)訪問看護の技術水準は低くてもよいか

 3)訪問看護料はどこが負担すべきか

 4)医師による治療に代りうるか

 5)訪問看護は与えられるものだろうか
 汐田病院の地域にねざした医療実践の歴史の年輪の上に、訪問看護は築かれ、住民に支持された根づよい”生活と健康を守る会”の組織活動によって支えられてきた。小沢さんはこの活動がなければ今日までこられなかったろうという。訪間時に、入浴サービス車の要求、署名を依頼、在宅寝たきり老人、身障者の家族会に入会を必ずすすめている。
 七四年九月、第一回の家族会がもたれ、福祉事務所福祉係長も出席、二七人の家族があつまつた。この席上、最も強い要望として、入浴問題が出た。病人をかかえた家族の切実な願いだった。この要求を運動に、今も入浴車を横浜市に設置するよう働きかけが続いている。
 訪問看護も与えられるものでは決してなく、地域の医療要求として、闘いとってゆくものである。こうした運動をともなわない限リ、訪問看護は恩恵として与えられるものになったリ、入院▽055 にかわる安あがりの医療として位置づけられてしまう危険をともなうのである。
 民医連第六回理事会は民主的地域医療の確立、七七年唾十算獲得医療拡充をめざす五大要求を提示し、その中の一つの柱として訪問看護制度の確立をあげている。
 このことは、国民の要求に根ざし、よい医療を追求してきた民医連が、多くの院所で実践し、その成果をふまえての方針であり、画期的なことであろう。民医連医療の中で、看護活動はその中心的な活動でありながら、チーム医療としてとらえられるため、その独自の活動として評価されることは少なかった。看護を求める人びとに、豊かな、質の高い看護が提供できるように、この要求を強力に前前進させたいと願うものとして、小沢さんの地域の患者の観察力、機敏な対応、家庭看護の実施と指導の実践は、きわめて貴重なものと考える。
 そして今後の運動の発展と技術水準の向上がさらにすすむであろうことを心より期待する。

 第三章 難病患者の在宅看護 56

 一 難病とは何か
 難病という言葉が社会的に使われ出したのはそう昔のことではない。宇尾野公義☆01都立府中病院副院長によれば「患者友の会などが医療福祉を願い、病因の究明や医療費の公費負担などを訴えて国は地方自治体などに呼びかける場合に用いられていたが、それがいつの間にか一般的名称となってしまった」という。このように、いってみれぱ素人が、行政に対する運動を通じて言い出した言葉が一般的用藷になったというこのこと自体、非常に病気の特徴を表しているように思われる。すなわち、少なくとも、今までの医学の概念ではないのである。△056

 1 難病問題の社会的提起
 東京オリンピックで世の中がわきたっていた一九六四年、人々は”スモン”という難病の多発に不安な気持ちにかられた。それは埼玉県の戸田ボートコース周辺地区で四五名もの亜急性脊髄視神経症が出たのである。
 下半身のいいようのないしびれ感、足先からだんだんはい上がリ、胸にまでも達する視野狭窄、ついに失明にいたる悲惨さである。治療法はない。しかも六七年から六八年にかけ、全国的規模で多発するようになったから、社会問題となリ、厚生省もその対策を迫られ、スモンに対する研究体制が作られた。そして、いわゆるは”難病”に対して、特定疾患対策室が七二年七月に設置されたのである。この経過でも分かるように、難病がクローズアップされたのはスモンによってであるが、難病はスモンばかリではない。
 公害のイタイイタイ病・水俣病・端息など、いずれも難病であればこそ、大きな社会問題になった。六価クロムやCO中毒など労働災害によるものもある。進行性筋ジストロフイー症・重症筋無力症・パーキンソン病・多発性硬化症などの神経疾患や、慢性腎炎・肝炎も難病である。自血病などの血液疾患、あるいは癌等々、いくらでも悲惨で治癒困難な経過をたどる疾患はある。しかし行政的には、これらの疾患のすべてを難病として扱ってはいない。あるものは公害病といしあるものは労働災害として対策がたてられる。では、いったい何を難病とするのであろうか。△057

 2 難病とは――その定義、概念をめぐって

 厚生省は、難病について、次の四つの基準をあげる。
 1 原因不明
 2 治療法も分からず治癒しにくい
 3 一生闘病を続ける
 4 ときに軽快しても、視力障害、手足の運動障害で、社会や職場復帰が困難
 現在、スモンについては研究の結果、キノホルムという薬剤によって発生することが明らかになった。とするとスモンはこの基準からいえば難病ではなくなるのだろうか。そうはいえない。難病といえる疾患でも、幸いにして軽く、ほとんど障害なく、治癒はしないが日常生活に不自由なく生活している人もいる。この人も難病だろうか。など、この基準ではあいまいな点も感じられる。
 厚生省の定義とは別に、スモン患者の発生、および救済をめぐって国会で論議がされている折、白木博次☆02前東大教授は、衆議院社会労働委員会において、難病とは何かを次のように説明している
 1 原因の明、不明を問わない
 2 状態像の深刻さ
 3 社会復帰が極度に困難であるか不可能であること
 4 医療・福祉・社会から疎外されている
というものである。病気の種類ではなくて、その患者が陥っている、身体的・社会的状況の深刻さをメドとして考えるので、いわゆる狭い意昧の医学的な定義ではない。
 スモンの患者が、しびれをはじめ、身体的な苦痛に痛めつけられ、なおかつ、再び社会復帰できない下肢の不自由、失明などに嘆き、さらに迫い撃ちをかけるように伝染病だ≠ニ騒がれ、その結果、家主から追い立てられ、パン屋から買いに来ないで≠ニ断わられる。こうした社会疎外が、身体的苦痛にもまして患者を痛めつける。事実、新聞紙上にスモン患者の自殺が次々と報道され、スモン感染説が否定された現在でさえ、一般の人々より高い自殺率である。
 このように、患者の苦痛を身体面のみでなく社会的側面を含めた実態をおさえた定義であろう。

 3 難病患者の実態

 4 難病に対する援助

(1) 宇尾野公義「いわゆる難病の概念とその対策の問題点」公衆衛生一九七三年三月号、一八六〜一九二頁。
(2) 白木博次「市民の健康――環境汚染による健康崩壊への危機」岩波講座『現代都市政策] 都市社会と人間』二六九〜三〇四頁、一九七三年。
(3) 芦沢正見「難病対策の現状と一、ニの問題点」ジュリスト五四八号、二六一〜二六七頁、一九七三年一一月。

 二 難病患者の在宅看護

 第四章 在宅看護の展望

 一 「在宅看護研究会」の組織と活動

 1 在宅看護研究会の誕生
 一九七〇年八月、朝日新聞東京本社の講堂で一つの講演会がもたれた神経病総合センター設置促進講演会≠ナある。会場に集まった人々の大半は明らかに身体上の不自由をもっていた。全国スモンの会、東京進行性筋萎縮症協会の会員たちである。そして美濃部東京都知事の登壇を待っていた。その期待のまなざしを受け、都知事はあっけないほどはっきりと「神経疾患患者のための施策に着手する」と発言した。患者会が準備した要望書は手渡されたが、既にその必要さえないほどであった本当だろうか≠ニ互いに顔を見合わせていた患者さえいた一幕であった。しかし、事実この会で△086 の都知事の発言は行政レべルで実現されていった。既に六八年六月、重い心身障害をもつ児童および成人を収容する施設として府中療育センター≠ェあり、その在リ方の検討と併せて、後天的原因による神経疾患(心身障害)患者を対象とする神経病院、およびこれら対象者の疾患、障害の基礎的研究や予防・治療・リハビリテーション・看護・福祉のための応用的研究を行なう研究所、の三施設が同じキャンパスに置かれ、協力関係を保つことができるよう計画が推進された。
 まず七一年五月には府中病院に神経内科が置かれ、七二年四月、神経科学総合研究所が開設になったのである。
 これら患者の期待と要望を担って発足した神経科学総合研究所は、その目的に「脳・神経系についての基礎医学的研究、脳神経系の疾患ないし障害の臨床医学的研究、ならびに脳神経疾患患者および心身障害児(者)の社会福祉に関する基礎科学的研究を行い、広く神経科学の発展を通じて都民の健康と福祉の増進に寄与すること」をうたっており、明確に社会科学的研究が位置づけられている。
 七三年四月、社会学研究室が開設され、その中に看護学部門が置かれ、木下安子・山岸春江・関野栄子が着任した。看護学の基礎に立ち、それぞれ現場経験をもつ研究者三名が、この研究所を基盤にどういう方向で研究を進めるか、それは全く主体的に決めうることである。
 患者の置かれている現実は極めて厳しい。医療の手の外に置かれ、苦しみ、悩む声が次々に寄せられる。そしてこれに応える神経疾患看護の蓄積は乏しい。ことに入院をしていない在宅患者△087 が庄倒的に多いにもかかわらず、それらの患者に対する訪問看護は皆無であり、全く未開拓の分野である。したがって実践的な方法論、すなわちフィールド・ワークを軸にすえた研究方法論によって新しい世界を切リ開いていく以外にない。実践を重視する立場は、看護が実践科学であることからすれば当然である。看護実践を通じ看護技術を深め、そこから法則性を明らかにし、看護科学の理論化・体系化へも迫れるはすである。
 わずか三名のスタッフに課せられた役割は大きく、容易なことではないが、患者たちの要望を一れば知るほど、立ちすくんでいるわけにはいかない。ともかくやらなければならない。
 こうして在宅患者に焦点を定めた研究方法の方向が定まったのである。同一キャンパス内にあって、神経疾患患者への援助活動を始めていた東京都立府中病院神経内科医療相談室の川村佐和子・鈴木正子・中島初恵との協力関係が生まれた。さらに七二年七月に設置された都医療福祉部では、難病対策の調査研究費として七三年三〇〇〇万円を予算化した。その調査研究の一つ特殊疾病に関する研究――療育相談、早期発見、早期治療の機構に関する研究=i班長=公衆衛生院重松逸造疫学部長)にメンバーとして参加することにより、公衆衛生院をはじめ、都保健所、東大医学部保健学科、東京都医師会などの協力が得られ、研究費についても見通しがもてた。
 こうした研究基盤が整い、その有機的な連繋の上に、実践的な自主研究グループ在宅看護研究会≠ェ誕生した。この組織は国立公衆衛生院衛生行政学部の阪上裕子をはじめ、医療ソーシヤルワーカーの参加を得、また保健婦・看護婦にも呼びかけ、当面は、都委託研究の一部を担い、△088 在宅神経難病患者の調査を行なうとともに、自主的な技術研修をすすめようとするものである。」

 →重症心身障害児施設府中療育センター闘争

 2 在宅看護研究会の研究活動 

 以上、研究会の歴史はまだ数年でしかないが、懸命に生きる患者、家族の期待に応えるべく研究会に集まった有志たちとの努力と協力によって、様々の成果を生み出している。苦しみ、悩む患者たちの援助者として、頼られ、待たれる存在となっている。
 一方、学会活動も日本看護学会の各分科会、公衆衛生学会、東京都衛生局学会、横浜市衛生局学会、社会医学研究会、国保地域医学会、保健医療社会学研究会等に演題を報告している。
 また刊行物では、山岸春江ら編による『神経系難病患者の看護』(日本看護協会出版会)を生み出す母体となり、また川付佐和子らによっ『難病患者とともに』(亜紀書房)が出版された。その他、看護、看護学雑誌、保健婦雑誌、ナースステーション、公衆衛生、公衆衛生情報、健康会議、医療と福祉、保健の科学、ジュリスト等に論文を掲載している。
 また各種の保健婦、看護婦、医療ソーシャルワーカー、看護学生の研修、研究会に積極的に参加、協力を行なっている。
 最近各地で難病や寝たきり老人、重症心身障害児(者)への訪問活動が自主的に取り組まれ、そののいくつかは、在宅看護研究会と交流が行なわれ、徐々に波及しはじめている。今後も在宅看護成のの実践を基盤とし、患者の福祉に寄与する研究を重ねてゆきたい。△095

第二編 保健婦活動の課題
 第一章 保健婦活動の課題
 第二章 保健婦教育
第三編 看護の論理
 第一章 看護実践の論理――看護の技術科の方法
 第二章 看護教育と看護制度
あとがき

■言及



◆立岩 真也 2018 『病者障害者の戦後――生政治史点描』,青土社



*作成:安田 智博
UP:20160126 REV:
木下 安子  ◇「難病 nambyo」 病者障害者運動史研究  ◇介助・介護 身体×世界:関連書籍  ◇BOOK
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