『隠喩としての病い』
Sontag, Susan 1978 Illness as Metaphor,Farrar, Straus and Giroux
=198201 富山 太佳夫 訳,みすず書房,157p.
■Sontag, Susan 1978 Illness as Metaphor,Farrar, Straus and Giroux =198201 富山 太佳夫 訳 『隠喩としての病い』,みすず書房,157p. ISBN-10: 4622010828 ISBN-13: 978-4622010821 [amazon] ※
→1978,1989 Illness as Metaphor ; Aids and Its Metaphor,Farrar, Straus and Giroux =19921028 富山 太佳夫 訳 『隠喩としての病い エイズとその隠喩』,みすず書房
■言及
◆Conrad, P. and J. W. Schneider, 1992, Deviance and Medicalization: From badness to sickness, Temple University Press(=2003, 進藤雄三監訳『逸脱と医療化――悪から病いへ』ミネルヴァ書房) ※
(p72)
(*11)スーザン・ソンタグによる19世紀の結核についての:最近の研究では(Sontag,1978:邦訳『隠喩としての病い』富山佳夫訳,みすず書房,1982),結核は文学者や芸術家という小さな世界において象徴的意味を帯びるものとして特徴づけられているが,それは例外的であって,より一般的な社会的観点から見るならば,結核は望ましくないものとみなされていたといっていいだろう。
(p467)
第二は,医療化は病人役割を逸脱とされた者にまで広げることを可能とする(第2章の病人役割を参照)。逸脱の医療化により得られた多くの利益は,病人役割が認められたことから派生している。このことが,逸脱行動に対して医療モデルを採用する上で最も重要な要素であると指摘する者もいる(Sigler & Osmond, 1974)。逸脱行動を病気や病気の結果であると定義することによって,自分自身の行動に対する責任が免除され,逸脱行動に対する他人からの非難が軽減もしくは除去されるのだ。アルコール依存症者は飲酒を自制できないことに対してもはや責任を問われることはなくなり,多動症の子供は学校の「問題児」とは見られず,医学的に障害がある子供とみなされる。これは明らかに逸脱の医療化によって個人が得る派生利得である。「病気」というレッテルを貼られることによって,不道徳であるといわれたり,「犯罪者」や「罪人」呼ばわりされたりすることもなくなる。病気という認定はまた,大酒飲みやその家族,多動症の子供とその両親らにとって,罪の意識を軽減させることにもなるだろう。同様に,逸脱に対するスティグマを軽減することにもなる。こうして,医療化は逸脱行為に対して世間一般でより受け入れられやすい説明を発展させる。最近の映画で,泥酔している父親をみている子供に対して,母親が「いいんだよ。お父さんは病気なんだからね」と言うシーンがあった。*7
(p491)
(*7)しかしながら,スティグマを貼ることが減少しているという実証的な証拠はほとんどないことは記しておくべきだろう。デレック・フィリップの研究では,人が自分の個人的な問題に対して医療の援助を求めることによって,周りの者から排除されたりスティグマを貼られる危険が非常に高まると示唆している(Phillip,1963)。ある種の病いはそれ自体がスティグマを背負っており,ハンセン病,てんかんや精神疾患はみなスティグマを貼られる病いである(Gussow&Tracy,1968)。スーザン・ソンタグはアメリカの社会では癌が最もスティグマを貼られていると指摘している(Sontag,1978)。逸脱に対して医学上の認定がされることによりスティグマ化が減少する特質に関してはさらなる研究が必要であるが,決してそれは医療化によって自動的に生ずることではない。
(pp476-477)
スーザン・ソンタグは,私たちが文化的レベルで悪について述べる時に「病い」という隠喩を用いているということを述べている(Sontag, 1978)。「癌」はこのような時に特によく用いられる隠喩で,スラムやポルノグラフィーの販売店は,「街の癌」と呼ばれることがある。エドガー・フーバー[訳注:48年間FBIの長官を務め,反共主義者としても有名]は,共産主義のことを「われわれの社会の中にある癌」と呼んだ。また,ニクソン政権も内部が腐敗している「癌」と呼ばれた。世間一般では,宗教を背景とした罪や悪の概念が薄れ,癌(及び病気一般)がひどい悪や不正を表す言葉となった。ソンタグによると,
「しかし20世紀の後半期において……われわれはいかにして(道徳的)たりうるのだろうか。われわれが悪の感覚を持ちつつも,悪について知的に語る宗教的・哲学的言語をもはや所有していない時代において……いかにして道徳的たりうるのだろうか。「過激」で「絶対的な」悪を理解すべく,われわれは適切な隠喩を探す。しかし近代の病気という隠喩は不十分なのだ……。最も限られた意味でしか歴史的な出来事や問題は病いに喩えることはできない。これは明らかに複雑なものを単純化してしまうことなのだ。」(Sontag, 1978:85)(邦訳『隠喩としての病い』)
社会問題の医療化によって,現実世界を覆っている悪をわれわれは直視することができなくなっているのだ。
◆Frank, Arthur W., 1995, The Wounded Storyteller: Body, Illness, and Ethics, Chicago: University of Chicago Press(=2002, 鈴木智之訳『傷ついた物語の語り手――身体・病い・倫理』ゆみる出版) ※
(pp27-28)
寛解者の社会を生みだす身体的基盤は近代のものである。近代医療の技術的達成が寛解状態を生きることを可能にしているのだ。しかし、病後を生きるということが何を意味するのかに関する人々の自意識は脱近代的なものである。近代的な考え方の中では、人々は健康であるか、さもなければ病気である。病気と健康は、ある時点でどちらが前景にありどちらが背景に退くのかに応じて、決定的な形で移行する。寛解者の社会においては、病気と健康との前景・背景の関係は、相互浸透しながら徐々に移行していく。本の頁の上に印刷された静止画のように光と闇とが明確に区分されている状態ではなく、コンピューターグラフィックスの画像のように、ひとつの形態は常に他の形態へと変化していくプロセスの中にある。
パーソンズの言う近代的な「病人役割」には、病む人々が回復し、患者であることをやめ、通常の義務へと復帰することへの期待が付随している。寛解者の社会においては、人々は復帰こそするものの、さまざまな義務がかつての正常であった状態に戻ることはありえない。病いを旅としてとらえるスーザン・ソンタグのメタファーは、パーソンズの病人役割よりも微妙なものである。ソンタグの言葉にしたがえば、私たちはそれぞれに二つの王国、すなわち健康の王国と病気の王国の市民なのである。「私たちは誰しも、好ましい方のパスポートだけを使いたいと願うが、それぞれに遅かれ早かれ、少なくともしばらくの間、自分がもう一方の場所の市民であることを認めざるをえなくなるのである(14)」。ソンタグの二つの市民権という概念は、その二つの王国が分離されてあるということを暗に示している。寛解者の社会は、両者の間の非武装地帯に残されているか、さもなければ、健康の領土の中の秘密結社として存在している。
ソンタグのメタファーを用いるならば、寛解者の社会のメンバーはいずれか一方のパスポートだけを使用するわけではない。彼らは、永住ヴィザを与えられる身分なのであり、そのヴィザは周期的に更新されていかねばならない。近代医療の勝利は、かつてならば死んでいたであろうますます多くの人々が、この入国許可という身分を享受することを可能にしている。彼らはたえざる迫害の危機にさらされながらも、健康の世界に生きることができるのである。こうした人々にとっての問題は、近代医療が、それ自体のもたらした経験にふさわしい物語を欠いているというところにある。ジュディス・ザラックスのような人々は、自らの生に新しい海図を必要とする状態のまま取り残されてしまう。
◆Turner, B. S., 1996, The Body and Society: Exploration in Socail Theory [second edition], Sage.(=1999, 小口信吉・藤田弘人・泉田渡・小口孝司『身体と文化――身体社会学試論』文化書房博文社) [amazon] ※
(p6)
身体の研究には、まさに社会学的に興味をそそられるけれども、新ダーウィン主義、社会生物学、生物学主義など、取るに足らぬというか、見当はずれのものが入り込んで、残念ながらこの分野の大方は早くも混乱している。逆に現象学、人類学、実存哲学では、人体概念に的を絞り、社会的存在のための社会学の基礎となって重要な展開が見られた。この身体研究に影響を与えた理論は多々あるが、『目覚め』(1976)のオリヴァー・W・サックス、『文明化の過程』(1969)のノーベルト・エリアス、『ラブレエとその世界』(1968)のミパイール・バフチーン、『隠喩としての病い』(1978)のスーザン・ソンタグ、『病気の意味』(1977)のゲオルク・グロデックらの、身体の意味とその社会的構成や表現を主に扱う取り組み方が最も進んでいる。人類学には身体儀礼の調査研究にかなりの伝統があるけれども、私は、人類学の資料や方法をそれほど利用しなかった。というのは私の主たる関心が、都市社会、世俗的社会、資本主義社会における身体にあったからである。この人類学の視野を排除する例外の主なるものに、「身体技法」にかんするマルセル・モースの研究レポートがある。この論文は、一九三五年に『正常・異常心理学雑誌』にはじめて掲載され、のち『社会学と人類学』(1950)として出版された。しかしながら社会学者としては、社会構造や歴史変動というもっと広い視野で身体の意味を突き止めなければ、身体の意味を問題にすることはできない。その視点を追っていくと、トマス・ホッブズの唯物論にかんするパーソンズの解釈、ルードヴィヒ・フォイエルバハの感覚論に対するマルクスの解釈、フォイエルバハによるヤーコプ・モレスコットの栄養論の利用、フーコーの哲学に及ぼしたニーチェの生理学主義の衝撃、さらにクロード・レヴィ=ストロース、リチャード・セネットやフランス構造主義の研究の中に持ち込まれたルソーの自然主義的ロマン主義を考え直さざるをえなかった。
(p253)
われわれは、偏頭痛の発作が私の偏頭痛となり、痛風の足が私の特徴的な歩き方になるという意味で、疾患や病気を自己流に解釈し、受け入れて、自分の存在を表現する。にもかかわらず、われわれはまた、私がいつものように歩かなかったり、蛋白質の多い食事をとり、こくのある酒を痛飲すれば、私はきっと痛風病みになるだろうというつまらぬ理由で、病気になったり、病気に罹るように行動することもある。私が喫煙を選択すれば、これまた将来の病気の一因となるかもしれない。だから作用は、疾患を解釈するばあいにも、その原因にも働くわけである。慢性病は、社会的な接触を制約することになるけれども、満足していた社会関係が失われると、それが原因となって発病することがあるという証拠もある。癌と感情の抑圧の間にあるらしい関連は、このようにとくに興味深い。癌腫は抑圧された感情が身体に現れた徴候だという見方は、ヴィルヘルム・ライヒやゲオルク・グロデックにまでさかのぼることができる。ライヒは、フロイトの顎の癌を彼の不幸な個人的生活と感情の抑圧から説明しようとした。ライヒによれば、フロイトは、「言ってはいけないことを言いたかったために」煙草をたくさん吸った(Reich,1975)。フロイトは、はけ口を疾患に求めて感情を呑み込まねばならなかったし、この意味でフロイトは、それに代わる感情表現として癌を「選択した」。グロデックにとっては、疾患は形をとって呈示されたもので、内面に潜む葛藤と緊張を示している。つまり疾患は、抑圧された欲望を象徴するものとなったわけである(Sontag,1978)。満たされずに抑圧された欲望から癌を説明する言葉遣いは、申し分のない人間になるためには、欲望を消費し、浪費し、かつ十分に満足させねばならない消費文化から出てくる。従ってスーザン・ソンタグは、最近の癌の比喩について、やや危険な考え方であると言っている。疾患の原因は患者にあると考えられて、人間の悲惨の社会的原因が資本主義社会そのものにあるとは、考えられなくなるからである。彼女の見解は、たしかに説得力がある。労働者たちがその感情抑圧の解決法として、アスベスト症を選択するというのも理解しがたい。癌の発病が感情の抑圧に関連して、解消されない大量のストレスが腫瘍の誘因として作用する証拠があるとしてもである(Inglis,1981)。
こうなると病人になることは、自分が「病気」であることを認めることから病気に対処するまでの一連の選択にかかわるというのは、つまらぬ言い草である(Mickinlay,1973)。選択についての考えと病的行動とが矛盾しないといっても、意識の作用が疾患の原因になるかもしれないと考えるのは、ずっと問題が多い。意志が身体の疾患にかかわるとなると、自然と文化の関係の問題が思い出される。ソンタグが病気の隠喩を論じて提起した重要な問題は、結局は、言語と現実との関係である。分類そのものである疾患は、科学的な医療の意志決定の過程によって社会的につくられるのだろうか。身体自体が、社会現象にすぎないのだろうか。
◆立岩 真也, 20020601, 「生存の争い――医療の現代史のために・3」『現代思想』30-7(2002-6):41-56.
(pp.x-x)
そしてそれは自らが負わされた荷をおろすことでもあった。前回述べたように、社会を問題にする立場は社会に対する批判派であると同時に、社会の進歩・改良というこの社会の本流の中にもあった。病をもたらす社会問題は解決されるべきであり、そのための人々の努力を促す。解決できないときには、そこにいる病者は社会の矛盾を体現するものとして見られる。社会の問題が刻印されている存在とされ、その象徴とされることになる★12。それに対してこれはただの病気だと言う病者の側の言い方はそこからの離脱でもあった。病や障害についてその本人たちと支援者がいるとき、本人の方が冷めていることがしばしばある。支援者、自らの仕事に批判的な医療・福祉従事者は、その批判と支援の活動を、大きな社会の中に位置づけようとする、あるいは位置づくと考えることによって批判し支援する。だが当の当人はそのように自らを位置づけるとは限らない。まずはどうやって生きていくのが生きやすいかを、それが結果として社会の問題化につながることがあるにしても、考える。
(pp.x-x)
★12 「象徴」としての病の捉えられ方に対する批判としては、ソンタグの論がよく知られている。(Sonntag[1978=1982][1989=1992])。病気についての人間学はときにこういう──例えば人間は「受苦的存在」だと言われたりすると「痛いものはただ痛いのだ、ほっといてくれ」と言いたくもなるといった──感覚について鈍感なことがある。
◆宮坂道夫, 200209, 「資源化の正義と物語的正義――生命倫理学における正義論についての試論」『生命倫理』12(1):168-174.
(pp172-173)
このように、利害の評価について様々に異なった見解がある題材を議論するにあたって、私たちは〈評価をいかにして公正に行うか〉を検討しなければならない。そして、〈評価が人によって変わりうる〉こと自体を受け入れる多元主義の立場をとるならば、「お互いに他人に対していかなる権威ももたない自由な人々によって、諸原理が相互に承認される可能性」14)という〈基準の相互承認性〉によって評価の公正さを保障しなければならない。つまり、評価の〈結果〉は人によって異なってもよいが、その評価の〈方法〉は万人が認めあうようなものでなければならない、ということである。ならば、万人が認めあう、公正な評価の〈方法〉とはどんなものであろうか。
(1)客観性への配慮
不公正な評価とは、まずは偏見や不十分な知識・理解に基づく評価のことだろう。ソンタグが述べたように、病気や治療には、古くから様々な「隠喩」が与えられてきた15)。隠喩によって、人々は病気の意味を見いだしてきたという側面はあるにしても、隠喩は偏見や差別を助長し、医学的に不適切な政策を補強する弊害を数多くもたらしている(日本でいえば、ハンセン病問題が最たる例であろう)。生殖的クローニングのような先端医療技術については、十分な知識が一般に普及していないために、無関係の事物と結びつけられて、センセーショナルなイメージが作られがちであることは、これまでに様々に指摘されてきた。かつて臓器移植は「フランケンシュタイン」の、体外受精は「試験管ベビー」のイメージで理解されたが、医学的・科学的な知識の普及によって、これらのイメージは減退した。同じように、生殖的クローニングを、例えば『ブラジルから来た少年』という、独裁者のクローンの増殖をテーマにした映画と結びつけて一面的に理解するのは適切なこととはいえないだろう。評価者には、一面的なイメージや隠喩を排して、客観的な知識を獲得することが求められる。
◆浮ケ谷幸代, 20040720, 『病気だけど病気ではない――糖尿病とともに生きる生活世界』誠信書房. ※
(「第3章 糖尿病との向き合い方」、「自分らしさを求めて―R子さん」)
健康であった過去の自分と、不治の病気である糖尿病を発症してしまった現在の自分とのギャップが大きく、「病気であること」を容易に受け入れられない。特に、「インスリンを打つのは一番重症」だと思っている両親の受け止め方は、R子さんにとってますます「病気であること」のマイナスイメージを強めてしまう。インスリン注射に対する社会的な意味づけが、R子さんだけでなく両親さえも苦しめている。自ら乳がんを経験した文芸批評家のスーザン・ソンタグ(Sontag, Susan)によれば、人は病気がもたらす身体的苦痛だけでなく、病気のメタファー(隠喩)によって押しつけられる社会的意味によって二重に苦しめられるという(148)。R子さんにとって、インスリン注射を打つという行為とその身体的苦痛、そしてインスリン注射に付与された重症というメタファーは二重の苦しみを生み出している。
◆八木晃介, 200409, 『〈癒し〉としての差別』批評社. [amazon] ※
(pp88-89)
黒田浩一郎は、この国のヘルシズム流行の背景になった社会的背景を、@第二次大戦後の生活水準上昇などによる衣食住の基本的欲求の軽減A乳幼児死亡や感染症死亡の減少による「老齢以前の死」の無意味化B肉体的精神的な「若さ」への無限価値付与の浸透などと説明している(注10)。また、1990年代後半になると、イヤシズム(癒しブーム)に火がつく。ヘルシズムがどちらかといえば「個人のライフスタイル・生活習慣」と結びつくのに対し、イヤシズムは「現代文明」との対応関係が深いようにみえる(私自身、線香たなびく暗室の中での〈足裏マッサージ〉を体験したことがある。妙齢の女性治療者がひたすら足裏だけを押しつづけること30分、お代は六千円であった)。むろん、ヘルシズムもイヤシズムも、個人意識への「強迫性」という側面からみれば、どちらも同じことである。いずれにしても、スーザン・ソンタグがいうように「患者にしてみれば、知らないうちに病気の原因を作っていたのだと言われた上に、それは自業自得という気持ちにさせられてしまう」のである(注11)。
(p90)
〈健康言説〉が構築される権力空間のイデオロギー性は、おおよそ以上のような説明によって明らかなように、健康的な生活習慣を道徳的に正当化する役割をはたす。〈健康〉が道徳的に正当化されることによって、反射的に〈不健康〉は道徳的な非難を浴びないでは済まなくなる。しかし、繰り返すが、〈健康〉には実体がなく、〈健康〉を脅かすリスクの羅列によってしか、〈健康〉を抽出できないという基本的な問題が残る。元来実体のない〈健康〉を実体化させるための様々なリスク要因の恣意的な提示(「生活習慣病」という名のイデオロギー性を見よ)の脅迫性もさることながら、それが含む不健康者への差別・排外主義の自明化作用はより大きな問題性を含む。健康増進法が〈健康〉を「国民の義務」と規定する時、不健康者は「義務不履行者」として炙りだされないわけにはいかない。スーザン・ソンタグのいう「自業自得」論を基軸とした犠牲者非難の諸言説の登場である。
(p98)
抜け出す道はただひとつ、〈健康〉への過剰な価値付与をしないことと〈病気・病弱・障害〉の価値剥奪をしないことにつきる。いかにヘルシズムやイヤシズムに過同調しても人は早晩〈病気・病弱・障害〉に遭遇する。「健康国」は「病気国」を仮想敵国視するけれども、「病気国」はいつも「健康国」との平和共存を望んでいる。ヘルシズムやイヤシズムという名の優生思想は、「健康国」による「病気国」への侵略を正当化する。してみれば、人びとにとって重要なことは、スーザン・ソンタグがいうところの「最も健康に病気になる」ことであろう(*20)。
スーザン・ソンタグの主張点は、単なる肉体の病気に与えられた「癌」という言葉がもつ隠喩の暴力性に集中していた。同じ現象がかつては「結核」に、「ハンセン病」に、そして最近では「HIV」に見られた。本稿の文脈でいえば、「生活習慣病」がそれにあたり、その隠喩がふるう暴力(時にはそれ以上の直接的暴力)についてはこれまで見てきたとおりである。「最も健康に病気になる」ためには、とりあえず、そのような暴力的で権力的な隠喩に引き回されないことである。
私たちは、強制的〈健康〉状態を拒否する権利をもっているし、そうした構えの上でしか、〈病気・病弱・障害〉と共生できないのではあるまいか。自らの内部にある〈病気・病弱・障害〉と折り合いをつけたり、「病気になって何が悪い」と居直ったりして、「健康に病気になる」こともできずに、どうして外部の〈病気・病弱・障害〉に向けて想像力を飛翔させることができるであろうか。問われているのは、ここでも「わが内なる優生思想」なのである。
◆野口裕二, 20050125, 『ナラティヴの臨床社会学』勁草書房. ※
(p16)
病いにはさまざまな意味が織り合わされている。「隠喩としての病い」(Sontag, 1978)という言い方に示されるように、われわれは生物学的疾患を直接認識したり経験するのではない。そこに付与されている社会的意味を通して病いを認識し経験する。ある種の病いに関して、カミングアウトという言葉が用いられること自体、その病いの社会的意味やそれがもたらす社会的影響の重大さを示している。われわれは「虫垂炎」 の経験をわざわざカミングアウトしたりしない。隠さざるをえないような社会的状況があってはじめて、カミングアウトは成立する。われわれは病いそのものではなく、病いの社会的意味に反応している。
◆武田徹, 200502, 『「隔離」という病――近代日本の医療空間』中公文庫. [amazon] ※
(pp67-68)
しかしもはや菌が検出されないということで、軽快退所規定にしたがって外の世界に戻れた患者の中で、一般の人と同じ生活を手に入れられた人の数は多くなかった。退所した元患者が対面するのは世間のハンセン病のイメージ(スーザン・ソンタグのいう「隠喩としての病い」)であり、彼らが働き口を取り戻すことは容易ではなかった。そして、時間が経って高齢化が進めば進むほどその困難は加算されて行く。こうした困難を前にまったく菌の排出がなくとも園にとどまる人がやがて大半を占めるようになる。
予防法の改正が遅れたのは、そうして出るに出られない患者の福祉も予防法が定めていた事情が影響していたというのが厚生省側の見解だ。「現在受けている福祉が切り捨てられたら困るという患者も多く、その調整で廃止が遅れた」と厚生省保健医療局ハンセン病係長・岡村幸二郎は筆者の取材に応じて説明していた。
◆服部健司, 200609, 「健康を増進する義務」『生命倫理』16(1):178-184.
(pp181-182)
疫学研究によってある種の生活態度や行動類型と、健康状態もしくはある種の疾病への罹患との関係が浮かびあがらせられるとき、そこで問題にされるのは生活習慣や行動そのものではない。その向こう側に透けて見える心のあり方までもが問われている。すなわち、身体疾患-生活行動-心という階層的図式が思い描かれている。身体疾患は品なく節操のない生活史の結果であり、それらはそもそも心がけのまずさに起因しているというわけだ(*20)。だから、もしも健康を保持増進しようとするならば、第一に心の持ちようを正し、自己を統御する精神の力を高めなくてはならない。そればかりか、性格そのものまで変えなければならなくなる。「病いは気から」という馴染みぶかい語りがある。心身医学(*21)や精神腫瘍学が明らかにしたことは「癌は…感情表出の苦手な人々、抑圧のある人々-とくに怒りや性的感情を抑圧している人々-がとくにかかりやすい」ということだ(*22)。病んだ臓器を診るだけではいけない、病んでいるその人をまるごと全人的に、身体的・精神的・社会的にとらえなければよい医療はできないという語り(*23)とまさしく同心円上のことが、健康増進を掲げる予防医学でも唱えられている。こうしてもしも患者あるいは可能的患者の全層にわたって関与し生活指導ないしは保健指導を行うことが正当に求められるとしたら、たとえば医師はもはやphysicianではいられない。
だが、はたしてそうなのだろうか。患者は心から根から病んでいるのだろうか。病いにはりついた「隠喩」や「神話」、「意味をいくらかでも奪いとること」を目指してソンタグは語る。「…病気にすぎないのだ。呪いでも、罰でも、当惑すべきことでもない。「意味」はない」(*24)。
(*21)M.Greco, "Psychosomatic subjects and the 'duty to be well':personal agency within medical rationality, "Economy and Society 1993;22(3):357-372.スーザン・ソンタグ『隠喩としての病いエイズとその隠喩』富山太佳夫訳,みすず書房,1992:192-193.
(*22)ソンタグ,前掲書:147.
(*24)ソンタグ,前掲書:149-150.
◆美馬達哉, 20070530, 『〈病〉のスペクタクル――生権力の政治学』人文書院. ※
(pp.x-x)
(1章、「政治的ウィルス」)
本章では、「二一世紀で最初に発生した、重症で感染性の強い新しい病気(2)」であるSARSについて、コロナウィルスによって生じた身体疾患であるとして理解した上でその社会的影響(あるいは「隠喩としての病い(3)」)を見極めようとする生物医学的視点を採用することはしない。むしろ、生政治学的分析は、生物医学とは正反対の方向から進むことによって、こう問いかける。飛行機にのって素早く移動し世界のあらゆる場所に出没することでグローバル経済をも混乱させるこのスペクタクルの「政治的ウィルス」は、どのような突然変異によって、生物医学的言説のなかにコロナウィルスなるものを生産したのだろうか。
(3) スーザン・ソンタグ著、富山太佳夫訳『エイズとその隠喩』みすず書房、一九九〇年(原著一九八八年)および、スーザン・ソンタグ著、富山太佳夫訳『隠喩としての病い』みすず書房、一九八二年(原著一九七八年)。
(pp.x-x)
(七章、「アメリカにおけるがんの隠喩」)
がんという病気がアメリカにおいても非常に忌避されているということを詳細に後づけてみせたのが、文芸批評家スーザン・ソンタグのエッセー『隠喩としての病(11)』である。彼女は、自分自身が乳がんになり、そこから回復した経過を踏まえて、がんに対する恐怖を分析している。
彼女が注目するのは、がんという病気それ自体ではなくて、がんという病名が日常生活の中でいかに隠喩として使用されているのかという点である。そして、かつて、ナチスドイツがユダヤ人を「ドイツのがん」と呼んで政治的迫害の対象としたように、嫌悪や差別の対象を「がん」にたとえるというレトリックが多く使われていることを指摘する。こうしてがんを隠喩として使用するために、がんという単なる病気の一つにすぎないものに、過剰な社会的意味づけがなされ、「病気」以上の存在として恐怖の対象とされる。その意味ががんにつきまとうために、がんは何か恥ずべき特別な病気のように扱われ、がん患者は本人自身に病気になった責任があるかのようにみなされるのであるという。
一九七八年に発表されたソンタグのエッセーを読む限りでは、がんへの恐れという点では、当時のアメリカ人も日本人も大差はないように思える。告知するかどうかなどの、病気への対処の仕方は確かに異なっていたかもしれない。しかし、がんへの恐怖という面では共通点の方がはるかに大きい。ジェームズ・パターソンは、『恐ろしい疾病 がんと現代アメリカ文化』という著作のなかで、このようながんに対する恐怖を「がん恐怖症」と命名し、現代のアメリカ文化に固有のものとして分析している(12)。
パターソンによれば、アメリカの大衆文化のなかに、がんに対する恐怖が大きく現れたのは、一八八〇年代、南北戦争(一八六一―五年)での北軍司令官であった英雄グラント将軍の口腔がんによる死がマスメディアで大きく報道された頃からであるという。さて、一九世紀後半といえば、ドイツではコッホの細菌学説が登場し、特定病因論(ある一つの病気に対しては、特定の原因があるという考え方のこと)を中心として近代医学が今日の姿をととのえ始めた時期であった。生物学という科学に基づいた医学という意味での近代医学(バイオメディシンとよばれる)は、その時期以来こんにちまで医学の主流の考え方となっている。ただし、治療法という面からは、今日の観点から見れば役立つとは思えない手法が当時は多かった。内科的治療の主流は、しゃ血と下剤(いずれも体内の毒物を排出する働きがあるとされた)であり、そのほかには痛みなどの症状を和らげるためにアルコールやアヘンを含んだ薬品がよく使われていた。外科的治療といっても、感染症をコントロールするための抗生物質はなく、傷口の消毒すら充分には行われていなかった(13)。一九世紀半ばに発明されていた麻酔法は実用化されはじめ、南北戦争での負傷の手当て(傷ついた四肢の切断など)には、クロロホルムやエーテルの吸入麻酔が使われる場合もあったという。麻酔法と並ぶ外科手術の革命として有名なのは、イギリスの外科医ジョゼフ・リスターによる消毒法の導入(一八六五年)だった。しかし、石炭酸などの薬物を用いた消毒法は煩雑であり、実際に臨床現場に受け入れられるのは一八九〇年代頃だったという。また、抗生物質の実用化は、第二次世界大戦前後でのペニシリン発見を待たねばならない。従って、手術はひどい痛みが伴うことはもちろん、その死亡率は極めて高かった。そして、患者の死の危険や(麻酔が使われない場合には)苦痛の叫びを恐れることもなく、できるだけ早く手術を終えることが外科医の理想とされていた。こんな状態にもかかわらず、がんに対する治療法としては、今と同様外科的切除が最重要視されていた。これでは、がんという病気自体が恐怖の対象なのか、がんに対する治療法が恐怖の対象なのかは、はっきりしないほどだ。
この時代のもう一つの特徴としては、がんという病名の中身自体今日とは、多少異なっていることである。がん(cancer)という言葉の語源は「蟹」を指し、固まり・突起物の周囲に血管などが足のように伸びていることを表していたとされる(14)。CTやMRIのように簡単に体内を画像とすることのできる技術が存在しなかった一九世紀まででは、がんとは、体内にある何か目に見えない恐怖ではなく、身体の外側にできて増大していく腫瘤を指していた。この点は、今日のがんが体内でいつのまにか発生していて、知らないうちに増殖して生命を脅かす何かと考えられているのと大きく異なっている。当時のがんの典型とされたのは、頻度も比較的高く、外部から観察可能であったり、簡単に触知可能であったりするがん、つまり、乳がんと子宮がんだった。あとは、当時の技術で簡単に診断できるのは皮膚がんなどか、あるいは腹部臓器のがん(胃がんや肝臓がんなど)で、転移や腹水によって腹部が腫れ上がってしまった状態だった。したがって、歴史的にみると、がんという病気にはある種のジェンダー・バイアスがかかっている。つまり、がんとは、女性に特有とまでいかないまでも、女性に多い病気であり、生殖器官と関係していることで、どこか性的なニュアンスを帯びた恥ずべき病気として意味づけられていた。
もう一点、特に恐れられたのは、がんは伝染病ではないかという疑いである。一九世紀末から二〇世紀初頭のタクシーの運転手たちは、ニューヨークのがん病院(現在のスローン・ケタリングがんセンター)を敬遠して避けていたらしい。また、旅行中の夫をホテルでがんのため亡くしたある婦人が、「汚染された」調度の処分費用をホテルから請求された例もあるという。一九三九年の世論調査でも、アメリカ人の三人に二人ががんを最も恐ろしい病気と答え、四割が伝染し得る病気と信じていたという。一九世紀末から二〇世紀初頭には、コッホによる結核菌の発見に続いて、さまざまな病原体ががんの原因として「発見」されている(15)(その多くは、後に否定された)。
しかし、この一九○○年時点で、結核はがんの三倍以上の死亡者数であり、がんそれ自体は決して多い病気ではなかったことにも注目しておくべきだろう。がんが恐れられ始めたのは、まずそのイメージによってなのであり、がんを病名として死亡する人の割合が増えたためでは決してない。
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(「がんのフェティシズム」)
なぜ、がんは恐れられるのかという最初の問題設定に戻ろう。がんが恐い理由として私たちは、よく、がんという病気の実体としての性質、つまり死亡率が高いとか、苦痛を伴うとか、再発することがあるなどという点をあげがちである。しかし、いうまでもなく、これらは一つひとつを取り上げてみれば、がんだけの性質ではない。確立した治療法がなく致死的な病気はほかにもあるし(非代償性肝硬変や筋萎縮性側索硬化症)、喘息などに伴う呼吸困難は極めて苦しいものだし、脳卒中や心臓疾患はしばしば再発する。ここで、がん恐怖症を理解するのに必要とされるのは、がんのもつさまざまな性質を数え上げることではなく、がんと恐怖との関係性をみる視点のとり方を変えることだ。この点で参考となるのは、マルクスのフェティシズム(物神崇拝)論である。これは、ある社会システム内での人間と人間の関係がモノとモノとの関係やモノ自体に属する性質であるかのように、そのシステムに属する人間にとって見えることを指している。
「たとえば、ある人が王であるのは、他の人たちが彼に対して臣下としてふるまうからにすぎない。ところが逆に彼らは、彼が王であるがゆえに、自分が臣下なのだと信じるのである。」(『資本論(19)』)
この王と臣下の例はモノに対してのフェティシズムではないが、反省的規定がもつ論理としては同じことだ。人間間の支配―被支配の社会的関係が、臣下にとっては、王の持つ神秘的な力に対して服従するかのように想像される。これにならえば、がん恐怖症とは、がんという疾病それ自体がもつ何かの特別な性質に由来するわけではなく、がんを取り巻く意味論的・社会的ネットワークの総体から生じていることになる。それを、がんという疾病そのものの性質のために恐れられると考えてしまうことは、フェティシズム的な倒錯だ。とりあえず、こう結論づけてしまえば、がん恐怖症に対する処方箋は次のようになるだろう。
つまり、がんをめぐる意味の体系からがんを切り離し、がんをそれ自体として、すなわち一つの疾病にすぎないものとして扱うこと、である。ちょうど、フランス革命において、ジャコバン主義者たちが国王を一人の「市民ルイ・カペ」として裁き、断頭台へと送り込んだように。
「私のいいたいのは、病気とは隠喩などではなく、したがって病気に対処するには||最も健康に病気になるには――隠喩がらみの病気観を一掃すること、なるたけそれに抵抗することが最も正しい方法だということだ。」(『隠喩としての病(20)』)
ソンタグが自らの結論としてこう語るとき、彼女はまさにがんという疾病にまとわりつくフェティシズム批判の方向に進もうとしている。
イデオロギーとしての近代医学
しかし、がんという疾病それ自体、すなわち社会的な意味のネットワークから切り離し得る疾病そのものなど本当に存在するのだろうか(21)。文芸批評家の柄谷行人は、ソンタグのナイーブなまでの近代医学への信頼と病気そのものの実在に対する確信を批判して次のように述べている。
「問題はソンタグがいうように病気がメタフォアとして用いられることなどではなく、逆に病気を純粋に病気として対象化する近代医学の知的制度にある。それが疑われない限り、近代医学が発展すれば、人々は病気から、したがって病気の隠喩的使用から解放されるだろうというようなことになってしまうほかない。」(『日本近代文学の起源(22)』)
近代医学が知的な制度であるということを分かりやすくするために、血液のがんといわれる白血病を例にとろう。これは血液中に異常な白血球が出現し、その異常な増殖のために正常な血液中の細胞が減少する病気である。ある程度進行したときの症状としては、貧血や疲れやすさ、微熱、出血傾向などがある。だが、これが例えば乳房に異常なできものができる疾病である乳がんと「同じ」ということは、自明ではない。白血病は蟹(cancer)とはまったく似ていないし、少なくとも、外面的に観察しているだけではその二つの類似性を知ることはできない。顕微鏡の発明による細胞の観察、そして一九世紀のウィルヒョウによる細胞に病気の原因を見いだそうとする研究(細胞病理学説)なくしては、決してあり得ない認識だ。白血病も乳がんも同じがんの一種であるということは、近代医学体系の「がんとは異型細胞の増殖である」という定義にしたがって初めて可能となるのだ。純粋な疾病そのものという考え方自体が、病気を知の対象とし、近代医学という制度の中に囲い込もうとする思想から生じていることを指摘して、柄谷は「病気を生じさせるものは悪でありその悪を根絶しようとする神学の世俗的形態にすぎない(23)」とまで述べている。
こう考えるなら、がんという疾病が実在して、その周囲にがん恐怖症が生み出されるという、ソンタグ流の発想は転到されなければならない。まず、がん患者に対する社会的差別やがんを恐ろしい病気と見なす意味論的ネットワークによってがん恐怖症が生み出される。だが、がんという疾病それ自体を分離して治療の対象とのみ見なそうとする近代医学の独善的な神学的思考の中で、がんをめぐる社会的編目は覆い隠され、非科学的な迷信や隠喩にすぎないものとして抑圧されるというわけである。
(11) スーザン・ソンタグ著、富山太佳夫訳『隠喩としての病』みすず書房、一九八二年(原著一九七八年)。
◆スコット・ラッシュ「第3章 再帰性とその分身――構造・美的原理・共同体――」『再帰的近代化』、205〜315頁。 ※
(p260)
バウマンは、ベックやギデンズと違い、「もう一つのモダニティ」を、旧来の「単純な」時代の後にくる、新たな再帰的時代とは見なさなかった。それよりもむしろバウマンのいうもう一つのモダニティは、美的モダニズムに類似したモダニティであり、デカルト哲学や功利主義のそれと《平行して》進展していく。バウマンのいう他者性の文化は、一方で啓蒙主義的ハイ・モダニティにたいするミメーシス的批判であるが、同時にまた啓蒙主義思想の暗い側面でもある。他者性の文化は、「エス」として、「自我」と対置されるものである。不安として、打算的主観と衝突していく。《運命の女神》として、《コギト》を下支えしていく。とはいえ、バウマンは、こうしたもう一つのモダニティにエスニシティという捻りを加えている。バウマンにとっては、美的なものに代わり、分裂をもたらすミメーシスとしての不安に代わり、《運命の女神》なり両義性の代わりに、ユダヤ人が存在していた。だから、ユダヤ人は、ジンメルのいう「よそ者」のように、「今日やって来て、明日も居続けていく」訪問者である。スーザン・ソンタグが――同性愛者であるとともにユダヤ人でもある――プルーストについてどこかで書いていたが、美的モダニズムは、同性愛者とユダヤ人からなる、こうした二つの「同胞団体」を欠いては、おそらく考えられないことであった。こうした見解に立てば、同性愛者とユダヤ人は同じものではないが、明らかに異なるものでもない。むしろ、同性愛者とユダヤ人は、分類方式を粉砕し、両義性を具現しているのである。
◆朝倉隆司「「がん患者」を生きる人々のサポートグループ運営の経験から考えたこと」『保険医療社会学論集』17(2)
近年の医療社会学のテキストにおいて病の体験の社会学の章を読むと、 おおよそフランクをひとつの基調にしているように思える(5,6)。 エスニックマイノリティを研究している研究者として興味深かった点は、 そのフランクが病をもつ者の固有の社会文化的存在を説明するアナロジーあるいは比喩として、 エスニックマイノリティや移民を用いていることである(1)。 隠喩や比喩は時にその本質を直観的に理解しやすくするが、 その反面、 安直な単純化を招くという危険性が指摘できよう。 その危険を承知したうえで、 がん患者の体験に関わる比喩をあげてみる。
まず、 病を患うことにより、 「新しい社会」 の住民となる。 つまり 「医療が支配する王国」 への移民となる。 あるいは、 病を持つことで、 医療により身体を植民地化され、 ●それに伴う異文化適応が求められるというのである。 このような状況をソンタグは 「二つの王国の市民権」 をもつものと比喩している。 そこでは 「複数の社会のノルムに従って生きることが求められ」、 医療的世界に適応するように圧力がかかる。 したがって、 自らのエスニックアイデンティティを保持するためには、 容易に適応せず、 マイノリティを生きることに意義があると思われる。 そして、 がん患者はたとえ寛解したとしても、 一度がん患者を体験してしまったら、 二度とがん患者というアイデンティティを取り消すことはできない。 そして声を奪われていく。 このような状況から自らの声を取り戻すためには、 あたかも relocation camp を体験した日系アメリカ人が redress 運動を行ったように、 要求 (reclaiming) による脱植民地化をはからねばならない。 さらに、 この状況はサイードが指摘する亡命者としての 「知識人」 と呼応している(7)。 サイードは 「苦い不安感や寂寥感は最後まで癒されることはないにしても」、 その亡命生活と周辺性から何か肯定的なものを引き出しており、 「新しい魂の創出」 こそが目標となるべきだという。
◆立岩 真也 20140825 『自閉症連続体の時代』,みすず書房,352p. ISBN-10: 4622078457 ISBN-13: 978-4622078456 3700+ [amazon]/[kinokuniya] ※
*作成:植村要 追加者:青木 千帆子