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『神話と意味』

Lévi-Strauss,Claude 1978 Myth and Meaning,Tronto University Press.
=19961216 大橋 保夫 訳,みすず書房,79+4p


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Lévi-Strauss,Claude[クロード・レヴィ=ストロース] 1978 Myth and Meaning,Toroto University Press. =19961216 大橋 保夫 訳,『神話と意味』みすず書房,79+4pISBN-10:4622050072 I 価格 [amazon] 


■内容
CBC(カナダのラジオ局)で行った5回の連続講話
■目次


まえおき
1神話と科学の出会い
2未開思考と文明心性
3兎唇と双生児――ある神話の裂け目
4神話が歴史になるとき
5神話と音楽
訳者あとがき
参考文献

■引用

「このような種の材料を用いれば、人類学者によって収集された資料と、インディアンたちによって直接、収集された資料とを比較することによって、一種の実験をすることができます。本当は「収集された」などというべきではないのかもしれません。後の二冊に記されているのは、いくつかの家族、いくつかの氏族、いくつかの系族から集めてきた伝承をまとめて並べたものではなくて、一家族あるいは一氏族の歴史であり。しかもその子孫の一人によって出版されているのですから。…単に口頭伝承があるだけでそれが同時に歴史だとされているのです。」

「これらの本を読んでいて気づくのは、対立――わたしたちがよくやる神話と歴史の間の単純な対立――が明瞭なものではなく、中間レベルがあることです。」

「わたしたちが科学的な歴史を作り出そうとするとき、本当に何か科学的なことをしているのでしょうか。それとも純粋な歴史を作ろうと試みながら、実はわたしたちもわたしたち自身の神話に乗っかったままでいるのでしょうか。北米でも、南米でも、また世界中のどこにでもあることですが、自分の集団の神話や伝説のひとつの形を権利や遺産として継承している人がいるとします。その人が別の家族または別の氏族、継続に属する誰かから自分の伝承とある点では類似しているが、ある点では極端に異なる別の伝承を聴かされたとします。そのときにどのような反応を示すでしょうか」

私は以前から現在にいたるまで、自分の個人的アイデンティティの実感をもった ことがありません。私というものは、何かが起きる場所のように私自身には思えま すが、「私が」どうするとか「私を」こうするとかいうことはありません。私たち の各自が、ものごとの起こる交叉点のようなものです。交叉点とはまったく受身の 性質のもので、何かがそこに起こるだけです。ほかの所では別のことが起こります が、それも同じように有効です。選択はできません。まったく偶然の問題です。p.2

経験と心の対立というこの問題全体の解決は神経系の構造のなかに見 出されうるように思われます。心の構造とか経験のなかにではなくて、心と経験の あいだのどこかで神経系が築きあげられるやりかた、そしてその体系が心と経験と のあいだの仲介をするやり方のなかに見出されると思うのです。p.9

論理的観点からは、ガンギエイのような動物と、この神話が解き明 かそうと試みている種類の問題とのあいだには類似性があるのです。この物語は科 学的観点からは真実ではありません。しかし私たちはこの神話がいま述べた性質を もっていることは理解できるようになりました。それは、科学の世界にサイバネテ ィックスやコンピューターが出現し、二項操作なるものを私たちに理解させてくれ るようになったからです。二項操作は、ずいぶん異なった形ではあるけれども、す でに神話的な思考によって物や動物を使って行なわれていたのでした。ですから、 神話と科学のあいだには、ほんとうは断絶などありません。科学的思考が現段階に 達してはじめて、私たちはこの神話に何がこめられているのかを理解できるように なったのです。p.31

魚が風と戦えるというのは、経験的観点からは明らかに誤りであり、不可能です。しかし論理的観点に立てば、経験に借用したイメージ(比噛)が、概念的思考の役 割を演じるために用いられうるlこれが神話的思考の特色ですがIのはなぜか を理解することが可能です。つまり、バイナリー・オペレーターとでも名づけるベき役割をはたしうる動物は、論理的観点から見れば、一一項性の問題と関係をもつこ とができます。もし年中いつでも南風が吹くなら、人間の生活は不可能です。もし 二日のうちの一日だけ吹くならlつまりある日はイエスでつぎの日はノーという ような形でつづくなら人間の欲求と自然界を支配する諸条件とのあいだにあ る種の妥協が可能になります。p.30-31

なぜオジブワ・インディアンとアルゴンキン語系の他のいくつかの集団 で、ノウサギが彼らの信ずる最高の神性として選ばれたか、という問題です。以前、 いくつかの説明がなきれました。ノウサギは彼らの日常の食事に必需のものではな いにせよ重要な食料であったとか、ノウサギはたいそう速く走るからインディアン たちがもつべき能力の手本であるとか、その他いろいろありました。しかし、その どれも、あまり説得力はありません。
〜中略〜つまり、(1)蓄歯類の なかでノウサギはもっとも大きく、もっとも目立ち、もっとも重要な動物ですから、 醤歯類の代表としてとりあげられえます。(2)蓄歯類の動物はすべて、部分的に 割れ目をもつという解剖学的特徴によって、双生児のはじめとなります。p.42

アルゴンキン・インディアンがノウサギ を選んだ理由を、(a)人類に利益をもたらす唯一の神、(b)一方は善で他方は悪 である双生児、という一一つの条件の中間にある一個体として説明するならば、これ また、もっともよく理解できるでしょう。まだすっかり一一つに分けられず、まだ双 生児にならず、一一つの対立した特徴が同一人物中に合体しているのです。p.45

ここには説明のための細胞はあります。その基本的構造は同じですが、細胞の内容は同じではなく変化−)ます。そういうわけで、これは一種の〃ミニ神話“と言えましょう。ごく短く、非常に圧縮されているのですから。それでもや はり神話の特性を備えており、いくつもの異なる変換のかげにその特性を見わける ことができます。ある要素が変換されると、他の要素もそれに従って再調整されね ばなりません。私がまず興味を抱くのは、これら氏族伝説のもつこの面です。p.56

歴史の説明が歴史家によって異なっているとき、私たちが置かれる状況は、いま 述べた神話の伝承がいくつもある場合とまったく同じなのですが、私たちはそのこ とにいつもは少しも気がつきません。私たちは基本的類似点に注目するだけで、歴 神話が歴史になるとき歴史家が史料をどのように彫り込むか、どのように解釈するかによって出てくるちが いは重大視しないのです。ですから、アメリカ革命とか、カナダでの仏英戦争とか、 フランス革命といった事件について、知的伝統や政治的傾向が異なるために歴史家 の説明が二つに分かれていたとしても、その述べるところがまったく同じではない からといって、私たちはそれほどショックは受けません。p.58

私たちの社会では、神話に代わって歴史がそれと同じ機能をはたしているのだと言ってしまっても、それは私の信ずるところをあまりはずれておりません。文字や 古文書をもたない社会においては、神話の目的とは、未来が現在と過去に対してで きる限り忠実であること―完全に同じであることは明らかに不可能ですが―の 保証なのです。ところが私たちは、未来はつねに現在とは異なるものであるべきだ、 またますます異なったものになってゆくべきだ、と考えます。p.58-59

小説や新聞 記事を読むように、一行一行、左から右へと読もうとしたのでは、神話は理解がで きないと気づかねばなりません。神話は一つの全体的まとまりとして把握しなけれ ばならないのです。また神話の基本的な意味は、ひとつづきに連なるできごとによ って表わされているのではなくて、いわば〃できごとの束〃によって表わされてい ること、しかもそれらのできごとは物語の別々の時期に起こったりもすることをは っきりきせる必要があります。したがって神話は、多かれ少なかれ、オーケストラ の総譜と同じような読み方をしなければなりません。つまり一段一段ではなく、頁 全体を把握することが必要です。頁の上の第一段に書かれていることが、それより 下の第一一段、第三段などに書かれていることの一部分だと考えてはじめて意味をも ちうるのだ、ということを理解しなければなりません。つまり、左から右へ読むだ けではなくて、同時に垂直に、上から下にも読まねばならないのです。各頁が一つ のまとまりであることを理解する必要があります。段を重ねて書いてあるオーケス トラの総譜のように神話を扱ってはじめて、それを一つのまとまりとして理解でき、 神話の意味を引き出すことができます。pp.62-63

私た ちが音楽を聞くとき、結局のところそれは、はじめから終わりまでつづき、時間の なかに展開してゆく何かを聞いているのです。交響曲を聞いてごらんなさい。交響 曲にははじめとまんなかと終わりがあります。しかし、それにもかかわらず、私は 各瞬間に、前に聞いたものといま聞いたものをまとめ合わせ、音楽の全体性を意識 する状態を維持しています。もしそれができないとすれば、交響曲はまったく理解 できませんし、そこから音楽の喜びなどは少しも得られないでしょう。またたとえ ば「主題と変奏」という音楽形式を考えてみても、最初に聞いた主題(テーマ)を 心にとどめつつ変奏のそれぞれを聞くことによって、はじめてその曲を鑑賞するこ とができるのです。また変奏のそれぞれが独自の趣きをもつのは、みなさんが無意 識にそれを、先立つ変奏に重ねてみるからです。pp.68-69




*作成:近藤 宏 更新:中田 喜一中倉 智徳
UP: 20080805 REV:20100301, 0602
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