HOME > 安楽死・尊厳死>安楽死・尊厳死文献解説 >

レイチェルスの安楽死論に応えて

トム・L・ビーチャム(1978=1988)
加藤尚武・飯田亘之 [編] 『バイオエシックスの基礎――欧米の「生命倫理」観』,東海大出版会,1988年.



■内容

◆レイチェルスによる「積極的・消極的安楽死の区別は無効」という主張の論拠は薄弱であり、彼の議論でアメリカ医師会の声明文を批判することは困難であることを主張。具体的には、以下の3点を指摘した上で反論を三つ紹介している。

(1)レイチェルスの出した2つの事例は積極的・消極的安楽死の区別の議論と重要な点において類似しておらず、彼の議論から「殺すこと」と「死ぬにまかせること」との区別が“常に”道徳的に取るに足らないという結論を下すことはできない。

(2)アメリカ医師会は「積極的・消極的安楽死の区別」を用いておらず、「殺すことが正当化されない事例」と「死ぬがままにすることが正当化される事例」を紹介しているにすぎない。「積極的(resp. 消極的)安楽死である」ということを根拠に「殺すことが正しくない(resp. 死ぬがままにすることが正しい)」と論じていないことに注意すべきである。(以下の反論3にて詳説)

(3)レイチェルスの事例ではスミスにもジョーンズにもどちらにも道徳的な責任がある。しかし、アメリカ医師会が念頭に置く事例では、医師が患者を殺すことによって生命を奪うことに対しては責任があるが、患者から生命維持装置を外して死なすことには責任がないと考えられている。(以下の反論1にて詳説)

レイチェルスへの反論1(医学の可謬性):
カレン・クインランの事例(生命維持装置を外しても生き延びることができた患者の事例)を紹介し、医師の誤診ないし不正確な予断の可能性から「殺すこと」と「死ぬにまかせること」の違いを指摘。すなわち、積極的安楽死は患者の生命の可能性を完全に除去してしまうが、消極的安楽死は必ずしも生命の可能性を除去しないことを指摘。

レイチェルスへの反論2(滑り坂論法+規則功利主義):
「制限された積極的安楽死を許す規則」よりも「積極的安楽死を許さない規則」の方が、「人命の尊重を要求するコードに含まれる諸規則」を腐食しないことから、長い目で見れば高い効用を実現できると主張。また、積極的・消極的安楽死を区別する功利主義的な擁護論として「誤診によって消極的安楽死を遂行したが生存し続けることのできた患者」の事例を指摘。

レイチェルスへの反論3(行為そのものによる道徳的区別の妥当性):
「殺すこと」と「死ぬにまかせること」の違いそのもので道徳的区別を論じることは無意味であり、行為そのものの違いから独立した道徳的根拠だけが道徳的区別を意味のあるものにすると主張。すなわち、状況次第では「殺すこと」も「死ぬにまかせること」も正にも不正にもなりうることを仮想的な例を用いて説明し、アメリカ医師会の声明には「殺すこと」と「死ぬにまかせること」の違いそのものが道徳的区別を生むとは記されていないことからレイチェルスの批判は失敗していると主張。


■参考
ジェイムズ・レイチェルス「積極的安楽死と消極的安楽死」,加藤尚武・飯田亘之 [編] 『バイオエシックスの基礎――欧米の「生命倫理」観』,東海大出版会,1988年.


■引用


■言及



*作成:坂本 徳仁 
UP:20100427 REV:
安楽死・尊厳死  ◇安楽死・尊厳死 文献解説
TOP HOME (http://www.arsvi.com)