『反発達論――抑圧の人間学からの解放』
■山下 恒男 19770630 『反発達論――抑圧の人間学からの解放』,現代書館,278p. ISBN-10: 4768433316 ISBN-13: 978-4768433317 1600 [amazon] ※ d, d04,
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■山下 恒男 20020710 『反発達論――抑圧の人間学からの解放 新装版』,現代書館,286p. ISBN-10: 4768434290 ISBN-13: 978-4768434291 [amazon]/[kinokuniya] ※ d,
■紹介
内容(「BOOK」データベースより)
近代社会はなぜ「発達」という概念を必要としたのか?本書はその疑問から出発し、現代社会にすみずみまで浸透している「発達=進歩」思想の、子ども・障害者などに対する抑圧的本質を明らかにする。また、その思想を支えた「心理学」を批判しながら、「発達」概念を必要としない社会のイメージをも模索する。
内容(「MARC」データベースより)
近代社会がなぜ「発達」という概念を必要としたのか? 発達という概念が子ども・障害者への抑圧思想になったのではないか。21世紀人類の生き方が問われる時、新しい共生思想を考える最良の書。1977年初版の新装版。
■目次
抑圧的概念としての発達
1 抑圧の構造
現代社会の抑圧の構造
子どもの抑圧
未開への侵入
ほか
2 抑圧のための人間科学
心理学的概念と政治・経済の体制
技術革新と労働力―発達観の背景
個性の伸長と分業体制
ほか
3 反発達・反進歩の思想
科学から空想へ
浪費と進歩の終焉
ユートピアとしての「漂流教室」
ほか
■言及
◆立岩 真也 1997 『私的所有論』
「◇31 「種の多様性が、人工物の意図的な増殖のなかで、性のみが保証する偶然の終りのなかで消滅するとき、おそらく人類の死がまっているだろう。」(Attali[1988=1994:520])この種の議論は多い。畦地豊彦[1987]について加藤秀一が次のように指摘する。
「「類的種族としての人間存在の認識」(畦地[1987:187])といった全体主義(「種」主義というべきか)は反差別運動の射程を根本から堀り崩す倒錯であるように、私には思われる。女性も障害者も、その解放運動の出発点は、自らを、他に置き換えのきかない一人の人間=個人として認めよという叫びではなかったか。個人は種内の遺伝子の多様性を保存するプールとして価値があるのではない、という思いに立ち帰ること――障害者運動とフェミニズム運動は、個人の尊厳の擁護というこの出発点を徹底して共有するところから、生命の質を一元化する優生思想に反対するという、原理的な共存を獲得できるはずだ。」(加藤[1991a])この箇所に付された注には、「より典型的な表現は同じ論集の中の山下恒男の文章にみられる。そこでは「個体と種を二つにして一つのもの」とみる今西進化論の「おおらか」さが称揚されている」とある。ここで加藤が言及しているのは山下[1987:388-389]。著書(山下[1977])にも同様の主張が見られる。
本書を通して言おうとしたのは、これらと別の立場である。」(第9章注31、p.442 この本の最後の注)