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『写真論』

Sontag, Susan 1977 On photography
=197901 近藤 耕人 訳,晶文社,221p.


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Sontag, Susan 1977 On photography =197901 近藤 耕人 訳 『写真論』,晶文社,221p. ISBN-10: 4794958668 ISBN-13: 978-4794958662 1680 [amazon] ※

■言及
◆Haraway, Donna J. 1991 Simians, Cyborgs, and Women: The Reinvention of Nature, London: Free Association Books and New York: Routledge(=20000725, 高橋さきの訳『猿と女とサイボーグ:自然の再発明』青土社).
(pp323-324)
 新技術は、セクシュアリティをめぐる社会関係と生殖/再生産をめぐる社会関係の双方に影響を及ばすものの、その影響は、必ずしも同様というわけではない。身体を、欲望充足や有用性を最大化するためのある種の私的な機械であるとみなす見解において、セクシュアリティと道具性がいかに緊密な関係を有しているかは、遺伝上の計算を重視し、雌雄のジェンダー役割が支配的であることを不可避の弁証法として説明づける社会生物学の起源物語りの数々になかなかよく描写されている(*19)。こうした社会生物学の物語りが依拠しているのは、身体を、生体部品{バイオティック・コンポネント}あるいはサイバネティックなコミュニケーション・システムとみなすようなハイテクの身体観である。生殖/再生産をとりまく状況がさまざまに変遷を重ねる中で、医療の状況も変化し、女性の身体の境界を「視覚/映像化」や「介入行為」がすりぬけるようになってきた。医療という解釈学において、身体をめぐる種々の境界の解釈を誰がコントロールするのかは、もちろん、フェニミズムにとって重要な問題である。膣鏡{スペキュラム}は、一九七〇年代に女性たちが自らの身体を当然のものとして要求する際に、イコンの役割をはたした。しかし、この手づくりの工具は、サイボーグの生殖/再生産を実践するうえで、リアリティの処理に際して我々が必要としているボディポリティクスを表現するのには不向きである。セルフ・ヘルプでは不充分である。視覚/映像化という技術は、カメラを用いた狩猟という重要な文化実践や、写真意識の持つ極めて略奪的な性格を想起させずにはおかない(*20)。性{セックス}、セクシュアリティ、生殖/再生産は、種々のハイテク神話体系――個人の可能性と社会の可能性をめぐる我々の想像力を形づくる神話体系――の主役たちである。
(p487)
 (*20)アメリカの都市部に居住する移民大衆にとって、自然が持つさまざまな世俗的意味が構築されてゆく過程で、銃による狩猟からカメラによる狩猟への移行の瞬間がどのようなものであったかについては、ハラウェイ(Haraway, 1984-1985, 1989b)、ナッシュ(Nash, 1979)、ソンタグ(Sontag, 1977)、プレストン(Preston, 1984)を参照のこと。


◆飯島洋一, 20041101, 「破壊すべきものたち1」『現代思想』32-14(2004-11):16-27.
(p26)
 こうして写真は、この頃になると、実にさまざまなものを多様に捉えている。つねにいろいろな人々に何度も引用されている件だが、スーザン・ソンタグが『写真論』の中で言っているように、「あらゆるものは写真になるために存在する」という時代がいよいよ始まったのである(16)。だが、それでも私はこのように付け加えないではいられない。内情は、潜在的な顧客たちも含めて、多くの人々が求めていたのは「肖像写真」だったのではないだろうかと。人々は自分自身のリアルな「写し絵」を欲しがったと私は思う。写真の発明は、その欲望を満たすためにこそあったとさえ考える。 

 (16)スーザン・ソンタグ『写真論』(近藤耕人訳、晶文社、1979年)。


*作成:植村要
UP:20080518 REV:20081115,20090729 
Sontag, Susan  ◇哲学/政治哲学/倫理学  ◇身体×世界:関連書籍 -1970'  ◇BOOK
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