HOME > BOOK >

『情念の政治経済学』

Hirschman, Albert O. 1977 The Passions and The Interests: Political Arguments for Capitalism before Its Triumph, Princeton University Press.

=1985,佐々木毅・旦祐介訳『情念の政治経済学』,法政大学出版局(叢書ウニベルシタス165),168p.


このHP経由で[amazon]で購入してい ただけると感謝。

■Hirschman, Albert O. 1977 The Passions and The Interests: Political Arguments for Capitalism before Its Triumph, Princeton University Press.
=1985,佐々木毅・旦祐介訳『情念の政治経済学』,法政大学出版局(叢書ウニベルシタス165),168p. ISBN-10: 4588001655 ISBN-13: 978-4588001659 2100  [amazon]

■内容(「訳書背表紙の紹介文」より)
〈情念〉の否定と抑圧に忙しい17世紀の思想界に〈利益・儲けの擁護〉という新しいパラダイムが登場するや、利欲をもって情念を調教し、社会の安寧をはか ろうという志向が高まった。啓蒙期の論争を辿り、M・ウェーバーとは異なる角度から資本主義のエートスを発掘する。

■目次
 謝辞
 序論
第1章 どのようにして利益は情念に対抗すべく持ち出されたか
栄光の観念とその没落
「ありのまま」の人間
情念を抑圧し、そして管理して
情念を相殺するという原則
情念の調教師としての「利益」と「諸利益」
新しいパラダイムとしての利益
利益が支配する世界の持つ財産、すなわち、可測性と恒常性
罪がなく温和なものとしての金儲けと商業
おとなしい情念としての金儲け

第2章 なぜ経済の拡大は政治秩序の改善をもたらすと考えられたのか
この学説の構成要素
1 モンテスキュー
2 ジェィムズ・スチュワート
3 ジョン・ミラー
関連しつつも、くいちがう見方
1 重農主義者
2 アダム・スミスとある一つのヴィジョンの終わり

第3章 思想史のエピソードをふりかえって
モンテスキュー、スチュワートのヴィジョンはどこで誤りを犯したのか
「利益の支配」対「プロテスタントの倫理」

■引用 (……は中略、下線は原文における強調、( )は訳書の頁数、〔 〕は引用者による補足をあらわす。なお表記に一部変更を加えた箇所がある)

 本書執筆のきっかけは、一つには政治に対する経済成長の影響を解明するのに現代の社会科学があまりにも無力であるという点にあり、今一つより重要なのは 資本主義圏、社会主義圏、あるいは混合経済圏を問わず、経済成長が往々にして痛ましい政治的結果をもたらしているという点にある。(1)

 〔17、18世紀の社会思想〕体系はもともと豊かで複雑であり、求めていたものより幅広く、問題性に富んだ収穫が得られたのも不思議ではない。事実、私 の求めていた問に対する答は興味深い副産物をもたらした。それは資本主義の「精神」とその勃興に関する新しい解釈である。(2)

 マックス・ウェーバーは、有名な著作の核心部分の冒頭で次のように問いかけている。「さて倫理的にはどうにか黙認できる程度の活動が、いかにしてベン ジャミン・フランクリンの言う天職に転化しえたのだろうか。」つまり、商業、金融その他類似の金儲け仕事は過去何世紀もの間、強欲、金銭欲、貪欲の現れと して非難され、軽蔑され続けてきたのに、近代のある時点になってどうして栄誉ある活動と見なされるようになったのだろうか。(5)

 〔『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』におけるウェーバーの研究の出発点にたいする論難にも〕かかわらずウェーバーの問いは、他との比較と いう視座からすれば正当化できるであろう。商業その他の金儲けがどれほど承認されようとも、それは中世の価値尺度では他の活動、特に栄光の追求より下位に 置かれていたことは確かなことだからである。私は中世とルネサンス期における栄光の観念を大雑把に描くことによって、「資本主義の精神」の始まりに関する 驚きの念を再現してみようと思う。(6)

 〔聖アウグスティヌスは権力欲と性欲に加えて金銭と財産への欲望を堕落した人間の三つの罪として非難したが〕アウグスティヌスが栄光〔権力欲〕の追求を 条件付きで是認したことは、騎士道的・貴族的理想の代弁者らに彼の教えをはるかに越える形でそれを拡大解釈する余地を与え、……つまり、純粋な私財追求と は対照的に、栄光への欲望は「許される社会的価値」を持ちうるとされるようになったのである。事実、私的情念を追求する人に働きかけて知らず知らずのうち に公的善へと導いていく「見えざる手」という考えは、モンテスキューが金銭欲との関連でよりも栄光の追求との関連で定式化したものであった。彼によれば君 主政下での名誉追求は、「政体のあらゆる部分に生気をもたら」し、その結果、「万人が自己利益のために働くと考えつつも、実際には一般の福祉に貢献するこ とになる」というわけである。(6-7)

 ……名誉と栄光を求めることは中世騎士道のエートスによって称揚された。……その後、ルネサンス期にはいって教会の影響力が後退し、栄誉欲を称賛するふ んだんなギリシャ・ローマの史料を貴族的理想の主導者たちが参考できるようになると、名誉欲は支配的なイデオロギーとしての地位を獲得した。こうした力強 い思潮は17世紀にも及んだ。(7)

 いくつかの西欧諸国の著作家は、この「英雄の破壊」に協力したが、英雄的理想に対する崇拝がおそらく最も進んでいたフランスの著作家たちが主役を努め た。英雄的な美徳は、ホッブズには単なる自己保存の形にすぎないものであり、ラ・ロシェフコーの目には自己愛の現れであり、パスカルにとっては虚栄の現 れ、本当の自己認識からの血迷った逃避の現れであった。英雄的情念は、セルバンテスによって気がふれているか馬鹿げているものと非難された後に、ラシーヌ によって卑しいものとして描かれたのであった。(8)

 ……大事な点は、破壊の責任者が伝統的価値を格下げしたのは、新しい階級の利益や必要に対応するような新しい道徳的綱領を提出するためだったわけではな いことである。英雄的理想に対する非難は、新しいブルジョワジーのエートスの擁護と全く関連していなかった。(8)

 話の発端はルネサンス期にさかのぼるが、それは新しい倫理、すなわち個人のための新しい行動規則の発達を通してはじまったわけではない。ここで跡づけた いのはむしろ国家論の新たな展開であり、既存秩序の中で統治術を改善する試みである。(9)

 権力をいかにして獲得し、維持し、拡大するかについて教えるにあたって、マキアヴェリは「事実の真相」と「実際には見えない、実在しない共和国や君主 国」との間に根本的で有名な区別をもうけた。その区別の意味するところは、道徳哲学者や政治哲学者はそれまで後者のみについて論じており、君主が活動しな ければならない現実世界での手引きを提供してこなかったということである。科学的で実証的な問題接近に対するこのような需要が君主から個人へ、国家の性質 から人間の本質へと拡張されたのは後のことである。……次の世紀には大きな変化が生じた。数学と天体運動論の進歩を背景にして、落下物や惑星と同様に人間 の行動についても法則が見つかるのではないかという希望が広がったのである。それゆえ……ホッブズは、国家の本質を語るに先立って『リヴァイアサン』の冒 頭10章を費やして人間の本質に言及している。〔スピノザもまた〕『政治学』冒頭の第一段落で「人間をありのままの形でとらえず好みに合うような形で考え ている」哲学者たちを攻撃している。そして実証的な考え方と規範的な考え方との間のこの区別は『倫理学』に再び見られる。そこでスピノザは、「人間の感情 や行動を嫌い蔑視する」人々に対して、「人間の行動や欲求をあたかも線や平面や物体と同様に考える」という彼の有名な提言を対置させている。(10- 11)

 「ありのまま」の人間が今日のいわゆる政治学の固有の主題であるということは、18世紀において時としてほとんど慣例的に言われ続けてきた。スピノザを 読んでいたヴィーコは他の点はともかくとしてこの点に関しては彼に従った。……マキアヴェリやホッブズとは人間観において大きく隔たったルソーでさえ、こ うした考え方には一目置いており、『社会契約論』を次の文章で書き始めている。「人間をあるがままにとらえ、法をありうる姿においてとらえた場合、正当で 確実な何らかの統治の原則が見出されないかどうか検討してみたい。」(11)

 人間を「あるがままの姿において」見ることがなぜかくも強く要請されたかは簡単に説明できる。まず道徳哲学や宗教的戒律に人間の破壊的な情念を制御する 務めをもはや任せておけないという気運がルネサンス期に起こり、17世紀には強い確信として定着した。そこから情念を制御する新しいやり方を見つける必要 が生じ、きわめて当然のことながら人間性の詳細で容赦のない解剖が始まったのである。……概してこうした探求の目的は、道徳的な訓戒や地獄の脅しよりも効 果的な、人間の行動パターンを生み出す方法を発見することにあった。……宗教的戒律に頼らない代案として提案された議論は、少なくとも三つに大別できよ う。(12)

 最も明快な対案は、……強制と抑圧に訴えるものである。その際必要とあらば力を用いてでも情念の最悪の発現と最も危険な帰結を押しとどめる役目は国家に ゆだねられる。これは聖アウグスティヌスの考えであり、16世紀にはカルヴァンが忠実に復唱したものである。この考えによれば、既存のいかなる社会的・政 治的秩序も現存しているという理由の下に正当化される。そこで生じうる不正義は、堕落した人間の罪に対する正当な報いとされるのである。(12-13)

 手に負えない人間の情念を見つけたために起きた問題を、抑圧的に解決する方法は重大な問題を抱えている。過度の寛大さ、残虐さ、その他の欠点から、君主 が任務を適切に果たせない時はどうなるのか。ひとたびこの問いが発せられると、適度に抑圧的な主権や権威といったものの存在は、道徳哲学者や聖職者の訓戒 によって情念を制御するのと、現実には同程度の蓋然性しか持たないように見える。(13)

 〔次なる〕解決策は、やみくもに抑圧するかわりに情念を「利用する」という考え方である。ここでもこの芸当をするのは国家あるいは「社会」であるが、そ れらは今度は単なる抑圧のとりでではなく、情念の変革者、その文明化の担い手として現れる。破壊的な情念を建設的なものに変身させる構想は、すでに17世 紀に見られる。アダム・スミスの「見えざる手」を見越していたパスカルは、人間の偉大さを弁護して、人間は「情欲から称賛すべき仕組みと美しい秩序を梳き 出した」と述べている。(14)

 〔18世紀初期にはジャンバティスタ・ヴィーコがこの考え方をより明確にしたが〕人間の情念を利用し一般の福祉に役立てるという考えは、ヴィーコと同時 代のイギリス人バーナード・マンデヴィルによってかなりの程度まで展開された。しばしばレッセ・フェールの先駆者と見なされるマンデヴィルは、事実『蜂の 寓話』において一貫して「抜け目のない政治家の巧みな統治」こそが「私的悪徳」を「公的利益」に転換させるために必要な条件であり要因である、と訴えかけ ている。(15)

 [マンデヴィルがしかし特定の「悪徳」や情念に話を限定し]一般論を展開せずに終わった後を承けて、この問題を取り上げ周知の通り赫々たる成功を収めた のが『国富論』の著者アダム・スミスであったが、この作品は伝統的に強欲または貪欲として知られていた情念に全体として焦点を合わせている。(15- 16)
 情念を利用するという考えは、このように限定された穏やかな形をとることによって19世紀自由主義の主たる教義として、また経済学説の主柱として、生き 延び栄えることができた。もっとも、この情念を利用するという考えを一般化しないという立場は、決して確立していたわけではない。〔ヘーゲルやヘルダーな どは〕歴史の前進は人間の情念が人類や世界精神の全般的な進歩になんらかの形で寄与していることの証拠だと考えた……。たとえばヘーゲルの有名な理性の狡 知という概念は、人間が情念に従っていれば自らは全く気づかない崇高な世界史的目的を遂行することになる、と主張するものである。(16)

 情念を互いに区別して毒をもって毒を制するようなことはできないだろうか。比較的無害な情念を用いて他のもっと危険で破壊的な情念を相殺できないだろう か。またもしかしたら「分割統治」の要領で同士討ちをさせて情念を弱め飼い慣らせないだろうか。こうした〔第三の〕考えは、一度道徳教化の効果に絶望した 人たちには単純明快なものであったが、……すべての情念を同時に攻撃するという計画よりおそらく思いつきにくい考えであった。主要な情念は文学や思想にお いて長らくお互いに分かち難く結びつけられていた。……情念を不可分のものと考える習慣は、ふだんから情念を一つのブロックとして理性の命令や救済の要求 などと対比させる傾向によってもますます強められたのである。(17-18)

 〔情念同士を対抗させることが人間と人類の利益になるとする〕この考えは、17世紀において思想と人格ともに両極端に位置するベーコンとスピノザに見ら れた。/ベーコンにとって〔情念同士を対抗させることが人間と人類の利益になるとの〕この考えは、経験にもとづく帰納的な思考を妨げてきた、形而上学的・ 神学的な束縛をふりきるための系統だった試みの結果であった。(18-19)

 情念論を詳論するために、『倫理学』の中でスピノザは、議論の展開に不可欠なものとして二つの命題を提出している〔「情念は、それに対抗するより強い情 念がない限り抑制することも除去することもできない」「善悪に関する真の認識は、それが真であるだけでは情念を抑える力にはならない。情念を抑えられるの は、その認識が情念であると見なされる時に限られる」〕。/一見奇妙なのは、……情念同士を対抗させることで情念を都合よく抑制し操作するという思想ほど 彼の考えから遠いものはない〔という点である〕。〔『倫理学』におけるスピノザの〕目的地とは情念に対する理性と神の愛の勝利であって、情念に対して情念 を対抗させる考えはそれへの単なる途中の段階にすぎない。しかし同時にこの考えがスピノザの著作の頂点において必須の要素でもあったことは、その最後の命 題を見ても明らかである。「われわれが浄福の喜びを見出すのは情欲を抑制しているからではない。むしろ反対に、われわれは浄福に喜びを見出すからこそ情欲 を抑制できるのである。」/情念に打ち勝てるのは他の情念だけであるという考えに優位を与えた最初の偉大な哲学者は、道徳や政治の領域にそれを適用す る……可能性に現に気づいていたにもかかわらず……スピノザの政治関係の著作にも、この考えは見られないのである。(20-21)

 ヒュームはスピノザの哲学を「見るも恐ろしい」と非難したが、情念と理性との関係についての彼の考えはスピノザに驚くほど近い。ヒュームは情念が理性に 対して耳を傾けないものであることをより強く主張したにすぎないのである〔「理性は情念の奴隷であり、情念の奴隷でしかありうるはずがない」〕。……この ような極端な立場をとったため、彼には情念が他の情念と平衡を保つ機能を果たせる、という考えによる慰めがことさらに必要だったのである〔「反対の衝動以 外に情念に対抗したり、それを鎮めたりできるものはない」〕。/スピノザとちがってヒュームは、自らの洞察を応用するのに意欲的であった。『人性論』の第 三篇で「社会の起源」を論ずるに際して彼は早速それを行っている。「事物を得たいという欲望」は彼によれば、あまりにも潜在的に破壊的であり、また際立っ て力強い情念であるため、それを抑制するには情念自身を対抗させる他はない、と。(22)

 情念に情念を対抗させるという原則が17世紀に生じたのは、暗い人間観と情念を危険で破壊的だとする一般の信念に発していた。次の世紀になると人間の本 性や情念の名誉は大幅に回復した。フランスではエルヴェシスが情念の最も大胆な擁護者であった〔「分別のある人に対する情念的な人の知的優位」「情念を失 うと途端に人間は愚かになる」〕。しかし……情念はもはや有害どころか人間に活力を吹きこむものとされつつも、情念を情念と対抗させるという方策は依然と して主張され続けた。(25)

 次にわれわれの議論の流れからして特に重要なのは、「利益interest」という言葉が対抗機能を持つ情念の総称として用いられていることである。/ さてこの考えはフランスとイギリスからアメリカに伝えられ、建国の父たちによって立憲政治のための重要な知的道具として用いられた。(26)

 〔『フェデラリスト』第51篇では〕政府の諸部局間の権力分立が「野心は野心で相殺しなければならない」という命題によって雄弁に正当化されている。そ の意味するところは、政府の一部局の野心が他と対抗することが見込まれているということであって、一人の人間の中で情念同士が闘い抜くというこれまでの状 況とは大きく異なっている。しかしおそらく重要なのは権力分立の原則が別の装いを与えられたことであろう。抑制と均衡という比較的新しい考え方が説得力を 増したのは、情念に情念を対抗させるという広く受け入れられ十分なじんだ原則の応用として提示されたからである。(27-28)

 より一般的に言えば、情念によって情念を抑制するという原則が権力分立の原則に知的根拠を提供したというのが本当のようである。こうしてここで見てきた 思想のつながりは出発点に戻った。すなわち、それは国家に始まり、そこから個人の行動の問題の検討へと向かい、この段階で生まれた洞察がやがて政治の理論 に逆輸入されたのである。(28-29)

 情念同士を闘わせる戦略が考案され、受け入れられたのみならず、将来性さえ見込まれるようになると、これまで述べてきた理由付けをさらにもう一歩先に進 めることが望ましいものとなった。……どの情念が端的に調教師役を務めるのか、また反対にどの情念が調調教を必要とする本当に「野蛮な」情念であるかを、 少なくとも大雑把には知っていなければならないからである。(29)

 ホッブズの契約論は、この種の情念の役割配分に基づいている。それというのも、その契約が結ばれるのは、富と栄光と主権を激しく追い求めるといった「人 間の欲求その他の情念」が、「平和を希求する情念」〔「死の恐怖、快適な生活に必要なものに対する願望、そして勤労によってそれらを所有したいという願 望」〕に圧倒されるからである。……このように考えると、社会契約説は、実は情念を「対抗させる」戦略の一種である。ホッブズはこの戦略を唯一度だけ〔情 念に駆られた人間の生み出す問題に二度と煩わされずにすむような解決を与える国家を創設するために〕採用する必要があった。……しかしホッブズの同時代の 多くの人々は……彼のラディカルな解決案を受け入れず、加えて情念に情念を対抗させる戦略が継続的に必要であると感じていた。この目的のために明らかに望 ましいのは、もっと一般的で永続的な役割配分である。実際そのような定式化は生まれ、人間の諸利益を情念と対抗させるという形をとって現れた。利益に従っ て人間が行動する時生じる好ましい結果と、情念を野放しにする時に広まる痛ましい状況とを対比する形式が生まれたのだった。(29-30)

 ところでこれら二つの概念の対立関係を理解するためには、言語と思想の進化の過程で「インタレスト〔単数〕」と「インタレスツ〔複数〕」という言葉がど のように、さまざまな意味変化を遂げてきたのか(そして同時並行的にさまざまな意味内容を持っていたか)見てみる必要がある。人間や集団の「インタレス ツ」は結局のところ経済的利益を主として指すようになった。これは日常言語についてだけでなく、「階級利益」や「利益集団」など社会科学用語についてもあ てはまる。もっとも、経済的な意味が支配的になったのは随分後のことである。16世紀後半の西欧では「インタレスト」という言葉は関心、願望、便宜といっ た意味に用いられていたが、それは個人の物質的な幸福だけを指す言葉では決してなかった。この言葉はむしろ人間の願望全体を意味しており、それと共に願望 追求の方法についての熟考や打算の要素を含んでいた。実際、「インタレスト」という概念が最初に本格的に議論されたのは、個々人やその物質的幸福とはまる でかけはなれた文脈において……国家統治技術への関心が……「インタレスト」の初期の定義を生み詳しい検討を促したのである。(31)

 ……ここでもマキアヴェリが当該の思想の系譜の源に立っている。……/マキアヴェリは実は……国家の支配者に特徴的な行動様式を規定したが、それを一つ の言葉で表現しなかった。後になって彼の作品は、当初は同義であったinteresseとragione di statoという双生児を生み出した。……これらの概念は二つの戦線で戦いを挑むものであった。一方では、マキアヴェリ以前の政治哲学の支柱である道徳律 や道徳規範からの独立宣言であったことは明らかである。それと同時に他方では、君主を明快かつ健全に導く「情念や一時の衝動に左右されない洗練された理性 的意志」を見つけようとするものでもあったわけである。/新しい国家統治技術の祖であるマキアヴェリの主な戦場は、言うまでもなく第一の戦線であっ た。……統治者に暗示された行動の道しるべである利益という概念の支配は、この考えがイタリアからフランス、イギリスに渡るにつれて全面に現れてきた。 (31-32)


UP:20080220 REV:
  ◇哲学/政治哲学(political philosophy)/倫理学  ◇BOOK
TOP HOME (http://www.arsvi.com)