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『最後の親鸞』

吉本 隆明 19761031 春秋社,155p.

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last update:20160914

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吉本 隆明 19761031 『最後の親鸞』,春秋社,155p. ISBN-13:978-4-3933-3105-7 ISBN-10:4-3933-3105-2 1800+ [amazon][kinokuniya] ※ w/yt08

吉本 隆明 197401 「最後の親鸞」,『春秋』1974-1〜1974-2・3→吉本[197610]
◆―――― 1976 『最後の親鸞』,春秋社,155p.→吉本[1981]→吉本[1987:163-197],→吉本[2002]
◆―――― 19810725 『増補 最後の親鸞』,春秋社
◆―――― 19871210 『宗教』,大和書房,吉本隆明全集撰5,525p.
◆―――― 200201 「永遠と現在」,『アンジャリ』2
◆―――― 20020910 『最後の親鸞』,筑摩書房,ちくま学芸文庫(吉本[19810725]に、「永遠と現在」(吉本[200201])が加えられ、中沢新一の解説が付される)

吉本 隆明 20020910 『最後の親鸞』,筑摩書房,ちくま学芸文庫

 ※吉本[19810725]に、「永遠と現在」(吉本[200201])が加えられ、中沢新一の解説が付される


■内容

[amazon]より

 親鸞の思想は、直弟子たちの聞書きなどに書きとめられた言葉によって、死後はるかな時間をへだててしだいにその巨きな姿をあらわした。
 非僧非俗の境涯に集約されるその知の放棄の方法はどのようなものだったのか?宗教以外の形態では思想が不可能であった時代に、仏教の信を極限まで解体し、
善悪の起源とその了解について思考の涯まで歩んでいった親鸞の姿を、著者は全身的な思想の集注で描ききっている。

■目次


最後の親鸞
和讃
ある親鸞
親鸞伝説

■引用

 ▽<知識>にとって最後の課題は、頂きを極め、その頂きに人々を誘って蒙をひらくことではない。頂きを極め、そこから世界を見おろすことでもない。頂きを極め、そのまま寂かに<非知>に向って着地することができるというのが、おおよそ、どんな種類の<知>にとっても最後の課題である。この「そのまま」というのは、わたしたちには不可能に近いので、いわば自覚的に<非知>に向って還流するよりほか仕方がない。しかし最後の親鸞は、この「そのまま」というのをやってのけているようにおもわれる。(吉本[1976:5→1987:164,→2002:15])※「そのまま」(3箇所)に傍点△

 ▽どんな自力の計いもすてよ、<知>よりも<愚>の方が、<善>よりも<悪>の方が弥陀の本願に近づきやすいのだ、と説いた親鸞にとって、じぶんがかぎりなく<愚>に近づくことは願いであった。愚者にとって<愚>はそれ自体であるが、知者にとって<愚>は、近づくのが不可能なほど遠くにある最後の課題である。(吉本[1876:→1987:→2002:15])△

 ▽親鸞は、<知>の頂きを極めたところで、かぎりなく<非知>に近づいてゆく還相の<知>をしきりに説いているようにみえる。しかし<知>は、どんなに「そのまま」寂かに着地しても<無智>と合一できない。<知>にとって<無智>と合一する△017ことは最後の課題だが、どうしても<非知>と<無智>とのあいだには紙一重の、だが深い淵が横たわって居る。なぜならば<無智>を荷っている人々は、それ自体の存在であり、浄土の理念に理念によって近づこうとする存在からもっとも遠いから、じぶんではどんな<はからい>ももたない。かれは浄土に近づくために、絶対の他力を媒介として信ずるよりほかどんな手段ももっていない。これこそ本願他力の思想にとって究極の境涯でなければならない。しかし<無智>を荷った人々は、宗教がかんがえるほど宗教的な存在ではない。かれは本願他力の思想にとって、それ自体で究極のところに立っているかもしれないが、宗教に無縁な存在でもありうる。そのとき<無智>を荷った人たちは、浄土教の形成する世界像の外へはみ出してしまう。そうならば宗教をはみ出した人々に肉迫するのに、念仏一宗もまたその思想を、宗教の外にまで解体させなけばならない。最後の親鸞はその課題を強いられたようにおもわれる。(吉本[1876:→1987:→2002:17-18])△

■書評・紹介

■言及


◆立岩 真也 2022/12/20 『人命の特別を言わず/言う』,筑摩書房
◆立岩 真也 2022/12/25- 『人命の特別を言わず/言う 補註』Kyoto Books

 第4章
 「吉本隆明は幾度も新約聖書(福音書)について書き、そして、ときには同じ本で、親鸞のことを書いた。「マチウ書試論」(吉本[1959]、マチウ書=マタイ伝)の最初の部分は1954年に発表された。また、親鸞を論じた著作として代表的なものに『最後の親鸞』(吉本[1976])がある。そこに収録されている最初の論考「最後の親鸞」は74年に発表された(吉本[1974])。フーコーの『性の歴史』の第1巻は76年に出版されている(Foucault[1976=1986])。『論註と喩』(吉本[1978])は「喩としてのマルコ伝」と「親鸞論註」からなっている★15。そして、新約聖書についての文章について、ニーチェとマルクスの著作をあげ、「喩としてのマルコ伝」では加えて、ヘーゲルとエンゲルスの仕事に、そしてとくにニーチェに言及している。「マチウ書試論」のあとがきには「キリスト教思想に対する思想的批判としては、ニイチェの「道徳の系譜」を中心とする全著書が圧倒的に優れていると思う。わたしに、キリスト教思想にたいする批判の観点をおしえたのは、ニイチェとマルクスとであった」と記している(吉本[1959→1987])。
 私には、その人が言うことにはたくさんわからないところがある。「アジア的」も「共同幻想」も、よくわからない。だが、執拗に幾度も書かれたこの部分、つまり宗教的なものの道行きを辿っていく部分については信用してよいように思う★16。なぜキリスト教について親鸞についてこの人は幾度も書いたのか。同じ本の中でどうして新約聖書と親鸞の話が並列されるのか。
 宗教の課題は救いであり、それを求める思いはきっと切実なものなのだろう。そのことはわかりながら、吉本は、自らは信じられない人だと言い、その信じられない人間として、信じることを巡って人に起こることに関心があったのだろう。その人自身は、救いを信じてはいないが、人々がそれを求めることはわかり、そして考えてしまったり、またそこから脱しようとする道行きに関心があった。人が思ってしまい、辿ってしまう、その道行きを確かめたかったのではないかと思う。そして親鸞自身がそんな人であったと捉えられる。そんなことはないと浄土真宗の信者に言われれば終わりのような話ではあるが、読んでいくとそうかもしれないとは思える。
 仏教的な世界観では、殺生の起こっているこの世は基本的には否定的なものと捉えられている。そこに生じている欲望を捨てることによって、禁欲的・厭世的な種類のよい行ないを積むことによって、その世界から解脱することがよいことであるとされる。ときに「東洋思想」として言われ、常に一定の顧客を獲得しているもの、いまこの国に限らず需要され受容されているものは、このような思想や技術から、解脱や救済に対する真剣さを減じたものだ。悟りということになるとたいそうすぎるが、とにかく心的な境地が追求される。もちろんそれはまったく良いことだ。それで心が落ちいたりもするのだろうし、なにかよいものが見えたりわかったりすることもある。そのことによって、よい人になり、よりよい社会にもなるかもしれない。それはそれでけっこうなものではある。しかし宗教に普通に求められるのは、現世でよいことがあること、そして死後のことだ。
 ただ、自らでそれを得るのはなかなか難しい。とすると、一つ、さきに悟った人などが、代わりに救ってあげるという方向がある。むろん他力を期待する自分自身も信じなければならないし、できることはしなければならない。信じて、偉い人についていって、自分でもできることはする、といったことになる。
 しかしそんなことが疑わしく思えることもある。いつも疑り深い人はいるが、その時々の社会の様子も影響するかもしれない。人が飢えて次々と死んでいくような時に、粗食をして修行をしてということでどうにかなるものなのだろうか。社会や生活の困難は、これまでの信心をより強く堅くする方向にも働くが、別の方向に向けさせることもあるだろう。
 さきの新約聖書の世界の現れと似ているところの一つは、その時の社会において、よい行ないを重ねてもどうにかなるようには思えなかったということだろう。人の営みの効力についての懐疑があり、選良の思想が信じられなかった。ここには似たところがある。
 他方で違うところは、他の宗教・宗派との対立状況において、より広く強い根拠を探し、人々を(可能性としては)自らのもとに置くという道を辿ることはなかったということだろうか。すくなくとも親鸞本人において、既存のものは信じられなかったが、それに打ち勝って、より大きな勢力を得ようということではなかった。ただ、それでも浄土真宗が、結果として人々を捉えたということはあっただろう。すると、より広い範囲の人々を得るということにおいても共通していることになる。
 ただそれは、人間的なものを増長することにならなかった。新約の世界では、行ないの宗教への対抗、というより律法主義と捉える宗教の抑圧のもとで、より深く人々を捉えるものを自らに有することになる。その取っ手が、人間的なもの、人の内面、罪だった。その罪において神に繋がれることになった。人の現世での営みが、宗教のもとで、あるいはそれとは直接の関係なく評価される世界では、営む自分、そのことを意識し自覚する自分が大きな位置を占める。現実の閉塞に促されて、行ないの規則によって人を統べる宗教に抑圧され、それに対抗せねばならなかった時には、人間的なものに遡ることによって、少なくともその観念においては、より広い範囲の人々を獲得しようとすることがあった。そうすると観念の領域が広がることになる。そのことを前節で見た。
 他方でここに起こったことは、そもそも人間の普通の営みに否定的な考えから出発した上で、その営みを延長していくと、得たいものを自らは得られるかと問い、人によって得られるものではないとした。一度だけ仏を信じればよいとされる。さらに、それも人の行ないであるなら、それもいらないとなる。救いの視点からみれば、自力を頼ってしまい、よいことができてしまって、そういう人のほうが救いから遠いということになる。悪人であってもよいのだとする。「悪人正機」が言われる。否定の否定によって、かえって、殺生であるとか普通の人々の営みを、高めることなく認めることになる。認めるのだが、それをできる能力の可否、大小によって人を差別することは否定される。
 しかし、そんな筋道の思考・思想があったことが、今日の私たちに意味をもつだろうか。たしかに宗教にとってはそんな理路はあるだろう。救いといった強いものを求める時、他力を言い、他力を得るために自力をじゃまなものとする。だが、私たちは救いを求めているわけではない。救いのために自力がたいしたものではないという話はわかるが、それはこの世では関係がない。その世界では人間が働いて、それでなんとかしている。私たちはもっと普通の生活を送っている。ならば、こんな迂回は必要か。
 しかしまず一つ、まじめな人によっていろいろと難しいことが考えられた末に、こういう結論になったようだと思えることで、まずは十分なのだと言おう。人間、人間の資格、人間の営みがそれほどのものではない、そんなことを信じてしまうとかえってよくないらしい。そのわけは自分にはよくわからないが、どうやらきちんと考えて、そのような結論になった人がいた、ならばそういうことでよいのだろうと思える。そのような考えは、多くの宗教、宗教と言う必要のない多くの場にあったはずだ。ただそれをある時期ある地にいた人たちがとくによく聞いてきたということはあり、そのことは現実に対して作用する。
 もう一つ、やはりその理路に必然があった、偶然の結果ではないと思う。死後の救済とかいった難しそうなことでないとしても、なにかただ生活と生活の手段が普通にほしいという以上のものを得ようとすると、たいがい小さくとも上昇し超越するほうに行く。現世的な営みを否定して禁欲のほうに行くか、あるいは、そんな場合のほうが少ないかもしれないが、前節にみた一派のように、人としての営みに大きな意味を付すかとなる。その人の営みは、殺して食べることも(その起源は、ある人の見立てによれば忘却されつつ)含めた営みでもあるだろうし(前節)、それを人間的に反省して食べないという営みとなることもある(第1章)。しかし、それは仕方なくしてしまうことではあるが、さほどのことではないことになる。この時、動物とほぼ同等の営みが、立派なこととしてではなく、肯定される。するとその時、人の営みに上下はなくなる。これは宗教という営みの域にまで行く行かないと関係なく言えることだ。
 そしてそれは、知の働きについて言えることでもある。たぶん知の動きというもの自体が、いま超越と述べたこととあまり変わりがない。それは自らに促されるように構築されていく。そしてその働きが、否定に行く。すると、人が思考してしまうこと、ただの営みに対してメタになってしまうことを認めながら、それを肯定はしないということになる。今あるものにいくらかの上塗りをすることを人はしてしまうが、それはべつによいことではないという構えだ。それは大切な認識だと思う。
 『最後の親鸞』に次のような文章がある。

 ▽<知識>にとって最後の課題は、頂きを極め、その頂きに人々を誘って蒙をひらくことではない。頂きを極め、そこから世界を見おろすことでもない。頂きを極め、そのまま寂かに<非知>に向って着地することができるというのが、おおよそ、どんな種類の<知>にとっても最後の課題である。この「そのまま」というのは、わたしたちには不可能に近いので、いわば自覚的に<非知>に向って還流するよりほか仕方がない。しかし最後の親鸞は、この「そのまま」というのをやってのけているようにおもわれる。(吉本[1976:5→1987:164→2002b:15])※「そのまま」(3箇所)に傍点★17△

 「どんな種類の<知>にとっても最後の課題である」とはいかにもな言い方だが、吉本はそのように言いたかった。その理路にはまだわからないところがある。吉本自身もどこまで詰められていたのかわからないと思う。ただ、読む人にとっては、たぶんそうなんだろうと思うぐらいでよかった。観念が展開していく過程に関心があったし、他方で、そうでない「もと」のものに対する肯定感があった。新約聖書は前者を書くものであり、親鸞は、似ているところがあり、また異なるところがある。同じ本に二つが並行してあることにはそんなわけがあると思う。

第4章★15 「『最後の親鸞』は、『増補 最後の親鸞』(吉本[1981])に「永遠と現在」(吉本[200201])を加えたものがちくま学芸文庫(吉本[2002])になっている。」
★16 『論註と喩』をあげたのは『私的所有論』でだった(→註08、245頁)。その後、短い文章を一つ書いている(→註29、261頁)。その後、本章に出てくる人たちにまとめて言及したのは最首悟の対談でのことになる。
 […]
第4章★17 「続き。
 「どんな自力の計いもすてよ、<知>よりも<愚>の方が、<善>よりも<悪>の方が弥陀の本願に近づきやすいのだ、と説いた親鸞にとって、じぶんがかぎりなく<愚>に近づくことは願いであった。愚者にとって<愚>はそれ自体であるが、知者にとって<愚>は、近づくのが不可能なほど遠くにある最後の課題である。」(吉本[1976→1987→2002:15])
 「親鸞は、<知>の頂きを極めたところで、かぎりなく<非知>に近づいてゆく還相の<知>をしきりに説いているようにみえる。しかし<知>は、どんなに「そのまま」寂かに着地しても<無智>と合一できない。<知>にとって<無智>と合一することは最後の課題だが、どうしても<非知>と<無智>とのあいだには紙一重の、だが深い淵が横たわって居る。なぜならば<無智>を荷っている人々は、それ自体の存在であり、浄土の理念に理念によって近づこうとする存在からもっとも遠いから、じぶんではどんな<はからい>ももたない。かれは浄土に近づくために、絶対の他力を媒介として信ずるよりほかどんな手段ももっていない。これこそ本願他力の思想にとって究極の境涯でなければならない。しかし<無智>を荷った人々は、宗教がかんがえるほど宗教的な存在ではない。かれは本願他力の思想にとって、それ自体で究極のところに立っているかもしれないが、宗教に無縁な存在でもありうる。そのとき<無智>を荷った人たちは、浄土教の形成する世界像の外へはみ出してしまう。そうならば宗教をはみ出した人々に肉迫するのに、念仏一宗もまたその思想を、宗教の外にまで解体させなけばならない。最後の親鸞はその課題を強いられたようにおもわれる。(吉本[1976→1987→2002:17-18])」


*作成:立岩 真也・岩ア 弘泰
UP:20160914 REV:20211006, 20220101
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