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『精神医学と反精神医学』

秋元 波留夫 19760531 金剛出版,371p.

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秋元 波留夫 19760531 『精神医学と反精神医学』,金剛出版,371p. ASIN: B000J9WA3M 13567〜 [amazon] ※:[広田氏蔵書]

■内容

■目次



1 精神医学の流れと人
 
 第1章 日本精神医学史素描
  補遺1 狐憑病新論の著者・門脇真枝
  補遺2 狐憑病と魔女
  補遺3 雄島浜太郎のこと
  補遺4 森田正馬と神経症

 第2章 呉秀三先生と日本精神医学
  補遺1 「私宅監置の実況」が書かれた時代
  補遺2 呉秀三先生胸像由来記
  補遺3 呉秀三先生と関東精神神経学会
  補遺4 精神学雑誌の創刊
 
 第3章 精神医学における私の遍歴
  補遺 去るものの弁

 第4章 邂逅と離別
  1 川田貞次郎先生と藤倉学園
  2 北大精神医学教室との出会い
  3 奇病イムの話
  4 北大精神医学教室入局のころ ―「たけ君のこと」から―
  5 帝国女子医専出講のころ ―新井尚賢教授開講二十周年を祝して―
  6 金沢別離
  7 ノルマンディの旅 ―リファルト・ユング夫妻とともに―
  8 ハンス・ベルガーの墓
  9 ハンス・フィンク君のこと
  10 江副勉君の人と実績
  11 大塚良作君と私

2 反精神医学の系譜

 第1章 反精神医学の系譜
 
 第2章 反精神医学批判

 第3章 良心の囚人とソ連の“反精神医学”

3 精神科医療への提言

 第1章 “学会決議”への疑義

 第2章 東大精神科の“病棟自主管理”とは何か 
       補遺 再び“病棟自主管理”について  

 第3章 立ち消えになった精神衛生全国大会

 第4章 照顧却下

 第5章 精神障害者の社会復帰を阻むもの

 第6章 国立精神療養所の現状と将来


■引用

U 反精神医学の系譜 169-

 「第一章 反精神医学の系譜

 歴史的に見た反精神医学

 狂気は存在する、しかしそれは疾患ではない、精神科医は、たんなる神話にすぎない精神疾患という狂気の人の自由を奪い取り、精神病院と称する”強制収容所”に隔離・監禁して、体制権力の手先としての役わりを果たしている、というのが、現代の反精神医学に共通する主張である。しかし、狂気は疾患ではなく、それゆえ、医学の対象ではないという主張は、現代反情神医学がはじめていいだした独創的な着想なのだちうか。決してそうではない。
 医学史が教えているように、狂気が疾患として認識されたのは西欧ではルネサンス以後であり、それまでは長い歴史を通じて、例外はあるにしろ民衆はもとより、医師までが狂気は病気なんかではなく、悪魔の仕業だと考えていた。[…]<0171<
<0172<
 宗教的反精神医学

 医学狂気を疾患とは認めないという意味での反精神医学の伝統は、反精神医学などといういかにも新規な旗印がかかげられるはるか以前から洋の東西を問わず存在したのであリ、精神医学の発祥にさきだつ、狂気に対する一般的認織であったといってよいたろう。
 だから、現代反精神医学の系譜は古代人の鬼神論的狂気観にまで遡及しなければならない。[…]<0173<
<0173<
 思弁的反精神医学

 狂気を疾患として認識するようになった十八世紀後半から十九世紀前半にかけて、狂気を身体とは関係のない精神の疾患と考える精神主義Psychismus と、これを脳および身体の疾患とみなす立場をとる身体主義 Somatismus が鋭く対立した。[…]<0175<
<0176<<0177<<0178<[…]
 十九世紀前半の精神医学は精神主義と身体主義の両陣営にわかれて鋭い対立を示したが、その論争が不毛であったように、そのいずれの立場をとったにせよ精神障害に悩む人たちの”沿療”は、その理由はいずれの陣営も患者の示す臨床的事実の観察から遊離した観念論に身を任せたためである。
 精神医学が観念論と形而上学に指導権をゆだね,科学としての実証的立場を放棄する時、そこに患者の人権を侵害し、その生命を深淵に沈ませる”反精神医学的状況”が必然的に結果することを十九世紀前半のドイツ精神医学が私たちに教えている。

 政治的反精神医学

 精神医学の系譜のなかで見のがしてならないのは精神医学が政治的日的のもとに悪用されたこ<0179<と、そしてこれからもその危険があるということである。私はこのことの証人として、ヒトラーとナチによって行なわれた安楽死計画について語らねばならない。[…]<0180<
 <0181<<0182<<0183<<0184<<0185<[…]
 しかし、文化史から見れば”うばすて山”思想は原始社会の通念として、文化の発展ととも取り残される運命にある。この、いって見れば原始・蒼古思想は個人、あるいは集団がある種の異常な状態、たとえば戦争、政治的・経済的パニックに陥った時に、退行現象として復活してくる。ヒトラーとナチの時代をそのように考えると、この時代にドイツ精神医学の”反精神医学”的退廃<0186<に陥った理由を多少は理解できるだろう。
 […]

 狂気のなかの反精神医学

 狂気の治療と研究を専門とする精神医学を否定する反精神医学は、反精神科医の創作ではなくて、実は狂気の人自身の認識であリ、主張である。いや、狂気の人たちだけでなく、その家族、さらには杜会のなかに狂気を否定する反精神医学の傾向が根強いことを認めないわけにはいかない。
 どんな反精神科医だって、それが病気であることを否定するはずのない、進行麻痺の患者も、その多くの人たちがおのれの狂気を認めようとはしなかった。いま、反精神医学が客観的な身体的徴反候を欠くから疾患ではないと主張する分裂病の場合でもことの本質は同じである。
 被害妄想や幻聴にさいなまれる患者を治療するためには、入院や一時的拘束が必要となる場合が<0187<少なくないが、それは、彼らが自分が狂気であり、治療が必要だということを自覚できないからである。狂気の人たちが、みんな、おのれは狂気だから、治療を受けるというのなら、自由入完と完全開放治療が可能であり、反精神医学が非難する”強制収容所”は解消するだろう。
 精神医学と精神医療の歴史が語っているように、すでに十九世紀前半には無拘束、開放治療(ジオン・コノリイ、キアルジ、ら)の原則が提唱され、それ以来、この理念を実現するための努力が世界の多くの国で続けられているが、現在でもなおそれが完全に実現しないのは、ただ単に精神科医療者の努力が不充分だとか、精神医学の治療技術の進歩が未熟だという理由からだけではなく、そもそも狂気に反精神医学的傾向が内在するためである。ある民問精神病院の一医師のつぎの文章は、私たち精神科医に共通する苦悩の告白だと思う。

 自分は精神病でないという患者の病識欠如は精神分裂病をはじめとして、大部分の精神病に見られます。病気でないから当然、治療など受ける必要はないわけで、それを無理に治療されているという考え方が基本にあるために、医療に当たっては、他の病気には見られない特別の困難があります。……治癒すれば理解してくれると信じてはいるものの、そのような患者といつも接している職員には相互理解に努力すればするほど悩みが多くなる場合があります。……入院させたことを憲法違反だといって告訴する患者、退院したらかならずお礼参りをするぞと意気まく患者もおられます。……精神病患者であることを、世間に極力秘密にしておきたい親たちと、一見それとわかる手紙を所方々に発信しようとする患者との問に、小遣銭を浪費しようとする患者と、それを抑えようとする家族との間にはさまれて、調整を飽くことなく統けている時、この病職欠刻の問題をしみじみ考えさせられます。(寺山晃一、「精神病院の立場」、日本精神病院協会月報、昭和四十八年十月二十七<0188<日号から)

 反精神科医が狂気は人間実存の一形態だといい、狂気の人たちを解放するのだと主張するのは勝手だが、自らの狂気をそもそも否定している狂気の人たちを一体何から解放しようというのだろうか。狂病の人たちの真の解放とは、彼らを狂気の自覚にもたらすことからはじまるのではないのか。
 狂気を否定する狂気の人たちと、同じことを主張する反精神科医が狂気の人たちに共鳴して、解放を叫ぶことが果たして狂気の人たちに自由をもたらすことになるのだろうか。それは狂気への埋没を支持すること以外の何ものでもあり得ないだろう。
 狂気の否定は、家族がその一員である狂気の人を、反精神医の告発する精神病院という名の”強制収容所”に送らないようにするのに役だつかも知れない。しかしそうなれば家族は、自分たちの家庭ではどうしようもない狂気の肉親を座敷牢に入れるか、医学以外の”救助の手”(それはしばしば反治療的である)にすがることになるだけである。
 狂気の無視と否認が狂気の証拠だ(つねにそうだとはいえないが)ということ、つまり狂気は主観的には存在しないということが、案外一般に知られていないために、精神科医と精神科医療が不当な攻撃にさらされる場合が少なくない。精神科医療史でよく知られている相馬事件などその一例である。
 この事件は、精神分裂病であったと思われる旧相馬藩主をめぐるお家騒動だが、患者の診療にあ<0189<たった東京府癲狂院(現在の都立松沢病院)の院長中井常次郎、東京帝国大学教授榊俶(東京大学精神医学教室の初代教授)らは、正気の人間である旧藩主を精神病者にしたてて監禁した罪を問われ、中井は投獄の憂き目にあった。
 当時の内務大臣後藤新平らの識者をはじめとして世論は、この事件を告発した”忠臣”錦織剛清に同情的で、彼が事件の顧末を書いた著書「神も仏もなき闇の世の中」(明治二十五年十月発行)はべストセラーになったという。
 相馬事件の裁判は明治十六年から明治二十八年までかかった大事件であったが、その核心は、裁
判官、さらには世間に狂気に関する認識が欠けていた点に求められよう。それから一世紀近く経った現在でも、正気を狂気と診断し、拘禁したと精神科医を訴える事件があとをたたない。つぎに引用する一文はこの事実を指摘して、ジヤーナリズムに警告した公正な意見だと思う。

 狂ってもいない人間が、ある日突然、精神病者にさせられ、強制的に入院させられる。何という人権無視か。この問題を扱ったのが、最近公にされた『私は狂っていない!』という本であって、九州朝日放送のプロデューサーが苦労して制作したラジオ番組『白衣の闇入者』を活字化したものである。
 これは人々に大きな同情をよびおこすにちがいない。だが、日本には”私は狂っていない”というのが、じつは狂っている証拠だという精神医学のABCを知らない人が多く、このプロデューサーはまさにその代表であろう。かって衝動的に殺人を行った精神病者が裁判になったとき、検事は。弁護人は被告が精神病者だから無罪にすべきだといっているが、自分が直接本人にきいてみたら、私は狂っていないと言っていた。と論じていた。
 精神病者は、異常な行動をしながら自分は病人だと思わない。自分は病気だと判断する頭の場听がやられていると考えればよいのだ。いったい、大学文学部卒業の著者が、このような常識をもっていないのはナゼか。日本の大学では学生は狭い専門の講義をきいて単位をとるだけで、文科系の学生は、自然科学や医学の知識を与えられる機会がないからである。
 右の著書には傾聴すべき精神医療の欠陥がのべられているが、それ以上に、その詳細な叙述によって、妄想を抱く明白な精神病者を正常人と思いこむ常識の狂いを暴露し、マスコミ関係者に反省のキッカケを与える点で大いに評価すべきであろう。(東京新聞夕刊、「大波小波」欄、昭和五十一年四月二十三日、より)

 この皮肉な一文は、狂気についての”常識”。の狂いが現代にも根づよく残っていることを示してあますところがない。しかし狂気の否認は”反精神医学”的状況のすべてではない。狂気をを正気とみなすことからくる”反精神医学”的状況である。この問題については、「良心の囚人とソ連の”反精神医学”で委しい考察を試みたからここでは述べない。
 狂気のなかの反精神医学を考える場合に、それを拘禁の合理化に用いないことを精神科医は肝に銘じていなければならない。自らを狂気と認めない人がなぜ狂気なのかを確認する医学的手続き、すなわち診断が慎重に行なわれ、何びとも(当事者を、含めて)納得できるだけの客観的資料が準備されなければならないだろう。
 わが国の措置入院のための診断手統き、さらには司法精神鑑定のやりかたには不備な点が多い。また、措置入院、つまり強制入院の継続についてのチェック、さらには入院中の処遇が適当に行な<0191<われるための、医療費その他の配慮が是非必要である。
 しかし、これらの外的条件の改善とともに、大切なのは精神科医個人の精神科医療に関する識見と良心と熱情であろう。狂気のなかの”反精神医学”の克服はこれら内外の条件を充足することによってのみ可能である。

 おわりに

 現代の反精神医学に共鳴するにしろ、反対するにしろ、公正な議論をするためには、そ九がなぜ出現したかについて考えておく必要がある。私がここで反情神医学の系譜をとリシあげたのはそのためである。
 反精神医学が異口同音にはげしく攻撃するのは、現代の情神医学と精神科医療が露呈するさまざまな久陥である。反精神医学が告発する精神医学と精神科医療の欠陥はたしかに存在する。それはさまざまな国であらわれかたや度あいを異にしているばかリでなく、うけとめる人の主観によく左右されることが大きいとしても。
 わが国もその例外であり得ない。ここにその具体的な表現の一部をあげよう。

 全国の精神障害患者、その家族約二百人が集まって初めての全国集会を開いた。この日から始まった日本精神神経学会総会に対抗、精神障害の”背番号”をつけられた患者やその家族が人権無視の治療法を内部から告甘し、解体しようと立ち上がったもので、テーマは「病院での苦しみ、社会での苦しみからの解放」。<0192<
 まず患者代表が立って「精神障害患者は病院内、社会で軽べつされ、抑圧されている。参政権は永く忘れられ、尊い生命を無視した各大学や病院の人体実験、また精神障害を犯罪予備軍として予防拘禁しようとする保安処分の新設には断固として闘い、拒否する」と基調報告のあと討論に入った。
 「患者に電気ショック療法の拒否権と面会の自由を与えよ」、「強い薬は副作用が出るばかりか、薬の量がだんだん多くなリ、今では薬物中毒症状だ」など患者の切実な訴えが相次いだ。
 また「患者は共に闘わなければ真の解放はない」との意見が出て、保安処分反対、法制審最終答申を阻止、精神病患者への差別、偏見を粉砕、など七決議を採択、閉会した(東京新聞、昭和四十九年五月二十二日の記事より引用)。

また、ある患者家族は次のように訴える。

 病院では、医者は権威者で、患者、看護婦はものがいえません。病院の家族会は、PTAとおなじです。……公立病院では患者は薬づけにされていることを、一般の親は知りません。面会時間にいっても、トロリとしてねむそうにしていることが多いのです。これに自閉症などと名をつけていますが、医者だけではなおりません。……
 ”精神病院は牧畜業者だ”と日本医師会の会長が、もう何年か前に発言しています。そんなにもうかるものなのです。医者でなくても院長になれるし、精神衛生法でどんどんもうかるし。老人でもからだが不自由だと老人ホームにはいれませんが、精神病院では入れます。東京山谷のアル中、行きだおれ、非行少年などを措置入院でいれてしまいます。……
 これから患者の人権無視、保安処分にひっかける拘禁、差別などの事実が、どんどん出てくるでしょう。十五年も不当に拘禁していた精神病院、精神病の前歴のため、散歩していた人が逮捕され、精神病院にいれられ、アッという間に殺されてしまった事件など、告発はつぎつぎに出てきます(婦人民主新聞、昭和四十八年<0193<七月一三日、より引用)。

 医療者の側からの反論はもちろんあるだろうが、このような、患者と家族からの非難を真向から否定できない状況がわが国の精神医学と精神科医療に現実に存在することもまたたしかである。私は逆説的ないいかたかも知れないが、患者と家族の期待と信頼に応えるどころか、その裏切りさえあえてする精神医学とその実践としての精神科医療を"反精神医学"とよびたい。
 現代の反精神医学は世界的に蔓延している”反精神医学”的状況に対する抗議・異議申し立ての役わりを果たすことが、その本来の使命だと私は考えたい。だから、反精神医学は現代の”反精神医学”的状況の生んだ鬼子である。反精神医学の系譜は、それゆえ、彼の敵である”反精神医学”に結びっくのであり、両者はきってもきれない肉身の間柄である。
 けれども、”反精神医学”的状況は現代に特有な現象ではない。歴史的に見る時はそれぞれの時代にさまざまな構造をもった”反精神医学”的状況が存在した。それは精神医学が成立する以前から存在したのであり、狂気とともにそれはあったし、”反糟伸医羊”はむしろ狂気のなかに存在したといったほうが正しい。私はこの重要なことをいま論証したつもリである。
 精神医学の出生が他の臨床医学に比べてはるかにおくれたのにはいくつかの理由があずられるが、その一つは狂気のなかに”反精神医学”が存在し、狂気への医学的”介入”を拒否したからである。狂気の”医学拒否”の傾向はいまでも根づよいし、その克服を人権の尊重とのかねあいでどのようにかちとるかが、精神医学と精神科医療にとって古くて新しい重要な課題である。この課<0194<題に対して現代の反精神医学はみのりのある解答をもたらしてはいない。
 現代の”反精神医学”。的状況を告発する反精神医学の進軍ラッパは勇しく響き,その闘争宣言もまことに魅惑的である。しかし、問題は、かけ声やスローガンではなく、真に患者(それが悪ければ狂気の人とよんでもいいだろう)を彼らが告発するところの”反精神医学”的状況から解放することができるかどうかということである。しかも、その証明は自家製であったり、密室のなかの独白ではなく、何びとにも公開され、その上で納得のゆくものでなければならないし、何よりも反精神医学の立場の人たち(反精神医学を名乗らなくても、その行動から、同調者であることが明らかである医学の立場の人たちも含めて)が精神科医として世論の信頼に値することだと思う。しかし、残念なことに、次のような批判があることは否定できない。

 正直なところ、イタリア人記者には、三十人ほどのその一群が精神病の患者たちに見えたらしい。英文のプラカードを持ち、シュプレヒコールを繰り返す一群が、まさか精神科の若い先生であるとは、想像だにできなかった。……
 いわば、精神科医が精神科医にデモをかけたのだ。事の真相を聞いて、彼はキモをつぶした。……
 世の中はただでさえ、精神障害者がふえている。現実に多くの市民が迷感をこうむっているのだ。精神病とはいわないまでも、不可思議な頭の働きをする人たちがあまりに多い。企業のつけで飲み歩くお役人、女子学生とホステスの区別もつかない一連の助教授。いかにおかしいのが沢山いるか。精神科医の活躍に期待する面はますます多くなっている。とても仲間うちでケンカしているヒマはないはずだ。……
 おかしな患者ばかりに接しているから、自然におかしくなるということもあるかもしれない。しかし、医者<0195<は命を預かるという一点において、絶対的な権力者なのだ。しかも人間の精神という、最も重要で決定的な部分をっかさどる精神科医は、私たちにとって神サマのような存在である。……
 せめて精神科医だけは精神的に安定していてくれないと、今に正常と異常の区別さえっかなくなるんじゃないのか(「週刊新潮」昭和四十八年十月二十五日所載「さわらぬ精神科医にたたりなし」より引用)

 この諷刺のきいた一文を、週刊誌の無責任な匿名記事だと一笑に附することは勝手である。しかし、私はわが国の精神科医の一人として、匿名批評がいみじくも用いた「さわらぬ精神科医にたたリなし」という言葉を一を□□服膺してゲヴァルト”精神科医”(医師とよべるのだろうか)の前に大学も学会も屈伏して沈黙をまもっている異様な状況こそ、他の国では見られないもっとも日本的な”反精神医学”的現象だといわなければならないことを残念に思う。
 私たちは反精神医学をその語る言葉によってではなく、それが何をやっているかによって評価しなければならない。反精神医学の系譜は何よりも忠実にこのことを教える。
 (一九七五年六月二十二日、金沢市で開催された第七十一回北陸神経精神科集談会における特別講演の原稿に加筆)<0196<


◆第二章反精神医学批判 197-

 反精神医学の意味するもの

 反精神医学に関するレイン、クーパー、サズなどの著書が、わが国でもすでにいくつか翻訳され、また昨年五月の日本精神神経学会総会では、反精神医学のチャンピオンと目されているクーパーとサズの二人を招いて話をきいているから、私などがいまさらことあたらしく問題にすることはないとも思うのだが、今日の精神科医療の状況から、避けて通るべきではない問題提起であることはたしかなので、私なりの意見を述べてみたい。反精神医学という旗印は同じでも、その主張や実践にはそれが生まれた国の精神医学的状況や、それぞれの反精神科医の個性や立場によって違いがあるが、おしなべて基本的な共通項をもっている。要約すると次の点である。

 精神病(といっても、反精神医学が、問題にするのは主として精神分裂病だが)は、体制社会の逸脱者deviant(体制の制度や慣習に適応しない者という意味)を隔離収容する名目として既製の<0187<精神医学が発明した人工産物である。
 精神病院は、体制社会によって公認された、体制社会の従僕であるところの精神科医によって精神病のレッテルをはられて患者とされた、犠牲山羊を体制社会の安全のために隔離する”強制収容所”である。
 そこで行なわれる治療とは、逸脱者を体制に奉仕するイエスマンにしたてることであリ、精神外科ばかリでなく、薬物療法、精神療法など、それらはいずれも体制社会への服従のための洗脳手段であり、仮面を被った暴力である。
 精神医学は、体制が被抑圧者に加えている抑圧の欺瞞した表現である。そして、このような体質をもつ精神医学を実践する精神科医は、体制の手先であり、無意識のうちに人問の自由を抑圧する役割を果たしている。

 反精神医学の本の多くは晦渋な言葉で書かれていてわかリにくく(翻訳のせいばかりではない)、読むだけでうんざりするが、共通の特徴は以上のように要約することができよう。これから知られるように、現代の反精神医学は精神医学の批判や攻革ではなくて、その否定、その廃絶を主張し、その”実現”を意図していることは明白である。
 まず、反精神医学の成リたちと現状について概観しよう。<0198<

 その成りたちと現状

 反精神医学は一九六〇年代にイギリス、フランス:西ドイツ、イタリー及びアメリカなどの西欧自由主義者にそれぞれ独立・無関係におこって、やがて国際的に拡がった”新しい思潮”である。自由主義諸国とあえて規定したのは、この体制に対する異議申し立てが東欧共産圏をも含めた全体主義諸国においてではなく、思想と言論の自由(すくなくとも全体主義諸国においてではなく、思想と言論の自由(すくなくとも全体主義国に比べて)が保証された自由主義(民主主義といってもよい)諸国でしか主張され得なかったことを強調するためである。
 反精神医学が、資本主義経済の成熟と、科学技術の発展をある程度成就し終えた西欧自由主義諸国において、第二次世界戦争の創痍がうすらぎ、共産主義諸国との間にデタントの兆し(それはたとえ仮装であったとしても)が見えはじめた、まさにその時点で頭をもたげた事実は、その成りたちを考えるのに一つの重要な足掛かりを与えてくれるだろう。
 反精神医学の異議申し立ては、それを生んだ自由主義諸国の体制のみてくれの繁栄と安定の底辺こ精神的貧困と不安と不満がうずまいていることの証しであリ、その意昧では六〇年代の大学闘争や”怒れる若者たち”の反乱、”新左翼”の擡頭と共通の地盤をもっていると見ることができよう。反精神医学が精神医学、医学さらには科学の領域を超えて、一種の思想運動として展開していったことをむしろ当然のこととして首肯できるのはそのためである。
 しかし、反精神医学がいやしくも精神医学を名のる以上、その主張と実践は精神医学の領域内に<0190<おいてきびしく吟味され、評価あるいは批判されなければならない。そのためには反精神医学の理論と実践をまともにとりあげ点倹する必要があるだろう。
 反精神医学の生まれ故郷は、あらゆる思想がそうであるように一つの場所ではあり得ない。しかし、影響の大きさや強さからいってまずイギリスに指を屈するのは常識というものであろう。それは反精神医◆という耳新しい、しかし、何か興味をそそる響きをもつ言葉がイギリスで生まれたということだけでなく、それを生みだす素地がこの国でできていたという歴史的背景によるところが大きいと思う。
 […]<200<
<201<
 四十歳になる看護婦のメリー・バーネスは、恐ろしい夢をみて、不安になると夜中の二時でも三時でも部屋のドアを叩く習慣があった。また、彼女は、自分の大便を寝室の壁に塗りたくり、時にはそれを台所に投げるので臭気がたちこめた。集会がもたれ、このような行為が良いか、悪いか議論された。最後に一致したことは誰かが彼女に塗りたくリを制限して、臭気を彼女の居室の外に拡げないように頼むことであった。
 この物語からE・ゴッフマン(社会学者、Goffman, E.: Asylums, 一九六一の著者)も、分裂病の患者にしばしばみられる大便の塗りたくリが常に必ずしも全体主義の収容所における監禁に対する抗議を意昧するものではないと考えないわけにはいかないだろラ。何故なら、キングスレイ・ホールは全体主義の精神病院に対する弁証法的対立物であり、反精神医学的実践のモデルであるからだ。[…]<0205<
<0206<<0207<
 しかし、それにもかかわらず、レインの治療共同体ではどうしようもなく、反精神医学が”強制収容所”であるとして告発するところの”精神病院”が必要であること、さらに、また、もっと重要なことは、分裂病が一片のレッテルなんぞではなく、ましてそれは”超越的旅だち”なんていう優雅な文学的状況ではさらさらなく、れっきとした異常であり、病気であることを、キングスレイ・ホールが実践の上で教えていることである。[…]<0208<
<0209<<0210<
 ヨーロッパ大陸に眼を転ずると、フ一フンスの反精神医学には構造主義の哲学者ミシェル・フーコーの影響が大きい。彼の「狂気の歴史」(L'histoire de la folie. Paris, 一九六一)によると、中世<0211<のヨーロッパでは、詩的非理性としてその存在が許容され、尊敬さえされていた狂気は、ルネッサンス以後、資本主義初期の一七、一八世紀こいたって、社会からの疎外と排除をうけるようになる。それは、ルネッサンスにおいて覚醒した”理性”が非理性に脅威と不安を感じはじめたからでめる。まさに、この時期に精神医学と精神科医は狂気を疾患の名において、施設に隔離、監禁する役割を果たすために登場した。
 この歴史的”告発”はその基本的理念において現代の反精神医学と共通する。
 クリスティアン・ドラカンパーニュの「反精神医学又は聖なるものへの道」(一九七四)、モード・マノーニの「精神科医、その狂気と精神分析」(一九七〇 松本雅彦氏訳の「反−精神医学と精神分析」一九七四、がある)など、フランス反精神医学の動向を知るよすがになるが、アンリ・エィが書いているところによると(Ey, H.: Commentaires Critiques sur 'L'histoire de la Folie" de Michel Foucault, Evolution psychiat. 一九七一)、精神医学に及ぼす影響は微弱である。[…]<0212<
 […]
 イタリアでは、F・バザグリア(独訳本、Basaglia, F.: Die negierte Institution, 一九七一がある)が反精神医学の戦闘的運動家である。彼の実践にも政治的な色彩が強い。彼は体制社会での精神病院は政治的抑圧の手段として機能するゆえに、ナチスの強制収容所と文字通り同一であると主張する。だから、収容所から犠牲山羊を解放する道は真の革命以外に存在しないし、この革命には患者が参加し、患者の攻撃性が革命の砦となるとさえ主張している。
 以上に見たように、ヨーロッパの反精神医学のなかには、医学と医療の範囲を逸脱して、革命闘争に変貌しつつあるものがみられる。しかし”革命”が成就して、すべての人間が体制の”抑圧”から解放され、自由になったとしても精神病――それが気にくわなければ狂気でもよい――は存在するにちがいない。反精神医学はそれに対してどんな”治療”をするというのであろうか。
 最後に、ヨーロッパの反精神医学とは異なったアメリカの反精神医学について語らねばならない<0213<のだが、それを委しく述べることは別の機会にゆずり、ここでは、最近来日した、アメリカ反精神医学の尖鋭な理論家T・サズの名をあげるにとどめる。私は数年前、神谷美恵子さんから、はじめて彼の話をきき、大変に興昧をもち、彼の代表作である「精神疾患の神話」」The Myth of Mental Illness, 一九六〇(河合洋氏他の邦訳「精神医学の神話」一九七四がある)や、アメリカ精神医学雑誌 American Journal of Psychiatry などの専門誌に載っている彼の論文は大てい眼を通している。だから、語るべきことが多すぎるので、ここでは割愛することにしたい。ただ、多くの反精神医学の主唱者が野にあって活動しているのに、彼だけはシラキュースのニューヨーク州立大学の正教授をつとめている異色の人物であり、さまざまな迫害があるとはいえ、大学教授の地位を依然として保持しているのは、アメリカという国柄のせいだと思われ、面白く感じていることだけをつけ加えておく。

 反精神医学批測

 […]沈黙は反精神医学の承認ではなく、消極的拒否であるにはちがいないのだが、せめるよりまもるほうがかっこうが悪いし、保守的と見られたくないという気持が働いていることも否めないだろう。
 私は損な性分なものだから、あえてわりの悪い役日を買ってでて、反精神医学に対して”蟷螂の斧”をふるうことにした。
 私の批判は前節でも、断片的に述べたので、ここでは、問題を整理して反論をまとめることにする。従ってこれまで述べたところと多少の重複があることをお許しねがいたい。
反精神医学は精神医学の領域だけに見られる、精神医学に特殊な現象ではない。反という形容詞をつけて、医学のさまざまな方面で同じような現象がおこっている。
 すでに反医学、反診断、反治療、反リハビリテーションなどの標語が使われている。
 精神医学をも含めて、――いや、精神医学において最も尖鋭な形であらわれている――いまのところは臨床医学だけだが、反医学は、体制のなかでの医学、といっても実際は医療の批判、告発からさらに進んで医学そのものの科学としての資格の否定にまでエスカレートしている。
 このような反精神医学、さらには反医学の否定の論理の行きっくところはどこなのだろうか。問一題を精神医学に限って見よう。分裂病を精神科医が夢みた神話に解消し、精神病院は自由な人間を体制社会の虚脱したロボットに変身させるところだとして、患者とともに粉砕するつもリならそれでもよいだろう。このような否定が何の支障もなしに、反精神医学の主張通りに実現したあとで、彼らのなすべき仕事として何が残るのだろうか。<0215<
 分裂病の患者もいないはずだし、もちろん病院は粉砕されて存在しない。さらに重大な、あるいはこっけいなことに、反精神医学は臨末と研究の両面での過去の無数の人間の経験の蓄積によって弁証法的発展を続け、将来もまた反精神医学のどんな攻撃にもかかわらず、発展を続ける精神医学そのものを否定したのだから、結局、反精神医学はその日的を喪失すること、別の言葉でいえぱ自己否定に終局しないわけにはいかないということになる。
 このように見てくると反精神医学の主張はいかにもとるに足らぬ極論のように思われるけれども、しかし、ある種の問題提起がその立場の人々の著作や実践に含まれていることも確かである。精神科医療の現状は、精神病院であると大学であるとを問わず、またほとんどすべての国々で、その程度に相違はあっても、ひとしく、欠陥と不足からまぬかれていないことは疑いもない事実である。単に経営の問題だけでなく、患者の人権や、医療・看諠に共局に米いて段趣は山積みしている。
 反精神医学の論者は歴史的視点をかいているから、昔の話をもちだして、昔よりも今の方がよくなったといって見てもはじまらない。彼らにとって問題は現在である。その点では私たちも、全く同じで、精神科医療は発展したといっても、それが理想的な状態(それがあるとすれば)に到達していると満足する精神科医は一人もいないだろう。
 それだからこそ、多くの精神科医は、それぞれの国で、それぞれの施設で、その改善のために努カしているのである。反精神医学の論者は、自分たち以外の精神科医は体制の走狗であり、精神病<0216<院を強制収容所にするために働く下僕だと非難するのだから、現在の医療の欠陥を認める点では同じだとしても欠陥をよくするための手段が全然異ってしまう。彼らはわれわれも認めている医療の欠陥を、われわれをも含めて一切の体制を否定することによって根絶するという。
 しかし、いまわれわれが当面している精神科医療の欠陥や矛盾は、すべて体制(政治・経済・技術の仕くみ)の側に責任があり、われわれは体制の奴隷としてそれにノータッチでいなければならないのだろうか。もしほんとうにそうなら、われわれはわれわれが認識する精神科医療の欠陥は体制内にとどまる限り改革できないのだから、それをあきらめて、体制の奴隷でいることに甘んずるか、それとも反精神医学の陣営にはせ参じて体制の粉砕ガに献身するか、いずれかの道を選ばなければならないということになる。
 ”正統精神医学”か反精神医学かの岐路におかれた時、私のような老兵は別として、若い世代はいくらかでもその決定に困難を感ずるものだろうか。感ずるとすればどんな困難だろう。これを逆の面からいえばその双方のどんな魅力に惹かれるのだろうか。私にとってすくなからず興昧深い課一題である。
 他人は知らず、私自身にとってこの選択は容易である。私は正統精神医学及び精神科医療、すなわち精神医学の理論と実践が反精神医学の指摘する欠陥のすべてではないにしてもその多くから免れていないことを知っている。しかし、それらは正統精神医学を育ててきた無数の人たちによって一歩二歩歩んできた道程において、時には円滑に、時にははげしい抗争によって、試行錯誤的に改<0217<善されて今日の段階に到達したのであり、精神科医療に内在している矛盾と欠陥を摘発して、それらの解消と改革に向かって努力することによって解決と発展がもたらされると確信しているからである。この改革の過程で反精神医学からの有益と思われる指摘には耳を傾けたいと思う。
 しかし、もう一度ここで考えたいことは、反精神医学の異議申したてと告発には確実な根拠の乏しいものが少なくないことである。ここでは次の一点だけをあげよう。
 精神疾患は精神科医が作りあげた神話(サズ)だろうか。ここでいう精神疾患は分裂病のことであることはいうまでもない。[…]<0218<
 […]<0219<
 まともに考えたのではわけがわからないが、サズの主張をもあわせて考えて解釈してみると、彼らが家族や社会の犠牲山羊だと見做す人たち(われわれから見ればそのなかに分裂病患者もいるだろう)に分裂病というレッテルをはらせないようにするためにはこのレッテルを追放することが必要なのであり、そのためには分裂病そのものを抹殺しなければならないということになるのだろう。
 しかし、反精神医学がなし得たことは単に分裂病というレッテルをはがすことの要求であって、レッテルをはがれても、分裂病(名前はどうでもいいのだが)とよばれる人格の病的過程を病む人たちがおおぜいおり、反精神医学もまたこれらの(彼が精神科医である限り)患者の治療を行なうべく運命づけられているのである。
 「それでも地球はまわる」を想いだしながら私は「それでも分裂病は存在す佳する」と反精神医学の審問官閣下につぶやかなければならない。

 反面教師としての反精神医学

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 私は反精神医学の思想家たちから教えられるところがあり、彼らの”難解”な本を読んで損をしたとは思っていないが、それょりも、反精神医学は反面教師として、その亜流であってはならないこと、いつの時代にも狂気は存在し(精神科医全国共闘会議編、「国家と狂気」には、「プロレタリア独裁から共産主義社会の内実形成が深化し、国家と階級がすっかり死滅した時点で狂気はほとんどの部分において解放され、消滅するということができるにちがいない」と書かれているが、そのようなことはあり得ないと私は思う。なぜなら狂気は人間が人間である限りどんな社会でも存在するから)その解明と治療のための医学と医師が必要なことを改めて思い知らされたことを強調したい。
 いま、精神病院や総合病院精神科、あるいは精神科診療所で、反精梢神医学が”病気ではない”と保証してくれても、それでもなおかつ難治な分裂病や、その他の”狂気”の人たちに自由への道を拓くため、地道な苦労を重ねている精神科医の皆さんとともに、私もまた精神医学と精神科医療にロさきだけでない真の発展をもたらす努力をつづけたいと思う。
 (昭和五十年五月十六日、熊本市で行なわれた熊本精神病院協会講演会での講演に加筆)<0224<

 「第五章 精神障害者の社会復帰を阻むもの

 わが国の精神科医療で精神障害の社会復帰が現実の問題となったのはそう昔のことではない。この言葉がいつごろ、誰によって使われはじめてか一度調べてみたいと思いながらまだその機会がない。精神医学用語集(日本精神神経学会編、一九七〇年)を見ると、社会復帰は rehabirilitation の訳語のようにうけとられるが、わが国で一般に用いられているリハビリテーションとは言葉のニュアンスが随分ちがっていて、精神科医療に独特といってよい使われかたがされているようである。
 社会復帰がもっぱら慢性分裂病について問題となったのは、いうまでもなく、これまで絶望と考えられてきたこの病気の人たちの予後が、向精神薬の適切な使用によって改善され、社会生活に復帰する可能性が増大してきたからである。一九三〇年代のインシュリン療法に代表される身体療法の時代にはまだ社会復帰という発想は精神医学のうちに生まれていなかったと思う。クロールプロマジンが向精神薬のはしりとして登場したのは一九五〇年代の前半だから、社会復帰という言葉が使われるようになったのはそれ以後のことにちがいない。
 国立武蔵療養所の年報を見ると、所外作業という名のもとに社会復帰のための実践活動がはじまったのは一九五〇年代後半からである。すでに院内作業に従事する患者のために専用の病棟が設けられていたが、所外作業の患者はいくつかの病棟に散らばっていた。病棟医と看護者の努力で施設周辺の町工場、サービス業(団地清掃、ビル管理など)、商店、家庭に仕事先を開拓した。」(pp. 343-344)

■言及

◆立岩 真也 2010/11/01 「社会派の行き先・1――連載 60」,『現代思想』38-(2010-11): 資料

◆立岩 真也 2013/12/10 『造反有理――精神医療現代史へ』,青土社,433p. ISBN-10: 4791767446 ISBN-13: 978-4791767441 2800+ [amazon][kinokuniya] ※ m.


*作成:三野 宏治 
UP: 20090731 REV:20101003, 20130519, 0725
秋元 波留夫  ◇「反精神医学」  ◇精神障害/精神医療  ◇身体×世界:関連書籍  ◇BOOK
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