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『心の病気と現代』

秋元 波留夫 19760330 東京大学出版会,305p.

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秋元 波留夫 19760330 『心の病気と現代』,東京大学出版会,305p. ASIN: B000J9WD5C \1260 [amazon] ※:[広田氏蔵書] m.

■目次


心の病気と社会
集団の病理
麻薬と現代
人間の心――その正常と異常
精神分裂病を考える
精神科看護を考える
作業療法を考える
てんかんの人たちのために灯をかかげよう
現代の精神科医療と精神病院
心の病気と精神薬物療法
勤労者のための精神衛生
日本の精神衛生が歩んだ道

■引用

◆心の病気と社会

 「心の病気が身体の病気とちがって、医学の対象になり得なかった最大の理由は、このように、心の問題が超自然的領域に位置していて、俗人の近づき得ない彼岸にあるとする考えが、医師をも含めてすべての人間の「常識」であったからであるが、さらに見逃してはならないのは、心の<0005<病人の自分の病気に対する態度である。
 身体の病人は苦痛中不調を自覚することができ、この自覚にもとづいて病気を癒したいと願う。医師と医術は、このような病人の側の要請によってはじまったものであるにちがいない。「虫垂炎を病む患者は腹部外科を創り、胸に激痛があり、熱にうかされた人間が肺炎の専門家を創ったのだ」(ジルボーグ、前掲書)。
 心の病人たちはどうだったろうか。悪鬼につかれた者、魔女たち、彼らは他人がそう見たというよりも、まず彼ら自身がそう確信したのである。魔女を異端として火刑に処した宗教裁判では、被告が、自分は病人ではなく、魔女であると自白したことを有力な証拠とした。魔女を心の病人であると主張し、宗教裁判の過誤を糾弾したワイヤーの公正な意見は、宗教家や世人の攻撃にさらされたぱかりでなく、肝心の魔女からも拒否されたことは、心の病人の自分の病気に対する態度を象徴的に示すものである。
 心の病人は、もちろんそのすべてではないが、病状によって、自分が病気であることが自覚できなかったり、まわりから病気だといわれることに対して抗議する場合がまれではない。心の病人のこのような態度はおそらく心の病気を病気とは認めないという時代精神の常識と無関係ではないだろうが、身体の病気と異なった、心の病気の病気否認の態度が、心の病気への医学の接近<0006<を困難にしてきたし、そして現在でも困難にしている重要な理由である。身体の病人は医を求めるのに、心の病人は医を拒否する(これはもちろん傾向としてであるが)という事実を無視して、心の病気とその医療の問題を論ずることはできない。
 心の病気が身体の病気とともに臨床医学の対象にとりあげられ、臨床医学のなかで精神医学として専門化するようになったのはようやく一九世紀に入ってからだが、その先駆をなしたフィリップ・ピネルの精神病者解放(一七九三年)は、心の病気の医学である精神医学が身体医学とは異なった(もちろん共通の側面があるが)性格をもっていることを啓示している。
 ピネルの精神病者解放は、よく知られている上うに、革命で騒然としていたパリのピセートル収容所で行なわれたが、「ピセートルがどんな場所だったかというと、そこは最も悲惨を極めた修羅場であった。牢獄行きの極悪人や人殺しどもが区わけされて鎖でつながれているかたわらに、彼らのいるところよりもっと奥深い暗闇の中に狂人たちの一団が鉄鎖につながれていたのである」(秋元波留夫「異常と正常」、東京大学出版会)。
 […]<0007<[…]
 ピネルは政府の意志に抗して、狂者を鎖から解放する「暴挙」を実行した。この「暴挙」がやがて世論の支持をうけることができたのは、ワイヤーの時代にくらべて、はるかに広く深くヒューマニズムが時代精神の底流を形成するようになっていたためであろう。ピネルが先駆的使命を果たし得たのは、彼がこの時代精神の洗礼をうけていたからだとみることもできよう。
 狂者の鉄鎖(あるいはこれによって象徴される人間の自由の束縛)からの解放が精神科医療と精神医学の出発点であったということ、そしてこの出発が病者からの要請ではなかったということ(それどころか、ピネルがさしのべた手を拒否した「狂人」もいたにちがいない)を考えるとき、「精神病の専門を創り出したのは医師であり、精神医学は医師の発見したものであった」というジルボーグの言粟は一面の真理だろう。
 心の病人をしばりつけている鎖はまだ完全には解かれてはいない。現代においても、ピネルの<0008<時代とは異なった形の桎梏が心の病人をとりかこんでいる。心の病人の多くま、この至梏を自ら取り除くことはできない。だから精神科医をはじめとする精神科医療者は、それを除くために活動しなければならない。そしてこの活動を支えるものは、ヒューマニズムの精神である。
[…]
 心の病気と心の病人のために、社会に訴えるための組織として全国精神障害者家族連合会(全家連)が結成されたのは、精神衛生法の改正が論議されだした昭和四〇年のことであった。全家連は、すでに時代おくれになっていた精神衛生法を、進歩的な方向に改正するために、精神科医の学術団体である日本精神神経学会と協力して、活発な活動を展開して以来、わが国の精神障害者の処遇の向上と、精神障害者に対する社会の偏見を除去する運動を進めている数少ない組織の一つである。
 昭和四六年五月、東京で開催された全国大会でも、心の病気に対する偏見のために、肩身のせまい思いをしている家族の悩みや、精神病の家族を入院させるために田畑からあがる収益をすべて使っても足らず、一家夜逃げをした、などの切実な声がきかれた。
 この大会で採択された「偏見と差別を一日も早く撤廃し、国がその福祉に関する立法措置を講ずるとともに、関係法令の改善を要望する」という大会宣言は、わが国の社会の心の病気に対する態度がどのようなものであるかを、何よりも雄弁に物語っている。
 […]<0011<
 先日の全家連大会で、ある会員から、われわれ家族自身が、家族の一員である患者を差別し邪魔もの扱いしたことはなかったか、患者と一緒に病気と闘う強い意志をいつも持っていたと胸をはることができようか、という問いかけがなされた。心の病気を社会が自らの課題としてとりあげ、医療だけではなく、心の病人の社会内存在を可能にするような社会政策を考え、それを実現する努力をしない限り、心の病人とその家族をふくめて、社会の偏見をなくすことはできないだろう。<0013<
 心の病気と社会とは切断することのできない関連をもっているのであり、「社会が自らの姿をそこにみとめようとしない病のかたちの中に、じつは社会がかえって自らを表現している」(ミッシェル・フーコー著、神谷美恵子訳「精神疾患と心理学」、みすず書房)のである。
     (「からだの科学」一四一号、一九七一年)

◆精神分裂病を考える 104-118

 「分裂病とは何かをめぐる精神医学の現状は、いま概観したように、クレぺリン−ブロイラー学説が確立され、そのもとで多くの知見が積みあげられていた戦前の時代に比べて、たしかに混迷と停滞のうちに呻吟しているといわなければならない。
 この混迷のうちにあって、われわれに希望と勇気を与えるものは分裂病概念の混乱にもかかわらず、分裂病に悩む病者の治療と処遇が向上したことである。この進歩は戦前にはじまったショック療法、とくに戦後のニ〇年間に異常な発展をとげた薬物療法によるところが大きいことは否足できないであろう。しかし、分裂病、ことに慢性分裂病に関しては、それらの身体療法に限界<0115<があることも事実である。これまでの分裂病予後の内外の研究が示すように、薬物療法を含めていかなる治療法も、分裂病のある種のもの――その割合は分裂病診断の基準如何で異なるが――の慢性化、いわゆる欠陥状態の進行を阻止することはできないのである。
 しかし、いま進歩した精神病院では作業療法が活発に行なわれて、慢性化した患者の人間性回復のために大きな功績をあげているが、このような作業療法の実行を可能にしたのは薬物療法を先頭とする身体療法であるといって差し支えない。長い間精神病院の片隅にひっそくしており、精神病院の歴史とともに古い作業療法の意義が再発見され、それが薬物療法と協同して活動をはじめたところに、今日の分裂病治療の進歩の動因が存在すると思う。
 近頃私は、一九二七年に書かれたへルマン・シモンの「精神病院におけるより積極的な治療法」",Aktivere Krankenbehandlung in der Irrenanstalt" という論文を再読する機会があつた。昔、若いときに何気なく読みすごした文章のあれこれから、こんどは異常な感銘をうけた。これは作業療法の今日的意義を私なりに認識したからたと思う。作業療法について一言したいことは、これまでそれとは無縁と思われていた精神療法の理論と手法が作業療法を精神科治療体系のうちにとりこみ、発展させるためにぜひ必要であるということである。精神療法が密室の秘事であることから、病棟のデイルームや作業棟の仕事場に開放されるときにはじめて、それが分裂<0116<病の治療にも有用となるにちがいない。
 最後に、重要なことを述べなければならない。分裂病とは何かを考えようとするとき、われわれに問いかけてくるものは何だろうか。私にとって、それはいま、分裂病にかかって数十年にわたって日常生活から切断されて迷妄のなかに生きている慢性で回復の可能性の少ない患者の存在そのものである。一体、これらの患者は実態のない、架空の分裂病という夢の中に生きているのだろうか。反精神医学の立場が主張するように、分裂病はクレぺリン−ブロイラーが作りだした虚妄の人工産物にすぎないのだろうか。この問いかけに対して、彼らの脳の中に、あるいは体の中に、「何か」があるという思いを私はどうしても捨てることができない。この「何か」を深し、歳月が流れ去ったことが事実だとしても。
 ここで考えなければならぬことは、中区神経の構造と昨日についての知見が、今日十分に成熟しているといえるだろうかということである。分裂病の脳あるいは身体に何かがあるとしても、それはおそらく微視的なレべルのものにちがいない。そのような微視的レべルでの中枢神経系の構造と機能の研究は、いまようやく始まったばかりである。
 一体、分裂病のような絶妙な精神活動の障害の解明がこれまでの粗大な方法で失敗したからといって、その探求をあきらめてよいものだろうか。分裂病の成因の探求は廻り道のようではあっ<0117<ても、中枢神経系の構造と機能の精密な知見の基礎の上に立つことが必要である。
 それゆえ、分裂病の研究には、神経解剖学、神経生化学、神経生理学などの基礎生物学分野の研究者の協同を可能とする強大な研究機構がぜひ必要である。欧米先進諸国に比べて著しく立ち遅れているこの分野の研究を推進するためにも、わが国に一日も早く中枢神経系に関する研究機構が作られることが強く望まれる。
 今日の分裂病概念の混乱が統一の方向にむかい、概念の混乱と実践の発展という矛盾した状況が解決されるためには、分裂病の成因が明らかにされなければならない。分裂病の本態についての謎がとかれることがなければ、分裂病概念の混乱がつづくばかりではなく、分裂病を不治の業病とみる偏見から病者を解放することは不可能だろう。    (一九六七年四月二日、第一七回日本医学会総会特別講演の一部に加筆)」

◆精神科看護を考える 104-139

 秋元 波留夫 1974 「精神科看護を考える」,「精神科看護」1-1→秋元[19760330:104-139]

 「1
 精神科看護のあり方が、精神科医療の変遷と無関係ではありえないことはいうまでもない。精神病を病気として認識することができず、悪魔につかれたものだとか、狐憑きだとかいって、社会から排除、疎外することしか考えなかった時代には、精神病の人たちの医療や看護が問題にされなかったことも当然であろう。
 わが国の精神科医療の歴史をふりかえると、明治以前の民間医療の時代はさておいて、明治一三年にわが国ではじめての公立精神病院として東京癲狂院(その後、東京府巣鴨病院時代をへて、現在の都立松沢病院となる)が、上野の東京養育院内に設けられ、ようやく精神科医療と看護の幕があけられるのたが、当時の患者処遇、とくに「看護」なるものの状況を知ってもらうために、「東京府立松沢病院の歴史」(昭和三年)から次の記述を引用しよう。
 […]<0119<<0120<
 呉秀三先生の強迫具撤去が実際に実現するのに二年かかったという一事をもってしても、改革の事業がどんなに困難なことかがわかる。精神病院改革が多くの先人の努力によって進展するとともに世論も精神病をようやく病気としてうけとめるようになり、隔離と監禁以外に施すすべを知らなかった頃に比べると、精神病の人たちの処遇を改善し、人道的な保護を加えようとする熱意が精神科医や看護者のなかで盛りあがってくるとともに、世論を動かして、精神病に対する認識を深め、処遇の向上をはかろうとする精神衛生運動がはじまったのは明治中期以後のことである。
 当時の精神医療の中心課題は精神病院であり、どうすればその治療環境を過去の非人道的状態から改善することができるかが最も重要な課題だった。このような精神病院の人道主義的改革運動は、昭和初期以降の軍国主義時代に入るとともに退潮の一途を辿った(本書「日本の精神衛生が歩んだ道」)。このように精神科医療の歴史は、それがヒューマニズムと興亡を同じくすること<0121<を教えている。

 2
 精神科医療の新しい時代は、戦争の終結、平和の実現とともにはじまった。それは戦勝国では早く、敗戦国では遅いというちがいこそあれ、世界的な普遍的現象であった。わが国の精神科医療の展開は昭和三〇年代に入ってからである。この展開の主因は向精神薬の発見、開発だといわれているが、それだけではなく、経済発展による社会的状況の変化も関係しているだろう。
 このニ〇年間、とくに最近一〇年間の精神科医療の展開と変化は、過去一〇〇年にも匹敵するはげしさとスピードをもって進行しているが、これを前進・発展とみるか、退歩・荒廃と見るかは、その人のパーソナリティや人生観や立場によって異なり、全く正反対の主張が同じ精神科医の間で主張されている。けれども、少なくとも、情神科医療がこれまでとりつづけてきた精神病院中心、入院治療偏重をあらためる方向に変わってきたことについては異論をはさむ余地はないだろう。
 […]<0122<[…]

 3
 このように、精神科医療に対するニードが時代とともに変化して、その対象はますます多様化<0123<に向かっているにもかかわらず、精神病院が依然として精神分裂病だけに指向しており、しかもその入院収容に終始しているのは社会の要請を無視したものといわなければならない。
 WHO顧問として来日して、わが国の精神科医療の欠陥を批判したD・H・クラークは、「日本では非常に多数の精神分裂病患者が精神病院に入院息者としてたまっており、患者は長期収容による無欲状態に陥り、国家の経済的負担を増大させている」(D・H・クラーク「日本における地域精神衛生―WHOへの報告」、昭和四三年)と警告している。
 慢性分裂病患者が精神病院のなかに「たまる」のは、分裂病の治療が依然として困難だということのほかに、社会復帰活動や地域社会内治療を活発に行なうための条件が十分整っていないためである。わが国の精神病院が、クラークの指摘するような慢性分裂病患者の収容所と化してししまったのもいわれのないことではない。だから、精神病院を慢性分裂病者の恒久的収容所から脱出させるためには社会復帰活動を強化するなど、精神科医療の質的転換をはかることがまず必要だが、問題はそれで尽きるのではない。
 ここで考えてみなければならないことは、わが国の精神病院が分裂病患者収容所であることの結果である。精神病院の病床の九〇パーセント近くが慢性分裂病患者で占められていれぱ、それ以外の精神障害の人たちの医療とケアがなおざりにされてしまうのも当然の帰結である。実際こ<0124<れまでの精神病院の入院統計は、分裂病以外の疾患の占める割合が分裂病に比べて段ちがいに低いことを示している。わずかにアルコール中毒の専門病棟が一、ニの病院に設けられているだけで、多くの患者が適切な医療をうけることができないまま放置されている。[…]<0126<

 4
 わが国の精神科医療のこのような歴史と現状を背景としているためだろうか、これまでの精神・科看護の本をみると、そこに書かれていることは、ほとんど分裂病看護に関することだけである。精神科看護は分裂病看護しか念頭にないのではないかと思われるようなものが多い。
 ここで、分裂病看護について一言しておきたい。分裂病とは何かについて、精神医学はまだ何人をも首肯させうる解明を得ていないから、その治療方針について精神科医の間に多少とも意見の相違があることは避けがたい。だから分裂病の看護についてもおかしな混乱があり、精神科看<0126<護を分裂病看護だと錯覚すると精神科看護はわけのわからぬものだと思いがちである。たとえば、ある看護者は精神科看護とは患者の自主性を援助し伸ぱすことであり、その権利をまもることだと考え、それが新しい精神科看護の基本原理だと主張する。これとは対照的に、患者は西も東もわからない子供にひとしいのだから、こまかい身辺のことまで世話をやき、生活指導をすることが大切だと考える看護者もいる。
 しかし、そのいずれが正しいかということになると、水かけ論になるのがおちである。経験をつんだ看護者なら誰でも体得しているように、そのどちらにも一理があり、いずれが妥当するかは当面する患者の病状やそのおかれた状況によってきまるものである。寛容か峻厳か、受容か強制かは空疎な二者択一的形式論としてではなく、実践の課題として、臨機応変にそのときどきの具体的状況に対応して選ばれなけれぱならない。
 さらに重要な問題がある。それは患者の人権のことである。分裂病だけに限られたことではないが、とくに分裂病の場合に医療拒否をめぐって人権問題がおこることがある。この問題について、私はかつて次のようこ書いた。
 「心の病人は、もちろんそのすべてではないが、症状によって、自分が病気であることが自覚できなかったり、まわりから病気だといわれることに対して抗議する場合がまれではな<0127<い。心の病人のこのような態度はおそらく心の病気を病気とは認めないという時代精神の常識と無関係ではないだろうが、身体の病気と異なった、心の病気の病気否認の態度が、心の病気への医学の接近を困難にしてきたし、そして現在でも困難にしている重要な理由である。身体の病人は医を求めるのに、心の病人は医を拒否する(これはもちろん傾向としてであるが)という事実を無視して心の病気とその医療の問題を論ずることはできない」(本書「心の病気と社会」)。  精神医学がどんなに進歩しても、心の病気、とくに分裂病が存在する限り、このような病人の側の姿勢は変わらないだろう。自分は病気ではないといって医療を拒否したり、まわりの人たちをあやまった認識にもとづいて敵視したり、暴力的攻撃を加えようとする場合に、本人の意志に反して入院その他の処置を加えることが果たしてその人の人権を侵害することになるのだろうか。人権とは、個人の精神が自由であること、いいかえれば権利とともに義務の遂行が可能であることを前提としている。この可能性が疾病によって侵害されていることが明らかであれば、それを回復させることが人権をまもる道であり、逆説 的ではあるが、精神病の人たちについて、ある場合にはその人権をまもるために、人権をおかす(強制入院、拘束、本人の意志に反する与薬、栄養補給など)ことがあり得る。うつ病患者有の自殺企図を「本人の意志に反して」防止する処置を<0128<とることが人権の侵害だと主張するものはまず存在しないだろう。他の精神疾患の場合でも事情は同じだと思う。
 さきごろ、いわゆる「悪徳精神病院」告発が流行した。この告発には、わが国の精神科医療にひそむ病弊を摘発する意昧があったことは否めないが、いま述べたような精神疾患に特有ともいってよい医療拒否の基本的態度の無理解と無視にもとづく偏見があったことも確かである。これに対して、精神病院で働く人たち、とくに攻撃と拒否の顕著な患者ともたえず接触しなければならず、ときには、暴力にあって負傷することだってまれだとはいえない看護者から悲憤の声があがったのも無理からぬことである。
 精神病院が旧態依然として慢性分裂病の収容所にとどまる限り、かつて癩狂院とか狂院とかと自他ともによびならわし、高い塀をもうけて、社会から隔絶していた閉塞的状況から脱却することは困難である。そして、そのような状況の下では精神病院は特殊な社会であり、そこで働く考護者もまた一般看護者とは異質な変わった存在であるとみられる可能性が大きい。
 しかし、すでに述べたように、精神病院は一方では地域社会にその門扉を閉き、他方、その医療活動が多様化の方向にむかい、慢性分裂病の収容所から、中枢神経系疾患や、身体障害をもつさまざまな精神疾患をも包括するように大きく変わっている。精神科看護もまた、その活動の範<0129<囲と内容を改めていかなければならない。

 5
 それでは、精神科看護はどのような方向に変化していくだろうか。
 まず第一に、精神科看護は精神病院の外の活動にむかってその視野を拡大しなければならない。精神科看護は、保健婦や、ソーシヤル・ワーカー、福祉関係者などと協力して、さまざまな精神障害者(在宅病者、単身者、老人、精神遅滞児など)のための地域医療活動に参加することになるだろう。そのことが可能であるためには、臨床看護の技術と経験に加えて、公衆衛生学や福祉・社会学などの知識を身につけておく必要があるだろう。  もう一つのたいせっな方向は、精神科看護が分裂病看護偏重の姿勢から脱却してゆくことである。かつて一九世紀の初期、精神病は身体と関係のない純粋な心の疾患だと考える観念論者と、脳すなわち身体臓器の病気だと主張する身体論者とが、はげしく争ったことがある。当時は精神病を一つの病気だと考えたから、このような無意昧な争いが起こったのだが、精神病という言葉を分裂病におきかえると、いま、分裂病をめぐって観念論と身体論が深刻に対立している。ことにわが国では、観念論者が自分たちの考えが絶対の真理だというわけで、反対の立揚を狂信的に<0130<排撃していて、その限りでは、一〇〇年前のヨーロッパの状況とあまり変わらないのは、いささか滑稽である。分裂病の原因がはっきりしないのだから、この論争が水かけ論をでないことはあたり前である。
 精神病はたしかに心の病気にはちがいないのだが、霊魂が体をはなれて存在することを信ずる神秘主義者でない限り、精神病が純粋に、心だけの病気だと考えることはまずないだろう。事実、医学は、脳はもちろん、その他の身体的原因で精神病とよばれている精神機能の障害が起こる場合がたくさんあることを証明している。神経病や身体病と厳密に区別される、心だけの病気が精神病だと考えることは大きな誤りである。精神病という、他の病気とは次元を異にするものが特別にあるわけではない。ただ、心の病気では他の病気でははっきりみられない特徴、たとえば前述した病気の否認や、医療の拒否のような、人格の障害からくる状態があることは確かである。しかし、それは、なにも心の病気を他の病気から本質的に区別する理由にはならない。
 精神病には、身体的原因の明らかに存在する身体起因性疾患から、神経症や分裂病のように身体的基盤が明確でないものまでさまざまな原因、型、程度の障害(その多くは心身両面の障害)が包含されている。精神科医療、したがってまた精神科看護は、それらすべての精神障害、実際には心身の障害をその活動の対象にしなけれぱならない。精神科看護は、これまでの分裂病中心<0131<の、いわば観念論的看護(それはときとして患者不在の「スタフ・ミーテイング」と称するナース・ステーションでの長談義と、記録のための記録作りに堕するきらいがあった)から、患者とともにある患者のための実践的看護へ方向転換をする必要があろう。
 そのためには、精神科看護は身体疾患の臨床看護の基本に立ち戻り、その上に精神科看護の独自な道を建設すべきである。精神科医と同様に、精神科看護もまた、身体をもたない心ではなく、身体と不可分の心、しかも心身一如の人間を対象としていること、それゆえに、身体看護の理念と技術が精神科看護の基本であることを改めて確認する必要がある。いま、ようやく、精神科医療の多様化という歴史的事実が、精神科看護にその一般臨床看護への回帰を要請し、その確認をせまろうとしているのである。

 6
 精神科看護のこのような展開のためには、優れた精神科看護指導者が看護者自身のなかから育ってこなければならない。そこで精神科看護者の養成について歴史的事実をふり返りながら考えくてみよう。
 精神科看護者という専門職ができたのは、明治以後である。明治初期の代表的専門精神病院は<0132<前記のように東京府巣鴨病院であるが、精神科看護者はこの病院で養成された。当時の院長であった呉秀三先生は、看護者の養成にもきわめて熱心で、全国にさきがけて病院に看護教育の施設を設けたが、先生は「看護人は病院自ら養成するがよい。他病院に勤務したもの(渡りもの)は余り取らぬがよい」(呉秀三著「精神病院集要」、精神医学・神経学古典刊行会、一九七四年)といっている。
[…]
当時の精神科看護教育にどんな本を使われたか知りたいと思っているが、わが国ではじめて出版された精神科看護の本は、呉秀三先生の門下で巣鴨病院の医員であった門脇真枝の「精神病看護学」であるらしい。この本は東京博文館から明治三五年に刊行され、総紙数二五〇ぺージ、定価五〇銭であった(同じ著者の「狐憑病新論」は半世紀前まで日本人の多くが狐憑の実在を信じていたことを教えてくれる面白い本である)。この本の広告文を読むと、当時の精神科医療、精神科看護の一斑が偲ばれて面白いので次に引用しておく。
 「近時我国看護学書の出版さるるもの多し。独り精神病看護学に至りては未だ曾て有らざる処なり。其之あるは本書をもって嚆矢とす。……今や精神病者監護法(明治三三年に公布さ<0134<れた、わが国最初の精神病者処遇に関する法律。看護ではなく監護であることに注意。――秋元)新に実施され、精神病院各所に起る。本書の貢献蓋し少からざるべし。大方医家、衛生家、看護人諸君は是非一本を購はれたし」。
 このような精神病院での、精神科看護だけを指向する看護教育は、戦後行なわれた看護制度の改革によって消滅するまで、綿々とつづけられた。いってみれば、典型的な徒弟養成制度ともいえる看護教育が、精神科看護の正しい発展を妨げはしないまでも、少なくともあまり促進しなかったことは確かだろう。しかし、精神科看護が精神病院という狭い枠の中にとじこもっていたことの理由の一つは、精神科医療そのものに歴史的制約があって、それ自身一般臨床医学からはなれ、病院の高い塀のなかに、孤立していなければならなかったということである。
 精神病院のなかでの精神科医による、いってみれば手づくりの看護者養成に欠陥があったことは確かだが、専門教育ということでは利点もないではなかった。昭和一〇年ごろ、当時松沢病院の若い医師であった私は、さきに述べた院内の看護法講習で講義をしたが、講習生はすべて病院に勤務する看護者であったから、講義と臨床実習とを有機的に結びつけることができ、充実した教育ができたように思われる。呉秀三先生は、看護教育について「看護人の養成には医員が其任に当り、空講義ではなく、実物掲示を主にし、講堂のみでなく病室においても始終その薫陶を怠<0135<らず、患者に対する心掛や処置を一、一先に立って教へるがよい。看護人は精神身体共に健康でなければならず、忍耐力と犠牲心に富み自剋自制が十分にあり、そして理解力がなければならぬ。然し此の如き人を得るのは中々困難である」(呉秀三、前掲書)と書いている。
 呉先生のこの文章は、六〇年も昔に書かれたものだが、医師が看護教育を主導するという当時としてはあたり前のことを除けば(もっともわが国の現状を見ると、この点もあまり大きく変わっていない)、時代おくれでないばかりか、現代の看護教育の盲点をついた適切な言葉である。おしまいの文章などは、看護者に望むというより、精神科医たるものの自成の要望と解したい。  呉秀三先生の文章を引用したついでに、先生の精神科看護者像を紹介しよう。
 「適当優良な看護人を得ることは精神病院の諸問題中の困難なものの一つである。例へ優良な看護人を得ても精神病の看護に長く従事して居る中には早晩其よい所を失ふ様になることがある。是は一は其人の体質にもよるが、又職務の困難なるにもよるのである。さればなるべく其職務が容易に心地よく行なはれる様にしてやらなければならぬ。……看護人の給料を増し、勤務時間を減らし、休暇休養の時日を十分にし、又住居や休養室を心地よくしてやるは必須である。……男室に看護夫を用ゐ、女室には看護婦を用ふるが通例であるが、巣鴨病院において男子部の一部に多年看護婦を用ゐて居て少しも欠点がない」(呉秀三、前掲書)。
 この文章は表現が古めかしく時代離れがしているのでなじみにくいだろうが、そのいわんとするところを現代風に解釈すれぱ、六〇年前の呉秀三先生の看護者像は今日でもそのまま通用するといって差し支えない。先生が望んだ看護者の待遇の改尊が今日なお実現してないことを思うと、私たちは後進として不甲斐ない暗澹とした気持になる。とくに、精神科病棟の一人夜勤は早くなくしたいものである。呉先生が推賞している男子病棟の看護婦勤務は、今日ようやく精神科看護の常識となった。国立武蔵療養所では、すべての病棟を看護士と看護婦の混合勤務にする方針をとっている。したがって女子病棟にも看護士を配置しているが、何の支障もないばかりか、好ましい結果が得られている。
 ここで、看護士の役割について一言しておきたい。歴史的にみると、看護士の先輩たち、看護夫とか看護人とかよぱれた人たちは看護帰と比べると、いってみればわびしい、日かげの存在であった。誰も彼らを白衣の天使とはよばなかったろう。彼らはせいぜい「狂躁病棟」での用心棒としてしか評価されなかった。しかし、それはまちがいである。精神科看護の新しい展開は、臨床看護の知識と経験をもつ看護士をとくに必要としている。日本精神科看護協会会員一万五千人のうち二千人近く(約一八パーセント)が看護士であるという。このことはこれまでの精神科看護にとって看護士が必要であったことを示しているが、これからその必要性はますます大きくな<0137<るだろう。精神科看護における看護士の役割はその本質において看護婦と全く同じである。看護士に対する認識を、精神科医も看護者自身も改める必要があるだろう。
 いま概観したように、精神科看護者の養成には多くの問題がある。長い歴史を通じて精神科看護者は一般の看護者養成と分離されて、精神病院のなかだけで養成された。制度的にはたしかにこのような特殊教育は行なわれなくなったが、わが国の実状をみると、看護教育全体が低い水準におかれていることとも関連して、精神科看護が旧態依然だといわれても仕方がないような状態におかれているのは残念である。精神科看護がこれからの精神科医療の担い手となりうるためには、一般の看護教育の上に立った専門教育が必要であり、このような高度の専門教育をうけた精神科看護者 psychiatric nurse が作られなければならない。そして、そのためには精神科看護者が自主的に実践を伴った研究活動を強力に展開するとともに、他の分野の看護者と協同して、看護教育と専門研修を含む看護制度の改革を実現させる運動を進めなければならない。

 7
 精神科看護の歴史をふりかえりながら、その現状と将来を考えてみた。精神科看護はたしかに梢神科医療の歴史と密接に関連しながら、しかもそれ自身に独特な歩みをつづけてきた。精神科<0138<看護に独特な道というのは、精神科看護もまた看護一般としての自律性をもっていることと深い関係がある。わが国のように、看護が医師に従属している状態から脱却できないでいるところでは、精神科看護がそれ独自の道を歩みだすのも遅れがちなことは否定できない。
 しかし、歴史が教えているように、精神科看護は「狂人」の拘束と監視から出発して、精神病院改革とともに患者の人道的庇護者となり、さらにいまそれは、地域社会のなかでの総合的医療・福祉活動に参加する段階へと進んでいる。精神科看護はたしかにその発祥において一般看護とは無関係で、特殊な存在であった。その意昧では精神科看護は独特の道を歩んだともいえる。しかし、この独特な道は看護が医師に従属していた結果にすぎず、自らが選ぴとったものではない。これから歩もうとする道は、精神科看護が一般看護の一翼を担いながら、医師から独立することを意味するものでなければならない。そしてその道は自らが選びとる道なのだから、自らの手で切り拓いて行くべきである。
 精神科看護が医師への従属から独立するとき、はじめて医師と看護者は精神障害の克服にむかって、盟友として肩をならべて進むことが可能となり、精神科医療の歴史に新しいぺージを書き加えることができるだろう。
                 (「精神科看護」第一巻第一号、一九七四年)」

 「リハビリテーションが技術面に限局させられている一方で、社会復帰という言葉は極めて大ざっぱに使われ、用いる人によってその意味するところが必ずしも一致しない。わが国ではこれを狭義の医学的治療が終わったあとにつづく後治療(アフターケア)の意味に用いる場合が多いが(たとえば精神障害回復社会復帰センター)、これを精神科医療の基調(「社会復帰は診断とともにはじまる」――G・カプラン)と見做す立場もある。いま大切なことはこのような混乱を整理して、リハビリテーションと社会復帰とを統一的に解釈することである。そして、わが国でこれまで用いられてきた社会復帰という言葉(それ自体あいまいだが)のもつ意味をそのなかに含めて、リハビリテーションという言葉を使うべきである。」(秋元[1976:144-145])

◆作業療法を考える→別掲

◆心の病気と薬物療法

 「東大のように外来患者が殺到するところでは、電気痙攣療法を多数の患者に短時間のうちらに施行するために特別の工夫がこらされ、「電撃治療を終了した患者を次々にレールつきの移動ベッドにのせて、隣の休養室に運びこまれるように工夫されていた」(石川清「秋元波留夫教授と東京大学精神医学教室」、秋元波留夫還暦記念論文集上巻、一九六八年)。
 私は東大の教室に着任早々、この「電気治療室」なるものをみて一驚した。早速、私は”アウシュヴィッツを連想させる”このような装置を廃止することにしたのである。このエピソードは、当時の精神科医療において電気痙攣療法がどんな役割を果たしていたかを示すものだと思う。
 電気痙攣療法はさらに数年間分裂病治療の主役の座を維持するが、昭和三二年(一九五七年)以降急速に退潮する。しかし、電気痙攣療法はその激しい退潮にもかかわらず、今日まで全く廃絶されることはない。それを必要とする理由がまだ現代の精神科医療に残存しているからだろう。[…]」(秋元[1976:200]) cf.電気けいれん療法/電気ショック

■言及

◆立岩 真也 2013/11/** 『造反有理――身体の現代・1:精神医療改革/批判』(仮),青土社


*作成:三野 宏治
UP: 20090731 REV: 20130527, 0708, 0725
秋元 波留夫  ◇精神障害/精神医療   ◇身体×世界:関連書籍  ◇BOOK
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