『現代精神医学解体の論理』
森山 公夫 19751128 岩崎学術出版社,309p.
last update:20101109
■森山 公夫 19751128 『現代精神医学解体の論理』,岩崎学術出版社,309p. ASIN: B000J8RJWK 3000 [amazon] ※ m
■目次
一章 精神分裂病問題について
一 精神医療の悲惨と、共犯者としての精神医学
二 精神分裂病概念の成立とその問題点
一 一九世紀の精神医療状況
二 早発性痴呆−分裂病概念の発生とその経過
三 近代医学方法論の問題
四 まとめ
三 精神分裂病概念と昭和三〇年代の治療的幻想
一 はじめに
二 精神療法
三 作業療法(生活療法)
四 薬物療法
二章 心因論批判
三章 精神分析学批判
四章 一九三〇年代における治療積極主義の胎動
五章 資論
二 大学闘争から人体実験糾弾へ
一 はじめに
二 東大闘争の問うたもの
三 大学医局・講座制の問題
四 人体実験の思想
五 精神医療の荒廃と大学医局・講座制
六 まとめ
三 日本の精神病院
一 はじめに
二 頻発する「精神病院問題」の本質
三 日本における精神衛生行政の軌跡
四 精神病院のもつ世界性
五 まとめ
■引用
一章 精神分裂病問題について
一 精神医療の悲惨と、共犯者としての精神医学
二 精神分裂病概念の成立とその問題点
一 一九世紀の精神医療状況
二 早発性痴呆−分裂病概念の発生とその経過
「分裂病という近代建築は、一見いかにも巨大であるが、よく見れば土台はきわめて弱い。別ないい方をすれば、分裂病概念そのものが、近代精神医学の咲かしたきわめて巨大な徒花であったともいい得るのだ。」(森山[1975:23])
三 近代医学方法論の問題
「われわれの必要とするのは、徹底した治療的立場への還帰であり、治療的立場に立った疾病観の回復である。治療のない医学とは気のぬけたわさびのようなもきであり、疎外された医学に他ならない。そして、それが一見華麗に体系づけられればそれだけより犯罪的でありうるのだ。もちろんわれわれは経験密着の立場をよしとするものではなく、学問一般を否定するものでもない。むしろ真の意味での実学を獲得することを願っているのである。したがってここにいう治療的立場は、同時に生活と生命の分離・精神と身体の分離・身体の各要素への分離等々を止揚した本来の生の立場からの疾病観を意味しなくてはなるまい。」(森山[1975:25])
五章 資論
二 大学闘争から人体実験糾弾へ
一 はじめに
二 東大闘争の問うたもの
三 大学医局・講座制の問題
四 人体実験の思想
五 精神医療の荒廃と大学医局・講座制
六 まとめ
「講座制を真に解体せしめるには、どうしたらよいのであろうか。<0297<
――告発者が大学を去るのでは問題はまったく始まらない。なぜなら、真の解体とは、内部解体でしかありえないのだから。
大学を去るのではなく、大学に居続けることの中から徹底的に大学講座制の悪徳を告発し続けること。こうして権力の座をおり、権力を抗する運動を組み続けると同時に、「患者の犠牲による医学の進歩」なる虚妄な幻想を排し、まず目の前にいる一人一人の患者の苦悩との真のわかり合い、それとの苦闘の中にしか真の医療はありえないのだということの自覚に立つのが、まずもっての出発点である。そして地点からわれわれは、誰と真に連帯し得るのかを模索してゆかなくてはならない。このような営為の積み重ねの中からのみ、新たな展望がきり拓かれてゆくことになろう。
そしてこれこそが「自主管理の思想」である。今こそ、あらゆる大学講座制の内部で、そしてそれと連帯しつつ、現場精神病院の中で、「自主管理」が闘いとして組まれてゆかなくてはならないのである。そしてこのことこそが、現在のところ、あの鎮圧された大学闘争の意味を継続させ、発展させてゆく最大の道であると私は考える。」(森山[1975:297-298])