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積極的安楽死と消極的安楽死

ジェイムズ・レイチェルス(1975=1988)
加藤尚武・飯田亘之 [編] 『バイオエシックスの基礎――欧米の「生命倫理」観』,東海大出版会,1988年.



■内容

◆「積極的安楽死と消極的安楽死は区別可能であり、消極的安楽死は許されるが積極的安楽死は許されない」とする一般的な見解を批判。さらに、積極的安楽死の方が消極的安楽死よりも望ましいか無差別であると主張。

論拠1:消極的安楽死の死のプロセスは積極的安楽死に比べてゆっくりで痛ましい。

論拠2:消極的安楽死の方が倫理的に好ましいという見解は、生死に関する決定が筋違いなところで為される原因になる。
… 腸閉塞をもつダウン症新生児における消極的安楽死のケースでは、生死の決定が「腸管が閉塞しているか否か」でなされたのではなく、「新生児がダウン症であるか否か」でなされている。それにも関らず、腸管が閉塞して生まれてきたダウン症児は見殺しにされ、閉塞していないダウン症児は殺されないというのは奇妙である。

◆さらに、「殺す行為」は「死ぬにまかせる」よりも悪いとされるが、以下の2つの例を見る限り、両者の間に道徳的には差がないものと主張。

例1:スミスは彼の6歳のいとこが死んだ場合に莫大な財産を得られる。ある晩、スミスは風呂場でその子を溺死させ、事故であるかのようにとりつくろった。

例2:ジョーンズも彼の6歳のいとこが死んだ場合に莫大な財産を得られる。ある晩、ジョーンズもその子を溺死させようと風呂場に忍び込んだが、その子は既に風呂場で滑って頭を打ち、湯船の中に頭を突っ込んでいた。ジョーンズは必要とあらばその子の頭を押し込もうと傍らに立っていたが、その子は手足を少しバタバタさせただけで、ひとりでに“事故で”溺死した。

◆最後に、消極的安楽死の場合には「医師は何もしていない」のではなく、「医師は患者を死ぬままにしておくという重要なことをしている」ということを指摘。刑法上は死の原因が重要な要素になりうるが、死因という観念自体は積極的・消極的安楽死の道徳上の区別の物差しにはならない。医師が法律上、積極的安楽死と消極的安楽死の区別をするのはよいが、公的なアメリカ医師会の声明文の中で積極的・消極的安楽死の区別を盛り込み、その区別に権威や重要性を与えることはすべきでないと主張。


■参考
トム・L・ビーチャム「レイチェルスの安楽死論に応えて」,加藤尚武・飯田亘之 [編] 『バイオエシックスの基礎――欧米の「生命倫理」観』,東海大出版会,1988年.


■引用


■言及



*作成:坂本 徳仁 
UP:20100427 REV:
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