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『脱病院化社会――医療の限界』

Illich, Ivan 1975 Medical Nemesis: The Expropriation of Health,Marion Boyars →1976 Limits to Medicine:Medical Nemesis: The Expropriation Of Health,with Calder & Boyars Ltd. London
=19790130 金子 嗣郎 訳,晶文社,283p.


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Illich, Ivan 1975 Medical Nemesis:The Expropriation of Health,Marion Boyars→1976 Limits to Medicine:Medical Nemesis:The Expropriation Of Health,with Calder & Boyars Ltd. London =19790130 金子 嗣郎 訳 『脱病院化社会――医療の限界』,晶文社,325p. ASIN: B000J8JFJU [amazon] ※

■目次

  謝辞
  ノート
  序  11

I 臨床的医原病  19
 1 現代医学の疫学  21
 ●医師の有効性――一つの幻想 ●役に立たない医学的治療 ●医師によってもたらされた損害 ●防禦されない患者

II 社会的医原病  35
 2 生活の医療化  37
 ●医原病の政治的伝達 ●社会的医原性 ●医療の独占 ●価値をはなれた治癒 ●予算の医療化 ●薬剤の侵略 ●診断の帝国主義 ●予防の烙印 ●終末の儀式 ●黒魔術 ●患者の多数

III 文化的医原病  97
 小序  99
 3 痛みの抹殺  103
 4 疾病の創造と除去  122
 5 死対死  136
 ●商品としての死 ●死者の敬虔な舞踏 ●死の舞踏 ●ブルジョアの死 ●臨床的死 ●労働組合の自然死への要求 ●集中治療装置のもとの死

IV 健康の政治学  163
 6 反生産性  165
 ●限界非効用 ●商品対使用価値 ●貧困の近代化
 7 政治的対応策  176
 ●嗜癖者に対する消費者保護 ●不法行為に対する平等の権利 ●専門家マフィアに対する公的なコントロール ●生命の科学的組織 ●プラスチック子宮の工学
 8 健康の回復  205
 ●工業化されたネメシス ●受けつがれた神話から敬虔な処置まで ●健康への権利 ●徳としての衛生 ●

  原注  221
  訳者あとがき  321

■紹介・引用

「薬物は常に毒性をもつものであった。そして、薬物の望ましからざる副作用は、薬物の効力と広範囲の使用にともなって増加してきている。毎日五〇パーセントから八〇パーセントのアメリカおよびイギリスの成人は、医師が処方した化学物質をのみこんでいる。誤った薬をのむ人もいるし、汚染し、古くなった薬をのむ者もいる。偽薬をのむ者、また危険な配合の薬をのむ者もいる。消毒不完全な注射器で注射される人もいるのだ。嗜癖になりやすい薬もあるし、人体を損う薬もある。また遺伝子に変異をおこさせる薬もある。もっとも、食品染色物・殺虫剤との共同作用によってのみ、そうした副作用があらわれることもあろうが。抗生物質のために正常な細菌群に変化が起こり、過剰の感染をおこし、抵抗性のより強い微生物が繁殖して宿主(人体)を侵すこともある。また細菌のうちには、ある薬剤に抵抗力をもつ株を育てるものもある。このようにして、把え難い薬物は、驚くべきほど種類が多く、あまねく存在するインチキ薬よりも速やかに蔓延して行くのである。」(p29)

「薬剤の侵略
医師は、ある社会の薬物を医療化する必要はない。それほど多くの病院や医学校がなくとも、文化は薬物の侵略の餌食になりうるのである。どんな文化でも毒物、薬物、偽薬、そして投薬する際の儀式的場面をもっている。これらは病人のためというよりむしろ健康人のためのものである。強力な医薬品は、各文化がその毒物に対して適合していた歴史に根ざした形式を容易に破壊してしまう。すなわちそれは健康に益になるというよりむしろ損害を与えるのが普通であって、ついには身体は機械的な操作スウィッチによって働かされる機械であるとする、新しい態度を打ち立ててしまうのである。」(pp53-54)

「薬物の過剰使用はもちろん、医師の数が乏しく貧困な地域だけの問題ではない。アメリカ合衆国では、製薬企業の規模は今世紀において一〇〇の倍数で成長している。毎年二〇〇〇〇トンのアスピリンが消費され、一人当り二二五錠になっている。イギリスでは一〇夜に一夜は睡眠剤が使用され、女子の一九パーセント、男子の九パーセントは、一年の間に、処方された何らかのトランキライザーを服用している。アメリカ合衆国では中枢神経系に働く薬剤が薬品市場の中で最も成長の早い部門であり、現在でも全売上の三一パーセントを占める。処方されたトランキライザーに対する依存性は、一九六二年以後二九〇パーセントに上昇している。その期間に一人当りの酒の消費量は二三パーセント増にすぎず、非合法の阿片の消費量は推定で五〇パーセント増である。相当量の「気分をあげる薬」と「気分を抑える薬」が、各国で医師を欺くことで入手されている。一九七五年における医療の手による嗜癖は、自ら選んだ嗜好やお祭りさわぎで幸福な気分をつくろうとする嗜好より以上に伸びている。」(p57)

 「ロボトミーを受けた患者は、痛みを強制的にとりあげられた極端な例である。彼らは「家庭内の病人、あるいは家族のペットのレベルで適応している」。ロボトミーを受けた患者も痛みは感じるが、それを悩む能力がない。」(Illich[1975→1976=1979:112]) cf.精神外科:ロボトミー

■言及

I 臨床的医原病
1 現代医学の疫学
 過去三世代の間、西欧社会を悩ましてきた諸疾患は劇的に変化してきた。ポリオ、ジフテリア、結核は亡びつつあり、抗生物質の注射で肺炎も梅毒もなおる。一世紀の間に多くの大量に病死者を生む細菌がコントロールされるようになり、現在の死亡者の三分の二は老年と関係がある。若年で死亡する人々の多数は事故、暴力、自殺などの犠牲者である。
 このような健康状況の変化は一般に病気の減少と同義であるとされ、医学的ケアが質的にも量的にも向上したことのためだとされる。ほとんどすべての人が、医師の技能なくしては一人の友人さえも生存していなかったろうし、元気でもありえなかったと信じているにしても、実際には疾病の変化と医学の進歩との間には直接の関係は存在しないのだ。この変化は政治的・技術的変様にかかわる変数であり、この変様は医師の言動に反映されている。それは準備・地位・高価な装置(保健専門家が誇りに思う)を必要とする活動と有意の相関があるわけではない。さらに、過去一五年間における新しい疾患という重荷の大部分は、病める人々、あるいは病む可能性のある人々のために医療が介入したことの結果であるとも言え、[p22>その割合は次第に高くなっている。それは医師がつくるもの、すなわちイアトロジェニックなのである。
 医学のユートピアを追求して一世紀たつが、現在の一般的知恵に反して、医療サービスは、実際にみられる余命に変化を与えるほどの役割をも果していなかった。現代の臨床ケアの大部分は、疾患の治癒にとって偶然のものにすぎず、医療によって個人および集団の健康に及ぼされる障害は重大である。こうした事実は明らかであり、実証されているが、おしかくされてもいるのである。
  医師の有効性――一つの幻想
 疾病の型の変化を研究すると、次の事が明らかになる。すなわち過去一世紀の間に医師たちは、古い時代に僧侶が与えた程度の影響しか流行病に影響を与えていない。流行病が起り、終熄する間、両者ともただ祈るのみで、影響を与えることはできなかった。流行病がクリニックで行われる儀式によって決定的に緩和されなかったのは、神の社で通常行われる厄ばらいによって変化をうけなかったのと同様なのである。健康ケアの将来について論じる場合、この事実の認識なくしては有効な議論とならないだろう。
 工業時代の初期に流行した疫病は、医学が名声を獲得した様相をよく説明してくれる。たとえば結核の流行は、[p23>二世代以上にわたって頂点をきわめていた。ニューヨークにおける結核による死亡率は、一八一二年には一〇〇〇〇人に対して七〇〇人とされているが、コッホがはじめて結核菌を分離・培養した一八八二年には、人口比万対三七〇にまで低下した。さらに最初の療養所が開設された一九一〇年には、万対一八〇まで低下したが、それでも結核は人間の死因の第二位を占めていた。第二次世界大戦終了後、抗生物質の使用が当り前になる以前に、すでに死亡原因の第一一位まで落ち、死亡率は万対四八となったのである。コレラ、赤痢、チフスなども同様に、医師のコントロールと無関係に頂点にいたり、ついで勢いを減じてきた。それらの疾病は、その病原が理解され、特定の療法が発見される以前に、その毒性を、ついで社会的影響の多くを失ってしまっていた。猩紅熱、ジフテリア、百日咳、麻疹の死亡率は、一八六〇年から一九六五年の間に、一五歳以下の小児にあって、ほぼ九〇パーセント減じているが、それも抗生物質が使用され、ジフテリア予防接種が広範に行われる以前のことである。これらの事実は、一つには微生物の毒性の減退あるいは住宅の改善などによっても説明されようが、最も重要な要因は、栄養が改善されたために宿主(人間)の抵抗力が高まったためと考えられる。今日でも、貧しい国々においては下痢、上気道感染がひんぴんとおこり、しかも永続し、低栄養であれば、医学的ケアが充分であろうとなかろうと、その死亡率は高いものになる。イングランドでは一九世紀中頃までに、伝染病は、くる病やペラグラのような栄養障害による症状群にとって代わられているのである。これらはすでにピークに達した後衰退し、幼年期の疾病、若年期の十二指腸潰瘍の増加にとって代わられている。これらの疾病が衰退し、現在の疫学の目標は、冠疾患、肺気腫、気管支炎、肥満、高血圧、癌(特に肺癌)、関節炎、糖尿病、そしていわゆる精神障害にうつっていっている。[p24>掘り下げて追究しても、これらの変化の原因を完全には説明できない。しかし、二つのことは確実である。すなわち、医師の専門的治療行為のために、古い型の死亡率・疾病率がなくなったわけでもないし、新しい疾病に悩まされながらすごす平均余命の延長も、医療行為の責任とされるべきでないということである。一世紀以上の間の疾病傾向を分析してわかることは、環境こそが一般的な健康状態を決定する第一義のものであるということである。医学的地理学、疾病史、医学的人間学、そして病気に対する態度の社会史は、社会政治的公平さの水準および人口を安定させる文化的機構との相関の中で、健康な成人がいかに感じるか、また一般に成人は何歳で死亡するかを決定する際に、食料と水と空気が、重要な役割を果しているということを明らかにしてきた。古い病気の原因が衰退するにつれて、新しい種類の栄養障害が最も急速に拡がる現代の流行病になりつつあるのである。かつては致命的であっただろう低栄養のレベルでも、人口の三分の一は生存するだろうが、一方、より豊かになっていく人々は、食事の中からますます多くの毒物や突然変異をもたらす原因を吸収するようになる。
 現代的な技術――しばしば医師の助力によって開発され、それが環境条件の一部となり、一般大衆によって利用されてはじめて最大限の力を発揮するのだが――の中には、一般的な健康に影響を与えるものもあるが、その割合は低い。この中には避妊法とか、小児に対する種痘、水処理、排泄物処理などの医学に属さない技術、助産婦の石鹸や鋏の使用、数少い抗菌性物質、殺虫剤などが含まれる。こうした処置の多くのものの重要性は、まず医師たち――これらをすすめたため苦難の道を歩んだ異端者たち――によって認識され、記述されたが、石鹸、鋏、種痘用針、しらみ取り具、コンドームは「医療器具」の中には入らないのである。[p25>死亡が、最近になって若年層から高年層に移ったのは、これらの処置、手段が一般人の教養の中にまで拡がったことで説明することができる。
 自然環境の改善と、現代的ではあるが専門的ではない手段・方法と比較する時、特異的な医学的治療など存在しないに等しいし、疾病という重荷を軽くし、平均余命を引き上げることに有意の関係があるとも考えられない。人口に対する医師の比率、利用できる医療器械・病院のベッド数、このどれをとっても、疾病の型の著しい変化の原因とはいえない。悪性貧血とか高血圧を発見し治療するとか、手術によって先天性奇形を整形するなどの新しい技術は確実なものであるが、死亡率を下げてはいない。ある種の疾病が稀となった土地に医師が比較的多いという事実は、医師たちがその病気をコントロールし排除する能力を持っていることとほとんど関係がないのである。それはただつぎのような事を意味しているだけである。すなわち、医師は他の職業の人々よりもただ自らの好むままに生活の地を選び、気候がよく、水は澄み、人々が労働し、医師のサービスに報酬を払うような場所に集ってくるということである。
  役に立たない医学的治療
 人々に畏怖の念をいだかせる医学的技術が平等主義の美辞麗句と結びついて、[p26>現代医学は高度の有効性をもつという危険な妄想をつくり出しているが、過去一世代の間にごく限られた特異的な手段がきわめて有効になったにすぎない。しかし、それらが専門家によって商売道具として独占されていないところでは、広範囲に存在する疾病に利用できる手段は、通常、非常に安価なものであり、最低限の個人的技能と資材と、病院機能の中の保護・拘禁的サービスのみで充分なのである。それと対照して考えると、急上昇する医療費の大部分は、最上の場合でも、効果が疑わしい診断・治療のために費やされている。この点を明らかにするために、伝染性疾病と非伝染性疾病とを区別してみたい。
 伝染性疾患では化学療法が肺炎、淋病、梅毒の制圧には有意義な役割を果してきている。かつては「老人の友」であった肺炎による死亡も、スルフォンアミドや抗生物質が市場に出て以来、年間五?八パーセントずつ減じてきている。梅毒、フランベジア、マラリアの多くの症例とチフスの治療も実に即決で容易となった。性病の増加は新しい社会的慣習によるもので、医学が無効であるというわけではない。マラリアが再び出現したのは、薬剤に抵抗する蚊が生まれてきたためで、新しい抗マラリア剤がないからではない。予防接種は文明国の病気であるポリオをほとんど征服した。ワクチンは百日咳、麻疹の減少に貢献して、「医学の進歩」という一般の信仰に一致するようにみえる。しかし、他の伝染病の大部分に対しては、医学はそれと比肩できるほどの成果をあげていない。(略)
 非伝染性疾病との闘いにおける医学の有効性については、さらに疑問がもたれる。[p27>有効な進歩は、ある環境の下と二、三の条件下においては明らかではある。(略)[p28>
  医師によってもたらされた損害
 不幸なことであるが、医学的ケアが無効、さもなくば無害であることは、急成長する医療産業が社会に与える不法行為のうちでは、とるに足らない部分にすぎない。医療技術の結果生じた痛み、機能不全、麻痺、そして苦悩などは今日においては交通事故、労働災害、戦争にもとづく病的状態に匹敵し、医学の影響を現代における最も速かに蔓延する流行病の一つにしているのである。殺人的な制度的歪みの中で、ただ現代の栄養障害だけが種々の現象形態をとる医原病以上に多数の人々に損害を与えるのみである。最も狭義の場合、医原病とは、正しい、専門的に推しすすめられた治療が行われなかったら生じなかったであろう病気だけを言う。この定義の範囲内では、もし治療者が治療の過程で専門的に推奨される治療を行わず、医師の考えで患者を病気にする危険をおかしたならば、患者は治療者を訴えることができるということになる。さらに一般的な、より広範囲に受け入れられている意味における臨床的な医原病とは、治療法、医師、病院が病原、すなわち「病をひきおこす」因子になっているすべての臨床的状態を含んでいる。私はこうした過度の治療的副作用を「臨床的医原病」と呼びたい。それらは医学自体と同じくらい古くからあるものであり、常に医学研究の主題の一つであった。[p29>
 薬物は常に毒性をもつものであった。そして、薬物の望ましからざる副作用は、薬物の効力と広範囲の使用にともなって増加してきている。(略)不必要な外科手術が基本的処置とされていることもある。(略)
 医師によって加えられる痛みと病気は、常に医療につきものであった。専門家の無感覚、怠慢、まったくの無能力等は、古い形態の誤った医療である。個人的な知人にその技術を行使する職人から、科学的法則を多くの種類の患者に適用する技術屋へと医師が変様するにつれて、誤った医療は新しい、無名ではあるがほとんど尊重されるべき地位を獲得した。かつては信頼の濫用ともされ、道徳的欠陥ともされていたものが、[p30>現在では合理化されて装置なり術者の時たまの事故であるとされてしまっている。複雑に技術化された病院では、怠慢は「偶然な人間的誤り」、もしくは「システムの失敗」になり、無感覚は「科学的な冷静さ」になり、無能は「専門の装置の不在」ということになる。診断と治療の非人間化は、誤った医療を倫理的問題から技術的問題にかえてしまった。
 一九七一年において、一二〇〇〇から一五〇〇〇件の医療過誤事件がアメリカの法廷で争われている。(略)こうしたケースにあって、医師が法廷で非難されるのは、医師の倫理にそむいて行動した場合、処方された治療法に能力が及ばなかった場合、貪欲さ、もしくは怠惰さゆえに義務に怠慢があった場合だけなのである。しかし問題は、現代の医師によって加えられる損害の大部分は上記のカテゴリーには属さないことである。それは充分に訓練された人間の日常診療でおこり、たとえ、現在の主流である専門的判断と処置がどのような損害を与えるか知っている(もしくは知りうるはずであり、知っているべきである)としても、彼はそれに敬意を払うように教えこまれているのである。(略)[p31>
  防禦されない患者
 承認された、あるいは誤用された、無感覚な、もしくは適用に反した、医療技術体系との触れあいから生じる望ましからざる副作用は、病原をつくる医学の、まさに最初のレベルにすぎない。このような「臨床的医原病」の中には、医師が患者をなおそうとして、あるいは搾取しようとして患者に加える損害だけでなく、[p32>患者が医療過誤として最終的に訴訟の手段にでる可能性からわが身をまもろうとする医師の努力から生じる不法行為も含まれるのである。訴訟や告発をさけようとする試みは、他の医原病的刺戟のどれよりも、大きな損害を与えるものなのである。
 第二のレベルでは、人々を治療的、予防的、工業的、そして環境的医学の消費者にすることで病的な社会を強化し、医療は病気の後押しをすることになる。一方では障害者の数は増加し、施設の生活にしか適さないとされ、他方では医学的に証明された症状によって人々は工場労働を免除され、彼らを病気にした社会を改革する政治的闘いの場面から排除させられる。第二のレベルの医原病は、私が健康の収奪とよびたい社会的な過医療化現象という症状の中に表現される。この第二のレベルの医療の影響を、私は「社会的医原病」と名づけ、?部で論じよう。
 第三のレベルでは、いわゆる健康に関する専門的職業が、自らの弱さ、傷つきやすさ、独自性を、自分なりの自然の方法で処理しようとする人々の能力を破壊しつづけることによって、文化の上でも健康否定の効果を次第に深めつつあるのである。現代医学の手におさえられている患者は、現代の悪質な技術の手におさえられている人類の一例にすぎない。?部で論じようとするこの「文化的医原病」は、衛生の発展の窮極的な捲きもどしであり、苦悩、傷害、死に対する健康な反応が麻痺することのうちに存在する。人々が機械化されたモデルにもとづく健康管理を受け入れるとき、あたかも商品であるかのように「よりよき健康」とよばれるあるものを生みだそうと共謀するとき、それは人々を襲う。「よりよき健康」なるものは、不可避的に、死の一歩手前の病気のレベルにおける他律的な管理された生命の維持へとつながるものなのである。医学の「進歩」の、この最後の害毒は、臨床的、社会的な医原病とは明確に区別されなければならない。[p33>
 私はこの三段階の医原病が医学的に不可逆となっていること、すなわち医療的努力に組みこまれている様相を示したい。診断と治療の進歩の望ましくない生理学的、社会的、心理的な副産物は、医学的な治療に抵抗するものになっている。臨床的、社会的な医原病に対する治療として考えられた新しい工夫、研究、組織調整それ自体が、新しい流行病をつくりだす病原となろうとしているのである。治療によって患者が損害を与えられないためにとられた技術的、管理的手段も、すべてのレベルにおいて、反汚染対策によって生じる汚染的処理によって発生したエスカレートされた破壊とも比すべき、自ら増強していく医原的円環を生みだそうとしている。
 私はこの制度的な負のフィードバックの、自ら強まっていく輪を、古典ギリシャ語の同義語をとって、「医学的ネメシス」と呼びたい。ギリシャ人は、自然の力の中に神々を見た。彼らにとっては、ネメシスは、神々が自らのために守っている、他人の羨望の的となっている特権を侵した人々を襲う神々の復讐なのである。ネメシスは、人間であるよりは英雄であろうとする、人間の非人間な試みに対して必ず加えられる罰なのである。多くのギリシャ語の抽象名詞のように、ネメシスは神性の形をとっている。それは傲慢すなわち神の属性を得ようとする人間の厚顔に対する自然の反応なのである。現代における衛生上の傲慢さが、新しい医学的なネメシスの病状を招いたのである。
 ギリシャ語の術語を用いることによって私が強調したいのは、官僚や治療者やイデオローグたちが持ち出してくる説明的な範例の範囲内から、その現象がはみ出してしまっているということである。その範例とは、直観力を欠くために彼らが工学化し、より大きな系の「反直観的行動」と呼びたがる雪だるま的にふくれあがる不経済と非効用を説明するためのものである。[p34>神話と古代の神々をよびおこすことで、現在の医学の崩壊についての私の分析の構造が、工業化社会の中で決定された論理とエトスとは無縁のものであることを明らかにしたい。私はネメシスの逆転は人間の中でのみおこり、仮定的な専門家の意見と、それにつづく瞞着に再び依存するようになる他者に管理された(他律的)根源からは生じないと信じている。
 医学のネメシスは医学的治療に抵抗するものである。これは素人によるお互いのケアの意志を回復することと、このケアに対する権利を、法的にも政治的にも制度的にも認めることによってのみ逆転しうるのであり、それが医師の独占を制限するのである。私は最後の章で、医学のネメシスをおしとどめ、医療企業が健全なる範囲にとどまる基準を与えるための基本線を提案したい。それは、健康ケアとか病気のケアについて、特殊な形式を示すものでもないし、私の新しい医哲学を弁護するものでもなく、まして医療の技術、原則、組織に対する治療法を推奨するものでもない。私は、官僚制と幻想とを伴った医療組織と、技術の利用に対する、他にとるべきアプローチを提起したい。

II 社会的医原病
2 生活の医療化
  医原病の政治的伝達
 近年にいたるまで、医学は自然現象を促進させようと努めてきた。(略)[p38>しかし医学が原因となっている臨床的傷害に対する問責も、病気の原因をつくる医学の告発の第一歩でしかない。(略)
  社会的医原性
 医学は単に個人に直接的な侵襲を与えるだけではなく、その組織体が環境全体に与える影響を通じて健康を蝕むのである。個人の健康に対する医学的損害が社会政治的伝達様式によって産み出されるとき、私はそれを「社会的医原病」と呼び、この言葉で、健康ケアの制度的形態にとって、より人目を引き、可能な、かつ必然的なものとなった社会経済的変様によるすべての健康に対する損害を指そうと思う。社会的医原病はたくさんの形式の病原の種類を示している。医療の官僚性がストレスを増加させ、不能をもたらす依存性を倍加し、新しい辛い需要を生み、不快と痛みに対する許容性を下げ、個人が苦しむ際に人々が譲歩する余地を低下させ、自己ケアの権利すら放棄させることによって不健康をつくり出すとき、社会的医原病は隆盛になる。健康ケアが基準化された項目・特色とされてしまうとき、すべての苦悩が「入院させられ」、家庭が誕生・病い・死に対して適さぬものになるとき、人々が自己の身体存在を体験する際の言語が官僚的でまわりくどいものになるとき、苦悩、悲しみ、[p39>治癒が患者の役割の外側のものになり、異常性のレッテルをはられるとき、社会的医原病は働きはじめるのである。
  医療の独占
 臨床的医原病と同じように、社会的医原病も最初は偶然的なものにみえても、ついには医療制度に内在する特徴にまでエスカレートしていく。生物学的医学の介入が決定的な閾値を越えると、臨床的医原病は単なる誤り、事故、ミスから実践医療の悪用へと変質し、それは是正しえないものとなる。同様に専門家の自律性が頽廃して完全な独占に転化し、人々が環境と闘う力を失うとき、社会的医原病は医療組織の主要な産物となるのである。
 根底からの独占は一つの団体、あるいは政府による独占より以上に根深いものとなってしまう。それは多くの形態をとる。交通手段に取りまかれて都市が建設されると、人間の足に対する評価は低くなる。(略)独占一般は市場を買いしめるが、根底からの独占は人々が自ら行為し、自らつくる能力を奪ってしまう。(略)[p40>根底からの独占はさらに自由と独立を犯すのである。それは環境の形をかえ、人々に自ら闘う力を与えていた環境の諸特徴を「盗む」ことによって、社会的に広範囲な商品使用価値がある代替物をおしつけるのである。(略)すなわち相互ケア、自己投薬を悪事、重罪であるとしてしまうのである。臨床的医原病が危機的強度に達し、その事業自体の衰弱による他は逆転しえないほどになって、医学的に不治とされるのと同様に、社会的医原病は専門家の支配をなくす政治行動によってのみ逆転することができるのである。
 根底からの独占は自己増殖する。医原性医学は、医療制度による人口の社会的制御が主要な経済活動となるような病的な社会を増強する。それは多数の人々に適さない社会的取決めを正当化するのに役立つのである。(略)[p41>
  価値をはなれた治癒
 社会的医原病の問題を論じていると、しばしば治療者の診断的権威の問題がからまってくる。医師の中には、評判を守るためにこの問題に反対し、明瞭な主張をする者もいる。すなわち医療の実践は病気を医原的にうみ出さないわけにはいかないというのである。(略)
 医学は倫理的事業であり、それゆえ必然的に善をも悪をも満足させるのである。どんな社会においても医学は法律や宗教と同様に正常であるもの、適切であるもの、望ましいものを定義する。(略)[p42>医師は何が症状であり、誰が病気であるかを決定する。彼は悪を正すべき審問官の力を与えられた道徳上の勧進元のようなものである。(略)道徳は犯罪や罪の中にも、また病気の中にも潜在しているのである。
 原始社会においては道徳的力の認識が医療に包含されることは当然明らかなことであった。悪しき霊を善き霊から鑑別する技術をみとめなければ、メデイシンマン(魔術師)と呼称しない。[p43>
 医学と道徳の分離は以下の根拠にもとづき弁護されうる。すなわち医学の範疇は、法律や宗教のそれとは違って、道徳的評価を免除された科学的基礎づけがあるということである。医学の倫理は理論を実践と一致させる特別の部門に生まれてきた。(略)医師の技術的な事業は価値から自由な力を要求する。この種の文脈においてすれば、私がのべてきた社会的医原病の問題を避けることは明らかに容易である。政治の介在による医療上の損害は医学の領域に固有のものであり、それを批評する者は医学の領域に素人が侵入することを正当化しようとするソフィストであると見られてしまうのである。まさにこの理由から、社会的医原病に対する素人の論評こそ必要なのである。価値から自由な治療とケアという主張は明らかに悪しき無意味であり、無責任な医学を保護してきたタブーは弱体化しはじめている。[p44>
  予算の医療化
 生活の医療化の程度をあらわす最も手近の尺度は、医師の指示の下に、年収の中のどれだけが費消されるかということである。一九五〇年以前のアメリカでは、それはひと月の収入以下であったが、一九七〇年代半ばには、標準的労働者の収入の五から七週間分が医療サービスのために費されるのである。(略)さらに国家予算の医療化は富める国の特権ではない。すなわちコロンビアにおいて――富める者を優遇することで悪名高い貧しい国であるが、そこでもイギリスと同様、[p45>一〇パーセントが健康ケアに用いられている。
 フランス革命までは医師は職人として生計を立ててきたのであったが、上述の傾向が医師を金持ちにしてきたのである。(略)しかし医学におけるインフレーションを医学専門職の貪欲さのゆえだと非難するのは正確ではない。この増加のかなり多くの部分は、五〇年代からアメリカ合衆国の大学を卒業しはじめた資格をもった医療面の事務屋たちのためでもある。(略)
 さらにまた重要なことは、高額の費用がかかる入院ケアを是とする新しい偏見である。(略)[p46>
 アメリカ合衆国における健康サービスの費用の現象面における上昇はいろいろに説明されている。(略)現在における最も一般的な説明は、サービスの前納金をおさめる機会が増えつつあるということであろう。病院は保険を充分かけた患者を登録し、古い物をより効果的に安価に与えるより、新しいより金のかかる方法で事を成さんとするように動機づけられている。(略)[p47>
 イギリスで国営医療サービスが成功しなかったとしても、コストインフレーションが何とかあまりでたらめにならないための努力が行われてきた。(略)[p48>
 異った政治体制はいくつかの病理現象を異った疾病に組織し、かくして需要、供給、満たされぬ要求という明確な範疇をつくり出すのである。しかし病気がどのように認識されようとも、治療コストは相対的な程度で上昇していく。たとえばロシアは入院を必要とする精神疾患を布告によって制限している。[p49>すなわち全ベッドの一〇パーセントだけを精神疾患用にしている。(略)
 医師に向けられ、彼らのコントロールの下に費消される国民の富の割合は国によって異り、すべての可動な資金の一〇分の一から、二〇分の一くらいになっている。しかしだからといって貧しい国の典型的市民に対する保健消費が、その国家の国民一人当りの平均収入に比例しているなどと考えてはならない。大部分の国民はまったく何らの恩恵もこうむっていないのである。(略)
 すべての国家は病院をほしがり、多くの国家は病院に、外国製の現代的な装置があってほしいと願うのである。国家が貧しければ貧しいだけ、個々の商品のコストは高くなる。(略)こうした装置を用いる医師にかかるコストについても同じである。(略)[p50>誰でもが公平に使える器具の社会的にぎりぎりの最高のコストは、ところによって異ってくる。しかし税金がこのぎりぎりのコストをこえて治療に向けられるときは常に、医療ケア制度は、税金を払う大多数を離れて、金、教育、家柄のゆえに選ばれるか、あるいは実験的な外科医の興味の対象となったために選ばれた少数者へと投資の対象をかえるための働きをすることになる。[p51>
 ただ中国においてだけは――すくなくとも第一印象では――正反対の傾向がみられるようである。すなわち初歩的なケアは非専門家的な保健技術者が助手の助けをかりて行い、彼らは自分のグループの助手をするように要求されれば、工場における通常の業務をはなれる。(略)中国はパラメディカル(擬・医学的)な制度のみならず、その教育水準においても世界の同僚からみて最高級のものであり、ただ医師との境界がちがっているのである。この四年間の最大の投資は、この立派に資格があり、高度に正統的である医師という専門職のさらに一段の進歩のために向けられたのだが、彼らは次第に国家の健康目標を形成する権威をもちはじめている。(略)[p52>
 すべての国家で、国家予算の医療化は階級構造の中の周知の搾取と関連がある。疑いもなく、アメリカ合衆国における資本主義の少数独裁、スウェーデンにおける新官僚の尊大さ、モスクワの専門家たちの卑屈さと自民族中心主義、アメリカの医師会・薬剤師会ロビーは、保健部門における労働組合の力の勃興とともに、ひとりよがりのケア専門家のためでなく病者の利益のために、資源、手段を分配することに対する恐るべき障害物であろう。しかし、なぜこれらの金を喰う官僚たちが健康を否定する方向性をもつのかという根本的な理由は、手段としての機能の中にあるのではなく象徴的機能の中にある。彼らすべてが人間という巨大な機構を構成する成分の修理、保全サービスの供給を強調する。そしてより巧みで公平な供給を提起する批判は、人々に病気をひきおこすような仕事をつづけさせる社会的な委託を強化するだけである。無制限な国営健康保険の提起者と、国家による健康保持に賛成する者の間の闘いは、個人診療を擁護する者とそれを攻撃する者との間の闘いと同様に、一般大衆の注目を、[p53>破壊的な社会秩序を守っている医師によって与えられる損害から、医師は消費者社会を擁護する点では期待ほどのこともしないという事実にそらしてしまう。(略)
  薬剤の侵略[p54>
 医師は、ある社会の薬物を医療化する必要はない。それほど多くの病院や医学校がなくとも、文化は薬物の侵略の餌食になりうるのである。どんな文化でも毒物、薬物、偽薬、そして投薬する際の儀式的場面をもっている。これらは病人のためというよりむしろ健康人のためのものである。強力な医薬品は、各文化がその毒物に対して適合していた歴史に根ざした形式を容易に破壊してしまう。すなわちそれは健康に益になるというよりむしろ損害を与えるのが普通であって、ついには身体は機械的な操作スウィッチによって働かされる機械であるとする、新しい態度を打ちたててしまうのである。(略)[p55>
 世界のほとんどの国家では、双刃の効果をもつ薬が指示されるたびに正しく処方箋を書くほどの数の医師はいないのであり、また普通当然の慎重さをもって処方する心構えも、それだけの知識も医師にはない。その結果、医師の機能は、特に貧困な国にあっては些末なものになっている。すなわち医師はきまりきった処方を切る機械になり、いつも笑話のたねにされており、大部分の人は同じ薬を医師の同意がなくとも、気まぐれにのむのである。
 クロラムフェニコールは、処方によって、患者を守るために有効に使用されず、逆に濫用をすすめたよい例である。(略)奇形をおこすサリドマイドと異って、クロラムフェニコールは殺人をおかす。それは犠牲者を視野の外にしめ出し、アメリカ合衆国では何百人の人が診断もつかずに死亡したのである。[p56>
 こうした事柄についての専門家による自己制御は決して機能したことがない。そして医療に関する記憶は特に短期間のものでしかない。(略)[p57>
 薬物の過剰使用はもちろん、医師の数が乏しく貧困な地域だけの問題ではない。(略)
 医師の処方にもとづく薬物濫用のために、多国籍の製薬資本を非難することは流行になっている。すなわち、その利益は高く、市場の支配力は無類のものである。(略)[p58>薬剤の価格はコントロールされ、操作されている。(略)商品としては、処方された薬物は他の薬物とは異った振舞いをすることになる。それは消費者自身がほとんど選択できない生産物である。生産者の販売努力は、「媒介的消費者」すなわち処方はするが自分では薬価を支払わない医師に向けられる。(略)
 しかし驚くべきことは、全世界の一人当りの処方された薬剤の使用量は、商業的な販売促進とほとんど関係がないのである。それは主として医師の数と相関がある。それは医師の教育が製薬産業の広告の影響をうけず、会社の薬の販売のための宣伝が制限されている社会主義国家でも同様である。工業社会における総体的な薬の消費量は、処方により店頭もしくは非合法的に売られる品目の比率には基本的には影響をうけず、またその代金が自分のポケットから払われるか、前払い保険によるか、あるいは福祉基金によるかということも影響がないのである。すべての国において、医師は二種類の嗜癖者を治療している。[p59>その一群は医師の処方による嗜癖者、もう一群はその結果に悩む者である。社会が豊かになるほど、この二つの群に属する人々のパーセントは上昇する。
 したがって、処方された薬に対する嗜癖のゆえに製薬工業を非難するのは、マフィアを違法の薬使用のゆえに非難すると同じように不適切なことである。現在の薬物の過剰消費のパターンは、――その薬が有効なものであろうが、鎮痛剤であろうが、処方による品目であろうが、日常の食餌の一部であろうが、無料のものであろうが、売物であろうが、盗まれたものであろうが――それは消費物資の市場がすべての文化の下で、危機的な容量にまで発展したとする信仰によってのみ説明されうるのである。(略)
 新しい薬の時代は一八九九年、アスピリンとともにはじまった。それ以前は、医師自身こそ最も重要な治療の因子であることは疑いのないところであった。阿片のほかには、安全性と有効性テストを通過し広範囲に使用される物質は、天然痘ワクチン、マラリアに対するキニーネ、赤痢に対する吐剤だけであった。一八九九年以後新薬の洪水が、ほぼ半世紀の間氾濫したのである。[p60>長期間テストに耐えてきた既知の治療手段より以上に安全で、有効で、安いものはほとんどなかった。そして既知の治療手段の増加は遅々としていた。(略)
 薬理学の偉大な発見の時代はすでに過去のものである。FDAの現長官の言によれば、薬の時代はすでに一九五六年に衰微しはじめているという。純粋の新薬の出現数は低下しつつあり、ドイツ、イギリス、フランス(基準がアメリカ合衆国、スウェーデン、カナダほど厳格でないのだが)で一時的に脚光をあびた多くの薬はすぐに忘れ去られ、思い出されるとしても当惑感とともにである。[p61>
 社会は永遠に薬物の時代のとりこであるという誤った考えは医療政策を妨げてきたドグマであって、それは工業人にとって都合のいいことである。(略)薬の侵略が、自己もしくは他人による侵略による投薬へと人々をみちびき、そのために自らケアができるはずの身体をうまく取扱う能力を失ってしまうのだ。
  診断の帝国主義
 医療化された社会では、医師の影響力は財布や薬箱の中だけでなく、人々が割当てられる分類にまで及ぶのである。(略)[p62>治療の過程外で使用される場合、この医学的な地位は二つの明瞭な役割をもっている。すなわち、(1)それはその所持者に労働、獄舎、兵役、婚姻を免れさせるし、(2)その所持者を施設に入れ、労働をさせないことで彼の自由を侵害する権利を他者に与えてしまうのである。(略)
 かつての社会組織では、医学が難産、新生児、閉経期、その他の「危機の年代」においてだけ人々を患者として扱い、人々は自律性の幾分かを治療者にゆずりわたしていた。人生の諸々の時期の儀式化は決して新しいものではない。新しいのはその過度の医療化なのである。(略)[p63>人生はこうして、良きにせよ悪しきにせよ、制度的に計画され、形づくられなければならない統計的な現象、「生存期間」におとしめられてしまったのである。(略)出産と死亡の間に多くの生化学的ケアがあり、それはちょうど機械的な子宮に似て、作られた都市に最も適合している。人生の各段階で、人々はそれぞれの年齢に特異的な障害者ということになる。(略)
 人間の苦悩の大部分は急性で良性の病気から成り立っており、これらは自らなおるか、ほんの二、三ダースのきまりきった医療の介入でよくなるものである。広範囲の病的状態においては、治療をうけることの最も少かった者が最も回復しやすいのである。[p64>しばしば学識もあり良心もある医師のなしうる最善のことは、患者に障害とともに生きられると説得することであり、最後には回復すること、必要ならばモルヒネも使用してもよいことを話し、患者に対して祖母がなしえただろうことをなすだけで、あとは自然にまかすことなのである。(略)急性疾患にとっては、専門家を必要とするほど複雑な治療は多くの場合効果がなく、さらに手のとどかぬことが多く、手おくれになることが多い。(略)[p65>
 寿命の最高は変っていない。ただ平均寿命が変ったのである。出生時の余命は著しく増加した。(略)若い成人の平均余命は貧困国においても延長している。しかし富める国にあっては、一五歳から四五歳の間の人々の平均余命は停滞する傾向が出てきたが、その理由はかつて肺炎とか他の伝染病によって死亡した人数と同じほどの人々が、事故や新しい文明がもたらした病気で死亡するからである。(略)どんなに薬をのんでも、どれほどのケアが与えられても、六五歳における平均余命はこの一世紀変っていない。(略)
 老年は人口学的理由によって、ある歴史上の時点において、医療化されるべくしてされたのである。アメリカの医療予算の二八パーセントが六五歳をこえた全人口の一〇パーセントの人々のために使われている。この少数者は各年三パーセントずつ増加していき、彼ら一人当りのケアにかかるコストは、[p66>人口全体の一人当りのコストより五から七パーセント余計に上昇しつつある。より多くの老人が専門家のケアをうける権利を獲得するにつれて、自ら独立して老いる機会が失われていくのである。(略)
 専門家のサービスを受ける老人が増加するにつれて、老人のための特別の施設におしこまれる老人の数は増加し、隣人はお荷物になる人々にますます冷たくなるのである。(略)[p67>しかし老人に対するコスト高のケアの急増の制限を弁護することは容認されやすいとしても、子供に対するいわゆる医学的投資について制限しようとするのはいまだタブーのようである。(略)[p68>
 乳児死亡率についていえば、それは明らかに低下した。発展した国々での余命は一八世紀から今日にいたるまで三五歳から七〇歳まで延長した。これは主としてこれら諸国の乳児死亡率の低下によるものである。(略)しかしこれらの救われた生命の一つ以上が医師の訓練を前提とする治療的介入のおかげだとするのはまったく不正確であるし、貧困な国家における乳児死亡率――時にはアメリカ合衆国の一〇倍にもなるが――の高さを医師がいないからだとするのは妄想である。食料、防腐法、土木工学、それにもまして子供の死に対する新しい広範囲な不評判――子供がどんなにひよわで、奇形があろうとも――こそ重要な要因であり、医療の介入とはほとんど関係のない変化をあらわすものである。(略)乳児を死から救うためにもっと多くの医師が必要だとする主張は、一方では専門家に多くの仕事をつくり出しつつ所得の平等化をさけようとする一つの方法として理解されるのである。また医師の存在と因果関係をもつ一般環境の変化が、健康にとって正の均衡を示していると主張するのも、同様に無謀なことである。医師はたしかに防腐法、予防接種、食餌の代替物などに関しては先駆者であったが、伝統的な授乳児を現代的嬰児に変え、[p69>工場製の処方の顧客でもある労働する母親を工場に供給することになった哺乳瓶への切り換えを行ったのである。
 哺乳瓶のためにおこったさらに重大な問題は、全世界規模での蛋白欠乏の怖れである。(略)哺乳瓶が地位のシンボルになるにつれて、母乳を与えられなかった子供たちに新しい病気があらわれはじめた。母親たちは乳を吸うこともしなかった乳児たちを伝統的にどう扱ってきたかわからないので、嬰児たちは医学的監視とその危険性の新しい消費者になった。母乳のかわりに市場化された乳児の食料を代替することによって起った身体的障害の総計は、子供の病気に医療が介入し、兎唇から心疾患にいたる先天性欠損を外科的に矯正することから得られる利点と比較しても、バランスがとりにくいのである。
 もちろん、健康のための商品への需要にもとづいて老人グループを医学的に分類することは、そのことが不健康をつくり出すのではなく、繭としての家族が、健康を否定する方向で破壊され、贈答をする関係の網の目としての隣人関係が破壊され、地域的な生存のため身のおきどころとしての社会が崩壊したことの反映だとする議論も成り立つだろう。(略)[p70>しかし医学はただ単に現実を反映するだけではない。それは人間が進化する際のよりどころであった社会的繭を崩壊させる過程を強化し、再生産しているのである。医学的分類は乳児用食品のような基本的商品を母乳の上に、老人ホームを家庭の片隅より上におくという帝国主義を正当化するのである。(略)
  予防の烙印
 治療が、無効かつ高価でさらに辛い病状に次第に焦点をしぼってくるにつれて、医学は予防を市場化しはじめた。病的状態という概念は予後の危険率にまで拡大してきたのである。疾病ケアとともに健康ケアが商品になった。[p71>ということは自らなすものでなく購入するものになったのだ。(略)
 ふつうきまりきった診断の危険性は、きまりきった治療の危険性ほど恐れられてはいない。(略)誰も、元アレルギー、元虫垂炎の患者に興味をもったりしないし、元交通違反者として記憶にとどめられることはない。しかし別の場合には、[p72>医師はまず第一に保険統計士として行動し、彼の診断は患者と時にはその子供の評判まで終生おとしめることもあるのである。(略)前科者と同時に、精神病であったもの、心臓発作を一度でも経験したもの、アルコール中毒の前歴のあった者、鎌状赤血球所持者、(そして最近までは)肺結核の既往のあった者も残りの人生をアウトサイダーにされてしまうのである。(略)
 過去において医学的ラベルの貼り方は二通りあった。すなわち、治療可能な者と、治療不能のもの――たとえば癩者、跛行、奇型、死に行く者――の二つである。いずれにしても診断は烙印につながる。医療化された予防は第三の方法をつくり出した。それは医師を公式の免許をもった魔術師に変え、その予言は、彼の行為によって実害を受けぬ者さえ無能力者にしてしまう。(略)
 この一〇年、自動的多相診断が実施されるようになり、貧乏な人々にとってメイヨー・クリニック、[p73>マサチューセッツ総合病院の世界につながるエレベーターとして歓迎されている。(略)皮肉なことであるが、このような適格審査のみが成人の間に発見することのできる無症状の重大な病気の場合、早期治療は患者の一般状態を悪化させるだけであって、結局不治のものであることの方が多いのである。とにかく健康だと感じている人を、判決を心配する病人にしてしまうのである。
 病気の発見という点で、医学は二つの事をしている。その一つは新しい「障害」を「発見し」、そしてそれを具体的な人間のものにするのである。新しい病気の範疇を発見することは、医学者の誇りとなる。(略)理論的には、医師は初診で彼の患者がある病気にかかっているとは考えなくても、フェイル・セイフの原則によって、[p74>医師は病気を見のがすより、患者にある病気があるとした方がよいかのように振舞うのである。医学的決定の規則が医師をかりたて、健康よりは病気を診断することで安全さを追求させることになる。(略)
 病気の側にかたむく診断の歪みは、しばしば誤診と結びつく。(略)[p75>
 診断的歪みと誤りに加えて、でたらめな侵害がある。心臓カテーテルは心筋疾患の患者の診断に用いられるが――たしかに日常的に行われてはいないが――三五〇ドルの費用がかかり、五〇人に一人の死亡者が出るのである。そしてその検査結果にもとづく鑑別診断が余命を伸ばしもしないし、患者の満足をつよめるものでもない。(略)[p76>
 大きな集団に早期診断のための検査を日常的に行うことで、医学者は研究目的に最も適切かつ最も有用な患者を選択する基盤が広くなる。(略)
 診断は常にストレスを強め、不能力を定義づけ、不活動を課し、不治・不確実と未来における医学の発見に関心を集めさせる。そしてこれらのすべてが自律性を喪失させることになる。また診断は人を特別な役割の中に孤立させ、正常なもの健康なものから切り離し、専門家の権威にしたがわざるをえなくする。ひとたび社会が予防的な疾病狩りのために組織化されると、診断に対して流行病的な大きな規模を与えてしまう。治療的文化の窮極的な勝利は平均的健康人の独立を異常性の一形式にかえてしまうのである。
 最後には、このように内部指向型の社会の主要な活動は、商品としての余命という幻の生産に向けられていく。統計的人間を生物学的に唯一である人間と等置することで、有限の手段に対しての癒しがたい要求が生み出される。個人は全体のより大きな「ニーズ」に従属させられ、予防処置は強制的になり、社会はより金のかかる治療処置という重荷にたえられないのだから、患者はこの診断に服すべきだと医師が論じるとき、[p77>患者が治療に対して同意を留保する権利は消えてしまうのだ。
  終末の儀式
 治療は死を前にした患者をめぐる死の舞踏において極点に達する。(略)
 危機の儀式化(それは病的な社会に一般的にみられる特徴であるが)は医療担当者に対して三つのものを与えるのである。それは、普通には軍人のみが要求しうる資格を医療担当者に与える。[p78>危機というストレスの下、指揮官と目される専門家は容易に正義と上品さという一般のルールに対する免疫を手に入れるのである。死をコントロールする役目を与えられた者は普通人であることをやめてしまう。トリエイジの監督官によって、殺人は政策的に隠蔽されてしまう。さらに重要なことは、彼の全行為は危機の前兆の中でおこるのである。この世らしからぬ魅惑的な辺境を形成するので、医療企業によって要求される時間の幅と地域社会の空間は、宗教的あるいは軍事的企てと同様に聖なるものとなるのである。臨終ケアの医療化はただ単に不吉な夢を儀式化し、みだらな努力に対する専門的免許を拡大するだけではない。臨終の治療がエスカレートすることで、医師は彼が用いる手段の技術的有効性を証明する気持がなくなってくるのである。より多くを要求する彼の力に際限はない。ついには患者の死は医師を潜在的規制と批判の彼岸においてしまうのである。患者の最後の視線、「死に行く者」の一生の展望の中には希望はなく、ただ医師の側の期待あるのみである。「危機」に対するいかなる施設であろうと、そのむかう方向は巨大で、通常は無効であることを正当化してしまう。
 病院における死はいまや風土病ともいえるほどである。この二五年間に病院で死ぬアメリカ人の数は三分の一ほど増加している。(略)[p79>
 医療をうけない死に対する恐怖は、一八世紀におけるエリートによってはじめて感じられた。彼らは宗教の助力を拒否し、死後の生が存在するという信仰をしりぞけたのである。この恐怖の新しい波はいまや富者をも貧者をもまきこみ、平等主義のパトスと結合して、新しい商品をつくり出した。(略)
 医療なしの死という現代の恐怖のために、人生は最終点の混戦を目指す競争の観を呈することになり、独自性に対する自信は失われてしまった。そのためにまた人間は、自分の時が来たことを認識し、自分の手で死を把むという自律性を失ってしまった。医師は自分が治癒者としての力を失った時点を認めず、死が患者の顔にあらわれるときも退こうとしないので、患者は遁辞とまったくのいつわりの動因となってしまっている。自分ひとりで死にたくないという患者の気持が、彼を悲劇的にまで依存的なものにしてしまったのである。[p80>患者は自分に自ら死ぬ能力(それは健康の最後のあらわれであるが)があるという信念を失ってしまい、専門家によって殺される権利を重要問題としたのである。
 まだ検討されていないいくつかの期待が、病棟における死に対する文化的方向づけの中に編み込まれている。人々は入院は苦痛をやわらげ、入院すれば命ながらえるものと信じている。どちらも真実とは思えない。(略)最後に、人々は入院することで危機を生き残るチャンスが増すと信じる。この点においても、ごく明確な例外はあるとしても、大方それは誤りである。(略)[p81>
 他の成長産業と同様に保健システムは需要の際限のないところ、すなわち死に対する防御という点にその生産物を向ける。新しく獲得された税金による基金の中で、最終段階の患者の延命のための技術に割当てられるパーセントは次第に上昇している。(略)
 高度の技術を伴うケアと死に対して人々が魅力を感じるのは、奇蹟の技術化に対する根深い需要として理解されうる。集中ケアというのは、[p82>死に対して闘う医療の祭司のまわりに組織された公衆の祈りの集中にすぎないのだ。公衆がこうした活動によろこんで財源を与えようとする気持は、医学の非技術的機構に対する願望の表現である。(略)
  黒魔術
 患者もしくは患者の環境の物理的、生化学的構造に技術的に介入することは、医学・医療の制度の唯一の機能ではないし、かつてもそうではなかった。病原の除去と(有効かどうかは別として)薬物の投与は人間と病気の間を調整する唯一の方法では決してない。[p83>
 医師が自らが望む技術的役割を演ずるための装置を与えられているような状況においてさえ、彼は宗教的、魔術的、倫理的、かつ政治的機能を果さねばならない。こうした機能のすべてにおいて、現代の医師は治癒あるいは鎮痛をもたらす者というよりむしろ病原となっている。
 魔術もしくは儀式を通じて治癒させることは、明らかに医術のもつ重要な伝統的機能なのである。(略)もっとも、科学的医学が、臨床家がパートタイムの魔術師であると認めるには相当の時間を必要とした。医師の専門的施術の中の白魔術の部分を技術者としての機能から区別するために(彼をやぶ医者であるという告発から救うために)、プラシーボ(偽薬)という言葉がつくられた。(略)
 高い文化においては、宗教的医術は魔術とは画然として別のものである。主要な宗教は不幸に対して諦観を与え、苦悩することが尊厳ある行為であるとする理論的根拠、様式、社会条件を提供するのである。(略)[p84>しかしこれらは、一人当りのGNPがある限度を超えた社会では、過去のたとえ話にすぎない。工業化社会では世俗的制度が主要な神話づくりの儀式を行っているのだ。
 教育、交通、マスコミュニケーションなどの別々の祭式が、別の名前で同じ社会的神話――フェーゲリンが現代のグノーシス(神秘的知識)と呼んだもの――をつくっていく。グノスティックな世界観とその祭式には六つの特徴がある。すなわち、(1)それは現代の世界が本質的に惨めに組立てられているという理由で、あるがままの世界に不満な人々の運動により行われていること。その支持者は、(2)この世界から救済されることが可能だと確信しているか、(3)少くとも選ばれた者にはそれが可能であり、(4)現世代の間にそれはもたらされると信じているのである。さらにグノスディクスたちは、この救済は、(5)技術的行動によるものであり、(6)その行動はそれに対する特別の公式を独占している資格者のためのものであると信じている。こうした宗教的信念のすべてが技術的医学の社会的組織体に底流としてあり、それはまた一九世紀の進歩という理想を儀式化し、おまつりにするのである。
 医療のもつ重要な非技術的な機能の中の第三番目のものは、魔術的というよりは倫理的、宗教的というよりは世俗的なものである。それが依拠しているのは魔法使いが彼の術者とともに企てる陰謀とか、僧侶が形式を与える神話とかではなく、医療文化が人間関係に与える形式なのである。医療は、[p85>地域社会が多少なりとも個人的な様式で、弱者、老衰者、幼弱者、身体障害者、抑うつ者、躁者を取扱うごとく、動機づけるように組織しうるものである。(略)不幸な者に対する同情、身体障害者に対する厚遇、悩める者に対する猶予、老人に対する尊敬のつちかわれた文化は、その成員の圧倒的多数を相当程度にまで日常生活の中で統一しうるのである。
 治療者は神々の僧侶でも、立法者でも、魔術師でも、霊媒でも、床屋医師、科学宣伝家でもありうるのである。「医師」という言葉で包括されている語義の範囲をほぼおおうことができる共通の名前は、一四世紀以前のヨーロッパでは存在しなかった。(略)医療のいくつかの機能はいろいろな様式で、いろいろな役割の中に結合していた。[p86>健康ケアを独占した最初の職業は一二世紀末の医師という職業であった。
 逆説的であるが、病気を技術的に征服することにより多くの注意が集中されればされるだけ、医療技術によって行われる象徴的、非技術的機能も大きくなっていく。癌治療のある分野により多くの金をつぎ込めば生存率を上げるという証明が少いだけ、余計に多くの金がその専門の手術場で展開される医療の分野に注がれることになる。治療と関係のない諸目標だけが、――専門家の仕事、貧乏人でも平等に利用できること、患者に対する象徴的な慰め、人体実験等々であるが――この二〇年間における肺癌手術の拡大を説明しうる。白衣、マスク、消毒薬、救急車のサイレンだけでなく、医療の全分野が非技術的で通常は象徴的力をもっているために財源を与えられつづけるのである。
 こうして意志の有無にかかわらず、現代の医師は象徴的、非技術的役割を果さざるをえなくなってくる。(略)[p87>
 儀式に身をもって参加することは、その儀式が生み出すべく組織された神話の秘密を知るための必須の条件ではない。(略)
 医療技術が社会の健康に及ぼす意図的でない非技術的影響は、もちろんプラスでもありうる。不必要なペニシリン注射も魔法のように信頼と食欲を回復させるのである。(略)しかしこれは医療技術の非技術的副作用の有力な結果ではない。コストの高い医療が特に有効であるまさにその狭い領域において、その象徴的な副作用は圧倒的に健康否定的なものとなったという議論が可能である。すなわち、患者自身の治癒への努力を支える伝統的な医学的白魔術は黒魔術にかわってしまったのだ。[p88>
 社会的医原病はマイナスのプラシーボ、すなわちノシーボ効果としてかなりな程度まで説明可能である。(略)ノシーボ効果はプラシーボ効果と同様に医師の行為とはほぼ無関係なのである。
 医療処置が黒魔術になるのは、それが自然の治癒力を動員するかわりに、病人を煙にまき、元気をなくし、自分に加えられる治療の傍観者にしてしまうときである。医療処置が病める宗教になるのは、病者のすべての期待を科学とその機能に集中させてしまい、病人が自分の苦境の詩的解釈を求めるが、苦しむことを知っていた人――故人であれ、隣人であれ――の中に尊敬すべき模範を見出すことを忘れさせるような儀式として為されるときなのである。医療処置は、それが悩める人々に対する社会的寛容さを増すような動機と訓練とを社会に与えるよりは、患者を専門的な環境の中に隔離してしまうとき、道徳的頽廃により疾病を増加させる。生物学的医学の名の下に生まれた魔術的破壊、宗教的傷害、道徳的頽廃は社会的医原病をつくる決定的機構である。それは死の医療化と混合している。
 はじめてギリシャ、インド、中国において医師が寺院の外に店をかまえたとき、彼らはメデイシンマン(魔術医師)であることを止めた。(略)医学的治癒という偉大な伝統は奇蹟的治癒を僧侶と王たちの手に残してしまった。(略)[p89>
 医学文明と治癒者のギルドの勃興とともに、医師は自らの技術の限界を知っているという理由で、やぶ医者や僧侶から自らを区別したのである。今日医療組織はふたたび奇蹟をおこなう権利を取りもどそうとしている。医学は病原が不確実で、予後がよくないし、治療が実験的性格をもつ場合にも患者を要求する。こうした状況の下では「医学的奇蹟」への試みは失敗に対する障壁になっていたのであるが、それは奇蹟とは希望するものであり、定義によって予期されるべきでないからである。現代の医師が要求する健康ケアに対する根本的な独占はいまや医師たちに、彼らの祖先が技術的治療者として専門化したときに放棄してしまった僧侶の機能、王の機能を取りもどさざるをえなくしている。
 奇蹟の医療化はさらに臨終ケアの社会的機能に対しても洞察を与えてくれる。患者は皮紐でくくられ、宇宙飛行士のように制御され、テレビにうつし出される。これらの英雄的な処置は何百万人もの人々にとって雨乞いの踊りとなり、自律的生活に対する現実的希望は、医師が外の空間から健康を配達してくれるだろうという妄想に変質してしまっているのである。
  患者の多数[p90>
 医学の診断力が病人をやたらに倍増させるときには、医学専門家は常に、余計な仕事は医学以外の生業、職業の運営にまかせてしまう。切り捨てによって医学の貴族たちは威信の低いケアという面倒事は省いてしまい、警官、教師、役人に医療から派生したものをまかせてしまう。医師は、病気とは何かを定義づける際の自律性はチェックをうけることなく持ちつづけるが、患者を探し出し彼らに治療を与える役割は他人におしつけてしまう。医師のみが嗜癖とは何かを知っており、一方警官は嗜癖はいかにコントロールされねばならぬかを知っていると思われている。(略)医学文献において医学の諸目標の削減の必要が論じられるときには、患者の切り捨て計画の形をとるのである。(略)
 どんな社会でも安定しようとすれば証明書つきの異常を必要とする。(略)大部分の社会では、普通でない者に役割を与える人々がいる。(略)[p91>こうしたレッテルを貼る仕事をする人は、必ずしも医学的権威になぞらえられる必要はない。すなわち彼は法律的、宗教的あるいは軍事的力の所有者でもよい。(略)
 どんな文明もそれ自身の疾患の定義を与える。ある文明における病気は他の文明では染色体異常、犯罪、聖、罪となるかもしれない。(略)[p92>現代の医師が患者に病者の地位を割当てるとき、ある点では彼は魔法使い、あるいは長老に似た行為をしている。しかし現代の医師も、診察する際には、割当てる範疇をつくり出した科学的専門職の一員であるので、彼は治癒者とはまったく異る。(略)
 個人に対しては、有効な役割は常に二種類ある。一つは文化の伝統によって基準化されたものと、もう一つは官僚組織の結果としてのものである。革新というのは常に後者、合理的につくり出された役割の相対的な増加を意味していた。(略)しかし全体的にいえば、病者の役割は近年まで伝統的な性格のものであった。(略)[p93>施設の中で甘やかすために少数者を専門家が選ぶことは、工業社会の安定のために医学を用いる方法である。(略)二〇世紀初頭では、ある限界の中での異常者に対する甘やかしは工業社会の凝集力を「強化」した。しかし危機的な点をこえると、診断を通じて行われる無際限の要求に対する社会的抑制は自らの基礎を破壊してしまう。(略)
 現在、医師の役割は不明瞭なものになってきている。健康の専門家は臨床サービス、公衆衛生の技術、科学的医学を結合させるようになった。医師が扱う患者は健康に関する組織と接触をもつたびにいくつもの役割に同時にはめこまれてしまうのである。(略)健康は病気であると証明されるまではすべての人間が持っていると思われる生まれつきの所与ではなくなってしまい、社会正義によって資格を与えられる、常に後ずさりしていく目標になってしまった。
 健康に関する専門職の集合体の出現は、病人の役割を無限に弾力のあるものにした。(略)[p94>以前には現代医学はごく狭い市場を制御していただけであったが、現在ではこの市場はすべての境界を失ってしまったのである。病気でない人々は将来の健康のために専門的ケアに依存するようになった。その結果として、普遍的医療化と、普遍的病的状態を証明する病的社会が生まれるのである。
 病的社会においては、定義され診断された不健康の方が他のいかなるレッテル、あるいはレッテルなしよりも遙かに望ましいという信仰が有力である。(略)僧侶の役割としては、患者は医師に対して生物学的機構の汚れのない犠牲者であって、生産手段をコントロールしようとする社会的闘争からの、怠惰で貪欲でねたみ深い脱走者ではないという神話をつくり出す共犯者になってほしいのである。(略)[p95>
 経済の中で治療サービス部門の発展とともに、望ましい規準から外れた者、それゆえ健康の基準に近づけるために治療にしたがわせるか、あるいは彼らの異常のために建てられた特別の環境の中に集められる、庇護されるべきとされる者の比率は次第に増加している。(略)こうなると病者と健康人の間の距離はさらに縮まるのである。工業が進んだ社会では病人は再びある水準の生産性をもつ者と見なされるのであるが、それは工業化の初期の段階では否認されていたものである。(略)生涯にわたる健康教育、カウンセリング、検査そして維持は、工場や事務所の日常業務に組み込まれている。(略)工業化社会の医療化はその帝国主義的性格を窮極的に成就させようとしているのである。

III 文化的医原病
小序[p99>
 医療化された健康ケアがさかんになると健康な生活に障害をきたす。その障害の二つのあり様をいままで論じてきた。まず第一に臨床的医原病であるが、これは有機体の闘う能力が他律的な管理におきかえられる結果である。第二は社会的医原病であるが、そこにあっては、環境は個人、家族、隣人に、自らの内部の状態と状況に対する制御力を与えていた条件を奪われてしまうのである。文化的医原病は医療による健康否定の第三の次元となる。それは医療企業が、人間が現実に耐え忍ぶ意志を吸い取るときにはじまる。「受苦」という言葉が、現実の人間反応を示すためにはほとんど無効になるのがこの医原病の症状なのであるが、無効になるのは、この言葉が迷信、サド・マゾヒズム、富者が貧者に対して恩をきせる態度を想起させるからである。専門的に組織された医療は、工業の拡大をすべての「受苦」に対する戦いとして宣伝する、貴い倫理的試みとして機能するにいたっている。その際、それは個人が現実に直面し、自己の価値を表現し、避けがたくしかもしばしば癒しえない痛み、損傷、老衰、死を受け入れる能力を駄目にしてしまうのである。[p100>
 健康であるということは、単に現実との闘いに成功することだけでなく、その成功を享受することをも意味しているのだ。それは喜びと苦しみの中にあって生命を感じられることを意味している。それはまた、生存を尊重するとともにそれに賭けることをも意味している。体験された感覚としての健康と病気(受苦)は人間を動物から区別する現象である。(略)
 どんな文化でも健康についての独特なゲシタルト(形態)と痛み、病気、損傷、死に対しての独特かつ適切な態度を形成する。(略)
 各個人の健康は社会的な脚本の中での責任ある演技である。いかにして彼が現実の甘さ、辛さにかかわるか、病気にかかっていたりあるいは弱っていたり、苦悩しているとみられる他人に対していかに振舞うかが、各人の自己の身体に対する感覚と、同時に自分の健康に対する感覚とを決めるのである。(略)[p101>
 すべての伝統的文化は、各個人が痛みに耐えられるようにし、病気、怪我を理解できるものとし、死の影を意味あるものにする手段を与える能力から、その衛生的機能を引き出す。そのような文化の中では健康ケアは常に食べ、飲み、働き、呼吸し、愛し、政治をし、運動をし、歌い、夢をみ、戦い、受苦するための計画なのである。(略)
 現代の無国籍な医療企業により鼓吹されているイデオロギーは、このような機能にさからうものである。それは古い文化のプログラムの存続を根源から危くし、自己ケアと受苦に対する形式を与えてくれる新しい文化の登場を邪魔する。(略)[p102>苦しみ、癒やし、死ぬこと――それは本質的に文化が各人に教えた自律的活動であるが――は、現在では技術官僚による新しい政策立案の分野の問題であると主張され、制度的に人々から取り除かねばならない誤った機能であるとされている。都市における医療文明の目標は、植民地化の進む過程において直面する個々の文化の健康プログラムと対立するものである。

3 痛みの抹殺
 無国籍の医学文明が伝統的文化を植民地化してしまうと、痛みの体験を変様させてしまう。「痛みの感覚」と私が呼びたい同じ神経興奮は一つの明確な体験を生み出すが、それはパーソナリティーと文化の双方に依るのである。この体験は、痛いという感覚とは異って、独特な人間行動すなわち受苦を意味する。しかし、医学文明は痛みを技術の問題に変えてしまい、その際、受苦からその固有の個人的意味を奪い去ってしまう傾向がある。人々は苦悩というものが、人間が現実と意識的に闘う際に避けることのできない部分であることを学ばず、すべての痛みを、飽食もしくはあまやかしへの要求の程度を示す指標と解するにいたっている。(略)
 諸々の文化は意味の体系であり、無国籍の文明は、技術の体系である。文化は苦痛を意味のある体系の中に統合することでそれを耐え得るものとするが、無国籍文明は苦痛を無と化すために、[p104>主観的、あるいは主観相互間的文脈からそれを切り離してしまう。(略)
 忍耐、寛容、勇気、諦め、自己抑制、不抜、柔和さ、これらのそれぞれが、痛みが受容され、苦悩の体験へと変容され、我慢されるという反応の色合いを表現している。義務、愛、魅惑、日常の仕事、祈り、同情なども、尊厳を失わず苦痛に耐えるための手段である。(略)痛みとは、常に自分自身を見出し、それに対する自分の意識的反応によってたえず形づくられる自己の身体についての主観的現実の欠くべからざる一部だと考えられていた。(略)
 個人に加えられた痛みは、人間の人間による虐待を制限する効果がある。搾取する少数者は、犠牲者の感覚を鈍化させるために酒を売り、宗教を説いた。(略)[p105<
 「大衆」が痛みに打ちひしがれているときに、大衆に社会を呪うのを止めさせるために、産業システムがすぐ反応し、大衆に医学的な痛みどめを与えてしまうのである。このようにして痛みは、より多くの薬、病院、医療サービス、他の非個人的な団体によるケアへの要求に変化してしまい、さらに、人間的、社会的、経済的にどれだけのものを失おうとも、さらに団結した成長を政治的に支持することになってしまったのである。(略)
 伝統的文化と技術的文明とは正反対の仮定から出発する。すべての伝統的文化においては、精神療法、信仰体系、痛みに耐えるために必要とされる薬は、日常生活行動に組み入れられ、現実はきびしく、死はさけられないという確信を反映している。二〇世紀の苦の園においては、内部および外部の辛い現実に耐える必然性は、社会・経済システムの失敗として解釈され、痛みは異常な介入によって処理されるべき緊急の偶発事件として扱われるのである。
 脳によって受け取られた痛みの情報から生じる痛みの経験は、その性質と量とにおいて、遺伝的所与およびその刺激の性質と強度のほかに、少くとも四つの要素、すなわち文化、不安、注意、解釈に左右される。これらのすべては、社会的決定因子、イデオロギー、経済構造、社会の性格によって形づくられるのである。(略)[p106>
 文化が医療化されるにつれて、痛みの社会的決定因子は歪められてしまう。(略)医師がいかに痛みをコントロールするかという方法は要求されるが、痛みの中にある人が、その体験に責任を持つ助けになるような研究はもとめられない。(略)痛みの中にある人は、しばしば自分を圧倒しようとするこの経験に意味を与えてくれる社会的文脈がますます稀薄になった状態に放っておかれるのである。
 痛みの医学的認識についての歴史はまだ書かれていない。(略)[p107>
 痛みの歴史を研究する者は三つの特殊問題に直面しなければならない。第一は、痛みが他の病気との関連によって深く変様される場合である。痛みは、苦悶、罪業感、罪、苦悩、恐怖、飢餓、損傷、不快感などとの関係のなかでその位置を変化させてきている。外科病棟、癌病棟において痛みと呼ぶものは、過去の世代が特別な呼び名をもたなかったあるものなのである。(略)
 第二の問題は言語である。現代医学が痛みという術語で示すもののわかりやすい同意語は、今日でも日常の言葉のなかにはみつからない。(略)[p108>もしも身体的痛みの概念が医学的な使用法の中で進化したとするなら、術語の変化した意味をさぐっただけでは把握しえないのである。
 痛みの歴史に対する第三の障害は、その例外的な価値論的、認識論的な状態である。同じ頭痛を悩まないかぎり、誰も「私の痛み」を私が意味するようには理解しない。(略)[p109>
 身体的痛みを他人に伝達することは不可能であるにもかかわらず、他人の身体的痛みを知覚することは基本的に人間的なことであるから、これを括弧の中にくくってしまうわけにはいかない。(略)[p110>
 身体的痛みは、内在的で、身近にあり、伝達不可能な負の価値として体験されるのであるが、それはわれわれの意識の中に、悩む人間が存在する社会的状況を包含しているというのが私のテーゼである。社会の性格が、ある程度まで悩む人間のパーソナリティを形成し、かくて、彼らが自分の身体的苦痛や傷を具体的な痛みとして体験する方法を決定する。この意味において、社会の医療化に伴った痛みの体験の変様の方向を研究することは可能であろう。痛みを悩むということはつねに歴史的次元のことなのである。
 私が痛みに悩むとき、つねに一つの問題が提起されることを意識する。痛みの歴史においては、この問題に焦点を合わせたとき、最も研究がすすむのである。(略)痛みは応答のないあるもののサインなのである。それは明白なあるものを指しており、そのものは次の瞬間に次のような質問を要求する。どこが悪いのか。どのくらいつづくのか。なぜ私は痛みをうけねばならぬのか/うけるべきなのか/うけることが可能なのか/現にうけているのか。なぜこの種の災いが存在し、なぜ私を襲うのだろうか。痛みについてのこうした関連について盲目な観察者は、[p111>ただ条件反射しか目に入らないだろう。(略)
 苦悩するという個人の行為は、そのような実験的コントロールからのがれてしまい、それゆえ痛みについて行われる多くの実験では無視される。(略)
 麻酔を評価する社会に住んでいれば、医師も患者になる可能性ある者も、痛みに内在する疑問符を握りつぶしてしまうように重ねて訓練される。(略)[p112>
 充分な意味で、痛みの体験が苦悩を形成するためには、それが文化の構造にあてはまらなければならない。個人が身体的痛みを個人の体験に変様させることを可能にさせるためには、すべての文化は、すくなくとも四つの関連ある下位のプログラム、すなわち言葉、薬、神話、モデルを備えなければならない。痛みは、文化によって、言葉、叫び、動作で表現される問題に形づくられ、それらは痛みが体験されるまったくの混乱した孤独の中で分ちあいたいという絶望的試みとして、しばしば認められる。(略)
 痛みに対する宗教的、神話的な論理的根拠はすべての文化においてみられるのである。[p113>要するに、文化は痛みにおける行動がつくられる典型例を準備してきているのであり、それは仏陀であり、聖者であり、勇士であり、犠牲者なのである。(略)他方、痛みの医療化は、これらの様式のうちのただ一つ、すなわち技術による処理のみを肥大化させ、他のすべてを衰えさせてきた。とりわけそれは、耐える技術が痛みを取扱う際の最も効果的で普遍的に受容されるべきものだという考えを、理解しにくいもの、あるいは衝撃的なものとしてしまった。医療化はすべての文化から痛みを取扱うためのプログラムの統一性を奪っているのだ。
 社会はただ単に医師と患者がいかに会うかを決定するだけでなく、その両者が痛みについて何を考え、感じ、なすべきかも決定する。医師が自らをまず治癒をもたらす者と考えるかぎり、痛みは健康回復への道程の役割をもったのである。医師が癒しえなかったとき、彼は自分の患者に鎮痛剤を使用し、避けがたい苦悩を和らげましょうと告げることになんらの良心の疑惧を感じることはなかった。(略)[p114>
 現代医学の従事者は異った位置におかれている。すなわち、彼の第一の方向づけは治療であって治癒ではない。彼は耐える人の中に痛みが喚起する疑問符を認めるためでなく、痛みを一件書類の中に集められうる訴えのリストの中におとしめるための準備をさせられているのである。(略)
 痛みに対するヨーロッパ的態度の一つの源流が古代ギリシャの中にあるのは確かである。ヒポクラテスの弟子たちは多くの種類の不調和を区別したが、その各々は、それ自体痛みの原因であった。(略)痛みとは魂が進化を経験することなのだ。人体は回復不能なほどに傷つけられた宇宙の一部であった。(略)[p115>このような仕組みの中には痛みの感覚と経験とを区別する必要はない。身体はまだ魂から分離されず、病気も痛みから分離されていなかった。身体的痛みを示すすべての言葉は同じ様に魂の苦悩にも使用できたのであった。
 われわれのギリシャからの遺産をみるとき、痛みに対する諦めは全面的にユダヤ教もしくはキリスト教によるのであるとするのは重大な誤りであろう。(略)
 ヨーロッパ文化における痛みの歴史は、さかのぼればこれらの古典、セム族の根源までいたり、そこには痛みを個人が耐えることを支持するイデオロギーを発見することもできる。(略)[p116>
 専門家が技術的に痛みを殺すという観念が、なぜヨーロッパ文明に異質のものであったのかということについては、三つの理由がある。第一に、痛みは損われた一つの宇宙についての人間の経験であって、その下位のシステムの機能不全ではない。痛みの意味は宇宙的で、神話的なものであって、個人的、[p117>技術的なものではないのである。第二に、痛みは自然における腐敗の徴候であり、人間はその全体の一部なのである。痛みは病気とはっきり区別されていなかった。すなわち一方は他方なくしては、排除できない。医師は劇痛を和らげることはできたが、耐える必要性を取り去ることは患者と関係をたつことを意味したのであろう。第三は、痛みは魂の経験であり、この魂は身体のすべての場に存在するのであった。痛みは欠陥、悪の直接的な体験であった。耐えるべき痛みそのものと区別される痛みの源泉はありえないのである。
 個人の問題として理解され、耐えるべきものとしての痛みに反対するキャンペーンは、デカルトが肉体と魂とを分離したときはじめて開始された。(略)
 デカルトにとっては、痛みは身体がその機械的統一性を守ろうと自己防衛する際の反応のシグナルなのである。こうした危険に対する反応は魂に伝達され、魂はそれを痛いと認識する。痛みは有用な学習の装置になり下ってしまった。(略)[p118>デカルトが科学的人間学の試みをはじめてから二世代の間に、痛みは有用なものになった。痛みは存在の不安定さの経験から、特殊な衰退の指標になったのである。
 前世紀末までに、痛みは自然の法則にしたがう身体機能の調整者になってしまっており、何らの形而上学的説明を必要としなくなった。(略)一八五三年までに、すなわち痛みが単なる生理学的な安全装置としてはじめて認められてやっと一世紀半になるかならぬかのうちに、「痛みを殺すもの」というレッテルをはられた最初のある薬が、ウィスコンシンのラ・クロッスにあらわれたのである。(略)そのときから、政治とは幸福を最大にするというよりは、痛みを最少とする活動であると考えられるようになった。その結果、[p119>痛みは本質的に医療団体の道具箱が無力な犠牲者に有利に用いられないという理由で、彼らに加えられる受身の出来事であるとする見方が出てきたのである。
 このような文脈においては、痛みに直面するよりは痛みから逃れる方が合理的に思われる。(略)痛みに対する感受性が次第に低くなれば、人生の素朴な喜び、楽しみを経験する能力も衰えるものである。(略)
 この生理学的に媒介された経験の高められた閾値は、医療化された社会の特徴とも言えるのであるが、このために今日では、痛苦に耐える能力の中に、健康の症状をみとめることが極度に困難になってしまった。病苦は責任のある活動であるという暗示は、快楽と工業生産物への依存とが合致している消費者にとっては、ほとんど耐えがたいことである。(略)[p120>
 つまり、痛みを管理することが、病苦に対する新しい種類の恐怖に代ることになる。すなわち、それは人工的な痛みのない経験である。(略)
 広島において原爆がなしたことは、痛みが医学的に「取り上げられてしまっている」社会の累積的な影響の理解の助けになるかもしれない。痛みは、もしそれが鈍化されれば、その関連する性格を失い、[p121>無意味で疑問の余地のない残りものの恐怖を生み出すであろう。

4 疾病の創造と除去
 フランス革命は二つの重大な神話を生み出した。すなわち、その一つは医師が牧師にとって代りうるということであり、第二は政治的変化とともに、社会は本来の健康な状態にもどるであろうということである。病気は公共の事件になった。進歩の名のもとに、病気は病める人々の関心の的ではなくなってしまったのである。
 一七九二年の数ヵ月間、パリの国民議会は、治療の官僚制を設け、病人のケアから平等、自由、博愛の出現とともに消失すべき運命にある害悪を取扱い、金もうけをしている医師たちの地位をいかに奪うか決定しようと努力を費したのであった。(略)[p123>
 さらに急進的なのは、貧困の排除のための小委員会をつくる提案であった。(略)
 病院を伝染病の巣と同一視することは流行しており、説明しやすいことである。(略)[p124>
 すべての病院のまったくの廃止を要求するものもあり、次のように発言したのである。すなわち、病院とは「病人に焼印をおし、必ず病気を悪化させ、悲惨さをはぐくむ場所である。もし社会が病院を依然として必要とするのであれば、それは革命が失敗したことのしるしである」と。
 ルソーの誤解は、病気をその「自然の状態」にもどしたいという願望の中にゆれうごいている。すなわち、自己規制力があり、勇気と品位をもって耐えられるし、貧者の家庭においても、ちょうどかつては富者の病気の世話がなされたのと同様に世話されるような「ありのまま(野性)の病気」に社会をとりもどす願望である。(略)ルソーの弟子たちにとって、病院の中でみられる病気は、他の形式のすべての社会的不公正と同様に人工的なものである。(略)社会を健康的に工学化しようとする計画は、文明の害悪を除去しようとする社会改造への要求とともにはじまる。(略)[p125>
 一七九〇年代の一般のレトリックの中には、生物医学的介入を人間もしくはその環境に加えるということは、まったく欠如していた。王政復古とともにはじめて病気の除去という任務が医学専門家に与えられたのである。(略)突然医師が救助者として、また奇蹟をもたらすものとしてあらわれたのは、新しい技術の有効性が証明されたからではなく、政治的革命がなしえなかった事業に信頼性を与える魔術的儀式への要求からであった。もし「病気」と「健康」とが公共の財源を要求するとなれば、これらの概念は操作的とならねばならない。(略)こうして病気は行政的管理に適応させられた。エリートの一部が支配階級からその制御と排除における自律性を委任されたのである。(略)[p126>
 コペルニクスが天文学に与えた優雅さを医学に与えたいという望みは、ガリレオ時代からのものである。デカルトはこの目的の実行のための座標をたどった。(略)この機械的な構造の範囲内で、痛みは赤いランプになり、病気は機械の故障となった。病気の分類が可能となったのである。(略)
 ガリレオの同時代人は病者に対して測定を応用した最初の人々であった。しかし、あまり成功はしなかったのである。(略)[p127>
 物理的測定法の使用が、病気が真に存在するという信仰、病気は医師と患者の知覚から存在の自律性を持つという信仰を準備した。統計の使用はこの信念を補強した。それは病気が環境の中に存在し、侵略し、人間に感染することを示したのであった。(略)
 一七、一八世紀においては、病者に測定を使用した医師は、同僚からやぶ医者だと思われていた。(略)
 医師の関心が病者から病気にうつるにつれて、病院は病気の博物館になった。病棟は、治療したいとおもう医師の目に自分の身体を提供する貧乏人でいっぱいになった。病院は研究し、「症例」を比較する論理の場であるとする認識は、一八世紀の末に近づくにつれて進展していった。(略)[p128>
 一九世紀のはじめには診断の場になっていた病院は、いまや教育の場にかえられた。やがて、それは治療実験のための研究室となり、次の世紀のかわり目には、治療に関わる場になることになる。今日では、隔離病棟は区画化された修理店になっている。このすべては段階をふんでおこってきた。(略)フランス革命をおしすすめた人々によって要求された病人のための専門化した病院は、医師が病気の分類を必要としたという理由で現実のものとなった。一九世紀の全期間を通じて、病理学は圧倒的に解剖学的異常の分類にかかわってきたのであった。やっと一九世紀の終りになって、クロード・ベルナールの弟子たちが、機能の病理のレッテルはりとカタログづくりをはじめた。病気と同様に、健康が臨床的地位をもちはじめ、臨床的症状の欠如ということになった。正常というものの臨床的基準は健康であることと結合したのである。
 普遍的基準にもとづく価値が二〇〇年以上にわたって次々と各分野において認識されなかったなら、病気が異常と結合されるということもなかっただろう。(略)[p129>
 一九世紀の最後の一〇年間に、病院のノーム(規範)とスタンダード(基準)とは診断と治療のための基本的なクライテリア(判断基準)となった。[p130>こうなるためには、すべての異常な徴候を病的であると考える必要はなかった。基準からの異常としての病気が、治療の方向づけを与えることで医療の介入を正当化するだけで充分だった。
 勃興から衰亡まで一世紀半ほど持続した病院医療の時代は終りに近づきつつある。臨床的測定が社会全体にはびこってしまっている。社会がひとつのクリニックになり、すべての市民は病人となり、いつも血圧を測定され、正常範囲「以内」に血圧を安定させられる患者なのである。現在すべての病院を混乱させている人力、財政、利用、管理といった急を要する諸問題は、病気の概念における新しい危機の症状なのである。それは真実の危機である。なぜならそれは二つの正反対の解決法を許容するものであり、その両者とも現在の病院を旧式なものにしてしまうからである。第一の解決法は、健康ケアのうんざりするような医療化をさらにすすめ、医療専門家の臨床的管理を健康人にまで拡大しようとするものである。第二の解決法は病気の概念を批判し、科学的に健全な非医療化を目指すものである。
 医学的認識論は、この危機的な健康の解決にとって、医学的生物学とか医学工学よりもはるかに重要である。このような認識論は診断と治療の論理的位置と社会的本性を明らかにしなければならないだろう。とくにまず第一に、精神の病気に対立するものとしての身体の病気についてである。すべての病気は社会的に創造された現実である。それが意味するものと、それがひきおこす反応は一つの歴史をもっている。この歴史を研究するならば、われわれの生育環境を支配していた医学的イデオロギーに、どれほどわれわれが囚われているかが理解できるようになるだろう。
 多くの著者は、精神的異常を「病気」として位置させることを非難しようと試みてきた。[p131>逆説的であるが、彼らは病気一般に関する同様の質問をすることをより困難にしてしまってきた。(略)彼らはみな論点を明らかにするために、「非現実」の精神病を「現実」の身体病と対比させるのである。彼らの意見によれば、現在医師によって研究されているすべての状態に適用されている自然科学の言語は、実際のところ身体病にのみ適している。(略)こうしたことは精神病には適用されないのであって、精神病の「病気」としての地位はまったく精神医学的判断にかかっている。(略)
 この反精神医学の姿勢は、精神的異常の病気としての性格を否定することで身体病の非政治的地位を合法化しているのであるが、西欧においては少数者である。(略)[p132>
 高度工業社会は、疾患の存在の認識論的正当さを保持しつづけるために、ひじょうに危険な賭けをしている。病気が人間を把えてしまう何ものかであり、人々が「つかまえたり」「手に入れる」何ものかであるかぎりは、こうした自然の過程の犠牲者は、自らの状態に対して責任をとる必要はない。(略)高度工業社会は、人々が自分のおかれた状況と闘う力をうばうがゆえに、病気をつくり出すのである。そして人々が倒れるとき、その社会は破壊された関係の代りに「臨床的」補綴を行うのである。(略)[p133>
 個人の身体に形成されると考えられる実体的な疾病の存在を医学的に診断することは、犠牲者を非難する隠秘で道徳的な方法とは無関係なのである。医師は、自分は支配階級の一員であるのだが、自分の仲間が人間という生体が適応できぬ状況をつくり出していることを批判するかわりに、個人が技術化され、専門家によって管理される状況に適応しないという判断を下すのである。実体的な病気はこのように政治的に好都合な神話の具体化として解釈され、その神話は、工業社会の個人の身体に対する要求に身体が反乱するとき、個人の身体の中で実体をもつのである。(略)
 診断が確信的であればあるほど、治療は貴重なものにみえ、人々が診断、治療の双方を必要とするということを納得させやすく、人々が工業の成長に反対することは少くなる。組合をもつ労働者は可能なかぎりの最もコストのかかる治療を要求するが、それは自分たちが税金あるいは保険に投入した金の幾分かをとりもどせるし、またそうすることで平等がつくり出されるという誤った喜びによるものである。(略)[p134>
 彼は医師が闘う無縁の実在について教えてもらうけれども、それは医師が医療的介入と環境の工学化において患者の協力をうるのに必要であると考える範囲内においてである。言語は医師によって引きつがれ、病者は自分の苦悩をあらわすための意味のある言葉をうばわれ、さらに言語的ごまかしによって苦悩は増大するのである。
 科学的卑俗語が身体に関する言語を支配するにいたる以前は、この分野における一般的な言葉のレパートリーは豊かだった。農民の言語が今世紀にいたるまで、これらの宝物の多くを保存してくれた。(略)要するに社会的に認容される言葉が次第にエリート専門家の特別の言語に依存する度合いが増すにつれて、病気は階級支配の道具になってしまった。(略)
 医療の有効性が一般の言語で査定されるならば、最も有効な診断と治療は素人の理解をこえるものでないようにおもわれる。事実、害よりは益を与えることが明らかである診断的および治療的介入の圧倒的大多数は二つの特徴をもっているのである。ひとつは、診断および治療ための物質的資源はきわめて低廉であり、[p135>パッケージされており、家族の成員が自分で使用できるということである。)略)もうひとつの特徴は、最も一般的に用いられている診断的、治療的補助装置の使用に必要な技能は非常に初歩的なものであって、自らケアする者がその使用法に注意深くしたがえば、いままでの医療において行われた以上に有効で責任ある使用も可能だ、ということだ。(略)
 効果的な現代医学の単純さに関する証拠が論じられるとき、医療化された人々は、ふつう以下のような異議を申し立てる。すなわち病人は不安をもち、合理的に自分に医療を加えることは情緒的に不可能であると。(略)これらの反論はすべて妥当なものである。ただし、もしこれらの反論が、消費者の期待がサービスへの態度を形成する社会、医学的資源が病院で使用されるために入念にパッケージされる社会、医学の有効性に関する神話が力をえている社会の中で提起されたらのはなしである。それは、技術の厳格な使用をほぼ各人の手のとどく範囲におくという個人的目標を効果的に狙う世界では有効性はないだろう。

5 死対死
  商品としての死
 どんな社会でも死についてのある主要なイメージがあり、それが健康の概念が何をあらわすかを決定してしまうものだ。こうしたイメージ、即ち不確実な時点において確実な事件がおこる事に対する文化的に条件づけられた予想、これらは制度的構造、深く根ざした神話、有力な社会的性格というもので形づくられるのである。ある社会の死についてのイメージは、その社会の成員の独立心、相互関係、自立心、活動性の水準を明らかにするものである。都会的な医学文明が滲透しているところではどこでも、死についての新しいイメージが輸入されている。このイメージが新しい技術とそれに対応するエトスに左右されるかぎりは、その性格は超国家的なものである。しかしこの技術そのものは文化的に中立なものではなく、西欧文明の中で具体的な形をとり、西欧のエトスを表現している。[p137>死に関する白人のイメージは医学文明とともに拡がり、文化的植民事業の主要な力であった。
 「自然の死」というイメージ、医療的ケアのもと、健康な老年期に訪れる死のイメージはごく近年のものである。五〇〇年の間に死のイメージは五つの段階を経過し、いまや第六の段階にかからんとしている。各段階はそれぞれ表現をもっている。(1)一五世紀は「死者の舞踏」、(2)ルネサンス期は骸骨人間の命ずるままの舞踏、すなわち、いわゆる「死の舞踏」、(3)アンシャン・レジーム(旧制度)における年老いた好色漢のベッドルームの場面、(4)一九世紀には結核と伝染病のさまよい歩く幻と闘う医師、(5)患者と死の間に割って立つ二〇世紀半ばの医師、そして、(6)病院における集中的ケアのもとの死。その進化の各段階において、自然の死のイメージは新しい一連の反応を引き出し、それは次第に医療的な性格を獲得してきた。自然の死の歴史は生の死に対する闘争の医療化の歴史なのである。
  死者の敬虔な舞踏
 四世紀以来、教会は裸の異教徒が墓の上で群をなして狂乱し、剣をふりかざし踊るという伝統に反対し、闘いつづけてきた。(略)死者とともにその墓の上で踊るということは、[p138>生きているという喜びの確認の機会であり、多くのエロティックな歌と詩の源泉でもあった。もっとも、一四世紀末にいたるまでに、これらの舞踏の意味は変化したように思われる。生者とすでに死せる者との交流から、それは瞑想的、内省的な経験に変形された。(略)
 原始的社会は、死を何か異質な作動者の干渉の結果であると考えた。パーソナリティを死の原因であるなどとは考えなかったのである。(略)[p139>一五世紀になってはじめて、このイメージに対する変化の時機が熟した。そして後になって、「自然の死」ともよばれるイメージが出現することになる。死者の舞踏は、この準備を表しているのである。(略)
  死の舞踏
 勧善懲悪劇の中で、死は新しい衣裳と役割をもってあらわれてくる。(略)[p140>死は、一生の間対面すべきものであったのが、一瞬の出来事に化したのであった。
 中世紀においては、永遠とは神の存在とともに歴史に内在するものであった。死は直線の時計の時が停まるときであり、永遠が人間と出会うときになった。(略)連続する時間が優位になるにつれて、その精確な計測といくつかの事件の同時性の認識に対する関心もたかまり、個人の同一性の認識のための新しい構造が工夫されたのである。(略)
 骸骨人間は木版画の初期の五〇年のタイトルページに堂々とのるのであるが、それは今日女性のヌードが雑誌のカバーにのるのと同様である。死は砂時計を手に持ち、塔の時計を打ちならす。(略)[p141>このようにして一六世紀の間に、死は次の世界への過渡期としてのみ考えられることはなくなり、人生の終りにアクセントがおかれることになった。(略)
 死がひとたびこのような自然の力となってしまえば、人々は死ぬ技術、技巧を学ぶことで死を自らのものとしようとするのである。『アルス・モリエンディ』は最初に市場にあらわれたハウ・ツーものともいえるが、その後二世紀にわたって多くの翻訳がなされ、ベストセラーとなった。(略)[p142>
 この本は僧侶とか苦行者のために書かれたものでなく、聖職者の奉仕が利用できない「肉体をもつ俗世の」人々のためのものだった。(略)
 一般人の信仰に関していえば、死後の生命に関して、新しい種類の関心が展開した。死せる肉体に関する幻想的な恐怖と、[p143>煉獄の芸術的表現とが数を増していった。(略)
 同時に民間医療行為が倍増したが、すべては人々が個人として死に威厳をもって対面する一助となるべく計画されたものであった。ある人間の病気が、死に近づきつつあるものか、あるいはある種の治療を受けることを必要とするものかを認識できるように新しい迷信的な工夫がなされた。(略)[p144>
 典型的な一五世紀、一六世紀の死にあっては、僧侶や医師に、貧者を助けることを期待するべきではなかった。原則的には、医療について記録した人々は、医師がなしうる二つの正反対のサービスを認めていたのである。医師は治癒を助けることもできるし、容易かつ速かな死の訪れへの助力も可能であった。(略)[p145>
 新しい死のイメージが人体を対象物にまでおとしめるのに役立った。これまで、死体は他の物体とはまったく異る何物かであると考えられてきた。死体も人間と同様の取扱いを受けていたのであった。法律が死体の立場をみとめていた。すなわち、死者もまた訴えたり、生者によって訴えられたりすることも可能であり、死者に対する刑事訴訟も一般に行われていた。(略)自然死の出現というものは、死体がその法律的立場の多くの部分を失うのに必要なことであった。
 自然死の出現は死と病気に対する新しい態度を準備し、一七世紀においては一般的な態度になった。中世紀には、人体は神聖なものであった。いまや医師の解剖刀は死体に近づくことが可能となったのである。(略)[p146>医師は解剖の知識を進歩させ、その技術を示す力を持っているのである。しかし知識も技術も病気を真に癒す能力の進歩とは、あまりに歩調がちがいすぎる。医学的儀式は、マカブル(無気味)になってしまった死によって生み出された不安と恐怖に方向を与え、抑えしずめるのに役立ったのである。(略)[p147>
  ブルジョアの死
 ブルジョア家族の興隆とともに、死における平等は終り、余裕のある者は死を遠ざけるために金を払いはじめたのである。
 フランシス・ベイコンこそ、人命をのばすことが医師の新しい仕事であると言った最初の人である。彼は医学の職務を三つに分けた。「第一は健康の保持、第二は疾病の治癒、第三は生命の延長」であるとし、特に第三の職務、生命の延長は新しい役割であり、欠陥はあるが、三つのうち最も高貴な仕事であるとして激賞した。しかし医学の専門職は、その後一五〇年ほどたって、そのためにはよろこんで金を払うという顧客がたくさんあらわれるまでは、この仕事に直面することをしなかったのである。(略)[p148>
 年をとることは、[p149>資本主義化された生を生きるひとつの方法となった。(略)隠退することをまぬがれることで「社会的な死」を除去する余裕のできたブルジョアは、若者たちを管理の下におくために、「子供時代」というものをつくり出したのである。
 未開の狩人たち、収集家たち、遊牧民は、普通老人を殺したものだった。(略)いまや家長は文字どおり理想とされたのである。(略)よろめく体を保たせるのに必要とおもわれる儀式に、老人が切望の念をこめて精を出すことがはじめて容認できることになり、また適切なことであるとされた。いまだ、いかなる医師もこの仕事にしたがってはいなかった。(略)しかし、新しい種類の自称治療者を生み出す一助となったのは、この特殊な要求だった。(略)[p150>
 「健康を気にする人」の役割はこうしてつくり出され、それと同時に、上品な老衰とともに現代の医師の経済力に対する一八世紀の基礎がおかれたのである。
 長く生き残る能力、死以前に隠退することを拒否すること、不治の状態においても医療の助けを求めること、この三つが協力して新しい病気の概念をつくり上げた。すなわち、老年がのぞむ新しい型の健康の概念である。フランス革命の前の時代に、これは富める者・有力者にとっての健康の概念になり、一世代たたぬ間に慢性病は若いうぬぼれ屋には流行となり、結核らしいという外見は早熟の知恵のしるしであり、暖い風土へ旅行しなければならないというのは天才の条件となった。(略)
 対照的に、貧者の病気については逆の判断がなされた。彼らの死因となった病気は治療の不可能な病気と定義された。これらの病気に対して医師が施しうる治療が、病気の進行に何らかの影響を与えうるかどうかは、[p151>まったく問題でなかった。こうした治療があまり行われていないということは、彼らが「自然の死ではない死」の宣告をうけているということを意味しており、それは貧者を無教育で非生産的であるとするブルジョアのイメージに適合している。その時以来、「自然の」死を死ぬ能力はある一つの階級のために予約されたのであるが、その階級とは、患者として死ぬ余裕のある人々である。
 健康は、どのような医療サービスがこの目的に必要とされても、時宜に適した死を待つ特権となった。(略)啓蒙時代は医師に新しい力を与えたのであるが、医師が危険な病気の結果に何らかの新しい影響を与えうるかどうかは確かめえないのであった。
  臨床的死
 フランス革命は死の医療化に短期間ながら空白期をまねいた。そのイデオローグたちは、時宜に適さぬ死は、三重の理想の上にたてられた社会にはないものだと信じた。しかし医師たちの新しく獲得された臨床的な眼が、死を新しい角度からみるようになった。一八世紀の商人は自分たちが雇い、[p152>金を払った山師の助けで死に対する見込みを決めたのだが、いまや、臨床家が大衆のヴィジョン(見方)を形づくりはじめたのである。(略)いまや、死は医師によって証明されたある特定の病気の結果となったのである。(略)
 ある特異な病気の結果を自己の思うままにしたいという医師たちの望みが、彼らが死に対する力をもっているという神話を生み出したのである。この専門職に与えられた新しい力は、臨床医に新しい地位を与えた。
 都市の医師が臨床医となった一方、地方の医師はまず座業者となり、地域的エリートの一員となった。(略)[p153>彼らは息子たちを都市に生まれつつあった新しい医学校におくり、息子たちは帰郷して、田舎の医師の役割をつくり出し、この状態は第二次世界大戦の時代まで変ることがなかった。(略)「時宜をえた」死がブルジョアジーの階級意識の形成とともに生じたが、「臨床的な」死は、新しい、科学的訓練をうけた医師の職業意識の形成から生まれてきたのである。こうして、臨床症状をもった、時宜をえた死は、中産階級の医師の理想となり、それはやがて労働組合の社会的目標に取り入れられることになる。
  労働組合の自然死への要求
 今世紀において、臨床的訓練をうけた医師の治療を受けながら死ぬことが、はじめて市民の権利であると認められるにいたった。(略)[p154>指導者の椅子に坐りながら、過労のため自然に消滅するという資本家の特権は、引退した後の健康サービスを求めるプロレタリアの要求に敗北したのである。(略)一生の間、制度的に医療ケアを与えることは、社会がその全成員に対して負っているサービスとなったのである。(略)
 臨床的な死における平等という法律的に妥当な要求は、労働者階級の中にブルジョア個人主義の矛盾を拡大した。自然死への権利は、医療サービスを平等に消費させよという要求になり、産業労働の害悪からの自由、自己ケアに対する新しい自由と力にはならなかった。(略)
 まず第一に、この新しい死のイメージは、新しいレベルの社会的コントロールを保証した。[p155>社会は各個人の死を防ぐ責任をもつにいたった。すなわち有効であろうがなかろうが、治療は義務となった。医学的治療をうけずに死亡した場合は、検死官が問題とするようになった。(略)
 死に対するわれわれの新しいイメージはまた工業的エトスにぴったり符合する。(略)すべての人々は生徒であるとされ、根源的な愚かさの中に生まれ、生産的生活を送る以前に八年の学校教育を必要とする立場に立っていたのであるが、今日、人々は生まれつき病人であるという印をつけられ、正しく生きようとすれば、すべての種類の治療を必要としている。(略)
 結局は「強制的ケアの下における死」は死の原因に関する最も幼稚な妄想の再登場をうながすことになる。(略)[p156>医師が人間性と死の間を歩もうと試みるとき、死は、すでに四〇〇年も前に彼が手に入れていた直接性と親近性を失った。すでに顔、形を失ってしまっていた死は、その尊厳をも失ったのである。
 医師?死関係の変化は、このテーマの画像学的な処理を見ていけば明らかになる。[p157>いまや患者ではなく、医師が死と闘うようになったのである。未開文化のように、死が勝利する時、誰かが非難されねばならない。この誰かはもはや魔女、先祖、神の顔をもつ人間ではなく、社会的な力として形成された敵なのである。今日、死に対する防衛は社会保障に含まれていて、犯人は社会の中に潜んでいる。[p158>この犯人は階級の敵であるかもしれない。労働者から充分な医療ケアを奪い、医師は夜の往診をことわるかもしれないし、多国間の利害関係は医療の値段をつりあげるかもしれない。(略)早期の、もしくは臨床的に必然でない死のすべてに対して、何者かもしくは誰かが無責任にも医療をおくらせるなり、妨げたとされるのである。
 二〇世紀前半の社会的立法の進歩は、このように産業的に刻印された死のイメージの革命的な運用なしには不可能であっただろう。(略)しかし、同じ種類の死に対して、平等な医療ケアへの要求は、一方、現代人が際限なく拡大する産業システムに依存する傾向を堅固なものにするのに役立った。
  集中治療装置のもとの死
 われわれの主要な制度は、[p159>「ヒューマニティ(人間性)」の側に立ち、死を扱う代理人とその仲間たちに対して闘う巨大な防衛戦争のプログラムを構成している。(略)
 マリノフスキーは、未開人の間の死は結合をおびやかし、それゆえグループ全体の生存をも危くすると論じている。それは、恐怖の爆発と自らを死から守ることの非合理的な表現の引き金を引くのである。グループの団結は、自然の事件から社会的儀式をつくり出すことによって救われる。その際メンバーの死は例外的な祝いの機会となる。工業の優位は、最も伝統的な団結の絆を分裂させ、しばしばばらばらにしてしまう。工業化された医療の非個人的な儀式は人類一体の代替物をつくり出す。[p160>それは病院における死を経済発展の目標として提起することで、「望ましい」死のパターンにすべての人々を結合させる。すべての人が同種の死に向うのが進歩であるとする神話は、「持たざる者」の醜い死を、現存する低開発の結果と見なすことで、「持てる者」の側の罪の感情を減じてしまうのである。そして低開発こそは医療制度をさらに拡大することで改められねばならないとするのである。
 もちろん、医療化された死は、高度に工業化された社会では、農業国におけるのとは異った意味をもっている。工業社会の内部では、日常生活への医療の介入は健康と死に関する支配的イメージを変えはせず、むしろそのイメージをふくらませる。それは医療化されたエリートの死のイメージを大衆にまで普及させ、未来の世代に対してさらにそれを再生産する。しかし、「死の予防」が消費者が敬虔な気持で病院における死の準備をしている文化的な文脈の外側で適用される場合、病院に基礎をおいた医療は必然的に帝国主義的介入の一形式を形成する。死の社会的政治的イメージがおしつけられるのだ。人々は健康と死についての伝統的ヴィジョンを奪われてしまう。文化に一貫性を与えている自己のイメージは解体され、ばらばらになった個人は高度に「社会化」された健康消費者のインターナショナル(国際的)大衆に統合される。(略)[p161>
 産業社会のすべての主要な儀式と同じく、医療もゲームの形態をとる。医師の主要な機能は審判の役割である。(略)
 死の医療化によって、健康ケアは一体化した世界宗教になり、その教義は義務教育で教えられ、その倫理的ルールは環境の官僚主義的再編成に適用される。(略)[p162>
 極端な形態の場合、「自然死」は人間という有機体が治療というインプットを拒否する点である。人々は脳波が平坦化したと脳波計が告げるとき死亡する。心臓が停止するからという理由で最後の息をしたり、死んだりしたりするわけではないのである。社会的に同意が与えられる死は、人々が生産者としてだけでなく消費者としても役立たずになったときにおこる。(略)
 伝統的に死から最もよく守られている人は、社会が死刑を宣告した人であった。社会は死への行列の中にいる人間が自ら首をくくるのではないかと心配したのである。もしも決まった時刻より前に彼が自らの命を奪うならば、権威は傷つくのである。今日では、自分自身の死の段階にたどりつこうとしている状態から最もよく保護されているのは、危機の段階の患者である。

IV 健康の政治学
6 反生産性
 もし医原病が、産業の社会に対する破壊的支配の一面として、またすべての主要な産業部門を覆っている逆説的な反生産性の一例として理解されさえすれば、それは抑制されるだろう。(略)現代産業のこうした特殊な反生産性に焦点をあてるためには、欲求不満を生み出す過剰生産を経済的重荷の他の二つの範疇――しばしば混同される下降する限界効用と負の外部効果――と明確に区別しておかねばならない。反生産性を構成する特殊な挫折を物価上昇、圧倒的な社会的費用から区別しておかなければ、技術的事業の社会的評価――それが運輸であれ、医療であれ、報道手段であれ、教育であれ――は費用対効果の勘定におわってしまい、これら種々の各部門の手段としての有効性に対する根源的な批判にはほどとおいであろう。[p166>
  限界非効用
 直接費とは使用料、労働、資材の費用、その他の対価を反映する。旅客一マイル当りの生産費用は、輸送をコントロールする人々の手に帰する利益のほか、車と道路をつくり、動かすための支払いを含んでいる。(略)
 「負の外部効果」とは、通貨の価格に含まれない社会的費用である。それは私が旅行する際、旅客一マイルごとに他人に与える重荷、不自由、迷惑、損害に対する一般的呼称である。(略)[p167>
 反生産性とは、個人的費用とか社会的費用とは別の何物かである。(略)外部効果は社会がこの消費に対してどれほど寛容であるかを示している。反生産性はこの取引きから生じた認識上の不一致の程度を測るものである。(略)現代の医療企業の医原的強度は、(略)挫折的な過剰生産が出現する痛ましい一例にすぎない。(略)基本的にはそれは技術的なミスによるものでもなく、段階的な搾取によるものでもなく、非工業的、非専門的な使用価値の発展に必要である環境的、社会的、心理的条件が工業によって破壊されたためにおこる。[p168>
  商品対使用価値
 過度に工業化された社会においては、人々は物事を自らなすというより、それをなすように条件づけられているのであり、自ら創造するものより自分が買うものを評価するように訓練されている。自ら学び、自ら癒し、自分で自分の道を見出すよりは、教えられ、動かされ、治療され、導かれることをわれわれは欲するのである。(略)治癒することは病者の任務ではなくなってしまった。それは初めは個々の身体の修繕屋の仕事になり、やがて人間的なサービスから名称のない機関の仕事にかわってしまうのである。この過程において、社会は健康ケア制度のために再組織され、自分自身の健康をケアすることはますます困難になってくる。(略)[p169>
 われわれの世界観もまた産業化されているために、これらの商品のひとつひとつが人間が自ら自由につくり出す市場にのらない使用価値と競合することがしばしば見のがされている。人間は見ること、行うことで学び、自分の足で歩き、自ら癒し、自分の健康に注意をし、他人の健康にも貢献するのである。こうした活動は市場化に抵抗する使用価値をもつのである。(略)
 具体的な社会的目標の達成は工業生産物によっても測定されず、その生産量によっても、またその分布曲線、社会的費用によっても測定されえない。各産業部門の有効性は、社会による商品生産とそれに対応する使用価値の自律的生産の間の相互関係によって決定される。(略)[p170>
 大多数の人々の需要のほとんどが、家庭もしくは地域内の生産様式で満足させられるとき、期待と満足の間のギャップは狭く、安定する傾向になる。(略)
 もちろん、自律的な生産も工業生産物で補われたのであり、工業生産物は直接的な地域社会の制御範囲外でデザインされ、また生産されることが多かった。(略)しかし、全面的に工業の肩をもつ社会が調整機能をもてば、それは邪魔され、価値をおとしめられるのである。自律的生産様式と他律的生産様式の間の共働はかくして負の色彩をおびてくる。社会が管理された生産様式に傾き、調整機能をもてば、窮極的に二つの破壊的側面があらわれてくる。すなわち、人々は行動よりはむしろ消費に訓らされてくるし、同時に行動の範囲が狭められてくる。(略)[p171>
 要求、満足が効果的かどうか評価される社会的基準は工業生産物の生産と市場化とを評価する計量とはなじまないのである。
 こうした計量は、主要な社会的目標の達成のために自律的様式が有効に貢献していることなどは無視してしまうから、全有効性が増加しているか減少しているかを示しはしない。(略)[p172>
  貧困の近代化
 反生産的な制度化によって最も傷つく人々は、金銭的な意味で最も貧しい人々ではない。価値の非人格化による典型的な犠牲者は、産業により富裕になった環境のなかの力なき人々である。(略)人を無能力にしてしまう依存性は彼らを現代的な貧困におとしいれてしまう。新しい意味の収奪を治療するための方策も無効なだけでなく、かえって事態を悪化させる。自律性を防御するよりは多くの生産物を約束することで、無能力化につながる依存性をつよめてしまう。(略)[p173>
 地域の住民の相互競争能力の全世界にわたる同程度な無能力化は、帝国主義に伴ない、また産業発展の今日的な変種とそれに同調する要因に伴って発達した。
 低開発諸国に新しい生産機械――それはその地域における有効性のためというよりは財政的有効性のためであり、素人ではなく専門家のみがコントロールできるものであるが――が侵入してくると必ず伝統と自律的学習は失格させられ、教師、医師、ソーシャルワーカーの治療への需要が生み出されてくる。(略)[p174>
 個人の需要を知ることが専門家の診断の結果ということになれば、依存性は痛ましき無能力へと変ってしまう。(略)
 人々は障害や苦痛とともに生活するという能力がなくなってしまい、それぞれ専門化したサービスを業とする人々によって、すべての不快を処理してもらおうと依存的になってしまっている。[p175>健康ケア産業の過度の拡張が累積した結果、人々は身体内部や環境内部の変化に挑戦し、反応し、それと闘う力を歪められてしまったのである。
 医療の過度の進展のもたらす破壊力とは、公衆衛生、種痘、保菌生物の管理、普及した健康教育、健康のための建築、安全な機械、初期医療における一般の人々の有能さ、歯科および救急の普及化などが、正当に選択された複雑なサービスとあいまって、自己ケア・自律性を養ってきた真に現代的な文化と必ずしも調和しないということをいっているのではない。個人と環境の間の関係に機械が介入し、それがある強度以下であれば、すなわち個人の行動の自由の領域にとって相対的なものにとどまれば、このような介入は生体が闘い自らの未来をつくり出す能力をむしろ高めるのである。しかしある水準を超えてしまうと、異質なものによる生命の管理は生体の重要な反応をまず制限し、びっこにし、ついには麻痺させてしまい、健康ケアに役立つはずであったものが特殊な形式の健康否定になってしまうのである。

7 政治的対応策
 一五年前であったら、医療それ自体が健康に対して危険であるというような主張をきくことはありえなかっただろう。一九六〇年代のはじめ、イギリスの国営医療サービスはまだ世界的に、特にアメリカの改革者の間であまねく評判がよかった。(略)[p177>
 六〇年代には多国家による、第三世界に対する楽観主義の輸出のための連合の興亡があった。(略)西欧医学が工業化されていない熱帯の病気を癒すであろうという西欧の信念が、当時最高にたかまっていた。(略)[p178>
 しかし一九七五年までに多くの変化がおこった。(略)生態学の運動が、健康は環境――食事、労働条件、住居――に依存するのだという意識を生みだし、アメリカ人は自分たちは殺虫剤、添加物、菌毒、そして環境の悪化による他の健康に対する危険物に脅かされているという観念をうけ入れるにいたった。(略)[p179>
 医師自身が自分たちのすることをうさんくさそうに見るようになっている。(略)
 患者たちも耳を傾けはじめ、改革を要求する運動や組織はますます増えつつある。[p180>攻撃は五種類の主要な批判にもとづき、三種類の改革に向けられたものである。(1)治療、サービスの生産は自己サービス的になってきている。消費者陳情団および消費者による病院委員会の管理が医師たちに彼らの商品を改善するよう強制すべきである。(2)治療の配分とサービス利用とが不平等で気ままになっている。それは患者の金と地位、あるいは社会的、医学的偏見(たとえば栄養不良より心疾患に余計の注意を向けるなどの)によっているのである。保健生産の国有化はこうした隠された臨床上の歪みをコントロールしなければならない。(3)医療ギルドの組織は非能率と特権とを永続化させている。一方専門家に専門家としての免許を与えることで、疾病についてより狭い専門的視点が養成されることになる。頭割りの支払いを制度的な免許と結合させることは、医師に対するコントロールを患者の利益と結合させることでなければならない。(4)ある種の医療の支配の結果、それに競合する他のセクトが与えうる利益が社会から失われてしまう。アルファ・ウェイブやエンカウンターグループあるいは背骨整調療法に対して公的な支持を増やすと、外科用の小刀、毒物を償い補完しなければならない。(5)現代医学の主要な推進力は個人――病める者であろうと健康人であろうと――である。住民と環境の工学化に対してより多くの資源を与えることは、健康のためのドルを増やすことになる。
 ここに提出された改革の政策は、ある程度まで過剰医療によって生み出された社会的コストを制御できるだろう。(略)[p181>しかしこれらの政策のすべては、もし慎重に行われなければ、医療によって生み出される外在性を減少させるにしても、医療の逆説的反生産性とその健康に対する負の効果をより一層増すという犠牲を払わざるをえないことになる。(略)
 以下の五つの節において可能な対応策を論じ、その相対的メリットを検討しようと思う。
  嗜癖者に対する消費者保護
 人々は自分たちが医療産業に依存していることを意識しはじめると、絶望的にまで把えられているという信仰におちいりがちである。(略)[p182>
 消費者(略)が、よりよい医療ケアを求めて団結するとき、彼らは自分たちの内臓・腎臓に対して何がなされるべきかを自分たちできめられないと誤って信じており、またその治療については医師に自分たちを盲目的にまかせてしまうのである。
 ティトマスは医療におけるコスト利益の計算の困難さを結論づけているが、特にこのことは、医療ケアが、かつて医師・患者の個人的関係だけから成立っていた時代の特徴を失いつつある今日では困難なのである。医療ケアは不確実で予見できないものである。多くの消費者はそれを望んではおらず、自分にそれが必要だということを知らないのである。そしていくらかかるかあらかじめ知ることもできない。彼らは経験から学ぶことはできない。供給する側を信頼し、[p183>よいサービスをうけられますといわれればそれを信用するほかはない。そしてサービスを売手にもどしたり、サービスを改善させるというわけにいかない。一度購入してしまえば、治療の最中に気を変えるわけにいかないのである。何が病気を構成しているかを定義づけることで、医療の生産者は消費者を選択する力をもっているし、生産物を市場に出し、もし必要であれば警察の介入によって消費者におしつけることもできるのである。生産者は不具者に対して強制収容所、知能発達遅滞者に対して収容所を売ることさえ可能なのだ。医療過誤の訴訟は、これらのいくつかの点において素人の無力感を和らげてきた。しかし具体的には、患者が知らされている医療についての意見にもとづいて治療を要求する決意を強めてきている。さらに事態を複雑化しているのは、医療サービスには正常の消費者は存在もしないし、存在するはずもないということである。誰一人として、どれほどの健康ケアが金銭面においても、努力の面においても自分に相応するかを知ることができない。さらにまた最も有利な形の健康ケアは医療生産者の手から買えるのか、旅行社から買えるのか、また夜勤を放棄することによって買えるのか、誰も知りえない。(略)[p184>
 異ったシステムが、医師が従事する特定の活動の経済的価値を合法化するために用いられてきている。(略)[p185>大部分の福祉国家では健康ケアの市場の組織化に政府が法律と奨励策によって介入する。(略)
 現在まで、医療健康ケアに対して合理的な政治的コントロールを加えようとする試みは、常に失敗に終ってきた。その理由は今日「医療」と呼ばれている生産物の本性にかかわるものなのである。それは化学物質・装置・建物・専門家のパッケージからできあがっていて、顧客に配達される。[p186>そして顧客や政治ボスではなく、配達する側がそのパッケージの内容を決定する。患者は修理される対象――彼の身体――へと還元されてしまう。すなわち彼はもはや回復するために援助をうける主体ではなくなってしまっているのである。もし患者が自らの修理の過程に参加するとするならば、修理工の序列の最下位の小僧として振舞うということになる。(略)
 消費者保護運動は、現在医学雑誌の中に埋もれている医学の非有効性に関する知識を政治の言語に翻訳するが、その運動が市民の自由のための連合へと発展し、質とコストの制御をこえて、商品を採用するか、しないかの選択の自由の擁護へと進むときにのみ、実質的な貢献をなしうるのである。[p187>
 どんな種類の依存も、自律的・相互的なケア、闘い、適応、治療の障害となるのであって、さらに悪いことには、人々を病気にする労働条件、家庭生活条件を変えることをさまたげる計画に化してしまうのである。医療複合体の生産物のコントロールがよりよき健康のためになるとすれば、そのコントロールによって全生産を把握しうる程度になることによってであり、提供された器機の技術的改善によるものではないのである。
  不法行為に対する平等の権利
 健康に関する最もありふれた、また明白な政治的争点は、医療への権利が不平等であり、富者が貧者よりも、有力者が無力者よりも恩恵をうけることの告発に基礎をおくのである。(略)多くの貧乏国では、少数者が多数者より多くを得ることが社会的にあらかじめ決定されているが、それは少数者が金持ちであるというよりは、彼らが軍人や官僚の子であるとか、大病院の近くに住むという理由による。豊かな国では、少数異民族は権利を与えられていないが、それは一人当りの金額に直せば、分け前が少ないからではなく、[p188>彼らが必要とするように教えこまれたよりも実質的に少なくしか得られないからである。(略)さらに悪いことは、老人は、もし貧乏で「施設」にとじこめられているなら、医師からのがれられないのである。これらと同様の理由で、政党は健康への願望を、医療を平等に利用する権利に変えてしまう。政党は、通常は医療システムが生産する商品については問わず、特権者のために生産されたと同じものをすべての人々が手にする権利があると主張するのである。(略)[p189>
 全人口に有効な基礎的保健サービスを与えることは、もしも社会的、経済的、医学的な理由で何人もが特別の治療を受けないならば、安いものである。貧乏国において、平等がまず第一とされ、サービスが有効な基本的医療に限られるならば、全人口は現代の健康ケアの非医療化を分けあい、自己ケアの技術と自信を深め、国家を社会的医原病から防衛することになる。
 豊かな国家では、健康の経済は多少異ってくる。一見したところ貧者に対する関心が全保健予算の増加を要求するように思われる。しかし、より多くの人々がサービス制度によるケアに依存するようになればなるだけ、公平を平等な利用・平等な利益とを同一視することは困難となってくる。(略)[p190>この制度的ケアの利用における公平対平等の闘いは、すでに教育において闘われたものであるが、いまや医療の分野においても形づくられつつある。しかしながら教育と比較した場合、健康の問題は利用しうる証拠にもとづいて容易に解決できるのである。健康ケアの一人当りの出費は、合衆国の最も貧困な地区においてさえ、ケアが医原性をもつ基礎ラインをすでに超えていることを示している。富める国においては、貧者に対するサービスの全予算は、もし自己ケアを強化する方向に用いられれば、充分以上のものである。現在サービスをあまり受けていない人々にのみ限っても、よりサービスを受けやすくすることは、専門家の幻想と不法行為の配布を平等化するだけだろう。
 健康に対しては、自由と権利という二つの側面がある。とりわけ、健康な人が自分の生物学的状態と身近の環境条件に対してコントロールを加える自律性の領域を決定する。こうした意味において、健康とは生きられた自由の程度と同義になる。まず第一に法律は、自由としての健康の平等な分配を保証しなければならず、自由はまた組織された政治的努力のみが達成しうる環境条件に左右される。ある水準の強度をこえると、健康ケアは平等に分配されても「自由としての健康」を窒息させるだろう。こうした基本的意味において、健康ケアは、秩序ある自由の問題である。この概念の中に、ある事柄をするという譲渡しえない自由の優先的地位が含意されているのであり、ここにおいて市民の自由は市民の権利と区別されなければならない。政府からの抑制なしに行動する自由は、市民の権利――人人がある商品とかサービスを平等に受けとるために国家が保証せんと制定する市民の権利よりも広い領域をもつのである。[p191>
 市民の自由は、通常は他人に私の願望を達成させようと強制するものではない。政治に関するかぎりは、自分の意見を自由に公けにすることはできるが、だからといって新聞がその意見を印刷する義務があるということにはならない。(略)同時に、自由の保証者としての国家は、その国民がそれなくしては彼らの自由を享受しえない平等の権利を保護する法律を制定することができる。そうした権利は平等に意味を与えるのであり、政治的な自由は自由に形を与える。話す自由、学ぶ自由、癒す自由を絶滅する一つの確実な方法は、市民の権利を市民の義務に変えることであり、それを制限することである。自らを教える自由は教育過剰の社会では短縮されるが、それはちょうど健康ケアの自由が過剰の薬物使用によって窒息させられるのと同じである。経済のどの部門も、より高価な平等の水準のために自由が圧殺されるほどにまで拡大されるのである。
 われわれはここで医療活動の管理、配置、組織の政治的、法的制御によって、社会的医原性の効果を癒そうとする運動について論じている。しかしながら医療が公共的な有用性の問題であるかぎり、二組の制限に優先権を与えないかぎり、いかなる改革も有効ではありえない。その第一は、だれもが要求しうる施設による治療の量とかかわるものである。すなわちだれもが、彼が受ける治療のために他人がそれよりも金のかからない治療を、同じ社会資源から受ける機会を奪われない限度でしかサービスを受けないということである。(専門家の判断によるのではなく)自分の判断により、他人が相当な緊急性をもって要求する治療の機会を奪ってはならない。逆に、いかなる治療も本人の意志に反して加えられてはならない。[p192>つまり、何人も同意なくして健康の名のもとに、とらわれ、収監され、入院させられ、治療され、あるいは他の方法によって妨害されることがあってはならないのである。第二の制限とは、全体としての医療企業にかかわるものである。ここでは、自由としての健康という観念は健康サービスの全生産量を医原性以下の限界――すなわち保健の生産の自律的・他律的様式の共動作用を最大ならしめる限界内――に制限されなければならない。民主的社会においては、これらの制限は公平の保証なしでも、平等な利用なしでもたぶん達成しえないのである。そうした意味では公平の政治学は健康に対する有効なプログラムの必須の要素になるのである。逆に、もしも公平という問題が全生産量の制限に結びつけられず、またもしもそれが施設による医療ケアの拡大を償うものとして利用されないならば、それは無駄なものとなるだろう。
  専門家マフィアに対する公的なコントロール
 非健康的な医療に対する政治的治療法の第三のカテゴリーは、医師がいかに仕事をするかということに直接焦点を合わせる。医療組織に一般人のコントロールを加えようとする試みは、消費者の擁護や、公平な利用の立法化と同様に、それが特別の戦術から一般的な戦略に変化するとき、必然的に健康否定的効果をもつのである。(略)[p193>[p194>
 患者の関係者が全人口の諸要因を上まわって増加するにつれ、医学情報、保険、患者防衛に関係する職業はとめどなく倍増していく。もちろんのこと、医師はこれらの封建制の領主であり、これらの疑似専門家の仕事の内容を決定する。しかしある程度の自律性がみとめられるにつれて、医療の召使い、門番、歩兵、騎士の専門化したグループも自分たちの仕事を評価する力を獲得するのである。自分たちの現実認識に適合する特別の判断基準によって自己評価する権利を獲得することによって、各専門家はその仕事が患者の健康にとって現実にどのような貢献をするかを社会一般が評価することに対して新しい障害物を生み出すのである。組織化された医療は、治療すべきものを癒す技術であることをやめてしまい、救いなき者を慰めることは救済と関わる怪奇な司祭の仕事にかわり、それ自身にとって律法となってしまった。医療の試みに対してコントロールを公衆に約束する政策は、その目的のためには工業ではなく、教会をコントロールすべきだという事実を見のがしているのである。
 何ダースもの具体的な戦略が現在論じられており、医療産業を自己サービスするものではなく、より健康にサービスするものにする提案がなされている。(略)[p195>
 これらの提案のどれもが医療の能率を高めるであろうが、それは社会の健康ケアの有効性をさらに衰亡させるという犠牲をともなうものだろう。(略)
 新しい位階、学位、カリキュラム、役割、下位の専門職を設けることが、有効な治療法になるかどうか疑わしいのである。病院は高度技術社会の労働経済を反映しているにすぎない。すなわちトップには国際間に通じる専門家、中位には官僚制、底辺には亡命者と専門化された平民からなる新しい半プロレタリアートがいるのである。[p196>
 拡大しつつある医療テクノクラシーをコントロールすることは、患者の専門化ということと同じである。すなわち両者がともに医療のパワーを高め、ノシーボ効果を増加させる。病人の役をふりあてるという専門家の独占に、一般大衆が頭を下げている間は、患者を倍増させる隠れた保健ヒエラルキーを制御しえないのである。何が病気を構成しているか、誰が病気か、彼もしくは彼女のために何がなされるべきかを決定する際の独占を制限し、崩す法律が使用される時だけ、医療聖職は制御されうるのである。
 医原性に対する非難を誤った対象に向けることは、健康ケアに一般大衆の制御を及ぼすことに対する最も重大な政治的障害となる。医者に対する非難を根底的な様式にしてしまうことは、新しい健康意識によって燃料補給をうけている政治的危機をのがれる最も確実な方法であろう。もしも医師が顕著な犠牲の小羊になれば、だまされやすい患者は自分たちの治療に対する貪欲さの故に非難されずに済むことになろう。(略)[p197>[p198>
  生命の科学的組織
 医学が応用科学であるという信仰は、医原病に対する第四の種類の対応策を生み出すが、それは必然的に健康に関する専門家の無責任な力と医学の及ぼす破壊性をも増強させる。(略)[p199>医学が一般の科学であるかのようになされる研究、患者があたかも自律的人間でなく特殊な症例であるかのように行われる診断、そして衛生面の技術屋によって施される治療、この三者こそが現在の健康否定の風土を形成しているという事実を見のがしているのだ。(略)
 技術から科学へと転換することによって、医師の団体は、実際的な技術を用いる熟達者を導くために、確立された法則を現実の病める人間のために応用する職人のギルド(組合)の色合いを失ってしまった。それは、科学の法則と方法とを医学上の症例の全範疇に適用する官僚的管理者の正統的な団体になってしまった。言いかえれば、臨床の場は実験室に変ってしまった。(略)[p200>
 明らかなことは、患者がよりよく制御されればされるだけ、この種の医学の試みにおいては結果は予見しうるものになるということである。(略)医科学者によって適用される医科学は正しい療法を提供するが、その療法が治療に結びつこうが死を招こうが、あるいは患者にまったく反応がなかろうが、おかまいなしである。それは統計表により合法化され、ある頻度でもって三つの結果を予見する。(略)[p201>
 実験室における操作的検証は科学の尺度であるのに反して、過去の経験を現在の論点に応用するために陪審に訴えようとする敵の論証は、政治の尺度なのである。純粋で正統的で確実であるとされる医科学への要求は、科学によって測定しえない実体を公的に認知することを拒否することで、その実地応用をすべての政治的評価から保護してしまうのである。
 科学の言語に対して一般の言語以上に宗教的ともいえる好みをもつことは、専門家の特権に対する保護である。この特殊化された言語に医学についての政治的議論を荷わせることは、その有効性を無にしてしまう。
 医療の非専門化とは、技術的言語の追放を意味するものでもなく、真実の有能さを排除することでもなく、医療過誤を大衆的に検討し暴露することに反対することでもない。そうではなく、それは一般大衆を煙に巻くことに反対し、自分たちで任命しあう治療者のお互いの信任に反対し、医療のギルドと制度に公的支持を与えることに反対し、さらに個人もしくは地域社会が治療者として選び指名した人々による、彼らに利する法的な差別に反対する傾向をいうのである。医療の非専門化は治療の目的のために公的資金を使用することを拒絶することではなく、ギルドの成員の処方、制御の下に公的資金を支払うことに反対する傾向である。それは現代医学を廃絶せよということではない。それはどのような専門家にもある患者にだけ他人以上に多くの治療用資源を浪費させないということなのである。(略)[p202>医師がグループ内で免許を与えられないようにしようという提案は、彼らのサービスを低く評価しようということではなく、その評価を、仲間だけでなく知識ある患者によっても効果的に行えるようにしようということである。医療という魔術の高価な技術的装置に直接資金を与えるなということは、医療という儀式の司祭者による搾取に対して、国家が人民を保護してはならないということではない。こうした儀式をでっちあげるのに税金が用いられてはならないということなのである。医療の非専門化は神話の仮面をはぐことであるが、その神話によれば、技術の進歩は科学の原理を応用することで人類の問題の解決を要求するのである。それは、労働の専門化の増強と秘法の操作の倍増によって利益は上るという神話であり、また人間が非人格的制度に接近する権利に依存することの方が、お互いに信頼するよりよいことであるという神話なのである。
  プラスチック子宮の工学
 今まで私は現在の医学?産業複合体の制度的構造に向けられた四つのカテゴリー批判について論じてきた。それぞれの批判は特定の政治的要求を提起し、すべての批判は、医療の官僚制が治療の計画と工学の一形式として健康ケアを取扱うという理由で、人民の医療官僚制への依存を深めるものになってしまっている。それらは病める人々と、病気に脅かされている人々の生活に、外科的、化学的、[p203>行動的介入をしようとする戦略を示しているのである。第五のカテゴリーの批判は、これらの目標を排除するものである。これらの批評家は、医学を工学的努力であるとする見方を放棄することなしに、次のように主張する。すなわち、医療の戦略は失敗するだろう。なぜなら、あまりに病気にのみ努力を集中し、人々を病気にする環境を変化させることに努力していないからであると。
 臨床的介入への対案となる研究の大部分は、人間の社会的・心理的・物理的環境を専門的に変える工学プログラムを目指している。(略)[p204>
 患者中心の医療から環境中心の医療への転換は、二つの不吉な結果を予想させる。ひとつは、異常のいくつかの異ったカテゴリーの間の境界感覚が失われることであり、もうひとつは全面的治療への新しい合法性が生まれるということである。医療ケア、工業の安全性、健康教育、精神的再条件付け、これらは人間を工学システムに適合させるために必要とされる人間工学の別名なのである。健康をとどける制度が、しばしばそれに対する要求を満足させえないので、いまや病気と分類される条件は、やがては犯罪者的異常とか非社会的行動といった形相をおびてくるかもしれない。アメリカ合衆国内の受刑者に用いられている行動療法、ソビエトの精神病院における政治的反対者に対する監禁は、治療専門家の統合の方向を示しているように思われる。すなわち、医学的治療か、教育的治療か、または他のイデオロギー的根拠によって行われる治療かの境界が次第にぼやけていくのである。
 一般の人々が医学を評価し、環境工学の夢によって生み出された怪物への幻想を打ちくだく時がきている。もし現代医学が、人間はフィール(感じた)り、ヒール(治療)したりする必要はないということを目的とするのであれば、生態医学はプラスチックの子宮への疎外された願望を満たすことを約束するだろう。

8 健康の回復
 動物は自然環境の変化に反応しつつ進化し、それを通じて適応していく。人間の場合においてのみ、挑戦は意識的なものとなり、扱い難い人々や威嚇的な状況に対する反応は、合理的行動と意識的習慣の形をとることになる。(略)[p206>人間は、自分の限界に気づいた時に諦めることができるし、そうしなければならぬ唯一の存在なのである。(略)
 しかし、自然と隣人とは人間が闘わねばならない三つの戦線の中の二つにすぎない。運命が威嚇的な姿をとる第三の戦線は、常に認識されてきた。人間は神話が形成し、かつ支配してきた夢よりも長生きしなければならないのである。いまや社会は、その成員の中の最も才能を与えられた人々の非合理的な願望と闘うための計画を発展させなければならない。(略)神話は、神々を才智でやりこめようと試みるごく少数の者に災危を保証した。(略)人間の条件に反抗する者のみが、ネメシス、すなわち神々のねたみの犠牲となるのである。[p207>
  工業化されたネメシス
 ネメシスの社会的な本性は、今日では変化している。(略)[p208>大衆に対するネメシスは今日では工業の進歩の不可避的な反動なのだ。(略)
 うけつがれてきた神話は、もはや行動に限界を設けることをやめてしまった。(略)工業の発展に対して政治的にうち建てられた制限が、神話による境界に代らなくてはならなくなるだろう。(略)
 ネメシスは構造的かつ風土病的になっている。(略)われわれの圧倒的な苦悩、絶望、不公正は、よりよい教育、住宅、食事もしくは健康をもとめるための戦術の副作用ともいうべきものが大部分である。(略)[p209>
 価値のある部分以上が工業的方法によって作られる場合、生存活動は麻痺し、公平さは衰退し、満足感の総体は減少するのである。(略)工業のヒュブリス(傲慢)がある水準をこえると、ネメシス(報復)がはじまる。なぜならば、進歩は魔女の徒弟のほうきのように追放するわけにはいかぬのである。
 工業の進歩を擁護する人は、もし彼らが進歩の値段を計算できると自負するなら、盲目というべきか、腐敗しているというべきであろう。ネメシスの結果である不法行為は、決して補償することも、[p210>計算することも、清算することもできない。(略)古典的ネメシスは、特権の性急な悪用に対する罰である。工業化されたネメシスは、伝統的神話、もしくは新しい合理的自己抑制によってチェックされない夢を追求することに、義務として参加したことに対する報復である。(略)[p211>
  受けつがれた神話から敬虔な処置まで
 未開人は、象徴的次元の力を常に認識してきた。(略)[p212>今日では、何世代かの忘却の後に、自然の有限さが再びわれわれの意識に侵入してきている。宇宙の有限さは、操作的調査の対象であるが、私の考えでは、この危機の瞬間に、自然の神話的な神聖さを現代化するようないまの生態学的イデオロギーにのっとって、人間行動に限界を見出すのは重大な誤りだろう。生態?宗教の技術化は、伝統的ヒュブリスの戯画になろう。ポスト(後)・工業の人間の自律性が公平に保証されうる処置についての広範囲の意見一致のみが、人間行動に必要な限界の認識へとわれわれを導くであろう。
 すべての倫理に共通なのは、人間の行為は人間の条件の範囲内において行われるという仮定である。(略)
 しかし、現代のように工業化された時代においては、人間行動の対象のみならず、本質まで新しいのである。(略)規範となる「人間の条件」の喪失は、ただ単に人間の行為に新しさを導入したのみでなく、行動する枠組みに対する人間の態度にも新しさをもたらしたのだ。もしこの行動とその枠組みが、聖なる性格を奪い去られた後にも人間的でありつづけるのであれば、それは新しい命令の中に容認される倫理的基礎を必要とする。[p213>この命令は以下のようなものとしてのみ要約することができる。「あなたの行動の結果が純粋な人間生活の永遠性と両立しうるように行動せよ」。具体的に適用された場合、以下のような意味になろう。「この行動があなたの孫に影響を与えないことがはっきりしないかぎり、放射能の水準をあげてはいけない」と。このような命令は「純粋な人間の生活」というものが無限にあいまいな概念である間は、公式化できないのである。
 聖というカテゴリーを取りもどすことなしに、人類がこの新しい命令の極端な紀律を受け入れることができるような、唯一の倫理に到達することは可能だろうか。(略)しかしながら、聖なるものにたよることは、現在の危機において妨げられてきた。信仰にたよることは信じる者に逃避を与えるであろうが、それは倫理的定言の基礎とはならない。(略)[p214>
 工業化社会の限界を、共有の福祉を目指し、警察力によって強制されなければならないような、実在する信念の共有化体系の上に基礎づけようとするのは不必要でもあり、たぶん可能性もないことだろう。(略)
 どのような価値の主要領域においても、工業生産の拡大がある点を超えると、限界効用は公正に分配されなくなり、同時に全般的な有効性も下降しはじめることは証明されうる。(略)配分と関与が公平であることに価値をみとめようとする政治的処置は、[p215>生態学的イデオロギーの影の全般的管理の増大に対する唯一の合理的な答えである。
 個人的自律性の回復は、こうして倫理的覚醒を強化する政治行動の結果となるだろう。(略)
 自律的行動の回復は、人々が共有する新しい特定の目的によるのではなく、個人個人と各グループとが異った目標を追求する際におこる葛藤を、解決にみちびくような法律的・政治的処置を用いることによる。(略)[p216>
  健康への権利
 現在の工業の拡大には、すべての分野においてますます増えつつある回復不能の損害がつきまとっている。医療においては、これらの損害は医原病としてあらわれている。(略)
 医原病を減少させるために社会工学者や経済学者によって現在提案されている治療法の大部分は、さらに医療的コントロールを増加させようとするものである。これらのいわゆる治療法なるものは、以上の三つの危機的レベルの各段階で第二次の医原病を生み出す。すなわち、臨床的、社会的、文化的医原性を自己強化させるのである。
 医療的技術構造の最も深い医原的影響は、その非技術的機能の結果である。その非技術的機能は、価値の制度化の強化を支えている。制度的医療の技術的、非技術的結果は合体し、新しい種類の苦悩を生み出す。(略)[p217>医療のネメシスは測定できないが、その経験は共有できる。その経験の強さは、個々人の独立性、活力、関連性によるのである。
 ネメシスの認識は選択につながる。人間の努力の自然的限界は、評価され、認識され、政治的に決定された限界の中に転換されるか、計画され、工学化された地獄の中での強制的な生存が絶滅に代るものとして受け入れられるかのどちらかである。(略)医療のネメシスの経験に直面することが多くなるにつれて、新しい意味がこの二者択一に与えられた。すなわち社会は、その成員全員が平等な自由に対する保証を見い出せる中で生産される商品に対する厳格な限界を選ぶか、もしくは福祉官僚が、人々の要求であると診断するものを与えてくれるという前例のないヒエラルキーによる管理を受け入れねばならなくなるかである。
 いくつかの国では、大衆は自国の健康ケア・システムを見直そうとしている。将来の議論が現在欲求不満を与えつつある生活の医療化を強化し、ネメシスを高めるのではないかという深刻な危険があるとしても、関心が医学的ネメシスに集中し、健康ケアに対する個人的責任の回復が重要な争点となり、専門分野における独占の制限が立法の主要なゴールであるとなれば、議論にはまだ救いがあるだろう。(略)[p218>
  徳としての衛生
 健康は適応の過程を示している。それは本能の結果ではなく、社会によってつくり出された現実に対する自律的ではあるが、[p219>文化的に形成された反応なのである。(略)
 健康は各人が責任をもち、他人に対して部分的にのみ責任をもつ過程を示している。(略)人は他人に対して責任をもつと主観的に感じるときだけ、彼の失敗の結果は批判、中傷、罰というものでなく、遺憾、自責、真の後悔となる。(略)健康は課せられた仕事なのだ。だから、動物の生理学的バランスにたとえるべきものではない。(略)これらの個人的活動は個人が成長した環境の文化によって形成され、条件づけられている。(略)[p220>
 公衆衛生のレベルは病気と闘う手段と責任感が、全人口の間にどのくらい普及しているかという程度に対応する。この能力は、人々の生活に医療が介入することによって、あるいは環境の衛生的な特徴によって高められるが、それによっては置きかえられないのである。最低のレベルまで専門家の介入をおさえている社会は、健康のための最善の条件を準備するだろう。自己と他者と環境に対する自律的適応の潜在能力が大きければ大きいほど、適応を管理する必要性も少くなり、我慢もしやすくなるのである。(略)
 人間によって意識的に生きられている脆弱さ、個性、関連性は、痛み、病気、死の経験を人生の不可欠の部分にする。この三者と自律的に闘う能力は、彼の健康に対して基本的なものである。彼が自分の内奥のものを管理にまかせるとき、彼は自律性を手放し、彼の健康は衰えざるをえない。現代医学の真の奇跡は悪魔的である。それは単に個人だけでなく、すべての人を、個人的健康の非人間的なまでに低いレベルで生かしておくということである。医療のネメシスは、各人が自律性の中で闘い、それを破壊することで終熄する機会を、改善し平等化するために発足した、社会組織の負のフィード・バックなのである。


■言及

中川米造, 19770215, 『医の倫理』玉川大学出版部.
(p186)
 このように医療が経済学と相性が悪く、経済性あるいは功用主義を貫くことができないとすれば、予防と医療を経済性において比較するのも、あまり説得力はないといわなければならない。
 一般には、予防は治療は勝るという。そして事実のうえでも、予防の国民の健康向上に果たしてきた役割は、個々の治療にまさるということも、ほぼ納得できる。しかし、これらを、比較して優先順位をつけることができるかどうか。最近は、治療医学の限界を明らかにしようとする論文や著書の数も多い(*46)。医療資源の無制限な膨張に歯止めをかけ、経済的に罹病率を下げることができれば、国民の経済的負担の軽減とあわせて、まことに望ましい事態だと考えられるが、医療のことは、金銭ずくの計算では割りきれないのである。これをニューヨーク市立大学医学部のベンジャミン・フリードマンは「倫理的コスト」という言葉をつかい、このコストは、医療において高いと敢てのべている(47)。
 現実に苦しんでいるものに対する費用と、そのような苦しみをおこさないために支出する費用とは、たとえ後者の方が安いとしても優先準位は前者にある。数人の病人が同時に診療を要求する場合、優先順位は、重症者からというのが、昔からの医療倫理の原則であった。もちろん、これも厳密には、診察をしてみなければ重症度の判別はできないという反論も可能であるが、一応外見的な重篤度が基準となる。重篤度は緊急度に対応するからである。

 (*46)Illich, I., Limits to Medicine. Open Forum Marion Boyars London, 1976.

(pp191-193)
 健康保険による医療報酬の支払い方式は、各国ともかならずしも同一ではないが、日本のように、それぞれの診療行為を点数化し、医療の現物を給付し、患者は医療費を直接患者から受とるのでなく、健康保険の基金から支払いをうけるという方式では、つぎのような矛盾がおこる可能性がある。
 個々の医療行為は、患者の状態により、種々のバラエティがある。これを点数化するためには、一応平均的な状態を基礎にするのであろうが、いったん決められると、いくつかの治療法の選択が可能な場合、点数の高い方法へ選択が集中する。
 また、点数制は、原価計算のしやすいものならばよいが、医療行為の多くは、原価計算の困難なものがある。患者との問答、療養指導をどのように原価計算をすればよいのであろう。また、根拠を欠きながら、点数化すると、たちまち形骸化する。療養指導にしても、患者の理解度に応じて説明を変えることよりも印刷された療養指導書の必要事項に印をつけて手渡すということになりがねない。形式的には、口頭での説明よりは、指導表という証拠がある方が確実である。といって実効については、保障の限りではない。
 患者が直接医療費を支払わなくてもよいということから、患者側は、たとえ、それを服用しないにしても、できる限り多くの薬剤を処方されることが心丈夫でもあろうし、あまり、生理的にも負担にならないのであれば、できる限り、多面的に検査をうけておく方を望ましく思うであろう。とくに処方とか検査は原価計算もしやすいというので、医師側も診療において、その方向に傾くことを否めないであろう。
 加えて、出来高払い制にあっては、診療のために手数を増すほど、つまり、もっと具体的にいえば、[p192>回復がおくれるほど、医師の収入は増えるというパラドクスが生ずる。手ぎわのよい診療で、必要最少限の検査と処置で、速やかに治癒せしめる医師は、かえって収入が減るという矛盾がおこるのである。
 したがって、進歩しつつある医療技術を常に吸収して、診療に役立てる、いわゆる生涯教育への想意は、すくなくとも、医師の収入面で助長されることはない。ただ、より多くの収入を可能にする新薬や検査器機の導入への関心だけが助長される。
 医師も患者も、医療費について、あまり意識しなくてもよいことは、医療の経済的障壁を低くして、利用度をたかめるのに役立つが、利用度だけが急激に増加すると、ますます、合理的、経済的な医療形式に比重が増大するのも避けがたい。
 そこへ、営利性の追求を一義的な使命とする、医療企業、医療器機企業が接近し、それぞれの製品の市場拡大をはかるために、医療方法について誘導をはかる。徹底することは困難であるにしても、非営利性を旗印にしていた医療経営は経営基盤の確立(営利追求)の大波に流されることになる。
 公共的利益が優先すべき、国公立病院ですら、独立採算を強制されているために、営利性の追求にはとても及びもつかないが、すくなくとも不採算医療を切りすてることによって合理化をはかろうとしている。救急医療、難病、老人医療リハビリティションなどは、国公立病院こそ率先しておこなわなければならないのに、辞退しているところが大部分なのである。
 ちかごろ欧米各国語に翻訳されて注目をうけているメキシコの思想家イワン・イリッチは、現代社会における医療を『医療のネメーシス』というタイトルの著書において、三つの医原病に関連させて[p193>分析している。その一つは、一般的にいわれている臨床的医原病で、検査や治療など、直接医療行為が原因となっておこった障害をいう。二番目は、彼が社会的医原病と名づけたもので、医療が組織化され、高度化され、官僚化され、さらに社会制度の中で、保健問題が医師たちによって独占される状況ができることによって国民が医療に禁断症状を呈し、それから離されることに大きな不安をいだく状態をいう。そして、三番目は、彼が文化的医原病と名づけた状態で、国民が健康を守ることについて自主性、主体性を消失し、ひたすら医療への依存性を強化する状態をいう。人間の尊厳や自由も消退し、ただ医療機能の拡大をのみ強く要求するようになる。
 そして、その医療は、臨床的医原病の原因となっているために、病人を増やすことにしか役立たないという。
 健康を回復し、また維持することが基本的人権からの要求となっている現在、この要求は政治化し、政策化せざるをえない。各国とも、その実現に努力はするものの、どのような施策をとるにしても、解決はえられないと断言する。イリッチの医療批判は、あまりにも悪罵がはげしく、現在医学のメリットを一切認めない破壊的な主張であるため、多数とりあげられた書評でも、手きびしい扱いがなされているが、そのことが逆に注目を集めるという状態である。


Kleinman, Arthur, 1980, Patients and Healers in the Context of Culture : An Exploration of the Borderland between Anthropology,Medicine,and Psychiatry,University of California Press(=1992, 大橋英寿・遠山宜哉・作道信介・川村邦光訳『臨床人類学――文化のなかの病者と治療者』弘文堂).
(pp43-44)
 ヘルス・ケア・システムにかかわる変数は、境界にあるものも含めると、実に多様である。文化的、歴史的、社会経済的、政治的な諸要因がヘルス・ケア・システムの内容をどのように形づくるのかは、社会の内部に共存する複数のシステムをとおして具体的に示される。アメリカを例にとれば、麻薬の乱用やアルコール中毒が、法律や倫理のシステム内でよりも、ヘルス・ケア・システムのなかでうまく処理される問題になったのは、ごく最近のことである。西欧では精神病に対してこれと同じような再定義が、はるかに長い歴史のもとで、どのように起こったかをフーコー(Foucault 1965)が明らかにしている。
 医療社会学者のゾラ(Zora 1972b)の主張によれば、近代化の過程は、伝統的には別の文化におさまっていたたくさ[p44>んの問題をヘルス・ケア・システムの内部に取り込んでしまうという、強力で危険でさえある傾向をはらんでいる。社会的リアリティの再定義であり、ヘルス・ケア・システムという社会空間の拡張でもあるこの過程を、現代社会における医療化 medicalizationの進行としてゾラはとらえているのである(Illich 1975も参照されたい)。この過程はまた、医学や精神医学を社会統制に利用する度合いを結果的には強めたとゾラは論じる。彼が主張するのは、結局、伝統的な社会よりも現代社会の方が、いっそう大きな社会空間をヘルス・ケア・システムが占めているということであり、またかつてはほかの文化システムが果たしていた機能をヘルス・ケア・システムがいま果たしているというのである。この仮説はきちんと立証されてはいない。比較社会史的な研究や通文化的な実証研究によってその真偽が立証されるであろう。
(pp51-52)
 中国の例は、歴史的要因(Croizier1968)、政治的要因(Oksenberg1974)、社会経済的要因(Wegman,Tin,Purcell1973)が、保健問題だけでなくヘルス・ケア・システムにもおよぼす影響について無数の実例を提供してくれる。すなわち、中国の地域社会が疾病に対処するのに入念につくりあげてきた固有の信念、治療法、制度ばかりでなく、住民の疾病の分布にも、これらの諸要因が寄与してきたことを具体的に示してくれる。以下の章でみるように、この影響はプライマリ・ケアのレベルにまでおよぶ。本書で提示するヘルス・ケア・システムのモデルによって、こうした影響を外部要因がどのようにひきおこすのかを確かめることができるのである(Kleinman1974b,1976も参照)。
 裸足の医者。鍼麻酔の広範な利用。性病、薬物耽溺、飢餓が消去されたという報告。政策的統制や大衆の利害への専門職の従属。地方の医療機関における、伝統的な中国医のサービスと近代的な西洋医のサービスの統合。どのタイプの医療を受診するかについての大衆の選択の自由。これらは中国にみられる関連の実例である。中国のヘルス・ケア・システムには学ぶことがたくさんある。とくに臨床ケアの内部活動のレベルでどのような変化が生じているかであるが、これについて現在われわれは実際のところ何も知らないのである。外部要因の大きな変化に対応してヘルス・ケア・システムの構造と内容に小さな変化が生じるメカニズムを、この中国の変化が教えてくれるかもしれない。
 上述のような中国の例や、政敵をおさえるのに精神医学を悪用した不名誉なソ連の例ほどドラマチックではないにしろ、ヘルス・ケア・システムへの外部からの影響はどの社会にも見出すことができる。アメリカの例については、ドライツェル(Dreitzel1971)、フレイドソンとローバー(Freidoson and Lorber 1972)、コーサ(Kosa eet al.1969)などが編集した著書のなかの社会学関係の論文をみるとよい。そこには、専門的な治療法や組織構造から利用者の関心/・行動にいたるまで、ヘルス・ケア・システムのほとんどあらゆる面におよぶ社会的、経済的、歴史政治的な影響が要約されている。二、三例をあげたい。ブレンナー(Brenner1974)は、アメリカの歴史をふりかえる七、精神病院への[p52>入院者数の増大と不景気の時期とのあいだに強い相関関係があるという事実を根拠にして、アメリカにおいては精神疾患が大きな社会経済的な変動によって強く影響されることを説得力をもって論証している。また、ナヴァロ(Navarro1975,1976)は、医療システムにおよぼす"外在"要因の強大なインパクトに対してマルクス主義の分析が適用できると言っている。これを適用すると、たとえば、資本主義社会の力関係が、同時に、かぎられたヘルス・ケア資源を利用する権利や配分の不平等をひきおこしている事実、さらにヘルス・ケア資源の性質とその発展に対する社会経済的・政治的拘束の一因になっている事実をうまく説明できるというのである。このような方向の分析を容認するかどうかはともかくとして、社会の広範な力がヘルス・ケア・システムにおよぼす巨大な影響を認識することが肝要である。そうしないと、たとえばイリイチ(Illich1975)などのように、医者が社会的、政治的な背景から完全に独立して動くことができるかのように考えて、ヘルス・ケア・システムの失敗の原因を医療専門家の策謀にだけ帰してしまうあやまちを犯すことになる。ヘルス・ケア・システムに対してエコロジカルな視点をとることで、この種のあやまちは避けられる。しかしそれだけでは、ヘルス・ケア・システムの有効性なり失敗なりがどの程度"外側から"拘束されるのかという問題、またヘルス・ケア・システムの自立性がどの程度反映されるのかという問題は解決されない。この疑問を解くには、具体的な状況におかれた特定のヘルス・ケア・システムを検討しなければならない。


宝月誠, 19860105, 「クスリと人間の生活」宝月誠編『薬害の社会学――薬と人間のアイロニー』世界思想社:3-10.
(pp3-5)
  技術の発展の二面性
 人間の歴史は一面では「環境」や「他者」や自己の「心身」をコントロールする技術や知識を発展させてきた過程である。人間は自然環境を有用で快適な生活の場や対象にかえ、他者との社会関係を組織化したり、調整したり、支配する一連の方法を編み出し、さらに人間の健康の維持や行動を便利にするものや道具を絶えず生み出してきた。しかし、こうした技術や知識の発展は他面では、それ自身の固有の論理に従って発展していき、最初の意図とは別な、人間と対立するものや人間を越えて人間を支配するものを生み出すに至っている。かつてジンメルは、「精神は無数の形成物を産出するが、この形成物はおのれを生んだ魂からも、おのれを受け入れあるいは拒む他のそれぞれの魂かウも独立して、それ特有の自立性のなかで実在しつづける」と述べ、この文化の内在的論理の帰結として、文化が人間的な魂の個人的発展に適合できる方向から逸れてしまう宿命に、「文化の悲劇」をみた。
  クスリの発達
 われわれの生活の一部となっているクスリの場合もその例外ではない。病人が心身を治療するために用いるクスリは、生薬から化学物質を主体とするものへとかわっていく。また、かつてはその有効性や安全[p4>性は多分に疑わしいものであったが偶然に発見され、伝承され、愛用されていた特効薬や万能薬は、いまや科学者の手によって計画的、組織的に開発され実験され、さらに製薬企業によって大量生産されるものへと変貌していく。さらに、人びとが家庭薬として自由に自家薬籠にしてきたクスリは、国家の承認や検定を必要とする管理されたものや、医師や薬剤師の専門家の手によって投薬されるものへと変わっていく。こうした過程の中で、クスリは人間の病気の治癒に大きな力を発揮したが、同時に人間のためのものではなくて、逆に人間を支配するものとしての様相を強めている。
  自己回復力の喪失
 第一に、人びとは病気の回復や健康の維持に過度なほど、クスリへの依存を強めている人びとは自己回復力や自己ケアへの確信を失って、病気の回復や健康の維持はクスリと医師にすべてをおんぶしようとする。もちろん、一部の宗教集団や自然主義者(ナチュラリスト)は昔から化学的に合成されたクスリを忌避してきたし、病気を治癒されるべきものや否定的事態として受けとめるのではなくて、「病むことが個人の生命感を充実させ、対環境の姿勢を柔軟強靱にもし、対他関係においてよく目のとどく優しさをもたらす可能性や一旦緩急あるときの和解と協働を集団(たとえば家族)に与えるであろう契機にもなる」という洞察を有していた思想家もいたことが指摘されている。しかし、多くの人びとにとって、病気の治癒と健康の維持はそれが容易には実現されないという点でなによりも「価値」のあるものであり、その「価値」あるものを手に入れる最も有効な手段としてクスリや医師が重宝視される。人びとはイリッチが述べるように、「社会は永遠に薬物の時代のとりこであるという誤った考え」にとらわれて、「自らケアができるはずの身体をうまく取扱う能力を失ってしまう」(*3)アイロニーに陥っているのが、現代のクスリ社会の一面である。
  過剰なクスリ
 第二に、毎年製薬企業によって開発され販売されているクスリの種類とその量は膨大なものである。例[p5>えば、わが国で一九八二(昭和五七)年に承認された医薬品は一般用医薬品が二、五八九品目、医療用医薬品が一、五八八品目、合計四、一七七品目にのぼり、このうち新医薬品として承認されたものは医療用医薬品一一五品目、一般用医薬品一八品目である。こうしたクスリの洪水が病気に苦しんでいる患者を救済するものであるならば、人びとは科学の進歩に感謝するだろう。だが、新たに開発されるクスリの大部分はすでに存在するクスリの類似品、模倣にすぎないといわれる。「薬理学の偉大な発見の時代はすでに過去のものである」(イリッチ)という見解は疑わしいものであるにせよ、患者が真に望んでいるクスリは現在では確かにそう簡単には開発されない。しかし、新薬の研究開発が困難であるからといって、模倣品の製造と販売にのみ関心を示し、販売競争にあけくれている製薬企業は、何のために、だれのためにクスリの製造を行なっているのかという疑問を引き起こす。有効性は確認されていても患者数が少ないために企業が販売しようとしないいわゆる「みなしご薬」(「希用薬」)の放置や模倣クスリの氾濫をみるとき、クスリ序章クスリと人間の生活はいまや態者のためというよりは、企間四兆門近くの生産額をほこる企業の営利のための単なる「商品」でしかない。
(p7)
  クスリのアイロニー=「薬害」
 第五の、そしてクスリの最大のアイロニーは「薬害」である。「ギリシャ語の薬をあらわす唯一の単語?ファルマコン?は治癒の力と殺す力とを区別していない」(*9)といわれているが、現代でもこのクスリの本性はかわらず、クスリは二つの顔を有している。それは病気の治癒と健康の維持に効能を発揮するプラスの顔と、副作用などのマイナスの顔である。前者はクスリの「有効性」、後者は「安全性」にかかわる側面である。クスリにはその「有効性」が広く認められているものもあればその効能の疑わしいものもある。同様に、「安全性」が一応確認されているものもあれば不確実なものもある。これらクスリの二側面をそれぞれ確実性の高いものと低いものとに分けて両者をクロスさせると、クスリのタイプは大雑把には図序‐1のように四つのタイプに分けられる。
(p10)
 (*3)Illich, I., Limits to Medicine, Calder&Boyars, 1976(金子嗣郎訳『脱病院化社会』晶文社、一九七九年、六一ページ。)
 (*9)イリッチ、前掲訳書、四一ページ。


進藤雄三, 19901020, 『医療の社会学』世界思想社.
(pp73-74)
 ニクソン大統領の保健教書は六〇年代のリベラリズムの延長線上にある。しかし、その豊富な資金は主に基礎研究へと注がれ、一方において医師を先端医療技術分野へと吸引することで一般診療医不足を引き起こし、これがヘルスマンパワー法の制定を促す。他方、この物的条件下にすでに急性病を克服した医学はフロンティアを求めて臓器移植・人工臓器開発・体外受精・胎児診断‐治療・遺伝子治療といった先端医療技術を開発、七〇年代の後半にはこれらの先端医療技術は実験段階から実用段階に突入、「革命」とも評される高度先端医療技術発展とその日常化は同時に高額医療の日常化となって医療費の増大という経済的問題を、さらに低所得者層の高度‐高額医療の受診機会の剥奪という政治的問題を引き起こす。
 これらの問題と並んで、この先端医療革命は人間の生命をめぐる広範な倫理的問題を生みだし、バイオエシックスが時代の表舞台に登場するとともに、患者の人権擁護の観点から医療への監視と介入が社会的問題として提起されるにいたる。六〇年代後半心臓移植のブームが沸き起こる中、一九七〇[p74>年代初頭には神学者ラムゼイによって臓器移植をテーマにトータルな人間としての患者の疎外という問題が鋭く提起されていたが(Ramsey, B538)、この問題はまず一九七二年、知らされたうえでの同意(Informed Consent)と自己決定権を柱とする患者の権利章典(Patient's Bill of Right)として結実、他方において医師の実験的医療の規制を目的とした科学研究の自由への政府介入の法制化として具体化する(一九七六)。ここにおいて、従来の貧富という経済的差別への批判から生まれた「医療への権利」の問題に加え、医師‐患者関係における権威による差別への批判からする「医療における権利」の問題がはじめて姿を現したと見ることができる(Starr, A418:389)。この社会意識の変化は広範囲にわたる「脱医療化(demedicalization)」?ホスピス運動・ホームバース運動・中絶自由化・心身医学?現象となって顕在化する。そして、経済的不況化におかれた七〇年代の後半には、経済的問題が政治・倫理の問題と重なりながら、医療それ自体の有効性への懐疑が生みだされるにいたる(*6)。
 医療費の増大は政府・雇用主・保険会社による監視を招き、政府主導によってもたらされた先端医療革命は一方で患者の権利運動を通して「脱医療化」現象を、他方で新たな政治的・経済的問題を生みだし、この展開の中で医療への原理的疑問が提起される。この過程で、医師は診療報酬・診断・研究・対患者関係といった諸側面において、一九世紀以来の伝統的な専門職の自律性と自由への広範な規制を体験することになる。
(p86)
 (*6)スターは医療の有効性に対して投げ掛けられたこの時期の懐疑を「治療ニヒリズム(therapeutic nihilism)」と名づけている(Starr, A418:408)。イリイチ(Illich, B415)・カールソン(Carlson, B509)といった名前で想起される医療批判に加え、マッキンレー(J.B. & S.M.McKinlay,B424)・マッケオン(McKeown, B420,B421)らによって死亡率減少が医療的というより社会的要因により多くを負っていることが明らかにされたのも、この懐疑に拍車をかけた。
(pp81-83)
 この時期の文献で特徴的なのは、一九七〇‐七七年にかけてのテキストの不在である(Cockerham, A310:1518)。一九七二年には素材を新たにしたジェイコ編Patients, Physicians, and Illnessとフリーマン他編Handbook of Medical Sociologyの第二版論文集が同時に出版されたが(Jaco ed., A204 2 Freeman et al. e)、七〇年代の後四半期にいたるまで初版の新しいテキストとしては、ロバートソンとヒーガティのMedical Sociology : A General Systems Approach[p82>(Robertson & Heagerty, A115)ただ一つに過ぎない。しかし一九七七年、エノスとサルタンのThe Sociology og Health Care(Enos & Sultan, A104)を皮きりに、トワドルとヘスラー A Sociology of Health(Twaddle & Hessler, A121 1)、翌七八年にはコッカーハムのMedical Sociology(Cockerham, A101 1)とデントンのMedical Sociology(Denton, A103)の初版テキスト、コー(Coe, A102 2)とメカニック(Mechanic, A112 2)の第二版があいついで出版される。この新しいテキストのあいつぐ出版と時を同じくして、ジェイコとフリーマンの編著に代表される論文集形式を採ったテキストが矢継早に現れる。まず一九七八年にシュワルツとカート編のDominant Issues in Medical Sociology(Schwartz & Kart eds., A211 1)、七九年にはアルブレヒトとヒギンス編のHealth, Illness, and Medicine(Albrecht & Higgins eds., A201)、さらに再度同時にジェイコとフリーマンの第三版(Jaco ed., A204 3 Freeman et al. eds., A203 3)が出版される。
 一九七〇‐七七年の間のテキストの相対的空白と七〇年代末葉の出版ラッシュは興味深い対比をなしている。七〇年代の前半に医療費問題・先端医療革命・患者の人権擁護運動を経て、イリイチやカールソンの原理的医療批判(Illich, B415 Carlson, B509)やウィルダフスキー・ノールズ・フックスらによる医療の有効性への懐疑(Widavsky, B553 Knowles ed., B528 Fuchs, B519)(Starr, A418:409)の提起と並行して脱医療化現象の進展する七〇年代後半を待って、医療社会学はようやくその変貌に一定の整理を施すことが可能となったのかもしれない。
 この時代の医療環境の変貌をとらえようとする試みとして、医療化の概観についてはフォックス(Fox, B411)、ジェンダー論から女性の病気を対象としたものとしてナタンソン(Nathanson, B139,[p83>B140)、消費者志向の問題をいちはやく提起したリーダー(Reeder, B147)、また医療のマクロ分析を代表するものとしてメカニックの研究(Mechanic, B425 Mechanic et al. eds., B426)などが挙げられるが、医療批判の時代潮流を代表する研究系列としてマルクス主義的観点からの医療分析が見逃せない。一九七一年にこの観点による編集方針を採用した雑誌International Journal of Health Servicesが創刊され、七〇年代を通じて資本主義社会における病気の政治経済学的分析がナバロ(Navarro, B429)、マッケオン(McKeown, B420,B421)、マッキンレー(McKinlay, B422,B424)、ウェイツキン(Waitzkin & Waterman, B450)らによって精力的に進められる。マルクス主義的視点からの医療分析によって加速される七〇年代後半の医療批判のトーンは、エーレンライヒ編のThe Cultural Crisis of Modern Medicine(Ehrenreich ed., B410)にも明らかに読み取られる(13)。
 他方、連邦政府の援助削減・医療批判といった背景のもとに、医療社会学の経験‐応用志向化・「理論的低迷」状況を受けて、七〇年代後半には医療社会学のアイデンティティを確認する作業が医療社会学の対象領域の拡張・拡散と並行する形で進められる。
(pp173-175)
 医療化と脱医療化 「医療化(medicalization)」という概念は、従来他の社会領域?宗教・司法・教育・家族など?に属すとされてきた諸社会現象が、次第に医療現象として再定義される過程を指示するものとして、歴史的変動の傾向・趨勢を縮約する記述概念である。
 フリードソンは「病院は西洋文化の原型的機関としての教会と議会の果たしてきた役割を継承しつつある」というリーフの言明とスザッスの仮借ない批判を受けて、この「医療化」過程を一九七〇年の時点において、つぎのように表現する(Freidson,B220:248-9)。
 「病気というラベルは犯罪と罪というラベルに代わって次第に強調されるようになり、宗教と司法という伝統的な統制機関の統括権を、弱めることはなかったとしてもその境界領域を次第に狭めてきた。…逸脱に対する医学的反応様式は現代社会において次第に多くの行動?以前は全く異なった扱いを受けてきた行動?に適用されつつある。これまで犯罪・・狂気・性的倒錯・罪・貧困とよばれてきたものが、今日では病気とよばれ、社会政策は一貫して病気とみなされたものの扱いに相応しい視点を採用する方向に動いてきている。」
 ここで示されているのは、逸脱行動の伝統的ラベルの医療ラベルへの転換、そして逸脱統制機関としての医療の統括権の相対的拡張である。[p174>
 「医療専門職支配」に対する批判的考察と表裏をなすフリードソンのこの指摘は、後の医療化をめぐる議論の中でゾラ(Zola,B452)・イリイチ(Illich,B415)らによって、「逸脱の医療化(medicalization of deviance)」から「社会全般にわたる医療化(medicalization of society)(3)」にまで議論の範囲が拡張されるようになる。「医療化」過程は直線的増大過程にあるというメッセージが、強い警鐘の念をこめて伝えられる。
 これに対して、フォックスは「医療化」の進展状況について異なった判断を示す(Fox,B411)。一方において「医療化」の諸側面?逸脱の医療化・医療専門職支配・医療費の増大・政治的?法的?文化的領域での医療問題の重要性の増大(医療関連の諸立法・医療過誤・生命倫理の諸問題の噴出)?の進展を認めつつ、他方においてこれに対する対抗現象として「脱医療化(demedicalization)」過程が出現しつつあることをフォックスは指摘する(ibid.:11-13,17-19)。一度病気と認定された同性愛のアメリカ精神医学会による病気分類からの再度の除外、妊娠・出産の医療管理に対するフェミニズムからの抗議、患者の権利運動・消費者志向、ナース・プラクティショナーや医師助手の台頭による医師?医療関連職種関係の相対的平等化、セルフケア運動?これらの諸動向は、「医療化」の諸側面に対応した「脱医療化」過程を示唆している。
 「医療化」論と「脱医療化」論とは、長期の変動過程としての「医療化」傾向を認める点において一定の判断を共有しつつ、この傾向の現状認識と将来予測において見解を異にするものといえる。しかし、両者の相違は、単に「医療化」過程の進展度についての傾向判断の相違にとどまるものではない。「医療化」論者?最も急進的なものとしてはイリイチ?が、医療専門職と医療関連産業の利[p175>害関心から「医療化」過程を説明し、その否定的帰結を強調する傾向を持つ(*5)のに対し、フォックスはむしろ「医療化」と「脱医療化」の二つの相異なる過程がアメリカ社会の文化的価値?平等・独立・自己依拠・普遍主義・分配公正・連帯・互酬性・個人責任・共同体責任?の医療領域への適用という同一過程から生ずる二つの側面であるとみる(ibid.:20-21)。医療専門職に対する二つの対照的見解(本書135?140頁)がここでも形を変えて繰り返されているといえよう。
(p184)
 (*3)社会生活全般にわたる医療化についてはイリイチ(Illich,B415)の立論が典型的であり、その具体的な内容についてはゾラの「健康主義と人の能力を奪う医療化」(尾崎浩訳「専門家時代の幻想』新評論、一九八四、所収)整理がある。
 (*5)この中でも、資本主義体制それ自体に究極的な原因を求めるマルクス主義的立場と(Navarro,B430,B431)、否定的な帰結?自己決定能力の喪失・苦難に耐える能力の喪失?に力点を置く立場とが基本的に識別される。
(p202)
 4 医療化:概括としてはフォックス(Fox,B411)、包括的分析としてはコンラッドとシュナイダー(Conrad & Schneider,B404)。医療化のマイナス面を強調するラディカルな批判的分析としてはイリイチ(Illich,B415)・キツリー(Kittrie,B417)・リーフ(Rieff,B440)・ゾラ(Zola,B452)、女性の医療化を扱ったものとしてリースマン(Riessman,B441)、医療の宗教への侵食を主題化したものとしてパーソンズ(Parsons,B433)など。

B415 Illich,I., 1976. Medical Nemesis : The Expropriation of Health, RandomHouse:金子嗣郎訳『脱病院化社会』晶文社,1979。


◆柿本昭人, 19910920, 『健康と病のエピステーメー――十九世紀コレラ流行と近代社会システム』ミネルヴァ書房.
(pp159-161)
 では、直裁なアナロジーや近代化論そして外在主義や内在主義と決然と手を切って、コレラ流行と十九世紀ヨーロッパあるいは日本という問題に社会史の側から接近しようとするさい、何が必要なのか。まず必要なのは、「認識論的切断」である。直裁なアナロジーや近代化論そして外在主義や内在主義は、決して知識や情報の欠如[p160>の結果ではない。G・バシュラールの言葉を借りるならば、それらは「積極的で、強固で、まとまりを持った誤謬の織物」であり、その誤謬は「容易に一つずつ崩されていくものではない。それらは、秩序だっているのである」。しかも、この誤謬の織物の織り目は入れ子状となっているので、「認識論的切断」によってすぐさま《外》に出ることなど、とうていできるはずもない。たとえ《外》に出ることが不可能であっても、われわれの皮膚にまで食い込んだこの「誤謬の織物」をわが身から引き離しつづけるしかないのである。
 十九世紀のコレラ流行を解読するためには、これまで用いられてきた概念そのものをまず問題化しなければならない。特に問題としなければならないのは、一方の極にイギリス=先進=自由主義をおき、他方の極にドイツ=後進=国家干渉主義をおく枠組み、そのアナロジーとしてのヨーロッパと日本という枠組みである。いままでの研究は、「素朴にも、まるで自明の理であるかのように『拾いあげ』られた概念の有効な内容がなんであるかを知るという予備的な批判的な問いを提起もせずに」、その枠組みにミアスマ(瘴気)説とコンタギオン(接触伝染)説あるいは病原細菌説を十九世紀のコレラ流行に対して割り当ててきたのである。しかも、医学史と同じように学説の真?偽を論じるもの、その学説の真?偽の論議を転倒させて「制度の知」対「民衆の知」を論じるもの(*12)を生み出してきた。こうした議論の落ち着く先は、「社会ダーウィン主義の影響」なのである。自由放任主義も国家干渉主義も、ミアスマ説もコンタギオン説そして病原細菌説も、いずれもその起源は社会ダーウィン主義にあると、従来の研究は説明してきたのである。
 だが、自由主義と国家干渉主義の対立という「誤謬の織物」のほつれを、M・フーコーの提起した「バイオの権力」と「個人にかんする政治テクノロジー」としてのポリスあるいはポリツァイに見出すことができる。なぜなら、バイオの権力としてのポリスあるいはポリツァイは、自由主義と国家干渉主義の対立という図式がもたら[p161>した国家と個人の関係を洗い直すことから出発するものだからである。また、自由主義は個人化を行ない、国家干渉主義は全体化するというドクサを洗い直すものだからである。
(pp184-185)
 (*12)イリイチの問題関心。I. Illich, Medical Nemessis : The Exproporation of Health, London, 1975. 邦題『脱病院[p185>化社会』金子嗣郎訳、晶文社、一九七九年。川村邦光『幻視する近代空間迷信・病気・座敷牢あるいは歴史の記憶1』青弓社、一九九〇年、四一頁。樺山紘一の「養生論の文化」に対して、彼は「国家主導」の公衆衛生が問題だと言う。川村邦光、前掲書、一一八?一一九頁。だが、両者とも〈国民の健康〉がどのようにして誕生し、いかなる系譜に立っているのか、見ることはない。


◆Conrad, P. and J. W. Schneider, 1992, Deviance and Medicalization: From badness to sickness, Temple University Press(=2003, 進藤雄三監訳『逸脱と医療化――悪から病いへ』ミネルヴァ書房).
(pp53-55)
 様々な歴史的時代において逸脱認定の支配権を有していた三つの主要なパラダイムが認められると思われる。すなわち,罪としての逸脱,犯罪としての逸脱,そして病いとしての逸脱である。これらの「パラダイム」が時間的経過の中で重複・競合してきたことは明らかであるが,それにもかかわらず,それらのパラダイムは,逸脱の現実の構成に対して,特有の観点とイメージを提供してきた。神学の世界観が有力な時は,逸脱は罪であった。国民国家が封建制の衰退の中から出現すると,ほとんどの逸脱は犯罪として認定された。そして,科学的に方向づけられたわれわれの世界では,逸脱の多くの形態は次第に医療的問題として認定されるようになっている。したがって,脱産業化社会における逸脱認定にとって医療パラダイムが支配的パラダイムであるとみなすことができる。
 ある特定の社会では,ある特定のパラダイムが支配的となるだろう。現代のアメリカ社会では,法?犯罪パラダイムと医療?病パラダイムの間には,たとえ両者が公的な調停を達成しうるとしても,しばしば緊張が存在する。それぞれのパラダイムは相対的に高い地位の制度的支持者(すなわち法律作成者と裁判官,医療研究者と医師)を有している。科学が現実の究極の裁定者とみる世界では,科学的研究によって支持できる逸脱の認定は,信用を得る可能性が高い。逸脱認定のポリティクスにおける要因は複雑なので,われわれは「可能性が高い」という言葉を用いた。しかしながら,他の条件が一定であるならば,逸脱の医療的概念は,科学という名のもとに提案される可能性が高いだろう。逸脱の医療的認定が他の認定と競合関係にあるときは,おそらく医療的定義の覇権を目にすることになるだろう。すなわち,医学的権威が「最終の」現実として圧倒的な影響力を持ったり容認されたりし,他の可能な現実が消失するという事態である。言うまでもなく,この覇権への挑戦は可能であるし,また実際に行われているが,逸脱認定における文化的また構造的な医療的覇権の型が,アメリカ社会ではますます明白になってきていると見る者もいるのだ(Illich, 1976; Radelet, 1977aを参照)。(略)[p54>
 次のような状態を考えてみよう。ある女性が,自分はゴダイバだと叫びながら,デンバーの通りを裸で馬に乗り,当局者によって逮捕された後,精神病院へ連れていかれ,精神病と宣言される[訳者注:ゴダイバとは11世紀イングランドのコベントリーの領主の妻。町内を裸で馬に乗って回るならば,住民に課した重税をやめると夫に約束され,それを実行したという逸話がある]。南西地方の都市で高名な外科医が,暴力の暴発を起こす傾向のある青年に対して精神外科的手術を行う。アトランタの弁護士が,飲酒をしてばか騒ぎをする傾向があるために,アルコール依存症という疾患で病院や診療所で治療される。カリフォルニア州在住の子供が,学校での破壊的な行動のために小児科診療所へ連れられ,多動症というラベルを貼られてその障害のためにメチルフェニデイト(リタリン)を処方される。慢性的に肥り過ぎのシカゴの主婦が肥満の問題のために腸のバイパス手術を受ける。ニューイングランド地方のメディカルセンターの科[p55>学者が100万ドルの連邦調査助成金に基づいて,ヘロイン嗜癖への「治療」としてヘロインをブロックする要因を発見するために働いている。これらの状態には何が共通しているのだろうか。すべての例において,様々な逸脱行動や状態に対して医療的解決が探されている。われわれはこれを「逸脱の医療化」と呼ぶ。そしてこれらの例は逸脱行動の医学的定義が,アメリカのような現代の産業化社会において広がりつつある状態を示していると考える。こうした医療化の歴史的な源泉と逸脱行動に対する医療的概念と統制の発達,それがわれわれの分析の中心的な関心事である。
 われわれの社会における医師と医学的治療は,通常は病気を癒すために献身し,苦しみを和らげてくれると見られている。確かに,これらは医療の重要な側面である。近年では医療専門職の管轄権は拡大し,以前は医学的実体として定義されていなかった多くの問題をその実体の中に包み込んでいる。イヴァン・イリイチは,これを「生活の医療化」と呼んだ(Illich, 1976:邦訳『脱病院化社会』金子嗣郎訳,晶文社,1998)。この一般的な見方については多くの証拠がある。たとえば,妊娠と出産,避妊,ダイエット,エクササイズ,子供の発達に関する規範の医療化といったものである。しかし,ここでのわれわれの関心事はもっと限定した特定のものである。われわれの興味の焦点は,逸脱行動の医療化,すなわち逸脱行動を医学的な問題として,通常は病いとして,定義しラベル化すること,そしてそれに対するある形態の治療を提供することを医療専門職に委任することである。このような医療化に付随して,社会統制機関としての医療利用が増大している。社会統制としての医療的介入は,健康という名のもとで医療的手段を用いて逸脱行動を限定,変容,規制,孤立化もしくは除外しようとする(Zola ,1972)。本書の残りの部分では,逸脱の医療化と医療的社会統制の発達について社会学的に検討する。逸脱が悪しきものから病めるものへと変化したことについて,そしてまた多くの特定の逸脱行動カテゴリーに対する医療モデルの採用についての分析を提示する。
(pp457-458)
 タルコット・パーソンズは,「病人役割」(sick role)についての論文の中で,初めて医療を社会統制の主体として概念化した(Parsons, 1951)。エリオット・フリードソン(Freidson, 1970a)とアービング・ゾラ(Zola, 1972)は,医療専門職が効果的対処能力の有無と無関係に,病いと呼びうるすべてのものに対する[p458>管轄権を持っていることを明らかにした。医療の扱う範囲は非常に変わりやすく,拡大傾向にあり(Ehrenreich & Ehrenreich, 1975),生活の医療化が進むことを懸念する分析もある(Illich, 1976)。医療による社会統制については,専門職の同僚統制(Freidson, 1975)や,医師?患者関係というミクロな相互作用水準での統制(Waitzkin & Stoeckle, 1976)など,様々な形で概念化されてきているが,ここでの焦点はさらに絞られている。本書を通してすでに明らかなように,われわれの関心事は,逸脱の医療化の一側面としての逸脱行動の医療的統制である(Conrad, 1975; Pitts, 1968)。このように,医療による社会統制とは,医療という手段を通じて逸脱行為の軽減,除去,正常化が行われ,社会規範への忠誠を確保するために医療が(意識的にか無意識的にか)作動する,その作動様式を意味する。


栗岡幹英, 1995, 「現代医療と生活世界」『人文論集』45(2):53-85.
(pp63-66)
 前章で私たちは、パーソンズの医師?患者関係論が論理的にも実態的にも成立基盤を失っていることを見てきた。このことは、どこから生じているのであろうか。
 近代医学の歴史において、医師は、医療の倫理的側面が医の技術的側面とは必ずしも離反するのでなく、むしろ当然に一致するものと考えてきた。たとえば、ある論者は、医療を支えているのは医の愛であると論ずる文脈でこれを人間愛と技術愛とに区別し、人間愛が技術愛につながり、技術愛は人間愛を前提とするという認識を述べている(吉松、一九八七、九五)。だが、このように人間愛と技術愛とが当然に一致するという認識は、医療と日常的生活世界が共通の価値観をもつことが前提される社会状況でいえることなのである。むしろ「幸福な一致」が現代社会では脅かされていることを、医師自身も気づいている。同じ著者は、「この技術愛の方はそれ単独で独走する危険があろう」と指摘するのである(前掲書、九六)。しかし、問題は医師の自覚や医療の理念のレベルにあるわけではない。むしろ、医療の状況の変化がこの理念の妥当性を失わしめたのである。その変化とは、現代医療がますます科学・技術的合理性に支配され、高度化するという様相[p64>を呈していることであろう。そのことは、患者が医療技術による操作の対象となってゆくことに現れる。
 パーソンズは、医師?患者関係における相互信頼の問題に関連して、麻酔で意識のない状態で行なわれる外科手術はその極限ケースであることを指摘している(Parsons,1964,訳四四三)。その発言の根拠について彼は言及していないけれども、おそらく麻酔下の外科手術においては、患者はほとんど身体に還元され、操作の対象と化していることにあるだろう。他方で医師は、操作の主体として科学・技術的合理性を体現する。医療の領域における科学的・技術的合理性の支配は、この合理性を自らの精神として内面化した専門家がこの領域の主要な人格類型となったことと結び付いているのである。パーソンズが自己利害への無関心に導かれていると見た専門家は、実は患者でなく科学・技術的合理性に奉仕する存在でもあったのではないだろうか。たとえば、先端医療の一分野とされる人工心臓の研究は、実際には地味で「文句もいわずによく働く日本人(や他の外国人)にしか勤まらないような仕事」だといわれるが、これに従事するある日本人研究者は、次のように述べたといわれる。
  手術のときに、心臓をすっぽり切り取るでしょ。ゾクゾクしますね。傷んだところを何とか修繕するのではなく、全部取れるわけです。心臓外科医にとってこれ以上の手術はないですからね。後藤、一九八七、二一七
そして、このように科学・技術的合理性に献身する傾向は、現代医療の最先端と考えられている領域に顕著に見られるであろうことが、当然に予測される。この観点からすれば、現在問題になっている先端医療のかなりの部分は、外科手術と同種のものであり、あるいはさらにその度合を強めた治療法であるといえるのではないか。たとえば、心臓、肝臓などの臓器移植は、基本的に人間の体を部品の集合体とみなす機械論的な観点を背景にもった技術であろう。患者にとって、移植に伴う拒絶反応の統制など、結果の成否が自らの関与できない条件で決定されており、治療される主体は単なる操作の対象となりがちなのである。もちろん、定期的な免疫抑制剤の服用や食事管理、体調維持の諸方策など、患者自身の関与[p65>が期待されることも多い。しかし、それは医師の指示を守るという性格をもつ行動であり、主体的な意志の発現とはなりにくい(*12)。
  二節 患者の生活世界における病気への対処
 医療技術の進歩が患者の主体的な役割取得をますます困難にする一方で、患者は、別の手段で彼の病気に対処しようと試みる可能性がある。もともと、仮に近代医療の有効性をある範囲で認めたとしても、それが病気に対する唯一の対処の方法だとはいえないとの認識がある。近代医療の有効性は急性疾患の治療に限定されており、病人を「癒す」ことにはそれほど有効でないという議論は、医師自身からも聞くことができるのである。治療技術として可能だとしても、過度の延命治療や入院を長期的にしいる治療法、あるいは病院での死を患者は望んでいないとの議論は有力である。このような観点から近代西欧の医学・医療に疑問を呈するのは、実はすでによく知られた論点である。イリイチは、その著『脱病院化社会』で「医療機構そのものが健康に対する主要な脅威になりつつある」(Illich,1976,訳一一)という認識にたって、現代医療の問題点を専門家による支配に求めるとともに、患者自身が自らの身体への統制力を回復すべきことを主張する。この主張は、医療人類学の調査で西洋医学に代わる多くの医療法の実践記録が集められていることを見ても、充分根拠を有している。
 パーソンズは患者が非合理的行動に走る傾向を指摘している(Parsons,1951:p446,訳四四一)が、この立場からすれば、近代医学以外の治療法を実践することは患者の陥りやすい非合理的な行動となるだろう。しかし、各々の文化に独自の医療体系が発達し、人びとは実際それによって癒されていた、という事実は、パーソンズが顧みないことである。通常患者は、病気であり続けるという選択の可能性をも含めて、自らの身体を統制しようとの意欲をもつ。単純に治療を唯一の選択すべき行動と考えるとは限らないし、その手段として近代的な医療を選択するとも限らない。現代医療の知識とは[p66>合致しないさまざまな自己流の健康法を日常的に実践しているのみならず、病気の際にも往々にして独自の治療法を考案し、実践する。要するに、人々は、健康と病気について独自の意味づけや対処法をもつのである。
 このことは、患者が医療への接触をできる限り回避して、自らの生活のうちに止まろうとする試みのなかに現れる。患者にとって病気はもともと生活の中に生じた新たな事態であり、それはそれ自体が問題というばかりでなく、家族や社会などとの関係に影響を与えるゆえに問題となることがあるのだ。だから、「病気の役割は対処の機制として、すなわち個人の生活戦略全体の中の一つの有効な要素として理解することができる」(フォスター・アンダーソン、1978,訳一七八)。健康価値の絶対性を前提に疾患の治療の必要をのみ強調する現代医療の態度は、病気を患う患者の生活の全体を矮小化することになる可能性があろう。このような恐れを抱けば、患者は医療への世界に容易に接近しようとはしない。
(p83)
 (*12)技術の高度化によって医療がより有効なものになったとはいえないとの主張をする文献がある。それらの文献は、おおよそ次のように主張する。すなわち、近代医療は考えられているほど疾患の克服に有効でなかったばかりでなく、医療技術や制度の発達によって新しい重大な疾患が増大している、と(Illich,1976,訳二二頁以下)。しかし、この論点については、ここでは触れない。


◆Barnes, Colin ; Mercer, Geoffrey ; Shakespeare, Tom 1999 Exploring Disability : A Sociological Introduction, Polity Press(=20040331, 杉野昭博松波めぐみ山下幸子『ディスアビリティ・スタディーズ――イギリス障害学概論』明石書店).
(第3章4項「医療専門家の権力」)
 医師は、福祉制度のもとで病気や障害にかかわる給付を受けている人々を処遇するための統治?法律システムの中心にいる。ヴィンセント・ナヴァロ(Navarro, 1978)の主張によると、医療は、「経済システムによって生成された反福祉的状態を、改良するか心地良いものにするかして」(p.214)、健康維持を個人の責任に変換することによって――つまり「犠牲者責任論」の哲学である――、一般の人々の了解のもとで反福祉状態を合法化するのだという。一部の論者たちは、医療と資本の利益がいかに結びついているかを伝えようとして、医療産業複合体について語ってきた(Navarro, 1978; Doyal, 1979)。こうした視座から、病気やインペアメントをもつ人は創造的な仕事ができない人間とみなされ、社会のメインストリームから排除される。つまり特殊な施設に追いやられるか、その人が社会にかける“負荷”を最小化するために、他の社会統制手段の支配下に置かれるのだ。
 またこうした資本主義と医療との関係についてのマルクス主義的関心を共有しない論者たちも、医療の支配に対しては広範な批判を展開してきた(Freidson, 1970a)。医療は、産業化の完成段階において社会・経済生活の中心領域を独占すべく出現した“障害をつくりだす専門職”の一つとして認識されてきている(Illich, 1975)。
  素人と専門家の関係
 パーソンズ派のいう病者役割における素人と専門家との遭遇場面の特徴は、非常に不平等な関係を示唆するが、自らの役割責任を遵守することで双方の当事者が利益を得るような関係でもある。医師たち(または医師以外の治療専門家)は、その科学的専門性や知識を活用する際に、専門家の規範に執着する。患者は患者で、「制度に埋め込まれた専門家役割(責任感と力量と職業的関心に基盤をおくもの)の優位性」から利益を得る(Parsons, 1975: 271)。このような合意形成的アプローチをさらに精緻化したのが、サッツとホランダー(Szasz & Hollender, 1956)である。サッツとホランダーは、医師?患者間の相互作用の別のモデルを、まず患者の病気と結びつけて考えた。慢性症状をもつ患者にとっては“相互の参与”が特徴的な相互作用のかたちであるというわけだ。これがあてはまるのは、医師は“治癒”をもたらすことができず、患者が自分で自分の面倒をみるのを援助する一方で、患者は以前よりも豊富に知識をもつようになるからである。
 このように医師?患者関係を望ましいものとして描くことは、幅広い批判を呼び起こした(Freidson, 1970a; Stimson & Webb, 1975)。多くの社会学者にとって医師?患者関係は、互恵や相互利益によってというよりは、潜在的な利害の衝突によって特徴づけられる(Bloor & Horobin, 1975)。相互作用論者は、一般の人々が診察を受ける際に望ましいとされる目標を達成するために、いかに多様な戦略を採用するかを強調してきた(Stimson & Webb, 1975; Bloor, 1976)。しかし医師が難解な知識の基盤と、組織における卓越した立場をもつということは、医師が相互作用を統制するのにきわめて優位に立っていることを意味する(McIntosh, 1976)。“相互参加”モデルとは対照的に、研究が示唆するところによると、患者は知識をもてばもつほど自分の容態を明瞭に見られるようになり、慢性病やインペアメントをもつ人に関してしばしばあることだが、医師との衝突も起こりやすくなるということだ。また、医師が臨床において見通しが立たない状況に直面した時や、適切な治療を施せないような場合には、医師は不安をおぼえ、あまりコミュニケーションをとらなくなる傾向があり、患者はますます不満な状態のまま放置されるのだ(Calnan, 1984)。
 医師と患者の遭遇場面がどのような特徴をもつかは、その組織の環境にも影響されることが明らかになってきた(Fagerhaugh & Strauss, 1977)。一般に、外科より内科、急性の病気を治療する病院にいるよりも長期にわたって病気療養する場合の方が、それも特に健康状態や治療をモニタリングする場合に、患者とスタッフの折衝の機会が多く提供されている(Roth, 1963, 1989)。ストロング(Strong, 1979)は、別の“役割様式”もあり、それは保健医療環境によって異なると述べた。ただしストロングの結論は、「診察に対する医療的管理は体系だっていて、すべてに行き渡っており、ほとんど何の問題もない」(p.129)というものであった。
 素人?専門家関係がはらむ緊張はまた、患者たちを“良い患者”と“悪い患者”に区別する専門家の傾向においても示唆された(Kelly & May, 1982)。“悪い”クライアントとされた者にとって、生活は困難に満ちたものになりうる。この“悪い患者”というカテゴリーに含まれるのは、専門家の専門知識に感謝して従うことを拒む者から、容態が医学的に興味深いものでない患者、さらに治療に抵抗する患者などさまざまだが、そのなかには、長期にわたるインペアメントをもつ者も含まれている。専門家による患者の区別は、患者の性別、社会階級、エスニシティ、年齢といった要素に基づいてもなされる(Lupton, 1994; Nettleton, 1995)。つまり男性医師は女性患者を診る時、母親や主婦といったステレオタイプを用いて、あたかもそれが生物学的に決定されたものであるかのようにみなすことによって、彼女らを支配する(Foster, 1989)。ベガムの調査(Begum, 1996)によると、医師は障害者、特に女性障害者に対して、一般的な社会的偏見や偏見的態度から免疫があるわけではないことが論証されている。実際のところ、患者の現在の状態を注視せずに、患者のインペアメントについての自分の知識をただ述べるだけという医師もいる。
 葛藤理論では、医師?患者関係をより広い社会的文脈に位置づける(Waitzkin, 1984, 1989)。患者役割を病者役割と同一視することによってパーソンズは、例えば病気休暇を求めるための診察や福祉給付のための“障害”の程度の判定など、個人が治療を目的とせずに医師の権威を求めなければならない場合があることを無視した。さらに医師は、就労する能力という観点で健康を定義することにより、資本主義的関係のさらなる強化にも責任を負っている。障害者が病気ではなくても医師との接触を求めなくてはならないのは、しばしばこうした社会的・環境的事情によるものでもある。一方、人が本当に病気になる場合について言うと、そうした社会的・環境的要素の影響は不当に低く見積もられている(Doyal, 1979)。
 近年の医療界では、患者の観点を考慮する方向へと考え方がシフトしているが、だからといって医療のもつ権威性が低下したわけではない。なぜなら、患者中心医療とは生活世界全体を今まで以上に診察の対象とすることなのであり、その意味で、医師による患者の監視はさらに拡大すると言えるからである(Armstrong, 1984)。最近の医学教育および臨床においては、患者の“全人格”を知ることに力点が置かれているが、それによって患者との遭遇場面を統制しようとする試みが減少したわけではない。シルバーマンが述べるように、患者は“服従するように叩き込まれる”かわりに、“自分から話すように誘われ”、自分の容態について自分でもっと責任をもつようにされるのだ。
 「患者が診察に、より多くの部分で参与することは、解放的なことであると同時に制約的でもある。医師が患者を診断・治療のための観察“対象”として扱うことだけが“監視”だと考えたら間違いである。われわれが自由な意志をもった“主体”として構成されている場合においても、その自由が自分自身を監視する義務を含むようなものであれば、充分に効果的な監視機能が働くのである。」(Silverman, 1987)
 こうした権力関係が動揺するのは、例えば患者が医師の処方によらない薬を服用したり、保険外自由診療を利用したり、慢性病患者として医師顔負けの“専門知識”をもっていたり、あるいは患者自身が医師であったり、終末期であったり、高い階層に属していたりといったように、何らかのかたちで患者側から医師に圧力がかけられる場合だけなのだ(Silverman, 1987: 131-2)。また一方、ほとんどの研究が示唆するのは、医師の権威の条件的受容、もしくは“敬意を表しつつの対立”(Gabe & Calnan, 1989)である。そこでは患者は自分が受けた医療行為に対し、(敬意を表しつつも)能動的に自身の観点から評価するということだ。

  5. 医療化
 イヴァン・イリイチ(Illich, 1975)によれば、人々の自助と自己責任の能力がかくも破壊されたのは、“日常生活の医療化”のせいだ、ということになる。イリイチはまた、医師は不健康の真の原因を神秘化し、医師自身の解決能力を誇張していると主張する。医療自体の役割が増大していることと同様、このような医療化こそが、社会統制の手段としての医療の権力を拡大する基盤なのである。イリイチによると、大衆は、医療の“医原的”な(つまり供給者主導の)結果について、誤った方向に導かれてきたという。この医原病は三つのレベルで起こる。つまり、?“臨床”レベル:現代の治療は非効果的かつ有害である。?“社会”レベル:保健医療システムや供給者に一般の人々が依存している。?“構造”レベル:個人は痛み・病気・死に対処する能力を奪われてきた。それに対して、イリイチが唱える解決策は、医療の根本的な“脱専門家化”である。
 イリイチの主張ほどは論争を呼ばなかったが、フリードソンも“医療化論”を提唱している(Freidson, 1970a, 1970b)。(略)
 同様に、コンラッドとシュナイダー(Conrad & Schneider, 1980)は、医療化の三つの要素を述べた。(略)
 しかしながら、社会学者のすべてがこうした“医療帝国主義”論に賛同してきたわけではない。例えばストロング(Strong, 1979)の警告によると、医療化についての研究では、他の文化における痛み・病気・死といったものに対処する能力に、ロマンチックな幻想が抱かれているという。また例えば、アルコール依存症の場合のように、医療化は必ずしも医療専門職が望んだわけではない、いわば“不本意ながら進行した帝国主義”のように見えるケースもあるし、医療化をめぐって専門家同士が対立したケースもある。さらにストロングは、特に死亡率の改善について、「病気の診断、治療、予防を進める上での現代医学の技術的成功があまりに低く評価されている」と主張する。また一般社会の反応も医療化論とは矛盾した兆候をあらわしており、“患者の医療漬け”は誇張されていることを示す事例が数多くある。たしかに、“脱医療化”の傾向を観察することはできる。ただし、一般の人々に自分の健康にもっと責任をもたせようという近年の動向は、“要注意”という新しいカテゴリーを創り出すさらなる医療化であるとも解釈できるので、これをもって医療化論を否定することは難しい(Crawford, 1977)。


◆Deutscher Bundestag Referat Offentlichkeit (Hrsg.) 2002 Enquete-Kommission. Recht und Ethik der modernenMedizin.Schlussbericht, Berlin(=20040720, 松田純監訳・中野真紀・小椋宗一郎訳『人間の尊厳と遺伝子情報――ドイツ連邦議会審議会答申 (現代医療の法と倫理 上)』知泉書館).
(pp84-85)
 通常の検査と分子遺伝学的な検査との間の基本的な違いは,DNA分析の個々の特性にそれほどあるわけではなく,検査を利用する諸条件と,検査結果が妥当する範囲とが相互に作用しあうところにある。このため遺伝子情報は,「アイデンティティに関わる」とりわけデリケートな情報と見なされる必要があり,しかるべき高い保護基準が必要とされる。
 このほか遺伝子情報の「特性」すなわち特殊性は,その供述性がしばしば過大に評価されるという点にある。このため多数の因子の連関を認識する際,結果としてゆがみが生じることも多い。というのも遺伝子情報に含まれるものが重要だと考えすぎて,全体的な状況における他の側面ーー重要でなくはないが場合によっては確認するのが難しいような側面ーーの影が薄くなるからである。これに伴い,病気の発症や,それどころか人間の性格特質の成り立ちを説明する際にも,精神的・社会的な要因が陰に隠れ,人間の複雑性や病気の複雑性が単なる遺伝子的な基質に還元されてしまう危険性が生じる。著述家の多くは社会の「遺伝子化(Genetifizierung)」というプロセスについてすら語っている。
 「医療化(Medikalisierung)(*)がさらに広範囲にわたって進行していく一面に,以下のようなものがある。DNAコードという概念のなかで個人を新しく定義すること。人間の生命と行動を,コード,原型〔設計図〕,特徴,体質,遺伝子の性質といった遺伝子用語で記述し解釈する新しい言語。病気や健康,人体についての遺伝学的な考え方」。
 予測的な検査では,まだ健康である人々が将来確実に病気になる,また[p85>は病気になりそうであるといった情報が得られる。このような知識によって,「健康な病人」という新しい集合が誕生する。それゆえ遺伝子診断をめぐる議論では,予測的な遺伝子検査のために責任が個別化し社会的な連帯制度が崩壊しかねないという危険性が,たびたび強調されている。「遺伝子的にハンディを負った」人々が本人たちの能力をできるだけ長く維持できるように,連帯社会にできるだけ負担をかけないように,できることなら本人たちと同じ「遺伝子的ハンディ」をもった子供が生まれないように,暮らし方を本人たちの遺伝子的素質に合わせてほしいという期待がまかり通ってしまうかもしれないと危惧されている。さらに,予測的な検査を実施せよ,遺伝子情報を公開せよ,またはスクリーニング・プログラムに協力せよといった社会的な圧力が生じるかもしれない。それらが,社会的に責任のある行為とされることによって。こうした社会的な圧力の危険は,表向きは法で自発性の原理が定められている場合でさえも,生じかねない。
(p84)
 (*)本来社会的に解決されるべき問題(たとえば差別)を「病気」や「疾患」として医療的に定義し,問題の責任は社会にではなく当の本人にあるとして,問題を医療的手段等を用いて「解決」しようとすること。アーヴィング・ケネス・ゾラ(Irving Kenneth Zola)がHealthism and disabling medicalization.1977(「健康主義と人の能力を奪う医療化」イリッチ編『専門家時代の幻想』尾崎浩訳,新評論,1984年所収)で,イヴァン・イリッチ(Ivan Illich)がLimits to Medicine.1977(『脱病院化社会』金子嗣郎訳,晶文社,1979年)で提起した問題。


立岩真也, 20020201, 「生存の争い──医療の現代史のために・1」『現代思想』(2002-2).
 自分が欲しいものを得られるから、健康を得られるから医療を受ける、医療を行なう。そして近代医学・医療はそれに成功したから普及した、実績によって、つまり病気を直せたのでしかるべき位置を占めたと言う。
 しかしそうか★12。そういうことになっているが、またそのつもりではあるが、結果的には害を与えていることがあるではないか。効かない、むしろかえって害を与えてしまうことが幾度もあった。そんなことが懐疑・批判の背景にはあった。
 それはむしろ健康を害している、だから近代医学・医療はだめなのだという言説が一定の効力を持ち、反響を得ることになる。例えばイリイチが書いて『脱病院化社会』と訳された本がある(Illich[1976=1979])。この本は、一つに、近代医学・医療が「効かない」という主張をした。近代医学は病気をなおさない、かえって作っている、人を健康にするどころか、かえって人に害を与えているというのである。
 こうした主張は「近代」という括り方をし、自らの主張は「反近代」という位置をとることにもなる。つまり「近代科学」「近代医学」での「身体」や「健康」の捉え方が間違っているという把握があり、批判となる。代案として、別の医療を対置するという方向にも行く。技術は技術としてよいものだが、あるいは中立的なものだが、使い方を間違えるといけないという言い方でたいていは済まされ、医療における消費者主義もほぼこの範囲で主張されてきたのだが、しかし、そのようには割り切れないものを感じられてはいる。例えば公害病のことである。近代がそれをもたらし、解決できないでいる、そのように受け止めれらる。
 さらに「専門家支配」として事態は捉えられる。それは、自らの側にある病いの意味づけを奪い、別のものに置き換えようとする営みであるとされる。専門家が口をはさみ、身体を扱うことによって、私(たち)の身体、身体の自律が侵害されていると言う。「専門家」に対して「自分」を、「科学」に対して例えば「民衆知」を言う。自分たちの側にあるもの(あったもの)を再評価しようという動きとなる。例えば、近代医学・医療は病を部品の故障としてみる、故障を直すように働きかけるが、身体とその状態は全体としてあるから、全体としてみなくてはならないと言われる。あるいは、近代医学・医療は自らにそなわっている治癒力を信じず、もっぱらその解決を外側から与えようとしているとされる。医療や身体を対象とする人類学や民族学や民俗学もそんな背景があって盛んになり、さまざまの本も出され、読まれる。
 こうした主張は、近代を超えるとか近代への代替案などというとなんでも胡散臭く思う人が思うほど、疑り深くなってしまう人が疑うほど、怪しくはなく素朴すぎるものでもない。少なくともいくらかはあたっている、というより大筋ではもっともな、正当な主張である。しかしこれは、近代医学・医療批判としては十分には効かない。
 一番平凡な反論は、近代医学は全部について成功をおさめたわけではないが、しかし部分的には成功したというものだ。あるいは万能ではないが他よりは効くというものだ。
 批判者たちは、そのことをいくらかは認め、ただその効果が限定的であることを言うこと自体に意味があるのだと言うだろうか。万能だと思われているのだから、そのくらいが確認されれば十分だと言うかもしれない。ただ、これは現状をどう見るかによる。そうたいしたものではないことは普通の人なら知っている。しかし他になにかあるかというとそれもない。効くものもあるけれどもそうでないものもある。限定的であれなんであれ、この技術に使えることがあることもまた否定できない。過度に期待していても、事実に裏切られるから、信じなくなる。私たちは病院で指図されたとおりにはしないし、医者がいったい何を言っているのかもわかってはいないし、わかろうとしない。しかしそれは、そのくらいのものとして信じ、使っているということでもある。
 第二に、近代医学・医療は、自らを拡張し、境界を定かでなくし、むしろ飲み込んでしまおうとする。もともと医療には場当たり主義的なところがあり、因果関係は解明されておらずなぜだかわからないがこの薬はこの病気に効くようだから使うといったことはいくらでもある。漢方薬がなぜか効くようなら使うかもしれない。あるいは自分の技では手に負えずに困っていて、患者会、自助組織がそのところをうまくやってくれるならそれを使う、そこに委ねることもあるだろう。こうして近代医学と違うもの、違うとされるのものも、やがて(近代)医療の中に採り入れられていく。あるいは内側に取り入れないとしても、共存していくのに吝かではない。近代医学と呼ばれるものにしても、演繹的であろうとし論理的であろうとし、そのように自称するだろうが、実際には経験知の暫定的な集積であり、受け入れられるものは受け入れていく。
 であると同時に、近代医学は、この病気の原因はこれであるという知識の集積ではない。今述べた二つは矛盾してはいない。それは中身と言うよりは入れ物のようなものであって、予め決まったものが入っているわけではないということである。むろんそれに対して、おいしいものだけを自分の篭に入れてしまってそれも自分のものだと言い張るのはずるいと批判することはできる。だが、その批判のいくらかは認めつつも、入れること自体は不当でないと反論するだろうし、それを否定できないところがある。というのも、病があるとき、まだその具体的な機制が解明されていないにせよ、なにかしらの物理的・生理的な現象が起こっていることもまた否定できないことではあるとして、近代医学とはそのぐらいの前提で成立しているのだとすれば、そこに一切合財が放り込まれてもあながち不当とは言えないことになる。近代医学にとっては、現在ある個別の理論は否定されてもかまわない。それ自体は確定した内容をもたず、自らを変容させ、拡張していくことができる。
 とすると、個々の病気についてそれぞれに原因と治療法を特定し固定するような型の知識・信憑の体系の方がむしろ弱いところがある。取り込まれることを警戒して、こちらは体系として近代医学・医療と異なる以上、容易に取り込んだり、取り込まれたりできないはずだという言い方も可能ではあるのだが、このように言うとかえって──その近代医学でない方の医学も、もともとはそう確固として固定された体系ではなかったかもしれないのに──自らを限定してしまうことになりうる。原因論については、そこで言われているのは、近代医学で言うような病因と同じものではない、それは病と身体との連関を象徴的に示しているのだ、などと言って、同じ土俵に乗らないでいることはできよう。ただ、治療法となるとどうか。既存の個別の説・方法を否定して新しいものに乗り換えることのできる方が有利になってしまう。
 もちろん、それぞれの集団は、自らが使ってきた方法を守ろうとし、それ以外のものを排除しようとする。近代医学や、その内部の様々な流派もそうだったし、これからもそうだろう。だが、こうした狭い範囲内の権益の確保、既得権の維持といった要因を除けば、自己変容や包接といったことが起こって不思議ではない。そしてそれは消費する側、支出する側の圧力によって促進されることがあるだろう。研究者・供給者も、利用者、資源の提供者側の意向をある程度は聞かざるをえない。
 自らがどの程度のことができるかできないかを知り、他のものを取り入れる、そうして変わっていくことには積極的な意味があるだろう。その方に向けた反省を促せたとしたら、それだけで積極的な効果、貢献であったとも言える。そしてたいていの人は、医学・医療の方がどうであろうと、そういう健全な使い方をしている。どういう流儀でなくてはならないという人は変わった人であり、こちらには漢方が効くが、これは手術してもらうしかない、そんなところで選んでいる。そして、さまざまの非近代(発生の)医学にしても、多くは今の主流派との分業や協業に積極的であったりする。
 こうして、この種の批判は、むろん様々に無効あるいは有害な知識や手法はそれとして指摘されるべきだが、「根本的な批判」であろうとするつもりなら、限界がある。指摘は周縁からのものになってしまい、陣取り合戦でどちらが多くをとっているかという争いであるとすると、どのくらいの陣地をとれば勝ったことになるのかにもよるが、あまり勝っている感じになれない。繰り返すと、これは単に技術の効力の問題ではなく、定義の問題でもある。近代医学・医療はあらかじめ大きな陣地をとれるような自己規定をしてしまっていて、あるいはその方に自らを変容させてしまっていて、「そうでないもの」として自らを規定する側は、その時点ですでに不利になってしまっているのである★13。


天田城介, 20030228, 『〈老い衰えゆくこと〉の社会学』多賀出版.
(第3章1節1項「「脱施設化」再考――ホスピタリズムからの脱却」)
 こうした「脱施設化」をより一層推進する上で一つの役割を担った社会(科)学的な主題として、1950年代末以降に展開された反施設的イデオロギーを指摘しないわけにはいかない。
 1959年、R.バートンは『病院神経症(Institutional Neurosis)』にて、隔離・収容された精神病院に長期入院している患者は、社会性の喪失や職員からのからかい・脅迫・暴力によって、あるいは自分の身体や持ち物を管理されることを通して、一層の孤立感を強め、次第に無感動になってゆく様を描写し、こうした施設入所によってもたらされる事態を「施設神経症(Institutional Neurosis)」?後に「施設病(hospitalism)」と称されることになる?と呼んだ(Burton 1959)。この書はいわゆる「施設の逆機能」が言説化される契機となった著作である。
 そして、1961年には、ラベリング理論から一定の影響を受けながらゴフマンが『アサイラム(Asylums)』を発表し、1966年にはゴフマンよりも一層積極的にラベリング理論を前面に打ち出したT.J.シェフが『狂気の烙印(Being Mentally Ill)』を提示することとなった。周知の通り、こうしたラベリング理論の登場はそれまでの前提を根本から覆すことになった。
 すなわち、「精神病」とは患者個人の行動や性質を意味するものではなく、ある特定の個人が「精神病者」として名付けられ(ラベリングされ)、カテゴリー化されることによって構築されたものである、と。
 そして、同時期の1960年代にはR.D.レインが、続く1970年代にはT.サズが登場し、「反精神医学」を形成することとなり、より一層議論が活発化していったのである(*6)。
 こうした精神病院に対する反施設論的イデオロギーの言説化に踵を接するようにして、モリス(1969)は知的障害者の福祉施設を徹底的に記述し、ミラーとグウィン(1972)は肢体不自由者の施設「ル・コート」における「障害構築のエスノグラフィー」を完成させた。
 こうした時代的潮流にシンクロしながら、高齢者施設に対しても同様な批判がなされるに至ったのである。

 (*6)この後にI.イリイチの『脱病院化社会』『脱学校社会』などの施設批判の議論がある。彼は、こうした議論を通じて「施設」は主体を抑圧する、それ自体が「統制」の機制を内在していることを社会学的に明らかにしたのである(Illich 1975)。


◆福島智子, 200410, 「糖尿病の認識過程の検討――『生活習慣病』ではない一型糖尿病患者を事例として」『ソシオロジ』49(2)(通号 151):77-93.
(pp79-80)
 このように、DMの診断から治療の開始には、これまで治療の対象とならなかった個人が、血糖値などの検査値の正常からの変異(?)によって、新たに医療対象となっていくプロセスが認められる。そしてその契機となるのは、医師による診断である。医療がその対象を拡大していく現象を論じたコンラッドは「医療化」を次のように定義し、その事例として「精神病」や「アルコール依存症」、「多動症」などをあげている。
 「医療化とは、ある問題を医療的な観点から定義するということ(?)、ある問題を医学用語で記述するということ(?)、ある問題を理解するに際して医療的な枠組みを採用するということ(?)、ある問題を扱うに際して医療的介入を使用すること(?)を意味するのだ。」(括弧内の数字は筆者による)(Conrad[二〇〇三:一)
 この定義によれば、医療化は、「ある問題」がまず社会問題として存在し、それに医療的な枠組みを新たに当てはめる、というプロセスを辿るが、その意味ではDMは合致しない。しかし、先行する社会問題が不在であっても、「ある問題」自体が医師という専門家によって新たに作られる場合も、広い意味での「医療化」と考えるなら(?)、医療化論の枠組みにおいてDMを論じることは可能であると思われる。DMに医療化論を適用することによって、現行の近代医療によるDM治療が孕む問題を明らかにできるのではないか。この立場から本稿では、それまでは患者と同定されなかった人々が、治療の対象として医療に取り込まれ、医学知識に基づく治療方法が、病院という医療機関を離れて、患者の日常生活にまで及ぶことの意味を考えていく。ここで簡単に医療化の正負の帰結についてまとめておこう。(略)[p80>
 フリードソンやゾラ、イリイチといった医療化論者は、医療化の過程がもたらす負の帰結に強調点があり、個人の自己決定の剥奪に対する批判的まなざしがある(?)。本稿では、こうした医療化論の論調をそのまま踏襲することはせず、実際に「DM患者」とされた個人が、医療化の対象となっていくまさにそのなかで、どのような自己像を再構築していくかを明らかにする。


立岩真也, 20041115, 『ALS――不動の身体と息する機械』医学書院.
(第2章7節「補:医療の社会(科)学について」)
 この本は、ALSの治療法に発見に寄与するものでもなく、またALSの人たちの日常のために役に立つ本でもない。そのような書き物にどんな意味があるだろう。
 もちろん、社会科学に直接的な利用法はある。原因究明・治療法開発にしても、医療・福祉サービスの供給にしても、社会関係の中にあり、社会制度、社会的資源の配置のあり方に関わっている。それがどのようになっているのか、これからどのようにしたらよいのかという問題があり、そのために調べたり、考えたりすべきことがたくさんある。こうした意味で社会科学が仕事すべき領域はあるし、広がっている。そして私も、おもに介助に関わるところですこしの仕事はしてきたし(安積他[1995]所収の拙稿、立岩[2000b])、またこの本でもいくらかのことを述べるつもりだ。
 ただ、社会がどうなったらよいかを考えるためにも、いくらかは引いたところから見る必要があると思う。すぐに役に立つ学――それがどんなものかは、実際にはそう自明でないのだが――とはすこし異なったところに位置する学もあってよい。例えば社会学では、医療のための社会学(Sociology for Medecine)、医療における社会学(Sociology in Medecine)とすこし異なり、医療を対象とする社会学(Sociology of Medecine)といった言われ方がされることもある。それは、医療の側の言うことに反対するということでは必ずしもないのだが、少なくともそのままに肯定的に受け止めないこと、批判的であること、そのような姿勢を有している。
 それはとくに一九六〇年代以降の医療批判の流れとも連関している。先駆的な著作として、『脱病院化社会』と訳書の題名がつけられたイリイチの本(Illich[1976=1979])がよくあげられる。例えば「医療化」という言葉がある。医療を供給し推進する側にとっては、医療が広がっていくことはよいことであり、当然のこととされる。だから、「医療化」という言葉に批判的な意味合いが込められうることにはなかなか思いが至らないのだが、少なくとも人類学や社会学ではこの言葉にあらかじめ肯定的な意味はない。
 その人類学者や社会学者たちは、それほど妙なことを言ってはいない。むしろ、言われてみれば一つひとつもっともなことが指摘されている。ただ、各々性格が異なった様々なことが言われ、私の思うところ、多様な論点があまり整理されないままになっている。例えば、健康や身体に対する自律性が失われてしまいそれが医療の専門家に管理されてしまうことが問題にされる。また、それまで存在した身体観や健康に関わる技術が別のものに置き換えられることが問題にされる。近代的な技術が病を解決しないことが言われる。そして、精神病・精神障害とされるもの等、何もかもが病気にされてしまうことが問題にされる。さらに、医療、そして政治・経済、社会の側から個人の身体への介入がなされ、健康に向かわせる力が働いていることが批判的に捉えられる。
 このこととALSとはどのように関わっているか。ALSの人たちは治療法が見つかることを切実に望んでいる。そして、ALSは近代医学の延長線上に治療法のある病気だと思うとさきに述べた。となるとALSの場合は、近代医療・医学を批判したりその限界を言ったりする議論とは関係がないだろうか。そうとも言えない。かなり関わる部分がある。他方、ALSの側から見ていくと、近代医学・医療への批判にも、その言い方によっては紋切り型で乱暴な部分があることがわかる。


野口裕二, 20050125, 『ナラティヴの臨床社会学』勁草書房.
(pp158-161)
 近代医療のもたらす弊害について、きわめてラディカルな見方を示したのがイリイチ(?llich,1976)である。イリイチは医療が社会統制の主要なエージェントとなることによる弊害を「医原病」(Iatrogenesis)という言葉で表現する。
 医原病とは文字通り、「医療に原因がある病気」という意味であり、「医療そのものが健康に対する主要な脅威となりつつある」というイリイチの基本的認識を表す造語である。彼によれば、医原病には「臨床的」、「社会的」、「文化的」の三つの種類がある。
 「臨床的医原病」は、「過度の治療的副作用」および「医療過誤」を指しており、最近の事例でいえば、薬害エイズ問題や院内感染問題などがこれにあたる。たしかに、「医療に原因がある病気」には違いないが、これらは例外的な逸脱ケースと考えることもできる。これに対して、残りの二つは例外としては片付けられない面を含んでいる。
 「社会的医原病」は、個人の生活のさまざまな領域が医療の管理化におかれる結果、ひとびとの「不快と痛みに対する許容性を下げ、個人が苦しむ際にひとびとが譲歩する余地を低下させ、自己ケアの権利すら放棄させることによって不健康を作り出す」ことを指す。つまり、医療の守備範囲が拡大することにより、個人が「自らの内部の状態と状況に対する制御力を奪われてしまう」のである。生活の少なからぬ部分が医療の直接、間接の管理下におかれ、自己決定できる部分が相対的に縮小していくことを問題にしている。
 「文化的医原病」は、「医療企業が、人間が現実に耐え忍ぶ意志を吸い取るときに始まる」ものであり、「「受苦」という言葉が現実の人間反応を示すためにほとんど無効になる」ことを意味する。避けがたい苦痛を受け入れるという人間の能力が奪われていくというのである。社会的医原病が、自己制御や自己決定の能力の衰退を問題にするのに対し、文化的医原病は、忍耐や受苦の能力の衰退を問題にしている。
 これら二つの点は、かつてはひとに備わっていたある種の「能力」の衰退に着目するものであり、従来の議論にはみられなかった新たな問題点を示している。もちろん、耐え忍んで死ぬよりも専門家に助けてもらう方がいいとも言えるが、ちょっとした問題に関しても、耐え忍び、受け入れる能力がなくなるとすれば、それもまた問題といえよう。また、「尊厳死」のように、専門家に助けてもらって生きのびるよりは自ら死を選ぶという自己決定もありうる。
 ところで、これらの問題は、パーソンズが定式化した「病人役割」にともなう必然的な帰結としてとらえることができる。パーソンズが示したように、近代社会において病人になることには独特の義務が伴うが、そのうちのひとつが、「専門家に援助を求めその指示に従う義務」である(Parsons,1951)。この義務は、非科学的な自己流の治療ではなく、科学的根拠に基づく適切な治療をすみやかに受けることが最良の方策であるという意味で病人に求められる義務である。しかし、それは同時に、ひとが自分で考え自分で対処する機会を奪うものともいえる。専門家に援助を求め、そこで病気と認定されないと病人となることができないという意味でも、まさしく専門家が病気を作っているといえる。
 さらに、イリイチは、この問題を医療だけでなく専門家一般に広げて議論を展開する。そして、現代を「ひとびとを無能力化する専門家の時代(The Age of Disabling Profession)」と名付ける(Illich,1978)。「無能力化」とは「ひとびとの能力を奪う」という意味であり、さきほど述べた自己決定能力や忍耐能力の衰退のことを指している。「この時代は、ひとびとが「問題」をもち、エキスパートたちが「解答」をだし、科学者たちは「もろもろの能力」とか「もろもろの必要」とか本来測定しえないものを数量化しようとした、そういう時代」だというのである。
 それではどうしてこのようなことが起こったのか。「専門職がこんなに支配的になり、ひとびとが無能力化するようになったのも、エキスパートがひとびとに押し付ける不足(lack)を、ひとびとが実際に必要なものとして受け止めるようになっていった」からだとイリイチは述べる。さらに、かつては「ニードという言葉はおもに動詞として使われていた」のだが、それが名詞として頻繁に使われるようになったことに着目する。「福祉専門職は、(中略)、「問題児」らが必要とするもの(ニード)を標準化しようと努めた。名詞として使われるニードは、専門職が肥大化し、支配的地位を得るうえで「まぐさ」の役割を果たした」(Illic,1978)。
 あまりに辛辣な言い方ではあるが、福祉の専門化の進展が、「ニード」という概念を中心に進められていったことは重要な点である。それは、医療化における 「疾患」という概念とちょうど対応するものといえる。さらに、動詞から名詞への変化は、それが操作すべきものであり、操作可能なものであるという意味合いを強めていく過程を示している。専門化は、専門的な操作対象の確立(=「名詞化」) によって進展する。このことをイリイチの議論は教えている。


松田純, 20050215, 『遺伝子技術の進展と人間の未来――ドイツ生命環境倫理学に学ぶ』知泉書館.
(pp127-130)
 健康保険からの「治療」費支払いをめぐって法廷で争われた場合、(診断、治療 therapy、緩和、予防を含む)「治療(treatment)」と治療を越えるエンハンスメントとを区別する線引きが医療経済政策上必要となる。こうしたケースでは、疾患に基づくアプローチが有効である。患者の病的状態を同定できれば、それへの対処は適正な医療と言える。患者の病的状態を同定できなければ、エンハンスメントの疑いが生じる。健康保険がどこまで医療費を支払うかを決めるためにも、治療とエンハンスメントという区別は必要である。これは、誰をどこまで治療し、どこまで保険や公費を適用するかという政策的レベルの問題であり、医師としての職業倫理の問題でもある。
  三 エンハンスメントによって医療は健康サービス業に変質する
 低身長症に悩んだドイツの青年はついに伸長手術という大きな侵襲を伴う介入まで断行した。[p128>社会的な偏見や差別構造を変えようとするのではなく、不利な立場にある肉体そのものを改造することにのみ集中した。それは結果として、社会的差別構造を永続化することになりはしないか。これはゾラやイリッチが提起した「医療化(medicalization)(*6)」という問題圏に含まれる。医療化とは、心身の状態を、病気でもないのに、治療が必要だと定義し、そうすることで医薬品や治療への需要を高めて行く過程のことを言う。本来社会的に解決されるべき問題(例えば差別)を「病気」や「疾患」として医療問題に転化し、問題の責任を社会にではなく当の本人にあるとして、医療的手段等を投入することにもなる。(略)[p129>
 このような「なんでも夢かなえます」というエンハンスメント・サービスが普及した場合、医療とは異質なものが「医療化」される傾向がいっそう強まるだろう。病気でなかったものまで[p130>「病気」にして、医学的介入の対象とする。「理想」の「健康」状態があくことなく追求される。医療は患者の要望に基づく「サービス業」に変質するであろう。患者は「病める人」から「顧客(customer)」となり、医師は人体改造の「請け負い人」に成り下がる。医療倫理は「患者中心」どころか、「顧客中心の医療」を謳うことになろう。医療の現場ではこれまで医師-患者間の信頼関係が重視されてきた。エンハンスメントの普及とともに、医師-患者関係は倫理的な統制を離れて、健康産業という市場における売り手と顧客との一種の契約関係が中心となるだろう。それとともに、「病気」、「健康」、「医療」のいずれの概念も拡大することになろう。こうした傾向には、医療の本来の使命や目的とは何かという、医の自己了解が問われている。さらには、人間のあり方そのもの、人間の自己了解も問われてくる。これについて、次に遺伝子操作による人間改造技術を例に考察する。
(注p18)
 (*6)アーヴィング・ケネス・ゾラ(Irving Kenneth Zola)が Healthism and disabling medicalization. 1977 (「健康主義と人の能力を奪う医療化」イリッチ編『専門家時代の幻想』尾崎浩訳、新評論、1984年所収)でイヴァン・イリッチ(Ivan Illich)が Limits to Medicine. 1977(『脱病院化社会』金子嗣郎訳、晶文社、1979年)で提起した問題。医療化の概念を用いてエンハンスメントを考察した Lanzerath, D., Enhancement: Form der Vervollkommnung des Menschen durch Medikalisierung der Lebenswelt? Ein Werkstattbericht. in: Honnefelder, L., Streffer, C. (Hrsg.): Jahybuch fuy Wissenschaft und Ethik, Bd. 7, Berlin, New York 2002, S. 319-336 参照。


◆額賀淑郎, 20060331, 「医療化論と生物医療化論」『社会学評論』56(4):815-829.
(pp818-819)
 1970年代の医療化論は、医療社会学における重要な研究テーマとして提唱され、医学の統括権の拡張を批判的に指摘することが多かった。医療化とは非医学的な問題が医学の問題として再定義される過程を意味した。つまり、日常生活の社会現象を説明するために医学用語が用いられ、治療を目的とする医学的介入が行われることをさす。本稿では詳細に論じないが、医療化概念に影響を与えた概念の1つとして、T.パーソンズの「病人役割(sick role)」(Parsons1958=1973)という概念を挙げることが出来る。
 フリードソンは「病人役割」概念を批判的に用いながら、「逸脱の医療化」というテーマを発展させた(Freidson1970)。また、フリードソンは初期の「医療化」概念を提唱したピッツの論文(Pitts1968)を引用しながら、「逸脱の医療化」とは専門家による管理統制を強化することであり、患者個人への善行や専門家の知識を盾に、普通の人々から自分の行動を評価する権利を奪うことにあると唱えた。彼の医療化論は、専門職論に基づいていたといえるだろう。また、フリードソンによれば、医療専門職は「自律的な主体」として特徴づけられ、患者への統制は、専門職の役割として当然の帰結といえる(Freidson1970)。このような「逸脱の医療化」という議論の前提には、「疾病」と「病い」の分類モデルが存在する。「生物学的事実としての疾病」と「社会的逸脱としての病い」を区別することで、医療社会学の研究対象となるのは、「病いのラベル」分析だけであると限定したのである。
 フリードソンは「医療を対象とする社会学」の発展に貢献しているが、医療化論の研究対象を限定した。そして、社会学者には「疾病」を科学的根拠に基づいて研究する資格はなく、その領域は医師や自然科学者に任せるべきであると論じた。この二重構造により、「生物学的事実としての疾病」は所与の客観的事実とみなされたためその分析は欠落し、代わって「逸脱としての病い」というラベリング理論が発展した。医療化論においては、「逸脱の医療化」あるいは「病いの社会的構築」という2つの選択肢が残された。
 「逸脱の医療化」概念は、資本主義社会における権力の不平等な配分を分析対象とする闘争理論において、特に反響があった。例えば、I.イリイチは「日常生活の医療化」を提唱して、医療の拡大を警告した(1975=1998)。I.ゾラは、過去において多くの「病い」が放任されてきたことを指摘し、特定の行動が病的だと定義することで、医学がいかに社会統制の道具となったのかを論じた(Zola1972)。これらの研究は、「逸脱の医療化」という概念をさらに「社会の医療イロという概念へ広げる役割を果たした。
 このように、初期の医療化論は、近代社会の自由主義的伝統の視点から、医療へ[p819>の異議申し立てという側面を色濃く残していた(進藤2003)。しかしその一方で、医療社会学者の中には、そのような医療化論に異議を唱える者もいた。例えば、フオックスは、医療化とは複雑で曖昧な過程であり、米国では、医療化の傾向と同時に「脱医療化」の傾向も見られると論じた(Fox1977)。脱医療化の例として、フオックスは、アメリカ精神医学会において、同性愛が一度は精神病の分類に認定されながらも、その認定が取り消された事実を指摘した。
 P.コンラッドとJ.シュナイダーは、象徴的相互作用主義のラベリング理論の立場から、Deviced and Medicalizationという、逸脱の医療化に関して包括的な著書を発表した。医療化の歴史的な展開と構造的な性質を身析し、アルコール依存、薬物依存、児童虐待、同性愛などは、もともと医学的な問題ではなく、日常生活世界の問題であるとした(Conrad and shneider1980)。そして、医学の境界が拡大した結果、一般市民や医学の専門家が社会現象の医学的説明に対して非現実的な信頼を抱くようになると彼らは論じた。このような視点から、医療化はいろいろなレベルで起こり得ることを明らかにした。例えば、概念のレベルでは、日常生活の問題が医学の専門用語として再定義される。コミュニケーションのレベルでは、日常生活の問題に対して実際の診断や治療が行われる∴制度のレベルでは、医師の医療行為を正当化することができる。しかし、コンラッドとシュナイダーは、専門化された生物医学の問題を詳しく実証的に分析するまでには至らなかった。このように、1970年代において、医療化論は「医療の社会学」の理論枠組の中だけで議論されたといえる。


細田満和子, 20061100, 『脳卒中を生きる意味――病いと障害の社会学』青海社.
(第1章)
 やがて医療社会学はアメリカを中心に英語圏で、1960年代の終わりから1970年代にかけて、医療を外側から対象としてみる視座を強化しながら隆盛を迎えた。そこでは、従来から正当なものとみなされてきた生物医学的な取り扱い方に対して、病むということの社会的な側面が強調されてきた。すなわち医療専門職と患者との関係性や、医療専門職によるサービス提供システムといった側面である。
 そもそも生物医学自体も、西洋近代に特殊固有に展開されたものである[Foucault 1963=1969]。しかし、その見方は医療として制度化され、身体の痛みや不具合を理解したり除去したりする際の最も主要な参照点と考えられてきた。このような状況の中で、生物医学的な把握の仕方では、人が病むということを理解しきれないことを明らかにしようとした研究が、次第に医療社会学として結実したのである。
 ただし、そこでは身体の不具合を治す側、すなわち医療専門職が主たる研究の対象になっており、その権力性を暴くことが中心的な課題であった。そして、個々の病む人は研究対象となったとしても、患者として医療専門職によって統制され、抑圧される存在として限られることが多かった。
 この時期には、フィールドワークに基づいて精神医療の統制性を暴いたE. ゴッフマン、医療専門職(=医師)による患者の支配という構造を読み解いたE. フリードソン、医療を徹底的に批判したI. イリイチらによる諸研究が相次いで刊行された[Goffman 1961=1984, Freidson 1970=1992、Illich 1976=1979]。そしてこれらの影響を受けて、その後の医療社会学では、医療をコンフリクトの視座から捉え、医療専門職による患者の支配や抑圧を権力として批判するようなタイプの研究が盛んに行われた[Garhardt 1989]。
 こうした医療社会学は、日本にも多大な影響を与えてきた。そしてこの路線で行われた研究が、欧米に約10年から20年遅れいくつか出されてた[中野1976、1992、佐藤・黒田編1998、進藤・黒田編1999、黒田編2001]。
  医療社会学の新しい潮流
 やがて欧米においては、身体の痛みや不具合を抱える人を、医療専門職による治療や統制の対象ではなくて、病いや障害と共に生きる主体的な人として捉えようとする視座が、1980年代以降における医療社会学の展開の中で強調されるようになってきた。これらの研究は、医療社会学が医療という視座からしか病むということの側面を捉え切れなかったことへの反省から、健康と病いの社会学(sociology of health and illness)という新しい呼称を提示した[Corbin and Strauss 1987, 1991、Bury 1982、Charmaz 1983, 1987]。
 P. コンラッドは、1980年代以降の病いや障害を持つ本人への関心の移行を、外部者(outsider)の視座から内部者(insider)の視座への転換と捉えた(Conrad 1987)。外部者とは医療専門職や社会など病む人を取り巻く人のことで、内部者とは病いや障害を持つその人のことである。
(第3章)
 医療専門職は、一定の期間が過ぎれば障害は「治らない」ものと考える。そして元通りに回復することは見込めないので、今以上に良くなるという期待を持たせないために患者に障害の「受容」を促していた。しかし脳卒中になった彼らは、諦めたりはせず、「自分でやるしかない」と思ってリハビリ訓練を続けていた。「自分でやるしかない」と思ってリハビリ訓練をするところには、彼らが自らの身体に対して主体的に関わろうとする態度が見出せる。すなわち彼らは、医学的知識を背景に持つ医療専門職による身体の評価を覆し、自らの力によって自らの身体を取り戻しているといえる。
 近代医学は、M. フーコーが指摘したように、臨床医学的なまなざしの下に身体を可視化した[Foucault 1963=1969]。その結果、身体に痛みや不具合が生じれば病院に行き、検査をして、検査結果を基に診断や治療されることが制度として常態化された。これは医療化(medicalization)といわれており、今日の病いを取り巻く諸状況は医療化で覆い尽くされているとまでいわれている[Illich 1976=1979, Conrad and Schneider 1980→1992=2003]。
 確かにこれまでみてきたように、脳卒中になった人々は、医療制度のレールに沿って、検査、診断、治療が行われるという経験をしていた。(略)
 そこでは、身体は測定に依存した医療専門職にゆだねられている。身体の内部は可視化され、B. ドゥーデンが脱身体化と呼ぶ事態が生じていた。それは身体の客体化といってもよいだろう。
 脳卒中になって人々は、身体の半分が麻痺し、それまでのように思い通りに動くという身体の自明性を失ったと感じるようになる。その上に、医学的まなざしによって、身体の自明性の喪失を決定的なものにされていた。
  客体化された身体を主体的に取り戻す
 しかしながら、彼らは「そんなことはない」という抵抗をしていた。そして「治らない」と言われたところから、自ら「治った」と思えるところまで身体に対する働きかけをしていた。これが、彼らにとってのリハビリ訓練なのである。彼らは、医学の支配する客体化されたものから自らの思い欲するところのものへと、自らの身体を主体的に取り戻していた。そこには、数々の試行錯誤が積み重なっていた。


松田純, 200701, 「エンハンスメント(増強的介入)と〈人間の弱さ〉の価値」島薗進・永見勇監修『スピリチュアリティといのちの未来──危機の時代における科学と宗教』人文書院.
(pp2-3)
 ライフスタイルドラッグ (lifestyle drugs)と呼ばれる薬の利用がとくにインターネットを介して急速に広がり,製薬業界もこの新市場に熱い視線を注いでいる。生命(いのち) に直接関わるような病気の治療のためではなく,人によっては気になる身体(からだ) の症状や生活習慣を改善することによって生活の質を高め,幸福感を高める薬のことで,「生活改善薬」とも訳される。気分をよくするためのドラッグや,精神機能を改善し「賢くするスマート・ドラッグ」等の宣伝がウェッブ上にあふれている。パキシルやプロザックなどの抗うつ薬が,うつ病患者でもないのに,「ちょっと落ちこんだ気分を爽快にしたい」といった目的で気軽に服用される場合もある。こうした利用例は,問題の発生源には手を触れずに表面に現れた症状のみを変えようとする。ストレスの多い社会であれば,少しでもストレスが少なくなるように,職場環境や労働条件,人間関係の改善に努めるとか,自身の心のありようや心構えを改めるのが筋であろう。「○○さえ飲めば気分スッキリ」はあまりにも安易である。本来の社会的な問題の解決をなおざりにして,人間の脳と精神の方を薬理学的に操作する対象とするのは,本質的問題から眼をそらせることになる。それゆえエンハンスメントには,目的に対してそれが正当な手段かという問いが提起される。
 それはゾラやイリッチが提起した「医療化(medicalization)」(*2)という問題圏に含まれる。医療化とは,心身の状態を,病気でもないのに,治療が必要だと定義し,そうすることで医薬品や治療への需要を高めて行く過程のことを言う。本来社会的に解決されるべき問題(例えば差別)を「病気」や「疾患」として医療問題に転化し,問題の責任を社会にではなく当の本人にあるとして,医療的手段等を投入することにもなる。[p3>
 このような「なんでも夢かなえます」というエンハンスメント・サービスが普及した場合,「医療化」はいっそう強まるだろう。病気でなかったものまで「病気」にして,医学的介入の対象とする。「理想」の「健康」状態があくことなく追求される。医療は患者の要望に基づく「サービス業」に変質する。患者は「病める人」から「顧客 (customer)」となり,医師は人体改造の「請け負い人」に成り下がる。医療倫理は「患者中心」どころか,「顧客中心の医療」を謳うことになろう。医療の現場ではこれまで医師‐患者間の信頼関係が重視されてきた。エンハンスメントの普及とともに,医師‐患者関係は倫理的な統制を離れて,健康産業という市場における売り手と顧客との一種の契約関係が中心となるだろう。それとともに,「病気」,「健康」,「医療」のいずれの概念も拡大することになろう。こうした傾向には,医療の本来の使命や目的とは何かという,医の自己了解が問われている。さらには,人間のあり方そのもの,人間の自己了解も問われてくる。

 (*2)アーヴィング・ケネス・ゾラ(Irving Kenneth Zola)が Healthism and disabling medicalization. 1977(「健康主義と人の能力を奪う医療化」イリッチ編『専門家時代の幻想』尾崎浩訳,新評論, 1984年所収)で,イヴァン・イリッチ (Ivan Illich)が Limits to Medicine.1977(『脱病院化社会』金子嗣郎訳,晶文社, 1979年)で提起した問題。医療化の概念を用いてエンハンスメントを考察した Dirk Lanzerath ,Enhancement: Form der Vervollkommnung des Menschen durch Medikalisierung der Lebenswelt? Ein Werkstattbericht. In: Honnefelder, L., Streffer, C. (Hrsg.): Jahrbuch fur Wissenschaft und Ethik, Bd. 7, Berlin, New York 2002 S. 319-336参照。


星加良司, 20070225, 『障害とは何か――ディスアビリティの社会理論に向けて』生活書院.
(第1章1節2項 「帰責性による解釈」)
 責任帰属による「社会モデル」の解釈には、いくつかの困難がある。第一に、少なくともディスアビリティ認識に関わる理論的水準で「社会モデル」を捉える場合、責任帰属による解釈はやや奇妙な構造になっている。「社会が補うべき障害の側面や範囲をディスアビリティと呼」(ibid.)ぶとすると、何について社会が解消責任を負うのかが予め特定されていなければ、ディスアビリティを特定することもできない。しかし、それを特定する基準は用意されていないばかりか、そもそもそれをディスアビリティという現象の特有性に言及することなく特定できるのかどうか疑わしい。本書第3章第1節での議論をやや先取りしておけば、一般的な責任帰属の線引きを適用することによってはディスアビリティ現象を十分に焦点化することができず(むしろそうであるからこそ特有な社会現象としてのディスアビリティを主題化する理由がある)、帰責されるべき問題の特定化という作業そのものがディスアビリティの認識論を含むことにならざるを得ないと思われる。そうだとすれば、帰責性による解釈においては二次的ないし付随的な位置に置かれている、社会が解消責任を負うべき不利益とは何であるのかという問い自体が、むしろディスアビリティ認識についての一次的な回答を準備することになっており、その意味で冗長な理論構成を採っていることになる。
 第二に、責任帰属によるディスアビリティの特定化は、「社会モデル」の提起に当たって焦点が当てられた問題と、完全には重ならない部分を持っている。これについて考えるために、従来のディスアビリティ認識が「個人モデル」として批判された際のポイントについて、今一度確認してみよう。「個人モデル」への批判の主要なポイントが、個人の身体に介入し、インペアメントの消去を目指す医療的な処置に向けられたものであったことは、既に見た(本節1)。そこでは、医師などの専門家が障害者を医療の対象として捉え、「健常」「正常」へと近づけようとする磁場の中に障害者をからめとっていったことが批判され、そうした社会の「医療化medicalization」(Illich 1976=1979)の中で障害者が受動的なサービスの受け手として無力化されていったことが告発された。
 またオリバーは、「個人モデル」的なディスアビリティ理解の問題性について、以下のように指摘している。
 「したがってこの想定は、ディスアビリティとは、健康の観点では病理であり、福祉の観点では社会的なsocial問題だというものである。処置や治療は、病理や問題に対する適切な社会のsocietal反応なのである。」(Oliver 1996a: 129)
 これによれば、少なくとも障害が医学的・社会的に問題化されて以降、「個人モデル」においても社会による働きかけが無視されていたわけではなく、むしろ「処置」や「治療」という形で積極的になされようとしていた。まさにディスアビリティの問題は、医療をはじめとする専門家のコントロールの対象として「社会問題化」していたのである。その限りで、「個人モデル」においてディスアビリティの解消責任が個人にのみ帰属させられたという理解は正確ではない。そうではなくて、誰によって解消されるべきかということもさることながら、いかにして解消されるべきなのかが焦点化されたのではなかったか。(略)
 以上のことから、「社会モデル」の責任帰属による解釈は、その実践的効果に着目した場合には的を射たものであるが、ディスアビリティとは何か、という認識論的な問いへの回答としては必ずしも適切でないと考えられる。しかし、第2章・第3章で論じるように、ディスアビリティの特定に当たって規範的な問題へのアプローチが必要であることは、この解釈において示唆されており、その点は重要な着眼点であるといえる。

◆立岩 真也 2012 『……』 文献表


*作成:松枝 亜希子植村 要
UP:20071219, REV:20090618, 20100602, 20110803
Illich, Ivan  ◇医原病  ◇精神障害/精神障害者  ◇医療社会学  ◇BOOK
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