『エコノミメーシス』
Derrida, Jacques 1975 Economimesis in Mimesis des articulations, Aubier-Flammarion
=20060228 湯浅 博雄・小森 謙一郎訳,『エコノミメーシス』, 未來社, 156p. ISBN-10: 4624932544
■Derrida, Jacques. Economimesis in Mimesis des articulations, Aubier-Flammarion, 1975
=20060228 湯浅 博雄・小森 謙一郎訳,『エコノミメーシス』, 未來社, 156p. 1890
ISBN-10: 4624932544 ISBN-13: 978-4624932541 [amazon]
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■目次
エコノミミメーシス
〔はじめに〕
ミメーシスとしての産出
口例性
訳注
カント「美的判断の批判《とエコノミメーシス――解題に代えて 湯浅博雄
訳者あとがき
■引用
さらにカントは、「しるしや痕跡《について、「自然がその美しいフォルムにおいて象形的にわれわれに語りかけるところの暗号化された文字表記《と言っている。自然が私たちに示す美しいフォルム(諸形式)は、なにも意味するわけではないし、なにかの規定された目的をもつわけでもない。が、しかしそれらのフォルムはまたそのこと自体によって秘められた(暗号化された)しるし=記号でもある。自然の産出のなかに託された象形的なエクリチュール(暗号文)でもある。
こうしたしるし=記号はその作用(記号作用=意味作用)を行ない、なにかを告げるのであるが、しかしそういう作用や告げられるものは客観的真理として措定されているわけではない。私たちが美に関心をもつとき同時にモラル的関心も抱くということ。この議論は、次の点を前提にしている。つまり自然が示すしるしや痕跡は、概念に基づく学知によってコントロールされる必要がない、という前提である。たとえば、自然の白い花は快く美しいと同時に無垢という観念へとひとを導く。それは自然のランガージュを私たちが読み取っているのであるが、この読みを支えているのは信頼、信用である。自然の(暗号化された)言葉づかいの誠実さ、真正さを私たちは信じている。たとえその客観的なコントロールができなくても、信頼している。(pp.137-138『カント「美的判断の批判《とエコノミメーシス――解題に代えて』より)
*作成: 篠木 涼