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『医療を支える人びと』

朝日新聞社 編 19730815 朝日新聞社,朝日市民教室・日本の医療3,257p.


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■朝日新聞社 編 19730815 『医療を支える人びと』,朝日新聞社,朝日市民教室・日本の医療3,257p. ASIN: B000J9NO00 500 [amazon] ※

■目次

T 病人が病院へ行くと 石原 信吾
U 従事者たちのありよう 谷 みゆき
V 看護婦教育のなかのわたし 清水 昭美
W こんな教育がつくるこんな医師 高橋 晄正
X 患者は自分自身の治療者です なだ いなだ



高橋 晄正 19730815 「こんな教育がつくるこんな医師」,朝日新聞社編[19730815:167-220]
 1医学の門をくぐろう
 2教養部で問われていること
 3基礎医学とは何か
 4診断における経験主義
 5治療学の貧困
 6医療の社会性と人間の生存基盤
 7研究学教育の貧困
 8医師の卒後教育と大学闘争

 「6医療の社会性と人間の生存基盤
   胸につきつけられるメス
 臨床医としての私の狭隘な視野を社会に向けて切り開いてくれたのは、東大闘争のなかで一つの生物学者が『朝日ジャーナル』誌のなかで投じた次の一石であった。<0198<
 ――医者は患者を待ちかまえているだけでよいのか。患者は公害とか労災とかでむしばまれるかも知れない。その患者を治療して、再び労働力を搾取しようとする元の社会に帰さざるを得ないのであれば、医者という存在は、全く資本主義の矛盾を隠蔽し、ゆがみの部分を担って本質をかくす役割をになっているだけではないか――(最首悟
 私はこの短い文章を前にして必死に抵抗しようと試みている自分を意識した。出欠多量で死に瀕している何人かの人びとを私は助けたことがあったはずだ。だから、医師は決して資本主義の矛盾の隠蔽だけをしているのではない、といま一人の自分は反論する。それにもかかわらず、助かった患者たちは助けた私に感謝するだけで、自分たちを傷つけた社会矛盾の摘発にのり出さないとしたら、最首氏の批判はやはり真実性をもつといわなければならない……。」(高橋[19730815:198-199])
 →言及:20071223 「山田真に聞く」

 8医師の卒後教育と大学闘争
 「処分された学生のなかに、その日は久留米大学にオルグに行っていたという者が出てきた。それは医学部三年生の粒良君だった。私たち古い医局員たちは迷った。いったいどちらが真実なのか、と。私は旧革新的教授グループが現地調査を医共闘に申入れる橋渡しをし、彼らがそれを受入れたあとでその教授グループが不当にも調査を断ったところで、おせっかいにも精神科の原田講師(現・信州大学教授)をさそって久留米へ出掛けた、ということなのである。
 結局は、奇跡でも起らないかぎり、粒良君の主張を反論することは不可能であった。それは、「高橋・原田レポート」に詳細に書いてあるとおりである。」(高橋[19730815:217])
 →言及:20071223 「山田真に聞く」

 「全国の新革新派学生は全共闘の占拠した安田行動に結集し、東大闘争は全国大学闘争の中核部分となったかにみえた。しかし、大学闘争には、日大闘争にみられるように別な中心もあったことからもわかるように、東大闘争の発火点となった医学部問題もまた、日本の社会がかかえている社会矛盾にたいするラジカルな追及の一つの現れであって、それらが全共闘的エネルギーのもとに一気に噴出したのが大学闘争であったのだ。
 だから、医学部内部においても、やがて医局内部の教授を頂点とする封建的体制、学位論文目あてであって社会とあまりかかわりのない研究の空虚さ、講座制にみられる学問体系の硬直性のもつ矛盾、講座制の延長上にある学閥の弊害などが、容易に動こうとしない古い医局員たちに鋭いメスとなって突きつけられた。だが、医局内部は小児科や精神科という少数の領域を除いてほとんど動かなかった。」(高橋[19730815:218])
 →言及:20071223 「山田真に聞く」
 cf.東大闘争:おもに医学部周辺 
■言及

◆20071223 「山田真に聞く」


UP:20080118 REV:
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