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『たとえぼくに明日はなくとも――車椅子の上の17才の青春』

石川 正一 19730720 立風書房,234p.

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last update: 20180305

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■石川 正一 19730720 『たとえぼくに明日はなくとも――車椅子の上の17才の青春』,立風書房,234p. ASIN: B000JA018M 欠品 [amazon] ※ w/is11, md

■内容


■目次

序章
ぼくは20才で死ぬのか
10才の夏、ついに海辺で歩けない
お母さん、施設へいかせないで
ぼくはスターになっちゃった
ぼくの家は明るくていいね
ボランティアとともに
たとえ明日はなくとも
あとがき

■引用

◇序章

ぼくは石川正一、昭和三十年十一月十三日生れの、十七才の筋ジス患者です。

◇ぼくは20才で死ぬのか

「ぼくなんか生れてこなければよかったんだ!」
[……]「お母さん、もう、あんなことは言わないよ。生命をそまつにすることはいけないね。ごめんなさい。」(p.39)

人が死ねばとても悲しいじゃないか。誰もが、必ず死ぬのだということが解っていても、やはり悲しい事だよ。それは死ぬから悲しいのではなくて、実は”別れる”ということが悲しいのだ。(p.40)

お父さんね
自分の病気を
自分がなにもしらないということは
いけないことだと思うよ
だから 全部おしえて
こわいから言うんじゃないよ
こうき心で聞くんじゃないよ
生きるということは
自分をしるということなんだよ(p.43-44)

◇10才の夏、ついに海辺で歩けない

ぼく自分の足のこと考えると悲しくなる
そうだ
弱音を出したらいけないんだっけ
神様
ぼくの心を強くしてください
どうか悩まないようにしてください
  ○
お母さん
もう一度立ってみる
ちきしょう
ちきしょう
ぼくはもう駄目なんだ
ぼくなんかどうして生れてきたんだ!
生れてこなければよかったんだ!(p.47-48)

でもあの頃は真面目に考えたわけだよ。ぼくを一人で四国へ行かせるのは、きっとお母さんがぼくを好きじゃないからだって。だからぼくは、お母さんに「ぼくが好きか」と聞いた後では、「じゃあ、四国なんかへ、ぼくをやってしまわないよね」と決ってそう言った。(p.57)

やっぱり人間は
みんなローソクのようなものだよ
健康な人でも……
(p.60)

◇お母さん、施設へいかせないで

でも、徳島空港からタクシーで、徳島の町の通りを抜けて病院(註=徳島大学付属病院)へ着いた時、ぼくはずいぶんターコばちゃんにさからったよ。飛行機の 中では何でもなかったのに、病院の中に入ってから急に、ぼくはこれからこんな病人ばかりのところで生活するのかなあと思うと、とてもがまんできなくなって きたんだ。(p.68)

病院生活にあきて、早く東京に帰りたいという気持がおこると、「正ちゃん!」とひとこと言ったきりで、あのこわい顔でぼくをにらんだターコばちゃんを思い出すんだ。あれは心の支えだったよ。(p.70)

父親は一時、一家あげて徳島へ移住することまでを考えたという。(p.79)

……あと何年も生きられないにしても、この生命は正ちゃん自身のもの。その生命の時間に、いったい誰が手出しすることが出来るだろうか――
日記の中に、そのように記した多嘉子さんだった。(p.81)

障害者ばかりいるそんな施設で
手をとりあってなんていうあまいのは
ぼくは大きらいなんだよ
人間は もっときびしいことがなくちゃあいけないよ
手をとりあってなんて言われると
つくづく 残念だよ
[……](p.82)

◇ぼくはスターになっちゃった

「病院を退院できたら、ぼくも学校に行ける?ねえ、ターコばちゃん」
今でもはっきり憶えているけど、ぼくは思わずそう言いそうになり、途中で、これはいけないことだな、いまおばちゃんを心配させちゃいけないな、と考え直した。だからその言葉は口にしなかったわけだよ。(p.89)

いまの社会のつながりは
こわれているからね
人間と人間との
心のコミュニケーションがなくなっているからね
日野台教会の上先生が
”社会”という言葉の意味をおしえてくれた。
お互いに助けあうという意味なんだ。(p.110)

廊下で、じっと立ちどまってみつめている人たちに「なんですか?」と言うと「今日テレビにでていたね」だって。「ぼくはほんとに花形スターになっちゃったよ」よほど嬉しいらしく、得意そうに言っている正ちゃん。(p.118)

[……]蝶になるまでには
まだまだ変ってゆくね
脱皮したら
フクローの顔みたいになったよ
まだまだ変っていくね
こう造も変っていくね
じれったいな
早くいっぺんにさなぎになればいいのに(p.123)

◇ぼくの家は明るくていいね

帰京した後の正一君は、周囲の眼にも急速な人間的成長を見せ始めたからだ。家庭という微温の中になかった生きることの厳しさを、病院生活のなかで彼なりに体得したのだ。[……]家庭生活の中でも、死を背負った身障者の暗さなど感じられなくなった。彼の前では、「死」はすでに悲しみでもなく忌避の存在でもなかった。
石川家を訪れる人々は、「この家は、何て、明るいんだろう!」一様に口をそろえ、そのように感嘆した。(p.128)

家族でにぎやかに大笑いしたとたん、ふっと幼い生命を思い、
「神さま、そんなに早く正ちゃんを取らないで……」
あわてて席を外す。(p.151)

よく考えてみると
やはりぼくは信仰の上にあぐらをかいているよ
信仰があるから
こんな体でもあまり苦しまずにすんでいるのだ
きっと何もないんじゃないかな
弱いよ 人間は
だから信仰をもつのだね
人間が本来つよいものだったら
宗教なんて必要じゃないと思うよ
[……](p.152)

◇ボランティアとともに

日本には”社会”というものは出来上がっていないと思う。
石器時代のような大昔のほうが”社会”はあったと思う。(p.167)

晴子さんが作ってくれた料理を、その時ぼくは最初にたべたわけだ。その料理はぼくの口からお腹の中へ入ってゆき、やがて血となってぼくの体のいたるところへめぐっていった。そして、その頃からぼくは食べ物だけでなしに、晴子さんがぼくに話してくれた数々の言葉を、ぼくの耳をつうじて体中にしんとうさせるようになった。彼女の言葉が、ぼくの血になった。(p.173)

「晴子さんが、結婚するのか……」正一君はそのようにひとりごちたにちがいない。だがその日のことを、彼は日記にも記さず、手紙にも書かず、また口にもしなかった。彼はただ、深い沈黙の中でしか語らなかった。やがて、彼を訪なった晴子さんに、「よかったね、おめでとう……」と言った。(p.182)

◇たとえ明日はなくとも

もし、世間の人たちの本当の理解が得られないとしても、ぼくが筋ジスであるにもかかわらず、こうして生きているということを、言ったり考えたりすることが、誰かに聞いてもらえるとすれば、それはそれで意味があることだと思う。(p.191)

でもぼくは、自分で歩けなくなって、はじめて人間がひとりで歩くということの意味がわかったよ。みんなより早く死ぬかもしれないと思うから、生命の尊さがわかったよ。(p.192)

ときどき考えるわけだけど、足の病気や、不治の病を背負ったぼくたちは、社会の除け者にされているんじゃないのかと思うことがあるよ。(p.193)

だから、そういう街づくりをしたり、制度をつくっている健康な人たちの心も、ぼくにはやはり、閉ざされた壁として映ることがあるわけだよ。――「かわいそうに……」と思うのは、本当にぼくたちのことを理解していることにはならないんじゃないかってね。(p.193)

ぼくややはり、人間のねうちは完全燃焼できるかできないかによって決まるんじゃないかと思っている。そうだよ、完全燃焼できなければ、迫ってくる死を、ぼくは素直にうけいれることが出来ないんだ。(p.196)

でもぼくは、計算を度外視した気の合う人たちとの対話が一番大切だと思うよ。結局そのことが、考えてみると人間と人間との、あたたかい本当の対話であって、不完全だけれども完全をめざしてどりょくしているということにもつながってくるわけだよ。(p.201)

館野さんに負けずに、ぼくも生きよう!たとえぼくに明日という日がなくても、ぼくは生きよう!ぼくは心の中で、たしかめました。(p.208)

たとえぼくに明日はなくとも
たとえ短かい道のりを歩もうとも
生命は一つしかないのだ
だから何かをしないではいられない
一生けんめい心を忙しく働かせて
心のあかしをすること
それは釜のはげしく燃えさかる火にも似ている
釜の火は陶器を焼きあげるために精一杯燃えている
(p.212)

◇あとがき

死をのりこえられる程の生の喜びや満足が、はたしてこの住みにくい世の中にあるのだろうか、そしてまた、いざそれを自分で見つけ出すとなると、大変に難しいことのように思えます。[……]その意味では、この問題は障害や疾病の有無をこえた、ひとしく人間的で、普遍的な問題なのではないでしょう か。(p.225)

今の世の中で彼らの生きる喜びを妨げているものが何であるかを指摘することは、きわめて容易なことです。それは差別ということばにつきると思います。(p.225)

死が凡ての人間にとって不可避なものである以上、人間は誰しも、せめて威厳をもって死に臨み、誇り高く死を受け入れたいと願うはずです。(p.226)

筋ジスという重荷が不幸なのではなく、これを不幸として受けとめることが不幸なのであり、筋ジスというハンディがあるだけで、社会がこれを差別するところに、子供達の不幸がはじまることを、親や社会は、深く知らなければならないのだと思います。(p.226)

子供達がたどりつく最後のギリギリな認識が、結局自分たちと健康な子供達との間に残る最終の共通点は、「ただ生きているという事実、人間であるという事実。」だけだということになってまいります。(p.229)

宗教をこえた、ひとしく人間学的なアプローチとして、筋ジス運動の目的は、結局は子供が完全燃焼を可能とするような、物理的、機会的、人間的支援につきるという、理解がなされているようです。
[……]不条理な死の受容が成立する要因は二つあり、一つには燃えきって生き抜いた自己完結の満足であり、一つには自分の存在を、自分の人生を、自分の生き方を、心の底から理解し、認めていてくれる他者のいることだと考えられます。(p.231)

■言及

◆立岩真也 2014- 「身体の現代のために」,『現代思想』 文献表

◆最首悟

 「社長に対して「水銀飲め」、「お前もこのからだになってみろ」、「私を嫁にもらってみろ」とせまって(p.322)いくけれども、そういうことが全部実現されたからといって、どうなるもんじゃあない。どうなるもんじゃあないというところの、その這いずりまわり方の中で水俣病の人たちがそれぞれの人生をおくり、その中から水俣病になってよかったという言葉も出てきた。深い言葉です。
 障害というのは、私はすべて一大事だといいましたけども、それはそういうもんなんです。どのようなことが、いろんなことが実現したとしても、障害自体どうなるもんじゃあない。そのことによって人生どうなるもんじゃあない。そのところのすれ違いが大きいのです。つまり、障害をもっていない人や行政的な立場の人の方が、あるいは一般的に物事を考える人の方は、どういうことをすれば障害をもつ人の環境が楽になって、そして、障害をもつ人の気持も少しゆるやかになるか、家族も少し気持がほぐれるのか、と考えたりパパッと言ってしまう。生活が楽になるのはいいです。ひとまずいいことです。けれど、その先は、言っちゃあいけない。というか、言うこと自体が間違っている。障害をもって明るく生きようというようなことはないです。宗教的な透明な明るさというようなものはある。筋ジストロフィーの青年たちに見られるような、私の出合った石川正一君もそうでしたが、その明るさというのは、もう、世を越えての明るさです。でも、普通私たちが言える明るさというのはそういうのじゃあない。にもかかわらずそういうことを無神経に言われたら、障害をもつ人とか、障害をもつ家族はがっくりするわけです。」
「私たちは何をめざすのか」『平成六年度障害福祉関係者研修報告書』障害福祉報告書通算第5集、三重県飯南多気福祉事務所、1995年→「星子と場」(『星子が居る』pp.301-343)pp.322-323)


*作成:白居 弘佳(増補:村上 潔
UP: 20090619 REV: 20110331, 20180225, 0305
石川 左門  ◇筋ジストロフィー  ◇身体×世界:関連書籍  ◇BOOK
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