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『翻訳語の論理――言語にみる日本文化の構造』
柳父 章 19720615 法政大学出版局,338p.
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柳父 章
19720615 『翻訳語の論理――言語にみる日本文化の構造』,法政大学出版局,338p. ASIN: B000J95O6W 欠品
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→20030125 『翻訳語の論理――言語にみる日本文化の構造』,法政大学出版局,341p. ISBN-10: 4588436066 ISBN-13: 978-4588436062 欠品
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■内容(新版)
(「BOOK」データベースより)
日本人にとって〈翻訳〉とは何か―。『万葉集』における古代知識人の漢語翻訳の過程にわが国翻訳文化の原点をさぐるとともに、福沢諭吉、二葉亭四迷らによる近代西欧との格闘の経緯を分析しつつ外来文化受容における特殊日本的な言語現象を摘出し、翻訳を通じて日本文化の特質を抉る。
(「MARC」データベースより)
「万葉集」における古代知識人の漢語翻訳の過程にわが国翻訳文化の原点を探るとともに、福沢諭吉、二葉亭四迷らによる近代西欧との格闘の経緯を分析しつつ外来文化受容における特殊日本的な言語現象を摘出し、翻訳を通じて日本文化の特質を抉る。
■目次
第一編 物としての言葉
第一章 翻訳語との出会い
一 不透明な言葉
二 乱用されている言葉
三 「魅力」のある言葉
四 「やさしく」ならない言葉
五 「分らない」言葉
第二章 物としての言葉
第三章 翻訳語と日常語
一 日常語ではない言葉としての翻訳語
二 抽象的な思考を阻害する翻訳語
第四章 福沢諭吉における言葉使いの論理
一 日常語で考えた思想家
二 福沢諭吉における翻訳語
三 抽象概念をつくりだす思考――「人間交際」の概念
四 抽象概念をつくりだす思考――「外国交際」の概念
五 福沢諭吉と加藤弘之――帰納型論理と演繹型論理
六 演繹型論理を支配する「言葉」
第二編 万葉集における構文の分析
第一章 言葉と文字
一 文字とその意味
二 コトの文字とその意味
三 タマの文字とその意味
四 ヨの文字とその意味
第二章 構文分析の方法
第三章 構文分析による二つの典型
一 ヨノナカの分析
二 コトワリの分析
三 タマアフ、コトハカリの分析
四 演繹型構文と帰納型構文
第四章 翻訳語について
一 翻訳語とは何か
二 翻訳語受容形式の形成
第五章 ミコトの分析とその背景
一 はじめに
二 抽象語としてのミコト
三 ミコトの分析
四 分析結果と歴史的背景
五 奈良朝宮廷人におけるミコトの用例
六 家持におけるミコト
七 防人歌におけるミコト
八 家持のミコトと防人歌のミコト
第六章 タマノヲの分析とその背景
一 抽象語としてのタマノヲ
二 タマノヲの分析
三 分析結果による考察
第七章 トコヨの分析とその背景
一 抽象語としてのトコヨ
二 トコヨの分析
三 分析結果とその背景
四 トコヨの背景
五 翻訳語としてのトコヨ
六 蟲麻呂における帰納型の抽象語トコヨ
あとがき
■引用
「言葉は、意味の表現、伝達にとっても、もっとも理想的な用具である、と言われている。言葉は、意味を表す以外に、ほとんど何も表さない。図形や、身振りなどに、言葉の代用をさせることが、時にはある。が、言葉にとって代わることは難しい。図形や、身振りなどは、物理的な、それじたいの存在による意味が大きく、意図された表現、伝達の機能以外の意味を持ち過ぎるからである。機能以外の、それじたいの存在が表面に出過ぎているからである。これに対して、言葉は、重さも体積もなく、ほとんど純粋な「機能」である。機能以外に、それじたいの「存在」とも言うべきものを、ほとんど持っていない、と考えられている。このことはまた、言葉の透明性transparencyという表現で語られることもある。言葉を見る者は、直ちにその意味を見る。人は、言葉を通して、その意味を知るのであるが、言葉じたいは、人がその意味を知ることを何等妨げない。言葉は、この意味で透明である、とも言われている。
言葉についてのこのような考え方は、いわば正常な機能を持った言葉の場合である。言葉について考える人人は、もっぱらこのような「正常な」言葉について考えている。(p. 5)」
「明治の初年、私たちの先人は、西欧語という、私たちの言葉とはまったく異質の体系の言葉と直面した。当時のエリートたちは、このとき、それを原語のままで読み下し、喋り下してその意味を汲み取る、というだけでは満足しなかった。近代以後、西欧文明を受け入れたどの西欧圏外諸国のエリートにも、ほとんど不可能だった方法を企てたのである。彼らは、このまるで異質な世界に育った異質な言葉を、私たちはじしんの日本語の形に置き換え、日本語の文脈の中に移し植えようと試み始めた。即ち、翻訳という大事業を始めたのである。そして、それにほとんど成功したのだ、と今日の私たちは考えている。
が、それはまず、世界の文明史上でも稀な企てだたのである。しかも、一時に、大量に行われたのである。それは、言葉の歴史におけるどれ程大きな飛躍であったか。
本邦従来性理ノ書ヲ訳スル甚ダ稀ナリ。是ヲ以テ訳字ニ至リテハ固ヨリ適従スル所ヲ知ラズ。且漢土儒家の説ク所ニ比スルニ、心性ノ区分一層微細ナルノミナラズ、其指名スル所モ自ラ他義アルヲ以テ、別ニ字ヲ選ビ、語ヲ造ルハ亦已ムヲ得ザルニ出ズ。
当時のエリート、西周の有名な述懐である。彼らは、こうして「固ヨリ適従スル所ヲ知ラ」ぬ言葉と敢て取組み、結局、「別ニ字ヲ選ビ、語ヲ造」ったのであった。(p. 10)」
「作られた言葉である翻訳語は、結局、翻訳者、造語した者の意図通りの言葉にはならない。それは、海の彼方の先進文明国の言葉の意味を、そのままこちらに持ち運び、伝達し、勇効に機能する言葉とはなり得ない。(p. 35)」
「「言葉」のこのような現象は、知識人たちの思考の型を作っているように思われる。それは、日本の知識人たちの会話や、些細な文章から、まともな研究論文に至るまで、ほとんど無意識のうちに支配しているのではないか。たとえば、日本の「近代」とは何か、「古代奴隷制」は存在したか、「大衆社会状況」はどのように現れているか、等々、現実の具体的な事象を、抽象的な概念によって分析するときの、思考の型によく現れている。論者は、それらの概念が、現実の現象にどうあてはまるか、に注意を集中し、或いは争う。思考の型が抽象的である、と言うのではない。思考の働きが、抽象から具象へと向いていて、その逆ではないのである。その結果は、むしろ、具体的な資料は精緻に、詳細に調査され、記述される。が、調査された事実の方は、概念そのものをほとんど動かさないのである。前提となっている概念が、果してどこまで有効であるのか、という意見は稀である。(p. 46)」
「翻訳語で、「市民」という概念がある。citizenやcitoyenの翻訳語である。明治十五年、(p. 49)中江兆民は、ルソーのDu Contrat socialの翻訳、『民約譯解』の中で、このcitoyenを、「士」と訳している。これは、今日からみると、いささか不思議である。citoyenとは、日本語の士農工商でいえば、工商の階級により近い筈である。ところが、原著のcitoyenは、単なる社会的な階級の名称であるだけではない。時代を開くべき主体としての期待をかけられた階級であり、また相応の歴史を担った階級である。それは、明治初期の日本人の感覚で言えば、士農工商というよりは、士に近かった、とも言えたであろう。(p.50)」
「なぜこのような「権力の不平均」が黙認されているのか。それには二つの理由がある。と福沢は考える。
今の世に人民同権の説を唱る者少なからずと雖ども、其これを唱る者は大概皆洋学者流の人にして、即ち士族なり、国内中人以上の人なり。嘗て特権を有したる人なり。嘗て権力なくして人に窘められたる人に非ず、権力を握て人を窘めたる人なり。
だから、「御者車夫」「百姓町人」の立場における同権を、よく理解できないのだ。国内における「人間交際」の同権が不徹底だから、「外国交際」の同権について、よく自覚されるに至らないのである。(p. 72)」
「明治の初期の頃、およそ「国」という言葉は、目新しい概念の言葉であった。維新前まで、「国」とは、藩の領国を指す言葉であった。日本全体を「国」という言葉で語ることはきわめて稀であり、国学者など一部で使われているにすぎなかった。日本全体を指す言葉は、むしろ「天下」である。「国」という意識を必要としなかったのである。
「国」という新しい概念は、福沢の言う「外国交際」と共に生まれ、育ったのである。『文明論之概略』で、福沢は、この「国」という概念を苦心惨憺しつつ見つけ出し、或いは作り出していたのだった。
福沢のような、いわば文明的な「国」観に対して、国學の系譜を引く「国体論」があった。「国体」論は、やはりその背景に「外国交際」があるのだが、意識されていない。「交際」の契機を欠いた「国体」観は、きわめて観念的である。「国体」の論者にとって、「国体」は、無条件に絶対化されている。しかも、なぜ、どのような所が本質であるのかが明白でない。(p. 74)」
「ヨノナカという言葉は、仏教用語「世間」の翻訳語であった、と考えられる。
世間という文字は、聖徳太子が語った「世間虚仮、唯仏是真」などの文によって示されているように、仏教思想による現世批判を語る言葉として、当時既に知られていた。が、それは、当時の素朴な大和の人人にとっては、きわめて高度な、先進文明の思想を語る言葉であった。「このヨ」を否定し、人生を否定する、というような思想は、素朴な人人の考え方の中で自ずと育ってくるものではない。万葉には、ヨノナカの他にも、ヨの否定をよんだ作は多い。それらはことごとく、仏教や荘子などの外来思想の影響を受けた結果である、と考えられる。(p. 198)」
「およそ言葉の意味というものを、孤立した一つの言葉の概念として理解する試みは、常に不充分である。言葉の意味を概念として理解する試みには、もちろんそれなりの意義はある。意味の分析的な考察にとって、不可欠な方法である。が、常に不充分であり、不完全なのである。
言葉の意味の、もう一つの重要な部分は、文脈によって決定されている。言葉は、文脈中の他の多くの言葉と関係を持ち、その関係の中で機能として働く意味を持っている。言葉の意味を孤立した言葉の概念として理解する試みは、このような文脈中の意味を理解し難い。同じ言葉が、異なる文脈に置かれたとき、どのように異なる意味を持つか、という事情について、「概念」はよく理解できないのである。(p. 205)」
「言葉の一つの重要な意味は、文脈によって規定されている。さらに、その文脈の背後には、その言葉を含む文を語る人の、生活、慣習、文化、歴史がある。これらの意味形成の諸要件を含めて、広い意味で「文脈」contextと言うことができるだろう。
翻訳語は、言葉のこのような文脈上の意味について、もっとも理解困難な言葉なのである。極論すれば、翻訳語は、それがつくられ、育った文脈から切り離され、従って、文脈の中に生きている固有の意味を失った言葉である、と言うこともできる。この意味で、翻訳語とは、翻訳された原語とは明らかに違った性質の言葉である。また、翻訳という行為や、翻訳語の存在という事実が、言葉の文脈上の意味の重要さを、改めて私たちに教えてくれるのである。(p. 206)」
「抽象語は、具象語以上に、翻訳語とその原語との間の意味の違いは大きく、かつ重要である。抽象語は、まず、その指示する対象が明確でない。それだけいっそう、抽象語の意味は、文脈に依存している。特に学術用語のように、一定の目的に従って使用されるときは、概念として定義が置かれていることがある。が、定義は当然、他の言葉を必要とし、定義じしんによって知られる以上の意味を前提としている。一つの言葉の意味を知るには、辞書にあるすべての言葉の意味を知らなければならない、という一般意味論の主張は、抽象語の場合こそ、もっとも適切であろう。抽象語の意味は、具象的な存在や事実よりも、より多く、他ならぬ「言葉」に依存しているのである。(p. 208)」
「異系の言葉が、互いに並存している間は、もちろん翻訳語の問題は起こらない。翻訳語が生まれるには、これらの言葉が、まず交流し、そして次第に交流可能であるように、言葉の体系に変化が起こらなければならない。元来異系の言葉が、翻訳語として大和言葉の中にとりこまれるには、当時の大和言葉じたいの側に、翻訳語のような言葉を受け入れるような準備ができていなければならなかった。(p. 213)」
「口誦の歌謡の言葉は、「事の趣更に長し」にも拘わらず、「朴(すなほ)」な言葉の「心に逮(いら)」らんがため、敢て(p. 214)
一字一音式に記されたのであった。それは、借訓文字、ここで言う「詞」によって、分析的に表記されてはならない言葉である。特定の文脈の中で、その全体と分ち難く結びついた言葉である。一つ一つの言葉は、むしろ分析的に意識されないように語られていた、と推測されるのである。(p. 215)」
「詞が翻訳可能な言葉、造語可能な言葉であるという性格は、その後も長く日本語文体の中に生き、かつ育っていった。日本語が歴史的に演じてきた一つの重要な役割に即して言えば、それは、翻訳語受容可能な言葉であった、とも言えるであろう。(p. 223)」
■書評・紹介
■言及
*作成:
岡田 清鷹
UP:20080908 REV:20081027 20090710, 20180305
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