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『精神医学の思想――医療の方法を求めて』

台 弘(臺 弘) 19720415 筑摩書房,筑摩総合大学,274p.

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台 弘(臺 弘) 19720415 『精神医学の思想――医療の方法を求めて』,筑摩書房,筑摩総合大学,274p. ASIN: B000JA0T3E 欠品 [amazon] ※:[広田氏蔵書] w/uh01, m, m01b

■内容

(「MARC」データベースより)
著者の研究の発展を物語ったものであると共に、人生行路を導いた主題の探求。「誰が風を見たか」と題した生活史を第一部とし、「分裂病に学ぶ」の研究史を第二部として構成した一冊。

■目次

はしがき
第T部
1 精神異常についての常識と態度
2 異常と病気
3 精神医学と精神科医療の役割と領域
第U部
1 遺伝と環境
2 精神病における家族の問題
3 精神病の発病状況
4 反応としての精神時菩
5 アルコール中毒と薬物依存
6 脳障害者の精神症状
7 精神分裂病と躁鬱病
8 精神障害の構成と多元的診断
第V部
1 精神医学の方法論
2 精神医学の診断の特色
3 精神医学における言葉の問題
4 行動科学的接近
5 実験的精神病
6 生体の周期現象
7 学習と記憶
第W部
1 精神科治療の目的と種類
2 精神原法
3 生活療法
4 身体療法と薬物療法
5 精神障害と社会
症例の一覧表
参考文献
あとがき

■引用

 「浜田晋氏は、分裂病患者に円陣をつくらせて、バレーボールの球を自由に送らせ、その球が誰から誰に送られたかを一〇〇球まで記録して、球おくりの分配され方を測定した。球な受け投げると<0171<いう行動は、対人交渉の原型のようなもので、会話の際に「会話ボールを落すな」というようなたとえが成り立つことからも了解されるであろう。
 […]<0172<
 浜田氏が古い分裂病者のグループに球おくりをさせた結果では、球が均等に廻るのは五人ぐらいまでであって、それ以上になると球の配分が歪んでしまうことが示された。また、再帰回数の分布をとると、nに合せて極大が増える代りにニが最大になって、あとは減衰するばかりという結果になった。ニが最大とは二人の間でやりとりが行なわれることが一番多いという意昧である。浜田氏はこれをエコーとよんだ。
 慢性分裂病者では情報容量の減少があることを、この球おくりほど端的に示した例はない。無作為に球をまわす場合を思考実験すると、再帰回数の最大はニになり、それは確率的に計算される。この相似から慢性分裂病者はでたらめに球をまわす傾向があることがうかがわれる。」(臺[1972:171-173])

 「一体、精神科医療は何を目的としているのだろうか、直接的には精神障害によって起ってきた社会的適応の困難さを和らげ、独立生活ができるように助けることだといえば、社会に対してそのように受動的な立場で、個人を社会のわくにはめてしまうことであろう か。どうもそうではあるまい。家庭や社会の側に欠陥がある時、それに適応する人間を作るのが、精神科医療のつとめだとはいわれない。
 前にものべたことであるが、自分で自分の生き方を決定して行くこと――つまり自己決定――を助けるのが目的だという主張がある。だが精神障害の場合には、自己決定自体が妨げられている場合も多いのである。自己決定を助けて、そこから不幸が生れてきた場合には、その不幸は当人の責<0216<任であり、その不幸は当人のその後の発展の契機になるはずだと主張する人たちがいる。この立場は、一見相手を真の独立人として人格を尊重しているように見えるが、当人に対してもまたその周囲の人々に対しても無責任な甘い考え方である。自殺したいという人に自殺をすすめる医者がいるだろうか。
 相手を信頼して、寝ていたいという人は一日中寝かせておけばよい、といったとする。相手が不貞くされて寝ている場合には、いつかは起きて来て、馬鹿馬鹿しいことをしたと反省するかも知れないし、そんな時に周りから起きろ起きろというとかえって不貞寝する傾向を助長するかも知れない。しかし、相手が現実離れして夢想の世界に浸っている分裂病者だったら、彼は一生そのまま寝てくらすだろうし、夢想はとめどなく助長されるだろう。この辺に、相手の状態を見分けて、それぞれに治療方法を考えなければならないという診断技術の重要性がある。
 私は「自己」自体の病態がある場合には、「自己決定」は治療の基準にはならないと考える。ある時点である状況のもとで、「自己」が決定することが、他の時点で他の状況のもとで「自己」が決定することとちがうのはざらにあることである。「自己」は連続的ではあっても変化しつづけるものである。そしてそのどれもが当人自身であるのだから、相談者や医者は、当人のもっている可能性を見越した上で、それが最も発揮されるような方向に助力するべきである。これは「自己実相現」とよぶのがふさわしい。
 寝てばかりいる人を起して、仕事や遊びの実生活の中に置くと、彼らは始めは自分の意志に反す<0217<ることのように思っても、その生活の中から今まで気がつかなかった生き方の可能性を見出す場合がある。こうして、彼自身で、新しい生き方の道が自分にもあることを体験する時、彼の「自己」は変化するのである。  何事も経験、可愛い子には旅、当人はその中から自分をつくり上げて行くたろうという期待、これが最も素朴な「生活療法」の基礎である。
 生活訓練が自己実現に意昧があるという生活療法の主張は、形の上では精神療法としばしば対立する。この両者は精神科医療の中だけでなく、教育や心理相談の中でも治療者の姿勢として対立的に取扱われることがある。だがこの対立は治療者の観念の産物で、現実に患者や相談者な相手にした時には、生活療法も精神療法も互いに補い合ってすすむものだというのが私の意見である。」(臺[1972:216-218])

 「3 生活療法
 「生活療法」という言葉はあまり聞かれない言葉かも知れない。それは、仕事や遊ぴや日常生活の仕方の中から、自分の行動の得手や弱点を会得して、社会生活をうまく送れるように訓練してゆく方法をいうのである。この治療法は、かつて作業療法といわれたものから発展してきた。もっと昔にさかのぼると、道徳療法 moral treatment といわれ、患者の人権尊重や開放看護の精神から発している。
 作業療法というと、仕事ばかりするのが目的のように受取られ、前にのべたような治療の主旨や実態から離れてしまうので、小林八郎氏が昭和三十一年につくった生活療法という言葉が、いつかわが国で広く使われるようになったのである。

 「社会復帰を、社会に受動的に順応することだけたと考えると、生活療法は保守的で体制に奉仕する活動だなどといわれてしまう。生折療法の目的がロボットのように唯々諾々と働く人間をつくり出すものだと誣いるのは、下司のかんぐりというものである。私は社会適応ということを次のように考えている。当人のもっている生活の可能性が社会の中で十分に発揮できるようにすること。この意昧において、生活療法は社会生活をうまく送らせるための訓練だというのである。これが前にのべた「自己実現」で、生活療法の第三の意昧である。」(臺[1972:230])

 「生活療法の内容は、一般の人々はもとより精神科医によっても随分異なった意昧に理解されている。そのための誤解も多い。その理由の一つは、生活療法は文字通り生活の多様性の中に生かされているので、生活療法にたずさわる人々は各自の経験の上に立って、自分のしていることが生活療法の全体と判断し勝ちなためである。私は生活療法の種々相を述べながら、それらに共通する治療理念を明らかにして行きたいと考える。
 精神病院では、昔から患者にいろいろな手仕事や室外作業をさせている。それを見てそういうことをさせるのが生活療法たと思っている人がいる。実際に、入院患者の多くの者には、規則正しい生活や作業の習慣をつけることが必要であって、退院後、社会復帰し家庭生活や就職をするためにも、労働の訓練は生活療法に重要な要素であるが、労働することがそのまま生活療法になるわけで<0231<はない。
 まして労働に対する人々の気持が変化してきて、額に汗する喜びが重んじられない時代になってくると、精神病院での作業療法が強制労働の一種で、労働収奪を医療の名の下に行なう犯罪行為たと告発する人さえもでてくる。作業療法は上に述べたような治療的意図で個人に応じたやり方で行なわれない限り、ややもするとこの告発にふさわしい事態が起りかねない。残念なことたが、わが国では営利的な精神病院が作業療法の本質を乱すようなことをする例が少なくなかったので、作業療法に対する世の誤解を助長してしまった。だからといって、作業療法の本当の姿を見失ってはなるまい。」(臺[1972:231-232])

 「生活療法の現実に行なわれる生活の場は、行動療法のそれよりも遥かに広く複雑な社会の場であり、患者は、普通、集団の中の一人であり、生活療法は精神療法的な働きかけとも分ちがたく結びついているのが常である。けれども、もし生活療法に特有の理論的な基礎は何かといわれるならば、私はそれを学習理論に求めたいと思う。その意昧で、普通にいわれている行動療法は生活療法の純培養的な実験室的な試みといえそうである。」(臺[1972:236])

 「在宅のままで、職業につきながらの生活療法あるいは生活指導は、外来診療所や精科衛生センターのレべルで行なうことができる。わが国では、群馬大学精神科のグループの「生活臨床」や、小坂英世氏の「社会生活指導」といわれるものがその代表的な例である。」(臺[1972:236])

 「精神医療の改革には、人々の情け、願い、怨みなどの心情的な声があがるだけではダメである。事態の把握と対策の立案、企画には、科学的で冷静な判断が必要であるし、政治的に的確な決断と実行を必要とする。さらに、精神科医は自らの責任において、現在なお甚だ不十分な研究態勢を精神医学の各側面にわたってととのえなければならない。
 近頃、精神科医の一部に、いまどき研究などするのは反医療的だという声を聞く。私はかれらの苛立ちに一応の共感をもつことを否定しないが、その独善的で性急な態度はかえって医療を荒廃させるものであることを指摘したい。」(臺[1972:255],阿部[2011:153]に引用)

第W部
5 精神障害と社会

 「精神衛生法以後、精神病床は急激に増加して、昭和四十六年現在では人口万対二十五、全国でニ十五万床の多数となり、結核病床をはるかに越えるようになった。この数は欧米諸国にならぶものであって、その限りでは結構な話である。ところが問題はその質である。わが国では、病床の増加について国や地方自治体が直接関与することが少なく、それを私企業の自由経済にまかせてしまった。現在では全精神病床の八五%が私立病院の経営によるものである。こんな体制をとっている所は世界中どこにもない。しかも国公立病院は、私立病院と機能の分担をせずに、通常、独立採算制をとらされているので、私立病院と同じレベルで並立している。精神病院の設立を市場経済にゆだねたためにどんな結果が起っているかは、東京都を見れぱわかる。人口稠密な江東地区には精神病<0252<院はわずかしかなくて、人口当りの病床数は万対十以下であり、一方、都心から西に五〇km離れた三多摩地区には万対三百の病床がある。江東地区の患者が西部の病院に入院した場合、退院後のアフタケアを受けようとしても病院に通院することは出来ず、一方、地域でそれを担当するはずの保健所には、精神科の嘱託医が一人バートでいるたけである。これでどうして一貫した治療ができよう。」(臺[1972:252-253])

あとがき
 「この本は東大紛争の経過を通じて、特にまた長期間にわたって続けられている精神科医内部の意見の対立の背景のもとに書かれた。精神医療における個人と社会、精神の健康と病気、治療や研究における精神主義と生物主義などの諸問題が、どれも造反は結びついて激しく揺れ動いた。私はこの本を読者のために書きながら、同時にたえず自分自身のために書いている思いがした。
 本書の内容からおわかりのように、私は揺れ動く対立的意見の中ではっきりと折衷主義的な立場をとる。私のいう折衷とは、どちらも結構ですというようなあいまいな態度ではない。対立的意見を越えて、精神医学はまず科学でなければならないことを主張しながら、れが患者のために生かされることを求めるのである。精神医学と医療は一筋縄では取り組めぬ相手である。いや、一筋縄であってはならないのだ。私は、精神主義をふりかざす相手には生物主義を、個人至上主義を主張する相手には社会を説き、生物主義をふりかざす相手には精神主義を、社会優先を説く相手には個人の尊重を主張せずにいられない。また、精神医学と精神医療のかかえている問題は、精神科医がひとりで引受けることなど出来るものではない。医療・保健・福祉の当事者はもちろん、社会全体で取組まなければ到底解決出来ないことである。」(臺[1972:263])
 cf.精神医学医療批判/反精神医学

■言及

◆立岩 真也 2008/07/01- 「身体の現代」,『みすず』50-7(2008-7 no.562):32-41から連載 資料
◆立岩 真也 2010/08/01 「「社会モデル」・序――連載 57」,『現代思想』38-10(2010-8): 資料
阿部あかね 20110325 「わが国の精神医療改革運動前夜――一九六九年日本精神神経学会金沢大会にいたる動向」,『生存学』3:144-154
◆立岩 真也 2013/11/ 『造反有理――精神医療の現代史 へ』,青土社 ※


UP:20090306 REV:20090819,20100710, 12, 20110806, 20130413, 0708, 0725, 20180225, 0305
臺 弘/台 弘  ◇精神障害・精神医療  ◇精神障害・精神医療 文献  ◇身体×世界:関連書籍  ◇BOOK
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