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『異常と正常――精神医学の周辺』

秋元 波留夫 19710715 東京大学出版会,299p.

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last update: 20180225

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秋元 波留夫 19710715 『異常と正常――精神医学の周辺』,東京大学出版会,299p. ISBN-10: 4130050648 ISBN-13: 978-4130050647 \2520 [amazon][kinokuniya] ※+[広田氏蔵書] m.

■内容

(「BOOK」データベースより)
精神科医療が一見急速に、かつ激烈に他の医療の分野に比べて矛盾を露呈して世論の注目を浴びるようになったのにはさまざまな原因があるが、その原因の一つは、精神科医療の対象である精神障害が、その特徴として社会的性質を強くおびているということであろう。歴史において精神障害はこの特徴の故に、社会から疎外される運命をもったし、人間の自由を謳う現代社会もまたその例外ではない。非人間的な現代の「精神病棟」はその象徴であろう。現代社会の仕組みの中で精神障害者の病気からの解放を実現する道はまことに険しい。それは精神障害者を解放するための科学である精神医学がまだ発展の途上にある若い学問であることの他に、精神障害者のための処遇がわが国では著しく遅れており、その前進をはばむ壁が厚く固いためである。本書に書かれたことはこのようなわが国の精神科医療の現状を理解する上でいまでもその役割をはたすことができるだろう。

■目次



序章 精神医学のあけぼの ―フィリップ・ピネルによせて―

1 妄想と狂信
・・・虚妄と真実 ―空想性虚言者「土屋濁水」の検診録より―
・・・妄想の遍歴 ―宗教妄想者「璽光尊」の検診記録から―
・・・心霊術と精神障害

2 環境と精神病
・・・「いわざる」をえないの弁
・・・女性と迷信
・・・文化と精神病
・・・性犯罪について
・・・ラスコリニコフの悲劇

3 天才と狂気
・・・精神医学からみた文学
・・・人間ゲーテ  付 ゲーテの痼疾
・・・ストリンドベルグの性質と精神病

4 精神医学の進歩と課題
・・・精神障害の初期治療 ―手遅れにならぬうちに―
・・・精神医学の変貌
・・・精神医学の新しい課題
・・・付論 精神衛生よりみた大学の保健管理

5 社会と精神医学
・・・精神障害者対策の基本的課題 ―精神衛生法の改正をめぐって―
・・・呉秀三先生と精神衛生法
・・・精神障害者の人間性回復のために ―精神衛生法の全面改正にあたって―
・・・精神科医療の盲点
・・・精神衛生運動の組織と展開 ―啓蒙運動から実践活動へ―
・・・ 付一 全国精神障害者家族会連合会の結成大会にあたって
・・・ 作業療法の黒船時代

終章 精神医学はいかにあるべきか
 

■引用

◆序章 精神医学のあけぼの――フィリップ・ピネルによせて 

 「精神医学はその出生の比較的新しい医学分科である。それだけにこの学問の内容や、意義について一般の理解が十分であるとはいえない。精神疾患に関する一般的な猟奇的興味ということと、学問としての精神医学に対する理解ということとは別の事柄である。
 ある医学校での話である。精神医学を専攻しようと決心した学生が、担任の教授に相談すると、一授は「それはもってのほかの不心得である。精神医学などといって分かったようなことが本には書いてあるが、実はきわめて曖昧模糊たるものである。精神病の医者になるくらいなら、獣医になった方がましだよ」と訓戒したということである。これは又聞きであるから真偽は保証のかぎりではないが、きわめて有りそうな話である。とんだ引き合いに出された獣医学にとっては迷惑であるが、抗議は発言者に向けていただくとして、これを、医学の同僚の中にすら精神医学を学十分理解しない人がいるということを示す一つの挿話として、ここにあげただけの話である。
 精神医学が医学の同僚からも十分理解されているとはいえないということは、もちろん精神医学自身にとって悲しむべきことにちがいないのだが、同時にまた、医学全般にとってもはなはだ不幸なことだと私は考える。欧米の医学において精神医学がどのように評価されているかについ<0003<て、直接の見聞や、専門雑誌の諸論著に現われたところから判断すると、その学問的地位は高く、社会的影響力はわが国と比べるとはるかに大きい。精神医学の認識が十分でないということは、畢竟、精神の問題、ひいては文化一般の問題が、人々の意識に上ることが少ないということを意味するのではないか。一般的にいって、精神と物質とが機械的に遊離された相において把握されがちであるというわが国の悲しむべき特質をやはり医学が担っているとすれば、われわれはこれについて十分思いをいたさなければならない。極端な精神主義と極端な唯物主義とが分離している文化の状態はそのまま医学にも反映してくる。
 精神医学はこのような跛行的文化の地盤の上では、とうていその遑しい成長を遂げることができない。なぜならば、精神主義は精神の問題を、彼のいわゆる唯物医学から把握しようとするのを嫌悪するであろうし、唯物主義は精神の問題を彼岸的なものとして敬遠するであろうからである。後者にとって精神の問題は、その対象としてあまりに「曖昧模糊」にすぎるからである。だから、そういうものはすべからく少数の物好きにまかせて、「そんなものをやるくらいなら獣医になった方がましだ」と、うさきのはなはだ思いやり深い教授の訓戒があらわれてくるのである。
 二 <0004<
 精神医学は比較的おくれて発達した学問である。それは他の医学分科が、一応それぞれの科学的態勢を整備した後において独立した学問となった。近代精神医学の歴史はようやく百年を数える若さである。そして精神の問題を哲学と形而上学の堅城から科学の領域の方に持ち来たしたことこそ、近代医学の最大の仕事であった。
 精神の問題は人間の歴史において常に思索の対象であったが、科学はきわめて近代にいたるまでこれに指を触れることができなかった。精神医学は精神現象を医学的研究の対象とする最も新鋭な科学なのであり、いわばそれは壮年の科学的精神の生んだ愛すべき末子である。だから現在の精神医学がまだ十分完成されていないからといって、これを責めるのは酷である。人類思想史の発端からの大きな謎である「精神と身体の相関」という命題の真の究明は、精神医学がこれから果たさなければならない最大の学問的任務である。
 精神医学の歴史は、それゆえに、医学史の中で特異な位置を占める。それは科学的精神が、一学方では極端な精神主義、他方では極端な唯物主競と闘争しつつ勝利を占めようとする道程である。
 精神疾患は、かってどの民族においても宗教的意義をもって把握された。精神病者はすべて悪魔が憑依したものとみなされ、憐むべき病者は罪人として桎梏の下に呻吟しなければならなかった。あるいはまた、未開信仰の下に、悪鬼、その他の忌むべき生物や悪霊の憑依と考えられ、そ<0005<れらを追放するための儀式ないしは水責めや火焙りのような残酷な手段が取られた。このような考え方や風習は、今でも未開種族の中に残っている。欧州では中世期の長い暗黒時代を通じて、「狂」と疾患とは別個の概念であった。精神主義と騎士道とが華やかであった時代、ローマ法王とその宗派が天国の福音を説いた時代、この時代に精神病者は地獄に墜ちていなければならなかった。この時代にも狂を医学的に理解し上うとした者もあったけれども、それは地動説と同じく異端の邪説であり、危険思想であった。
 三
 精神について、また精神疾患についてようやく科学的な考察を加え、これを理性の問題として取り扱おうという傾向を生んだのはルネサンスの人道主義的精神であった。しかし それが今日のわれわれに知られている具体的な形となって現われたのは近代精神医学史のあけぼのを告げたフランス啓蒙思潮のヒューマニスト、フィリップ・ピネルの事蹟である。
 ピネルのことは種々の吾物に喬かれてあるが、多くは伝説的な記述で物足りぬ。ルネ・スムレーニュが書いた『ピネル伝』は、付録に載せられたピネルの書簡集とともにピネルを識る最良の書である。
 学問としての精神医学は今日ピネルにとくに負うところはないけれども、精神医学の拠って立つ精神は、ピネルというフランス十八世紀の人道的医師の生涯と仕事の中によく顕現している。  四[…]  […]<0007<<0008<
 […]精神医学史は最も記念すべき日を持った。まず最初の日、幾人かの精神病者が鉄鎖から解放された。その数はわずかではあったが、それは全世界の精神病者の中で医学の温かい手によって抱擁された最初の人々であった。このときの情景はいまなおビセートル構内に壁画として保存され、訪れる者に深い感動を与えている。狂人を獣に比する者よ愧じるところあれ。
 このとき解放された精神病者の中に一人の英人将校がいた。彼は四十年間もこの地獄の中に生<0009<きていた男であった。彼は燦々とふり注ぐ太陽の光の中に身じろぎもせず立ちっくして、うめくようにいった、「何という美しい世界だろう」。この男は二年の後、まったく健康な精神を取り昃して故国に帰った。
 他の一人は打ち続く悲しみから錯乱した文学者であった。ピネルが鉄鎖を取り外そうとして彼に近づいたとき、恐怖の叫びをあげて反抗したが、解放されて明るい庭に連れ出されると、歓喜のあまり跳ね回り疲労のあげく動けなくなってしまった。この文学者はまもなく全快して退院したが、その所信を敢然と固守したためギロチンでいさぎよい死を遂げた。
 ピネルの試みは勝利を得た。事実が偏見を克服した。ピネルのやったことは今日から見ると、何でもないあたりまえのことである。しかし、ある事蹟の意義は、それがなされた時代を考慮に入れて評価されなければならない。何でもないことがけっして何でもなくはなかった時代が、どんなに長く続いたことであろうか。ピネルは精神病者を人間として取り扱うこと、彼を病める人間として取り扱うこというまったく平凡な真理を、自己の生命の危険を冒して闘い取ったのだ。狂者を病める人間として認識するという前提がなくて、どうして精神疾患についての科学が成り立ちうるであわうか。<0010<
 六
 フランス革命と精神医学とは何のかかわりもないようだが、実は近代精神医学の母胎が、フランス革命を育んだ啓蒙思潮の子であるピネル的精神に由来するのである。フランス革命の多彩な舞台の主要人物であるミラボーや、マテーや、ダントンや、ロぺスピエールなどよりも、あまり一般には知られていないフィリップ・ピネルの方が、真に時代の子であり、革命的人物であり、文化史上の偉大な人格であるとさえ思う。
 ピネルの事蹟は精神医学史の一節にすぎないかも知れない。けれどもこの一節の価値は全精神医学史において最も高く評価されてよい。精神医学が今日遭遇する偏見はなお根強い。一方におて医学のヒューマニズムが叫ぱれながらも、ある種の病人については偏見が取り切れないでいる。医学の各分科はもっと密接に連絡し、結合されなければならないが、それにはまず疾患の種学類による偏見が捨て去られなければならない。医学は一切の病的現象を平等にその実践の対象とするものであり、そこには精神と身体の別はないのである。医学者が個々の器官を節穴的にのぞく時代はすでに去っている。医学の各分科はその途こそ異なれ、ひとしく「精神と身体」との一体たる「人」を対象とするのである。精神医学は単に抽象的な精神現象だけ、あるいは脳髄と<0011<いう一器官だけを問題にするのではない。それはあらゆる医学分科の上に自己を置き、精神の問題を通じて「人」を理解し、人類文化の進展に寄与するものでなければならない。
                     (『今月の臨床』昭和十四年一月)

◆精神障害の初期治療――手遅れにならぬうちに 131-150

 「精神分裂病は、青年期に発病することが多く、慢性経過を辿って、ついに不治のまま一生を終わる例もあるが、病気の初期に適当な治療をすれば治癒をみる場合が少なくない。ところが、この病気はその始まりの症状がはっきりせず、だんだんと日常の生活態度に変化を来たして、いつの間にか病勢が進行してしまい、治療の機会を失することがある。病気の治療が手遅れになるばかりでなく、この病気に罹ると、幻覚や妄想が現われ、ときには病人がこの幻想や妄想に支配されて危害を及ぼすようなことさえ起こる。この病気については、早期発見と早期治療は病人自身のためであるとともに、家族、隣人、ひろくいえば社会のためでもある。
 私が最近経験した実例で、両親に早く死別し、七十をすぎた祖母の手一つで育てられた二十歳になる青年が、自分を養育してくれた祖母を殺害したという事件があった。私はこの青年の精神鑑定をしたが、周囲からそれまで異常と思われていなかった青年が、祖母に毒殺されるという被害妄想をすでに事件の起こる半年ほど前から持っていたことがわかった。この青年は、高校をでてある銀行につとめていたが、高校時代から、孤独傾向が強く、銀行でも仕事は真面目で熱心にやるが、同僚とは職務のこと以外はほとんど親しい接触がなかったという。事件前の本人の様子<0132<を銀行の上司、同僚にたずねると、何か陰うっな表情で考かこむことが多かったが、仕李は変わりなくやっていたし、それに平素から無口で偏屈だったので、とくにおかしいとは思わなかったということであった。事件が起こってはじめて青年の精神状態が正常でなかったことがわかった。もし、周囲に精神医学の知識を多少でも持っているがいてこの青年の行動をみていたとしたら、もっと早く彼の精神状態の変化が気づかれていたに違い。そして、この不幸な事件は未然防がれただろう。」([1958→1971:132-133])

 (文化放送「明日への健康」昭和三十三年六月。放送原稿に加筆)

◆精神医学の変貌

 「研究面での施設の不備、研究費の不足は、解決されないのみか、なおいっそう困難になっているおそれさえある始末である。研究者に対する待遇は依然として劣悪で、このままでは人材を求めることが不可能になるておそれさえある始末である。これは精神医学に限ったことではなく、わが国の科学一般について共通する欠陥でもある。医療面についても、精神科医療の技術的進歩にもかかわらず、それに見合うだけの医療施設が欠け、また国家的な精神衛生対策がたてられないために、精神障害者の処遇が諸外国に比して著しく劣っており、精神障害者とその家族の不幸は精神医学の進歩しなかった古い時代とあまり変わらないといってもいいすぎではない。このような欠陥を改善するたわが国の精神障害者対策の根幹をなす、精神衛生法の改正が取り上げられ、昭和四十年五<0158<月の国会で改正法律案が成立した。この改正案は専門の立場からみるとけっして満足すべきものではないが、その運営がうまく行なわれれば、これまでよりは精神科医療の進展に役立ち、精神障害者の福祉に寄与することができるだろう。
            (『最新医学』昭和四十年九月)」([158-159])

◆精神医学の新しい課題 160-169

 『日本医薬新報』1964.5.16→秋元[1971:160-169]

*18640516 「精神医学の新しい課題」,『日本医薬新報』1964.5.16→秋元[1971:160-169]

一 偏見の克服
二 精神科医療の革新――クロールプロマジン
三 薬物療法の発展――「蛇の穴」の解消

 「アメリカの統計では、精神病院の入院患者は増加しているが、退院患者の数がそれ以上に多いために、在院思者の数はしだいに減る傾向にあることが指摘されている。アメリカでは精神障害者のための収容施設がわが国と比べるとはるかに整備されているが、それでも一時は病床の不足に悩み、州立病院では定員をうわまわる入院患者をかかえ、医師や着護婦が不足したことがあり、世論から、州立病院は「蛇の穴」(Snake-pit)であると攻撃されたが、薬物療法の発展はこのような状勢を一変させている。アメリカの精神衛生対策は、精神障害者を収容するための巨大な施設を作るこ<0164<とから、医学的診療と社会復帰後のアフター・ケアを組織的に行なう精神衛生センターを地域的に分散してつくっていくように変わっているが、このような変化は、精神疾患の治療が進んだ結果にほかならない。精神医学の新しい課題の一つは、社会から隔離された精神病院を社会の中の精神病院に変えてゆくことである。」(秋元[1964→1971:164-165)

四 新しい課題――外傷性、老人性精神障害および精神薄弱

五 放置されている患者――国家的施策の貧困

 精神病質はその実態を把握することが、精神薄弱に比していっそう困難であるが、最近の犯罪事件の中には、精神病質者の犯行と思われるものが少なくなく、その実態を明らかにして、適切な処理を講ずることは、社会秩序をまもり、社会生活の安定をはかるためにも、きわめて必要なことである。しかし、この方面の研究や施策は、わが国ではごくわずかな研究者以外にはほとん手がつけられていない状態である。精神病質の問題は、けっして新しい課題ではないが、精神医学にとって依然として重大であることはいうまでもない。
 ところで、これらの調査によって明らかにされたわが国の精神障害者はどのような治療、管理、保護をうけているだろうか。調査の結果は驚くべき数字を示している。まず、医学的治療を必要とする精神病についてみると、分裂病などの、さまざまな精神症状をもち、なかにはその症状の<0167<ために自分だけでなく、周囲に危険を及ばすおそれのある患者も合まれている、精神病患者の約五〇%がまったく医療をうけることなく放置されているのが、現実の姿である。精神博弱は、医療の対象であると同時に、教育の対象であり、重い精神導弱のためには、医療と教育とをかねた精神薄弱者サナトリウムやコロニーが、また、比較約軽いもののためには、そのための特別な教育施設や職業補導所が必要である。しかし、そのような機会をめぐまれているのは、わずかにそれを必要とする精神薄弱の九%にすぎないことを厚生省の調査は示している。精神病質者にいたっては、どこにいるのか、見当もつかない状態で、社会のいたるところに生息しているのが現実である。
 このように精神障害者の診療の実態は、ヨーロッパやアメリカの現状とくらべて、劣っているが、その理由は、第一には、精神障害に関する社会一般の理解の不足、ないし、偏見によるとこちが大きいと同時に、これと関連して国家的施策が貧困であるためでもある。わが国の精神障害に対する医療施設についてみても、精神病のための全国の病床数は十四万床であって、入院を必要とする患者の最小限度の数が三十五万程度とみつもられるから、必要数の三分の一程度をまかなうことしかできない。したがって、精神病院の病床利用率は一般病院のそれが八〇%程度であるのに一〇〇%をうわまわっており、定員以上の患者を収容しなけれぱならない状態てある。人<0168<口一〇〇〇に対する病床数は国によっていろいろ差があるが、文化国家といわれるところでは三十〜四十台であるのに対して、わが国はわずかに十四にすぎない。日本は、人間が多い点での大国かもしれないが、この点に閑するかぎり、文化国とはいえない。
 私はば精神医学の新しい諜題というテーマに答えるために、まず、精神医学の診療面における現状と、それから、わが国の村神障害者のおかれている実態について述べた。私は、学間としての精神医学が持っているさまざまな課題を指摘したけれども、しかし、学問の現状と、わが国の枯神障害者のおかれている実態との対比から明らかなように、その問のギャップはあまりにも大きい。精神医学の最も重大なこれからの課題は、両者の間のギャップをうずめ、精神医学の進歩が精神障害者の医療に直結する条件を作る努力をすることであると考えるのである。精神医学の真の進歩も、このような条件の設定なくしてはのぞめないであろう。
                   (『日本医薬新報』昭和三九年五月十六日)」

◆呉秀三先生と精神衛生法

 19650615 「呉秀三先生と精神衛生法」,『精神医学』7-6第七巻第六号、昭和四十年六月十五日『(昭和四十年二月十三日に開催された第五十八回関東精神神経学会のシンポジウム「呉秀三と病院精神医学」における講演)→秋元[1971:206-219]

 第一回答申(昭和三十九年七月二十五日)

 「精神科医療施設の主要部分を占める精神病院は、量と質の両面で多くの問題を含んでいる。量の点では病床の不足が速やかに解消されなければならない。人口一万に対する病床数を現在の一四から、五年以内に少なくともニ〇まで増加すべきであると答申は主張している。精神科病床を計画的に増加して、入院を必要とする患者を収容することができるようにするのは、精神障害者<0211<の野放しを解決する最低条件である。これを国の責任で行なうように改めなけれぱならない。現行法が精神病院の設置を都道府県の義務としながら、指定病院制度の存続によって、この義務が名目的になっていることも審議会で論ぜられ、現行法第四条の但し書、設置義務の延期を改正法では削除すべきだとの意見もあったが、これは採決されなった。そして答申では、都道府県あるいは営利を目的としない法人が設置する精神病院、および精神病院以外の病院に設ける精神病室の設置およぴ運営に要する経費に対する、国の補助の増額を要望するにとどまった。しかし精神科病床の増加と整備については国としてもっと緻密な計画をたて、これまでのように民問の闘士にゆだねるだけであってはならない。この点は答申が強く要望しているところである。病床の増加とともに、精神病院の質の向上も当面の重要課題である。」([211-212])

 (昭和四十年二月十三日に開催された第五十八回関東精神神経学会のシンポジウム「呉秀三と病院精神医学」における講演。『精神医学』第七巻第六号、昭和四十年六月十五日)

◆精神衛生運動の組織と展開――啓蒙運動から実践活動へ

 19610615 「精神衛生運動の組織と展開――啓蒙運動から実践活動へ」,『精神衛生』69(1960年10月、第8回日本精神衛生連盟全国大会における特別講演に加筆)→秋元[1971:250-268]*

 「精神街生の進んだとろでは、第一の段階であった精神障害者の処遇の問題をすでにある程度解決して、その活動はもっとひろい分野に発展しているし、おくれたところでは精神障害者の治療すら手をつけられていない。アメリカ、イギリス、スカンジナビア諸国、スイスなどは人口十万に対して三百ないし四百台の精神科病床を持っているが、先日私どもの教室に勉強にやって来たインドネシアにクスマント君の話によると、五千万に近い同国に精神病院はただ一つであり、精神科医は三十人にすぎないということである。」([255])

 「精神病院の問題は、アメリカなどではすでに解決ずみと思っていたが、私がアメリカをみた折に、州立病院の中には、なお相当レベルの低いものがあった。ある州立病院では二百人の患者に対して医師一人ということで、わが国の状態の方がはるかに良いと思ったのである。先日、アメリカの国立精神衛生研究所のジョージ・スティンソンの精神衛生に関するある著書を読んでいたら、州立病院の中には、まだ病院(Hospital)という名前に値しない単なる収容施設(Habituation)にすぎないものが残っている、その改善が急務であると書いていた。彼は、これを改善する方法として、州の公衆衛生行政当事者が精神衛生にもっと積極的な関心を持つことが急務であり、さらに必要なことは優秀な精神科医をひきつける魅力を病院が持つことであり、そのための要件は単に医師や看護婦、職員のサラリーをよくすることだけでなくて、彼らの研究意欲を満足させるような設備と費用を州が提供することだといっているが、これは妥当な意見である。実際、州立病院の中にも、たとえば私のみたニューヨーク郊外のクリードモア病院のように、コロンビア大学と連携して充実した研究をやっているところでは、臨床方面も活発で、精神病院としても立派である。」(p. 259)

 (昭和三十五年十月、第八回日本精神衛生連盟全国大会における特別講演に加筆、『精神衛生』第六十九号、昭和三十六年六月十五日)

■書評・紹介


■言及

◆立岩 真也 2013 『造反有理――身体の現代・1:精神医療改革/批判』(仮),青土社 ※


*作成:三野 宏治
UP:20090731 REV:20130625 , 20180225
秋元 波留夫  ◇精神障害/精神医療  ◇身体×世界:関連書籍  ◇BOOK
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