HOME > BOOK >

『くすり公害』

高橋 晄正 19710320 東京大学出版会,325p. ASIN: B000JA0JXE

last update:20130725
このHP経由で購入すると寄付されます

高橋 晄正 19710320 『くすり公害』,東京大学出版会,325p. ASIN:B000JA0JXE \580 [amazon] ※:[広田氏蔵書] d07. m.

■目次



 第四刷にあたって
 はじめに

T くすリ・ヘドロ
 人体のヘドロ化―薬使用量一三年間で七倍 3
 薬は"異物"―生体のバランス崩す 7
 薬の効用―本来は自然治癒を補助 10
 薬効の人体実験―宇宙飛行士なみの冒険 14
 虚構の薬効―危険な"保健薬信仰" 18
 薬は両刀の剣―化学物質は"薬理性"に乗って 22
 わが国の薬事情―欧米との比較 25
 付 くすりの使い方 32

U 薬石効なく
 ビタミン―B1欠乏は過去の迷信 51
 新型B1アリナミンとそのなかま―"活性" "持続性"は虚構 54
 疲労回復効果―"新型B1"より"睡眠" 61
 新型B1の適応症―神経痛に効果不明 66
 ビタミンC―日本人にはC欠乏なし 70
 夏バテと薬―むしろ肉・うなぎ 73
 総合ビタミン剤―普通の食事ですべて充実 77
 栄養剤―健康な人間には"浪費" 81
 グルクロン酸―毒消し効果は皆無 84
 チオクタン―実は肝臓毒 88
 抗生物質―寿命縮める乱用 93
 鎮静剤イソミン―手足の奇形児産む 96
 不老長寿の薬―栄養と生活が第一 100
 薬物アレルギー―薬の生産量と比例 104
 家庭の常備薬点検―ノーシン、ノーソ、ケロリンほか 108
 ある心臓薬―その背後にあるもの 113
 漢方ことはじめ―古代中国人の偉大さ 122
 漢方は効くか―貴重な伝承仮説 130
 物理療法学の視点―科学としての再建のために 147
 効なき薬石の功罪―近づく最後の審判 153
 医療の原罪―救いはどこに 157
 付1 アリナミンと対決せざるの記 165
  2 あるサリドマイド論争 179

V くすリ公害を作るもの
 行政告発―人間不在の薬務行政 193
 人間告発 1 ―飼育される医学者 212
 人間告発 2 ―薬をひさぐ医師像 235
 人間告発 3 ―医薬分業の虚像性 245
 学会告発―「虚構の殿堂」の司祭たち 255
 企業告発 1 ―欺瞞の上の繁栄 263
 企業告発 2 ―広告は信用できるか 281

W くすり・ヘドロからの脱出
 ―われらに二一世紀はあるか― 293

 索引

■著者略歴

 1918年秋田県に生まれる。
 1941年東京大学医学部卒業。
 1959年東京大学医学部附属病院物療内科講師。
 北里大学衛生学部講師、医学博士。
 1979年停年退官、以後『薬を監視する国民運動の会』代表。

■引用

「このように、病気にもいろいろな種類があり、それにともなっていろいろな薬が身体のなかに入れられることになるのだが、そのどれをとってみても(ビタミンやミネラルの不足分を適量だけ補う場合を例外として)、薬は体になじまない異物であることに変わりはない。
――薬は原則的に毒である――それは食物と薬の間の本質的な違いである。このことから、次のような薬の使い方の原則が生まれてくる。
――薬は必要にして十分な最少量を、必要にして十分な最短期間だけ使うべきものである。(中略)
こうしたしくみ(引用者―“自然回復の力”)のあるかぎり、何かおまじないみたいなことをしても、あるいはメリケン粉のようなものを内服させても、大部分 のものは治っていくことになる。人類はじまっていらい、薬として使われてきたもののなかに、いま科学の目でみなおしてみても、たしかに効くものがいくつか は存在する。しかし、そうでないものも無数に存在する。それは生体の自然回復の力が成し遂げてきたものを、薬のせいと見誤ってきたのであった。薬はそれを 補うものでありながら、しだいに主人公にまつり上げられるようになってしまったのである。」(pp.11-13)

「いま日本で大量に飲まれている精神安定剤は、使い出すとやめられなくなる薬物依存性が注目されている。これを「国民総ぼやけ運動だ」などと悪口をいう人もある。」(p.46)

「いま一つの薬は精神安定剤である。精神を安定させる、というと聞こえはいいが、要するにぼんやりさせる薬なのだから、アメリカでは自動車の運転者は飲ん ではいけないことになっている。自動車の通る道を歩く人だって同じことであろう。
 精神をイライラさせる事情があるなら、それをみんなで解決するのが本当であって、精神をボンヤリさせることで、なんとかしようというのは正しい行きかた ではないだろう。
 いま、その年間消費量を、精神病やノイローゼの人たちの治療日数で割ってみると、全員が毎日六錠ずつ飲んでいなければならないことになる。これも、そん なことはないのだから、半分ほどは一般病に流れて“国民総ぼやけ”に使われていることだろう。」(p.95)

「また、ある人は、“ニセ薬”だって病気を治すために使うことがあるのだ、薬は何も物質的に効くものでなければならないわけではない、という。たしかに、医者たちは重曹や乳糖やその他のもろもろのものを、もっともらしく“薬”に仕立てて使い、それで病気が治っていくことがある。だが、それは製薬会社がもっともらしく仕立ててくる“薬”を、据え膳のままにたしなむのとはわけが違う。前者はわたくしたちが主体的に選んで使っているものであり、後者はわたくしたちが受動的に載せられ、使わせられているものである。自分たちの没主体性や真実を認識する能力の欠如を、そういった混同によってごまかすことは許されない。」(pp.154-155)

「“薬は原則的に毒である”という薬の本質から考えて、薬を含めての医療をこのように商品に規定し、その購入の媒介者である医師がその取り扱い販売量に比 例して利潤が得られるような制度のなかで医療をおこなうということは、社会的にきわめて危険な状態を引き起こすであろうことは明白である。」 (p.242)

■薬

◆立岩 真也 2011/10/01 「社会派の行き先・12――連載 71」,『現代思想』39-(2011-10): 資料


*作成:松枝亜希子 更新:植村要
UP:20080108, REV:20101028, 20110908, 20130708, 0725
高橋 晄正  ◇薬/薬害  ◇精神障害/精神医療  ◇身体×世界:関連書籍  ◇BOOK

TOP HOME (http://www.arsvi.com)