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『盲人はつくられる――大人の社会化の一研究』

Scott, Robert A. 1969 The Making of Blind Men: A Study of Adult Socialization,Russell Sage Foundation.
=19920228 三橋 修 監訳、金 治憲 共訳,東信堂,248p

last update:20111119

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■Scott, Robert A. 1969 The Making of Blind Men: A Study of Adult Socialization,Russell Sage Foundation.
=19920228 三橋 修 監訳、金 治憲 共訳 『盲人はつくられる――大人の社会化の一研究』,東信堂,248p ISBN-10:4887131186 ISBN-13: 978-4887131187 \2940 [amazon][kinokuniya] v01


■内容(「BOOK」データベースより)


弱者をつくり出す社会のメカニズムを剔出。障害者をより弱く、より障害者らしく「社会化」させる多数者の画一的な同情心。―善意が意図せざる差別につながる現代社会のメカニズムに深々と切り込んだ、スティグマ理論とラベリング理論の総合に基づく米社会学界の「かくれた傑作」(モノグラフ)である。盲人・福祉関係者のみならず、健常者の必読書。
内容(「MARC」データベースより)
障害者をより弱く、より障害者らしく「社会化」させる多数者の画一的な同情心。善意が意図せざる差別につながる現代社会のメカニズムに深々と切り込んだ、スティグマ理論とラベリング理論の総合に基づく米社会学界の「かくれた傑作」。


■目次



まえがき i
序文 iv
謝辞 viii
凡例(xvi)

序章 3

第一節 過去の説明 6
常識的説明(7)
心理学的説明(10)
ステレオタイプによる説明(14)
第二節 この研究のデータの出典 16

第一章 盲人の社会化 23

第二章 パーソナルな相互作用における盲人の社会化 31
第一節 盲に対する先入観 32
盲についてのステレオタイプ的信じ込み(33)
スティグマとしての盲(37)
第二節 相互作用の状況 39
盲であることとパーソナルな関係の運行(40)
アイデンティティを打ち立てること(40) パーソナルな相互作用を支配する規範(42) コミュニケーション上の問題(47)
盲であることと社会的依存性(51)

第三章 誰が盲人か? 61
第一節 盲目の定義 61
第二節 アメリカにおける盲人人口 66
盲人の総数(71)
年齢と盲との関係(75)
盲と性別との関係(77)
年齢、性別および盲との三者関係(78)
人種と盲との関係(89)
要約 80

第四章 盲人施設利用者の選抜について 83
第一節 盲福祉システムにおける事業のタイプ 83
援護事業(84)
補助具事業(85)
リハビリテーションと職業訓練事業(86)
盲児向け事業(86)
視力強化・失明防止・眼科治療事業(87)
第二節 盲福祉システムの資源の配分 88
援護事業(90)
補助具事業(92)
リハビリテーションと職業訓練事業(94)
盲児向け事業(95)
視力強化・失明予防および治療事業(96)
全般的事業(96)
 1 盲人のための多機能型大規模施設(97)  2 全般的社会福祉組織(98)  3盲人のための小規模総合事業施設(89)  4盲人のための限定機能型の組織(98)  5 その他の盲人福祉組織(99)  6 顧問機関(100)
第三節 盲人施設利用者の選抜 100

第五章 盲人施設における盲人の社会化 103
第一節 利用者選考過程での社会化 103
第二節 盲人施設内部における社会化 111
第三節 盲福祉関係者たちの実践理論 116
回復的アプローチ(117)
適応的アプローチ(122)

第六章 リハビリテーションのアプローチを決める盲人施設側の要因 131
第一節 盲人施設と地域社会 131
第二節 同一の地域社会内にある盲人施設間の関係 142
第三節 盲人施設による職員の選考と補充および定着状況 146

第七章 盲人施設の外部で生きる 153
第一節かくれた盲人たち 154
第二節 サービスを受けていない登録盲人たち 155
第三節 自立した盲人たち 157
第四節 盲人の物乞いたち 160
第五節 退役盲傷病兵たち 164

第八章 要約と結論 171

補遺A アメリカにおける盲人のための活動の歴史 179
都市の環境(182)
分業の発達(184)
拡大家族の衰退(184)
機械化(187)
補遺B 科学的理論と実践的理論との関係 189

原注(200)
参考文献(214)
解説 三橋修 219
あとがき 245


■引用



第一章 盲人の社会化
(p23)
 視覚障害とは、学習された一つの社会的役割である。盲人に特有のさまざまな態度と行動のパターンは、その人の障害という条件に本来そなわっているものではなく、むしろ社会的な学習という日常の過程を通して身についてくるものなのである。だから、盲目という条件自体には人を他人に支配されるがままにしたり、また他人に依存したり、あるいは陰鬱になったり、無能のままでどうしようもない、などのことの原因ではないのである。同様に、盲人を自立させたり、自己主張ができるようにさせるという要因もそこにあるというわけではない。盲人とはつくられるのである。しかも、われわれすべてをつくる社会化のその同じ過程で盲人もつくられるのである。この本の目的はこの命題をはっきりさせることにある。


第二章 パーソナルな相互作用における盲人の社会化
(pp58-59)
 要約すると、パーソナルな関係の四つの特徴が盲人の社会化に影響を与えている。(1)晴眼者が盲人との相互作用の中に持ち込むステレオタイプ的信じ込み。(2)盲が一種のスティグマであるという事実。(3)人との出会いで、一方が目が見えない人の場合、この相互作用の運行が根本的に妨げられる、という事実。(4)以上の性質からその関係は社会的な依存関係であるという事実、という四点がその特徴である。はじめの二つの点は社会化の結果に二つのあらわれ方で影響を与える。つまりこの二つのものは、盲人に自分のことを他の人と異なった、かつ劣った人間であると考えるように仕向け、そして盲人が自我像の一部に採り入れるか、さもなくば拒否反応を起こしてしまうような[p59>社会的に]致した観方をつくり上げるのである。ステレオタイプ的信じ込みとスティグマは、盲人誰しも無視しえない付随物であるので、社会が盲人とレッテルをはった人に対してある種の画一的な行動パターンをおしつけるのである。
 あとの二つの点は、個人間の関係の運行上の力学に関するものであり、これらは社会化の結果に三つのやり方で影響を与える。まず、盲人に他人との差異をよりはっきりと認めさせ、次いで晴眼者にとってはごくありふれた自己についての率直かつ整理された軌道修正をさせなくさせる。最後に、盲人が自分と知的、精神的に同等であると思う人との親密な関係を困難にすることで、盲人たちを社会の従属的立場に位置づける、というやり方である。これらの諸過程はお互いを糧にして進み、やがて盲人たちの中にはじめはあった多様性がなくなり、同質的なパターンがあらわれはじめるのである。


第三章 誰が盲人か?
(pp80-81)
要約
 まとめていうと、こうしたさまざまな研究のデータは次のことを意味している。すなわち、合衆国における約百万人の盲人たちは四つのクループに分けることができる。第一のグループは高齢者盲人である。ここには、現在適用している行政上の盲目の定義によって盲人と認定される六五歳以上のすべての盲人が含まれる。罹患状況の推定をしたすべての研究は、全盲人の三分の二強が高齢者盲人であり、盲人の最大部分をなしている、という点では一致している。第二のグループは次のような盲人たち、すなわち盲であるということの外に、労働力としては認められないか、または雇[p81>用が極端にむづかしいとされるような特徴を持った人びとである。このグループを私は「高齢ではない就労不可能成人」と名づけているのだが、ここには教育をほとんど受けておらず、手に技能もほとんどない盲人と、重複障害を持った人、それに、まともな就労先をみつけられない女性が入る。このグループに属する盲人は、全体の内正確にどの位いるか不明であるが、たぶん全体の一〇〜一五パーセント程度にとどまるであろう。第三のグループは高齢ではない成人で、彼らは潜在的には就労可能な人びとである。このグループの人びとは圧倒的に男性が多く、彼らのほとんどは盲以外に何か重大な障害を持っていない。その数は、前のグループと同様、全体の一〇〜一五パーセントを越えないであろう。第四のグループは約二万七、〇〇〇人といわれる盲児たちである。やはり盲人人口全体からみると、約二〜三パーセントを占めているにすぎない。
 これら四つのグループは、視覚障害のみを持つものと、重複障害を持つ者とにさらに細分することができる。重複障害者の各グループの正確な割合を示す数字は子どもについてのみ判明している(注36)。しかしながら、たぶん、高齢ではない就労可能な成人を除いては、いろいろに分けられたどのグループの盲人もその相当数が、重複障害者であるというのが実情であろう。


第四章 盲人施設利用者の選抜について
(pp100-102)
第三節 盲人施設利用者の選抜
 盲福祉システムの各組織やその財政的基盤を分析してみると、盲人全体から利用者を補充する問題について数多くの必然的成り行きをみてとることができる。まず第一に、盲人のための組織と計[p101>画の大多数が行っている事業は、ごく少数の厳選された盲人を対象としているものだということであろう。これらの組織の三分の二近くは、もっぱら、盲児か非高齢成人に適したものであり、また収入維持制度は別として、その財源の六〇パーセントは盲人のこの二つの層のために別途確保されているのである。第二に、盲福祉システムは高齢者盲人へのサービスをほとんど行っていない。盲福祉システムの収入維持制度から扶助を受けている人びとの圧倒的部分は非高齢成人である。高齢者盲人が対象となるはずの他の事業計画、例えば個人的介護や補助具事業、視力強化あるいは視力回復などのものには、このシステムの財源全体の一〇パーセント以下しか配分されず、盲人のための諸組織および計画全体の内のたった一〇分の一程度でしか基本的業務として扱われていない。その上、いろいろ組み合わせた事業を行っている一一〇の私立施設の大部分は、主に盲児と就労可能な非高齢成人に向けて運営されている。こうした諸施設で、高齢者層が頭から排除されているというわけでもないのだが、この年代の人びとへの事業は他の年代層の盲人のための計画の附属にすぎないのが普通である。これらの計画に高齢者層が参加できるかどうかは、これらがまず第一に対象としている人びとと同じ水準の健康やスタミナがあるかどうかにかかることになる。
 こうしたデータからはこれ以上の事実はわからない。子どもと成人向けの計画が、どの年代の盲人にもすべて適合するというわけではない。教育可能な子どもたちにはさまざまな計画が用意されているが、重複障害児のためにはほとんど何もない。就労可能と見込まれる盲人には多くのサービ[p102>スがあるが、訓練不可能もしくは雇用がむづかしいとみられる盲人のためには、これまたほとんどない。高齢者層向けのレクリエーション計画は施設の中で行われるので、交通機関を利用して自力で移動可能な高齢者の盲人のみ、それを利用できるにすぎない。要するに、すべて計画は選ばれた盲人、いわば成果のあがる可能性が最も高い盲人たちに向くようになっているのである。
 かくて、盲人への事業は五大分類の盲人の内の二者――子どもと非高齢で就労可能な成人――におおむね限られているようである。利用者補充の基本的な手続段階で、重複障害児、教育や訓練の不可能な者、就業不可能な者、および高齢者はふるい落されている。盲人のための諸組織における社会化の経験はそれゆえ、少数のエリートともいえる盲人たちにのみ、確保されている。このように、ある一部の者がふるい落され、他の者が選ばれる利用者補充過程と、盲人のための諸施設に加入しえた者のみの社会化の経験という問題について次に考えてみたい。


第五章 盲人施設における盲人の社会化
(p103)
 最も重要な事柄であるのに、全くといっていいほど取り上げられない問題の一つは、盲福祉システムの組織の果たす機能が視覚障害を持った人びとにいかにして盲人らしく振舞えるように教え込むかということである。この役割学習の過程は、二つの段階からなる。第一の段階は、盲人施設の利用者になる以前に、盲福祉システムに選ばれて入っていく過程で起こる。第二の段階は、利用者のリハビリテーションの過程の間に起こる。この章の目的は、成人の盲人たちの社会化のこの二つの面について、それぞれ分析することである。

(pp129-130)
 以上が盲福祉システム内部での盲人の社会化の現状である。この分析によって、われわれは、盲[p130>人一人ひとりが自分の条件や盲人の一般的な諸問題および盲人の行動パターンをどのように経験するかは、盲福祉システムの組織的介在プログラムに深く影響されている、ということが結論できる。まさに盲という現象の本質が、これから明らかとなる別のタイプの社会的な力とあい並んで、盲システムなどこれら社会的な力によってつくり出されたものであることは明らかである。


第六章 リハビリテーションのアプローチを決める盲人施設側の要因
(p131)
 アメリカの盲福祉システムには奇妙な事実がある、それは、ほとんどすべてといっていいほどの盲人福祉団体がリハビリテーションを行うのには回復的アプローチが望ましいことを認めているのに、実際にはほとんどが適応的アプローチに従ってやっているということである。この逆説の理由は施設の実際のやり方がそこのスタッフの信じ込み(ビリーフ)と価値観の反映であるのみならず、経済的圧力、人的資源の圧力と地域社会の圧力に対する対応で決まるということによる。この三つの圧力は、次の点で特に重要なことである。つまり、盲人施設とそれを支える地城社会との関係、同じ地城社会内にある盲人施設間の横の関係、盲人施設の職員の補充、選考、定着状況におけるある種の特徴の三点である。こうした要因のそれぞれが、ある盲人施設が採用するリハビリテーションに対するアプローチの選択に影響を与えるのである。


第七章 盲人施設の外部で生きる
(p153)
 盲施設への利用者選考過程についての私の分析から、次のことがわかろう。すなわち、行政上の現行の盲目の定義で盲人とされた多くの人びとで、盲人団体と継続的な接触を保っている人はごく少数か、ないしは全くいないし、また、時々接触する人の内でも少なくともある部分は、盲福祉システムの外部で生活しているということである。盲人のための施設を利用したりそこで訓練を受けたりしたことがないという人びとは、さらに二つのカテゴリーに分けることができる。一つは、盲福祉システムの当局の行う調査で盲人としてみつけ出されなかった人びとであり、もう一つは、盲福祉システムに知られてはいるが、さまざまな理由から入所者や訓練生にならなかった人びとである。盲人施設と接触を持っていた人びとはさらに三つのカテゴリーにまとめることができる。第一は、リハビリテーションや職業訓練を終えて、現在は自分の出身地域社会で自立して生活している人びと、第二は、物乞いをして暮らすために自分からわざと盲人団体から離れた人びと、第三は、合衆国軍の退役盲傷病兵で、この人びとには特別なリハビリテーション、治療、援助と失明による財政的援助を受けている場合が多い。

(p170)
 以上のデータは、リハビリテーションのやり方の違いによっては、盲人の中にいかに極端に違った社会化の結末がつくり出されてしまうのかをきわめて衝撃的な形で示すものである。依存心を打ちくだくようにつくられた施設のシステムが実際に自立した盲人をつくり出している。その一方、適応的な環境をつくることにより、依存心をはぐくんでいるシステムは、そこから一歩出ると何もできない盲人をつくり出している。盲人をつくり上げることに福祉関係者と盲人施設との組織的な努力がまさに重要な役目を果たしていることを示すのにこれ以上劇的なものは外にはあるまい。


第八章 要約と結論
(pp171-178)
 この本の主要なテーマは一貫して、盲であることは学習される社会的な役割である、ということである。視力を失った人は、二つのコンテキストから、盲人が持っていると考えられている態度と行動パターンを習得する。その一つは、晴眼者とのパーソナルな関係であり、もう一つは、盲人にサービスを提供し助力するために存在する組織との関係においてである。
 晴眼者と盲人との関係は、いろいろな形で盲人が社会化されていく経験に影響を与える。盲であることの本質とそれがパーソナリティと行動に与える影響について晴眼者が抱く誤解は、盲人の行動に対する期待として現れる。盲人は、晴眼者と出会う場合には、いつも自分が相手から期待されている通りに行動しなければならない、と感じている。晴眼者が持っているステレオタイプな信じ込み(ビリーフ)を無視できる盲人は稀である。こうしたステレオタイプな信じ込みを自分も信じそれを内面化する者もいる。また別の盲人はさまざまな動きをして、こうした信じ込みとは無縁のところに自分をおこうとする。いずれにせよ、この信じ込みは、盲人にとって生きる現実なのだ。
 また、盲とはスティグマを生じさせる状態でもある。盲人になった時、その人の社会的アイデン[p172>ティティはおろか、彼の全人格さえもが台なしにされる。晴眼者とつき合うたびに、いつも盲人は自分が変り者で、他人より劣った人間と思われていることを痛切に感じさせられる。盲人であるという経験の中で最も大きいことは、盲人が道徳的、心理的、社会的に劣等であるという汚名から身を守ることである。こうした防禦に成功する者もあり、失敗する者もある。しかし、いずれにしろ盲人全部にとって、この防禦は、生きる上での現実である。
 盲人の社会化を進める要因のもう一つのものは盲である人間とのつき合いの力学に関係している。日常生活の普通の関係の運行を支配している規範は、きわめて強く視力に依存している。ある出会いにおいて、その内の一人が盲人であると、その状況はあいまいさと不確かさに満たされる。どのようにその先を進めていったらいいのか、自分のイメージをどのように表現したらいいのか、また他の誰かによって表現されたイメージをどのように評価すればいいのか、こうしたことで緊張がまき起こる。この状況に対する晴眼者の特異な反応は、自分は他人とは違った存在だという盲人の確信を強めることによって、盲人の社会化の一因となる。加えて彼が盲人であることは、現実的な自我像の発達に不可欠な、率直で直接的な軌道修正(フィードバック)の機会を彼に与えない。
 最後に、盲という状態の本質そのもののゆえに、盲人は、最もありふれた状況の中で、相手の晴眼者の援助に頼らなければならないが、しかし、盲人がそれに報いる能力は限られている。このような出会いは不可避的に社会的依存関係となる。こうしたあらゆる理由から、盲人は、自分と知的、[p173>社会的に対等とみられる晴眼者との間に安定した関係をつくり上げることが困難である。かくて、またここでも盲人は、自分は他人とは違った、劣った人間であるということを厳しく気づかせられてしまうのである。
 パーソナルな関係のコンテキストで起こる社会化の過程は、一目見て、盲人とわかる人びとに最も顕著である。一方、盲人施設で起こる社会化の過程は、現行行政上の定義によって盲人と認定されているすべての人びとにとって、顕著なものとなる。事実として、盲人全体の内、厳しく選抜された層の人びとだけしか施設と関係を持っていない。私は、盲福祉システムという語で盲人のための施設と団体と諸々のプログラムの全ネットワークを指しているが、私が調べたところでは、この盲福祉システムは行政上の定義で盲人とされている人びと全体の約四分の一の要求を満たしていることになる。この人びととは、教育可能な盲児と就労可能な成人の盲人である。このシステムからは、年配の盲人や就労不可能者、教育不可能者、さらには重複障害者――換言すれば盲人の大部分の人びと――が広く排除されているのである。
 盲人施設にすくい上げられた人びとがそこへ入った時点では、彼らには全く見えない人もいれば、視力に重度の障害があるという人もいることであろう。ところがリハビリテーションを終えた段階では、彼らは全員盲人となっている。彼らは専門的な盲人福祉関係者たちが盲人が持つべきだと信じている態度と行動パターンを身につけてしまうのである。リハビリテーションの過程を形づくる、[p174>盲人福祉関係者と施設利用者が一対一で密接につき合う関係の中で、盲人はリハビリテーション関係者がその盲人に対して持つ見解を採り入れるとほめられ、逆に他の自己のとらえ方に執着すると叱られる。盲人が自分の問題点とパーソナリティをその関係者の考え通りに述べると「よく理解できている」といわれ、そうしない時は真実を「プロックしている」とか「反抗している」といわれるのである。実際、盲福祉システムの課程をやりとげうるか否かは、盲人が彼についての専門家の見解を喜んで受け入れることができるかどうかで決まるという一面がある。
 時を経るにつれて徐々に、盲人の行動は盲福祉関係者が盲について持っている仮説や信じ込みに合致するようになるのだが、その際、こうした信じ込みが、回復的アプローチに従うものか、それとも適応的アプローチに従うものかは問題ではない。回復的アプローチは、盲人がまず、自分が盲人であるという事実を認め、最終的にはそれを受け入れて初めて、外の世界で自立し、充実した生活を送ることができる、と考える。適応的アプローチは、こうした目標は気高いものではあるが、大部分の盲人にとっては非現実的なものだとみなしている。もっと現実的な目標は、盲人が最小限の努力で適応できる環境を与えることである、というのである。このような環境とは、多くの盲人施設や保護作業所でもつくられ、維持されている。そうした中で生活する盲人たちは、そこでは立派に活動できるが、しかしそうしている内に外部の世界に対しては深刻な不適応に陥ってしまうのである。[p175>
 これらのアプローチのいずれが盲人施設に採用されるかについては、施設の盲人福祉関係者の理論上の好みに左右される部分もあるが、その施設の内外に起こる政治的、経済的、社会的圧力にも左右されるのである。こうした圧力の一つは、盲人の存在をかくすことによって盲人を避けようとする地域住民の無意識的な願望から生まれる。この圧力を黙認する施設は、この黙認を感謝する大衆が気前よく出す寄付というお返しを受け取ることになる。また別の圧力は、地域の中で盲人施設の行うサービスから利益を得ることのできる盲人が比較的少数の場合、盲人たちをめぐってその同じ地域社会の中の施設の間で起こる獲得競争から生まれる。施設というものは、利用者が出た後に彼に代る利用者を得られないかもしれないので、教育と就労が可能な利用者を失うことを嫌がるものである。結局リハビリテーションにおいての適応的アプローチとは、利用者のたまり(プール)がもれないようにする保護手段なのである。その上、多くの盲福祉関係者は、専門的訓練よりは、経験に頼ってこの盲人のための仕事の分野の地位を獲得している。
 経験から得られた専門的知識は、ある一つの施設に密接に結びついたものなので、他の施設には通用しない可能性もある。このために、この分野にかかわるところで専門的に訓練を受けたことのない福祉関係者は誰でも、自分の勤めている施設を温存することでますますそこでの既得権を大きなものにする。その施設の利害関係にかかわる決定をしなければならない場合にはいつも、その決定がたとえ利用者に不利益なものかもしれない時でさえ、施設の維持のために最善の方針をとるこ[p176>と以外に、盲人福祉関係者の選択の余地はほとんどない。適応的アプローチが採用される場合の方がその施設の財政状態がより安定するという事実を無視できるような盲人福祉関係者は、まずいない。
 盲福祉システムがその中の盲人の社会化に対して圧倒的な重要性を持っているということは、そのシステムの外部で生きる盲人たちに目を向けるとはっきりとわかる。こうした外部で生きる盲人たち、特に退役盲傷病兵と自立した盲人は、多くの人びとが盲人であるからには当然持つべきだと主張するあの態度と行動パターンを示しはしない。このことは、盲人の社会化の原動力として、盲人施設の影響の大きさを示すのみではなく、むしろ、盲人とは実はつくられるものだということをはっきりと示している。
 私の分析から浮び上がってくる人びとの像とは、はじめは視力に問題があるという事実のみを共有していたのだが、結果として皆がパターン化した予測可能な形で感じかつ行動するようになる、そういった一群の人びとの像である。見えにくいところはあるが、はじめはそれでも自分は晴眼者だと思っていた人が、自分は残存視力のある盲人だと思うようになってしまう。盲人であるということが自分が生活を形づくる基本的な要素となっていき、他の人びととの関係もそれをもとに持つことになる。こうした過程の中で、実は組織された援助の努力の役割が非常に大きく浮び上がってくる。[p177>
 組織された援助の役割がどんなものであるかについて私が特徴として取り上げてきたことは、多くの盲福祉関係者には受け入れられないであろう。盲福祉関係者は、次のような観方をする傾向がある。すなわち、盲人施設とわれわれの社会で試みられるすべてのリハビリテーションの努力は、失明によって引き起こされると思われるその人のパーソナリティの変化と社会的な発達との方向を、戦略的な介入によって転換させようとする組織的な試みなのだというのである。私の分析するところでは、こうした諸々の組織が盲人に盲人であるという経験を〈つくり出していく〉のである。これまでに何人かの人びとがそれとなく指摘してきているが、こうした諸々の組織はすでに進行している過程を促進したり、あるいは変化させたりする盲人の単なる援助者にとどまらず、むしろ盲人であるという経験の核心に存在する根本的な態度と行動パターンを創り出し、形づくる積極的な社会化をもたらす主体(エイジェント)なのである。
 われわれの社会で、盲人施設が盲という現象の本質そのものにそれほど大きな影響力を持っていることを悲しむべきことと思う人がいるかもしれない。だが、私はそうは思っていない。というのは、このことはまたこのシステムが積極的な社会の変革に向けて有力な武器となる力を潜在的に持っているということを示唆しているからである。それどころか、もしそうでなかったらもっとたくさん気にしなければならない論点があることになってしまう。盲人たちは自然に生まれるのではなくて、彼らはつくられるのである。盲人のための活動のような組織的介在システムに挑戦するこ[p178>とは、こうした事態の起こる過程を合理的で熟考されたものにすることである。現行のシステムを、自分ではサービスしているつもりが盲人にとっては不明確で意図しない結果をもたらす道具から、積極的な変革のために用いられる道具へと変るためにとられるべき第一歩は、盲と盲人についての盲福祉関係者たちの仮説の科学的妥当性を再検討し、それを批判的に評価することである。


*作成:植村 要
UP: 20111119 REV:
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