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『賃労働の理論』

荒又 重雄 19680630 亜紀書房,247p.


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■荒又 重雄 19680630 『賃労働の理論』,亜紀書房,247p. ASIN: B000JA3K30 \700 [amazon][kinokuniya]

■目次
T 賃労働および労働力商品
U 労働力商品の現実的引渡し過程、あるいは賃労働の現実過程
V 労働力商品の再生産過程
W 労働力商品の社会的配分過程
X 賃労働の矛盾の社会的発現過程
Y 賃労働と世界資本主義
Z 賃労働の世界史的意義および賃労働「社会化」の限界

■引用

「労働力は人間存在のもっとも基本的な属性の一つである。労働力であるということは、人間存在に対して与えられるもっとも本質的な規定性の一つである。労働力の支出たる労働は正常な生命活動の一つである。人的存在はその他の諸属性をももち、したがって人間の生命活動は労働以外の形態をもとるものであるとはいえ、労働が人間自身を創ってきたほどに労働力という規定性は人間にとって本質的である。労働生産物もまた、このような生命活動の結果であるとはいえ、あくまでも結果である。労働力商品は、結果ではなく、活動そのものを他人の支配下に引渡すことを意味し、その活動が自らのではなく他人の活動に疎外されることを意味する。結果としての生産物は、労働力の価値に見合う分についてのみ戻されるとはいえ、労働が他人のものになった点はそのことによっては回復されない。労働力商品は支配被支配の関係を内包している。」(p.11)

「しかし、奴隷は商品生産の一般的本性に矛盾する。すなわち、商品は商品所有者相互の私的所有者としての人格の平等を基礎とするものであるが、奴隷は人格の不平等を基礎とするものである。商品流通の一定の発展は奴隷の商品化を発生させるが、商品生産の普遍化は、奴隷の存在を許容しない。また、奴隷は資本の一般的本性とも矛盾する。(p.21-22)

「労働力商品の販売者は、自らの労働力をのみ、まあその時間を制限された使用をのみ譲渡する。商品所有者としての彼の人格は維持される。譲渡された時間以外における労働者自身の存在は、私的所有者としての彼自身の人格の下にある。彼は労働力再生産における自由な主体である。彼は再生産された労働力にたいする所有を保持する。
 とはいえ、時間を制限された労働力の使用も生命活動としての労働力の使用、労働力の支出であることに変りはない。譲渡された労働力は他人の支配下に入り、かくして労働者自身が一定時間を限り他人の支配下に入ることになる。私的所有の自由な主体であることと、他人の支配下にあることとは、本来矛盾しているのである。購入した労働力を使用する限りにおいて、資本は労働者をとくに私的所有の自由な主体として認めつづけなければならない絶対的理由をもたない。一定の条件のもとにあっては、資本自身が種々の強制労働を創り出す。だた、それは商品生産の一般的本性と矛盾する。かくて、労働力の商品化を商品生産の一般的本性と両立させるための諸条件が、法的な規制となってあらわれる。」(p.23)

「ブレンターノおよび大河内教授にとって、この「労働力の商品性貫徹」を要求する論理は、それぞれドイツ帝国および大日本帝国治下において社会政策における自由主義を意味したのであり、そのかぎりで積極的な理論的貢献をも意味しうるものであった。」(p.41)

「(…)これらの初期資本主義労働政策は、自由な賃労働を強制労働に転化させる封建的政策のごとくもみえるが、賃労働が資本制的な労働者の隷従性にほかならぬ以上、強制の存在は自由な賃労働と絶対的に矛盾するものではありえない。この場合、強制の形式は中世的であったとしても、決して中世的身分に結果することはなかった。それは自由な賃労働の確立および賃労働を労働力商品の形態たらしめることのための強制であった。自由な賃労働は市民革命を経て、強制なしに自立した姿をとる。」(p.207-208)

「賃労働の発展は、次第に全世界の労働の社会的諸形態を一般的な形態に同化させてゆく。賃労働の発展と大局的には平行しながら、世界市場の競争によって阻止され、あるいは促進され、賃労働の社会的矛盾の激化によって強力に促進されながら、国際社会政策が発展してゆく。国際社会政策は、賃労働の諸形態を統一的なものとする梃子となる。」(p.236)

「(…)生命の再生産の単位としての共同体が、次第に縮小し、小家族から「核家族」へと移行しつつ分解してゆく傾向の中から、国民経済的な規模での共同体の再現が垣間みられるようになった。生活過程の単位は、ひとたび孤立した個々人にまで分解され、つまり破砕されたのち、再び拡大された規模で建築されつつある。(…)」(p.239)

「(…)労働力が商品性を脱却するや、その基金と労働に応じた支払の形式のもとに個別的労働者に分割される生活手段量との間にあった直接的関連は断ち切られる。労働力の支出が飢えに基づく強制ではなく、労働者自身の自発的意志に基づくものとなり、個別的労働力再生産過程の正常な進行の保障が社会全体の直接的責任となっているかぎりにおいて、それは可能となる。」(p.245)

「これらすべての努力は、結局、社会的労働に対する個々の労働者の姿勢を変えてゆく物質的条件の確立をまって完了するものであろう。それまでは、個々の労働者の創意と英雄主義が鼓舞されなくてはならない。賃労働は、賃労働者と資本家との間における労働力商品の売買であり、賃労働者にとっては対価たる労賃の取得こそが目的であり、労働は手段にすぎなかった。これは労働者の根深い慣習となっている。労働に対する新しい態度の創出につながる英雄主義は、「土曜学校」、「社会主義競争」、「突撃隊」活動となってあらわれ、かつ発展した。(…)」(p.246)


*作成:志知 雄一郎
UP:20081208 REV:
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