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『生のものと火を通したもの』

Levi-Strauss,Claude[クロード・レヴィ=ストロース] 1964, Le cru et le cuit,Plon
=20060404 早水 洋太郎 訳 ,みすず書房,504+36p.

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last update: 20180223

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Levi-Strauss,Claude[クロード・レヴィ=ストロース] 1964 Le cru et le cuit,Plon=20060404 早水 洋太郎 訳 『生のものと火を通したもの』,みすず書房,504+36p. ISBN-10: 4622081512 ISBN-13: 978-4622081517 欠品 [amazon][kinokuniya] w/lc01

■目次

序曲

第1部 主題と変奏
 1 ボロロの歌
 2 ジェの変奏
第2部 
 1行儀作法についてのソナタ
 2短い交響曲
第3部
 1五感のフーガ
 2オポッサムのカンタータ
第4部
 1三声のインヴェンション
 2二重逆転カノン
 3トッカータとフーガ
 4半音階の曲
第5部
 第5部 三楽章からなる田舎の交響曲
 1民衆的主題に基づくディヴェルティメント
 2鳥たちの合唱
 3結婚


アマゾニア先住民と神話世界―『神話論理の現在』
訳者あとがき
動物図集
文献
神話索引
総合索引


■引用

「1942年〈に刊行された新たな神話テキスト集 *ファイル作成者〉の修正は先住民の書記の仕業でしかありえない(サレジオ会修道士を、2,3人の文字の読み書きできる先住民がつぎつぎ手伝っていた)。神話を書き写していて、そのひとりが、ある細部が自分の目で見たか三井で聞いた慣習と一致していないことに気づき、自らの責任でテクストを訂正し、自分が民族誌的現実であると思っているものとテクストを一致させた。この率先的行為は1942年には気づかれなかったが、後になって注意を引いたに違いない。…  神話のテクストに対するこのような無節操は、有害な結果を招く。別の本(アスディワル武勲詩)で明らかにしたように、神話というものは、背後にあるはずの民族誌的現実と全く矛盾していることがあり、そのような歪みもまた神話の構造の一部なのである。」(p64−65)

「私は、まず神話のレベルを超越するレベルで、バイト午後というあだ名の意味を見つけようとしているのではなく、そのあだ名を関連付けることのできる、神話の外にある制度を発見しようとしているのでもなく、操作的価値を付与されている対立の体系におけるそのあだ名の相対的意味をコンテクストの助けを借りて取り出そうとしているのである。」(p82)

「以下の事柄を証明することにしよう。M1は食物の熱処理の起源を説明する神話のグループに属すること、先住民の思考法は料理を媒介であるとみなしていること、そしてボロロの神話にはこの側面が表に出ていない、というのはボロロの神話は隣接する住民たちの神話を逆転し、裏返しにしたものであって、隣接する住民たちは食物に火を通す操作を、空と大地、生と死、自然と社会との間の媒介行為であると考えているからである、ということである。この3点を論証するのに、ジェ語をはなすグループの様々な部族で生まれた神話の分析から始めることにする。これらの部族は、ボロロの生活圏に北と東で接する広い地域に住んでいる。その上ボロロ語は、ジェ語群から枝分かれしたと遠い支脈であるかもしれない、という考え方もある。」(p97)

「その他の細部については徐々にしか解明できない。その細部を含む神話が、その細部に関して、1つあるいは複数の変形グループに属しているからである。変形グループの完全な―かつ多元的―体系をまず再現する必要がある」(p117)

「ボロロからジェに移ると、「図」と「地」の関係がいわば逆転するといえよう。地(神話の文脈)がボロロでは無関心を表明しているのであるが、ジェでは図(ジャガー)が無関心を表明している。」(p122)

「中央ブラジルの先住民がこの偶蹄目の動物に特殊な地位を与えている理由を自問するにはおよばない。その意味論的内容を知るためには、十分な和の文脈において、この項を置換してみれば十分である。わたしは、意味を決定ようとしているのであって、語源を見つけようとしているのではない。めったにない幸運に恵まれない限り、この二つの企てが重なり合うことがなく、そのような幸運を期待するわけにはゆかないので、この二つの企てはべつにしておくのが良い。」(p130)

「ボロロの場合、他の民族の場合よりも完全に、彼らを律する母系原理と社会制度が全面的に調和しているように思われる。この変形が生ずるのは、基準神話が親子関係の母系を語らざるを得ないからである。それとは異なり、M8からM12までのジェの神話は男性二人の親族関係を姻族関係のみによって規定している。」(p137)

「M20の分析が証明してくれるのは、わたしの仮定どおり、ボロロの神話はジェとトゥピの対応する神話のコードを守っているが、メッセージがゆがんでいるということである。メッセージは特定のクランに固有の何らかの文化的財の起源についてであり、特定の神話の種である食材に起源でない。つぎに証明するのは、ノブタの起源移管するボロロの神話が、同じメッセージを伝えるために、コードを修正しているということである。」(p140)

「出発点はM8にあるカエテツの役割という細部の問題であった。この問題はM14の冒頭におけるケイシャダへの言及により補強されている。M14はM8と同じく料理の火の起源の神話である。ノブタの意味論的位置づけを考えることにより、ノブタの起源の神話の検討に行き着いた。これらの神話の分析から二つの結論を得た。まず、第一に、ある観点(姻族関係の観点)からは、第一のグループ(料理の起源)第二のグループ(ブタの起源)のあいだには同形性があるということであり、第二に、この二つのグループは同形であるから追加的でもあるが、互いに補完しあって、観念的に言うなら、メタ体系とでも呼べるものを形成している。このメタ体系は女性を与えるものの条件と関連がある。」

「ムンドゥルクにおいては、ジェとトゥピの他の神話におけると同様に、切れ目が姻族関係に生ずる。切断は妻の兄弟を残すが、自分たちの姉妹とその夫を動物の側に追いやる。カリリの神話では逆であって、切断は親子関係を切り離す。切断が分離するのは両親と子どもたちである。同じタイプの変形が既にボロロのいくつかの神話にあった。」(p151)

「神話においては、語りの展開が説明しているのは前後関係とは無関係な、その下にある構造だということである。」(p164)

「この奇妙なバージョンは、チャコ地方の諸部族とボロロのあいだを走る、神話の「断層」を示すものであるように思える。ボロロにおいてはこの神話は、内容が異なっているにもかかわらず、そのあらゆる構造的性質を使って、作り直されており、女性の位置が逆転している。」(p169)

「これらの神話の分析をこれ以上進めないのは、これらの神話がもっか進めている証明においては副次的な役割をしか果たしていないからである。神話が変形してゆくにはいくつもの次元が必要であり、それらすべてを同時に追求することはできないのである。そのとき身をおいている観点がいかなるものであろうと、変形のいくつかは背景に退き、あるいは遠景にまぎれている。」(p174)

「神話分析の通例で、それを特定のコンテクストの外に広げるわけにはいかない」(p198)

「歴史的に見ると、現在のジェの所属の祖先は共通であり、彼らの神話のうちで類似点のあるものは、論理的観点からのみ一つのグループを形成しているのではなく、経験的存在を持つひとつのファミリーをなしているのである。したがって詳しいヴァージョンを他のヴァージョンの証人にすることは許される。だ足しそれは貧弱になったヴァージョンと詳しいヴァージョンの違いが、欠落による場合にだけ限られる。二つのヴァージョンにおいて、同一のエピソードの扱いが異なる場合には、この下部集合の内部で変形の観念に再び頼る必要が生ずる。」(p215)

「ある感覚を使ったコードから別の感覚を使ったコードへの変形を同じ人々や近隣の人々とにある、既に検討した神話のヴァリアントで確認できるからである。アピナイェ族は死と生の対立を、聴覚記号を使ってこれ見よがしにコード化しており、クラオ族は嗅覚を使ったこれみよがしのコード化を行っている。」(p222)

「オポッサムのペニスは二股に分かれている。それゆえ、オポッサムは鼻の穴で交尾し、メスはくしゃみを立て子を育児蓑に生む、と北アメリカ全般では信じられている。」

「短い寿命についてのジェの神話群は、いくつかの観点から、注目すべき正確を示している。まず、分布の密度が高いということであり、ついで内容にも密度の高さが認められるということである。これらの神話は、他の地方では別々になっているテーマを一貫性のある体系にまとめあげている」(p266)

「方法論的観点からすると、今行った分析には二つの教えがある。第一に、この分析が示しているのは、…構造分析では語源に関わる問題と意味に関わる問題を切り離しておかなければならないということの正しさである。…水の意味論的価値の変動は、他の変動の関数であり、その変形の過程で、形式的同型性の規則が必ず尊重されている、ということが証明できれば良いのである。」

「二つまたはいくつかの神話の間に、恒常的に認めら得る特性を集めたのものを骨格とよぶことにし、個々の神話がこれらの特性に与える機能の体系をコード、特定の神話の内容をメッセージと呼ぶことにする。…ボロロの神話とシェレンテの神話の関係は二つの神話の間では、骨格が維持され、コードが変形し、メッセージが逆転する、と言い方で明確にできる。」(p285)

「コードはあるひとつの文法とあるひとつの語彙からなる。すでにおこなった分析により、検討中のすべての神話について、コードの文法の骨格が不変であることは証明済みである。」(p303)

「例外があり、ニュアンスをつけるべきであり、修正が避けられないとしても世界中にオリオン座とプレヤデス星団の相関と対立の関係があると、わたしは信じている。この関係はしばしば、そして十分に遠く離れた様々な地方で認められるので、有意味な価値を認めることができる。その意味は、これらの正座にある二つの特徴に由来すると考えられる。オリオン座とプレヤデス星団を一まとめにすると、通時的に、厳然と不在という語で定義できる。そして両者が見えている期間には、互いに対立し、−こんどは共時的に−しっかりと分節された体系と分節されていない集合、あるいは、こういってよければ、領野の明確な区割りと領野にある雑然としたかたちとになる。第二のコントラストが第一のコントラストを取り込み、かつその上に重なることにより、オリオン座とプレヤデス星団という対は、季節の交代を表す特権的なシニフィアンになる。」(p322)

「神話の真理はただひとつの特権的内容にあるのではない。内容を欠いた論理的な関係にある。より正確に言うと、操作的価値は内容を欠いた論理的関係の持つ不変の特性に尽きる。同じような関係が、多数の異なる内容にある様々な要素のあいだに成立しているからである。わたしがすでに示したのは、短い寿命の起源というようなテーマが。互いに明らかに内容の異なる神話のなかにあるが、結局の所、それらの相違は、味覚、聴覚、嗅覚、触覚、視覚など、さまざまな種類の感覚に基づくコードの違いにすぎないということであった。…それに生化学の発達がいつの日にか同じように客観的な基準を提供するに至り、感覚の用語で言い表されているコードの厳密さと一貫性をコントロールするようになるかもしれない。神話の基盤は感覚的な質からなる論理であって、その論理は主観的状態と宇宙の特性を截然と分けたりはしない。」

「今わたしが触れているのは神話的思考にある二つの基本的性格である。それはたいがいに補完しあうと同時に対立しあっている。まず第一に、そして別の例によりすでに証明してあるように(p79−80)神話の統辞法は自らの規則の範囲内でも完全に自由なのではない。神話の統辞法は地理的及び技術的下部構造の制約を受けている。形式というただひとつの観点から神話を検討するだけならば、理論的には可能な操作であっても、そのいくつかは決定的に排除されるのであり、それらの抜けた穴が――基のままであればすべてが整っていた絵を打ち抜き機で打ち抜いたように――構造の中で構造の輪郭を陰画のようにして描かれている。様々な操作からなる現実の体系を再現するためには、その構造を別の構造に統合する他ないのである。第二に、そして今こう述べたにもかかわらず、意味するものの体系は、あたかも意味されている事柄が外からこうむる個々の殷損に抵抗しているかのようである。客観的条件が、意味されるものの事柄のいくつかを排除しても、それに対応する意味するものがそれとともに捨てられるのではない。少なくともしばらくのあいだは、それらの意味するものは不在の講が占めていた場を描き続ける。その輪郭は中身あるものとしてではなく、中身がないものとして描かれる。」(p346)

「天文学的コードはいくつかの神話に更なる次元を付け加え、このコードの観点からみることにより、それらの神話を別の神話と関連付けることを可能にする。」(p352)

「しかし、それは予想に反して直接の逆転ではない。このグループにおいては必ずみられる、一人の女性を媒介にする世代の異なる二人の男のあいだにある、対立の弱められたものにすぎない。この弱体化を説明しなければならない」(p400)

「ありのままの状態においては、シンタグマ的連鎖というものには意味を認めることができない、と考えるべきである。…この困難を克服するには二つの方法しかない。ひとつはそのシンタグマ的連鎖を重ね合わせることのできる断片に切り分けそれらの断片がひとつのテーマの、同じ和の変形であると証明することである(L.S.5〔→参照されているのは構造人類学所収「神話の構造」:作成者〕)。もう一つの方法は、最初の方法を補完するものであるが、シンタグマ的連鎖全体つまり神話全体を別のさまざまな神話とか神話の断片とかに重ね合わせることである。」(p429)

「神話の中で色が問題になるときには、問題になっている多色のタイプがどれかということを必ず考えねばならない。色と色が溶け合い、移り目の見分けがつかなくなっているか、 あるいは逆に、原色とか、溶け合った色のグループが互いにくっきりと際立った集団を形成しているかである。」(p451)

「神話的表現と社会構造のあいだにはいたるところでつねに単純な相関関係があり、それらが同じ対立を使って表現されていると想像するのは素朴すぎるであろう。例えば双子の神が登場する神話は同然双生的組織に随伴するとか、父系社会では空が男性であり、大地が女性であり、逆の関係は自動的に母系社会に多いことになるであろう、などとするのがそれである。このような推論をしていると、ある事実を忘れることになる。集団住民により、神話的思考が使う対立の数が同じではないということである。」(p460)

「第3に、どのヴァージョンも、社会的経済的関係とか経済的関係とか、世界の関係とか現実の特定のイメージを提供しているが、民族誌的資料を調べると、そのイメージと事実が対応しているかいないかがわかる。それゆえ外的な批判的検討により、少なくとも作業仮説として、すでに手に入れてある関係的序列を、その神話の内容が、観察された現実を直接語っているかどうかで、第一級であるか、第二級であるか、第三級、第四級であるかという物差しで作る絶対的序列に置き換えることができる。この順に単純なタイプから遠ざかる。単純なタイプへ戻すためにはより多くの数の変形をすることが必要だからである。
「このことにより、神話では自然現象が頻繁に扱われるの、自然現象こそが神話の説明しようするものの核心であると考えた神話学者たちの過ちが何であったかが理解できる。この過ちはもうひとつの過ちと単純な対をなしている。もうひとつの過ちを犯した神話学者たちは、先人たちに反発して――先人たちもまた別の解釈に反抗していたのであるが、――神話の意味を、月の満ち欠けや季節の移り変わりの注釈ではなく、人間条件の道徳的注釈、つまり愛と死、楽しみと苦しみの説明であるとしようとした。いずれの場合でも、神話にある区別を持ち込むという性格が見落とされている。」(p471)

*作成:近藤 宏
UP: 20080722 REV: 20180223
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