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『今日のトーテミスム』

Levi-Strauss,Claude[クロード・レヴィ=ストロース]1962 Le Totemisme Ajourd'hui ,Plon
=20000828 仲澤 紀雄 訳 みすず書房(みすずライブラリー),242+9p.


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Levi-Strauss,Claude[クロード・レヴィ=ストロース]1962 Le Totemisme Ajourd'hui ,Plon
=20000828 仲澤 紀雄 訳 『今日のトーテミスム』,みすず書房(みすずライブラリー),242+9p.ISBN10:4622050587 ISBN13:978-4622050582 2835 
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■内容
(「BOOK」データベースより)
19世紀以来、「未開」社会のある社会集団と特定の動植物や無生物(トーテム)との間に交わされる特殊な制度的関係はトーテミスムと呼ばれ、幾多の実地調査が重ねられてきた。しかしそれぞれの「未開」社会を調べるほどに、各事例の間には一般化できない種々の差異があることが分かってきた。著者は、従来のトーテミスム理解は、人間と自然を非連続として捉えるキリスト教的思考の恣意と幻想にすぎないと批判する。フレイザー、ボアズ、マリノフスキー、デュルケームなどのトーテミスム理論を分析しつつ、トーテミスムについての新しい捉え方の先駆をルソーやベルクソンに見いだし、現実(自然)を前にした人間精神の操作、論弁的な思考の構造を明らかにする。

(「MARC」データベースより)
19世紀以来のトーテミスム概念を人間と自然を非連続として捉えるキリスト教的思考の恣意と幻想と批判し、「未開」社会の中に人間性の普遍性を探る。講演「人類学の課題」も収録。1970年刊の再刊。
■目次

今日のトーテミスム
 序論
 第1章 トーテム幻想
 第2章 オーストラリアの唯名論
 第3章 機能主義的トーテミスム
 第4章 知性へ
 第5章 心の中のトーテミスム

人類学の課題

あとがき
文献
主要用語解説
■引用 

「白人の正常な成人の思考様式を無庇のままに保持し、同時にこれを根拠付けるためには、もろもろの慣行や信仰を自分の埒外に集めて――ほんとうは、それぞれ質を異にするものであり、また分離するのもむずかしいのだが――われわれの文明をも含めたすべての文明の中に存在し、働いていることを認めなければならないとしたら、もっと有害なものとなる恐れのある諸観念が、そのまわりに集まってひとつの力のない塊となって結晶するようにするほど都合のよいことはなかった。トーテミスムという考えは、まず、キリスト教的思考が本質的なものと考える人間と自然との間の非連続性という注文と両立しない精神的態度を、いわば悪魔祓いするようにして、われわれの宇宙の外に投げ出すものであった。」(「今日のトーテミスム」p5)

「不安に訴えることが説明のかすかな輪郭なりとも提供するためには、まず、不安はなにに由来しているのか、そしてついで、一方曖昧で無秩序な感動と、他方もっとも厳密な的確さで標識づけられ、しかもいくつかの明確に区別された範疇に分けられている行為との間にいかなる関係が存在するのかを知る必要があろう。いかなる機構によって、前者が後者を誘発するのであろうか。不安はひとつの原因ではない。それは、人間が、肉体に由来するものか精神に由来するものかということさえ自分でも知らない内的動揺を、主観的に、しかも漠然と知覚する仕方だ。知性で捉えうるある関連が存在するとすれば、それは的確な行動と無秩序の構造――その理論はまだできていない――との間に求められるべきであって、これらの行動と感受性というスクリーン上に写った未知の現象の影との間ではない。」(「今日のトーテミスム」p113)

「これこそはおそらくは根元的な質問だ。なぜ動物による象徴主義でなければならないのか」(「今日のトーテミスム」p120)

「人間と動物あるいは植物との関係を特徴付けるものは、個体を通り越えたこのような属の直接の知覚だ。」(p131)

「われわれは、いずれにしてもわれわれが一体となることができない他者が自分たちの社会的実存の諸要因をもとにして行う総合が、われわれの作り上げる総合に正確に重なり合うかはどうかはけっして知ることができないでしょう。しかし、それほど遠くまで行くことは不必要です。ただ――そして、それには内的感情でこと足ります――近似的なものであれ、総合が人間の経験に属するものでありさえすればよいのです。」(「人類学の課題」p182)

「内感というような観念は、非合理主義に神秘主義が添加されたものを包含しているため、大いなる不信感をおこさせます。付加されるべき証拠を要請するとき、われわれは人類学者を、むしろ、一連の合理的操作によって一つの機械を考え、そして組み立てる技師をモデルとして想像いたします。ただ、機械は動かねばなりません。論理的確実性だけでは不十分です。他者の内奥の経験を自分自身について試みる可能性は、自然科学と人文科学が同様に必要性を感じている、あの経験に基づく最終的な満足を獲得するために与えられている手段の一つにすぎません。おそらくは、一つの証拠というよりは一つの補償というべきでありましょう。」(「人類学の課題」p184)

「文化は、なるほど、解剖学的および生理学的変形とはいっても、ただ個体に準拠するだけでは定義することも研究することもできない変形が継続されるために不可欠な主体相互間の環境を作り出すものでありながら、同時に、そのような変化の自然な結果であり、その把握の社会的様態なのであります。」(「人類学の課題」p194)

*作成:近藤 宏
UP: 20080615

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