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『死刑廃止論の研究』

向江 璋悦 19601010 法学書院,544p.


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■向江 璋悦 19601010 『死刑廃止論の研究』,法学書院,544p. ASIN:B000JANUYO \1000 [amazon][kinokuniya] c0132, c0134

■内容(はしがきより)

「本書には三つの論文を収めた。第一は「死刑廃止論の研究」であり、第二は「絞首刑違憲論」であり、第三は「絞首刑違憲訴訟」である。第一の「死刑廃止論の研究」は、前述の二つの資料(引用者注:国際連合アジア地区人権擁護セミナーのワーキング・ペーパーと、1958年における西ドイツ大刑法委員会の死刑に関する審議の記録)を紹介しつつ、若干の批判を加えた外、世界の主要国家における死刑廃止論議を一瞥し、ついでわが国の国会における死刑廃止論議を検討した。ついでに、わが国の学説判例の動向を概観しつつ、結論的に「死刑、無期刑廃止法案要綱」を提唱したものである。
 第二の「絞首刑違憲論」は、かつて「法律のひろば」に発表したものを、ここに収録することにした。
 第三の「絞首刑違憲訴訟」は、第一部刑事訴訟篇と第二部行政訴訟篇に分かれている。この訴訟で問題になっている明治六年太政官布告第六五号の違憲性の議論は、私の創案にかかるところであり、わが国の刑法死刑の規定を「絞首刑」と観念づけたのも私である。私の血みどろな法定闘争の姿を、これらの記録によって多少でも理解してもらえれば幸わせである」(p2)

■目次

はしがき
死刑廃止論の研究
第一章 序論
第二章 国際連合アジア地区人権擁護セミナーにおける死刑廃止論議
 まえがき
 第一節 日本
 一 報告の概要
 ニ 死刑犯罪の数について
 三 威嚇力の問題
 四 死刑は人道的であるか
 五 誤判の問題
 六 この報告書の結論
 七 平野教授の報告
 第二節 イギリス
 一 まえがき
 ニ 現状
 三 概括的分類
 四 応報
 五 威嚇
 六 死刑の誤判可能性
 七 殺人の誘因としての死刑
 八 終身刑の不適格
 九 教化および他の因子
 第三節 オーストラリア
 第四節 セイロン
 第五節 ニュージーランド
 第六節 シンガポール
 第七節 マラヤ
 第八節 タイ
 第九節 ラオス
 第十節 インド
 第一一節 イラン
 第一二節 ネパール
 第一三節 中華民国
 第一四節 韓国
 第一五節 結語
第三章 西ドイツにおける死刑廃止論議
 まえがき
 第一節 報告および討論の概要
 第二節 死刑問題に関する意見書
 一 エーベルハルト・シュミット博士の意見
 ニ フレンケル氏の意見
 三 イエシェック博士の意見
 四 エルゼ・コフカ博士の意見
 五 スコット博士の意見
 六 フォル博士の意見
 七 ダース博士の意見
 八 フリッツ氏の意見
 九 デュンネビヤー氏の意見
 一〇 エドムント・メッガー博士の意見
 一一 リヒアルト・ランゲ博士の意見
 一二 ハンス・ヴェルツェル博士の意見
 一三 レッシュ博士の意見
 一四 シェーファー博士の意見
 一五 ルードルフ・ジーベルト博士の意見
 一六 マックス・ギューデ博士の意見
 第三節 統計資料
 第四節 結語
第四章 他の主要国家における死刑廃止論議
 第一節 イギリス
 一 聖書を基礎とする死刑廃止論議
 ニ The Homicide Act, 1957の成立経過
 三 The Homicide Act 邦訳
 第二節 アメリカ
 第三節 フランス
 第四節 イタリヤ
 第五節 ソビエト・ロシヤ
第五章 わが国の国会における死刑廃止論議
 第一節 第一四回帝国議会における死刑廃止法案
 第二節 第一五回帝国議会における死刑廃止論議
 第三節 第一六回帝国議会における死刑廃止論議
 第四節 第二三回帝国議会における死刑廃止論議
 一 第一読会(明治四十年二月二一日)
 ニ 第二読会(明治四十年三月十四日)
 第五節 第二四回国会における死刑廃止論議
 一 刑法等の一部を改正する法律案の逐条説明書
 ニ 刑法等の一部を改正する法律案提案理由説明
 三 「刑法等の一部を改正する法律案」審議における公述人の口述要旨
 (1)垂水克己 (2)安平政吉 (3)小野清一郎 (4)小崎道雄 (5)長田新 (6)磯部常治 (7)吉田晶 (8)木村亀二 (9)玉井策郎 (10)古畑種基 (11)渡辺道子 (12)島田武夫 (13)森戸じん作
第六章 わが国の学説判例の動向
 第一節 学説の概観
 第二節 最高裁判所の死刑観
第七章 死刑、無期刑廃止法案要綱の提唱
絞首刑違憲論
はしがき
第一章 死刑の概念
第二章 絞首刑の概念
第三章 我が国現行の絞首刑
第四章 我が国死刑法制の変遷
第五章 死刑執行方法に関する現行法規
第六章 絞首刑執行方法の立法事項性
第七章 太政官布告の性格
第八章 旧憲法との効力関係
第九章 新憲法との効力関係
第十章 「残虐な刑罰」とは何か
第一一章 結論
絞首刑違憲訴訟
第一部 刑事訴訟篇
まえがき
一 起訴状(昭和二四年一一月一〇日)
ニ 第一審判決(昭和二五年三月三一日)
三 控訴趣意書(昭和二五年五月三〇日)
四 検証調書(昭和二六年八月二日)
五 滝川幸辰博士の鑑定書(昭和二六年九月三〇日)
六 正木亮博士の鑑定書(昭和二七年一月四日)
七 古畑種基博士の鑑定書(昭和二七年一〇月二七日)
八 控訴審判決(昭和三〇年一二月一九日)
九 上告趣意書(昭和三一年四月三〇日)
一〇 上告趣意補充書
一一 上告審判決(昭和三三年四月一七日)
一二 判決訂正の申立(昭和三三年四月二六日)
一三 判決訂正の申立に対する決定(昭和三三年五月二一日)
第二部 行政訴訟篇
まえがき
第一 仮処分申立事件
一 執行停止命令申請書(昭和三三年七月七日)
二 被告国の意見書(昭和三三年七月一四日)
三 原告の準備書面(昭和三三年七月二二日)
四 被告国の準備書面(昭和三三年七月二八日)
五 死刑執行停止決定(昭和三四年七月一日)
第二 本訴の経過
一 訴状(昭和三三年七月七日)
二 被告国の答弁書(昭和三三年九月三日)
三 原告の証拠の申立(昭和三四年五月十四日)
四 原告の第一準備書面(昭和三四年六月三日)
五 検証調書(昭和三四年一一月二五日)
六 古畑種基博士の鑑定書(昭和三四年一一月二五日)
七 被告国の準備書面(昭和三五年四月一日)
八 原告の第二準備書面
九 原告の上申書(昭和三五年六月二七日)
一〇 第一審判決(昭和三五年九月二八日)
あとがき

■引用

「私が、死刑という名の怪物に魅入られたのは、中央大学法学部在学中のことであるから、それ以来すでに三〇年になる。大学を卒業して一〇年間の検事生活の間に、死刑を求刑し死刑の判決に立会い、そして死刑の執行を指揮してさえいた。しかしこれらの経験の教えるところは、死刑という刑罰の無力さであり、国家には何も役立たない一種のマスターベーションであることを痛感した。終戦後検事の職を退き、弁護士として逆の立場に立って死刑問題を眺め、ますますその感を深くした。一方、昭和二四年以来、中央大学で刑事演習の講座を担当し、死刑問題をやや学問的に追及する機会を得て、死刑が、いかに人間の理想に程遠い酷刑であるかということを再認識した。しかし死刑廃止論は、学問上の議論になっても又律法事業にとりいれられるとしても、それは裁判事件にはなりえない性質のものである。そこで私は、一死刑囚の事件を担当することになったのを機会に、これを実定法の問題として取上げるチャンスをえた。しかし結局は今のところ不成功に終っている。とにかく死刑の廃止は、もはや議論の時代ではなくて実行の段階であることに気づいた。私はかかる観点から準備をすすめ、二年前にこの研究をまとめるつもりでいたのであるが、不幸、今はやりの老人病にとりつかれ意のごとくならなかった。昨今ようやく健康に自信をえたので本書をまとめるつもりになったのである」(p1)

「刑法が死刑という刑罰を持って以来――死刑が刑法の発祥となって以来といったほうが正しいかも知れないが――死刑が政敵を屠る手段となったことがいかに多いことであろうか。そして現在の世界各国は、このような目的のために死刑という刑罰を存置しているのである」(p20)

(イギリス)
「(4)死刑廃止論者によって時として唱道されるもう一つの論拠は、犯人の処刑に関係する人々に及ぼす心理的効果を中心とする。たしかに、絞首の方法が採用されているイギリスにおいて特に注意すべきものがあったと時として思われるこの効果は、全く無視し去ることはできないが、一般的問題を考えるときは、非常に決定的な因子となっているとも、ほとんど言い得ない。体裁及び実用性 decency and practicability と両立し得、それによって役人及びその他の参加者の関与が避け得られるような手段が疑いもなく考察することができるはずであるし、少なくともイギリスにおいては、絞首刑執行人 hangman の志望者に事かかない、ということも、ものをいう、意味のある事実 telling and significant fact である。全く、イギリスでは、毎週その地位に対し約五名の申込があるということである」(p89)

(オーストラリア)
「六 刑務所の運営 Prison Administration
(@)殺人犯人を刑務所に生かしておくことは、刑務所の運営の仕事をむずかしくする。(引用者注:死刑存置論者)
(@)殺人犯人の処刑は、刑務所運営の確立された目的――すなわち犯人の教化reformation――に逆行する。赦免の殺人犯人が、他の囚人よりも大きな拘禁上の問題を提起しているということはない。廃止賛成論のうちには、多くの経験ある刑務行政担当官を含んでいる。(引用者注:死刑廃止論者)」(p97)

(エーベルハルト・シュミット博士(ハイデルベルク大学教授)の意見:西ドイツ)
「「ゲーテと死刑の問題」と題する私のハイデルベルク大学教授就任演説(一九四八年、スイス刑法雑誌 Schweizer. Zeitschr. für Strafr. 四四四頁以下所収)の中で、私は、死刑の正当性は、刑吏によって執行された殺害は、あらゆる悪のうちで論究されずには済まされない不正であるが故に、いかなる事情の下においても、それが理由づけられなければならないことを明らかにしようとした。死刑は、純粋に法律上の当為のために執行するのだというような刑吏は未だかつて存在したことはなかったし、また存在しないであろう。刑吏は、あたかも家畜を殺害するように有罪者を殺す。彼は、死刑の法律上の根拠については完全に無関心である。彼は金銭獲得手段として人縁の殺害をなすのである。彼にとって、殺害はかきたてられた欲望を意味するのであって、確実に言いうることは、彼は責任を負わせられるという何等の危険なしに人間を殺すことができるのである。歴史上有名な刑吏は、非常に多くの場合、自殺しているし、また悪人になっているのである。他人にする人間の殺害は、法律上耐え難いものであり、且つ又道徳上、積極的に評価されるのは、緊急避難 Notwehr 及び戦争状態 Kriegssituation のような場合においてのみである。かかる場合、殺害者にとっては、「お前か、俺か」Du oder Ich という死活問題Existenzfrageが問題になるに過ぎないからである。すなわち、かかる死活問題から生じた殺人のみが正当化されるに過ぎないのである。刑吏は、かかる死活問題に直面しない。刑吏は、金銭を得んがために、そして彼は(刑吏への申込書の中でいわれるように)、「神経をもち」「血を見ることができる」が故に殺害するのである。それ故に、死刑の執行に際して、国家は非倫理>144>的に、恰もその人間において犯罪的に行為する人を利用するのである。従って、国家は、有罪者に対し、何等刑罰の正当性を与えることなしに、倫理的な熟慮を与えるべき可能性を、執行に際し放棄したのである。死刑のかかる弱点を指摘することが、グレートヘンが牢獄シーンでなした「わたしの身の上に及ぼすかような権力を汝、刑吏に与えたのは誰か?」という問の意味である。
 六 五において述べた見解が、最近、正に神学的方面から軽くあしらわれていることは驚くべきことである。実際、正に両派の神学者達が、死刑の弁護者に属するのはとにかく不可思議なというべきである。死刑の正当化のために聖書が引用された(エミール・ブルンナー Emil Brunner 著「正義について」Gerechtigkeit チューリッヒ、一九四三年、二六六頁参照)。新しくは、ワルター・キュンネート Walter Künneth の「悪魔と神の間の政治」 Politikzwischen Dämon und Gott 一九五四年、二六一頁以下が「神法の」theonome 基礎づけを与えた。かくしてここから、愛にも、兄弟の情誼にも違反するのではなくて、むしろ神の秩序意思に対する従順に奉仕する。従って人間社会に対する隣人愛に奉仕する「刑吏の職務」Amt des Henkers について語られるのである。同様なことは神学者の手紙の中にも書き記されている。
 かような見方を私は理解することはできない。死刑判決の中に、正義の神聖のみならず、国家の尊厳及び威厳が明らかになっていることが真実であるとすれば、そして「刑吏の職務」もまたかかる威厳と神聖によって照らされていることが真実であるとすれば、何故全世界において――そう私は問わなければならない――死刑の執行、すなわち殺害行為そのものをただ第一の最善の執行官にのみ命ずることを文化国家は敢えてしないのか? 何故国家はかかる殺害行為に対し自発的に申し込んだ金銭取得者の協力を承認しなければならないのか? 有罪判決を受けた者の殺害>145>を、たとえば服従拒絶から明らかなるように、あらゆる首尾一貫性をもって、国に奉職する者に命ずるという国家の嫌悪の中に、根底において、更にまた全く正当にも、国家のかかる殺害行為に対し有しなければならない筈の悪意 schlechte Gewissen が、全く明瞭に現われているのである。正に、科学の面から、死刑を下した国家の尊厳と威厳について述べられたことが全部正しいとすれば、従って、死刑の執行は、国家的正義の偉大なる表明であり、なお神の委任という光によって照らされているとすれば、この最高の正義行為の行使に選び出された官吏の地位は決して高いものではありえないであろう。そして、実際、国家はこの所謂偉大なる正義行為の執行を、太古から全く礼儀正しい人とは似て非なる道徳的に最低の人に委ねてきたのである」(pp.144-146)

(フレンケル氏(連邦検事)の意見:西ドイツ)
「(五)死刑の執行は、国家すなわち人間の生命の保護者が職種によって他人の生命を奪うことを必要ならしめる。なるほど最近に至るまでの経験が痛ましくも示すように、ドイツ国民の中に、かかる「仕事」に対する多数の希望者を見つけ出すことは、明らかに極めて容易なことである。しかし、報酬による殺害の喜びが、恐らくは、権威的・犯罪者的国家管理Staatsführungの一二年にわたる教育に基き、或は多分生まれつきの性向のため、ドイツ民族の中に尚広く行きわたっているという事実が正に、裁判官による判決によって裁可された、かかる喜びに耽る状態に>151>人を導くことに対する明白なる警告でなければならない」(pp.151-152)

(イエシェック博士(フライブルグ大学教授)の意見:西ドイツ)
「こうした確信において、私が軍人として戦争中体験した一連の執行の思い出は、私の確信を一層強化せしめる。当時われわれは、多くの怖るべきことに慣れていたにも拘わらず、かかる死刑の執行は、私の最も悪い体験に属する。軍人達を処刑場へと導き、次に仲間の命令によって彼を射殺させ、最後に士官がピストルの弾丸で止めをさすということは、全く不可能な、不快な、関係者全てを屈辱せしめるものである。われわれは指名によるのでなければ、射殺仲間に誰を任命するかという命令を敢行しなかった。有罪者の中隊から必要な人を見つけることも同様であった。市民の刑吏の姿はなお一層悪かった。私は、エーベルトハルト・シュミットが、その意見の五において述べていることに全面的に賛成である。すなわち国家がサディストを募集し、その者を職業的殺人者に任命する場合、国家は刑事司法に必要な倫理的考量を放棄しているのである」(p154)

(ダース博士(ボン大学教授、弁護士)の意見:西ドイツ)
「六 国家は執行のために何らの尊敬する価値もない制度を採用しなければならない。報酬をもって活動する刑吏は、汚れた手細工を行い、一般的軽蔑の対象となる。かかる厭うべき徒輩を報酬をもって利用しなければならず、その場合、かかる給金とりの一面サディスト的な衝動を利用しなければならない国家は、もし国家が死刑をして国家的正義の道徳的に正当化せられた要求としてこれを立てるならば、信用するに足らぬものとなるであろう」(p168)

(第十六回帝国議会貴族院(第二読会)における死刑廃止の論議)
(村田保の発言)「是は裁判官が法律に拠って死刑を言渡すと行刑官が命を奉じてそれを行刑するだけのもので、其他の者は決し>269>て人を殺すことは出来ない。それ故に裁判官と雖も死刑を言渡した者で自分でもってそれを殺せば矢張り殺人罪になると云うことも段々あちらなどで論じて居る者がある。併し此事は本員などは随分こじつけた論じゃないかと思います」(p270)

「明治四〇年の第二三回帝国議会において、死刑廃止の論議が戦わされてから、終戦までは全然その事が論議されていない。あれほど、熱意を傾けられた花井博士もこの点に関しては沈黙していられたようであるが、その原因が奈辺にあったか窺い知ることができない。しかし、私の推測するところでは、幸徳秋水の大逆事件を契機として思想運動が活発となり、当時の至上命令に反する天皇制打倒とか、国体を変革する運動が盛んになったことと、第一次欧州大戦に引き続き、わが国の満州国侵略、北支出兵というような問題が引き続き、やがて日支事変、大東亜戦争へと発展していった為に、国民の意識が戦争に駆りたてられていたこと、為政者もまた天皇制打倒や、国体変革を思想的理念とする者らに対しては、共に天を戴かざる考え方になっていたこと等が原因するものと考えられる。ここでも私は、わが国においても他の国の例外ではなく、死刑を以て政敵をほふる手段にしようと考えていたのではないかという疑問をもっている」(p299)

(「刑法等の一部を改正する法律案」審議における公述人の口述要旨)
「死刑廃止に賛成の理由 奈良少年刑務所長 玉井策郎
 刑務官即ち矯正職員の任務は、受刑者を矯正して善良なる国民の一人として社会に復帰させることです。従って、私達は私達の職責を遂行するに当って、常に「私は教育者である」と自負し、誇りをもって私達の仕事に精励すると共に、受刑者に対しても、その心構えで接して居ります。
 ところが極刑者(死刑が確定したもの)に対しては、この尊い教育者としての使命は通用致しません。人の生命を奪って、何んの教育でしょう。教育と死刑、この二つの相反する現実に直面する私達は、その大きな矛盾に悩んでいます。
 死刑という刑罰が存在する限り、そしてその執行を私達矯正職員が行わなければならない限り、私達は方便的に任務を遂行するのであって、そこには教育者として良心は片鱗をも示すことができません。“人殺し”と自嘲するだけです。
 この点からだけ考えても、私は当然死刑は廃止して欲しい、そして若し直ちに廃しすることが出来なければ、差当、死刑の執行を強制職員にやらせることだけは直ちにやめて貰いたいと思います。
 これは私が過去六ヵ年間、大阪拘置所長として数多くの死刑確定囚と接し、彼等の死刑執行に立会ってきた経験から結論づけられた悲痛な願いです」(p314)

絞首刑違憲論

第一章 死刑の概念
・犯罪人の生命を剥奪する刑罰を、すべて死刑という
・死刑執行方法の多様性

第二章 絞首刑の概念
・犯罪人の生命を、絞首して剥奪する刑罰を、すべて絞首刑という
・絞首刑の種類
・絞首刑が憲法に違反するかどうか、絞首刑が残虐な刑罰であるか否かを論ずるためには、その絞首刑が、如何なる内容と形式のものであるかを確定した後において、始めて実定法の問題として論ずる価値が生じてくる

第三章 我が国現行の絞首刑
・大阪拘置所の例

第四章 我が国死刑法制の変遷
・仮刑律(明治元年五月)――刎、斬、磔、焚、梟
・新律綱領(明治三年一一月)――梟、斬、絞
・太政官布告第六五号(明治六年二月二〇日)――屋上絞架式の採用
・元老院上奏(明治九年七月九日)――梟、斬の廃止訴えるも認められず
→人々が憎むべき犯罪者を忘れ、憐れむのを防止するため
・梟首ノ刑ヲ廃スルノ意見書(明治一一年六月一四日)――梟、廃止
・旧刑法(明治一三年七月一七日太政官布告第三六号によって成立、明治一五年一月一日より実施)――絞のみ

第五章 死刑執行方法に関する現行法規
・何らの法規処置もなく、屋上絞架式が地下絞架式になったことが問題で、問題は、ここに伏在する

第六章 絞首刑執行方法の立法事項性
・憲法三一条「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない」
・法務大臣の命令→刑場で手拭を用いて看守が死刑囚を絞殺→殺人罪

第七章、第八章
省略

第九章 新憲法との効力関係
・現在行われている死刑執行は違法無効である
・反論(1) 死刑執行方法は、刑場こそ異なれ、その原理は、太政官布告と同じであるのみならず、幾分近代化され、改良されているから、その効力を認めてもいいのではないか
→進歩は認めるが、正当な改廃手続をしなくてもよいということにはならない
・反論(2) 慣習法化したものであるから、違法ではない
→「慣習法は刑法の淵源にはならない」という原則

第十章 「残虐な刑罰」とは何か
・憲法三六条「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる」
・定義「残虐な刑罰とは、不必要な精神的、肉体的苦痛を内容とする人道上残酷と認められる刑罰を意味する」→不満
・残虐性の判定の五つの要素
1、受刑者に対し、不必要な精神的苦痛を与えるものであってはならない
2、受刑者の肉体的苦痛の有無
3、不必要な死体の損傷
4、絞架中吊り下げられた姿が、果たして人道上見るに忍び得るものであろうか。又ハンドルを引く看守に対して如何なる精神的苦痛を与えているであろうか。
5、執行に立ち会う者をして不必要な精神的苦痛を感じさせてはいないであろうか

第一一章 結論
「1、明治六年二月二〇日太政官布告は、昭和二二年五月三日を以て、日本国憲法前文及び第九八条第一項>381>の規定により、その効力を失ったものである。従って、もし、現行の死刑執行方法が、右布告に根拠を有するものであるとすれば、それは違法無効である。
2、現行の死刑執行方法は、法定の手続きを経ることなく、行政官庁の処分によって構築されたもののようであるから、右は憲法第三一条に違反する違法無効のものである。従って、刑法死刑の規定は、その内容が空文化しているから、新たに、死刑執行方法が法制化されるまで、死刑の執行は停止されなければならない。
3、現行死刑執行方法が、右太政官布告所定の原理構造と同一であるとしても、悪法も亦法であるから、部分的にせよ、形式にせよ、行政官の任意による変更は許されないのである。
4、現行の死刑執行方法が、何人にも怪しまれずに、現に行われてきて、慣習法化したとしても、慣習法は刑法の淵源にならないのであるから、違法無効である。
5、仮りに、現行死刑執行方法が、形式的に有効に存在するとしても、これは、その構造方法の案出された時代と環境に照し、且つ、この執行方法が、死刑囚及びその立会人に対し、不必要な肉体的、精神的苦痛を与えるものであり、人道に照らし、残虐な刑罰に該当するから、憲法第三六条に違反し無効のものである」(pp.381-382)

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*作成:櫻井 悟史 
UP:20080920 REV:
死刑「死刑執行人」  ◇身体×世界:関連書籍 -1970'  ◇BOOK
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