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『慢性分裂病』

Freeman, Thomas; Canerin, John L., McGhie, Andrew 1958 Chronic Schizophrenia,Tavistock Publications Limited
=19680820 小林八郎訳,医学書院,172p.

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■Freeman, Thomas; Canerin, John L., McGhie, Andrew 1958 Chronic Schizophrenia,Tavistock Publications Limited=19680820 小林八郎訳,『慢性分裂病』,医学書院,172p. ASIN: B000JA4DX6 \1500 [amazon] ※:[広田氏蔵書] m.

■引用

◆序

 「最後に,第10章で読者たちは,患者たちに対して――出来さえすれば何処ででも――環境との接触を再建させようと努力する,いくつかの方法の紹介を受ける。児童分析学者およびその他幼児研究者は,著者たちの用い,かつ推奨する治療道具が,乳幼児のしつけに用いられる方法と多くの点で同じであるのを,興味ぶかく注目するであろう。乳幼児には――病患者におけると同様に――自己中心的・自閉的行動ならびに,自分自身と環境との混乱の存在することが発見されるが,この両者は共に<自己と非自己との境界が十分に形成されない,それ以前>の状態に相当するものである。乳幼児は,この区別を,安定した,欲求をみたしてくれる,信頼できる,外部世界の人間に対する愛慕を通して身につける。乳幼児にその自我を確立させ,自我の正常な機能を営むにいたらしめるのは,このような人間との同一化およびとり入れによるのである。
 著者たちは,このような安定した感情関係の存在が,慢性入院分裂病の治療に不可欠のものであることを確信をもって示し,かつ,とのような方法で,彼ら特に看護スタッフが同一化ととり入れの対象として役立ちえたかを述べている。
                      Anna Freud」

◆第1章 序論

 「このモノグラフは,慢性分裂病の臨床的,解釈的および治療的研究のためになされたものである。すべての精神病院の長期在院者のうちで,高い比率を占めている,この精神病者群を研究することの重要さについては,改めて説明する必要もあるまい。本研究の対象である患者たちは,ほぼニつのグループに分けることができる。第1はその人格が荒廃して<痴呆>状態にいたったもの。第二は、人格の統合はかなり保たれているが,妄想型の固定した妄想を持っもの。この2つのグループが示す臨床的特徴は, Kraepelinが精神分裂病について記述した九つの末期状態のうちのある型に,ほぼあてはまるものである。本書で取りあげた各症例についての簡単な臨床的記載は,第4章でまとめられるはずである。」

◆第11章 結論

「我々の理論的構造のうちでもっとも重要な成果は,優性分裂病患者を精神病院の重症病棟の一隅を占める荒廃した陰影から立ち直らせて,積極的に活動する人間として回復させる治療フログラムに,それを応用できることである。
 この研究をしているうちに浮かび上がってきた,主要点の一つは,慢性分裂病患者の治療が初期には,本質的に非言語的であるといううことである。」
」([145])

 「本質的にいって,我々の治療センターは,患者たちと持続的な関係をつくる機会を看護婦たちに与えたにすぎない。このような関係は,まず看護婦に対する一次的同一化として形成される,それゆえに,看護婦が確実に患者の環境の中に常におられるようにしてやるのが第1の主要点である。精神病院では,看護業務の基本的な配置として,通例は看護者の病棟間交替を絶えず行なうことが必要とされる。それゆえに,そこでは看護婦−患者の人間関係はただ一時的に形成されるに過ぎない。慢性女子病棟の患者たちについて行なった我々の初めの観察では,いわゆる<目然回復>Spontaneous remissionの根拠を,看護婦−患者間の治療関係の発展に求められることがしばしばあった。多くの場合,ある看護婦を他の病束に配置がえをすると,その看護婦と良い接触を保っていた患者に, <自然再発>spontaneous relapsesを起こすように思われた。治療センターには,患者数に対して看護婦数が高い比率で配置されており,このために確かに看護婦が特定の患者に対してより多くの注意を払うことができた。しかし,このように治療センターがいう事態は特別なものであるから,現在の精神病院の機構に,それをそのまま適用する可能性は,まずないのではないかというのも極めて当然なことであろう。すでに述べたことだが,看護婦の時間の多くを取ってしまう日課業務を治療センターでは患者たちの側で引き受ける傾向がしだいに増している。これは,現在,看護婦が手不足である上に,看護婦に対する業務上の要求が多くて,患者との関係を育てる可能性を妨げるほとになっているという議論があるが,それに対する一つの部分的的な回答となろうと思われる。
 この問題に対する真の解答は,我々が精神科看護婦の役割に与える意義と地位とにあると信じたいのである。看護婦−患者関係に内在する治療的潜在能力を増進する目的で,精神病院勤務の看護婦たちの職務を拡大する<0147<ことは,我々の意見では,看護婦捕充をやりやすくするもっとも有効な方法だと思う。精神科看護の新しい概念が事実上発展しつつあるように思われるし,また現代の精神医学の文献は,精神病院における看護の役割について言及しないものはないほとである。フメリカのStantonおよびSchwartz,イギリスのMaxwell Jonesのような研究者たちは,精神科看護に対する新しい態度の必要性をすでに力説している。この問題は本質的には看護訓練の問題であるが,精神科看護婦を治療チームの重要なー員たるにふさわしいものに仕上げるために訓練する,この効呆的な設計はまだなされていない。この点は,マンチェスター地区の精神科看護婦の仕事の職務分析に関する最近の報告(1955年)のなかでも力説されている。この報告の執筆者たちはその結論でこう明言している,「(精神科看護婦の仕事において)顕著な要因は,看護婦と患者との間に存する関係である……精神科看護のすべての目的と使命とは,看護婦による愛情ある,ーつ一つの小さい行為のなかに明白に現われる,それは全く自発的なものであって,看護婦の自分の患者に対する心的態度を表わしている」。我々は,精神科看護婦の訓練は,この治療的潜在能力を資本として利用するのを助けるようなものでなければならないと信じている。看護訓練のこの面は,形式的な講義によってなされるようなものではなく,むしろ看護婦−患者関係におもな力点の置かれている我々の治療センターのような場面で得られた経験を通して,はじめて発展することであろう。こういう体系のなかで看護婦の洞察力と才能とは自主的に発達して行くが,そのためには,メジカルスタッフの役割として,看護婦の観察を検討し,治療的役割を指導することが少なくとも必要である。」([147-148])

小林 八郎 19680820 「訳者後記」,Freeman et al.[1958=1968:155-158] ([…]以外の全文)

 昭和35年5月,われわれは,それまで準備をして来た計画を実施にうつした。実験病悚を開設して,慢性分裂病を入れ,開放政策を背景として生活療法による治療を始めたのである。当時は,フェノチアジン系の向精神薬が普及しはじめた時期であったが,われわれは,このような特殊薬物による治療はもとより,電撃療法その他一切の身体的治療を止めて,人間関係論立場に立って,治療的な相互作用を患者間,患者−看護婦間,看護婦−医師間などにひろげ,それを基礎とした治療を追求しょうとはかったのであっ戸
 この実験の結果は<病院精神医学>第3集,<精神分裂病>(医学書院)に載せられているが,当時,実験を続行するのが心苦しい場合も少なくなかった。あの報告にもあるように,緊張型の多く,妄想型のあるものは必ずしも,このような治療実験の適応症でないことが,次第に分かって来たので,向精神薬を投与したい思いにかられたこともあり,またわれわれが患者の亢奮や暴行に身をさらしている時は電撃療法をしたらと思ったり,また非指示的態度を徹底的にとることの苦しみもなめたし,さらに完全開放なので近隣の地域の居住者に迷惑のかかることを,どれ程おそれたか分からない。
 このように模索しながら実験を続けていた時に,私の手に入ったのが本書であった。もちろんFreemanたちの実験設定の条件,精神分析的発想は,われわれの立場とは多くの違いがあるが,また少なからざる点で共通のものもあった。しかし本書の序文でAnna Freudのいっていることは,単に大げさなほめ言葉ではなく,われわれは,ほとんとその通りの実利と影響を受けた。ただ,われわれの実験は既に進行途上であったので,その方向を変えることはしなかった。
 本書の著者たちについて,私は深く知るところはない。本書に記されて<0155<いる肩書通りの人たちなのであろう。彼らの業蹟を探してみると,本書の発刊前後から最近までに,次のような報告その他が出されている。
 […]<0156<[…]
 本書を読んで彼らの業蹟について関心をお持ちの読者は,これらの文献によって,その望みをみたすことができょう。
 しかし彼らの主著は本書であることは紛れのないことである。本書の発刊は1958年であるが,1960年にはアメリカで,Appleby, Scher及びCummingの編集によって同名の"Chronic Schizophrenia"という,かなり大部の書物が出た。これは,慢性分裂病をテーマとする大きな規模のカンファレンスが,1958年10月3日間にわたって, KansasのOsawatomie州立病院で開催され,多くの報告と討論がなされ,それがこの書物の内容になっている。そのうちAppelebyらの報告については私は前記のく精神分裂病>で紹介をした。そこにも記したようにAppelebyらは,慢性分裂病についての考え方が,Freemanらの思想によって影響され,かつ強められたことを記している。
 従来,日本では慢性分裂病の観察と研究は,欠陥分裂病という方向に尽きているが,この方向は欠陥状態の類型学に過ぎない。近年にいたって,これらの慢性分裂病患者が社会復帰活動の対象として取り上けられるようになってから,欠陥という概念が批判を受け,さらに分裂病の治癒概念が変わって来たことは,いなめない事実である。
 本書は社会復帰活動という点では,せいぜい開放政策と外泊が行なわれているだけである。現在の日本で,さかんに行なわれているナイトホスピ<0157<タル形式の院外通勤などは取り上げられていない。もっとも,この形式は日本の独特の形式であり,この形式を受け入れることによって,日本の精神病院の機能は大きな変革をうけたことは周知のことである。これらの点の欠けているのは残念であるが,しかし,病棟あるいは治療センターで生じた現象に対する臨床的解秋の深さは,それを補って余りあるものがある。
 われわれの実験が終わってから,もう4年半になるが,私は精神科看護婦講習会なとの講義をたのまれると,くり返して,われわれの研究の経過と,本書の紹介をして来た。そこで生じた反響は決して浅いものではなかった。本年も御殿場のYMCAのホールで,日本精神病院協会と厚生省病院管理研究所の主催で行なわれた精神科幹部看護婦講習会で,同じように<慢性分裂病の看護>という講義をした。慢性分裂病の治療は,看護姉かその主役を演ずるべきものであり,主役が演ぜられるように組織づけがなされるべきであるというのが,私の年米の王張である。
 それにつけても,本書を訳出できたのも共同研究を行なった岡庭,久間,荻原,夏堀,中崎,金野その他の看護婦諸君に啓発されたからである。ここに深い感謝の気持を伝えたいと思う。また翻訳については,大東文化大学講師山室武甫氏に多くの御教示をえたので,ここに記して感謝の意を表したい。
           昭和43年8月10日 所沢にて」

■言及

◆立岩 真也 2013 『造反有理――精神を巡る身体の現代史・1』(仮),青土社 ※


UP:20130514 REV: 20130725, 0814, 20180223
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