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『死刑論』

木村 亀二 19491005 弘文堂(アテナ文庫),63p.


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■木村 亀二 19491005 『死刑論』,弘文堂(アテナ文庫),63p. \32 c0134b

■内容(はしがきより)

「死刑は、西洋の中世では、~學者の問題であつたが、近世、特にこれが問題とせられた第十八世紀、においては、政治學者、哲學者の問題とせられ、第十九世紀からは主として刑法學者の問題とせられてゐる。しかし、死刑は刑法の問題としてつきるものではなく、歴史、社會哲學の問題であり、文化の問題である。これらのすべての觀点から考察しないかぎり、死刑の問題性は十分に把握することが出來ない。
 新憲法は、死刑の問題を憲法に中に提出した。憲法問題としての死刑は、國民のすべてがこれを眞劍に考へなければならないアクチュアルなものであつて、法律家だけに任せらるべきものではない。いはんや、刑法學者だけの問題ではない。そこで、わたくしは、以下において、この全國民の問題に對する檢討の參考として、死刑のもつてゐる問題を、そ>3>の歴史・社会・文化・道徳の、あらゆる觀點から照らし出してみることにしたい。
 その場合、わたくしは、出發點としてフランス革命における死刑の問題からはじめ、sれ以前と以後、特に現代との關聯を中心として考察することにした。その理由は、フランス革命が、死刑の執行方法を單一化し、その身分的差別を撤廢することによつて、死刑の問題の歴史において一つのエポックを畫してゐるからである。
 死刑を保存してゐるか否かは、その國の文化の高さを示す尺度だとせられてゐる。死刑を肯定するか否かは、その個人の文化的・人道的意識の高さによつてきまるといつても過言ではなからう。しかし、死刑を保存すべきか否か、肯定すべきか否かを決定する前に、それが保存せられ、肯定せられる價値があるか否かが十分に檢討されねばならない。以下の叙述が、その死刑の價値の判定に對して參考となれば幸である」(pp.3-4)
→(補足:櫻井悟史)歴、社、述、判の字はエディタでは表示されなかったので現代語表記とした)

■目次

はしがき
一 ロベスピエールの死刑廢止論
ニ ギロチンの歴史とその運命
三 瀕死の刑罰としての死刑
四 ベッカリーアとドストエーフスキー
五 日本國憲法と死刑の問題

■引用

「死刑の執行方法の單一化といふことは、今日の人々には、別にめづらしいことではなく、當然のことのやうに感ぜられるかも知れないが、死刑の歴史においては畫期的な事實であつた。といふのは、刑法の歴史においては、死刑の執行方法は人間の残虐性が工夫・發明し得るところの、あらゆる形式を採つて來たのであつて、その方法は斬首・車裂き・絞首・石による撃殺・火刑・生き埋め・四つ裂き・墜落殺等、十指をもつてしても數へ切れない。しかも、それが犯罪の種類に從つて執行方法を異にして同一刑法の中に規定せられてゐたのである。(中略)>15>
 わが國でも同樣に、徳川時代には、その御定書百箇條では死刑の執行方法が區別せられ、一般庶民に對するものとしては鋸挽き・磔・獄門・火罪・死罪・下手人の種類が定められ、士分に對しては斬首の一種・切腹が用ひられてゐた。
 このやうに、死刑の執行方法が多樣に差別づけられてゐた上に、さらに既に右によつても知られるやうに、その執行方法には身分的區別が附せられ、フランスでは庶民に對しては絞首刑が、貴族に對しては斬首刑が、又、わが國では士族に對しては特に斬首の一種・切腹が用ひられた。わが國での、右の死刑執行方法の身分的差別は明治維新以後まで維持せられ、明治三年の新律綱領では士族に對して死刑を言渡すときは自裁に處し、自ら屠腹させることとなつてゐた」(pp.15-16)
→(補足:櫻井悟史)墜の字はエディタでは表示されなかったので現代語表記とした)

「最後に、もっとも惡弊害は、死刑によつて、國家が合法的殺人の模範を示し、人命の無視を奬勵するといふことである。殺人を犯罪として法律上禁止する國家が、法律によつて殺人を肯定し死刑を行ふことは、矛盾であるのみならず、道義的にはもつとも非文化・非人道の行爲であり、野蠻への復歸である。死刑は、文化國家への道ではない」(p52)
→(補足:櫻井悟史)視の字はエディタでは表示されなかったので現代語表記とした)

■書評・紹介

■言及



*作成:櫻井 悟史 
UP:20080911 REV:
死刑執行方法  ◇身体×世界:関連書籍 -1970'  ◇BOOK
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